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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2010年10月09日 08時29分31秒

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    主語は隠れている

    主語は隠れている
    <PSとの共振>

    上の図は擬装空洞http://t-walker.jp/eb/entry/から引用しました。

    以下、編集して引用しました。

    言語の殿堂、四次元能にようこそ!
    みんなの心の中には、素敵な冒険、思い出、いっぱいあると思います。
    それを、この四次元能で表現してみましょう。
    もちろん、あなたの姿も残すことができますよ。それに、この場では実験もできるんです。
    あなたも仮想空間を意識革命の場所にしませんか。
    ---


    日本語には形式的に主語のある学校文法と主語のない三上文法があります。学校文法は西洋文法を基盤にしており、三上文法は日本古来の文法だと言いました。

    この主語の有無について両者の見解は水と油のように真っ向から対立しています。

    主語があるのかないのかは自我があるのかないのかと直結する問題であり、脳を解剖する最も基本中の基本です。

    そこで、もう少し、主語について吟味しておきましょう。

    「新ゴボウのかき揚げ」の作り方の文章を見ると、料理する「人」という主語が隠れており、代わりに「ごぼう」が主語となっていることを見てきました。

    一方、工学的な説明、例えば、建築施工、実験、研究などの文章にも人が関係しないので、人という主語がないのですが、これらも三上文法なのでしょうか。

    どうも文系の文章と理系の文章とは区別して考える必要がありそうです。

    客観的な物理現象を説明するのに、人という主語が出てこないのは当たり前です。せいぜい、それを研究した人が論文やレポーポの片隅に、これは私が研究したものであることを証明するために報告者としてサインします。これは主語の代理とでも言えるでしょう。

    この考えを延長すれば、科学に限らず、数学や音楽の楽譜にも主語などないことになります。あるのは、述語、つまり、命令する記号(数学では演算子)と変数があるだけです。

    これが主語なしを主張する三上文法とどう関係するのでしょうか。

    主語のない文章の例をパソコンのヘルプから引用してみましょう。これはもともと英語表現だったのを日本語に訳したものでしょう。以下、引用しました。

    インターネット接続ウィザードと Internet Explorer を使用すると、Web 上の豊富な情報を検索したり、表示したりすることができます。

    次に示す各トピックをクリックして開始します。ヘルプを使うと、インターネットのブラウズに関するより多くの便利な情報を入手できます。

    インターネットに接続していなかったり、新しい接続を作成する場合は、次のリンクをクリックしてください。
    ―――
    ここのどこに主語があるのでしょう。

    これを英訳に翻訳することを考えると、突然、主語が必要になってきます。これを、英語表現するつもりで表現すると、こうなります。

    「あなた」がインターネット接続ウィザードと Internet Exploreを使用すると、「あなた」はWeb 上の豊富な情報を検索したり、表示したりすることができます。「あなた」は次に示す各トピックをクリックして開始します。「あなた」がヘルプを使うと、「あなた」はインターネットのブラウズに関するより多くの便利な情報を入手できます。
    ―――
    要するに、「あなた」という主語が省かれているのです。確かに、頻繁に「あなた」が出てくるので、日本語に訳とすうっとうしくなります。

    更に、「Webの情報は、さまざまな方法で検索できます。」という文章がありました。
    ここでは「Webの情報は」という主語がしっかりと出ています。これは英語では、なんと表現するのでしょうか。「あなたはWebの情報を、さまざまな方法で検索できます。」となるのでしょうか。

    こうなってくると、主語というのが何なのかがよく分からなくなってきました。主語=人ということに限定すれば分かりやすいのですが、人ではない「Webの情報は」や「ごぼうは」が形式的に主語でも意味が通じてしまうので困ってしまうのです。

    こういうように困窮したときは、違った観点で探求することです。

    無生物主語を使うのは適切かというQ&Aがありましたので、
    http://oshiete1.nifty.com/qa5839038.htmlを編集して引用しました。

    《無生物主語+can》英文製品資料中、製品の特徴や用途を明記する場合。

    仕事で製品の英文PR資料を作ることがあるのですが、製品の特徴や用途を明記するのに下記例文のような表現《無生物主語+can》《無生物主語+can be》などを多用しています。

    (1)This waste cloth can remove tough stains on your products.
    (このウエスは製品の頑固な汚れを落とすことができます)

    この表現だと「ウエスが一人で動いて勝手に頑固な汚れを落とす」という意味になます。

    頑固な汚れを落とすのはあくまでも作業を行う「人」であるので、この場合《無生物主語+can》はおかしいでしょうか?("enables you to remove"などの方が適切?)

    答え

    誰が見ても、やっても同じ結果を得られるのであれば客観的な事実として、人を主語にしない場合があります。

    しかし、PRの場合であれば、人それぞれ感じ方も違うでしょうし、「あなたに試してもらいたい」ということですから、商品名を大文字にして(例えばWASTE CLOTH)

    With WASTE CLOTH you can easily remove tough stains on any products and materials.

    などの表現は大変一般的だと思います。

    一方、This product can be used for cleaning という感じの表現は、取扱説明書では目にする気もしますが、PRの表現としては「掃除に使っていただくことも可能です」ということは、「もっと主目的があるのでは?」という別の疑問がわいてきます。

    確かに表現は慣れてくるとマンネリ化してしまいますよね。 

    ふとマイクロソフト (www.microsoft.com) のウェブサイトを見ると商品説明に you can.... の表現が無いものがありませんでした。
    ―――
    これで明確になりました。

    つまり、英語でも人が関係しない現象の説明、つまり、客観的な事実の説明では、人間の主語は出てきませんが、取り扱い説明書などは相手が人なので、必ず「あなた」などの主語が出てきます。

    一方、日本語では、取り扱い説明のような場合でも「このウエスは」などのように、あたかもウエスが主語であるかのような表現が出てくるのです。

    もちろん、これを読んだ人は、頑固な汚れを落とすのはあくまでも作業を行う「人」であるということを理解しているのですが、「このウエスは」という無生物を主語とする文章も在り得るということです。

    電子回路ではどのような説明をしているのでしょうか。http://www.piclist.com/images/www/hobby_elec/ckt1.htmから編集して引用しました。
    この回路は矩形波の入力信号からパルス状の信号を作るときに使用します。
    ―――
    「この回路は矩形波の入力信号からパルス状の信号を作るときに使用します。」は、「この回路は矩形波の入力信号からパルス状の信号を作る」ときに「使用します。」と分けることができます。

    「使用します。」の主語は回路設計者であり、省略されています。「この回路は〜パルス状の信号を作る。」では「この回路は」が主語のように見えます。

    主語とは一体何なのでしょうか。

    これを徹底的に研究した人が三上章です。三上章についてはこちらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8A%E7%AB%A0
    を参照してください。

    三上文法では、「花は」を題、「花が」を主格としたのですから、「この回路」は主語ではなく、主格ないし題と言うことになります。

    先の文章を英語に翻訳すると「矩形波の入力信号からパルス状の信号を作るときに、あなたはこの回路を使用できます。」と変換して翻訳することになるでしょう。確かに、日本語には主語は「ある」けど「ない」ようです。

    ここまでの探求からどんなことが言えるのでしょうか。

    つまり、三上文法では、日本語には主語が要らないといっていますが、それは人が主役として関与する場という前提があります。

    そのような場では、主観的な表現となるので、当然、それを読む人は、文脈から解釈するので、誰が、何が主語となるかは分かるのです。だから、「主語は必要がない」と言っているのです。必要がないというよりは、「省略する」のだと言っているように思うのですがどうでしょうか。

    「料理の作り方」で示したように料理の作るのは人ですから、人が主語となるのは当然です。

    一般的に主観的な文章、例えば、小説などの場合、人を主役にしているのですから、主語が何であるかは、省略されても文脈で解釈も容易です。

    一方、客観的な現象である物を相手にした場合、例えば、工学的な文章では、人がその現象に関わることがなくなってきますので、人が主語にはなりえません。変わって無生物主語が多くなってくるわけです。この場合、正確さを重んじる文献などでは、読み手の解釈に委ねることは危険なので、日本語であってもしっかりと主語を表現するわけです。


    一方、マニュアルや商品説明などになると、誰が使うかということが重要なので英語圏では、人間が主語として必ず出てきます。日本語ではそれが分かりきっている場合は省略してしまうのです。

    ここまでを纏めると、文学的表現では主観的な文章となり、人(生物)が主人公なので、自ずと英語表現では主語が必ずあり、省略しないのです。

    一方、日本語表現でも主語が必ずあるのですが、文脈で分かる場合は省略することが多いのです。それだけに主語が誰かをめぐっての解釈の違いが起こりがちでしょう。法律とか企業の文書では、それがはっきりしないとトラブル続出するでしょう。

    科学的な現象には人が関与しないので、人は主人公にはなりえないので、自ずと英語表現でも日本語表現でも、客観的となるでしょうから人の主語はないのですが、それに変わって、無生物主語が出てきて、この主語は正確性を重視する意味でも省略しないのです。

    これが物を対象にしたマニュアルや商品説明などでは、日本語と英語では、やや、ニュアンスが違ってきます。主観と客観の中間的な領域ですから、人(生物)が主人公と見れば、英語の文章のように主語が必ずある(省略しない)ことになり、日本語の文章でも、主語は必ずあるのですが、文脈で分かる場合は省略することが多いのです。その場合は無生物主語となることが多いのです。

    ここから何が言えるのかです。

    西洋では主語論理{-1(凸i)}によって自我に傾斜した言語(英語など)=+1(凸i)を主にして使い、日本では述語論理{-1(凹i)}によって無我に傾斜した言語(日本語)=-1(凹i)を主にして使うということです。

    このようなことが果して言えるのかどうかです。

    今日、教育の現場では学校文法=西洋文法が主のようですから述語論理{-1(凹i)}によって無我に傾斜した三上文法は影が薄くなっているのかもしれませんが、そのあたりを探ってみたいと思います。次回をお楽しみに。

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コメント: 全5件

from: 生成門さん

2010年10月11日 16時32分46秒

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「Re:Re:Re:第4象限問題」
海舌さんへ

ありがとうございました。

凹凸符号パーツを読みましたが、直ぐには理解できませんので、じっくり読ませていただきます。

固有値の問題も、もう少し時間が必要のようです。

生成門

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from: kaisetsuさん

2010年10月11日 09時48分05秒

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「Re:Re:第4象限問題」

生成門さんへ

 素晴らしい発想です。

 今、起きましたが、同じようなことを考えていましたが、生成門さんの方がより具体的になっています。

 次の生成門さんの反転の発想です。鏡像です、ね。

> 三角錐1の頂点を主語、面を述語とすれば、その三角錐を内包する球を考え、そこに三角錐2を作れば、1と2は頂点と面が反転する関係になりますね。つまり、主語と述語の位置が反転するわけです。
>
> 1と2の三角錐とは、ガウス平面を1と2を想定したことと同じになりませんか。そうすれば、1では主語優位、2では述語優位として説明できます。
>
> 同じ位置でも反対の性質が出てきてしまうので、今まで、うまく説明できなかったのですが、この三角錐の面点反転を取り入れれば、解決できるような気がします。それはMPの多様性とも通じてきます。
>
>
> MPの多様性は、言い換えるとガウス平面そのものがマルチ反転する三角錐の画面だと考えてるわけです。


 MPの多様性は、MPの固有性(固有値)の問題でも在ります。固有なもの、差異が存在しないと多様性は存在できないからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BA%E6%9C%89%E5%80%A4

 この点については、現在、考察中です。

 但し、結果は見えています。

 イデアは方向性であり、MPも方向性(ベクトル、行列)であり、Modeも方向性の種類の問題なので、この「固有値」が差異の根源だと合理的に推察されます。


> でも、正四面体でも別に困らないですよね。

 
 正四面体が基本モデルです。但し、底面について、存在するのか、今は「判断中止」しています。

 小林・益川理論でも、6つの要素を基本に据えています。底面を除くと、3面と、境界線3本で、6つの要素です。

 頂点の白(黒)、境界の補色関係など、美しい対応関係が導かれそうです。

 境界線は、頂点から発するベクトルで、底面は開放系であると、今の所は、そのように仮定しています。

 但し、勿論、反転は可能です。


以下、続きが長くなってしまうので、海舌ブログで書き上げてから、こちらに戻ります。

 次が、この続きです。

『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile
2010.10.11 Monday
PS理論 凹凸符号パーツ
http://blog.kaisetsu.org/?eid=811888

 御参考になれば幸せです。

海舌

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from: 生成門さん

2010年10月11日 07時56分40秒

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「Re:第4象限問題」
海舌さんへ

「MPはモードである」という一言がすべてですね。
これで、大分、発想が広がりました。

>
>  人間認識図の上半分が head(主語)、下半分が body(述語) でしょうか。

なるほどそういう解釈ですか。

>
>  さて、第4象限について、目で見える部分、色分けできるイメージの世界について、次のように考察しました。
>
> 第4象限の問題 with 人間認識図のモード(Mode)計算
> http://blog.kaisetsu.org/?eid=811876
>
>  三角錐イメージによって、三原色を繋いでいます。


三角錐を第四象限に持ってくるとは、すごい発想ですね。

正四面体ではないのですね。

でも、正四面体でも別に困らないですよね。


>
>  色で分類できる認識世界では、 body は、頂点部分に位置するという結果が出ました。
>
>  或は、頂点部分が head で、三つの bodies を持つということでしょうか。
>
>  頂点が head なら、 主語は隠れています。

三角錐1の頂点を主語、面を述語とすれば、その三角錐を内包する球を考え、そこに三角錐2を作れば、1と2は頂点と面が反転する関係になりますね。つまり、主語と述語の位置が反転するわけです。

1と2の三角錐とは、ガウス平面を1と2を想定したことと同じになりませんか。そうすれば、1では主語優位、2では述語優位として説明できます。

同じ位置でも反対の性質が出てきてしまうので、今まで、うまく説明できなかったのですが、この三角錐の面点反転を取り入れれば、解決できるような気がします。それはMPの多様性とも通じてきます。


MPの多様性は、言い換えるとガウス平面そのものがマルチ反転する三角錐の画面だと考えてるわけです。

例えば、パソコンのウィンドウズですね。パソコンの場合は、ただの平面の切り替えですが、ガウス平面の場合は、三角錐の面点反転です。

もし、そうなら第二象限(西洋的宗教)から見ると、第四象限は悪の巣窟、つまり、擬装隠蔽のアンチ場となるわけですね。

しかし、面点反転ですから、画面を切り替えると、つまり、第二ガウス平面から見ると、第二象限は東洋的宗教となり、第四象限は無我の世界、つまり、述語場となります。


第一ガウス平面では、

第二象限:-1(凸i)→西洋的宗教→第四象限:+1(凹i)=擬装無我→第一象限の自我と対立する(環境を支配する自我)

第二ガウス平面では、

第三象限:-1(凹i)→東洋的宗教→第四象限:+1(凹i)=真正無我→第一象限の自我を包む(場に包まれる自我)

と言う対応が可能になります。

これなら、西洋の自我と日本の自我の違いも、うまく説明できるように思われますが、如何でしょうか。



MPのMはMedia point=Multi Mediaでしょうか。

生成門

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from: 生成門さん

2010年10月11日 07時56分40秒

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「Re:第4象限問題」
海舌さんへ

「MPはモードである」という一言がすべてですね。
これで、大分、発想が広がりました。

>
>  人間認識図の上半分が head(主語)、下半分が body(述語) でしょうか。

なるほどそういう解釈ですか。

>
>  さて、第4象限について、目で見える部分、色分けできるイメージの世界について、次のように考察しました。
>
> 第4象限の問題 with 人間認識図のモード(Mode)計算
> http://blog.kaisetsu.org/?eid=811876
>
>  三角錐イメージによって、三原色を繋いでいます。


三角錐を第四象限に持ってくるとは、すごい発想ですね。

正四面体ではないのですね。

でも、正四面体でも別に困らないですよね。


>
>  色で分類できる認識世界では、 body は、頂点部分に位置するという結果が出ました。
>
>  或は、頂点部分が head で、三つの bodies を持つということでしょうか。
>
>  頂点が head なら、 主語は隠れています。

三角錐1の頂点を主語、面を述語とすれば、その三角錐を内包する球を考え、そこに三角錐2を作れば、1と2は頂点と面が反転する関係になりますね。つまり、主語と述語の位置が反転するわけです。

1と2の三角錐とは、ガウス平面を1と2を想定したことと同じになりませんか。そうすれば、1では主語優位、2では述語優位として説明できます。

同じ位置でも反対の性質が出てきてしまうので、今まで、うまく説明できなかったのですが、この三角錐の面点反転を取り入れれば、解決できるような気がします。それはMPの多様性とも通じてきます。


MPの多様性は、言い換えるとガウス平面そのものがマルチ反転する三角錐の画面だと考えてるわけです。

例えば、パソコンのウィンドウズですね。パソコンの場合は、ただの平面の切り替えですが、ガウス平面の場合は、三角錐の面点反転です。

もし、そうなら第二象限(西洋的宗教)から見ると、第四象限は悪の巣窟、つまり、擬装隠蔽のアンチ場となるわけですね。

しかし、面点反転ですから、画面を切り替えると、つまり、第二ガウス平面から見ると、第二象限は東洋的宗教となり、第四象限は無我の世界、つまり、述語場となります。


第一ガウス平面では、

第二象限:-1(凸i)→西洋的宗教→第四象限:+1(凸i)=擬装無我→第一象限の自我と対立する(環境を支配する自我)

第二ガウス平面では、

第二象限:-1(凸i)→東洋的宗教→第四象限:+1(凸i)=真正無我→第一象限の自我を包む(場に包まれる自我)

と言う対応が可能になります。

これなら、西洋の自我と日本の自我の違いも、うまく説明できるように思われますが、如何でしょうか。



しかし、これでも、まだ、第二象限の二つの凸、第四象限の二つの凹の識別を記号的にできたわけではありません。

やはり記号を使わないと切り替えを説明するのがくどくなりますね。


MPのMはMedia point=Multi Mediaでしょうか。









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from: kaisetsuさん

2010年10月10日 15時12分44秒

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「第4象限問題」

生成門さんへ

 いつも楽しく拝見しています。

 人間認識図の上半分が head(主語)、下半分が body(述語) でしょうか。

 さて、第4象限について、目で見える部分、色分けできるイメージの世界について、次のように考察しました。

第4象限の問題 with 人間認識図のモード(Mode)計算
http://blog.kaisetsu.org/?eid=811876

 三角錐イメージによって、三原色を繋いでいます。

 色で分類できる認識世界では、 body は、頂点部分に位置するという結果が出ました。

 或は、頂点部分が head で、三つの bodies を持つということでしょうか。

 頂点が head なら、 主語は隠れています。

 海舌


> 主語は隠れている
> <PSとの共振>
>
> 上の図は擬装空洞http://t-walker.jp/eb/entry/から引用しました。
>
> 以下、編集して引用しました。
>
> 一方、日本語表現でも主語が必ずあるのですが、文脈で分かる場合は省略することが多いのです。それだけに主語が誰かをめぐっての解釈の違いが起こりがちでしょう。法律とか企業の文書では、それがはっきりしないとトラブル続出するでしょう。
>
> 科学的な現象には人が関与しないので、人は主人公にはなりえないので、自ずと英語表現でも日本語表現でも、客観的となるでしょうから人の主語はないのですが、それに変わって、無生物主語が出てきて、この主語は正確性を重視する意味でも省略しないのです。
> 西洋では主語論理{-1(凸i)}によって自我に傾斜した言語(英語など)=+1(凸i)を主にして使い、日本では述語論理{-1(凹i)}によって無我に傾斜した言語(日本語)=-1(凹i)を主にして使うということです。
>
> このようなことが果して言えるのかどうかです。
>
> 今日、教育の現場では学校文法=西洋文法が主のようですから述語論理{-1(凹i)}によって無我に傾斜した三上文法は影が薄くなっているのかもしれませんが、そのあたりを探ってみたいと思います。次回をお楽しみに。

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