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  • from: 生成門さん

    2011年05月30日 10時57分10秒

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    主体には現在しかなく、観察者には現在はない

    主体には現在しかなく、観察者には現在はない
    <観念的同時の認識の深化>

    自分を観察するときは、自分が外部の観察者の立場になって、自分の+1(現象したもの)を事後的に見るということになります。

    いずれにしても、単位円の内部は主体の認識の領域なので、感じることはできても、観察から見えない領域なので、主体自身も見えないので厄介なのです。見るということは事後的にならざるを得ないのです。

    事後的とは過去ですから現在進行形の出来事は観察の対象にならないので、観察者にとっては現在という時間なく、時間が発生したことを抽象した時間(過去)しかないということになるわけです。
    未来は過去を反転させて、更に抽象したにすぎないのです。

    PS理論における「現在」
    http://threepeaches.jugem.jp/?eid=519050を参照してください。
    以下、引用しました。

    ◆◆PS理論に於いては、現在は「メディア・ポイント」である。メディア・ポイントとは、鈴木大拙氏の提唱する

    自由・空・只今
    このままということ


    の状況であり、「即非」( itself and non-itself at the same time )の状況である。

    例えば、虚数平面での実軸と虚軸の交差点(ゼロ)について、実数でも虚数でもない場所、実数であり虚数でもある場所、と定義する。
    ―――

    ということで、主体にとっては現在しかなく、観察者にとっては、現在はなく、抽象された(現象した)時間があるということになります。

    フラクタルな空間で、光が止まるというのは、MPが作動していない、つまり、光の方程式が作動していないということです。

    従って、時間の方程式も作動していないので、実時間も発生していないということです。

    逆に言えば、MPには虚時間が流れているということです。流れているというのは、正しくないかもしれません。流れと言うのは方向を指し示しているからです。虚時間があるということにします。

    実時間が発生していないのですから、観察者から見ると、それは内部の出来事は見えないので、「光が止まっている」と解釈するわけです。

    このように内部の出来事とそれを外部から観察するとの違いを表現するためには、実時間と虚時間を区別しておかなければならないということです。

    観察者が朝顔の蔓を観察するときに、何も動きが見えないので、ただ、実時間が過ぎていくだけです。だから、内部は止まっているように見えます。しかし、虚の時間はあるので、虚の世界としての何らかの動きはあるのです。

    ですから、何も変化していないように見えても、内部では虚の動きはあるのです。ですから、突然、現象として飛び出してきたとしても、何もないところから出てきたのではなく、それなりのプロセスがあるわけですが、外部は3次元の世界ですから、因果が成り立たないので困ってしまうのです。

    ただし、高速度カメラを回すと朝顔の蔓が回転する様子が見えてきますから、動いているが分かります。

    これをもって、虚時間を見たと解釈するのは間違いです。

    これで内部が見えたとするのは間違いだからです。

    真正の内部は隠れているのであり、高速度カメラは観察者の一部ですから、それが見たものは+1の現象なのです。時間の実時間です。

    ですから、刹那の現在(虚時間)はどんなに精度を上げても見えないのであり、観察者にとっては刹那の現在は止まって見えるのです。

    この様子を人間に当てはめてみましょう。

    主体をA,観察者をBとします。BがAを見ています。Aは長い間、沈思黙考しています。Aには実時間が流れていません。Bには沈黙の実時間が流れています。

    Bから見てAの内部(心)は見えませんから、何を考えているのかは分かりません。

    Aがようやく目を開いて、何かを話した特にはじめて、BはAが何を考えていたのかを知る事になります。

    しかし、Bが、Aが何を考えていたのかを知ったまさにその刹那の時には、Aが何を考えているのかを知ることはできません。

    Aが沈思黙考している長い時間のBには沈黙の実時間しか流れていないのかといいますとそうではありません。

    この間でも、刹那と刹那の虚時間と実時間の連鎖があるのであり、+1⇒+1⇒+1⇒+1と続く過程があるのです。

    ただ、Bはそれを表面的に見て、+1+1+1+1と続く3次元の現象の連続過程として捉えているのです。
    続く。

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