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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

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  • from: 生成門さん

    2008年08月30日 17時15分26秒

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    瞑想を支援する「シムダイアグラム」(2)

    瞑想を支援する「シムダイアグラム」(2)
    <補完共振>

    四次元能では、瞑想を支援するツールを用意しました。それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索を基軸とする方法です。これが瞑想を支援するツール「シムダイアグラム」です。シムダイアグラムとは、検索を中心としたインターネット禅の瞑想法です。

    「右脳優位のシムピープル」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072426209

    シムダイアグラムをインターネット禅の於ける瞑想と呼ぶ理由は、右脳優位=瞑想=検索だからです。禅に於いては瞑想が悟りの手段ですが、四次元脳ではシムダイアグラムが悟りの手段です。ただシムダイアグラムですべてということではありません。瞑想を支援するといいましたように、インターネット禅の瞑想と禅の瞑想の両方を駆使します。

    普通、禅といえば座禅です。インターネット禅では、パソコンの前に座るということになるでしょう。でも、どうしてパソコンの前に座ったぐらいでインターネット禅と禅が同じだといえるのでしょうか。「四次元時空体とはクリック観音様」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/message
    以下引用。

    シムダイアグラムによる思考は次のようにイメージできるでしょう。パソコンの画面はマルチウインドウになっていて、クリックした経歴がそのまま雑多にディスクトップやブラウザの履歴に残っています。すべてがそこに平行してあるのです。このハイパーリンクとクリックと検索し、経歴巡りを見るという行為が脳を編集することになるのです。つまり四次元脳への転換を実現するのがシムダイアグラムなのです。

    シムダイアグラムは、パソコンからインターネットにアクセスしてクリックして、検索して、Webを渡り歩き履歴を配置して巡るという振舞と述語的に同じです。シムダイアグラム法は右脳優位の思考ですが左脳と連係するのです。これは、実は禅の瞑想と同じ構造なのです。ですから、座禅は必要がないといったのです。

    実際のパソコンで操作では、検索し、Webリンクしてクリックしたものを配列して観るのです。観音のかわりにクリックするのです。クリックによって右脳優位の左脳劣位に転換し、二つを連係させるのです。述語思考のようにリンクして、その経歴を観るのです。これは禅の瞑想と同じ思考です。実際にパソコンで操作しているときは、パソコンと自分と机と部屋とインターネットとWebは一体となっていて、本人は一如となって無我状態となっているはずです。

    これが仏=四次元時空体になっている姿であるといったのでは、余りにも仏を貶めているでしょうか。そうではないことを示したいと思います。リンク、検索、経歴を見るという行為はクリック観音なのです。禅の瞑想では音から入るでしょう。読経のときに木魚を叩くのはというのは、音が重要な要素だったのでしょう。音により右脳が優位となったところで、パソコンの画面のように、いろいろなイメージが出てくるでしょう。それはマルチウィンドウになっていて切り替え自由と同じです。述語に気を向けると、まるでクリック検索したように他の主語に飛ぶのです。その経歴がそのまま雑多に脳のディスクトップやブラウザに履歴として残るのです。すべてがそこに共にあるのです。この経歴を見るというのが音からスタート(クリック)したので観音(検索)というのです。
    ―――
    インターネットは脳の延長です。検索の行為そのものが述語思考です。それは条件絞りにその特徴が現れます。検索するのは目的があるからです。その目的は例えば「毒のある花」とします。その結果がaとbとします。「毒のある」が検索条件=述語です。花aと花bが主語です。ここからa=bとなります。このように検索というのは述語の思考が無意識に働いているのです。こうして脳にa=bが記憶されたことになります。検索は脳を編集したのです。ですから検索とは編集なのです。

    このことからGoogleによって、あるいはWeb2.0によってインターネットは禅のような述語論理の思考を実現させてくれる可能性が見えてきたのです。
    Googleを持ち上げるのは検閲問題があるので問題があるかも知れません。しかし、それを差し引いても新しい精神を人類にもたらす契機を作ったことは評価の値します。単にGoogleが新しい画期的なビジネスモデルを開発したというのでないことを記憶しておきましょう。左脳を駆使するビジネスモデルではなく、人間精神変革モデル、いや、右脳を刺激する四次元時空体モデルといっても良いと思うのです。たかが検索と侮ってはいけないのです。Googleの作るデータベースは人間の無意識に相当するのです。集合無意識に相当するといってもいいでしょう。そして、それは加速度的に増大していくのでしょう。集合意識というのは人類の共通の情報を共有しているというユングの概念です。仏教でも阿頼耶識という無意識があるといいます。そこには過去のすべてが蓄積されているのです。やや、無理がある仮説ですが分子生物学がなかった時代、遺伝子の理解がなかった時にこれだけの妄想(仮説)が出来たというのはすごいことです。注目しなければならないのは、集合無意識、阿頼耶識という無意識がインターネットに出現したということです。Googleはそれを狙っているのです。まさに、人間はこれまでに数々の自分の延長物を作ってきました。足の延長が車、鉄道、飛行機です。目の延長がハッブル望遠鏡、人工衛星「かぐや」です。脳の延長がインターネットなのです。そして無意識の延長がGoogleなのです。人口探査機「かぐや」がもたらすのは遠い月の表面の情報だけです。Googleが持たらすのは述語思考と編集と記憶です。瞑想とは無意識の原形(エネルギー)を取り出すことです。それに必要なものは述語思考と編集と実際の体験した記憶です。瞑想するものに人生経験がなかったりすれば原形と記憶を結び付ける材料がないので底の浅い悟りにならざるを得ないでしょう。また、従来の禅では述語思考と編集とに関係が明らかでない迷走瞑想術であり、悟りに何年もかかるのです。結局、殆どの人が悟れないで頓挫してしまうのだろうと思います。インターネット禅は悟りの時間短縮を補うのです。そのために無意識の原形(エネルギー)を取り出すための情報と述語思考と編集の方法を支援するのです。

    ここがポイントです。インターネット禅は自我を解体し右脳優位にさせる瞑想支援システムなのです。だからこそ、西洋文明という左脳の文明の暴走を抑える切り札になるのです。これがインターネット禅という概念を持ち出した根拠なのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年08月30日 17時14分16秒

    icon

    瞑想を支援するシムダイアグラム(1)

    瞑想を支援するシムダイアグラム(1)
    <補完共振>

    右脳優位になるにはいろいろな方法があります。即席には音楽を聞くことです。要するに何事かに熱中することです。ただ、それらは底が浅く、一過性という問題があるでしょう。禅では瞑想に耽ることが悟りへの前提となります。単に瞑想に耽るといっても白昼夢ではないのです。即非思考(考えよ、考えるな)という難しいという問題があります。そこで四次元能では、この問題をクリアしてシムピープル=四次元時空体になるための瞑想を支援するツールを用意しました。それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索を基軸とする方法です。この方法には検索は瞑想であるとする基本的な考えがあります。この秘術はピカソや述語論理からヒントを得たものです。即非思考というのは禅の基本であり、述語論理と同様の思考です。四次元能は脳の中の能ですから、四次元脳の変身することを脳の編集と呼んでいます。ですから、瞑想は脳の編集なのです。脳の編集とは四次元脳への変身ですが、そこには即非思考=述語論理=右脳優位(左脳を捨てる訳ではない)という構図があります。右脳優位への転換こそが最大の課題なのです。左脳優位の文明を生成した文化的精神装置の中にいる私達のとっては右脳優位に変身するというのは他人によって強制される洗脳よりもはるかに困難な精神革命でしょう。仏教の世界でも、かなりの修行をしなければ悟りは得られないとされています。そのために仏教は二つの道を選択したのです。一つは難しい修行は専門家である修行僧に任せて俗人は在家といいとする道です。要するに悟りのエージェントの仕組みです。もう一つは自らが難行苦行をして悟らなければならないとする道です。禅は後者ということになるでしょう。結局は、そのどちらも現代においては文明の力の元である文化的精神装置(欲望の過剰生産装置)に敗北して末法化しました。欲望生産装置としての文明を参照してください。
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-3.html

    道元の悟り(1、2、3、4)を参照してください。
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-60.html
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-60.html
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-65.html
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-65.html

    それにもかかわらず禅を取り上げているのは道元の存在が大きいからです。道元は荒行を否定して、悟りの基本である即非思考=色即是空・空即是色を受け継ぎ、そのための方法として瞑想に基本を置いたからです。問題は即非思考が難しいということだけです。即非思考が何故難しいのかは、これまでも何度もお話しました。起死回生の思考(1,2)を参照してください。
    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-61.html

    http://synmdance.blog94.fc2.com/blog-entry-62.html

    四次元能は、この問題に取り組んでいます。先ず、四次元能では、悟りは四次元の世界のことであり、即非思考とは述語思考であると仮説を立てています。そこで道元の宇宙観を頼りにして、ティトムの四次元イメージと道元を共振・共生させようとしているのです。

    問題は即非的思考の瞑想です。この瞑想をどう考えるのかです。瞑想とは述語的思考であるとすると仏教上のすべての難題を解決することできます。難しいとされる禅問答も氷解してしまいます。述語的思考とはスキゾの思考ですからそうしたモデルを駆使できます。また、述語的思考は四次元思考であるとすると、これまた先端の量子論と宇宙論の知見が役に立ちます。こうして道元とティトムとのシムダンスの舞が始まったのです。

    瞑想とは脳の編集であるといいました。脳の編集とはパラノからスキゾへの変換なのです。主語論理から述語論理にシフトすれば悟りを得たことになるというわけです。四次元能では、さらに述語的に発想を飛躍させます。述語的世界は複数の世界が平行して存在しますから、パラレルヮールドなのです。超人シムピープルとパラレルワールド(1)を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070457711

    瞑想するということは四次元の述語的世界に踏み込むということです。そしてパラノからスキゾへ、主語論理から述語論理に、左脳優位から右脳優位にシフトすればいいのです。そのようにすることが脳の編集なのです。そのように脳を編集するにはどういう方法があるのでしょうか。述語的世界とは四次元であるといいました。ということは脳を四次元に編集すると言うことです。「4次元を編集する」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072027278
    「アートは宇宙を編集するか」を参照してください。


    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070693453
    ここでいうアートとは述語的芸術です。述語的芸術とはどんなものでしょうか。言うまでもなくピカソに代表されるパラレルワールドの世界演出です。清濁合わせの老荘思想、故黒川紀章氏の共生の思想、西田幾太郎の場所の哲学、岡本太郎の作品、漂流の画家山下清の作品、渥美清が演じた寅さんの「男はつらいよ」などがスキゾ風=シムピープル風アートに該当するでしょう。
    では、具体的にどうすればよいのでしょうか。山下清や寅さんのように漂流すればいいのでしょうか。そうではないでしょう。彼らには四次元という視点がないのです。ポストモダンがそうであったように、四次元という視点が欠けているのです。四次元という視点が欠けているために、現実の不条理から抜け出すためには漂流とか逃走という方法しか見出せていないのです。ポストモダンでさえそうでした。しかし、どこに逃走しようが、仙人になって山深いところに行こうが、そこは三次元の世界なのです。定年後の田舎暮らしや東南アジアでの生活が人気ですが、そこは天国なんかではありません。将来宇宙旅行が可能になって遠い宇宙に行けたとしても、そこは、やはり三次元の世界なのです。私達の世界は三次元なのです(空→色)。しかし、四次元という視点をもてば、世界は突然変わっていきます。私達の世界は四次元なのです(空→色→空)。どこにいてもそこは四次元なのですから、もう漂流も逃走もする必要がないのです。まして競争する必要はないのです。私達はすでに四次元時空体なのです。

    「四次元時空体とはクリック観音様」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072376382

    「仏とは四次元時空体(1,2,3、4)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003357
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003417
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072004584
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072004861

    さて、そうなる如何にして三次元に居ながらにして四次元時空体になるかということです。三次元というのは空間(縦横高)の対する認識です。それに時間を加えて四次元としています。ただし、これは擬似四次元です。真正の四次元は時間と空間が分離していない時空です。これが真正の四次元です。擬似四次元は、時間を別物として扱いますので三次元といってよいでしょう。この三次元の認識は物質世界の意識です。精神は三次元の枠組みから省かれています。では精神とは何でしょうか。物質世界と非物質世界があることになります。これまで科学は精神を扱ってきませんでした。しかし考えてみれば不思議なことです。科学的思考は精神の作用です。その科学が物質だけを扱い精神を除外しているのはどうもおかしいとしかいえません。ところが、量子論になると精神が物質世界に関与していることが分かってきたのです。いよいよ精神と物質の融合が始まったのです。量子論を持ち出すまでもなく仏教では、初めからこの世界には実体などはなくすべては虚構であると言い放っていたのです。これは色即是空・空即是色と表現されます。この考えは四次元能も同じです。すべては解釈であるといういい方がそれです。ですから悟りとは、この宇宙観を自覚することであり、そのために修行するということになるのです。悟りの宇宙観とは色即是空・空即是色のことであり、四次元であるということです。これをどう考えたらよいのでしょうか。既にこれは仏=四次元時空体(2)で示しました。以下を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072003417
    以下引用しました。

    本当の悟りとは、本悟=大極=四次元時空体<色(陽優位)⇔空>となり、元に戻らない歯止めが効くことです。つまり、悟りの状態を維持することです。それが元の木阿弥になってしまうのは、色(陰優位)→空→色(陽優位)を、色(陰優位)→(空)→色(陽優位)としてしまうからです。空が抜かれるのです。これを迷いから悟りへの空抜き=通時的変化と捉えてしまうベクトル意識=三次元意識=自我同一性なのです。悟りへの空抜きをしないためには、中間多様体=四次元時空体=平行世界、述語的世界=陰陽クラインの壷であることを自覚しなければなりません。要するに悟りとは述語的思考です。それが本悟=大極=四次元時空体<色(陽優位)⇔空>の空を抜かない四次元時空体になる仏の道なのです。即身成仏(そのままで仏になる)、衆生本来仏(人間は本来仏である)とは、四次元時空体=中間多様体=述語的思考のことなのです。
    ―――
    これで明確になったことは、悟りが得られないのは色→空→色のサイクルで空が抜かれるからです。これを迷いから悟りへの空抜きといいます。その原因は三次元意識=自我同一性であるというところです。色→空→色のサイクルで空を抜かないことが悟りへの唯一つの道なのです。それにはどうすれば良いのでしょうか。私達は色→色という仮想世界を現実と錯覚して慌しく生きています。ここに空という四次元を挿入するのです。空という認識は、この世はすべて解釈であるという悟りであり、物質と精神世界を融合する述語的即非の思考です。禅ではこれを心身脱落といい、座禅瞑想によって可能であるといいました。しかし、既に述べましたように、他の方法と同じように座禅は現代では成功していません。その理由は空が四次元であるという視点がなかったからです。禅問答は四次元的であるのもかかわらず、ただ、支離滅裂の隠喩の使われるぐらいに貶められています。瞑想の本質が見えていなかったからだとしかいえません。瞑想の本質がわかれば座禅やヨガ、荒行など必要がないのです。それでは瞑想の本質とは何でしょうか。いうまでもなくそれは述語的即非の右脳優位の思考です。ここで話が最初に戻りました。四次元能では、瞑想を支援するツールを用意しました。それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索を基軸とする方法です。これが瞑想支援ツール「シムダイアグラム」なのです。
    続く。

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    sei

  • from: 生成門さん

    2008年08月30日 08時04分03秒

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    シム方程式による世界解釈(4)

    シム方程式による世界解釈(4)
    <補完共振>

    シムピープルはシム方程式によって世界をどんように解釈するのでしょうか。人間は次元低下したのですが、本来は四次元人間です。しかし、四次元のイメージがまだ明確ではないので四次元という言葉だけが先走っています。四次元のイメージがしっかりと提示するのは道元とティトムとの共振が進まないと提示できません。ですから、これまでに示した三次元を乗り越える四次元脳人間=四次元時空体でということで進めます。

    これまでは四次元脳人間は右脳的でスキゾタイプの分裂的親和性の人とであるといいました。スキゾは述語的解釈が得意であるとも言いました。しかし、私達は大多数がパラノです。スキゾとパラノは先天的気質です。そんなパラノがスキゾになることはできるのでしょうか。スキゾになってしまったら社会生活が困難になるのではないでしょうか。そういう疑問に答えなければならないでしょう。

    そのためには述語的解釈というものを理解しなければなりません。述語的解釈とは場を中心とした思考です。場の思考とは自我を捨てた主観=本音の心境のことです。シム方程式は場の思考を可能にするでしょう。それではシム方程式∫t(a+ib)/4d,g⇔Vを駆使して述語的解釈を臨床しましょう。

    代表的なシムピープルのモデルは道元、ピカソ、西田幾太郎です。やや分裂病的親和性を持っているタイプです。道元もピカソも世界を主観的(仏教では唯識という)に見ていたのです。彼らは右脳優位の分裂親和性のスキゾ人なのでしょう。スキゾ人はいつも述語的妄想、解釈をするのです。俺は宇宙人だなどと冗談でいう人はややそのケがあるでしょう。本気でそう思っていたら病院行きですが。
    西田幾太郎の思考は場所の哲学です。起死回生の思考(2)を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070758122
    起死回生の思考(1)を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070757046

    後で述べますが道元やピカソのような意識を凡人が持つにはそれなりの能力がなければならないでしょう。しかし、それは至難の業です。ですからロボットスーツ(体力補ってくれる服)のような、ブレインエキスパンダー(脳力を補ってくれる拡張脳)、例えば、ハイパーリンク、クリック、検索などが必要なのです。それが脳の延長として媒体の役割をしてくれるのです。これをインターネット禅といい、その方法をシムダイアグラムといいます。四次元能は述語的解釈を瞑想によって実現します。シムダイアグラムはその瞑想を支援するシステム(ツール)なのです。

    シムピープルのイメージは道元、ピカソのような人であるといったのですが、仏=スキゾ人=右脳優位の人=四次元時空体はその隠喩です。ピカソのようになるためには、先ずテイスト、即ち、主観的嗜好、志向、期待を持つことです。インターネット禅をする時には科学的態度、客観的態度を出してはダメなのです。主体的な心を前面に出すことがインターネット禅の前提なのです。ヨガでライオンや鹿の姿をするというのは、実際にはなれなくてもそのような恰好をすることで感情移入を図かるためではないかと推測します。

    シムダイアグラムはシムピープルになるための方法ですが、クリック観音で示しましたように、その最初のレベルは音から入るといいました。その次は何でしょうか。それは感情移入することです。感情移入とは対象そのものになることです。これがスキゾの得意技です。場に左右されるのです。パソコンに向かおうとしているときに、仕事のことが頭をよぎるようではまだ感情移入しているとは言えません。俳優がその役になりきって涙を流すのは感情移入しているのでしょう。擬似演技もあるでしょうが。いずれにしても、感情移入していなければ瞑想、即ち、検索に入れる状態ではないのです。インターネット禅では検索が瞑想なのです。禅の修行でも気構えが大事でしょう。悟りを得るという強い気持ちがないようでは、はじめから悟りを放棄したのも同然なのです。

    次に大事なことは場(Environment)の選択です。禅の瞑想に替わる仕組みを示そうとしているのですから、禅の瞑想の場に替わる場が必要でしょう。瞑想に替わる新しい方法はインターネット禅です。ただし、禅的瞑想が必要ないということではありません。禅の瞑想の場に替わる場とはインターネットとパソコンのある自分の部屋です。企業や学校でもいいがしがらみのあるところは避けた方が良いでしょう。左脳が邪魔をするのです。人は誰でも自分の内部に時空場をもっています。右脳にゆだねればそれが明確になります。例えば身体と一体になった腹時計があるでしょう。体内時計、リズムというものがあります。手の届く範囲とか人との接近を警戒する身体感覚があるでしょう。右脳には自我がなくても生きていけるのです。無意識からエネルギーを供給されているからです。

    舞台やグラウンドに立つと独特の風景が広がり身を包むのが分かるでしょう。演劇や試合が始まれば集中し、舞台やグラウンドと一体一如になるからです。身体の時空場は外の時空場とつながっているのです。人間は月と太陽のリズムと同調しているのです。そういう時空を実感することです。ですから、インターネット禅は、座禅をする必要がないのですが、座禅をするには場所が必要なのと同じように四次元時空の場は必要なのです。シムダイアグラムをするには四次元時空の場が必要なのです。

    座禅は只静かに座っているのではありません。尻に尻当てをおいて胡座をかいて手を結んで背筋を張って、凛とした姿勢を保ち瞑想をするのです。なかなか持続ができませんが、身体を使って集中しているのです。これは座禅といいつつも動くスポーツと同じです。インターネット禅でも同様です。やってみると結構疲れるのです。

    四次元時空体=仏になるためにインターネット禅をするというのに、はじめから四次元時空の場が必要だというのは矛盾しているように思うかも知れませんが、悟りにもそのレベルがあるように四次元時空にもレベルがあるのです。レベル0(入口)の四次元時空の場所は、座禅が音から入ったように観音ができる場所です。右脳優位になれる場所です。何かに夢中になれる場所です。クリック検索ができる場所です。述語思考ができる場所です。そのような場所は、後で述べますが音楽が聞ければよい場所です。しかし、パソコンがあれば十分でしょう。

    次に芸術的資源(artresouce)が必要です。何故芸術的資源かということですが、芸術がその本領を発揮するときは右脳優位になるからです。ピカソの絵を思い出しましょう。そこには写実ではない抽象化された時空があります。写実というのは時間と空間が分離された絵です。抽象化された時空とは自分の主観に基づいて表現したものです。インターネット禅を行うことはピカソ流なのです。

    レベル0(入口)では時空体になるために音楽が用意されなければなりません。シムダイアグラムでは時空体のレベルを1(スポーツマンや凡人の悟り=時空度)から10(究極)までを設定しています。それに応じたガイドが必要です。具体的内容は順次示しそうと思います。レベル1のスポーツマンや凡人の時空度(左脳の影響うけていない度合い、即ち右脳度)に必要な芸術的資源=素質は、ごちゃごちゃの状態を受け入れる気持ちです。これは綺麗好きの完璧主義というものと反対にあります。必要なのは整理されたツリー(木)ではなく、ごちゃごちゃしたリゾーム(根茎)です。右脳優位の文化や建築は、ごちゃごちゃの状態、詫びさび、間などの形となって現れます。西洋には道がなく、東洋には広場がないと黒川紀章氏はいったのですが、さすが建築家だけあってその違いを明確に捉えています。

    ちなみに東京都庁は機能美を徹底して追求した左脳優位の近代建築の権化です。このような建築はモダンであるとして明治以来評価されたのです。そして日本は近代化に向かって突き進んだのです。モダンは憧れでした。しかし、いまやそれは解体し、抜け出すべき批判の対象となったのです。モダンの建築は周辺の景色に味気を失わせるのです。人間の生き生きとした関係を失わせるのです。それに対して日本の庭園にはゆとりが感じられます。そこにはくねくねとまがっています。沈黙と簡素と装飾性が共生した桂離宮には右脳優位の建築様式があります。近代化された東京ですが、どっこい右脳優位を思わせる下町風情の町も残っています。そしてポストモダンの時代が訪れたのです。

    ポストモダンは何を私達に残したのでしょうか。ポストモダンはモダンを否定したのですが、単に現実から単に逃げろといったにすぎません。それは逃避です。世俗を捨てろといった禅と同じです。大乗にしても大した違いはないと思います。

    今ではグローバリズムというウイルスが地球を支配しています。どこにも逃げる場所はないのです。ヒマラヤの氷が融けているのです。ヒマラヤで修行している坊さんがそのことを認識していないのです。まして、それを止められるはずはありません。もはや現実から逃避する道はありません。不都合な現実を変えるしかないのです。グローバリズムというウイルスを退治するしかないのです。どうすればよいのでしょうか。

    今は脱ポストモダンの時代になりつつあります。それが何を志向しているのかは明確ではないのですが、モダンの否定、そしてポストモダンの否定しているようです。世俗の世界はまだまだ物欲一色の世界です。仏教の発生の土地、インドでは20万円台の車が開発されたといいます。これはモダンの延長なのです。仏教の発祥地のインドでさえこうなのですから、人類はCO排出の欲望をとめることは出来ないのは当然でしょう。

    脱ポストモダンはスローライフ、自然との共生、精神が大事といいます。それはスローガンとしてはいいでしょう。しかし、実行できるのかということです。アメリカ人に食べる量を半分にしようと誰が言えるのかということです。それにしてもあの体重を見ると太り過ぎです。アメリカ人のことばかり言えません。日本は自給率が低いのです。これは海外からCO2を排出して持ってきているということです。コンビで弁当を買うのを止めることはできるのでしょうか。

    温暖化問題には時間がありません。なんとか温暖化を食い止めなければならないのです。クリーンエネルギー社会を実現すれば解決するなどというのは幻想です。一つの正しい答えではあるでしょうが、それが実行できれば、の話です。例えば、売電の仕組みがあります。電力会社に電気を得るという仕組みがあります。これが進めば石油の消費が節約できると思うのが普通でしょう。しかし、そうは問屋がおろさないのです。石油を燃やしてつくる電気は交流です。交流の電気は溜めておけません。だから火力発電はとめられないのです。ということは売電してもその分余ってしまうのです。売電がしようがしなかろうが電気は地球に捨てられるのです。燃やした熱も電気もエネルギーです。エネルギーの保存則というのがあります。地球にこのエネルギーが蓄積されるでしょう。これが諸悪の根源なのです。今すぐ止めなければならないのは石油など化石燃料を熱やて電気を作ることなのです。大替えエネルギーとしての原子力はダメでしょう。水素も水の増水という問題を抱えています。

    それに替わるのは、超伝導エネルギーか水から直接エネルギーを取り出す方法でしょう。これらについては別稿とします。しかし、どんなにすぐれたテクノロジーがあろうとも人間が変革しない限り確実に温暖化は進むでしょう。とにかく時間がないのです。温暖化防止は人類の未来に命を繋ぐ只一つの命題なのです。何とか知恵を出さなければありません。四次元能はこの問題に取り組んでいるのです。

    物欲に染まった人類を変革するにはシムパラダイムの実践であるというのが四次元能の主張です。シムパラダイムはポストモダンの後の脱ポストモダン的思潮です。脱ポストモダンとは物欲主義に染まった現代人の意識を右脳優位の共生、共振の時代に変革する考え方、人生に対する考え方、世界観です。ポストモダンの弱点をカバーする考え方です。

    シムパラダイムを実践するには、teaに続いて媒体mが必要です。mとはメディア(medium)です。メディアとは情報の乗り物という意味ですが、シムパラダイムを普及する力です。新聞、テレビだけがメディアなのではありません。あらゆるものはメディアであると考えましょう。ただ、メディアには右脳メディアと左脳メディアがあります。テレビは本来右脳メディアですが、左脳メディア(片方的コミュニケーション)として使われています。

    右脳メディアとしてのもっとも相応しいのはいうまでもなくインターネットです。environmentの項で、インターネットは場であるといいましたが、むしろ自分が開設したHPやブログを場と云った方が的確でしょう。パソコンやインターネットは自分の延長であり、野球で云えばバットやボールのようなものなのです。

    こういう観点から云えばGoogleもメディアです。場とメディアというのは空間と物です。そこに時間が入ってきます。時空場というのは、者、物と時間と空間が一体一如となっていることをいいます。ですから、場とメディアは分離出来ないのです。アインシュタインの時空場とはこのようなものです。トランポリンに乗って見ましょう。体重でネットが沈むでしょう。ネットが空間であり、身体がメディア、つまり物です。重力で空間が歪むのです。そして、その時の時間は、空間が歪みによって時間も遅れたり進んだりするのです。もはや、絶対的空間、時間などないのです。それが今日の物理概念です。時間と空間と物は一体なのです。

    禅においても、自分と修行場と修業を助けてくれる坊さんと棒などは区別しないでしょう。修行場では時間が身体と空間を空間が身体と時間を包むのです。修羅場というのは、人が鬼になり争う場ですが、そのような場合も時空場でしょう。同じ時空場でも修羅場は避けなければならない場です。これについては高いレベルの悟りの稿で述べることにしましょう。

    禅の瞑想ではメディア(自分の脳)の中に瞑想の情報が生成されるでしょう。インターネット禅ではメディア(自分の脳)の延長であるメディア、即ち、インターネット、Googleを通じて検索情報ないし、それに基づいて思索された情報がメディア(自分の脳)の中に価値のある意味のある情報として生成されるのです。

    禅の瞑想とは目を閉じて頭の中でのみ検索して思索して情報を生成しているのですが、インターネット禅ではメディアを駆使して情報を生成するのです。しかし、いずれにしても四次元時空体となっているのです。インターネット禅のインターネットが脳の延長として、禅で言うところの瞑想の場なのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年08月29日 16時07分13秒

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    シムピープルになるための要件

    シムピープルになるための要件
    <道元との共振>

    四次元時空体=仏=シムピープルとしましたが、その根拠を詳しく述べることにします。どのようにしたらシムピープル、四次元時空体になれるでしょうか。どうしたら、シンクダイアグラム、インターネット禅を学ぶことができるでしょうか。その方法と手段がなければ、温暖化防止への扉は開かれないでしょう。シム方程式で解いてみましょう。

    シム方程式 ∫t(a+ib)/4d,g⇔V

    シム方程式は、この世界を四次元と看做して解釈する仕方を示します。基本的にはこの世界は閉じているということです。閉じているということをモナドといいます。ティトムでは天球といいます。それを示しているのがt=teamです。teamとは、意味のあるまとまり=モナド(閉じている球)です。この閉じている球というのは四次元球であり、三次元球ではありません。四次元球をイメージで示せばクラインの壷です。クラインの壷は内と外が反転してつながっています。これがこの式の全体を支えています。

    teamはシムピープルが四次元時空体(時空体と略す)であることを意味します。シムピープル自体がモナドなのです。シムピープルが四次元時空体になるための要件はt/e/a/mで示しています。最初のtはtastです。tastとは、気持、やる気、霊、選好、嗜好ですが、これが四次元能は「脳の中の能である」を代表しています。この世界は解釈なのです。ですから解釈の仕方が問題にされなければならないのです。テレビのコメンテータのような批判的態度、他人事のような自我丸出しの態度、第三者的な観察者では、シムピープル=四次元時空体にはなれないでしょう。当然、悟りは得られないでしょう。感情移入して怒ってみせるコメンテータもいますが大概は偽者です。それはメディアに言わせられているのであり、真に自分からいっているのではないからです。どんな場合でも暗黙に政治的な力が働いているのです。この当りの真実を見抜くのはフーコのような哲学者の鋭い目を持たなければならないでしょう。

    良い悪いは別として主観的態度(本音)がなければ時空は分離するのです。感情移入をすると真実が見えなくなるといいます。(ひとりよがりになるということ)例えば、刑事でも身内の事件になると担当を外されるでしょう。それが本音の弱いところです。ですから冷静に判断する必要があります。その場合の脳は左脳優位になるということです。それは一面正しいでしょう。しかし、それが科学を発展させて温暖化をもたらしました。文明が槍玉に上がっています。温暖化防止するには、これまでの使い捨ての文明を否定して欲望を抑制しなければなりません。そのためには自我を解体しなければなりません。自我とは建前なのです。ですから、温暖化防止を本気で解決するのは主観的態度=本音が正しいのです。時間がない時は主観=本音でやるより仕方がないのです。これは企業経営でも言えることです。ワンマンの起業家が独自のアイディアで成功させることが多いのはそういうことなのです。しかし、やがて成功するとマンネリ化して失敗します。主観の客観化=本音の正当化というプロセスを省いたことからの自業自得の結果なのです。感情移入の功罪は主観的意識の質、つまり本音の正当化がどれだけ述語的かということです。述語的拡大が悟りの最大レベルになるのです。

    時空の世界とは客観の世界ではなく、主観の世界なのです。厳密には主観=右脳と客観=左脳の共生ですが、現時点では右脳優位が求められています。原生人が洞窟の暗闇の中で何をしていたのかを思い出してみましょう。それを瞑想というのは格好がよすぎるでしょうか。妄想していたと云う方が正しいでしょう。狩をしている姿を振り返っていたのです。現代人はそれを反省と言うでしょう。そこには必死になっている姿、猛獣に食べられそうになって恐怖に震えている自分がいるのです。襲われた瞬間は逃げることで無我夢中でしょう。狩は一瞬一瞬とも気の抜けない状況なのです。農耕するまではこうした精神状態が続いたのでしょう。原生人は緊迫した状況から逃れようとしてもがいていたのです。現代人はその問題を解決しようとして壁画に向かったのだろうと思います。農耕を始めた後の人類は狩の時よりは時間の進みがゆっくりでしょう。つまり緊迫感は少し薄らいでいるでしょう。このような背景から、農耕の効率を上げるという目的で日時計を発明したのです。地面と壁という違いはありますが、二次元平面に向かったということは同じです。

    要するに、四次元時空を二次元に次元低下させることで、簡単に世界を表現できたのです。この次元低下という方法は必要に迫られたとはいえ画期的でした。例えば、現代で家を立てることを想像してみましょう。三次元立方体を横から見た図、上から見た図、正面から見た図という具合に平面図を描いて全体を表現するでしょう。原生人にとっては、次元低下は世界の解釈の為には必要なことだったです。今思うと失うものが大きかったのですが、しかし、当時は失うものは何もなかったのです。

    このように全体を細分化して、次元を落して後で全体を想像する方法は還元主義といい近代文明の基礎を為した思考です。つまり、全体世界から一部を切り出し総合する方法と言ってもよいでしょう。この思考は現代の日常生活や科学の分野でも常識的な手法です。これが温暖化問題の根源となっているのです。とにかく、闇の中で妄想し壁に向かい何とか生き延びようとして緊迫した中で、現実の世界を自分の思いで切り出して表現した原生人がいたのです。

    彼らの描いた絵は、彼らが感じたままの世界の図です。彼らの解釈した世界です。当然まだ左脳は発達していなかったでしょうから、回りはまるで分裂症親和性のスキゾ人ばかりだったでしょう。お互い誇大妄想人ばかりで、自分の思いで図を描いて勝手なことを言い合っていたに違いないと思います。自分と世界はまだ分離はしていませんでしたから現代人が見たら不思議な絵、まるでピカソの絵を見ている様でしょう。彼らの世界は渾然一体となっているのです。見るもの/見られるもの、自分/対象を分離していないのです。客観的な絵になっていないのです。客観的な絵とは写実的な絵のことです。写実的な絵とは遠近法によって描かれるより進んだ手法です。つまり、二次元のキャンパスに三次元空間を表現する方法です。しかし、写実的手法が発見されたのは後になってからのことなのです。

    これに対してピカソの絵は抽象的です。遠近法でなく混然としているのです。異様な絵です。まるで原生人の絵です。ピカソは自分の脳の状態をそのまま表現したのです。二つの顔が同時に同じ場所に二つ描かれているのです。これはどういうことなのでしょうか。原生人と同じはないでしょうか。しかし、これが禅の目指す世界の描写なのです。ピカソ的な思考は右脳優位の絵画ではあり得ても、左脳優位の現代社会、日常や科学の世界ではあり得ないでしょう。ところが、最近の量子論の世界ではどうもそうでもないです。むしろピカソ的世界観が通じる世界のようなのです。

    量子論の世界と同じことが起きるのが、分裂親和性の人達の世界です。通常二人が二つの物が同時に同じ場所にあるはずがありません。恋人同士が抱き合っていてもです。これが常識です。しかし、分裂親和性の人は二つが同時の場所を占有しているように見えるのです。これは道元のテキストを読むとそのような表現が至る所に出てきます。これは何を意味しているのでしょうか。要するに頭の中の出来事なのです。しかし、量子論の世界は客観的物理の世界です。ところが量子論の世界が客観的というのが怪しいのです。量子論の世界といえども、それは仮説の世界です。つまり、主観の世界です。そこには光もあればエネルギーもあります。主観と客観どっちが正しいのでしょう。これが大問題です。

    これに答えるのは簡単ではありません。そこでパソコンのディスクトップの上に目を転じてみましょう。そこにはファイルが二つ重なっています。何も不思議に思わないでしょう。乱暴ですが、それと同じであると考えてみましょう。このようにインターネットの世界は現実にあるのですけれども、中に入っていくと仮想現実の世界が広がっていてどこまでが現実で仮想なのかの区別が出来なくなります。ですから、中に入っていく人の意識が主観的であれば、すべてが仮想に見えるし、客観的であれば現実に見えるのです。

    四次元能では、この世は生きるために都合よく勝手に解釈した世界であるというスタンスをとっています。生きるためならばどっちでも良いのです。どっちにしても解釈なのですから。未来に命をつながらなければ始まらないのです。より都合よい解釈した世界をとりましょう。未来に命をつなぐことが出来なければ、後は諦めて死後の世界を信じるしかないからです。しかし、まだ、諦めるのは早いでしょう。

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  • from: 生成門さん

    2008年08月29日 15時34分28秒

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    右脳優位のシムピープル

    右脳優位のシムピープル
    <補完共振>

    四次元能はシムピープルを輩出させ流布可能を可能にする脳の中の能です。シムピープルとは四次元脳をもった四次元人間です。シムピープルとは仏であり、四次元時空体です。

    シムピープル、仏、四次元時空体とは何でしょうか。これまでに述べたことを要約しておきましょう。この異質な三つが、シムピープル=仏=四次元時空体となるマジックがあります。そのマジックと四次元能が明らかにしようとしている四次元思考=述語思考です。述語思考とはスキゾ思考=分裂思考です。現生人は、私は早い。鹿は早い。だから、私は鹿であると考えます。これは我々には馴染みにくい思考です。普通は、私は早い。早いのは足が強いからである。だから私は足が強いというような思考となるでしょう。

    私は鹿であるというような述語思考は、私=A、早い=X、鹿=Bとした場合に、A=Bとなる論理です。ですから、シムピープルはXである。仏はXである。四次元時空体はXである。もし本当にXがあるのであれば、シムピープル=仏=四次元時空体となります。ここに現生人のマジック思考があります。そのマジックとは分裂症親和性の述語論理なのです。

    では、そのXを探しに行きましょう。シムピープル=仏=四次元時空体とは人間本来のあり方です。時間と空間が遊離していない人間の状態です。自我拘束から解放され、次元低下(能力低下)していない人間なのです。

    更に、一体一如(全体とのつながり感をもって、「今ここで」の精神的集中がなされていること、単に無我夢中ということでよい)の状態、禅的に言えば悟りの境地、仏の姿であり、脳理論的に言えば述語思考による右脳優位の世界であり、文明的に言えば東洋の英知を実現している心身体=人間ということになるのです。

    シムピープルはXである。仏はXである。四次元時空体はXである。このXとは右脳優位です。右脳優位の共通性によって、シムピープル=仏=四次元時空体となるのです。これについては、後で、更に詳述することになるでしょう。いずれにしてもこれが目指すべき人間、右脳優位のシムピープル像です。

    人間がシムピープル=四次元時空体になるために座禅をする必要はありません。誰でも、本来、仏であり、四次元時空体だからです。ただ、言語を使う社会では柵があるので次元低下(四次元から三次元に)させられているだけなのです。
    言語を使わずに生活や仕事ができれば、右脳の優位が回復されれば、少なくともゼロレベルのシムピープル=仏=四次元時空体にはなれるのです。(シムピープルのレベルは1から10迄あるでしょう)しかし、シムピープルでは三次元の生活や仕事はできないでしょう。できないというのは、正しくはありません。四次元は三次元を超越するのですから、必要がないといったほうがいいかもしれません。四次元人間は右脳優位ですが、右脳優位になるにはどうすればよいのでしょうか。禅では瞑想すれば悟りが拓けます。四次元能では、シムピープル=四次元時空体になるために瞑想に代わる秘術があります。

    それはインターネットへのアクセス、Webリンクへのアクセス、クリック、検索です。極論すれば検索です。この秘術は述語論理からヒントを得た右脳優位(左脳を捨てる訳ではない)への精神革命の具体的展開法「シムダイアグラム」(検索を中心とした述語思考)です。

    シムダイアグラムは人間がシムピープルになるための方法です。禅では瞑想がそれに該当します。これをインターネット禅といいます。右脳優位=瞑想=検索なのです。またまた右脳優位、瞑想、検索という三つが=となるXがあるということです。それは何でしょうか。

    シムピープルになるためのシムダイアグラム=インターネット禅を修得するためには、何故、検索を中心とした述語思考が時空の変革を引き起こすのでしょうか。その時空とは悟りとどう関係するのでしょうか。もし時空意識が悟りならば悟りの風景とはどのようなものなのでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2008年08月29日 15時11分55秒

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    シム方程式で四次元世界を解釈する(3)

    シム方程式で四次元世界を解釈する(3)
    <補完共振>

    四次元能・シムダンスは、「不可能を可能にする」脳の中の能です。能とは四次元脳への編集であり、シムダンスとはその臨床実験です。シム方程式はシムダンスの万能台本であり、悟りの成就の方程式であり、四次元力の生成方程式です。

    シム方程式は、数学の方程式ではありません。隠喩方程式です。隠喩とは述語的思考です。隠喩方程式は述語方程式です。四次元能では瞑想(αω)を重視します。ω瞑想はインターネット禅で行います。ω瞑想とはクリック・リンク・検索が基本です。その中の検索で述語論理が使われています。皆さんは述語論理による検索を無意識に使っています。検索とは述語を同一視して、A=Bと考える思考なのです。四次元能ではこの述語解釈の仕方が重要な思考様式となります。この四次元世界の述語解釈をシム方程式と呼ぶことにします。

    Synm シム方程式

    ∫t(a+ib)/4d,g⇔V

    ここまでも基本的なシム方程式の説明をしました。

    「四次元から見た三次元での臨床イメージ」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068971603

    「シム方程式で四次元世界を解釈する(1)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068971097

    「シム方程式で四次元世界を解釈する(2)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069174354

    ここまでを要約しますと、仏の悟りとは四次元時空体=真正四次元になることです。そのためには擬似四次元=左脳を封じ込めて右脳を活性化することです。禅の心身脱落=一体一如=四次元時空体は、一時的にですが誰でも経験していたことでした。ただ持続することが出来なかったのです。その理由は言語、形式論理、主語論理の擬似四次元=三次元プラス時間=日常生活があったからです。

    ここには宇宙からの使者が関係していることが判明しました。四次元能はまもなく、そのことを明らかにするでしょう。簡単に言えば、宇宙からの使者は本来四次元であった日常を時間と空間に分離して、人間を四次元時空体の本性から三次元空間と時間の分離体の擬似四次元の貶め、次元低下させ、自我を真実と思い込ませるようにして時間と空間を外に追い出したのです。要約はここまでです。

    シム方程式は、私達が馴れ親しんでいる因果律=主語論理が主役ではありません。非因果律=述語論理が主役です。それぞれの記号の意味を確認しておきましょう。能に登場する様々なキャラクターを知っておけば楽しみも増えるでしょう。

    ∫は、編集を意味しますが、編集とは述語的なのです。

    この式で、teamとは、モナド(閉じた球)であり、内外が反転したクラインの壷です。クラインの壷は四次元の抽象モデルです。四次元は対称性、生成消滅が基本ですので、これを陰陽・色即是空・空即是色と同一視します。それで四次元の抽象モデルは、陰陽クラインの壷ともいいます。

    a+ibは、陰陽クラインの壷の複素数的表現です。複素数は、実と虚のように不連続な世界が入り混じった状態を扱うのに便利な表現です。

    /は、右脳、即ち芸術的エネルギーによる捻り反転です。四次元の生成力です。

    ⇔は、陰陽クラインの壷の閉じた反転を示します。生成(空→色)と消滅(色→空)つまり、生成消滅(色→空→空)のサイクルを意味します。Vは、生成された四次元の世界(空)を意味します。つまり、三次元の世界(色)⇔空と表現できます。これは、三次元から四次元への志向(色→空)とその逆(空→色)を示しています。

    4dは四次元生成力の源です。日常の生活で、右脳の力を発揮する源泉です。

    (a+ib)は天球=四次元時空です。四次元天球には四次元球=モナドがたくさんあります。そのどれもがクラインの壷=色即是空・空即是色であり、実と虚があります。実は色であり虚は空です。

    tはシムパラダイム=宇宙の法則=宇宙精神によるシムダンス・チーム・テクノロジーのミッションです。チームとはモナドでありティトム天球(閉じている)します。

    gは宇宙の法則に基づく生成の原理(ティトム球理論)です。

    Vは悟りの成就=空=温暖化防止の成功=四次元脳への再生回帰です。

    ではt=t/e/a/mの解釈に入ります。

    t=t/e/a/mとは、シムパラダイムの世界観を三次元で実現するための枠組みです。

    t:tasteとは、本来は嗜好という意味ですが、要するに選り好みです。世界は選好解釈なのです。

    「世界は選好解釈される」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068823976

    どのように解釈するのかが重要なのです。好みによって世界の解釈が変わるということです。あばたもえくぼなのです。
    ただ、主語的解釈は問題があります。温暖化=人類絶滅の危機をもたらしたからです。述語的解釈(A=B)が必要なのです。そこでシムダンス=四次元能は述語的解釈脳=四次元脳は転換するための方法論を探すためにティトムと道元を共振させる生成の舞を目論んでいます。その方法論として「シムダイアグラム」を取り上げる予定です。

    「ティトムと道元のシムダンス」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068864103

    シムダンス・四次元能が選好=テイストするのは禅的精神です。禅的精神とはシムパラダイムそのものであり、宇宙精神であり、四次元時空の認識、意識です。シムダンスを舞うシムピープルはこの四次元の認識と意識を持たなければなりません。四次元時空の認識と意識とは四次元脳のことであり右脳優位の世界観です。

    e:environmentとは共鳴共振する場です。場とは時空場のことであり、既に述べたように運動するときは自我中心ではなく場中心の述語論理で動く本能です。述語論理で動くためには無意識と連動した右脳優位でなければならないのです。

    a:art.resourceとは芸術的・宗教的四次元の資源であり、右脳的思考のノウハウです。左脳による二元論的、二項対立、科学的思考、形式論理、分析的、還元的思考のノウハウとは相反するものです。右脳的思考のノウハウとは音楽のメロディーとハーモニーとリズム、抽象絵画的描写の感覚であり、禅的思考に見られるような述語論理であり、包括的、即非的共生思考によるテクノロジーであり、東洋的英知の宝庫、文化を意味します。

    m:mediumとは、右脳的思考のノウハウを媒介するもの、即ちメディアです。四次元時空体はメディアであり、媒体であり触媒であり、中間多様体であり、宇宙のエネルギーを湧出させるゼロポイントであり、カオスポイントとなり得る特異点です。ただ、時空が分離したメディアはただの物です。

    a+ibとは、現実と虚の共生であり原形(見えないが虚の世界にはあるもの)を実体化することを意味します。クラインの壷がその形です。宇宙の法則・生成サイクル図で示した天球は実軸と虚軸が交差する回転体です。これが四次元時空体=モナドです。

    a+ibは実軸と虚軸が合成すると現れる力(モナド)であり、人間には実軸のみが目に見えるのです。モナドは無数にあります。従って、様々な状態の中間体が存在することになります。それらを如何により良く共生させるかが四次元能の秘すれば花の奥義なのです。ですから、共生は単なる共存ではありません。敵と味方が妥協的に、境界を引いて、排他的に物理的に共存するのではないのです。

    aとは実の世界(生きている世界)であり三次元です。擬似四次元の世界です。+とは共生です。四次元の世界は現実とibの虚の世界が共生するのです。その共生は現実の世界で二項、中間体となっても共生するのです。iとは、実と虚の接続、交流、窓口であり、世界変革のエネルギーを引き出すカオスポイントであり、生成卵です。bとは、虚の世界(見えない世界)であり、実体化、自己生成する原形とリズムをもっています。原形とは渦、螺旋、黄金比率、フラーレン、ペンタ、ヘキサ、などで示すことができるでしょう。

    /とは、捻り反転であり、芸術的英知を導入することです。

    4dとは、擬似四次元時空分離体(三次元空間と時間)を解体して、真正四次元時空体を再生する四次元生成力です。仏とは四次元時空体、禅の悟りとは三昧の時であるといいましたが、要するに四次元脳を持った人のことです。人間は本来、四次元時空体であり、左脳が発達したために四次元時空分離体になったのです。つまり、三次元空間に次元低下させたられたのです。次元低下とは能力の低下です。

    何故次元低下が起きたのでしょうか。それは農耕と関係があります。狩猟をしているときはスポーツと同じで集中しなければならなりません。左脳があれこれと口を挟む余裕はないのです。農耕には時間がかかります。実りを得るためには環境との戦いがあります。時間との戦いでもあります。それで日時計が考えられました。日時計は棒を地面に立てて太陽の影を追ったのです。これにより時間を知ったのです。これが時計、カレンダーの始まりです。

    本来人間には体内時計があり外部の太陽や月のリズムと共振して本能的に行動してきました。農耕して実りを多くするためには、環境と生育の関係を知らなければならなくなってきたのです。そのことが動因となって体内のリズムと太陽の関係が日時計という形で地面に円として射影されたのです。地面は平面であり二次元です。時間は平面に影となって表現されたのです。こうして時間は円つまり時計となったのです。それだけではありません。円の直径は直線です。それが時間の進む方向です。これにより時間は過去から未来に真直ぐ進むという概念が生まれたのは必然でした。時間の概念が生まれたのは次元低下の最初の出来事だったのです。

    現生人は四次元時空体として時間も空間も外界との緊密な関係を保って体内に具備していたのです。時間だけが必要な状況となって、わざわざ二次元にして時間を体内から引き剥がして外形化したのです。

    空間も同様です。現生人にとって空間とは心身一体でした。狩猟をしていたときは自分とテリトリーは一体なのでした。しかし、農耕を始めると自然との戦いになりました。自分と環境との関係に乱れが出はじめたのです。

    盆栽は小さいので一体となっています。農地となるとそうはいきません。当然、分断し直線的に段階的に作業をすることになるでしょう。これが左脳の特徴です。しかも、狩猟では耳をすまし場の雰囲気と一体となります。しかし、農業ではあぜ道に腰を落して、ゆっくりと観察するのです。三次元の農地を平面に想定して射影するのです。分断し直線的に段階的に、時計と連動して作業計画をたてるのです。このようにして空間は身体から分離され時間とも分離され対象化されたのです。恐るべき左脳の力です。この力が四次元生成力を去勢したのです。
    そして、現代において最も完成されたのが企業のマネジメントです。ですから温暖化を防止するのはマネジメントを改革しなければならないのです。

    「温暖化問題は経営改革で解決」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069593885

    現生人は四次元時空体として時間も空間も外界との緊密な関係を保って心身脱落(融合)していたのです。農地を対象化する必要に迫られ、わざわざ二次元にして身体空間を体内から引き剥がしたのです。今日でも身体と心の分離、身体空間と身体時間の分離は続いています。腹が減ったから食べるのではなく、時間になったから食べるのです。学校では、カリキュラムがあります。すべてが時間通りに進むのです。ベルがなったから食事をするのであり、遊び場は人工的であり、管理されています。とても夢中になって遊べる四次元時空場とはいえません。子供は無理矢理次元低下を強制させられてしまっているのです。

    次元低下は現代ではすべての場所、すべての場合に起きています。企業の経営戦略を立てる場合、経営理念から始まって事業戦略の策定、実行計画とブレークダウンしていきます。ここで使われる論理はすべて主語論理です。つまり、企業の自我が前面に出てくるのです。経営理念は抽象的で精神的な表現であり建前です。それとは結びつかない競争分析、環境分析という分析が先ず始められ、市場はセグメント化され顧客は対象化され平面のマトリックスに位置付けられます。ここでも二次元という思考によって計画が立てられるのです。まして、スケジュール化ということになると一次元の線です。

    このように近代的自我とは、左脳と言語による主語論理、形式論理、分析的、環元主義、分断化、直線的、段階的という思考を特徴としており、次元低下をもたらした元凶なのです。精神世界では人間は高次元精神に上っていくというアプローチがなされるようですが、それは正しくないと思います。先ずは、次元低下した分を取り戻すことが先だろうと思うのです。

    どのように左脳と言語に支配された近代的自我を解体し、どのように次元低下から転じて次元昇華させたらよいのでしょうか。それを編集的・臨床的に実践するのがシムダンス・四次元能なのです。

    g:genesisとは生成です。生成の原理を実践するための視点を提供するのがg/n/e/s/i/sです。

    g:glocalとは全体と部分、ホロン的自己です。ミクロはマクロ、マクロはミクロなのです。「マクロはミクロはマクロはミクロ」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069475075

    e:ecologyとはすべては関連することを代表します。エコロジーとは生態系の概念ですが、これを宇宙のエコロジーに拡張します。禅では一体一如に相当します。量子論では非局所の因果に相当します。これまでの科学はすべて局所の因果を前提にしています。ですから、遠いところの因果、例えば「虫の知らせ」は認めないのです。しかし、宇宙や量子の世界ではそれが当たり前の当なのです。量子ポーテーションはその例です。

    n:networkingとは境界を打破する
    ことを意味します。すべては繋がっているということです。エコロジーと同じです。違いについては改めてお話しましょう。

    e:energyとはエネルギーです。温暖化防止とはエネルギー問題でもあります。
    それだけがエネルギーではありません。四次元のエネルギーを考えます。

    s:shikumiとは自己生成する仕組み=四次元の仕組みです。

    i:internetとは、四次元能の媒体、ω瞑想を意味しています。

    s:sencewareとは生きている世界を感じる能力、四次元の対する感動する能力です。これが四次元生成力になります。

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    2008年08月28日 12時57分43秒

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    四次元時空体とはクリック観音様

    四次元時空体とはクリック観音様
    <道元との共振>

    温暖化防止のためには、右脳優位の文明の英知を導入しなければならないことは既に述べました。右脳優位のノウハウは東洋文明にその真髄が隠されていたのです。特に次元低下した現代人、自我中心の態度を解体するには四次元時空体を取り戻さなければならないのです。

    四次元時空とは、アインシュタインの相対性理論が示したものと同じ概念です。つまり、時間と空間は単独に独立して存在しないのです。それは遠い銀河系の彼方の世界の事ではありません。私達が生活しているこの世界のことなのです。この世界は、私達が勝手に解釈して作り上げた主観(妄想)の世界です。これを便宜的に現実といっているのです。ですから同じ対象でも多様な三次元の現実として姿を現します。しかし、もっと根本的なもう一つの現実世界があります。それが四次元時空の世界です。四次元時空を脇において、客観的な三次元空間と時間があるとしてみているのは左脳がご都合的に虚構(解釈)したにすぎないのです。私達は無理矢理、そう思わせられているのです。それで失ったものは大きいのです。

    四次元時空をわざわざ次元低下させたのですから本来の世界、本来の自分ではないのです。しかし、私達は、いつでも、どこでも四次元時空体に戻ることができます。仏教では日常の柵の世界、苦の人生から逃れるためには仏になればよいといいます。仏になるためには無になれば良いとします。無とは自我を捨てることであり、自我を捨てるには座禅をして修行をしなさいといいます。読経をしなさい。ヨガをやりなさい、などといろいろな教え方をしてきたのです。

    それでも、なかなか悟りを開いた人はいないようです。出家せよというのですが凡人には世間を捨てることなど簡単にはできないでしょう。皆が世を捨ててしまったら社会は成立たないからです。在家で悟りが得ることなどあり得ないと思います。悟りを得たと言う話は聞いたことがありませんし、実際、仏教は末法になってしまいました。

    しかし、自我とは左脳が作り出した虚構、右脳とは無意識の事であり、言葉を使用しなければ、いつでも悟りの世界=右脳の世界に入れることが分ったことだけでもその意味は大きいと思います。ですから、座禅をして修行をする必要はないのです。

    問題は右脳の世界に入れたとしても、持続が出来ないということです。日常の世界を捨てない限り、言葉を使用しなければならないし、この世界は主語論理が中心ですから左脳を使わなければ生きてはいけないのです。最近では田舎暮しや自然とのふれあいなどいうテレビ番組が人気ですが、それは日常の世界を捨てないまでも一時的に忘れたいという潜在的な願望の表れでしょう。ポストモダンでも、この現実から逃れられるためには「逃走せよ」などという考えが持てはやされたことがあります。若者がその影響を受けたためかフリータ-が増えたように思います。しかし、勘違いしない方が良いと思います。温暖化問題が浮き彫りにしましたように、文明の侵食されていない所などないのです。仙人になっても、それは物理的に人里離れているというだけで、文明という枠組みから逃れることは出来ないのです。熊でさえ食い物がなくて山を降りてきているのです。

    ポストモダンがいう逃走とは三次元から逃走せよということなのです。そして、四次元に戻れということなのです。(そういう説明はないのですが)仙人にならずに日常において右脳優位でかつ左脳も使いながら、仏=四次元時空体となって生活や仕事が出来ないのでしょうか。

    これができなければ、どのように技術を駆使しようとも、自我が蔓延っていれば利己的になるのですからCO2の排出は抑えることは出来ないでしょう。クリーンエネルギー技術よりも以前に、自我を解体しなければならないのです。一瞬だけなら仏=四次元時空体になるのは簡単です。ウォークマンを耳に当て音楽を聞けば、歩きながら四次元時空体になれるのです。これが悟りなんていったら仏さんは怒るでしょうが。仮にこれが悟りだとしても、この方法には弱点があります。音楽を聞くのを止めると元の木阿弥になってしまう点です。

    ビジネスにおいても右脳優位でかつ左脳も使いながら仏=四次元時空体となる持続的な方法はないのでしょうか。それが本題です。

    誰でも観音様を知っているでしょう。不思議だと思いませんか。音を聞くのではなく「音を観る」というのですから。ここに秘密がありそうです。いろいろな解説を調べたが納得のいく答えは見つかりませんでした。そこで、勝手に解釈してみましょう。

    瞑想をしているときには回りは静かです。人の声は聞こえません。沈黙、静寂です。しばらくすると木々のそよぐ音、波の音、虫の声などは聞こえてきます。当然、右脳がそれを聞くのでしょう。瞑想とは思い巡らすことです。しかし、明日借金取りが来ることを考えたら瞑想にはならないでしょう。禅では妄想はするなといいます。これは現実世界の柵に囚われた主語(自我)中心の思考を停止しろということです。それには音に気を向けると良いのです。しかし、借金の返済期日が迫っているなど緊迫しているときは、すぐに左脳優位となって現実に戻らされてしまうでしょう。ですから、禅では世間との柵を断ち切り出家を前提としたのです。それほど左脳の力は強いということです。欲望は左脳が拡大するのです。

    柵を気にすることなく音に集中できれば瞑想は深まります。言語を使わないのですが思考はできるのです。この思考は主語思考ではありません。述語的妄想です。先の左脳優位の妄想とは違うでしょう。妄想というのは余りいいイメージではないので想像といってもいいでしょう。右脳優位、左脳劣位の中間的状態の想像です。これは述語思考です。述語的想像とは取り留めなくハイパーリンク(飛ぶ)することです。借金のことが浮かんできても述語的にずらすのです。例えば、借金とは貸借対照表の借入金である。貸借対だから、貸し付けがあり資産がある。資産とは家と土地、株券である。株券は電子化される。ITの時代はインターネットが進化している。インターネットはweb2.0となり、グーグルが画期的ビジネスモデルを登場させた。と果てしなく想像を続けるのです。述語的想像を意識してすれば述語的思考といってもいいでしょう。述語的思考とは瞬間移動です。こうした述語的思考に近い様式に芸術があります。例えばピカソの抽象画です。ピカソにはこうであるという唯一の主題がありません。その絵を見た者の解釈にゆだねられているのです。ある人が見たものがAであるとして、別の人がBであると見たとします。この場合、ピカソの絵は述語になります。述語論理ではA=X、B=XからA=Bとなります。Xが述語です。述語を同一視することで、AとBが同時に存在する平行世界です。これが四次元の世界です。このようなことを可能にするのが述語論理なのです。

    四次元能では、述語論理からヒントを得て右脳優位でかつ左脳も駆使して、持続的に仏=四次元時空体になる方法を開発しようとしています。それをシムダイアグラムといいます。シムダイアグラムとは四次元脳になるための脳の編集といってもいいでしょう。詳しくは四次元のことが明確になってから示すことにします。

    シムダイアグラムで脳を編集すると左脳との共生が図れることにもなります。しかし、主語論理ではなく述語思考ですから自我は消え、客観的時間がなくなり、客観的空間もなくなり、真に時間と空間が融合し、心身が一体一如となり、音楽を聞いているような状態、仏=四次元時空体になるのです。シムダイアグラムによって仏=四次元時空体になれるのはAからBへの瞬間移動であり、述語思考だからできるのです。すべてが述語によって限定されるのですから、未来も過去も直線的に配列されるのではなく、空間と一緒になって平行して配列されるのです。

    シムダイアグラムによる思考は次のようにイメージできるでしょう。パソコンの画面はマルチウインドウになっていて、クリックした経歴がそのまま雑多にディスクトップやブラウザの履歴に残っています。すべてがそこに平行してあるのです。このハイパーリンクとクリックと検索し、経歴巡りを見るという行為が脳を編集することになるのです。つまり四次元脳への転換を実現するのがシムダイアグラム法なのです。

    シムダイアグラム法は、パソコンからインターネットにアクセスしてクリックして、検索して、Webを渡り歩き履歴を配置して巡るという振舞と述語的に同じです。シムダイアグラム法は右脳優位の思考ですが左脳と連係するのです。これは、実は禅の瞑想と同じ構造なのです。ですから、座禅は必要がないといったのです。

    実際のパソコンで操作では、検索し、Webリンクしてクリックしたものを配列して観るのです。観音のかわりにクリックするのです。クリックによって右脳優位の左脳劣位に転換し、二つを連係させるのです。述語思考のようにリンクして、その経歴を観るのです。これは禅の瞑想と同じ思考です。実際にパソコンで操作しているときは、パソコンと自分と机と部屋とインターネットとWebは一体となっていて、本人は一如となって無我状態となっているはずです。

    これが仏=四次元時空体になっている姿であるといったのでは、余りにも仏を貶めているでしょうか。そうではないことを示したいと思います。リンク、検索、経歴を見るという行為はクリック観音なのです。禅の瞑想では音から入るでしょう。読経のときに木魚を叩くのはというのは、音が重要な要素だったのでしょう。音により右脳が優位となったところで、パソコンの画面のように、いろいろなイメージが出てくるでしょう。それはマルチウインドウになっていて切り替え自由と同じです。述語に気を向けると、まるでクリック検索したように他の主語に飛ぶのです。その経歴がそのまま雑多に脳のディスクトップやブラウザに履歴として残るのです。すべてがそこに共にあるのです。この経歴を見るというのが音からスタート(クリック)したので観音(検索)というのです。

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    2008年08月22日 20時37分49秒

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    擬似四次元症候群

    クラインの壷の図は下記から引用しました。
    http://static.wikipedia.org/new/wikipedia/en/articles/k/l/e/Klein_bottle.html




    擬似四次元症候群
    <四次元経営との共振>

    現代の企業経営は三次元経営です。この経営スタイルが温暖化の元凶なのです。「温暖化は経営改革で解決できる」を参照して下さい。

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069593885

    何故、現代の企業経営が三次元経営なのでしょうか。企業経営は、簡単に言えば、売上-経費=利益か利益=売上-経費という公式で成立ちます。後者は利益市場主義です。そのためには、そのためにはどうするという戦略展開になります。その結果、効率優先になり他の要素を排除することになります。売上-経費=利益では売上至上主義になり、それいけどんどんのシェア拡大志向になります。経営とはこの二つが混合した形態を取るでしょう。どちらにしても、すべての経営資源をベクトル化することでは大きな違いがありません。ベクトル化とは目的に対して方向を直線的に定めるというものであり最小投入最大効果(コストパフォーマンス)の利益極大化の原理です。企業が激しい競争を勝ち抜くためには限られた経営資源を有効に配分し、実践することが求められます。そのためのもベクトル化というのは最大の戦略的思考なのです。また、社員の意識を集中させるためにもベクトル化は重要です。組織のピラミッド化はベクトル化の現れなのです。ここには三次元経営=ベクトル化=直線化=パラノ化=左脳優位=因果律=三段論法=還元主義=戦略志向=主語論理=ピラミッドという図式があります。

    この現代経営=三次元経営からの脱却が四次元能の課題なのです。目指すところは四次元経営です。ただ、四次元経営といっても三次元と四次元の違いが明確でない以上、具体的にどう違うのかイメージが湧かないでしょう。次元というのは一体何なのでしょう。四次元を編集する」を参照して下さい。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072027278

    ここで述べましたように四次元というのはアインシュタインの時空、つまり三次元空間と時間の一体化した時空を四次元といっています。三次元空間と時間の一体化していなくても次元的には四次元ですが、この場合は時間を特別扱いしているので四次元能では四次元とは看做しません。映画の世界のように、一フレーム一フレームが時間軸に沿って動くのが四次元だということです。時間が絶対視されているのです。私達は一フレーム(空間)一フレーム(空間)を時間軸に沿って生きているのでしょうか。そんなことはありません。私達は映画を見るように自分の人生を見ているのでしょうか。そんなことはしていません。他人の人生を生きているのではないのです。自分の一フレーム(閉じた空間=モナド)一フレームを生きているのです。時間がフレームの外にあるのではありません。自分の時空を生きているのです。誰でもそう思うでしょう。ところが、驚くこと勿れ。私達は以外にも一フレーム一フレーム(閉じていない空間)を時間軸に沿った仕事の仕方、研究方法、生き方をしているのです。このような事態は本来のものではないのですが、どこかで逆立ち(反転)してしまったのです。長いこと逆立ちしたまま生きてきたので、それが変だとは思わなくなってしまったのです。みんなが逆立ちしているので、それが当たり前だと思っているのです。これは四次元人間から見たら非常に異常な事態なのです。二次元生物(もしいたら)を想像してみてください。衝立を置いたらそこから向こうには絶対に行かないのです。それと同じことが、私達に起きているのです。

    このように三次元空間と空間が一体化していないのは、たとえ次元数が四であっても四次元とは言えません。それは、数学的には四次元と言えるかもしれませんが現実的ではありません。このような時間と空間を擬似四次元とします。フレーム(空間)の外に時間を置くのですから腕時計を見て生活をしているようなものです。このようなフレーム生活は三次元であるということになります。時間は物指しにしか過ぎないのです。他人のフレームと自分のフレームの外に時間があり、それは共通の物指しです。日常生活において、これはこれで便利なものなので、特に違和感は覚えないでしょう。ところが宇宙空間にでると様子が変わってきます。皆さんも車にナビを搭載していると思いますが、実は衛星側では地上より時間が僅かですが遅れるので調整しているのです。私達はそれを感じいでナビを使うことができているのです。時間が遅れるのは衛星の速度が速いので空間が歪むためです。この例でも分かるように時間と空間は分けられないのです。これが宇宙空間の特別な出来事ではないということなのです。他人のフレームと自分のフレームの外に時間があるので、どちらかが早く動くとお互いの間に時差が生まれます。そうなると、ナビのように絶えず時間調整をしなければならなくなります。それが上手くできないと時差ぼけとなるわけです。

    このように擬似四次元=三次元の生きていると、現実的ではない様々な事態が生じてきます。現実的という用語には多少説明が要るでしょう。擬似四次元=三次元であれ、それはそれで現実です。世界は解釈なのですから、解釈された現実なのです。問題はその解釈が適合するかどうかということです。ナビのように三次元であるという解釈でも、調整できれば、その解釈が適合しています。しかし、温暖化の問題はどうでしょうか。四次元世界を三次元と解釈してきた結果、袋小路に入ってしまいました。ですから「現実的ではない」といったのは、四次元世界を三次元と解釈してきた現実を「現実的ではない」といったのです。もはや、擬似四次元で不都合な現実をごまかせるほど事態は甘くはないのです。

    不都合な現実をもたらした元凶が擬似四次元であることをもっとも如実に示すのが擬似四次元経営です。経営の現場には、真正の四次元から見たら滑稽な姿が見えます。それが滑稽なものとして笑って済ませるうちはいいのですが、地球全体に悪影響を及ぼしている力を考えると見過ごす訳にはいきません。温暖化の震源地は経営の現場なのですから。時差ぼけなら、一日もすれば治るでしょう。この擬似四次元症候群とも呼べる症状は、とても根が深く、自然治癒に期待するのは不可能なのです。

    擬似四次元症候群の病原を撒き散らしている擬似四次元経営とは一体どのようなものなのでしょうか。これを裁いておきましょう。繰り返しになりますが、擬似四次元とは、三次元空間に時間を加える考えです。擬似四次元であることに無自覚である企業を三次元企業、その経営スタイルを三次元経営ということにします。真正の四次元は四次元とします。

    次元については「四次元の編集」を参照して下さい。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100072027278

    これによると四次元能で四次元というときはアインシュタインの四次元時空を意味します。

    さて、三次元企業の経営の必要な要素は人材・資金・設備です。このように必要な要素を次元と考えれば、これもまた三次元経営です。これに時間が加わるのですから四次元経営といえます。また、人材・資金・事業領域・組織という戦略的な視点で経営をする考え方もあります。これに時間が加わるのですから六次元経営です。しかし、このような次元の考え方は四次元能ではとりません。人材・資金・設備にせよ、人材・資金、事業領域・組織にせよ、それらはすべて視点であり、視点は時空的次元とはいえません。視点の数はいくらでも任意に増やすことができます。いくら視点を増やしても、それは三次元の切り口を変えたに過ぎません。ですから、これらは擬似次元であり、三次元+時間ということになります。

    四次元経営とは、三次元+時間ではなく時空なのです。三次元空間と時間は分離できないのです。これが四次元時空です。宇宙の法則に則った経営です。四次元経営とは四次元時空を基本にします。四次元時空を基本にすると宇宙の法則が成り立ちます。その宇宙の法則が成り立つ時空は歪んでいるということです。時空が歪んでいるということは、絶対の時間がないということです。時間は空間とともにあるのです。その代わりに普遍的な原理があります。それが生成消滅の原理です。つまり、生成消滅の原理とは、色即是空・空即是色なのです。陰と陽は対で生成(空即是色)され、対で消滅(色即是空)するのです。四次元時空の歪みは陰陽が反転して繋がっている陰陽クラインの壷によって表象されます。




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  • from: 生成門さん

    2008年08月22日 20時25分39秒

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    プラトン立体の原子核構造への適用

    プラトン立体の原子核構造への適用
    <補完共振>

    プラトン立体は宇宙や人間及び経営モデルなどに適用が可能です。なぜなら、それらは元々同じ宇宙の法則に従っているからです。次に二つのプラトン立体の原子核構造への適用の例を示します。先ず、最初にロバート・ムーンのモデルです。下の図及び説明はメタトロンから編集的に引用しました。

    http://metatron.la.coocan.jp/zone-03/319.htm



    プラトン立体の入れ子構造を使ったロバート・ムーンの原子核の構造モデルを紹介します。電子には軌道があり入れ子状になっているように、陽子もまた原子核内において同様の構造を持ちます。つまりそれらは互いに最も反発の少なくなるように球殻上に対称的な配置になっています。その配置の多重立体構造が、プラトン立体の入れ子構造モデルです。プラトン立体の全ての点は50個です。そして正6面体と正8面体、正12体と正20面体が双対立体、つまり面点変換できる関係があります。正4面体は正4面体自身と対になります。ここではその正4面体を別枠扱いします。残る4立体の点の合計が46であることに着目します。この46及びその倍の92と、元素周期律表の原子番号1の水素から自然界に存在する最大の元素である原子番号92のウランを対応させて、4つのプラトン立体の点にプロットできます。なおこのモデルでは残る正4面体の点にはヘリウムの位置がプロットされています。

    正6面体(頂点8)に対応するのは原子番号8の酸素です。次の正8面体(14)に対応するのは原子番号14のケイ素です。次の正20面体(26)は原子番号26の鉄に対応します。最後の正12面体は原子番号46です。原子番号1の水素から46のパラジウムまでは核融合傾向を有し、原子番号47の銀から92のウランまでは逆に核分裂傾向があります。その中でパラジウムは最も安定した元素です。この先の原子番号47の銀から92のウランまでをもう1つの同じ入れ子を用いて表現できます。つまりこの正6面体、正8面体、正20面体、正12面体の入れ子を二重にもしくは2つ使って自然界に存在する92個の元素を全て表せるのです。
    ―――
    次はティトムのモデルです。下記から引用しました。

    http://www.c-player.com/ac62953/message/20070715?format=thread


    ティトムのモデルは、鉄の原子核が融合するプロセスをベリリウム変遷として表現します。このモデルは図で示したようにヘリウムが基本です。ヘリウムは電子二個と陽子二個と中性子二個でできています。
    ヘリウム二つが融合してベリリウム(頂点8の正六面体)となり、これにベリリウムが融合して、内部に正六面体を内包して、正12面体(頂点20)の原子核が生まれます。この二つが融合すると頂点56(陽子と中性子の数)の鉄原子核が構成されます。この正12面体が反転して頂点12(電子の数)の正20面体ができるのです。この正20面体は電子の配置を示しています。

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  • from: 生成門さん

    2008年08月20日 06時59分03秒

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    次元とは何か

    4次元を編集する
    <補完共振>

    四次元という言葉を何の説明もなくつかってきました。「四次元は何で構成されているのか」を参照してください。

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070374471

    四次元の世界に踏み込むのは慎重にしようと思っているのですが、温暖化現象は四次元なのですから仕方がありません。オカルトにならないように注意して、しかし、逸脱もして挑戦してみようと思います。もう既に、逸脱共振では平行宇宙に突入してしまったのですから、これしきのことで驚ろかないで下さい。「超人シムピープルとパラレルワールド1と2」を参照して下さい。


    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070457711

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070457816

    シムダンスを舞うためのにも次元という概念を明らかにしておかなければなりません。次元とはなにでしょうか。基本的なことなので一応下記を参照してください。2008年1月号のニュートンに載った「次元と何か?」を紹介しています。
    http://iroriro.blog.so-net.ne.jp/2007-12-08
    以下編集的に引用しました。

    四次元の世界に踏み込むというと、四次元の世界に行くというようなイメージを与えてしまうでしょう。四次元の世界に行くは不可能です。二次元生物(いるとして)三次元に来ることは有り得ません。同様に、三次元から四次元に行くのは不可能なのです。ところが、私達は三次元から四次元に行く必要はないのです。既に私達は四次元に世界にいるからです。三次元に次元低下させられてしまって四次元に世界にいることに気が付いていなのです。ですから、四次元に戻ればよいのです。ただ、それが簡単に行かないので苦心しているわけです。どうすれば四次元に戻れるのでしょうか。そこで、四次元能では四次元を編集するというシナリオを考えたのです。編集するのならば材料を集めて組み立て加工すれば良いだけです。四次元能では、世界は解釈であると考えています。その解釈方程式もあります。これにより「不可能を可能にする脳の中の能」という四次元能を構想したのです。能とは四次元の編集であり生成の舞いなのです。このようなことを考えた偉い坊さんがいるのです。それが道元なのです。道元も叉も、四次元の編集者だったのです。道元に見習って四次元の編集しているのが、<道元との共振>です。また、宇宙の不思議から四次元を発見しようというのが<ティトムとの共振>です。こちらの平行シムダンスをお楽しみください。

    シムダンスを舞うためのも次元という概念を明らかにしておかなければなりません。次元とはなにでしょうか。基本的なことなので一応下記を参照してください。2008年1月号のニュートンに載った「次元と何か?」を紹介しています。
    http://iroriro.blog.so-net.ne.jp/2007-12-08
    以下編集的に引用しました。

    <ユークリッド>
    点・線・面の定義を定めた。

    <アリストテレス>
    三次元を超える次元は存在しない。

    <デカルト>
    1:次元は位置を決めるために必要な数値の個数。
    2:一次元の線、二次元の平面、三次元の空間。

    <ニュートン>
    空間と時間は絶対的であり共通の尺度。

    <アインシュタイン>
    1:空間と時間は一体の「四次元時空」
    2:時空は曲がる。
    3:三次元空間+時間で四次元時空。
    4:時間と空間は共に作用する。

    <カルツァ>
    1:第5の次元は小さくて気づかない。
    2:超ミクロの世界の10次元。
    3:ブレーンワールドの考え方。
    4:ブレーンワールドは四次元時空を1枚の膜(ブレーン)とみなす。
    5:全ての物質はそのブレーンに閉じ込められている。

    <リサ・ランドール>
    1:第五の次元はワープしている。
    2:ブレーン以外のブレーン(並行世界)を想定している。
    ーーー

    四次元能で四次元というときはアインシュタインの四次元時空を意味します。空間と時間は一体であり、時空は曲がるといいます。しかし、三次元空間+時間が四次元時空となっていますが、四次元能では、これは疑似四次元時空とします。三次元空間と時間が一体化した時空を真正の四次元時空とします。四次元能ではクラインの壷を四次元の時空と考えますが、内と外が反転して時空が曲がっているので、三次元ではそれを作ることはできません。しかし、四次元では実在する空間と考えます。三次元ではそれを作ることはできませんが、モデル化はできます。それが下の図です。クラインの壷の図は下記から引用しました。
    http://static.wikipedia.org/new/wikipedia/en/articles/k/l/e/Klein_bottle.html



    さて、道元の場合の時空とはどうなっているのでしょうか。もちろん道元は、物理学者ではないので道元の時空概念は唯心的なものです。しかし、科学に於ける時空概念でさえ上の定義で明らかなように絶対的なものではないのです。四次元能のクラインの壷も四次元時空をモデル化したのですから唯心的なものなのです。モデル化とは隠喩モデルなのです。隠喩とは述語的同一視ですから、モデルとは唯心的モデル=解釈モデルだということになります。

    唯心的モデルは解釈モデルですが、量子論でも同様のことが起きています。心的な作用が無視できないというところまで踏み込んでしまっているのです。まして、量子論と相対性理論のドッキングを目指している量子重力論、リサランドールの5次元を考えると、ひょっとすると道元の時空モデルは近いのかも知れないと思います。

    道元の時空は独特の言語表現をします。 その例を示しておきます。

    天球が我であり、それ以外に世界はない。これが世界の認識の正しい方法である。目前にある大地も我、空も我、宇宙さえも我なのである。その我を我が見ているのである。そして猫も我、サッカーボールも我である。

    「我は猫である」といったのは夏目漱石ですが、これは述語的思考です。道元における宇宙観は仏教のそれです。しかし、道元の述語的言語表現能力は難解ですがユニークです。道元の方法は、先祖のテキストの文脈を無視して寸断して、それを自在に述語的、アクロバット的に編集したのです。座禅において成り立っている理解できないことがらを四次元思考で説き示すという前代未聞のことをしたのです。詳しくは、道元の宇宙(1,2,3)を参考してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071691700
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071692434
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071776927

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