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  • from: 生成門さん

    2011年02月19日 17時54分39秒

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    易占いの遠隔作用は共時性=シンクロニシティ

    易占いの遠隔作用は共時性=シンクロニシティ
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    偶然に引いた一本の「筮竹」(ぜいちく)、インターネット易占いではクリックによって偶然に選択された卦が未来を予言すると言いました。

    「偶然」

    これが易占いの鍵なのです。

    これは科学が認めない非因果的遠隔作用(遠くにいても因果を持つ)であり、ユングの共時性=シンクロニシティであり、空の無意識のカオス的ランダムな作用による力なのです。

    しかし、本当に偶然(カオス由来のランダム)が必然(予言が実現すること)になると言えるのでしょうか。

    疑い深いシムハンターの皆さんは遠隔作用など信じることはできないのではないでしょうか。

    そこで、遠隔作用というものがどういうものかを占いからはなれて共時性=シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)という概念から説明してみましょう。

    意味のある偶然の一致に注目したのは心理学者の「ユング」ですが、そのユングは「心の中で思っていること」と、「現実に起こること」が、単なる偶然ではないことに気づき、易占いからヒントを得て共時性(シンクロニシティ)という概念を考えたのですから、易占から離れると言っても、易が先なので易占から離れることはできないようです。

    しかし、占いは当たるも八卦、当たらないも八卦などと言われるように信じることができない面もありますが、一応、ユングは心理学者であるのですから、何故、そのような占いに着目したのかを知っておくことは必要だと思うのです。

    共時性とは心の中で思っていることが時空を超えて、他者の脳に現実として起こることですから、複素平面で表現するとどういうことになるのでしょう。

    これまで、複素平面は自己の心の内部であり、内部には陰陽のイデア対称性として自己(原自己)と他者(原他者)があると言ってきましたが、この場合、他者は、時空を離れた他人のことではありません。ここを勘違いすると、全てが台無しになってしまいます。

    時空を超えた自他の関係は私という一人称でのみ内省(自己認識)が可能なのであり、他者は内部に投影するだけなのです。

    外部の他者が、私の内部に投影するといっても、外部の他者から無形の信号が飛んでくるわけではありません。

    言葉や態度と言った具体的な信号が飛んでくるのです。それが電子という物質的な近接作用として伝わってきて、内部の脳の近接作用によって+1や-1に現象化するのです。

    しかし、共時性とは、他者が心の中で思っていること-1(非在)が、私の脳の中に作用して、現実=+1(実在)となると言っているのです。

    この場合、現実に起きたことが+1(実在)でもありますが、現実に起こると予言したたことも、言葉で表現されたのですから+1(実在)なのです。

    従って、共時性の非在⇒実在の式を当てはめると、他者の非在の心⇒私の実在(起きたこと)となるということであり、私の非在の心⇒あなたの実在(意識された言動)なのです。

    この外部の他者を省略して他者の非在の心⇒私の実在と言ってしまうと、私の内部の心⇒私の実在、つまり、「私の心の中で思っていること」⇒「私の脳に現実に起こること」と混同してしまうことになります。

    これが複素平面で共時性を考えるときの注意すべき点です。

    この点を注意して、現象化することのメカニズムを更に掘り下げておきましょう。

    全ての現象はイデア由来であり、MPを介して現象化するというPS理論の基本から忠実に表現すると1>虚空⇒実在と2>非在⇒実在の二つのルートがあります。

    1>虚空⇒実在は、

    潜在意識からダイレクトに現象化する意識作用のルートであり、正確に表現すると、虚(イデア)⇒MP1⇒実在です。

    2>の非在⇒実在は、

    潜在意識から一端、非在(=1)を経由して+1に反転して現象化する意識作用(MP)のルートであり、正確に表現すると、虚(イデア)⇒MP1⇒-1(非在)⇒MP2⇒+1(実在=予言)となります。

    お告げや啓示などのようなケースは、1>虚空⇒実在のケース、易占いは、2>非在⇒実在を積極的に利用していると解釈できます。

    何故、易占いが2>非在⇒実在のルートですが、「心の中」で念じたことと関係があります。

    易占いの重要性は、占う前に何を占うかをはっきりさせることが大切なのです。ただ漫然と卦を選択しても、潜在意識はイデアのエネルギーを活性化してくれないのです。

    どうすればよいかなどと言うことではダメなのであり、はっきりと、肯定的にどちらを選択すべきかというように念じる事が重要なのです。

    他者の占ってもらうことを想定すると占い師は他者であり、占いを依頼するのは私ですから、占いを依頼するときは、占い師に悩みをはっきりと伝えなければならないのです。

    「心の中」で念じたことが実現するという深層心理的な話は明晰夢(24時間無休で働く潜在意識)とも共通しています。

    新しい発見がある時は必ずそれまでに多くの失敗があり、沈思黙考を重ねた結果石に躓いたときや風呂に入ってリラックスしたときに突然、アッハが訪れるなどと言います。

    こういう心理プロセスは、1>虚空⇒実在と2>非在⇒実在の二つのルートを明確に分にすることはできませんし、混在していて複雑なのです。

    つまり、1>と2>の逆のルートがあり、ループ(⇔)をしているのですから、フラクタルな再入力構造(自己回帰)になっているのです。

    そういってしまうと易占いと明晰夢との区別ができなくなりますので、一応、1>が明晰夢、2>の非在⇒実在が易占いとして限定して話を進めます。

    その根拠は、易占いではMP2⇒-1の強い作用があるということです。

    易占いは明確な目標を念ずることで潜在意識の活性化(MP1)を促しますから当然MP1⇔MP2プロセスがあります。

    心に願いを強く思い、後は潜在意識に任せるのが明晰夢ですが、占いはその場で結論を求めたいので、結果をイメージ(-1)することを求めます。

    つまり、「どうなるか」ではなく、「こうありたい」と願うのです。

    それがMP2⇒-1の作用なのです。

    明晰夢は夢の中でイメージ(質問)がそのまま実在化(答え)してくるのですが、易占いはイメージ(質問)が卦(答え)としてでてくるのです。

    この卦が、現実に起こるかどうかを予言として結びつけるのは、この後の陰陽理論の問題であり、解釈の問題であり、別のステージと考えるべきでしょう。

    易占いのプロセスは、

    念じた心⇒クリック⇒念の心⇒ランダムによって選択された卦⇒卦を受けとった心⇒示された繋辞⇒繋辞を受け入れる心⇒決心したことの表明(占いの終了)⇒意思決定⇒行動

    と示しましたが、この後を続けるなら⇒行動・・・⇒夢の実現ということになるでしょう。

    これが実現すれば、「心の中」で念じたことが現実したと言えるわけです。占いですから、「した」のではなく「するだろう」となるだけです。

    「だろう」では心⇒行動・・・⇒?ですから、夢が実現(しないかもしれません)するまでには相当に時間がかかります。

    ですから、その結果がどうなるかについてはもう占いの範囲を超えているのです。それでも易はかなりのいい線で、つまり、時空を超えて予言できているとも言えるのかもしれません。

    そのことを検証するためには、更に易のフラクラルな時間構造について探求しなければならなないのですが、今は、そのために準備としてユングの共時性(シンクロニシティ)について理解を進めているという段階なのです。

    ユングの共時性の概念を複素平面で置き換えて明確に表現しておきましょう。

    念の心⇒ランダムによって選択された卦が予言として言えるためには、念の心⇒現象a(卦)が念の心⇒現象b(人生)が成り立つかどうかがポイントです。

    もし、成り立つということなら、念の心は予言(卦)通りの人生を歩むことになるのですから、念の心⇒現象a(卦)⇒現象b(人生)ということになります。

    ただ、現象a(卦)と現象b(人生)との間には時間差がありますから、人生が終わってみないと占いが当たったかどうかは分かりません。つまり、結果論ということになります。明日のことを占うなら直ぐに結果が出るでしょうが。

    「当たる・当たらない」は別問題とします。つまり、《⇒現象b(人生)》は括弧に入れます。何故なら、今、検証しなければならないのは、あたかも、遠くに離れた現象が無時間で作用して、現象a(卦)⇒現象b(予言)《⇒現象b(人生)》ということが言えるかどうかなのです。

    現象a1⇒現象a2と現象b1⇒現象b2は遠距離にある互いに無関係なそれぞれの因果を持った現象系列とします。

    ここで、遠距離とは単に離れているとしてください。何故なら、物質的作用とは二つの間に作用する場合、近接しているということだからです。近接とは距離がゼロと言うことです。三次元の世界の現象は全て電子を介在しています。

    例えば見るということは光子が網膜の電子に当たりますし、音を聞くということは空気の振動が鼓膜の電子に伝わるからです。

    物理的にどんなに遠くても、装置を使っても、最終的には電子が媒介しているのです。つまり、電子(光子)と電子が距離ゼロで接しなければ、作用しないのです。握手することを考えてください。手と手が触れなければ握手したことにはなりません。東京と大阪にいて握手はできません。これが、常識的な近接と言う意味ですが、厳密に言えば、近くにいても、電子(光子)と電子が距離ゼロにならなければ、近接作用は起きないのです。

    逆にいえば、どんなに遠くに離れていても、その作用の力が伝達されれば、近接作用するということが言えるのです。

    一億光年も先にある星を見るということは、その星から出た光が電磁波として伝わってくるからであり、最終的には網膜との電子との作用になるのですから遠くても近いのです。

    どんなに近くても遠いのが先ほどの握手の例なのです。野球でバットをブンブン振り回しても、ボールに当たらなければ、ボールは飛んでいきません。これが近接作用なのです。近接作用とは物質的因果なのです。


    それでは、物質的な伝達がない場合はどうでしょうか。それは言うまでもなく非物質的因果(非因果)であり、精神⇒物質と表現される関係です。

    共時性は、念の心⇒現象a(卦)が念の心⇒現象b(人生)の関係が、遠くに離れた現象が無時間で同時に作用して、現象a(卦)と現象b(予言=繋辞)を物質的に同時に現象化するということです。これは電子を媒介せずに現象a(卦)と現象bがダイレクトに結つくということであり、近接作用の原則に反しています。

    現象a(卦)から何かの信号が発せられてそれが現象bの主体に伝わり、現象b(予言=繋辞)を生成したということなのです。何かの信号の招待は不明であり、光でもなく電子でもないことだけは確かです。

    このように物質的な何かを媒介しないで、どんなに近くても、遠くても、あたかも、因果があるかのような遠隔作用があると考えるのが共時性(意味のある同時性)なのです。

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