新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

チャットに入る

サークルに参加する

ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 生成門さん

    2016年01月11日 09時30分23秒

    icon

    宇宙の真理は離散値の世界だということ。

    宇宙の真理とは何か。真実が真理とは限らない。真実とは解釈が入ったものである。プラトンは言った。人間は洞窟に映っているものを真実だと思い込んでいる。本当の真実
    =真理は洞窟の外にある。仏さまも言った。この世界は夢幻だと。具体的に何を言ったのだろうか。

    この世界とは現象した生成流転の世界である。物質の世界、生命の世界、精神の世界がそうである。その世界の根源にあるのは連続か不連続かということである。映像を見る限り連続であるように見える。しかし、その内実は細切れの静止画があってそれを動かすから連続しているように見えるだけである。錯覚なのである。人間の脳は自動補正するようになっている。ギザギザなものを見ても滑らかにしてしまうのである。

    真実とは感覚によってとらえたものを脳が勝手に補正解釈して、それが真実だと思い込ませるように仕組んでいるのである。真理はその裏にある。音にはアナログとデジタルがある。アナログの方が心地が良い。CDはデジタルであり人工的である。最近はデジタル音楽もかなりアナログに近くなってきている。このような現実=事実からアナログ=自然=真実=真理と思ってしまう。しかし、それは錯覚である。思い込みである。脳のなせる技なのである。

    脳は進化した。だから進化した人間の脳が考えたことはすべて宇宙の真理を現実に反映していると思いがちである。アナログ=連続、デジタル=離散(不連続)だという解釈がなされるのである。微分方程式は世界を反映した理想の姿である。数値計算はその近似でしかない。理想と現実という評価が生まれる。そして理想こそ真理だという錯覚がうまれる。目の前の現実は仮の姿であって、真の姿ではない。近似であるということになる。これは一見プラトンの洞窟を反映しているように見えるかもしれない。現実は仮の姿であり、理想は外にあると考えるなら、まさにその通りである。しかし、真理はその逆である。微分を理想の姿と考えるのは洞窟の中の脳がそう考えているのである。理想こそが錯覚している現実なのである。その現実の外に本当の真実=真理=離散値=デジタルの世界があるのである。

    デジタル音楽は人工的だから理想ではないし、真理でもないというのは理想=イデア=アナログ=自然、現実=デジタル=近似と考えてしまうのは脳の仕業なのである。アナログはイデアの現れなどではない。イデアはもともとデジタル=離散値なのである。自然な音はアナログだと思っているのは錯覚であって、そのアナログでさえ離散値なのである。離散値としてのアナログを連続として認識してしまうのは脳の解釈なのである。

    従って、微分方程式はイデアの顕現などではなく人間の観念が作り出した理想なのである。離散値による数値計算の世界こそが真理なのである。そう強弁するのは単なる独断と偏見ではないのかという反論が想像できる。それに答えておこう。


    この世界の真理としての真実は離散値であるという動かぬ証拠がある。それはエネルギーは周波数によって決まるという現実である。これは解釈が入っていない事実である。

    プランクの法則
    http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity300.html
    E=hv

    この式はエネルギーが離散値(とびとび)であり、その最小値があるということを示す式である。エネルギーには最小単位があるというにはわかりにくいが、こちらの説明がわかりやすい。

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10140134195;_ylt=A2RishtL8ZJWI0oAV4_jaAB8?pos=1&ccode=ofv

    エネルギーは宇宙の根源的実在である。そのエネルギーが離散値しか取れないというのは宇宙が離散値の世界だということを物語っている。


    2016年01月10日(日)27 tweetssource

    9時間前

    森のように深い@fractaleman68
    追跡型と待ち伏せ型の両方を選択することはできないのだろうか。力学をベースとする確率を捨てた量子論(相対論)である。それがS科学である。それを可能とする力学は何とニュートンの作用反作用にあった。
    posted at 21:11:42

    9時間前

    森のように深い@fractaleman68
    全知を求めると待ち伏せ型=場型となるが確率的になる。追跡型で全知を求めるとアメダス型になるが完全ではない。これが量子論(相対論)を選択するか、古典力学を選択するかの分岐点となる。当然、科学は量子論を選択した。
    posted at 21:09:25

    10時間前

    森のように深い@fractaleman68
    現実の問題として追跡型は莫大なコストがかかる。個人情報の背番号制はその典型である。マーケティングでは待ち伏せ型(定点観測)が当然である。インターネット時代は個客管理と称して個を追跡する傾向があるがまだまだである。
    posted at 20:29:45

    10時間前

    森のように深い@fractaleman68
    定点観測と追跡の違いが場の理論と力の学との違いとなる。しかしこれは人間の基本的思考パターンである。天気予報に於いてはアメダスの追跡型が主流であるが原始時代から場型が主だった。今日の山にかかる雲の様子から明日は雨だなと予想したのである。それが量子論では確率になったのである。
    posted at 20:24:20

    12時間前

    森のように深い@fractaleman68
    力と場の理論の違いは何か。それは攻めと守りの違いである。犯罪捜査に現れる。容疑者を追うのが力の捜査である。待ち伏せするのが守りである。ネズミ捕りである。漁にたとえれば一本釣りが力であり、生け簀や定置網が場である。天気予報ではアメダスが力であり、定点観測が場である。
    posted at 17:45:27

    13時間前

    森のように深い@fractaleman68
    動的作用反作用:F1v1=-F2v2をF=-Fとしたことがボタンの掛け違いである。速度を無視したのである。相対論も量子論も力を捨て場の理論にシフトした。その結果、霊魂も捨てた。Fv=1には霊魂が隠れている。
    posted at 17:35:00

    14時間前

    森のように深い@fractaleman68
    ここまでくると微分=観念=理想=イデア=美人局である。こうなってしまったのはなぜだろうか。
    posted at 16:27:56

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    微分はイデア=理想なのだろうか。
    posted at 15:41:13

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    微分=イデア=観念=理想とすると微分に軍配が上がる。宇宙の真理は微分であり、数値計算はその手段に過ぎない。これを製品と部品に応用すると製品のイデア(設計図)があり、部品の構成されたものはその近似ということになる。
    posted at 15:38:16

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    理想が真理で現実が近似=虚構と考えるかその逆と考えるかである。少なくとも微分に於いては微分が理想=真実で現実が近似=虚構と考える。この言い方は仏教の現実は夢幻を思い出す。プラトンの洞窟もそうである。プラトンや仏教は微分を支持しているのだろうか。
    posted at 15:28:58

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    dy/dxとΔy/Δxの違いは何か。dy/dxではΔxを限りなく0にできる。しかし、数値計算ではそれはできない。コンピュータを使えばかなりできるがそれでも限界がある。それが現実である。そこでdy/dxを理想Δy/Δxを現実と考える。理想と現実のギャップはとても大きい。
    posted at 15:23:30

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    微分と数値計算の関係を考えてみよう。微分方程式は世界の表現である。これを解くためには積分しなければならない。そのためには数値で計算しなければならない。微分はdy/dx=lim(Δx→0)Δy/Δxだから刻みをいかに小さくするが勝負である。dy/dxとΔy/Δxの違いが出る。
    posted at 15:18:02

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    科学が観念主義というのは前代未聞だろう。科学は常識では唯物論である。
    posted at 15:06:53

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    物の怪とは物に気があるとする考えである。それを科学するとどうなるのだろうか。霊とか魂を語るときに科学的視点から語るのは物に還元することだから、間違いであるというのが常識である。確かに医学がそうである。その原因はどこにあるのだろうか。それは科学が観念主義だからである。
    posted at 15:06:02

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    宇宙の真理が多項式にあるというヒントが見つかった。
    posted at 14:56:17

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    脳の錯覚に付き合わずに真理を探そう。
    posted at 14:53:29

    15時間前

    森のように深い@fractaleman68
    人間は錯覚する動物である。脳の中にそのように解釈させる機能があるのかもしれない。テレビの画面はビット表現だから離散値である。しかし、映像を見るとなめらかできれいに見える。脳はそういうものかもしれない。
    posted at 14:49:33

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    指数関数などが発見された後でテイラー展開が発見されたでので、多項式は近似という位置に格下げされてしまったのである。しかし本当は逆であって多項式的世界が先にあったのである。人間はそれを後で発見しただけなのである。だから関数が先であると錯覚したのである。
    posted at 14:42:42

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    進化とは低から高である。それは数学でも同じだろう。数学は精神の進化だからである。従って多項式が低であって指数関数などは高である。とすると関数の近似が多項式というのは間違いである。宇宙は多項式の仕組みがあってそれが人間によって関数として認識されたのである。
    posted at 14:35:56

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    初等関数の近似が多項式だとすると本質は関数だということになる。しかしそうだろうか。製品=Σ部品とすると部品が本質である。部品がなければ製品は存在しない。これは進化でも同じだ。しかし、部品に還元すれば、製品(生命)の本質が失われる。この壁を乗り越えないといけない。
    posted at 14:30:07

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    多項式以外の初等関数をテイラー展開すると多項式に還元できる。多項式は無限の級数である。その例がe^x=1+x+x^2/2+x^3/3!+..である。ここに宇宙の謎が隠れている。e^x=1とするとx=ln1=0である。なるほど。多項式が近似なのだ。しかしそうだろうか。
    posted at 14:15:03

    16時間前

    森のように深い@fractaleman68
    初等関数(三角関数、指数関数など)が多項式で表現できるということの意味を考えてみよう。極論すれば、三角関数は製品で多項式は部品表である。生命が関数であり、その構成が多項式である。こうした表現は還元主義というそしりを受けるが、今は甘んじておこう。
    posted at 14:04:24

    17時間前

    森のように深い@fractaleman68
    多項式が宇宙の真理であることをどう説明するか。指数関数をテイラー展開するとe^x=1+x+x^2/2+x^3/3!+..
    である。この展開をどう見るかである。これは指数関数は多項式に還元できるという意味である。つまり、指数関数で表現される現象は多項式で表現できるということである。
    posted at 13:44:21

    17時間前

    森のように深い@fractaleman68
    宇宙の真理を探究するために多項式に注目する。何故なら、多項式が宇宙の真理だからである。何故そんなことが言えるのかである。テイラー展開というのがある。これは関数を多項式に変換する数学的トリックである。トリックというには失礼かもしれない。華麗なテクニックである。
    posted at 13:14:46

    18時間前

    森のように深い@fractaleman68
    動的作用反作用はF1v1=-F2v2であり、ニュートンの作用反作用はF=-Fである。速度がないので動いていない状態である。だから静的である。反作用は作用に対する反応だから同時ではない。だから正確にはF1=-F1である。原因⇒結果である。しかも因果が続く。
    posted at 12:25:58

    18時間前

    森のように深い@fractaleman68
    予測に確率を持ち込むことは美人局にひっかかったということである。確率論が数学として誤った数学である事は佐野氏によって明らかとなった。
    http://ameblo.jp/allahakbar231/ntry-11092386459.html...
    S科学では動的作用反作用が基本の命題である。宇宙の真理である。何故、動的というのだろうか。
    posted at 12:20:36

    20時間前

    森のように深い@fractaleman68
    多様体の手法(思いを表現するHP) http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-373html...
    posted at 10:33:56

    2016年01月09日(土)18 tweetssource

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件