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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年06月25日 17時51分22秒

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    PS理論の基本6:内部が見える位置

    PS理論の基本6:内部が見える位置
    <PSとの共振>

    この当たりから自己を認識するとはどういうことかを探求していきたいと思います。

    PS理論では、自己を認識することをi*-i⇒+1と表現するのですが、これを現自己と現他者が共振して自己になる、或いは、凸i凹iからMP(⇒)を介して自己になると解釈もできるのですが、どう理解すればそのように解釈できるのか、全く分からないでしょう。

    これを理解するには、いきなり、i*-i⇒+1では、飛びすぎているので、オイラーの式から始めたのですが、それでも、何故、e^iθ-isinθ⇒cosθが自己を認識することになるのか、数学の素人のシムハンターの皆さんは、UFOを見たという話と同じぐらい疑心暗鬼でしょう。数学の素人の私もこれからどう話を繋ぎいで行ったらよいか苦労しているのですが、果して巧く着地できるでしょうか。

    しかし、PS理論は既にいろいろな分野で検証を済ませているので、私の水先案内が不調に終わっても、Renshi氏と海舌氏がいますので安心してください。

    四次元能でやっていることは内面の探検であり、その方法としてPS理論を駆使しているのですが、PS理論の文脈はかなり難易度が高いので、当方が理解するのに手間取っているだけなのです。

    ただ言えることは、脳の中で能をやっているのです。「能とは何か」を参照してください。http://www.nohkyogen.jp/visitor/noh1/noh1.html
    以下、編集して引用しました。

    能の主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語ることが中心になっている不思議な演劇は能なのです。実体のない幽霊を登場させて、ギリギリまで省略された1つの動きの中にはいくつもの内容が込められ、一見無表情な能面には幾通りもの表情が隠されているのです。能は人間の本質や情念を描こうとしているのです。
    ―――
    幽霊⇒人間

    つまり、四次元能は、能と同じように、舞台(ブログ)で臨床することで、人間の本質に近づきたいと思っているのです。

    ギリギリまで省略された単位円の中にはいくつもの内容が込められているのです。一見無表情な能面=ガウス平面には幾通りもの表情が隠されているのです。

    臨床がシムダンスの方法ですから、四苦八苦して七転八倒する過程にこそが、真理に近づく唯一つの有効な方法であることは理解してください。これは西田幾多郎が教えてくれたことです。そして、その七転八倒のプロセスこそが回転のイメージなのです。

    ガウス平面を回転させると波のイメージになることを示しましたが、逆に言えば、波を単位円の回転の中に閉じ込めたとも言えます。回転する単位円は、外から見ると粒(球)に見えるのではないでしょうか。

    ブラックホールは内部が見えないのですが、それを外から見ると地平面として見ることができます。同じように、閉じ込められた波は見ることはできないのですが、外から見ると、粒子として見えるのではないでしょうか。このイメージを示したのが下の図なのです。下の図は、http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ed35400df27a2bc7e597531c08d99869から引用しました。



    ガウス平面の内部は実体のない波であり、外から見ると、実体=粒として見え、内部から見ると実体のない波を閉じ込めた単位円に見えるということです。単なる粒と構造のある単位円では雲泥の差があるのです。

    もし、自分という内部を見るとどういう構造が見えるのでしょうか。

    自分の内部は波のように実体のない流動する心なのです。それを自分自身で見ることはできるのでしょうか。内観をするということで内部を見ることができるのでしょうか。

    内観したものが単位円なのでしょうか。もし、そうだとしても、自分は他人ではないのですから、他人の心は外である私からは見ることはできません。私という自分の内部なら、あたかも、外から見たかのように想像して見ることならできそうです。

    あたかも外から見るとはどのようなことなのでしょうか。

    普通に考えると、見るということは、大きな建物なら、その周りをぐるりと回ることでしょう。もし小さなリンゴなら、逆にリンゴを一回転させて見るでしょう。

    しかし、自分の内部を見るために、自分を自分の外に置くことはできないでしょう。ですから、一回転させても自分も回転してしまうので、見ることはできないでしょう。

    では、どうすれば、内部にいながら、外部にいるかのように内部を見ることができるのでしょうか。

    そう言えば、二回転させれば見えるものがありました。それは電子の場合です。電子は二回転しなければ元に位置に戻って来られない粒子でした。何故二回転しないと見えないかを説明するのは大変長くなりますので、詳しくは、「電子は二回転しないと元に戻らない」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100093885881

    簡単に説明します。ガウス平面の単位円の内部に、上と下に二つの円が二つあり、それぞれは反転して繋がっていると考えるのです。二つはそれぞれ一回転するのですが、全体として二回転すると解釈します。

    この二つ円を自分であると考えてみましょう。この二つ自分とは、自分の中の他人です。現自己と現他者といっても良いでしょう。

    このような二回転をイメージするために、メビウスの帯を想像して見ましょう。メビウスの帯は、表と裏が反転して繋がっており、これを鉛筆でなぞると分かるように、二回転しないと元の位置に戻ってきません。

    もし、単位円の外にいると考えると、一回転しても、内部は見えいなままですから、内部を見たことにはならないのですが、内部にいたまま二回転すると、内と外は反転して繋がっているので内部と外部が見えたことになるのです。

    実際は自分が回らなくても、単位円が一回転すれば、二回転したことになるという不思議な位置が二ヶ所だけあるのです。

    それが実軸+1とー1の位置なのです。

    外にいると、単位円の虚軸は見えないので、水平方向の実軸しか見えないのでしょう。ですから、内部が見えないというのは、当たり前のことです。

    外部にいても、内部の水平軸は実軸なのだから、見えるのではないかという反論が出ることは承知していますが、このことは本題の結論でもありますので、後にします。

    実軸+1とー1の位置に立っていると、内部と外部が同時に見えるのです。

    二回転すると、内部と外部が同時に見える位置というのはどういう位置なのでしょうか。

    回転するジャイロ(位置を示す)を想像してください。このジャイロは、+1、-1から離れて立っている、つまり、外の位置に立っている人には、内部が見えないとします。ですから、いくら回転しても内部は見えません。

    ところが、内部でもない外部でもない位置、つまり、+1、-1の位置に立っている人は、内部が透けて見えるのです。それを示した図がこれなのです。




    外部から見ると、ジャイロは円盤にしか見えないのです。天地を指す回転軸は見えないのです。円盤が回転すれば、球に見えるでしょうから、外から見ると内部の見えない粒=実体に見えるのです。

    しかし、内部は複雑な構造を持っているのです。そんなことは言わなくても、皆さんの心は複雑なことは、皆さん自身が良く知っているでしょう。しかし、これまでの心理学が、その心の中を示したことがあるでしょうか。

    心理学は外からしか見ていいないのです。その淵をたった叩いたりしてその反応を見たものを内部としているだけなのです。

    それに対して、単位円は、心の内部をまるでジャイロの内部のように透視して、簡単に示した図なのです。心理学が、これほど簡明に、しかも、ダイナミックな様子を示したくれたことがあるでしょうか。

    禅でも内部を見るのですが、その見たものを表現することはできていません。それを利用した内観心理療法などは、あるがままに見ると言いながら、外部の規定の価値を植えつけるような洗脳をやっているように思えるのです。その様なことになるのは内観法には内部のモデルがないからなのです。

    本来の自己とは何かという明確な内部のビジョンやイメージがないのですから、規定の価値を植えつけるような安易なことになってしまうのでしょう。

    本来の自己が何者かを知るためには、その内部と外部でもない、内部と外部でもあるというその立ち位置を示すことが重要なのです。それを明確にしたのが自己認識の方程式だと思うのです。

    勝利の方程式という言葉もあるように、勝利に導く方法という意味です。方程式という言葉に抵抗があるなら成功のシナリオ、匠の技などと解釈しても良いでしょう。

    もっと言えば、自己認識の方程式を自覚や悟りのシナリオ、自己反省の術と解釈してもよいでしょう。

    どう呼ぶかは別にして、大事なことは、自己を認識するために、すでに完成されたマニュアルに沿って学ぶことはできないのです。そのことを肝に銘じておいてください。

    マニュアルに沿って学ぶのは効率的ですが、それで自己認識が出来るのかというと、心のない心を学ぶということになるのです。もし、本当に本質的な内部を知りたいのであれば、シムハンターの皆さんも、私と一緒に四苦八苦して頂きたいのです。

    自己を認識するとはそういうことだと思うのです。悟りを得るような、こうすればこうなるといった成就のシナリオがあるわけではありませんが、少なくとも、それに近いものを見つけ出すのは自己自身しかないのだということを受け入れるべきなのです。

    自己認識の方程式はその土台を提供してくれているのです。

    では内部でもない外部でもない位置とはどういう位置なのでしょうか。いよいよ、自己認識の方程式の本題には迫っていくことにします。

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