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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年09月08日 10時34分01秒

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    数学は非在でありながら実在を支える

    数学は非在でありながら実在を支える
    <PSとの共振>

    ファインマンダイアグラムの例としての「排斥する二つの電子」の図はhttp://blog.goo.ne.jp/chipndale97/e/9fb76b17bb37ae99cca7c172d48aa9f8から引用しました。

    以下、編集して引用しました。

    A図では一番したの左右ふたつの電子が山を登るように近づいて、ニュロニョロと光子を放出しています。
    さてB図はどうなっているのでしょうか。

    A図との違いはあるのでしょうか。

    B図はA図を90度回転させたものです。すると一番下の電子は左から山を登っていき頂上から下っていっています。下りは時間の逆行を意味します。ですからこの電子は未来から過去に向かって運動していることになります。

    こんな図は気持ちが悪いと言う人は 何としても素粒子には山を登らせたいと、つまり、時間を順行させたい願望があります。そこで電子の代わりに電子の反物質の陽電子を右から登らせれば時間に順行することになるのです。

    電子と陽電子が頂上で出会ってエネルギーに代わり「消滅」します。エネルギーとなって光子をニョロニョロと出していると解釈します。そして有る時間を光子は飛行して電子と陽電子を再び「生成」していると排斥力を解釈してもよいでしょう。
    ―――
    上の引用は、これから話をすることに、とても、重要な意味をもってきます。

    記憶して置いてください。

    しかし、話は、前回からに続き、心をどうしたらつかめるのか、物質的な心(自我)をどうすれば、抑えることができるのか、を続けます。

    それには、自然に戻ろうとか、節約しようなどという掛け声では何の解決にならないことは、既に証明されています。

    気候変動を止めるには、心とは何なのか、それはどのようにして生成されているのかを知らなければならないのです。そのことが、四次元能の最大の課題であるといってきました。

    心を扱う科学があるとするなら、心理学や脳科学、人工知能といった科学の領域でしょうが、それらは、真に心に迫っているとは言いがたいのです。何故なら、心は科学を生んだ元ですが、その科学が心を問うことは、子供が親に向って、何故自分を生んだのかというようなものであり、禁止された問いなのです。

    もし、どうしてもというなら、自分(科学)が親になって子(心)を生むしかないのです。そのような例が人工知能でしょうが、まだ、親になってはいないようです。

    人工知能は「心」を作り出すことができるでしょうか。「人工知能の心」を参照してください。
    http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kokoro.html
    以下、編集して引用しました。

    その問いの答えの前に、はっきりさせておくことがあります。「科学は他人の心を確かめることなどできない」ということです。

    私達は誰でも心を持っていると思っています。でも、それをどのようにして確認できるのでしょうか。

    例えば、もし、人間と同じ格好をしたロボット、ただし、擬似的な心を持ったロボットで溢れるようになったとしたら、果して、人間の心を持った人と擬似的な心を持ったロボットを区別できるのでしょうか。

    もし、あなたは目の前に人間の格好をしたロボットが現われたとしても、それを人間ではないとは思わないでしょう。ためしに、そのロボットの脳を取り出して、解剖してみたとしても、そこから「心」の存在を確かめることはできないでしょう。まして、ロボットの中にあるのは、コンピュータという機械なのです。心などどこにもないのです。現在、擬似的な心をもったロボットは存在していませんが、将来それに近い形のロボットが出てくることは確実視されています。
    『サロゲート』の未来は近いを参照してください。http://wiredvision.jp/blog/takamori/201001/201001191130.html

    人の心は外からは見えないのですから、ロボットと比較すれば、むしろ精巧にできたロボットではないかという確信が深まるばかりではないでしょうか。

    「自分には心がある。他人も、同じことに反応している。だから、他人にも心がある。」と思うのは自然なことです。

    しかし、どんなに、人と交流しても、この世界には自分が「独り」だけであり、孤独なものです。死ぬときは一人なのです。死ぬときに、そこにいる他人はすべて精巧なロボットではないかという疑いを持ってしまうかもしれないでしょう。だって外見では区別が付かないのですから。

    結婚式では友人の代理になるという仕事があるようですが、それがロボットだとしても誰も気が付かない時代が来るのではないでしょうか。

    結局、他人の心など、決してつかめないのです。他人が、自分と同じような心を持っているかどうかを確実に確かめることができないというのは、心が物質ではなく、非在(実在しない)だからです。

    物質的なものなら実在するのですから、観測もでき、検証もできます。当然、認識でき、把握もできるでしょう。しかし、非在なら人間だけではなく、それが犬の心であっても、石でもロボットでも宇宙人でも、掴みようがないのです。

    ですから、人類が未来に、どんなに高度な人工生命、人工知能を作ろうと「心」があるかどうかなんてことは、原理的に分からない、確かめようがないということです。

    「人工知能で心を作り出せるか」それ自体が、ナンセンスなのです。
    ―――
    ここで言いたいことは、心もどきを作り出せるかもしれないが、それを心だと確認することはできないということを言っているのだと思います。

    この文脈から言いますと、超越的で、非在なもの、つまり、見えないもの、実在しないものに対して、検証可能な物しか対象にしない科学的なアプローチは全く役に立たないということなのです。

    もし、どうしても、精神とか、心とか、神とかいうような非在なものにアプローチしたいのであれば、哲学とか、宗教しか有り得ないでしょう。

    しかし、それでは、心の問題を解明するアプローチとしては、なんら、これまでと変わりがありません。仏教が何故、自我に負けたのかということを考えてください。「仏教の弱点」を参照してください。https://www.c-player.com/ad00178/thread/1100093748917

    四次元能は、これまでとは異なる方法で、心を科学するということなのです。何故なら、科学的アプローチは、PS理論がいうところの物質的因果の世界の理論であり、実軸(+1)中心の世界なのです。実軸(-1)はおろか虚軸のイデアの世界が抜けているのです。或いは、虚(イデア)を媒介するMPの世界が抜けているのです。

    もちろん、科学とは検証可能な現象を扱うのですから、虚軸=イデアを取り入れることは科学に値しないことになり、もし、そのようなイデアと物質的な現象を同じ土俵で語り、表現しようものなら、自らを否定することになり、自殺行為に等しいのです。ですから、そこには踏み込めないのです。

    ところが、四次元能は、初めから心という観測できないものを対象にしていますので、それは科学ではないと言われても何ら困ることはないわけです。

    四次元能には、検証可能というような制約はないのですが、科学的な知見は大事にしています。もし、科学的な知見を無視して、観測できない心を語るなら、それは宗教や芸術や哲学ということになるでしょう。

    四次元能は決して、そのような宗教や芸術や哲学的アプローチを目指すのではなく、科学と宗教の中間を目指したいのです。

    ですから、科学的な知見を無視しないと同じように、哲学や宗教や芸術の知見を取り入れて行きたいのです。

    実際に、これまでの文脈からも分かるとおり四次元能は哲学者プラトンのイデア論が主役ですし、即非の思考という点では、禅仏教が中心となっていますし、芸術では超現実主義者のデュシャンが登場したりしています。

    しかし、喩えが良くないかもしれませんが、骨格はプラトン、血液は禅であるとすれば、やはりなんと言っても肉付けをしなければ、実が伴いません。

    それが実を持たせるためには科学的知見が必要なのです。科学とは自我の亡霊だなどと誹謗しておきながら、結構、頼りにしているのです。

    もちろん、そこに四次元能らしくキチンと選択しており、科学であればなんでも良いというわけではありません。ですから、四次元能が選択する科学は自ずと量子力学、相対性理論、宇宙論となってくるのです。

    このような理由から、四次元能は、PS理論の哲学的背景であるイデアを基軸(骨格)として、そのイデアと科学を融合することを目指していると言えば言えるでしょう。それなら、どのように融合するのかということになるでしょう。

    それを融合する媒体は数学です。数学というのは、科学なのでしょうか。それとも思考の媒体なのでしょうか。

    例えば、ゼロというのは記号であり、物質ではありません。0というのは概念であり、イデアでもあります。

    ですから、0を何もない物質的な状態に相当させるという意識が働くことを、思考というのですが、言い換えればそれを数学(的な思考)と呼んでいるのです。

    ですから、数学というのは思考の媒体(道具)であり、科学そのものではないと思うのです。しかし、数学は科学の厳密性を保証するのはなくてならないものです。科学的とは数学がなければならないのです。

    日常生活でも同じことが言えます。スーパーで買い物をするときに、150円の商品を購入するときに500円を出すと必ずおつり350円がきます。そこには、500-150=350という計算があります。このような計算は、決して他の動物にはできません。

    人間だけがしかも、学校で学ばなければできない計算です。計算だけなら、電卓でできる時代にはなりましたが、その裏には、計算するという思考が組み込まれているのです。

    このような数学的思考は記号の羅列であり、非在の記号であり、非物質的なものです。その記号が意味を持って、物質的な世界と非物質的な世界を繋いでいるのです。

    それでは、数学的思考とは何かということになるのですが、海舌氏は、これをガウス平面の 第三象限に配置しているのです。この配置が何故なのかよく分からなかったのですが、+1を現実世界=実空間、-1を反現実世界=非在空間と理解すれば、なるほどと理解できた次第です。

    もっと言えば、+1=外部世界=物質世界、-1=内部世界=意識世界ということになるでしょう。第二象限と第三象限に区別はまだ良く理解できていませんが、とにかく、右半球と左半球では、物質(実在=実体)と非物質(非実在=非実体=非在=超越的存在)という大きな区切りがあることが理解できたということです。

    いずれにしても、左半球の世界の抽象的で、超越的な数学的な思考が、右半球の日常生活を含む物理的な世界の現象を支えているということです。

    ところで、右半球の現象といっても多様であり、一言では語れないのですが、大きく分ければ、日常生活で言うなら、パラノ的とスキゾ的であり、物理でいうならニュートンと量子力学的な世界でしょう。そのどちらをも支えているのが、-1(左半球)の数学や宗教、哲学的思考だということです。

    パラノ的とスキゾ的な現象に分岐させるパラノ精神とスキゾ精神といった非在の精神が左半球にあるということです。特に数学で言えば、ニュートン的世界を支える数学と量子力学的な世界を支える数学があるということです。

    ですから、+1を解明するには、-1の数学を理解しなくてはならず、+1と-1が単独に存在しているのではなく、相互に関係しているのですから、MPのメカニズム(仕組み)を解明する必要があるということになるわけです。

    ところが、量子力学的な世界を支える数学というのはとても素人に手の出るような代物ではありません。特に先端のさらのその先端では、幽霊(確率の波)どころかゴースト(負の確率)まで出てくるのですから始末に負えません。

    ですから、数学については、その意味を中心に捉えることにします。そのような方法は必ずあると思うのです。例えば、真空は粒子のダンスが舞う場所なのですが、それを表現する数学は、とてもとても難しくて頭が痛くなってしまいます。しかし、ファインマンという人がいて、これを簡単に図表で表現してくれたのです。

    冒頭に示した図が電子の生成消滅の様子を図にしたものであり、これがファインマンさんが発召した方法なのです。ニョロニョロが光を表わしています。

    難しい量子力学の幽霊の動きが、こんな簡単な図で表現できるとは驚きです。ここには、時間が逆行するのか、それとも反物質があるのかという問題の含まれています。今後、このような図が多くの非在の謎を解明するたびに出てくるでしょう。


    ファインマンさんは、何故このような図を発明したのでしょうか。そうです。ファインマンは意味を作り出したのです。

    「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を参照してください。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0284.html
    以下、引用しました。

    ファインマンは「意味をつくりだそうとすること」が「考えること」であり、そのことを伝えようとすることが「教育」や「学習」であると確信する。
    ―――
    ですから、四次元能は、意味を作り出すことに意義があると思っています。難しい数学は、非在を実在にするためにどうしても必要です。同じように、芸術も必要です。同じように、図表も必要なのです。それがイデアの科学、MP:非在⇒実在を解明する手掛かりであるとも思うのです。

    イデア科学とは、イデアという観点なら見た科学であるかもしれませんし、イデアを媒介にした宗教や芸術と科学の融合といったことかもしれません。

    もちろん、そのようなものは科学ではないし、まして宗教や芸術でもないと言われるかもしれませんし、疑似科学であると言われれば、その通りだと思います。

    しかし、もし、科学=古典科学を意味するなら、そのような科学はPS理論流で言えば、自我の亡霊のようなものであり、そのような科学なら自我と共に解体するべき時期に来ていると言えます。

    もし、科学=量子力学を意味するなら、とても、おかしいこと、つまり、イデア科学的なこと、MP:非在(検証できない仮説)⇒実在が起きていることをこれまで何度も繰り返してきました。

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