新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

サークルに参加する

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2014年08月05日 13時01分07秒

    icon

    時空の哲学

    時空の哲学
    <Sとの共振>


    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ニュートンの法則で問題にしたいのは作用反作用F1=-F2である。運動方程式はF=maだからma=-Ma'となる。M=mとするとa=-a'となって加速が同じであることになって静止状態になる。つまり単なる釣り合いの式でしかない。動いているのに動いていないという式である。
    posted at 13:38:02

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ニュートン力学は絶対時間と絶対空間を前提とする。3つの運動の法則(運動の第1法則、第2法則、第3法則)と、万有引力の法則を代表とする二体間の遠隔作用として働く力を基礎とした体系である。
    posted at 13:23:14

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    ニュートンの動的作用反作用とは何か。これは物理のテキストを検索しても出てこない法則だ。学校でも習わない。法則と言っても良いのだろうか。勝手に言っているだけかもしれない。
    posted at 13:20:28

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Sの物語の出だしはニュートンの動的作用反作用である。何故、ニュートンか、何故、動的か、何故、作用反作用か。これを解明しないと宇宙モデルにならない。これがどうして色即是空なのか、絶対矛盾自己同一なのか。
    posted at 13:16:59

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    Sの物語の出だしはニュートンの動的作用反作用である。
    posted at 12:39:12

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    宇宙モデルのプラットホームとしてノミネートされたのはS科学だ。これは全くアインシュタインや量子論とは異なる物語だ。物語には「昔々おじいさんとおばさんが住んでいました」から始まる。量子論や相対論にはそれがない。
    posted at 12:36:59

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子論を精神の世界に応用するという試みがある。これは端から矛盾している。精神世界は反エントロピーの世界だ。量子論は確率論の世界だ。どうして確率(エントロピー)が反エントロピーとなるのかだ。これは超矛盾だ。西田幾太郎でさえ怒るだろう。
    posted at 12:33:02

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    量子論は要は不確定性の理論である。不確定の海から突然物質が現われる。不連続なところから物質が飛び出す。そこに論理はない。いや確率という論理がある。だから物質でないものから物質がどうして飛び出すのかの説明ができない。
    posted at 12:30:02

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    宇宙モデルとして何が正しいのだろうか。それは反エントロピー(秩序形成)を含むことである。その為に物質的因果の連続性を超越することである。物質と精神は不連続である。しかしそれを接続しなければならない。現代物理は物質の連続の中で閉じてる。その矛盾が量子論で起きている。
    posted at 12:26:20

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    宇宙論のプラットホームを構想する上で重要な前提が一つある。それは宇宙モデルである。アインシュタインはモデルがない。光を超えないという縛りが先にあって、それを満たすモデルとして光円錐(ローレンツ変換)を持ってきた。だから光円錐が宇宙モデルである。これは発想が逆である。
    posted at 12:20:43

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    アインシュタインはv>cとしたいためにローレンツ変換を使った。もっと言えば、光円錐を持ち込んだと言って良い。
    posted at 12:17:01

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    光速度を超えない。これを前提として宇宙論を考えた。そこでまず引っ張り出したのが光円錐だ。この幾何学は光が世界を作るという発想から来たものである。この発想からローレンツ変換1/√1-(v/c)^2が導かれる。ここに強烈な縛りががる。それはv<cである。
    posted at 12:15:52

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    宇宙論を構想するために必要なことはプラットホームとなる原理だ。それは新しい時空論を齎すようなものである。アインシュタインは時空は歪むと考えた。これは素晴らしい。しかし光速度を超えないとした。これは致命的だ。この前提がすべてを台無しにした。光速度を超えないのは事実ではない。
    posted at 12:06:48

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    心臓の血液の初速度は単純に計算しても光速度を超える。だからアインシュタインの相対論は間違っている。だからビッグバンも間違っている。
    posted at 11:59:53

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    数学には劇的結果を導く力がある。しかしその前にSF的な発想がなければならない。それは宇宙観だ。宇宙は何かという発想だ。それは哲学の仕事ではない。SFや神秘主義の仕事だ。ビッグバン宇宙論はその一つである。しかしこの説は相対論から導かれる。相対論が間違っていたら捨てられる。
    posted at 11:57:52

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    色即是空・空即是色を数式で表現できるだろうか。数式で表現する効果は劇的である。それをこれから示す。数学には宗教も哲学もできえない力がある。SFが正当化できない奇想天外な世界を理屈で導く。しかし、数学はその奇想天外を支援するだけでである。数学を利用するに先だって必要なことがある。
    posted at 11:52:10

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    速度の概念を漂泊したので、次は物事が生々流転するという変化の連続性だ。物質的な因果だけなら物理の法則だけで十分だ。しかしこの世界は精神がある。そして精神と物質が相互に作用している。これを数学しなければならない。仏教では色即是空・空即是色という。これを数式で表現しなければならない。
    posted at 11:48:24

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    速度とは流れるということの物理的な表現だ。これを物臭さを漂泊するとただ流れるという述語だけになる。これを等価変換すると意識の流れに適用できる。
    posted at 11:41:13

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    速度の時空論から意識の速度が導くことができた。どこまでも時間と空間は比例関係だ。速度だけでは時間と空間の関係はどこまでも比例関係だ。ここから逸脱できない。アインシュタインの時空論を持ってきても時間が遅れるということはあってもこの関係は崩れない。
    posted at 11:38:30

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    空間=時間は唯物=唯識は現実に変化する方向に認識が流れていく関係にある。つまり、意識の流れを意味している。流れは速度で表現するとことができる。だから速度とは意識の速度である。従って意識の速度=唯物/唯識である。これを元に戻すと
    意識の速度=物事/記憶=空間/時間
    である。
    posted at 11:30:54

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    空間=時間は唯物=唯識となった。これは凄い。速度=唯物/唯識である。これはもはや速度ではない。これは現実の変化の差分を認識した変化の差分で割ったものである。それが今ここの刹那の場所では一定であるなら唯物=唯識となる。これは現実の変化する方向に認識が流れていく関係にある。
    posted at 11:26:59

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    すごい事になった。空間=時間が有=時となり事件=記憶になり、現実=認識となり唯物=唯識となった。
    posted at 11:16:52

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    事件と記憶の関係を微小(刹那)で考えると事件÷記憶は一定である。刹那の出来事との記憶の割合は一定である。記憶されたものは現実に起きた事である。これを言い換えると現実は記憶である。記憶は認識されたものである。従って、現実とは唯識である。
    posted at 11:14:35

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    記憶より多くの事件が存在するのは、忘れたか気が付かなかったというということだ。その逆は事件<記憶である。これは事件より多くを想像しているということだ。一を聞いて十を知るのだ。これはある大きな時間と空間幅での場合だ。一年とか一生とかで考えると事件と記憶の関係は変化するだろう。
    posted at 11:10:33

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    空間=時間は有時であり、有ることが記憶である。微小時間=刹那=今ここでは有事/記憶=一定である。事件が起きたこととその想起さいたことが一定だということは、同じだということだ。一定でないとするとどうなるのだろうか。有事>記憶としてみよう。記憶より多くの事件が存在することになる。
    posted at 11:05:47

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    空間=時間は集まり=時の刻みである。これは集まる物事が時を刻む。つまり集まりの情報が記憶される解釈できる。物事は有限である。従って、有=時である。有時である。有時は道元の概念だ。有る事が時だというのは分かり難い用語だった。有=記憶とすると道元の暗号が解けるかも知れない。
    posted at 10:50:18

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    速度一定から時間=空間が導かれる。速度=空間/時間を物理イメージから漂白して見よう。だいたい速度という言葉からして物理的だ。空間が集まりなら時間はその刻印である。刻印とは時の刻みを記すことである。つまり、集まり=刻印である。刻印とは情報である。従って、時間は情報である。
    posted at 10:45:08

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    速度は物理概念だ。だから速度から物語ると唯物論になる。これを漂泊して於こう。速度一定で時間=空間となる。時間と空間は物理量ではない。心の時間もあるし、心の空間もある。数学では空間とは集合の事だ。抽象空間というのまである。好きとか嫌いという傾向を分布するとそれは立派な空間だ。
    posted at 10:37:08

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    時空論は数学で語られなければならない。何故なら説明可能性が必要だからだ。時空とは時間と空間だ。この二つの関係を端的に示すのは速度だ。速度=空間÷時間である。空間を距離と置換すると距離÷時間である。そして微小時間と空間では速度は一定だから時間=空間となる。これは常識と合致する。
    posted at 10:32:20

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    時空論のない哲学はいくら精神を思弁したところで蜃気楼のようなものだ。時空は数学で語られなければならない。それを示してみよう。自然言語では同義反復するからSF的な劇的展開ができない。一方でSFは論理の飛躍があり過ぎて始末が悪い。思考は自由自在だがある程度縛りがないといけない。
    posted at 10:27:36

    4月21日@fractaleman68
    森のように深い@fractaleman68
    光速度を超える超超速度(623倍)が存在する。それだけでアインシュタインの相対性は間違っている。しかも、それは宇宙の彼方の話はない。我々の心臓の中の話だ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件