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  • from: 生成門さん

    2013年07月31日 12時58分58秒

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    運転者は力のつり合いを感じて運転している

    運転者は力のつり合いを感じて運転している
    <PS理論との共振:ダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである(続き)>

    海舌氏によればダランベールの原理はニュートン運動方程式F=amを「F - am = 0 」と変形したものだそうです。式を変形しただけで「三人称認識を一人称認識に変換できるのですね。これは驚きですね。

    ダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである。
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813909

    あなたが車を運転しているとして、その車が動くためにはアクセルを踏み込まなければなりません。それが車を動かす力(加速)となります。あなたは車が動く従って後ろに押される感じになるでしょう。これも力です。その力を前進するF に対し、後へ向かう力-am なる力が働くと感じるでしょう。これは外から見ても分かりません。当然、運転中のあなたは運転席に座っていますから、後ろの押されたとしても座席カバーでストップされるので車と共に移動することになります。時間を止めて見ると全体が力のつり合った(平衡した)状態であると看做せるでしょう。実際に写真を撮ってみるとそうなっていますね。

    内部観測者であり、運転者であるあなたはその力のバランスを感じているはずです。電車に乗って吊革につかまっていないと加速中の時は後ろへ体を持っていかれますね。この一人称の体験によって後ろ向きの力の実在を感じるでしょう。この一人称の体験を数式で表現したのが、「F-am=0」だというのですね。もし、海舌氏の指摘がなければ、物理の素人の私達にはF=amとF-am=0違いが全く見えて来ないでしょう。単なる、式の変形にしか見えないでしょう。

    数学は数の学ではなく構造と方向の学であると言います。その視点から見ていくと、F=amは「原因⇒結果」の構造と看做せます。更に、車にエンジンからの力が加わった結果、前進方向に加速されたと解釈するべきなのですね。従って、ニュートンの運動方程式は構造と方向で表現するなら、

    F⇒ma

    ということになるでしょう。

    一方、ダランベールの式「F-am=0」は、一人称の視点で感じたのですから原因⇒結果⇒平衡という関係になるでしょう。つまり、外からの力(エンジン)が加わって車が加速して走り出す。同時に、後ろ向きに力が加わり運転者を押して、力としてプラスマイナスゼロとなると解釈すべきでしょう。これをこの解釈を式で表現すると、

    F-am⇒0

    となるでしょう。

    纏めると、外部から見た運動F⇒maは、単に表面的であり、力が車を動かしただけの現象にしか見えて来ません。しかし、内部の視点で見るとF-am⇒0 は、外からの観察ではなく、内部観測者=運転者であり、質点(車)の立場で(感じる視点)力のつり合い(平衡)という構造があると解釈(ダランベールの原理)したのです。

    ダランベールの原理はダランベールの解釈であり、主観的な解釈です。この解釈は原因がないところから作用と反作用とはバランスしたというような「0⇒F-am」解釈ではないのです。数式では、0=F-amもF-ma=0も等価ですが構造と方向を考えると全く意味が違ってくるのです。0⇒F-amは止まっていた車が突然に動いてF–amとなったと解釈できます。しかし、そんなことが現実にはあり得ません。ですから、数式と現象の間には大きな解離があると考えなければならないのですね。ダランベールはそうではないでしょうが、多くの美人局(トンデモ)が現れる要因が潜んでいます。

    それはともかくとして、一人称の数学というのがあることを、実際の式の構造で指摘できたことは、大きな意識の転換になるのではないでしょうか?

    海舌氏は、ダランベールは内部観測者(一人称)であり、ニュートンは外部観察者(三人称)であると言います。そして、ダランベールはニュートンが三人称の立場で表現した運動方程式を、内部観察者(一人称)の立場で表現したものであると言います。つまり、三人称認識を一人称認識に変換したものであるということです。

    言い換えると、走行する車(質点)の運転席に観察者(運転者)がいる場合、慣性抵抗(車の場合:後ろ向きに力)によって、観察者(運転者)は運転席と共にある静止状態を一人称認識として認識するだということですね。

    この原理は、多数の車が道路を走っている場合も成り立ちます。多くに車(質点系)が高速道路を同じ方向には敷いている場合、ほとんど止まっているように感じます。これは多数の一人称認識の総和が「⇒ 0」となっていると解釈(みんなが止まっている)すればよいでしょう。実際に、運転している時はそう感じるはずですね。地球はものすごい速度で自転と公転していますよね。しかし、私達は全く静止していると思っています。宇宙船から見たら動いていることが分かるのですが、これが無数の一人称(均衡・平衡状態)の総和を「ゼロ」と想定する認識なのですね。

    ここで、四次元能らしく少し補足しておきます。

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