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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2011年08月27日 13時21分40秒

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    光による自己認識方程式

    光による自己認識方程式
    <PS理論の深化>

    海舌氏がまたPS理論を発展させてくれました。応用を目論む四次元能としては嬉しい限りです。早速、その内容の理解に取り組みましょう。

    詳しくは「光の思考類推:自己認識方程式の若干の変形」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813113
    を参照してください。

    以下は、その内容を元にして私が解釈したことです。

    自己認識方程式:(i)*(-i)⇒+1
    これは凸i*凹-i⇒+1とも表現します。

    これを、海舌氏は次のように変形しています。
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    このように変形する理由は何でしょうか。また、どのような御利益があるのでしょうか。

    それは、光が自己を認識する過程を多角的に捉えることが可能になるということらしいのです。

    どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。

    先ず、式は分数で表現されています。一体、認識という過程に分数という数学的表現がどうして出てくるのでしょうか。

    分数の意味を考えて見ましょう。

    分数とは、文字通り分けたれた数であり、一般的にはa/bと表現します。パンを半分に分けて食べようなどと言いますが、そのときは、一つを半分にするのですから、1=1/2+1/2と表現できるでしょう。

    私とあなたが半分づつ(1/2)手にしているのですが、私とあなたでは1です。

    分母の2の意味は、私とあなたの2であり、分子の1は、互いに手にした持分です。元の1は私とあなたに分離する前の1です。同じ1でも私の1、あなたの1と、私とあなたの1があります。

    これだけ見ても分数というのは奥が深いですね。これ以上の学的な解釈は私には出来ませんので、海舌氏の説明を要約します。

    分数とは、
    1. 分子を分母が包む
    2. 分母の上に分子が置かれる
    3. 分子が分母に支配される
    4. 分母の背景に分子が存在する
    5. 分子が矢印の先で分母が矢印の根元

    というような関係であると言っています。

    分子を分母が包むというのは、1=1/2+1/2は1=2/2=(1+1)/2=1/2+1/2ですから、全体(一枚のパン)を分母として、部分(半分にパン)を分子とすると、全体が部分を包んで(1+1)/2となっていますからなるほどという気がします。

    分母の上に分子が置かれるというのは、自然に理解できます。

    分子が分母に支配されるということですが、これは全体があって部分なので、分けるということを考えると、元パンの大きさで部分の大きさが決まるので、理解できそうです。

    分母の背景に分子が存在するというのも、上の理屈から当然ですね。

    さて、難しそうなのが、分子が矢印の先で分母が矢印の根元という説明です。

    矢印とは⇒ですが、これをn⇒mとすると、分母⇒分子、これを分数で表現するとm/nとなるということです。つまり、n⇒m=m/nだということですね。

    分母⇒分子は母から子が生まれると解釈できそうですが、今問題にしているのが光の認識過程です。過程というのが⇒を意味しているとすると、母(光)から子(認識された物)が生まれると解釈できるのでしょうか。

    そうすると、光⇒認識された物を分数で表現すると、認識された物/光となります。

    果して、そのようなことが言えるのでしょうか。

    ここで、光の方程式
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i
    に戻って考えて見ましょう。

    i/iは、母と子の関係で見ると、母(i)⇒子(i)ですから、子=母となっています。これは一体どういう意味でしょうか。

    自分が自分を生むというようなことでしょうか。光の自己認識の過程を問題にしているのですから、光⇒光=光/光なのでしょうか。

    これを最初の説明に照らし合わせると、
    光/光は、

    1. 光が光を包む
    2. 光の上に光が置かれる
    3. 光は光に支配される
    4. 光の背景に光が存在する
    5. 光が矢印の先で光が矢印の根元

    となります。

    さて、(i/1)*(1/i)で、(i/1)と(1/i)が逆になっています。母⇒子、子⇒母となっているのです。子⇒母は常識では考えられないのですが、ここは、数学と概念の世界ですから、想像できればなんでもありと考えましょう。

    そこで、複素平面上の単位円に沿って二つの⇒z=a+ibとz’=a-ibを+1から回転させるとします。

    z=a+ibは、a=0のときb=1となってz=iとなり、z’=a-ibは、a=0のときb=1となってz’=-iとなり、1=i*-iとなります。

    1=i*-iの意味は+1で二つの⇒に分極して、虚軸に達したと考えられます。

    ところで、1=i*-i を変形すると、-i=1/iなので1=i*1/iとなります。

    i*1/i ではバランスが悪いので、(i/1)*(1/i)と変形しておきます。

    初めから表現すると、
    +1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)
    となります。

    これは複素平面上の単位円を、zを+1から左回りに90度回転するとiとなり、z’は+1から右回りに90度回転すると1/iとなった二つの光を意味しています。

    しかも、(i/1)*(1/i)は、二つの光が虚軸で共振しているという即非状態を示しています。

    共振即非状態にある二つの光は、即、(i/1)*(1/i) =i/i=1ですから、(i/1)*(1/i)⇒+1となります。

    ここまでを纏めると、
    +1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    これは重複していますので簡単にすると、
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i
    となります。

    これが海舌氏の光の自己認識の方程式です。

    何故、光などという物体でもなく意識でもいない存在がどうして自己を認識するのでしょうか。

    これは言うまでもなく、森羅万象の生々流転を陰陽イデアの二重性と物質と精神の二重性として捉えるのがPS理論の基本であり、複素平面で表現することが原則なのですが、人間に適用する場合、陰陽イデアは自己と他者という二重性に変身するのです。

    そこで、人間にとって認識の基本は光ですから、自己=光となるわけです。しかし、他者はどうなるのでしょうか。そう。それが肝心なのです。

    陰と陽:自己と他者:光=光となるわけです。しかし、光=光では区別がつきません。陰と陽に習って陽光と陰光として、自己と他者:陽光と陰光とするのです。時に光と闇という言い方をすることがあります。

    四次元能でいう光の陰謀とは、陽光に偏った認識なのです。

    光の方程式:i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1の+1は即非の状態(凸凹)にあります。

    しかし、自我に偏ると、i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)となってしまうのです。このように偏った認識をさせるのが光の陰謀なのです。

    さて、ここまでは、私の解釈ですが、海舌氏は、分かりやすく纏めています。

    以下、引用しました。

    +1という即時体が、自己認識のために虚数化して、i/iとなり、 (i/1)*(1/i) 二重螺旋構造のように、矢印の方向性の異なる双極構造を生じて、互いに「共振」し、 結果的に、 物化(現象化)によって、 +1 になる。
    ―――
    繰り返す必要がないでしょうが、開始が+1であり、+1が即時体となっているということです。即時体とは、陰と陽とが同時にあるということです。

    つまり、認識の始まりは、光が発信される物があるところを基点としているのです。だから、そこが+1です。即時体は陽光と陰光デ発信されるということでしょう。

    私達が物を見ようとすると光は直ちに二手に分かれるということです。この様子は私達には意識として認識できない過程です。無意識の認識といっても良いでしょう。

    これが虚数化してi/iとなるということの解釈です。

    陽光と陰光が物体(+1)から発射されて、網膜に届き、無意識の作用虚数化してi/iとなると解釈してもよいでしょう。

    その後は(i/1)*(1/i)で示されるように、DNAのような二重螺旋のように絡み合って、互いが反対方向に回転するのです。

    もちろん、互いに「共振」しながらです。

    こうした複雑な、しかし、見えない過程を経て、私達は物を認識するのです。これを光による自己認識の過程、つまり、物化(現象化)することなのです。

    物(+1)から始まって物(+1)として閉じるプロセス、これが自己認識なのです。

    補足すれば、認識には、+1の認識、凸(+1)の認識、凹(+1)の認識があります。

    +1の認識は、自他同時の認識であり、凸(+1)は自己優位、つまり、自我の認識であり、陽光で見た認識であり、凹(+1)は他者優位、つまり、他者の認識であり、陰光で見た認識であると言えるでしょう。

    他者の認識というのは分かりづらいかもしれませんが、他者の視点といえば分かるかもしれません。

    他者の視点でみたら、陰の光で見たということになるのかという疑問が出てきますが、今は、これについては言及できません。

    ただ、凹(+1)を、自己を捨てて他(対象)と一体となるという意味に捉えれば、例えば、人馬一体、無眼流などの有り様や仏教でいうところの心眼で見るということと解釈するなら、闇の光を見ているといえるのでないでしょうか。

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コメント: 全2件

from: 生成門さん

2011年08月28日 05時33分07秒

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「Re:Re:光による自己認識方程式」
Renshiさん

コメントありがとうございます。
すごい発見ですね。

現実の現象にどのように応用できるのか試して見ます。
楽しみが増えました。

それから、子から母に向うのは先祖がえりですか。
なるほど、言われて見ればそうですね。

仏壇に向かって、手を合わせると言うのは、
先祖/子供という分数なのですね。

また、よろしくお願いします。

生成門

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from: Renshiさん

2011年08月27日 17時42分02秒

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「Re:光による自己認識方程式」
生成門さん

ご無沙汰しています。

さて、本稿の解説は実に洞察に満ちていると思います。私はKaisetsu氏の光自己認識方程式の意味がすぐにわからなかったですが、生成門氏の分数等の説明が明快です。
 この新しい自己認識方程式の驚異的な点は、
i*(-i)⇒+1⇒i/i⇒i*1/i⇒(i/1)*(1/i)
となることです。
 +1は連続的同一性(物質ないし自我)ですが、それが、虚数的に即非共振様態に変換していることです。正に、正確な自己認識です。
 色々言いたいことがありますが、紙幅の都合、一点言いますと、母⇒子と子⇒母ですが、
後者は「先祖返り」です。始原への回帰です。それは、media pointへの回帰だと思います。そして、それは、実は-1に通じていると思います。光と闇が一致します。

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