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from: 生成門さん
2012/05/12 13:19:47
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東洋の心はレンマの心
東洋の心はレンマの心
<玄生人のための玄人による玄語(4):GPSの実践>
西田幾多郎の即非の論理は東洋(仏教)の論理、つまり、「レンマの論理」です。
レンマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
以下、引用しました。
レンマとは、定理を導くための補助定理という意味で数学の用語として日本では一般的であるが、哲学用語でもある。
「とる」、「受け取る」という直観的な把握の意味で、テトラ・レンマという名前の思考スタイルが、これを4つ使って構成される。
漢訳では四句分別という。無も有もない思考スタイルのこと。
古代ギリシャに発する西洋のロゴス論理はそれよりも古いこの、二つの律にそれらを無律化する二律を加えて成る(テトラ)レンマ論理から見れば、その中の先行する二つの律のみへ特化して出現していると言える。ロゴス論理は言わば(葛藤の意味を伴う前の)「二句分別」としてのディレンマDilemmaである。
西洋的なものであるロゴス(科学、論理、言語、言語依拠制度、[個物]同一性)を、東アジア的に空無化もしくは相対化することを助ける。下の4つが四句である。ロゴスは1-2の律のみへ、収束される。
1. .肯定 西洋排中律←[個物]同一性へ向かう
2. .否定 西洋排中律←[個物]同一性へ向かう
3. .肯定でも否定でもない。 東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない
4. .肯定でも否定でもある。 東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない
―――
これによっても西田幾多郎の即非の論理が、「肯定でも否定でもない。肯定でも否定でもある。」という非同一性へ向かう東洋容中律、つまり、レンマであることが読み取れます。
東洋の心はレンマの心、玄語はレンマの言語=即非の言語=中律(中間・中立)の論理ということが言えるでしょう。
しかし、玄語は、一見したところ、二分することで体系を作っているのですから、一つが二つに分かれることを繰り返すという意味では部品表や図書分類のシソーラスのようでもあります。ただし、部品表なんかでは、一つが多岐に分かれるところは違いますが、本質的には同じ構造と言ってよいでしょう。
部品表的体系、トーナメント方式、ピラミッド組織における一つが二つに枝分れするツリー的は還元主義の思考を表現する形式ですが、玄語の二分割方式がこれと同じなら西洋的思考と同じであり、この先、余り可能性はなくなります。
東洋が容中律だとすると西洋的思考とは同じではないでしょう。
どこがどう違うのかを探求してみたいと思います。
続く-
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