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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2013年10月21日 15時43分25秒

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    ひふみ祝詞はダ・ビンチ・コードの暗号解読のトレジャーハンティングより面白い

    ひふみ祝詞はダ・ビンチ・コードの暗号解読のトレジャーハンティングより面白い
    <神の数学との共振:九進法宇宙の真理>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200473825

    ダ・ビンチ・コードの暗号解読のトレジャーハンティングより面白い数の秘密を解読する知の冒険に挑戦します。それはひふみ祝詞にある暗号の解読です。ここには驚くべく数の秘密が隠されていたのです。それが今明らかになります。

    ただ、注意してください。私達は十進法に慣れ親しんでいます。この秘密を解読するためには九進法の意味、本質を解き明かさなければならないのです。九進法は単に算数・算術のことではないからです。数霊のことなのです。日本人なら言霊(言葉には魂がある)を信じるでしょうが、さすがに数霊(数に魂がある)があるとなると数秘術(占い)のことかと思ってしまうでしょう。九進法とは数と魂の密接不可分な精神文化の源なのです。それを私達の祖先(縄文人)が持っていたのですが岩戸閉めで隠されてしまったのです。岩戸を閉める大きな力となったのが弥生人による十進法による支配だと思うのですね。

    九進法を身に着けていたのは縄文人で、十進法は弥生人だというのは四次元能のかってな類推ですが、それをひふみ祝詞の暗号の解読によって明らかにしたいと思っているのです。先走って言ってしまいます。縄文人は森林で生活いていましたから手を使うには包む、掴むという振る舞いが基本です。数えるということはあまり必要がなかったのですね。数え歌(ひふみ)をみれば分かるように九でお仕舞になっています。これが意味深なのですね。

    結んで開いて下さい。指を畳んで一本ずつ開くと最後はゼロになってしまいますよね。そして循環するのです。これが九進法なのですね。彼らは数えるというより、始めと終わりを円環(神結び=縁結び)させたのですね。そしてそれを歌にしたのです。つまり、数と歌(魂)を結びつけたのですね。数え歌とはまさしくイデアの歌だったのです。

    ところが弥生人は南方から来た農耕民族であり、数えることは生活に必要な条件だったのですね。数の多さでは弥生人が圧倒していましたから、縄文人は次第に支配されてしまいました。融合してしまったと言って良いでしょう。彼らは十進法は使っていなかったでしょうが、五本指、つまり、両手で十本、つまり、十進法もどきをを使いこなしていていたのですね。彼らは手を開いておいて、一本ずつ倒していきます。すると一本余ります。それが10番目ですが、これが桁上がりとなって十進法になったと思うのですね。しかし、その原点には縄文人の九進法があったのですね。十進法の元型となる九進法の数え歌が広まっていたのですね。それは文明(道具)ではなく文化(魂)だったのです。弥生人は道具を発明する高度な知をもっていましたから九進法の数え歌を指で数える術にアレンジすることは簡単でした。指の数え方を十進法にすればよかったのですからね。その術が桁上がりの機能を追加するにはそう時間がかからなかったでしょう。こうして十進法の雛形ができたのです。

    算盤を見てください。一桁は九つ迄しかありませんが、十番目が隣の桁上がりとなって横に並んでいます。これは二人で数えるという桁上がりをモデル化したと思われます。二人で数えるというのはかなり高度な知ですね。弥生人は必要に迫られていたのですね。それはすべて農耕と関係します。保存、加工する手作業ですからね。保存とは記録です。記録は計算に繋がり、結局、算盤が必要になったのですが算盤が発明されるまでには紆余曲折があったと思いますが、その原点は数え歌にあったと思われます。農耕とは手で数える文明なのですね。算盤は数の文明の証です。言い換えると農耕は数を取って魂を捨てたのです。しかし、弥生人も心がなくなったわけではありません。数と心が分離しただけなのですね。ですから、その後、神が必要になったのであり、豊作を願った儀式などが見られるように数え歌が神道として復活したのですね。

    更に言えば、縄文人の円環する数え歌から歌(魂)を取り除いて線形化したのですね。現代になって算数は数学となって線形代数化しますが、要するに農耕文明は数え歌(九進法)を算数(十進法)にしたのです。話は飛びますが、道具文明の最先端であるコンピュータは二進法です。しかし、内部では二進数を十進数に変換しているのです。詰まるところ、十進法の算盤が内蔵しているのですね。二進法と十進法との深い関係があるのですが、これについては別途とします。

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