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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2013年11月11日 17時19分18秒

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    ボストンの球場で見ている人でもMLBの試合を生で見ているとは言えない

    ボストンの球場で見ている人でもMLBの試合を生で見ているとは言えない
    <神の数学との共振:四次元能は物自体には達しえないというカントの禁止事項を破ろうとしている>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200499929

    「四次元能は物自体には達しえないというカントの禁止事項を破ろうとしている」と大言壮語したのですが大丈夫でしょうか。その手掛かりが神の数学に見つけたのですが、まだ、富士山の麓をうろついているところです。何故、一気に突破できないのでしょうか。それは難題が沢山あるからです。それが矛盾(パラドックス)という劇薬なのです。パラドックスはとても厄介なのです。自分では正しいと思っても、その思いの中に正しくはないという論理が隠れているのです。正しくないなら探求自体が無駄になってしまいますよね。ですから劇薬なのです。

    不確定とは確定できないことです。それを確定するためには観測すれば良いのです。しかし、不確定を確定する過程は何も認識できないのです。電子が確率の波として存在していることが分かっているのですが、どこにいるのかは分かりません。電子を見ようとすると、観測すれば良いのですがそのことを波束の収縮と言います。一瞬にして波が電子〈粒子〉に姿を変えるのです。そして確定した場所に現れ出るのです。しかし、波束の収縮には時間がありません。

    無限速度、つまり、光より速い速度で収束するのです。無限に早い速度というのは矛盾です。矛盾は許されないのが科学です。しかし、その矛盾をこっそりと裏口から入れているのですね。これが量子論を信用できない理由です。無限自体が矛盾なのですね。無限とは限りがないことです。無限の数とは数えることができない数です。数は数えるためのものです。それが数えられない数を持ち込んでいるのですね。数えられない無限ということは実現できないということです。実現しないということが確定できないということです。ですから不確定なのです。ところが観測すると確定できるのです。どこかおかしいと思いませんか。これが宗教なら反証できなくても信じるだけで良いのですから、成り立つかもしれませんが、科学であるなら同一律(波束の収縮)の命題は反証できなければなりません。反証できないことを証明できれば、その事(波束の収縮)が正しいとできるからです。これは排中律を利用した反証例です。

    しかし、波束の収縮は反証できないようになっています。何故なら、無限速度という反証できない命題を前提にしているからです。確率の波⇒電子という構造は示したのですが、⇒という過程は・なのですね。・は無限に0(無限に0に近い時間)です。無限に0に近い時間なんてどうして実現できるのでしょうか。止まっているというのでしょうか。それだと観測するという行為ができません。観測には時間の経過が必要だからです。

    確率の波⇒電子



    物自体⇒認識されたモノ

    と表現すれば、如何に物自体は知ることができないというのが実感できるでしょう。⇒は便宜的な記号「・」であり、実現不可能な無限速度の波束の集束なのですから観測された電子は物自体ではないし、波の影にしかすぎません。これをもってしてもカントの言う「知には限界がある」「確定できない(決定できない)」「唯物論は正しくない」ということを受け入れざるを得ないでしょう。

    物自体⇒認識されたモノ

    を更に

    超越界⇒現象界

    とする、現象の因果関係をいくら逆に辿って行っても
    あちら側、つまり超越界には行けないことが分かるでしょう。

    しかし、しかしです。こういう論理、量子論を引き合いの出しての説明はカントファンにとっては都合がよいのですが、上で述べたようにこの論理にはパラドックスがあるということです。それは波束の収束というのは反証できない命題だからです。反証できなくても良いというのは科学ではなく宗教です。量子論は科学ではない、つまり、唯物論ではないということになります。しかし、それ自体が矛盾だということです。カントだってこのような矛盾は認めないのでしょうから量子論をもってカントを援護したことにはなりません。

    不確定原理、無限速度の波束の収束という量子論を使わなくてもカントの「知性には限界がある」ことを示すことはできないのでしょうか。

    それは簡単です。物というのは電子でできています。その電子と電子の間には隙間があります。つまり、物と物とは接していないのですね。物と物が接しないのならどうして物が物自体を知ることができるでしょうか。人間は物でないと言うならその先を展開してみましょう。

    私達は光と電子を媒介して認識しています。それだけども物自体を知ることができないと言えるでしょう。直接に知る方法がないのです。現場・現実主義と言いますが、それはマクロな言い方であり、感覚的で印象的な表現であり厳密ではないのですね。現場に行って手で触ってみるとか、物を直に手に持って見ることが、物自体を知ることだと言いますが、それは嘘(パラドックス)なのです。

    脳は視床という情報発信基地によって送られた情報を大脳と巨大な編集装置によって意識=認識を組み立っていることが分かってきたのですね。テレビでMLBの試合を見ている人がどうしてアメリカのボストンの球場で見ていると言えるでしょうか。そんなことは言えないことは常識ですよね。それを敷衍していくと、アメリカのボストンの球場で見ている人でもMLBの試合を生で見ているとは言えないということです。だって、脳の中にはテレビのアンテナがあってそれで受信して見ているのですからね。直に見る、生で見るというのは言葉の綾であって、厳密には正しくないのですね。パラドックスなのですね。

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