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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2011年05月29日 12時35分28秒

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    認識の地平面

    認識の地平面
    <観念的同時の認識の深化>


    複素平面(ガウス平面)は思考の武器です。
    これを有効に活用するには、数学的な意味を理解する必要があるでしょう。

    これまでは、実数を物質と虚数を精神とし、原点を特異点として特別な意味(MP)を持たせてきましたが、精神から現象が生起するメカニズムを解き明かすためには、更に複素平面の構造的な側面だけでなく機能的な側面も意味づけしなければならないでしょう。

    まず、最初にしておかなければならないのは、複素平面上の単位円とその境界の意味を明らかにすることでしょう。

    単位円は何を意味しているのでしょうか。

    海舌氏は人間が外界を認識する有り様(ベクトル・モード)を区分した概念図を提示しています。「人間の認識を区分した概念図」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=811244を参照してください。
    以下、引用しました。



    ―――
    ガウス平面というのは複素平面のことです。

    この図は簡明明瞭で分かりやすいですが、ただ、何故、このように人間の認識を各象限に配置できるのかということに疑問を持つシムハンターもいるでしょう。

    四次元能も、まだ、完全にこの配置する理由を理解できておりませんので、皆さんに説明できません。


    これが分からなければ、観念的同時の認識も理解できないでしょうし、ましてPS理論を応用することなどできないでしょう。

    このような認識に至るためには自己認識の方程式(凸i*凹i⇒+1)を解かなければならないからです。

    そこで、方程式:凸i*凹i⇒+1を解くという作業に入ることになるのですが、これが一筋縄ではいかないのです。

    それは冒頭に述べたように複素平面(ガウス平面)の単位円の数学的な意味を理解しなければならないからです。

    単位円といっても、単なる円ではなく、複素平面上の円であるということが、単純ではないということを意味しているのです。

    逆に言うと、認識という人間独特の有り様を説明するには、単なる円では不可能なのであり、複素平面でなければない事情があるということです。

    その事情を探求するために、これから観念的同時の認識を深化するというテーマで長い話をしようとしているわけです。

    それでははじめます。

    四次元能は認識の方法(イメージを形成する)として有効であると思っているメタファを導入します。

    メタファは毒にも薬にもなる認識の薬なのですが、巧くいくことを祈ってください。

    先ず、単位円をブッラクホールに見立てて、その境界を事象の地平面、即ち、意識の地平面と言って見ましょう。

    或いは、認識の地平面・自己の境界、自我の力の及ぼす自我力圏(シュヴァルツシルト面)と言っても良いかもしれません。

    意識の地平面という理由は、MP2(意識)からベクトルモードが生起して回転するイメージだからであり、認識の地平面は、意識の作用の結果が認識ですからです。内容としてはどちらも同じなので、どちらの言い方でもよいのではないでしょうか。

    ブッラクホールには核があって、そこに周りの物質が降着して円盤化して、それが次第に大きくなり、同時に、円盤に垂直にジェットが飛び出します。(ベクトルモード)

    これをメタファとすると意識の核(MP)があって、それが外界を取り込んで、単位円が形成され、意識の領域が次第に大きくなっていくイメージが湧いてくるのではないでしょうか。

    意識の領域が大きくなるということは、自己成長と捉えてもよいですし、自我の拡大としても良いでしょう。

    四次元能では、自我とは解体すべき対象であり、光の陰謀を持ってきた使徒をやっつけるシムダンス(エバンゲリオン)をしているのですが、単位円を自我とすると単位円を消滅させることが自我を解体することになります。つまり悟りとは、単位円がなくなる状態をいい、言い換えれば、認識の領域がなくなることになります。

    果たしてそうなのでしょうか。これに対する結論は保留しておきます。

    その前に、単位円の意味づけをすることが先決です。

    円の大きさは半径によって決まるのですが、心の大きさを物差しで計ることはできませんから、単位円というのは、位相的な空間だということです。

    位相的というのは仮想的と言い換えても良いでしょう。実際には存在しないが、あると思うということであり、従って、観念的と言ってもよいでしょう。

    半径1の単位円を認識の円とすることにしましょう。何故、単位円なのかについては、後で詳しくは説明しますが、簡単に言うと、無限の外界を+1で同一視するという意味です。

    言い換えると、どんなに遠くにあっても、どんなに過去の思い出でも、単位円の淵にあるとするのです。

    例えば、137億光年の宇宙の果でも、目の前にあるりんごでも、私が頭の中に想起して始めてあるのですから、それを+1として認識するのです。

    正しくは、+1で存在するものを同一視して、-1に心象として認識して、それを+1で物として再認識するという認識の再入力構造、ないし、循環構造になっているということです。

    同時ということでは、遠近を無視して複数の物を同一視するので、これが観念的に同時に存在するということの意味であり、+1(現象)と-1(心象) は鏡の関係にあり、対で生成されるので、これも観念的な同時の生起です。

    このように、全ての外界は認識されて同時に存在するのですから、それを単位円の+1と-1として代表させるのです。

    このようなことが言えるなら、全ての世界は私である(私が認識して存在する)という大げさな言い方も可能となるのですが、これが言えるには、もう少し後になってからです。

    まだ、遠慮して、

    意識(認識)が同時に生成されるということは、単位円が形成されたということであり、

    単位円が形成されていないということは、意識(認識)が同時に生成されていない

    と言っておきましょう。

    続く。

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