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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2011年08月29日 09時56分27秒

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    あきらめからの希望

    あきらめからの希望
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン>

    キルケゴールは「絶望は死である」、そこから抜け出るには「飛躍する」ことだと言いました。キルケゴールの飛躍は、分かりやすく言えば「神頼み」です。誰でも溺れそうになったら藁にもすがりたくなるでしょう。

    しかし、それではオカルトが蔓延るだけです。

    今、光の陰謀が進行しているのです。それを打破するのは、相当の覚悟がいるのです。生易しい相手ではないのです。

    そのことを示す事件が現在進行形で起きているからです。

    それが、まさに放射能汚染です。

    どのようして、この汚染が起きたのかということを知ることころから私達は始めなければなりません。そこには陰謀があったのです。パラノの陰謀です。

    パラノとはイデア由来の気質ですから、自己認識の方程式:凸i*凹i⇒+1で表せば、凸i(パラノ)*凹i(スキゾ)⇒+1(パラノ・スキゾ)であり、パラノにドライブがかかった現象としてみると凸i*凹i⇒凸(+1):パラノ的現象であり、一方、凸(+1):スキゾ的現象は抑圧されてしまいます。

    パラノ現象を個人の気質の現われする見方もありますが、社会現象として見たほうが分かり易いことがあります。

    山並みは遠くから見た方が、全体がよく見えると同じです。森の中に入ってしまうと、一本一本の木々は見えるでしょうが全体は見えません。

    しかし、全体として見ると気質が社会環境の圧力がかかって性格に転じてしまうのでぼやけてしまう欠点があります。つまり、パラノとスキゾが入り混じった風景となるのです。

    ただ、木村敏氏の大数の法則に従えば、パラノが数としては多数を占めているので正常者=パラノが優位となる風景になることが多いでしょう。

    幸い、日本的パラノの現象はよくわかっています。団体行動になると決まって、ある傾向が現れるからです。

    それらを表現する言葉も沢山あります。例えば、長いものには巻かれる、出る杭は打たれる、皆で渡れば怖くない、村八分、官僚主義、ヒラメ体質(上ばかりを見る)、形式主義、隠蔽体質などなどです。

    もっと、はっきりしているのが京都の文化です。京都は公家の文化ですから、そこには抑制の効いた本音を隠して建前を重んじ、気を使う傾向や綺麗好きなどのパラノの特性が缶詰(パック)されています。

    ところが、京都というのはパラノの缶詰なのですが、不思議とアンチパラノやスキゾが出てくるところでもあるのです。

    その良い例が、湯川秀樹・福井謙一・利根川進・野依良治・朝永振一郎・中坊公平・竹村健一・大島渚・綾辻行人・海崎洋一郎・河合隼雄などであり、全てではないでしょうが、やはり型破りな人達です。

    パラノの中にいるとその反動としての現象が形成されるということです。

    現在、反原発で活躍中の小出裕章氏も京都大学の助教授(出身は東京)ですが、かなり異端です。「核技術の真実:現・東電経営陣が小出裕章氏の本を読んでいれば福島原発破局事故はなかった」http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/25891099.html
    を参照してください。

    いずれにしても文化の複素化という視点で捉えるとその全貌が見えてくるということです。

    今は光の陰謀を見破るためなので、一般的な文化風土論ではなく放射能汚染の実態に絞っていきます。そのためのターゲットは政治と企業の組織の文化や風土です。

    政治やビジネスの場面を複素化すると、これまで見ていなかったところが見えてきます。複素化は、ややもすると正常と異常といった二元的な価値に分けてしまって満足してしまう差別化の方法とは異なっており、現象の多様な姿を浮き彫りにする手法であり、光の陰謀を暴くには最も適しています。

    それには、光とは何かを知る必要があるでしょう。

    光の認識については「光の思考類推:自己認識方程式の若干の変形」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813113
    を参照してください。

    以下は、その内容を元にして私が解釈したことです。

    自己認識方程式:(i)*(-i)⇒+1
    これは凸i*凹-i⇒+1とも表現します。

    これを、海舌氏は次のように変形しています。
    i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒+1⇒i/i

    この式の応用については、別途進めていきますが、大事なことは光には二つの光(陽光と陰光)があり、その光(陽光)の片方しか見ていないのが、私達だということであり、又、陽光しか見せないのが光の陰謀だということです。これはパラノ化に繋がっているのです。

    パラノ化された組織とはどのようなものなのでしょうか。

    パラノの組織とは、前例主義、形式主義、スローガン主義、官僚主義、隠蔽体質、ピラミッド、集中管理で代表されるのですが、これの原型は農耕文化からきており、整理整頓、真面目、勤勉、事なかれ主義といった態度が根底にあり、それが発展拡大して組織風土として現れてきます。

    パラノを抽象化して言えば、段階的、直線的、順番的な物質化現象であり、分かり易い喩えとしていうなら野球の様式です。それに対してスキゾはサッカーということになるでしょう。サッカーは包括的、非線形的、ランダム的な物質化現象なのです。

    こうしたことを頭において放射能汚染問題を複素化してみましょう。

    ここで取り上げるのは企業や大学での地位を捨て、反原発の立場から市民のための調査機関や運動を率いた在野の核化学者:故高木 仁三郎氏です。高木 仁三郎氏の精神的身体行動を通してみるとパラノとスキゾの戦いの様子が手に通るように分かります。

    高木氏は2000年がんのため62歳で亡くなりましたので、その戦いの模様をライブで届けることはできませんが、放射能汚染は現在進行形で起きているのですから、高木氏が生きていたらこのような行動をとるだろうというようなシミュレーションすることで満足しましょう。そこから、私達の戦略が見えてくるだろうと思うのです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E
    以下、引用しました。
    高木 仁三郎は、日本の物理学者、理学博士(東京大学)。

    地震による原子力災害への警鐘

    「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴えた。
    ―――
    高木氏を取り上げるのは、彼が戦ってきたノウハウを吟味することで使徒と戦うEVA(仮想兵器としての高木モデル)を開発できると思うからです。

    では、この科学者が見てきた現実とはどのようなものだったのでしょう。

    彼は実際にパラノの現場に身を置いてその現実を見てきた人です。ですから、決してフィクションなどではないのです。迫力があります。

    では、彼の証言を聞くことにしましょう。

    直接に聞くことはできませんので、農家CafeのHPを主催しているculon氏の
    「あきらめから希望」
    http://culon.exblog.jp/15726269/
    から、編集して引用しました。

    この世に中はパラノの気質を持った人間が大勢います。ですから、多数者の原理によってパラノの価値観(原発推進)が正しいとされるのです。

    パラノの気質が現象すると、どのようになるかというと簡単に言えば官僚主義です。

    もっと言うなら、パラノ人間は経済観念に長け、先の、先のことを考え、被災者に同情しながらも、一方で品切れするだろう商品の買いだめに走ったり、災害の推移より、これからの世界の経済動向がその関心事になるから、これを成長するための機会にしようといった行動傾向が見られます。

    こうしてみるとパラノとは常識的人間であり、私達そのものです。

    しかし、このパラノは清潔好きですから汚いものは排除しなければ済まないのです。汚いものとは、時に敵であり、他者です。

    他を排除するのが自我の特徴でもあります。

    日常において他とは汚いもの、ゴミであり、それは履いて捨てれば終わりですが、放射能はそうはいきません。放射能は履いて捨てられない厄介な代物なのです。

    自己と他者の関係で自己認識の方程式:
    凸i*凹i⇒+1で表現すると、凸i(パラノ)*凹i(スキゾ)⇒凸(+1)であり、+1は原発推進派が保証する安心安全で清潔な炉です。

    反原発が指摘する危険な炉は凹(+1)ですが、パラノが優位の時は抑圧され裏に隠れています。

    しかし、地震によって、この方程式が成立しなくなってしまったのです。それで突然、パラノの立場が劣勢になったのです。そこで表面に出でてきたのが、反原発が指摘する危険な炉:凹(+1)であり、破損した炉だったのです。

    その結果、凸(+1)の裏に隠れていた凹(+1)の放射性物質=ごみがばら撒かれたのです。

    これはパラノとスキゾの戦いで、他を抑圧すると墓穴を掘るという意味で典型的な事例なのです。

    墓穴を掘るとは因果応報のブーメランであり、天に唾なのですが、大体、パラノのやっていることは非常に矛盾しているのです。

    ゴミを自分の家から出してしまえば、それで綺麗になったと思ってしまうのです。そのゴミが外にばら撒かれて、結局、環境を汚染して、汚い家(地球)の中で暮らしているのですから。

    しかし、これが光の陰謀(陽光に偏る認識)の本質なのです。パラノと雖も自分が使徒のエージェントになっているとは気が付いていないのですから始末が悪いのです。

    スキゾ科学者・故高木仁三郎氏が生きていたら、この地震と津波と原発事故という三重の大災害、とりわけ現在も進行中の原発事故に対して、どんな態度をとったのでしょうか。

    TVに出演する使徒のエージェントであるパラノ学者や解説者のコメントは視聴者に安全というメッセージを送り続けています。

    彼らは原発に賛成しない人間は科学音痴であり、昔のような不便で不快な生活に戻すことは不可能であり、冷暖房なしの暮らしは早死にするなどと嘯いているのです。

    これがパラノの本音なのです。

    また、政府は電力会社の代弁者ではないはずなのに、これもまた首を傾げたくなる様なパラノ的発言が乱発されています。

    企業というのは一つのパラノ牙城です。ですから、原発事故の対応にはパラノ特徴がもろに現れるのです。

    彼らは無意識には絶対的な恐怖があるのです。その反動が自我という心の壁を作るのです。これがエヴァンゲリオンの出てくるATフィールド(絶対的な恐怖領域)です。

    原発推進を自我凸(+1)の現われとすると、自分の中に反原発の他者としての凸(+1)がいるのです。ですから無意識にその他者を恐れるのです。

    ATフィールドというのは、絶対的な恐怖をもたらす他者から身を守る防御壁なのです。

    それで、彼等は自我の壁を張り、自己防衛に走るのです。その典型が隠蔽です。しかし、その結果はいつも泥沼に嵌っていくのです。これが自我の暴走という現象です。

    パラノとしては、国民の安全より企業の防衛という危険な賭けにでただけなのですが、そのつけはとてつもなく大きくブーメランのように自己に戻ってくるでしょう。

    自分達が撒いた種なのですから、自業自得と言えばそれまでですが、撒かれた方の汚染の被害を受けた人達はやるせないどころか、死んでも死に切れないでしょう。

    いつの時代も、どこにでも、命(スキゾ)と金(パラノ)の戦いが繰り広げられてきました。そして、いつも「金」が勝利してきます。

    そして、いつも、両者の間には深い亀裂が残り、同時に、拭いきれない後ろめたさを抱え込んだまま生きていくことになるのです。

    福島原発の建設を容認してきた地元の住人は、事故の被害を受けたのですから、被害者ですが、お金をもらったり、或いは、原発関連会社に勤めていれば、責任を追及する声を上げることはできないでしょうし、後ろめたさがあるでしょう。

    そうした亀裂や後ろめたさが生じる前は、どちらの立場であっても葛藤があったはずです。心が揺れ動いたと思います。

    その葛藤を霧散させたのは「原子炉は多重防護を施してあるから絶対に大事故に至らぬ」という、つまり共同幻想の「安全神話」でした。

    これは大きな一撃でした。使徒が放った決定的な一撃だったのです。パラノ爆弾です。

    これによって、殆どの住民が原発賛成に傾いたことでしょう。日本全体が原発推進に傾いたのですから、まさに、それ行けどんどんです。危機に陥ると一斉に、水に飛び込む集団自殺する鼠の行動と似ているのです。右肩上がりの成長神話もそうでしたが、いつの時代にもこのような行動になるのがパラノの生態的特性なのです。

    原発を進める側の初期対応が隠蔽から始まったということが明らかになりましたが、これも同様の心理なのです。

    「安全神話」というのは原発を進めるパラノにとっては唯一の幻想的根拠でしかないのですが、それが崩壊するということは、「原発」そのものの終焉となるのだという恐怖心があります。

    世界での安全神話は、スリーマイル島やチェルノブイリの事故によってすでに崩壊していたのですが、それにもかかわらず、日本では安全神話を守り続けたのです。

    こうした安全神話ができる背景には、自我優位にパラノ的ドライブがかかることにあります。使徒がそのドライブをかけるのです。

    その典型的な例が放射能の恐怖に見て見ぬ振りをすることです。

    使用済み核燃料の放射能の量は少量でもガイガーカウンターを近づければ、針が振りきれて働かなくなってしまうほど強力なのですが、どういうわけか、これに対して無神経になってしまうのです。神経質なパラノが無神経になるというパラドックスが起きるのです。

    使用済み核燃料の放射能に近づくときは、誰でも恐怖心があるものですが、それがいつの間にか、だんだん仕事に慣れてくると、少しぐらいの放射能を恐れていては一人前になれないぞ、などと先輩に脅されたりして、安全性を軽んじる傾向になるのです。

    これは高木氏の実際の体験として述べていることです。

    専門家ですから、放射能の恐怖心をいちばん知っているはずなのに、実際には事故時の放射能放出などについて無神経な態度をとってしまうのです。

    それは、何故なのでしょうか。

    高木氏は、こうしたことになるのは、一旦計画したら何が何でも達成しなければ何らない、挫折してはならないというパラノ特有の恐怖に由来する自己保存本能であり、まさに自我を優先するからであり、結果として安全はひとまず置くという形式主義に陥るのであると言っています。

    そして、そうした傾向は一番スタートの現場から出来上がっているとも述べています。

    この恐ろしい状況はTVに出演している学者の発言を聞いていると頷けるような気もします。

    放射能が溜まり水に漏洩していると考えられるのにも関わらず、プルトニウムについては全く調査をしなかったことが分かったときに高木氏は以前からプルトニウムの毒性については指摘していたので、あきれていますが、それがパラノの現実なのです。

    プルトニウムの毒性については「やっぱりホットパーティクルは恐怖:プルトニウム238
    」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100105140724
    で取り上げましたので、参照してください。

    専門家がたまり水の中にプルトニウムが含まれているかどうかを調べていないのは、プルトニウムは安全だと思っているからなのでしょうか。

    高木氏は、「プルトニウムやプロトアクチニウムなどとなると、微量でも毒性が強く、ちょっとでも吸い込んだり手を汚したりしないように細心の注意が必要だ」と述べている用にかなり危険な物質と考えていたのです。

    それは現場で体験した人の言葉ですから信用してよいのではないでしょうか。

    その実際をこう表現しています。

    アルファ線は、普通のガイガーカウンターではなかなか検知しにくいので、実験が終わって管理区域外に出る前にモニターすると、これだけの防護をしていたのに、手の指などが汚染していることがあったというのです。

    安全性を軽く見ているという事例は他にもあります。ある原発での燃料棒折損事故に関してあった事例です。

    「ほぼ最初から最後まで、この事件の顛末に付き合ったことで、私(高木)は多くを学んだ。その多くは驚きの連続で、思えば私が会社にいた頃は、隠蔽の体質はあったものの、商業原発など始まっておらず、呑気なものだった。

    関連企業群が一体となったきわめて組織的な事故隠しと、それを知りながらシラを切り通そうとするパラノ官僚、そして時効という狡猾な逃げ道を持っているのです。

    高木氏の体験の談は続きます。

    隠蔽という事件は、私の想像をはるかに越えた、悪辣な国民無視と安全感覚の欠如を浮き彫りにしました。ほとんどの場合、私は怒りの感情で動くことはなかったが、このときは心から憤りの気持ちをもったと述べています。

    高木氏を使徒化(エージェント化=パラノ化)する光の陰謀も明らかあったようです。

    狡猾な手段で、御用学者に取り込むための工作を仕掛けることか、ある組織によって様々な陰湿な嫌がらせの接待を受けたことなどがあったようで、まるで、どこかの国の情報機関のするようなことが起きていたのです。

    詳しくは、彼が死のほぼ一年前に病室で書き上げた『市民科学者として生きる』(岩波新書1999.9.20)を参照してください。

    「原発問題の中にすべてがある」
    これも高木氏の言葉です。

    これを四次元能流に言い換えると
    「原発問題の中にパラノのすべてがある」
    と言えるでしょう。

    高木氏は「唯原発主義」のようなものを好まなかったようです。というのは、反原発は単に原発反対とか放射能がいやだとか、あるいは〈核と人類は共存できない〉というレベルの信条を意味しているのでなく、人間の基本的な生き方そのものに関わっているからなのだと言っています。

    全くその通りだとおもいます。

    これは木村敏氏が懺悔したように多数者のパラノの論理を振りかざしてはいけないということと同じことを言っていると思うのです。

    パラノ(正常)とスキゾ(異常)という二元論では割り切れないのであり、どちらも人間の生き方そのものであり、即非(パラノスキゾ)として生きる人間でなければならないと思うのです。

    光の陰陽性を認めなければならないということではないでしょうか。

    高木氏は最後にガンに侵されながら著書を次のように締めくくっています。

    こうやって、アカデミズムの内側と外側にある大きな壁を打ち破っていくことで、市民の側の未来への意慾=希望が、もっと広く科

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