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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2011年06月14日 21時38分56秒

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    「心」(-1)は見えないが「心遣い」(+1)は見える

    「心」(-1)は見えないが「心遣い」(+1)は見える
    <観念的同時の認識の深化>

    物(現象)とイメージ(心象)は普通では同時には扱えないと言ったのですが、どういうことでしょうか。

    イメージのリンゴとは心にあるリンゴであり、物としてリンゴは目の前にあるリンゴですが、これらを「足せ」と言われたら困ってしまうのではないでしょうか。

    例えば、三個のリンゴは3ですが、イメージのリンゴ+物としてリンゴ=?です。「足し」ようがありません。

    心の中にあるイメージと目に前にある物は、どうしても計算できないのです。

    つまり、同時に扱うことできないのです。計算できるためには、同じ仲間と認識できて初めて出来るのです。

    侵入者の情報を仲間に知らせる見張り役のマクロファージでも、非物質なイメージが入ってきたとしても認識できないでしょう。

    イメージと物は同じ仲間ではないのです。
    これを、同じ仲間と認識できるなら手品を使うしかありません。その手品とは、観念的同時の認識です。その手品をお見せするためには虚数を導入しなければならないのですが、それはもっと後のことになるでしょう。

    その前にやるべきことは、心と物、イメージと現象がどのようにして、=ではなく⇒で接続されるのか、その精神的な作用を明らかにする必要があります。

    新幹線の地図を描くときは、その前に心の中に新幹線のイメージ(-1)があるでしょう。

    ということは、私達の脳にはイメージと物を「=」で結ばない、つまり、同一視しないで、新幹線のイメージを地図に接続するなんらかの回路(イメージ⇒物)があるのです。

    分かりやすい喩えで示しましょう。

    誰かに道を教える場合、簡単であれば口頭(+1)で、ちょっと複雑であれば地図(+1)を描いて教えるでしょう。

    その場合、その周辺を実際に行った体験(+1)がなければ、つまり、イメージ(-1)を持っていなければ、地図(+1)を描くことはできないでしょう。

    心のイメージ(-1)と地図(+1)は密接不可分にありながら、現実(+1)と地図(+1)は同一と看做せるのに、イメージ(-1)と地図(+1)は、同じ次元のものとは言えないのです。何故なら、目の前に並べて比較ができないのです。

    しかし、はっきりしていることはイメージ(-1)⇒地図(+1)という疑いようのない接続があるということです。

    疑いようのない接続とは「何か」です。

    「絵に描いた餅」という喩えが「疑いようのない接続」(⇒)という難題を解く鍵になるかも知れません。

    「絵に描いた餅」とは、現実を無視して、観念的なことを言う人を批判する言葉ですが、ここには現実主義者と理想主義者の対立があります。

    企業や政治の現場ではいつも現れる現象ですね。

    「絵に描いた餅」(+1)は、現実の餅(+1)から現実の餅のイメージ(-1)が生まれ、そのイメージ(-1)から抽象されたイメージ(-1)が形成されて、絵に描かれた餅(+1)が創作されるでしょう。

    つまり、+1と-1は下のように二段構えになっているということです。

    現実の餅のイメージ(-1)・・・・・・現実の餅(+1)
    抽象された餅のイメージ(-1)・・・・・・・絵に描いた餅(+1)

    私達は観測者としては、-1は見えないので、現実の餅(+1)から絵に描いた餅(+1)が生まれたと認識をします。

    しかし、絵を描いている本人は、無意識かもしれませんが、二段構えで自覚しているでしょう。

    これは現実主義者と理想主義者の対立に当てはめると

    現実主義者:
    現実の体験記憶(-1)・・・・・・現実の体験(+1)
    現実主義者の信念(-1)・・・・・・現実的行動(+1)

    理想主義者:
    現実の体験記憶(-1)・・・・・・現実の体験(+1)
    理想主義者の信念(-1)・・・・・・理想とされる言動(+1)
    と表現できるでしょう。

    現実主義者と理想主義者の違いは、同じ体験をしたとしても、二段目では、現実の体験記憶を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかです。

    ここには、現実の体験⇒現実の体験記憶⇒現実の否定⇒理想の信念の生成⇒理想とされる言動といった複雑な相互作用(-1⇔+1)があるのです。

    この回路のメカニズムを解明することが「疑いようのない接続」の謎を解くことになるでしょう。

    そのためにも、同一視(+1と+1、-1とー1)するものと同一視しないもの(+1と-1)との区別をしっかりと理解する必要があるのです。

    絵に描いた餅(+1)は現実の餅(+1)ではありませんが、表現された絵ですから+1に配置されます。

    +1に配置するとは、それが3次元空間に存在する仲間として認めるということであり、絵の餅と現実の餅とは大同小異として同一視するのです。

    しかし、私達の常識的では、その反対であり、「絵に描いた餅にすぎない」と言って、絵の餅と現実の餅とは大いに異なることを強調しているのです。

    このことを認めると、-1には非存在な心象、イメージを配置する原則からすると、「絵に描いた餅」は現実ではありませんから-1としたくなります。

    しかし、しっかりと原則を解釈してください。

    非存在な心象とは心の中で思うことです。「心」(-1)は見えないが「心遣い」(+1)は見えるというテレビのCMを思い出してください。

    確かに、「絵に描いた餅」が現実の餅ではありませんが、「絵に描いた」餅(+1)であって、「心に描いた」餅(-1)ではないのです。

    「心」・・・・「心遣い」
    と同じく
    「心に描いた」餅(-1)・・・・「絵に描いた」餅(+1)
    なのです。

    表現されたもの、描かれた物、行動した事、言ったことはすべて、+1、思ったことはー1なのです。

    これで、+1とー1の違いがはっきりとしたのではないでしょうか。

    「+1と-1の違い」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100103506585
    の補足説明をしました。
    続く。

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