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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2013年10月23日 19時07分07秒

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    {ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ}・・・たり

    {ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ}・・・たり
    <神の数学との共振:何故、岡村天明は日月神示を暗号化しなければならなかったか?>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200477500

    ひふみ神示と九進法を結びつけるのは「妄想的論理展開と愚劣な語呂合わせ」だと指摘している方がいますが果たしてそうでしょうか?

    ひふみ神示(ひつく神示、日月神示)の批判的検討
    http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/hihumi.html

    これに対する答えは佐藤氏の解釈を理解すれば明らかになります。ただ、この批判では何故、妄想だと決めつけているおり、「何故」ということについての説明がないのですね。

    確かに岡本天明が九進法的宇宙論を持っていたかどうかについては証明できませんが、それは古代から受け継いだ縄文遺伝子であり、岡本がかってに神示した幻想ではないと思うのですね。すべては縄文人に伝わる循環法=ひふみ算法であり、宇宙普遍の計算法なのですね。この事をしっかりと神の数学を参考にしてひふみ算法が単なるコジツケでないことを四次元能で明らかにしたいと思っています。

    ひふみと数える歌は誰にでも親しめるものです。昔の人は<ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり>と数えていました。ここで、ひ(日,光)、ふ(風,空気)、み(水)、よ(世、地)、いつ(出づ,現われる)、む(虫)、なな(魚)、や(鳥)、ここ(毛々,すなわち獣)、たり(足りる、そこまで、完了です。

    ここに出てくるは自然そのものです。古代人は数に託してその自然を歌い上げていたのですね。まあ、自然ですから、先ず太陽の光があり、次には空気と水があって、地球が出来上がったとするのは当然でしょう。しかし、その後に自然生態系の発生があって現在の世の中が出現したと歌っているのですね。これには驚きです。その発生した順序が、虫(三葉虫などの原始虫)から始まり、魚類、鳥類、やがては哺乳類の発生に至ったといみじくも語り上げているのです。

    これにはダーウインも脱帽でしょう。これが古神道の奥儀祝詞「ひふみ天地の数の歌」の持つ真の姿であり、その内容なのです。何と素晴らしい自然の真実の姿を語っている言葉なのでしょう。

    感心している場合ではありません。岡村天明は数え歌を使って暗号化したのです。実にすごいアイデアです。どうしてそこまでやるのかという疑問が出て来るでしょうが、戦いに於いては文化と言うのは常に抹殺の対象なのですね。暗号化したのは必要に迫られてというのが真相でしょうね。

    韓国ドラマでハングル文字を開発したのはあの有名な世宗ですが、その当時、何が問題だったかというと明の圧力でした。それほど独自の文字を持つことはまさに自立を意味していたのですね。下手すると国がなくならずとも隷属することになるのですからね。

    韓国は常に明との闘いで葛藤していたのですね。韓国の国旗が陰陽であることはその事を表現しているのではないでしょうか?

    陰陽であって陽陰でないことに意味があるのですね。陰陽は暗号なのです。その意味を説明できるのは縄文人の心だけです。ひふみの歌はまさに縄文人の心(暗号)であり、それを残すことが生き残りそのものだったのですね。だからこそ自然の真実を美しく歌い上げているのであり、天地の成り立ちの様子を歌っているのです。その姿は天地の数の歌の名に恥じない創造・生成の歌なのです。

    岡村天明も日本の当時の状況(敗戦)を目の当たりにして神道の中には眠っている全人類の最高の叡智(陰陽の智慧)を残して置かなければならないと思ったのでしょう。当時の神道家なら数え歌が歴史的にも謎の存在であった言霊の現われであることは理解していたと思うのですが、果たして数霊として認識していたかは疑問です。何故なら、現代の神道家でもひふみ祝詞を九進法とは理解していないのですね。

    岡村天命だけがそれを明確に意識していたからこそ「十」で完了としたのですね。この当時、算盤がありましたから「十」は完了ではなく桁上がりですからね。この違いを強調したかったのです。しかし、余りあからさまに強調すると暗号でなくなってしまいますね。それが知られると弾圧されことは自明ですから天明は残すことを優先したのですね。

    岡村天明の発想は縄文人の発想そのものです。陽の裏には陰があるのです。陽の裏にもう一つの別の力(陰)のあるという不思議さを理解しなければなりません。陰陽の順序はどっちが先で後かは意味がないようですがそうではありません。陽陰でなく陰陽なのはそれ自体が暗号なのです。

    文字通り自然は陰陽であり、陰が先で陽が後、これが真実なのです。本当にそんなことが言えるのでしょうか?

    それはひふみの祝詞にしっかりと隠されているのです。その暗号の解読は後にして常識で考えましょう。日常的にも陰(暗に示す)に陽(明らかに示す)に表現することで本当の真実を語ろうとしますね。これこそが暗号の原点なのです。陽は表で公開され、陰は裏で隠される暗号です。ですから陽陰ではなく陰陽と言うのです。陰が先とは陰が真実(本当)だということですね。これは建前(陽)と本音(陰)となって日常の生活に浸透していることです。陰が先、陽が後はひふみの技(暗号)と言えるでしょう。

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