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  • from: 生成門さん

    2013年11月19日 20時04分53秒

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    直感を論理する

    直感を論理する
    <神の数学との共振:自業自得が理業理得のことであり、リ・インカーネーション(輪廻)の数学(再帰理論)である>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200507876

    カントの理性は思考を拡大することだと言いました。それは論理的に考えるということなのでしょうか。論理と言うと論ずる理ですので知的な臭いが強いですね。弁論や議論とはまさにその典型です。しかし、知性だけでは生物らしくありません。人間は生き物ですね。ですから感覚があり直感を大事にしています。知性と感性が現実認識を生成し、それを肥やしにして理性は育つとカントは言いますし、その現実を超越するとも言います。その極限が空や神という概念です。どうも論理は知性のみの思考を理性の代表にしているように思えます。それでは不満ですね。最近では直感論理と言う論理があります。十分使える代物なのでしょうか。筋道を基本に考える知性に筋道を考えない直観が混じった論理と言うのはそれ自体矛盾していると思うのですがうまく成り立つのでしょうかね。

    ファジー論理というのはその応用例ですが、確かに勘を数値化すればある程度は論理化出来そうですね。しかし、閃きと言うのは論理で説明できるものでものないですよね。もっとも理性が現実を超越するものなら現実的認識をバネにして飛躍するのが直観論理(理性)と言えなくもありません。果たしてそこまでの論理として熟成しているのでしょうか。人工勘能とは言わないで人工知能と言っているのは全然その域には達していないということでしょうね。勘の働くロボットが存在していないのはその証拠なのでしょう。

    仮にそうであっても直観論理というのはとても気になります。東洋でしか通じない「気」について語るためにも直観+論理という組み合わせは意味がありそうですね。とりあえずは直観論理というものがどんなものかを下記を参考にして見ておきましょう。

    直観主義論理
    http://www.ne.jp/asahi/village/good/logic-intuitionistic.htm

    円周率πについて考えます。A=「πの中に7が20回連続して現れる」という場合、B=「πの中に7が19回連続して現れる」場合があります。これを記号で表現するとA⊃Bになります。これは集合のA⊃B は「AはBを含む」となります。しかし、これは論理なので「AならばBである」という意味になります。似ているのですが似て非なるものです。そこでA ➝Bと表現します。因果関係はこのような表現になります。「犯罪には動機がある」というのは常識的な表現ですが、これをA ➝Bで表現すると「もし彼が殺害したのなら動機がある」という表現になるでしょう。これは条件分であり仮定法と言われるものですね。仮定とは現実を超越しています。つまり、理性的です。従って、理性とは何かを考える上でこの直観主義論理は役に立ちそうですね。

    さて、円周率πの中に繰り返し現れるA=「7が20回」とB=「7が19回」をA⊃B (AがBを含む)と解釈すると単純に理解できるのですが、直観論理では、これをA➝B(AならばBである)、つまり、{A=「7が20回」ならばB=「7が19回」である}と読みます。透かし分かり難いですが、もし7が20回現れるならば7が19回も現れるとなり、なーんだ!当たり前だとなりますね。これのどこが直感なのでしょうね。分かり難いですね。

    面白いのはここからです。A➝Bを変形すると¬A∨Bとなります。そこで「AならBである」を¬A∨Bで表現してみましょう。この変換についてはこちらを参考にしてください。直感論理とは包含だというのですね。包含は意味を含むという意味です。ますます分からなくなってきました。

    含意(ベン図)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%8C%85%E5%90%AB


    ベン図を見た方が分かるかもしれません。〇と●は二つ重なっています。左〇がA、右●がBです。これがA→Bが¬A∨Bなのですね。図を見ると赤い部分が正しいことを言っているという意味であり、それが¬A∨Bのですね。¬は否定、∨は「或いは」と読みますから、Aでないか或いはBならばそれは正しいということです。白い部分は成り立たない論理だということです。こんなことがA→B(AならBである)という仮定法の文章から読み取れる人がいるでしょうか。

    私達は日常の会話で「もし~なら、そうするよ」なんて簡単に約束しますが、実はもっと多くの意味を含んでいるのです。それを無視して生きているのではないでしょうか。無視というより気がついていないと言った方が良いのかもしれません。だから、言った・言わないというトラブルが生じてしまい裁判沙汰や喧嘩になるのはないでしょうか。日本人は書面にする習慣がないので「書面にしろ」などと言うと「俺を信じられないのか」など白眼視しされ感情論になってしまいます。それはそれで人間関係をギクシャクさせないで滑らかにするという良い面もあるですが、それで済まないことをこの含意は示しているのですね。

    含意が直観論理だということに関しては後で論じますがベン図を見るとこの論理が単純ではないことが直感的にわかりますね。「Aである」ではなく「Aではない」という視点で見るということがポイントですね。そして付け加えると〇と●の重なり具合です。図では〇と●の重なりは一通りだけですが、全く重なっていない場合、完全に重なっている場合と言うのがあります。これをたった一言「もし~なら、そうするよ」という安易な直観で約束するから守れないことが起きて信用を失ってしまうのですね。契約書を作成したことがある人は分かると思いますが「もし~なら~する」という本文が来ましね。仮定に基づく契約なのですね。ですから後に必ず「ただし」という文が来ます。「もし~なら~する」「もしそうでないなら~する」という条件が付帯しているのですね。日常会話ではここが曖昧で契約書はここを明確にしているのですね。含意の論理は日常でも直感を補完する上で立つでしょう。

    如何に直感があやふやかということですね。ですから直感を補完する論理=直感論理なのではないでしょうか。でも直感論理が含意となって仮定法に繋がってきました。仮定は現実を超越する方法ですから理性の一面ですね。理性を探求しているこの段階では大きな成果と言えるでしょう。その直感論理がどのように現実を超越するのかを仮定法=含意(A→B≡¬A∨B)を経由してその凄さをお見せすることにします。

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