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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2018年07月07日 19時09分29秒

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    ミニモニの可能性 (M=メビウス)

    ミニモニの可能性

    ニヒリスティックな世界洞察の下での絶対的肯定を自ら体現することである。さてどうするか。


    ミニモニ無価値な世界を生きる術を徹底的に考え抜いてみよう。しかし、それを実践するのは生易しいことではない。だからこそミニモニが有効なのである。この歌を聴く人にM回帰を自然に吹き込むことによって現代は救われているのである。

    ミニモニこれまでは神の名のもとに統一を保っていた価値体系が神観念の喪失と共に崩壊し、個々の価値基準がそれぞれ独立して存するようになってしまったのである。そのため、現代を生きる我々には本当に大切なものが何なのかわからない。だから、求められるのはM回帰なのである。


    ミニモニ現代においては価値が多様化している。これは神は死んだと表される様に、絶対的価値の喪失によるものである。つまり、価値が多様化したというよりは、価値体系が統一を失ったと言った方がよい。


    ぐるぐる回ってハイ、ポーズ。ニヒリズムを徹底化するとメビウス循環=Mebius漸化的回帰である。ミニモニにはM回帰の歌である。M回帰とは、ありとあらゆる出来事が同じ様に、同じ順番で永遠に繰り返されるという世界観である。


    ミニモニは徹底的ニヒリズムの到達しうるかぎりの最高の肯定の音楽である。ニヒリズムは世界否定的態度ではなく世界肯定的態度である。だからこそミニモニ。ジャンケンぴょん!は無意味な世界を楽しんでいるのである。


    ミニモニジュースを買出しに行く人を決めるためにジャンケンをするならば、ジュースを買う必要がなくなったときにジャンケンの価値は消滅する。しかし、無意味なジャンケンはそれ自体で成立するジャンケンであり、絶対的に肯定されるジャンケンである。


    ミニモニニヒリズムの克服は、自ら無意味を引き受ける態度によって達成されるのである。この態度とは、楽しげに無意味なジャンケンをすることである。意味が無いのに敢えてジャンケンをするならば、そのジャンケンの価値が剥奪されることはなくなる。


    ミニモニの無意味さはニヒリズムである。世界の無意味性、無価値性を洞察した歌なのである。ここで着目すべきことは、こうした世界の無意味さが「楽しげに」歌われているということである。人間は自らの生の無意味さに直面したときに如何にして生きうるのだろうか。


    ミニモニはジャンケンぴょんとありながら、全体としてジャンケンのことなど述べていない。この曲のテーマはジャンケンではない。一番大切なのはパーでもグーでもチョキでもない。何の意味もないのにジャンケンをするということ、楽しげに無意味なジャンケンをすることに意味があるのである。


    ミニモニミニモニ。ジャンケンぴょん!は真に重要なものを求めたり、示そうとしたりはしていない。むしろ、大事なことなど何もないということを示しているのである。


    ミニモニとリゾームミニモニの曲の詞はそれぞれが独立して意味を持っている。しかし、全体として統一した内容を持たない。個々の文をみていけば、それぞれがそこで完結する意味がある。しかし、それらが集まった途端に意味を為さなくなってしまう。それは何故だろうか。


    ミニモニとリゾームミニモニには終始一貫して述べている内容がない。曲のリズムやメロディーから理解されうるような全体としての曲の意味などない。ミニモニ。ジャンケンぴょん!は詞に依らなければ内容把握されえないのである。


    ミニモニ踊って歌うことによって音楽と一体になり、根源的一者と合一するのである。


    ミニモニ踊ろう騒ごう。歌おう騒ごう。これはディオニュソス的陶酔への意向を示している。踊って騒ぐ・歌って騒ぐとはまさに古代ギリシアのディオニュソス祭そのものである。


    ミニモニ音楽は世界の根源を混沌(カオス)として理解させる。ミニモニ。ジャンケンぴょん!は「ぱっぱっぱっぱっ」や「わっちゃわちゃちゃ」という具体的な言表内容を持たない言葉がある。これらはディオニュソス的合一の対象であるカオスの表現である。


    ミニモニ音楽は我々を本来あるべきたった一つの世界に至らしめるのである。この根源的一者とは、我々には認識不可能な何かである。何故なら、根源的一者は解体不可能であるために、理解するための要素へと還元することができないからである。音楽と一体になり、根源的一者と合一するに至るのである。
    04-21 16:00

    ミニモニ世界とは何か。その全体像はわからない。しかし、とにかく世界は一つである。我々はその世界の中に線を引き自他を成立せしめている。この区別することが苦痛の根源である。聖書ではこれを禁断の実を食べた罪と言う。


    ミニモニ音楽の陶酔することは自身が音楽そのものとなり、そこには自他の区別は消滅している。こうして音楽によるディオニュソス的陶酔がもたらすものは、根源的一者との合一となる。世界は本来一つなのである。


    ミニモニ。ディオニュソス的芸術とは形をもたないもの、つまり、音楽である。音楽は形を持たない。だから生きることの苦の原因というべき個体化の原理を取り除くことができる。


    ミニモニ。アポロ的芸術とは、絵画や彫刻などの様に形象を持つ芸術である。この芸術はその壮麗さによって真の世界を呈示し、人間的生の困難さを隠蔽することによって生を生き得るものとした。


    ミニモニ。ジャンケンぴょん!これを理解することが聖書を理解することができる。ポモを理解する手がかりでもある。


    人間的生は根源的に苦痛に満ちている。聖書はこれを原罪と言っている。だから分かり難くなる。その苦悩を解消するために古代のギリシア人は芸術を用いた。古代ギリシアにおいて芸術を司る神は、アポロンとディオニュソスの二神であった。


    ミニモニ。ジャンケンぴょん!ポモの象徴的音楽これを解体するとポモの内実が見えてくる。

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