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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2015年01月31日 16時14分38秒

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    ベクトルは座標に持ってこられて初めてベクトルとなる。言語ゲームは意識のベクトルを駆動させる。そしてその言語ゲームは事実(感性)と真実(知性)と真理(理性)の言語ゲームを織りなす。

    生命は生きているだけではない。言語(記号)ゲームをするのが生命である。バクテリアだって言語ゲームをしているのである。言語ゲームと言うと言葉を使って話すというイメージが強いからバクテリアが言語ゲームをしていると言うと抵抗があるかもしれない。それを記号ゲームと言うと抵抗が少なくなるだろう。しかし、それをゲームと言うとまだ抵抗があるかも知れない。ゲームを過程と言えば更に抵抗が少なくなるだろう。

    記号過程は生命の生成の根幹なのである。バクテリアは塩分濃度を感知してそこから離散するのである。そこには感性と知性がある。理性はないのだろうか。それがあるのである。

    感性・知性・理性は生成の三項(起源・規範・変化)である。何故なら、塩分濃度を感知するのは感性であり、その濃度勾配を計算するのは知性であり、危険と判断するのは論理であり、理性的判断である。

    理性は人間だけのものというのは身びいきである。確かに人間の理性は高尚であると言うのは正しいかもしれない。しかし、どんな生命にもそれなりの理性はあるのである。

    言語ゲームという視点を入れることに意識を量子化する上でどんなメリットがあるのだろうか。生成の三項を感性・知性・理性としたので言語ゲームには感性・知性・理性の三つのタイプがあると看做すことができる。

    感性とは芸術が依拠する言語ゲームである。知性は科学、理性は哲学や倫理や宗教である。感性は事実をどう表現するか、知性は真実の認識をどうするか、理性は真理にどう接近するかに貢献する。

    日常会話では事実と真実と真理は混同されることが多い。この際だから、四次元能らしい定義をしておこう。言い換えると事実と真実と真理を語る言語ゲームはどう違うのだろうかということである。

    事実を語る言語ゲームとは、現実に起きた事を表現することである。事件と言った方が分かり易い。事実=事件は場所と時間が特定される。具体的な事柄がなければならない。極めて外在的である。その事件を目撃する。まだ言語ゲームは開始されていない。アッ!と思っただけではまだ開始ではない。

    私的言語は言語ゲームではない。確かに意識はあるだろう。しかし、原点⇒意味ではない。今ここで起きている事がなにであるかを自己認識しなければまだ言語ゲームは始まっていない。意識は志向されなければならないのである。志向されて意味が生成されるのである。

    意識の原点⇒?ではまだ意識が生成されたたとは言えない。間欠泉は完結しなければならない。原点⇒意味となってベクトルとしての言語ゲームが成り立つ。ベクトルは囲碁の石(意思)のようなものである。石が碁笥に入れられているうちはまだ石には意思がない。ベクトルは座標に置かれて初めてベクトルとなる。ポストイットの記入さて紙に貼られて意味が生まれのである。

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