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  • from: 生成門さん

    2013年02月08日 09時57分44秒

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    未来は過去である

    未来は過去である
    <即非螺旋認識ゴマのメカニズム(3)>

    認識ゴマは即非ゴマ、そして螺旋ゴマへと変身する
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200152140

    の続きです。



    認識ゴマに色々な意味を付与しましたので纏めておきましょう。認識ゴマは回転であり、波動であり、振動であり、螺旋であり、時間であり、即非であるということです。いろいろな顔を持っているのですね。どんな文脈でどんな顔を出すのでしょうか?

    物理ゴマは回転だけして螺旋しないですが、それは外観者の目から見た表現なのですね。内観者には螺旋と見えるのですね。外観者には内部の時間は見えないのですね。ですから時間の軸は別途に用意して時系列で見るのですね。これが鏡の世界に反転する前の現実の世界の見方です。つまり、波動という見方です。しかし、それは内観者が見る波動とは違う回転の姿です。内観者の波動は想像であり、観念的同時であり、相対的波動です。外観者の波動は時間と空間を分離した絶対的時間による波動なのです。

    認識ゴマは鏡の世界のメタファー(モデル)ですので時間は相対的です。相対的というのは人によって時間の進みが違うということです。私達の体験でも全然時間が進まないという感覚に陥ることがありますよね。何かに没頭しているときがそうです。振り返って見たり、我に返って見たりすると「えっ!もうこんな時間」というように気が付くことがありますが、それが外観者になった時の認識なのですね。

    外観者の認識とは違う内観者の三人称の認識があると言いました。それはどうちがうのでしょうか?

    内観者の三人称の認識というのは独特の認識です。何故なら、客観的というのは第三者、つまり、外観者の認識のことです。常識的には内観者とは一人称であり主観者です。しかし、内観者には一人称と同時に三人称の認識が存在するのです。所謂、唯識でいうところの自証分です。唯識では主体を相分・見分・自証分と分けますが、相分と見分は認知と認識を分けただけであって一人称と看做してよいでしょう。自証分というのは自らを証する分ですので三人称ですね。自分の中の他者です。これが第三者の他者=外観者とは区別するべきなのですね。外観者の内部化とでも言えばよいでしょう。人は誰でも他者を取り込んでいるのですね。ブログで「引用する」ということはその方法なのです。もっとも、単なる引用と瞑想によって深めた引用では質が違うでしょうが、そのことについては別途の探求としましょう。

    いずれにしても、ミクロの探検を成功させるためには他者の内部化についても認識ゴマで説明ができなければならないでしょうね。簡単に説明すると、サッカーのウエーブをどう認識するのかです。ただし、テレビを見ているあなたではなくサッカー場にいるあなたが主体です。あなたは試合も見ていますが応援もしています。どうして試合に熱中しているあなたがウエーブに参加できるのでしょうか?

    ウエーブに参加するためには全体と一体化しなければなりません。そのためには自分だけがかってに振動するというわけにはいきません。サッカー場を円盤とすると中心に主体がいるのです。それはサッカー場にいる人です。しかし、あなたの円盤はあなただけの円盤です。ではどうすればよいのでしょうか?

    他者を取り込むしかありありません。ブログなら引用ですが、サッカー場では他者に成り済ますしかありません。つまり、他者に「なる」のです。ここでモナドックスロジーが作用します。モナドはすべてを映す窓のない鏡です。モナドの法則を使って他者を内部に連れて来るのですね。それがキアスム的交差反転の術です。

    これが「すべての主体を自分に観念的に置き換える成り済ましの術」です。ウエーブに参加するとは隣の二人称の他人になることです。そして、それを繋ぐのです。そうすれば、全体=三人称となって、ウエーブ形成に参加できるのです。ウエーブ形成とは波動を想像することによって完成できるのです。

    想像とは認識=円盤であり、現在空間ですので、一人称でありながら波動を認識したのですから三人称になったのです。従って、全人称で認識したことになります。しかし、時間が進んでいないのですから、まだ、認識が完成したとは言えません。認識の目が出たにすぎません。ウエーブは運動であり、時間が進まなければなりません。時間は認識が行動になって生成するのです。認識はベクトルであり運動なのですね。モナドは心のベクトルなのですね。

    ともかく、成り済ましの術で認識の目が出たのです。あらゆることが起きていると認識できるのですが、まだ行動(身体的振る舞い=脳のアドレナリンの発生も含めて)にはなっていないのです。ですから時間が進んでいないのですね。

    成り済ましは想像で他者を取り込む術ですが、それは無限速度で認識できるから可能なのです。回転いないで認識できてしますのです。扇風機を回すと回転していないように見えますね。あれと同じ状態になるのです。すべての主体を自分に置き換えて波動を認識(想像)したとしても、回転しないなら動かない波になります。だからスナップ写真のようなものだと言ったのです。

    時間が進まない認識は陽炎のようなもので何ら実体がない妄想です。いや、妄想だって、怖い妄想なら何らかの身体的反応(汗をかく)がありますから時間が進んでいます。全く時間が進まない妄想というのはないのでしょうね。そうすると無時間で想像できるというのは不可能のでしょうか?

    自分のある位置(時)の認識と別の位置(時)の認識が同じだということは認識が変容しないことになります。それは回転していないことを意味します。三人称の無時間の認識ですべてを取り込んだのですが、無時間なら回転しないので認識が変容しないことになり、認識が行動に繋がらないので完成しないことになります。どうも、堂々巡りとなってしまったようです。

    堂々巡りから抜け出すにはどうすればよいのでしょうか? それにはやはりベクトルという数学的ツールを持ち込まなければなりません。認識がベクトルだと言っただけでは認識が変容するところまで行かないのですね。

    ベクトルというのはぽつんとそこに単独であっただけでは何も起きないのですね。フリーキックでサッカーのボールがそこに置かれただけでは何も起きませんよね。キッカーが現れて初めてボールがゴールを目指すベクトルとなるのですね。でもそのベクトルはただのボールです。そのボールがゴールを目指して動かなければならないのですね。つまり、別のベクトルが存在しなければならないということです。あらゆる物事が生成すには少なくとも二つ以上のベクトルが存在して互いに作用しなければならないのです。

    物理現象を見ればわかるように、交差点で二つ方向から来た車が衝突しなければ何事も起きません。出会うことが必要なにです。ベクトルを心に動きに応用しようとしているのですから脳内でも二つのベクトルが出会わなければならないのです。フリーキックのボールはゴールを目指すベクトルとして認識されているのですが、ゴールにボールを入れようという意志ベクトルがなければなりません。この二つのベクトルが出会って初めてボールがゴールを目指して飛んでいくのですね。

    しかし、キッカーの認識はもっと複雑です。キッカーはボールを蹴ろうとしているまさにその瞬間に一秒前の認識(ボールの確認)と一秒後の認識(蹴った後の事)を同時に認識しているのです。この時間幅を普遍化してやると時間は過去と未来になります。

    <認識の現在に於ける即非的同時性>

    現在:過去・・・・未来

    あらゆる物事の生成を認識の現在に於ける即非的同時性によって説明しようとしているのです。そのためにベクトルの衝突という概念を持ち込んでみたいのです。衝突というのは物質的なイメージがするので価値観の対立・葛藤・などと置き換えてもよいでしょう?

    人間関係や社会現象はある程度は見えるので物理的な衝突のイメージで捉えることができなますが、モナド(心)の中となるとそうはいきません。しかし、すべては認識なのですから、脳に中においても、未来と過去が現在に於いて同時に価値衝突して認識が生成されると考えなければならないのです。そのメカニズムを螺旋・即非・認識ゴマで説明しようとしているのですね。

    そこで、抑えておきたいことは認識生成が現在の認識において螺旋・即非として同時に起きているということなのです。分かりやすく言うとているということです。未来と過去が同時に認識されているということです。その意味で、即非とは同時です。しかし、一方で、未来は過去に依存しますので時間が発生します。つまり、過去➝未来という因果関係があるのですね。その即非同時と因果的な関係の矛盾を解決するのが螺旋なのです。つまり、現在という認識は円盤状では未来と過去は同時ですが、その位置は違います。位置が違うということは時間が進んだということです。つまり、未来と過去が同時でありながら同時でないというのは明らかに矛盾です。これは円盤自体が時間軸の方向に進んだ、つまり、螺旋したというしかありません。これで回りながら進む螺旋コマのイメージができました。次なる課題はこの即非螺旋未来のメカニズムをベクトルの言葉でどう説明するかですね。

    少なくとも最初の認識があって、それが未来に反映されて行くのですから、その認識の波動を説明できなければなりませんね。電磁波も回転しながら進みますが、その進み方は波動方程式で表現できます。認識も波動であるなら同じように方程式で表現できるはずですね。ただ、電磁波は電場と磁場という二つのベクトルを考えれば良いのですが、人間の認識はそう単純ではないようです。認識が未来と過去の二つのベクトルから合成されるとしても、万華鏡のような複雑な模様になってしまいます。電磁波は電磁波であって、その性質は千差万別ではありません。光は光なのですね。それに対して認識は知性・情熱・意思があり、喜怒哀楽の波乱万丈です。一筋縄では行かないのですね。そんな認識の多様性をベクトルという数学的な言葉で果たしてうまく説明できるのでしょうか?

    自然言語でさえ認識を表現するのは難しいのですから、それをベクトルという線と方向だけで表現するのは無謀のようにも見えます。途方もないことですので、とりあえずは容易な目標を設定することにします。

    はっきりしていることは認識とは過去に依存するということです。従って、未来の認識(願望とか心配・予測など)を過去の認識(想起)と時間ベクトルだけで表現できるかどうかですね。そこをクリアしてみましょう。それができれば、レンマ関数への理解が深まるかもしれません。レンマ関数というのは

    A'''・・・ = ・・・(r)(q)(p)*A*(p-)(q-)(r-)・・・

    というサンドイッチ計算を表現するSK_t(x)関数であり、時間xのベクトル関数になっています。つまり、過去Aを未来A'''・・・に絨毯しているのです。

    ですから、まずやるべきことは最初の意味の変容の式は

    A'= (p)*A*(p-)

    ですので、未来A'が過去Aと意味の変容度合、つまり、pとp-だけで表現されているのですね。pとp-は指示しですので、円盤状にあり同じものを指しています。つまり、指示しの位置が違うのですね。言い換えると角度Θが違うだけなのです。だとすると、未来A'を過去AとΘだけで表現できるはずです。それに挑戦してみましょう。

    続く

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