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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2011年06月06日 09時55分38秒

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    観測者の現在と当事者の現在

    観測者の現在と当事者の現在
    <観念的同時の認識の深化>

    全ての出来事を収納することができない無限に発散する指数関数を座標内に収納する手品(テクニック=指数関数の対数グラフ化)を使って直線化したのですが、果して、それが大同小異と言えるのでしょうか。

    単に、指数的に増加するグラフを対数グラフに変えただけなのですから、その意味する内容は「同じ」と言えるでしょう。又、言えないと「まずい」のです。


    直感的に「まずい」と思っているのは、特異点に対する扱いです。特異点とは不連続な点であり、3次元の物を点として扱って並べたグラフが無限の0に近づくとしても、0にはどうしてもならないという矛盾があります。

    大概は、多少の違いなら無視して近似するとことで難を逃れられるのですが、禁じ手を使ってしまうのでしょうか。

    ホーキンスは万年筆をボールペンにしたのですが、初めに虚時間があって実時間が生まれたら虚時間はなくなってしまうという、すっきりしない説明になっているのです。

    何か騙されているような気がしているのです。手品だから仕方がないと言われればそれまでですが。

    指数的に増加するグラフを対数グラフ
    にするには数学的には何も問題はないのですが、これを現実の問題(ただし、解釈された現実)に応用するとなると、その意味を考えていかなければなりません。

    問題は時間についての解釈です。

    四次元能では、既に、主体には現在しかなく客体には現在はないと言ってきました。その現在が「ある」とか「ない」ということの意味を考えておきましょう。

    現在が「ある」とした場合、主体がなければならないのですから、実時間ではないということです。何故なら実時間とは+1に現れるからです。

    普通の考え方では、3次元空間(4次元時空)上の現象(量子力学を除く)を考えるとき、観測者(観察者)は現象には関与しないのですから、座標の外におり、座標全体を見渡す位置にいるでしょう。

    従って、時間は座標上のいつでも、どこでも、同じように流れていると考えてよいでしょう。
    -x-------0---------+x

    この座標の表現と複素平面の表現
    -1-------0--------+1
    を同じと考えてはいけません。

    3次元時空では、ここでは便宜的に1次元(線)で考えます。1次元の線は連続しており、どこでも原点とすることができます。

    観測(察)者は、軸上にはいないのですから、座標の外に居て、客観的に見ているのです。ですから原点は適当に取れるのです。

    ところが、行為の主体者、認識の主体者となると、自分がその当事者なのですから、観測・観察するという立場には立てません。今、ここで起きている出来事は自分の身に起きていることであり、人事ではないのです。

    ですから、自分が体験しているのであり、現在進行形の出来事なのです。

    普通に観測した出来事は、原点を観察した現在として
    -x(過去)-------0
    として表現しますが、これには、あたかも時間が過去から未来に流れているとする前提があります。

    ですから、現在から未来を予測するとことができるのですが、その場合は、0---------+x(未来)と表現します。

    生産スケジュール表で考えてみましょう。日記でも良いのです。

    当然、管理者は観察者の立場のおり、原点が今日(現在)であり、-xは実績、+xは計画となるでしょう。明日になれば、現在、つまり、原点が移動します。

    このような認識は私達の常識であり、なんら日常生活に困らないし、むしろ、時計があるおかげで、その便利さを享受しているのです。

    しかし、もう一つの現実があることを忘れてはなりません。それは時間を意識しないで生きている生活です。寝ているときは時間を意識していませんし、何かに熱中しているときも時間は飛んでいます。私達は観察者、観測者として生きていると同時に当事者、当為者していきているのです。科学者だからといって、いつも物事を対象として観測しているばかりではなく、その観察した対象を分析し、モデル化して、つまり、沈思黙に没頭するでしょうし、また、それを論文にして発表するでしょう。

    何よりも、一人の生活者として生きているでしょう。

    この逆に、時間を意識しないこと専門とする芸術家や宗教者もまた、人や物事を観察するでしょうし、時間を意識した生活をしているでしょう。

    要するに、どんな人でも客観的な時間と主観的な時間な感覚で生きているのであり、二つの両面をもっているのです。

    しかし、二つの両面は不連続であり、同時に扱うことができないために、科学では、観測した事実を3次元平面に表現するのです。

    これらの相容れない二つの両面を同時に扱う空間が必要なのです。

    そのためには、複素平面が必要なのですが、いきなり複素平面を持ち出しても、何故それを持ち出すのかが分からなければ応用問題は解けません。

    そこで、少しくどくなりますが、物が見えるということと想起することの関係から現在の本質を探って見ましょう。
    続く。

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