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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年09月13日 08時21分29秒

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    主語論理と述語論理をPS理論で解明する(2)

    主語論理と述語論理をPS理論で解明する(2)
    <PSとの共振>

    自我を解体するとは、主語論理を捨てるということであり、それは、即ち、階級制度、官僚制度、規律、文化、血統を捨てるということに等しいのです。私達は骨の髄までシソーラスでできているのです。

    こうした思考をPS理論で考えて見ましょう。

    思考とは非在(-1)であり、その根源はMP1にあるでしょう。MP1は共立ですから、二つの思考が対称性を持って並存しているはずです。それを主語論理と述語論理としましょう。もちろん隠喩と換喩もそれに含まれます。

    そうすると、凸i=原主語論理、凹i=原述語論理とすれば、MP1(凸i=原主語論理♯凹i=原述語論理)、MP2(凸i=原主語論理*凹i=原述語論理)となるでしょう。

    ここから、MP1(凸i=原主語論理♯凹i=原述語論理)⇒-1(主語論理・述語論理)、MP2(凸i=原主語論理*凹i=原述語論理)⇒+1(主語論理・述語論理)が出てくるでしょう。

    原をつけたのは、虚次元のイデア性を表現しています。思考の根源、思考の素と考えてください。

    つまり、非在の思考は、対称性を持ったまま主語論理・述語論理として-1に生成されるということです。更に言えば、第二象限の限りなく近いところに位置されるということです。

    しかし、正確には第二象限にはなく、凸iサイドに位置すると言うのが正しいでしょう。主語論理は凸iサイドに偏向、傾斜しているということです。

    更に、述語論理は、第三象限ではないが凸iサイドに偏向、傾斜しているということです。

    この偏向、傾斜ということがrenshi氏のいうMP1による傾斜であり、私はこれを量子力学的な表現を借りて、MP1共立の対称性の破れとしています。

    ここで、海舌氏の認識の図と比較して見ましょう。



    海舌氏は、第二象限に宗教や芸術や倫理を、第三象限に数学や哲学を配置していますが、私は何故、そのように配置するのかが理解できないでいたのですが、どちらも思考であると考れば、それらは非在であるということに気がついたのです。

    ところで、対称性=双対性という観点からすると、上に述べたように凸i凹iの鬩ぎ合いから傾斜して-1に対称性が破れたりするものの、本質は維持されて現れるのではないでしょうか。

    そこで、手前勝手ですが、海舌氏の認識を少し修正させていただきます。

    凸i凹iの鬩ぎ合いで、傾斜するときとしない場合があり、それらを区別します。傾斜しない場合を-1として、傾斜するときを-1(凸i)、ないし、-1(凹i)とします。

    このように考えると、哲学にも、宗教にも芸術にも主語的凸iと述語的な凹iがあるということになります。

    これを纏めてみると、

    主語論理による思考(換喩)の根源=原主語論理=凸i
    述語論理による思考(隠喩)の根源=原述語論理=凹i

    これらがMP1で共立すると、凸i♯凹i⇒-1となり、(主語論理による思考(換喩)の根源=凸i)*(述語論理による思考(隠喩)の根源=凹i)⇒-1となります。

    長い式なので、原主語論理(S)♯原述語論理(P)⇒-1、即ち、S*P⇒-1と簡単にします。

    ⇒には傾斜が付きますので、凸iか凹iのどちらかの優位か、中間状態の三つ思考、即ち、{-1(凸i)・-1・-1(凹i)}として現れるでしょう。

    一方、これらがMP2で共役すると、S*P⇒+1となりますが、⇒には傾斜が付きますので、凸iか凹iのどちらかの優位か、中間状態の三つ思考、即ち、{+1(凸i)・+1・+1(凹i)}として現れるでしょう。

    これで、主語論理と述語論理が、虚から実に出てくる過程、即ち、MPメカニズムを示したとことになります。

    -1は非在、+1は実在ですから、-1は思考そのもの、+1は記号化されたものという見方ができるでしょう。一方で、自*他⇒+1(日常の物質世界=自我=他者)としたのですから、ここにも、虚の根源が物質化され、記号化され、+1に形成されたと解釈します。

    光の波(光と闇)が共役して+1(電子対生成)になるというのは、量子力学の現象ですが、電子対は観察によって現象したということであり、観察によって物質化=粒子化=記号化されたということです。

    ここから類推すると、日常の物質世界も対称性(対生成)を持って現れることになるでしょう。つまり、自*他⇒+1(自我と他者)です。ところで、自我と他者は、物質化されているということは、それを実体として観察したということですから、物質化=粒子化=実体化=記号化という一連の同一化(同一視)があります。

    重要なことは、物質化=記号化という関連です。これは自我=記号化とも関連するのです。つまり、物質と呼ぶ現象+1はすべて記号なのです。これは、ラカンが言うところの象徴界に相当するでしょう。

    これまで言ってきた+1の日常の物質世界=現象界とは記号(言語)によって象徴された世界のことなのであり、私達は記号を実在として錯覚して生きているということなのです。

    ここまでを纏めると、

    ・ 主語と述語の思考の根源、つまり、対称性が虚軸にある。
    ・ MP作用によって傾斜する。(対称性が破れる)
    ・ MP1の共立によって主語と述語の思考が-1に生成される。
    ・ その現れ方は、中間と主語優位(凸i)と述語優位(凹i)の思考が{-1(凸i)・-1・-(凹i)}となる。
    ・ MP2の共役によって主語と述語の思考の表現が+1に形成される。
    ・ その現れ方は、中間と主語優位(凸i)と述語優位(凹i)の思考が{+1(凸i)・+1・+(凹i)}となる。

    こうして、虚軸の対称性(凸iと凹i)が実軸(+1と-1)に現れたということになります。

    誤解していけないことは、虚軸の対称性(凸iと凹i)が、実軸(+1と-1)となったということではありません。

    実軸の対称性<+1と-1>は、凸iと凹iと同じく根源的対称性であり、都合によって、なくなったり、現れたりするものではないということです。

    ここで言わんとしている対称性の現れとは、+1と-1のそれぞれに、傾斜つきながら、+1(凸i)と+1(凹i)、-1(凸i)と-1(凹i)と対生成、対形成されたことを言っているので、留意してください。+1ないし、-1の場合は、中間ですが、これは対称性が中性化されて、隠れていると解釈しましょう。MPの即非性と同じ状態と解釈することができるでしょう。

    これで+1と-1の区別がはっきりしたのではないでしょうか。

    -1は非在であり、思考であり、それを記号化した物が+1の実在だということです。

    従って、S*P⇒+1によって記号化された世界=実在が形成され、S*P⇒-1によって、暗黙の世界=思考の世界=超越した世界=非在が生成されるということです。

    これも纏めておきます。

    分極による二つの世界と、対称性と対称性の破れによる三つの世界、合わせて、六つの世界が生成形成される。

    -1(凸i)            +1(凸i)
    -1・・・・・・・・・・・・・・・・・・+1
    -1(凹i)            +1(凹i)

    非在{-1(凸i)・-1・-1(凹i)・・・実在{+1(凸i)・+1・+1(凹i)}

    {-1(凸i)・-1・-1(凹i)と{+1(凸i)・+1・+1(凹i)}を{ }とします。
     
    -1・・・・・・・・・・+1
    思考したもの{ }・・・観測されたもの{ } 
    想像したもの{ }・・・表現されたもの{ } 
    想像世界  { }・・・記号世界{ }

    思考されたものが想像したものであり、非言語的なイメージや直観のことです。それを言語や記号で表現した物が、観測されたものであり、表現されたものであり、記号の世界です。以下同様です。

     
    非物質世界 { }・・・物質世界{ }
    暗黙の世界 { }・・・言語の世界{ }
    暗在系の世界{ }・・・明在系の世界{ }
    超越の世界 { }・・・日常の世界{ }
    科学的思考の世界{ }・・・科学の世界{ }

    科学的思考とは思考されたものであり、非言語的イメージや直観のことです。それを言語や記号で表現した物が、科学の世界です。以下同様です。

    芸術的思考の世界{ }・・・芸術の世界{ }
    哲学的思考の世界{ }・・・哲学の世界{ }
    宗教的思考の世界{ }・・・宗教の世界{ }
    倫理的思考の世界{ }・・・倫理の世界{ }

    共役のS*P⇒+1、共立のS♯P⇒-1によって、+1と-1に分岐して、二つの世界(対称性を入れると六つの世界)ができたわけですが、この場合、共役と共立は別々に働いているかのように見えます。

    実際にそうなのでしょうか。このことを考えて見ましょう。

    つまり、S*P⇒+1によって記号化された実在とS*P⇒-1によって生成された非在とはどのような関係になるのかということです。

    ここにはMPの作用、メカニズム、ダイナムズムがあります。これを解明することがこれからの課題でもあります。

    この段階で言えることは、S*P⇒+1は、比較的単純なMP2の精神作用であり、素粒子などの衝突などはこれに相当するでしょう。

    しかし、人間の場合は、単純な作用ではありません。大概は、無意識MP1を経由するからです。従って、MP1⇒-1、MP2⇒+1と同時に、-1⇒(MP)⇒+1があるわけです。その場合に、MP2⇒+1の+1と-1⇒(MP)⇒+1の+1が重なると言いますか、交錯するわけです。

    MP2からの物質ないし、物質的な自我(他者)があり、MP1からの-1(思考)から反転した+1(実在としての物質、ないし物質的な自我)があり、それが、+1で交錯するのです。そのとき、自我はどう自覚するのでしょうか。

    他の場合も同様です。

    MP2から形成された科学や哲学があり、MP1から生成された-1(科学や哲学の思考)があり、それが反転して+1に形成された科学的、哲学的産物があり、それらが+1で交錯するのです。そのとき、自我はこれをどう自覚するのでしょうか。


    MP2からの自我が、MP1の-1から反転した記号化された物質を他者として受け止めるのでしょうか。MP2からの科学的産物が、MP1の-1から反転した科学的産物とはどう違うのでしょうか。自我はそれをどう受け止めるのでしょうか。

    これが人間の場合の複雑さであるとも言えるでしょう。原生動物には-1はないか、あっても、エネルギーレベルが低いでしょうから+1に於ける葛藤はないでしょう。

    MP1から-1に出てこないで、MP2を経由しないでダイレクトに+1に出てくるルートもあるのでしょう。条件反射などは、MP1→+1のケースだと思いますが、直感は複雑な心理過程を経てきているので、MP1:→-1を経由しないとは考えにくいところです。


    MP1ダイレクトについてはこれまで扱ってきませんでした。ただ、内部は光速度で動いているので、どのような場合でも、MP1から-1経由で、+1に反転してもおかしくはないのですが、更に検討する必要があるでしょう。
    若干、裏ポートを開けるhttp://www.c-player.com/ad00178/thread/1100093577244では、直感のケースを説明しましたので参照してください。

    これは今後の課題とします。


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