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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2012年09月30日 14時00分11秒

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    外部観測は自我の認識である

    外部観測は自我の認識である
    四次元能版エヴァンゲリオン:内部観測と三角錐>

    外部観測の限界は未来を完了させる能力の過信にある
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100111589771
    の続きです。

    「文明とは現実から離散すること」だと言いましたが、この言明は重要な意味を持っています。その意味が、人類が文明によって自然から離れたということなら何の新しい価値はありません。しかし、四次元能では文明は自我優位の認識結果であり、人類を絶滅種にしたのは自我であるとして自我の解体を最終目的に掲げてきましたので、その文明を後押ししているのが外部観測なら全く異なる解釈が可能となります。

    外部観測が自我の認識方法ということになるからです。つまり、外部観測が自我の正体になるのです。これにはとんでもなく大きな意味があります。

    これまでに理解したこと自我と結び付けて解釈すると、自我とは仮説であり形式であり建前であり完了であり、単独三人称の認識と言うことになります。

    要するに、自我の解体は外部観測の解体を意味することになるのです。もっと言えば、自我を解体して新たな自己を生成するためには、内部観測、三角錐を構成することになるのです。

    果してそんなことが言えるでしょうか?

    言えたとしても、新たな齟齬が出てきそうです。自我は自己の変容ですから一人称です。自我が三人称という結論とは矛盾するからです。これはどうしたことでしょう。その答えは既に述べてあります。自我とは三人称によって乗っ取られたという考えです。

    これについては、
    第4象限はウィルスが活躍するグラウンド
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100108516663
    を参照してください。

    ここでは自我については深入りしません。自我が外部観測に由来があるという事が分かっただけでも収穫です。そうであるなら、尚更、外部観測の限界を知っておかなければならないのでしょう。

    続く

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