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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2013年11月18日 18時00分45秒

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    純粋な理性がある

    純粋な理性がある
    <神の数学との共振:純粋な理性としての「空」は黙して語らず>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200506435

    純粋な理性と言うのがあるというのがカント路線です。ここから探求を続けます。脳の中で何が起きているのかを説明するのが四次元能の言語ゲームですが、その最大の課題は「空」を説明することです。しかし、空を説明するのは難題です。何もないものを説明するというのは矛盾だからです。幽霊を説明するようなものです。言葉があるのですが対象がないのです。どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。それは理性の働きがあるからです。

    空は純粋な理性が生みだした概念です。純粋とは知性と感性と言う現実認識から超越しているという意味です。カントは知性と感性に依存しなくても概念は生成できるということですが、それがどのようにして可能なのかの説明は不明です。経験によらない認識が理性だというのですから現実を超越するしかありません。概念があるのに説明できないのです。「である」の論理が使えないですね。論理と言うのは論の理です。論とは説明です。説明の理くつがないのですね。困ってしまいます。如何に私達は「である」の理に嵌っているかを思い知らされています。カントは「である」の論理を破壊したのですね。破壊しておいてその先を示していないのです。ここから先は前人未到です。精々座礁しないように心掛けて行きましょう。

    純粋理性の正体を暴くことはイデアの正体を暴くことになります。何故ならすべての現象はイデア由来だからです。理性をイデアと言ってしまっても良いのですが、それはまだ早いでしょう。理性はイデアのエージェントという言い方で止めておきます。そうすれば「黙して語らず」で止まってしまう必要がないからです。前進あるのみです。

    認識は脳の中で作られます。理性は脳の働きです。その理性はイデアのエージェントだということなら、更にその働きをミクロに見て行くことができます。そこで、既に視床はテレビの電波塔と言いました。これが理性の正体を解明する手がかりです。

    テレビ局から見ると電波塔からの電波を受信して画像を見ている人達の世界があります。この視聴者がいる世界を外部と言うことにします。脳の中とは内部と外部は反転しているのですね。視覚から見ると視聴者は脳の中にいるからですね。

    こうした内部と外部の区別は仮のものです。脳の場合も外の景色を内部と見なすこともできますから、内部外部と言うのはあくまで恣意的、相対的な表現でしかありません。脳内は頭蓋骨に囲まれているので内部というだけでそれ以上の意味はありません。情報の方向だけに注目すればよいでしょう。

    テレビの場合>
    発信者(テレビ局という内部)⇒視聴者(外部)

    脳の場合>
    発信者(認識対象になる景色などの外部)⇒視聴者(内部)

    情報の発信領域を拡大するとテレビの場合も脳と同じ構造になります。例えばテレビの情報源はライブなどまさに外ですね。それを撮影してテレビ局で放送するのですからここまでを外部と看做すことができます。そして視聴者がいる内部に向かって発信するのですね。劇場と考えると脳と同じ構造になります。

    拡大したテレビの場合>
    ライブで撮影(外部)⇒発信者(テレビ局=外部)⇒視聴者(劇場=内部)

    こうした内部と外部の反転構造はメービウスの帯構造と言いますが、後々反エントロピー宇宙論(佐野博士の仮説)では重要な且つ中心的な概念になってきますので銘記しておいてください。四次元能はクラインの壺という四次元空間構造を使って宇宙から脳までを説明しようと臨床していますので、こちらも参照してください。

    虚実の世界は繋がっている(1)
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100078148085

    同心球面対=四次元球=複素化された球=クラインの壷
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100104849765

    テレビと脳が同じ認識トポロジー(構造)になっていることを示そうとしています。脳の中には現実を超越する理性という働きがあるのですが、その理性の微細構造を明らかにしたいのです。脳では情報が外部から内部に向かって発信する、編集するという過程があるのですね。テレビの世界とは内部と外部が真逆になっていますが、これは余り気にしなくても良いと言いました。視床から見るとテレビを見る観客は内部にいるのですね。日常の世界も視聴者が劇場にいると思えば内部になりますからね。

    注目したいのは認識を構成する上で視床は単に素材を提供するだけであり、テレビ放送の例えで言うと、目がテレビカメラだとすると視床は中継車と言った方がいいかもしれません。テレビの発信塔はまだ後の方になりますね。微細構造を探求していくと間を引き延ばす作業になりますので、玉ねぎの皮を剥くように同じミクロな構造が繰り返し同じ構造が現れてくるのですね。

    従って、視床では受け取った情報は生のままですのでまだ原料にさえなっていないのです。正確に言えば、この段階では単に電気信号でしかありません。単なる電気信号が意識に変換されるのですから不思議と言えば不思議ですが、これを探求すると光とか水場の量子言語ゲームの領域の話になり理性とは程遠い話しなりますのでここで打ち切ります。この二つはどこかで交錯してくるのですが、それまでお待ちください。

    ここではカント路線で行きますのでマクロな言語ゲームとなります。いずれにしても外部から来た情報は視床で内部に向かうわけですが、そこでは知性と感性による長い編集工程があります。その行程から出来てくるのが現実認識という原料です。その原料は更に加工されて製品になりますが、当然長い編集工程があります。その工程というのが理念の作用する場であり、現実を超越する編集なのです。

    この超越の微細構造を見て行くと原料を受信、加工して発信する編集工程の連鎖と見て取れます。この微細構造を皿のミクロの見て憂きためには量子言語を使わなければできません。従って、この探求は残念ですがここで打ち切らなければならないのです。それは別途の物語となるからですね。

    しかし、マクロの理性の物語(言語ゲーム)とミクロの量子言語ゲームはシンクロしていくでしょうから、どこかで必ず交錯してきます。それがどこでどうなるのかは予定調和するのですが、言語ゲーム演じている当人(四次元能の探検者=シムハンター)は知ることができません。

    いずれにしても、理性は現実認識を原料にして超越的認識を生成するということです。その作用に悪性と良性があるという話を優先したいのですね。

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