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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2012年12月27日 09時58分11秒

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    「観念する」は離散(ディアスポラ)の勧め

    「観念する」は離散(ディアスポラ)の勧め
    <三角錐を内包する象徴方程式>

    記憶はベクトルか?
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200099874

    の続きです。

    リンゴという概念は意味空間にあり、それが記憶であり、情報であり、ベクトルであるというのは真実なのでしょうか?

    概念は観念と似ていますので、「観念」を鍵にしてそのあたりを探ってみましょう。観念とは文字通り「観る+念ずる」という述語動詞が名詞化されたものです。名詞はスカラー、述語動詞はベクトルと言っても良いも知れませんね。もしそうなら、名詞を動詞化すればスカラーをベクトル化したことにもなるでしょう。観念を動詞化すると「観念する」となります。では「観念する」にはどんな意味があるのでしょうか?

    良く「観念しろ」などと言いますが、それは十手持ちが泥棒を追い詰めたときに使うセリフです。現代では、「観念する」とは「絶体絶命に追い込まれたときにしか使わないようですが、要するに「スタック(袋小路)」したときに「諦める」という意味に使われているのですね。

    本来、「諦める」は仏教用語であり、「真理を悟る」であり、「諦」は「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味なのですね。それが俗化されて「断念する」=諦めるとなったのですね。スタックしたのは自業自得であり、自分のエゴ、欲望が原因なのですから、その「執着を捨てろ=断念しろ=諦めろ=観念せよ」というのは筋が通っているのですね。

    「執着する」とは欲望の対象があり、それに心的エネルギーが向けられることなのですね。それはまさにベクトルですね。そのベクトルが三次元実在空間を要請することなど有り得ませんよね。「執着する」ことがベクトルなら「断念する」のはそれと反対に心を向けることを「止める」ということですね。つまり、反対のベクトルですね。よって、観念する=「見る+断念する=見ることを止める=心で念ずる」となって意味が転じてきたのですね。もっと簡単に言えば、あらゆる外にある物からの離散(ディアスポラ)を勧める意味に転じてきたのではないでしょうか?

    続く

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