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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2012年07月31日 18時46分29秒

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    石庭の三角形は正四面体である

    石庭の三角形は正四面体である
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:バザール的予定調和の秘術>



    海舌氏の「人間認識図 ガウス平面で第4象限の無い認識図 邪念の無い精神世界」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813554
    で示したG(1)-G(2)-G(3)の三角形はどんな人間を表現しているのでしょうか?



    石庭の石の配置が三角形であることには着目してみましょう。

    実は、これは三角錐と見た方が良いでしょう。というのは、鑑賞者を想定しているからです。鑑賞者はどこにいるのかですが、三角形の奥の頂点の対面にいるのです。

    「禅と日本文化 石庭」
    http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/zentonihonbunkasekitei.html



    ―――
    その場所とは縁側ですが、更にその奥が座敷です。その座敷が悟りの場なのです。石庭の三角形はそれを鑑賞させる人に、その鑑賞位置の背後に向かわせる意図が隠されているのです。

    ここまでくると、もはや、現実の話しではありません。虚数の世界です。鑑賞者の位置を三角形の中心から垂直に立ち上げてみましょう。すると三角錐が出来ます。正四面体でもよいのですが、揺らぎによって拉げるので多様な現象となって現れてくると考えてよいでしょう。

    G(1)-G(2)-G(3)の三角形は理念的な三角形であり、G(1)-G(2)-G(4)では理念と現実によって拉げた三角形となるのでしょう。従って、拉げた三角形から生成したものは正四面体ではなく三角錐となるでしょう。

    つまり、三角錐は鑑賞者の多様な心にも対応しているということです。ですから原型G(3)では正四面体なのですがG(4)では三角錐なのです。

    これで石庭を三人称の認識のモデルである正四面体へ繋ぐことができました。それで、石庭の三角形を解釈するとどういうことになるのでしょうか?

    石庭の場合は、単に、情緒を生むというだけでなく、悟りを開かせる次の段階への玄関であるという気づかせの術でもあるのですから手が混んでいるといって良いでしょう。

    これで悟りの術がはっきりしてきました。G(1)-G(2)-G(4)として汚染された人間を G(1)-G(2)-G(3)の呼び込みG(4)を浄化するという戦略(意図)があるということではないのでしょうか?

    しかし、悟りは迷と共にあり、悟ったと思っても元の木阿弥になるのが関の山のようですね。

    続く

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  • from: 生成門さん

    2012年07月31日 18時13分42秒

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    第4象限のない邪念のない認識がある

    第4象限のない邪念のない認識がある
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:バザール的予定調和の秘術>



    四つに区分したガウス平面と三つに区分したガウス平面の使い分けは四次元能としては、まだ上手くできていませんが、四次元能的な勝って解釈で先に進めていきます。

    四つに区分したガウス平面は理論的な認識の概念図であり、実際の人間は三つに区分したガウス平面になるという仮説を立てて話しを進めます。

    では、現実的な認識はどのようになるのでしょうか?

    大概の人間はG(1)-G(2)-G(4)の三角形を作るのではないでしょうか?

    ただ、その場合でも、G(3)のイデアの影響は受けているので、智:G(3)に働けば角が立ち、情:G(4)に棹させば流され、意地:G(2)を通せば、G(1)では窮屈になるということになって四つに区分したガウス平面は理論どおり、悩める人間の姿を表現しているのです。

    ところが、多くの悩める人間は生きる場の選択では智を使えないのでしょう。ですから、流されない程度に情:G(4)を使い、意地:G(2)の張る程度も柔らかくして、G(1)で社会人として妥協するのです。これが現代人の現実の姿、三角形なのではないでしょうか?

    ですから、現実の三角形ではG(4)が優勢となって「渡る世間は鬼ばかり」となるのです。

    では、海舌氏が「人間認識図 ガウス平面で第4象限の無い認識図 邪念の無い精神世界」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813554
    で示したG(1)-G(2)-G(3)の三角形はどんな人間を表現しているのでしょうか?

    これは簡単です。感情が除外された人間がどんな人間かを考えてみれば分かるでしょう。

    感情が除外された人間として思いつくのはロボットですが、初音ミクでも感情はないもののG(1)-G(2)-G(4)の三角形を形成していました。しかし、G(3)も保存していました。

    感情がないのがG(1)-G(2)-G(3)なのに感情がない初音ミクがG(1)-G(2)-G(4)というのは矛盾です。これはどう考えたらよいのでしょうか?

    先ず、ガウス平面の四分割G(1)-G(2)-G(3)-G(4)が基本であることを確認しましょう。

    G(3)とG(4)が癒着したと解釈すればG(1)-G(2)-G(3) 、G(1)-G(2)-G(4)のどちらも有り得るということです。除外されたというよりは癒着したとする方が応用できそうです。

    従って、G(1)-G(2)-G(3)の三角形は認識上G(3)にG(4)が癒着したのですから、G(4)を飛ばしG(3)からG(1)へダイレクトに認識として表出すると考えて良いでしょう。このように解釈すれば、MPの作用として自由度、多様性がでて来ますので、より多くの認識の有り様に対処できるのではないでしょうか?

    もし、そうであるなら、ガウス平面上での三角形の作り方は無限にありますので、それが認識の有り様を示しているとするなら、それらを個別に検討しなければなりません。

    しかし、大きく分けてG(1)-G(2)-G(3) ,G(1)-G(2)-G(4) ,
    G(2)-G(3)-G(4),G(1)-G(3)-G(4)の四つのパターンだけを考えればよいでしょう。

    今は、これら全部を検討する余裕がありませんので、G(1)-G(2)-G(3) に絞って検討していきます。

    G(1)-G(2)-G(3) ではG(1)が一人称、G(2)が二人称、G(3)が三人称となっています。

    これを人間の場合、G(4)の邪心や感情のない認識として見ると悟りのモデルとも言えるでしょう。そういう観点で石庭を見直してみると、G(1)-G(2)-G(3)がそれに当てはまるのでしょうか?

    続く

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  • from: 生成門さん

    2012年07月31日 16時08分27秒

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    石庭を正四面体モデルで解明する

    石庭を正四面体モデルで解明する
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:バザール的予定調和の秘術>

    心が休まらない伽藍都市と対比されるのがバザール的に無計画で行き当たりばったりでできたカオス・フラクタルな都市です。成り行きで生成された自然の都市ですが不思議にそこに行くと心が休まります。

    石庭はフラクタル空間か?
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100103471882

    情緒のある複素平面
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100103438240

    石庭は人工の庭ですが、フラクタル的に{イデア⇒情緒}を生成することに成功した良い事例でしょう。言い換えると、石庭には花を咲かせる術、つまり、予定調和=成就させる術が施術されたということです。そこで術の核となっているにのが三角形(鈍角不等辺三角形)です。この三角形は認識の三角形と関係するのでしょうか?

    龍安寺石庭のおける視覚的不協和
    http://art-science.org/journal/v9n3/v9n3pp102/artsci-v9n3pp102.pdf




    石庭の三角形を人間の認識の三角形と関係づけてみました。この石庭の三角形が正四面体に変換できるかどうかはもう少し臨床して見ないといけませんが、このヒントは

    「人間認識図 ガウス平面で第4象限の無い認識図 邪念の無い精神世界」
    http://blog.kaisetsu.org/?eid=813554

    から得ています。

    これによると、新しい認識の方法として、ガウス平面を三つの領域に区切って、第1象限を現象認識、一人称認識)、第2象限を合理的認識、二人称認識、対自認識)、第3象限(直感・直観的認識、三人称認識)としていることです。

    この新しい認識方法の特徴は、二人称が出てきて、第4象限(イルージョン、邪念、感情)が除外されていることです。

    確かに、悟りとは邪念を除去することですから、悟るとは第4象限を除去することなのかもしれません。しかし、第4象限は可能性を持ったイデアの活躍する場でもあり、人間臭さが出るところでもあります。

    これをどう考えたらよいのでしょうか?

    続く

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  • from: 生成門さん

    2012年07月31日 12時09分45秒

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    何事も始まりは一人称から

    何事も始まりは一人称から
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:バザール的予定調和の秘術>

    Linuxの世界にはどんな「花を咲かせる術」があるのでしょうか?

    伽藍とバザール
    http://cruel.org/freeware/cathedral.html

    以下は、「伽藍とバザール」を参考しています。

    「伽藍とバザール」には、「よい物事はすべて、個人的な悩みの解決から始まる」という宣言があります。これは三人称ではありません。すべては一人称の体験から始まることを表明しているのです。これをバザール方式で予定調和を成就するための原理と読み替えるなら「物事の始まりは一人称の場からせよ」です。

    つまり、Linux能は「一人称からスタートせよ」と言っている事になります。三人称ドラマでも一人称と区別ができないドラマがあると言いましたが、それは視点の自由度がない場合でした。

    韓国ドラマの出だしは、大概、主人公が「捨てられる(幻の王女チャミンゴ)」「呪われる(風の国)」、「親が殺される(チュモン)」という具合にカランの幕開けとなる展開をもっています。

    いきなり、三人称の主人公が、見る者の私という一人称と一体になるように仕掛けているのです。その後は、悩み、悲しみ、恨みと言った感情が湧き、例えば、恨みを晴らすことへ執着した三人称G(4)人間となって波乱のドラマがスタートとします。

    その後は、建国や侮辱を受けない国の建設と言った理想的な三人称G(3)人間へと変身して予定調和を実現します。予定調和とは成就であり、クライマックスを迎えます。クライマックスとは、一人称G(1)の主人公へ戻ってくることを意味します。それがドラマの基本シナリオなのです。

    従って、Linux能は三人称ドラマと同じように「一人称に限りなく近くから始めよ」と言っているのです。確かに、これを最初の原理とするのはバザールの本質をついています。どんなビジネスの世界でも、新入社員に対して、「勝手にやれ」などとは言わないでしょう。例えば、ある日本の一流企業の経営理念は「産業報国の精神」です。

    企業はドラマではないのですから、いきなり、こうあるべき姿のG(4)の三人称からスタートするのです。企業においては一人称が諸に出てくる場面は少ないと言ってよいでしょう。これは囚人と同じですね。囚人は徹底して三人称化(規律)され、G(4)の認識を強制されるのですね。

    要するに、ビジネスのG(4)世界は{イデア⇒産業報国}なのです。囚人の世界は、{イデア⇒規律遵守}なのです。これが伽藍的予定調和の方程式なのです。

    現代の人工都市は伽藍建築で埋まっていますが、同時に内部は「がらんどう」です。豊かな心が失われているのです。その原因は伽藍方式という管理主義によって、都市が機能だけに注目したツリー構造として計画されているためです。

    一方、バザール的な都市があります。無計画で行き当たりばったりでできたカオス・フラクタルな都市です。成り行きで生成された自然の形ですが、不思議にそこに行くと心が休まります。

    そこには、Linuxの世界と同様の「花を咲かせる術」があるのでしょうか?
    続く

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    2012年07月28日 08時23分25秒

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    Linux能の世阿弥はハッカーというバザール人

    Linux能の世阿弥はハッカーというバザール人
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    バザール方式による複雑さの回避、Linuxの世界が混乱して崩壊しないこと、想像を絶する進化のスピード、この三つの質問に答えることがバザールの本質の答えることになるでしょう。当然、そっれは、伽藍方式を信奉する管理主義者には信じられないことばかりですから、その答を伽藍信奉者自身の精神の中には発見することはできないでしょう。

    Linuxという世界での主役は、ハッカーというバザール人です。ハッカーにはハッカー根性(イデア性)があり、上の三つの質問に答えるということは、言い換えると、ハッカー精神(イデア)とは何か?を明らかにすることなのです。

    ハッカーになろう
    http://cruel.org/freeware/hacker.html#nerd_connection

    熟練プログラマやネットワークの天才たちのコミュニティないしは共有文化というものが存在しています。その歴史は初期のタイム・シェアリング・ミニコンピュータや黎明期の ARPAnet の実験にまで遡ることができます。この文化に属する人々が「ハッカー hacker」という言葉をうみだしました。ハッカーたちはインターネットを築きました。ハッカーたちが UNIX オペレーティングシステムを今日のような形にまで作りあげました。ハッカーたちが Usenet を運営し、World Wide Web が使えるようにしたんです。あなたがこの文化の一員で、それに貢献し、その文化のほかの人たちがあなたを知っていて、しかもその人たちがあなたをハッカーと呼んでくれるなら、あなたはハッカーです。

    ハッカーを声高に名乗る別の集団が存在しますが、彼らはハッカーではありません。

    これはコンピュータに侵入したり、電話のただがけしたりする人々(主に男のガキ)です。本物のハッカーはこの連中を「クラッカー(cracker)」と呼び、一切関わりを持ちたくないと思っています。

    ハッカーはものをつくります。クラッカーは壊します。

    ―――
    ハッカー=バザール文化ということなので、上の三つの答えを求めようとして、GSPを搭載したEVAに乗ってバザールの現場=Linuxの世界にワープしてきたのですが、果して、答えは見つかるのでしょうか?

    伽藍とバザール
    http://cruel.org/freeware/cathedral.html

    以下は、「伽藍とバザール」を参考しています。

    ARPANETの基本精神は「補間と合成」であり、それは共有するという述語に変身しているはずですから、イデアの原理(心眼の原理)を実践しているでしょう。

    心眼の原理(イデアを発見する方法)
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100110530630

    原理1:「ある」という述語
    原理2:多様さを現出している述語
    原理3:持続を可能にさせている述語
    原理4:成長を可能にさせている述語
    原理5:自己同一を可能にさせている述語
    ―――
    心眼の原理が、現象サイドから逆探知するように、イデアを発見する術です。それに対して、世阿弥の花を咲かせる術はイデアを現象として生成する術です。ですから互いに互換性が有るはずですが、今のところ、これらを繋ぐことはできていません。

    ですから、今やるべき事は、心眼の原理を使って天下り的にLinuxの世界を解釈することでもなく、花を咲かせる術を横滑り的にLinuxの世界を解釈することでもありません。むしろ、Linuxの世界を起点にして花を咲かせる術を探すことが重要ではないでしょうか?


    続く

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    2012年07月28日 08時07分13秒

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    インターネット上に咲いた花:LinuxのOS

    インターネット上に咲いた花:LinuxのOS
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    LinuxのOSはバザール方式によってインターネット上に咲いた花です。当然、インターネットの原型はARPANETですから、そこには補間と合成のイデアが隠されているはずです。

    それなら、そこに世阿弥のような花咲か爺はいるのでしょうか?

    花咲か爺
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100110737462

    早速、花を咲かせる現場に行ってみましょう。

    LinuxのOSが登場で、中央集権大好き、伽藍信奉者のパラノ人達は、驚きを隠せなかったようです。それはそうですよね。

    勝手気ままに、片手間にコンピュータのプロがハッキング(プログラムづくり)するだけで、世界を席巻するOS が手品みたいに創作されてしまうなんて、誰も想像すらできなかったでしょう。Linuxとは、物作りの常識をひっくり返したとんでもない事件だったのです。

    確かに、小さなソフトやある機能の特化した試作的なソフトなどは、伽藍(管理)方式でなくても作ることは可能でしょう。

    しかし、コロンビア号空中分解事故の例で示したように大型システムになると、その複雑さは指数的に増大しますから、とても、バザール方式では不可能のように思えるのです。

    アウトソーシングと進化論に共通する危うさ
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100110306144

    大型システムでは管理することでリスクを削減し予定調和させるのですが、それでも、コロンビア号空中分解事故は難しいことを示しているのです。まして、それが管理しないバザール方式なんて無法世界です。伽藍とは、まるで反対で、なんでもオープンにして人任せ、交雑的なやり方ですから、まとまる(予定調和うる)なんて事は期待のしようがないように思えるでしょう。

    何故、バザール方式が複雑なOSを生成できたのでしょうか?

    何故 Linuxの世界が混乱して崩壊しないのでしょうか?

    何故、伽藍建設者たちの想像を絶するスピードで、続々と強みを発揮し続けられるのでしょうか?

    伽藍方式を信奉する管理主義者には信じられないのですから、その答を自身の中には発見することはできないでしょう。

    だからこの、その答えを求めようとして、GSPを搭載したEVAに乗って、バザール現場のLinuxの世界のワープしてきたのですが、果して、答えは見つかるのでしょうか?

    続く

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    2012年07月28日 08時02分58秒

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    ARPANETには補間と合成のイデアが隠されている

    ARPANETには補間と合成のイデアが隠されている
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    三人称の認識とは動的静的に全体像を把握することであり、そのための述語が「合成」と「補間」であり、合成とは静的な全体像を掴む共時的(時間を超越して)な編集パッチワークなのです。

    一方、時間によって、現在から未来(過去)の姿をイメージして、動的に全体像を把握するためには、時間的に間を補う必要があるのです。その間を補う述語が補間なのです。補間とは通時的(時系列)な編集パッチワークなのです。

    静的全体の合成:共時的(時間を超越して)な編集パッチワーク
    動的全体の補間:通時的(時系列)な編集パッチワーク

    では、インターネットに於ける「補間」とは何でしょうか?

    インターネットという心のコミュニケーションを構成している具体的な述語は五つの基本仕様(イデア)ですが、共有は既に「合成」のために使われましたので、これを除くと、メッセージサービスと遠隔ログインということになります。

    コミュニケーションが全体を構成するための上位の述語、つまり、イデアの作用であるなら、それを可能する下位の述語は「補間と合成」です。合成が共有なら補間がメッセージサービスと遠隔ログインと言うことになります。

    共有は共時的、補間が通時的ですから、メッセージサービスと遠隔ログインは通時的編集パッチワークということになります。

    メッセージサービスと遠隔ログインは全体像を生成するために、時間的にどのように働くのでしょうか?

    単に、寄せ集めただけでは集合知とはならないことは、既に指摘した通りです。質の高い三人称の認識は編集知であるとも言いましたので、編集知は絶えず時間と共に、生成され、消滅しているということになります。つまり、質の高い三人称の認識には時間要素が考慮されなければならないということです。

    集合知を共有するためには、三人称の皆が現在の状況認識からスタートして未来のあるべき姿をイメージして、それに向かってコミュニケーションをしなければなりません。

    現在と未来のあるべき姿の間を埋めるのがコミュニケーションなのですから、コミュニケーションとは通時的編集パッチワーク、つまり、補間なのです。言い換えると、コミュニケーションのためにメッセージサービスと遠隔ログインという下位の述語があるのです。ですから、メッセージサービスと遠隔ログインは補間のための手段なのです。

    ARPANETの五つの基本仕様を合成=共有(資源・情報・プログラム)、補間=メッセージサービスと遠隔ログインというように区別しましたが、手段レベルでは、補間と合成を明確には切り離しては考えられないのかも知れません。

    手段レベルの補間と合成について、もう少し、探求する必要があるようです。いずれにしても、これで補間と合成のイメージが大分はっきりしてきたと思いますので、ARPANETから離れて、インターネット上に咲いた花(LinuxのOS)の話に戻りましょう。

    続く

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    2012年07月28日 07時43分06秒

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    ARPANETの核心は五つのイデア

    ARPANETの核心は五つのイデア
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    ARPANETの基本的な「仕様」には以下のように示されています。

    1. 負荷共有
    2. メッセージサービス
    3. 情報の共有
    4. プログラム共有
    5. 遠隔ログイン

    ARPANETの仕様をイデアというのは、違和感があるかもしれませんが、仕様というのは述語であり、述語はイデアですから、何かを可能にするという意味でイデアといえるでしょう。

    {イデア⇒現象}から解釈すると、{イデア⇒仕様⇒共有・その他⇒物質的現象}であり、共有・その他はイデアとも言えるでしょう。イデアのイデアとイデアが重なってきてしまいますが、GPSを使えば、この辺の曖昧さはクリアできます。述語には作用する場としてはG(1)からG(4)の場があり、それぞれであり、その大元にはMPという即非のイデアの場があるということを忘れなければ大丈夫でしょう。

    MPイデアとG(1)から(4)までのイデアの関係はまだ明らかにしていませんが、これから明らかにされるでしょう。


    その五つ仕様としての最初のイデア:負荷共有とは何でしょうか?

    負荷共有とは、役割分担をしないで御神輿を担ぐということです。一人で請け負うのではなく、共に有するのですから、「御神輿担ぎ」をイメージするとよいでしょう。その述語の違いはイデアの違いですから、それが現象すると大きな違い(伽藍とバザール)となって現れるのです。

    次のイデア:「メッセージサービス」は意思を伝えるということですから分散している状態では特別な意味があるでしょう。

    そして、次のイデア:「情報の共有とプログラム共有」も「共に有する」です。この「共有する」イデアこそが、三人称の認識を解明する鍵になりそうですが、今は、抑えて、先にいきましょう。

    最後のイデア:遠隔ログインは、ネットに接続されているコンピュータを離れた場所からネットを通して使用する事を可能にする述語です。

    これらの五つの基本仕様がアンチ化を進める上でのイデアなのですが、何故、それがインターネット文化を現象させたのでしょうか?

    人類は縦型組織の文化を成功神話としてきたのですが、それを破壊するとするかもしれない新たなイデアとしての思考が、パラノの軍事システムから出て来たことは、陰陽論でいうところの「陽の中に陰がある」を想起させます。これを「陽イデアの中に陰イデアがある」と解釈すると理解できるでしょう。今は、それを指摘するに留め、五つの基本仕様(述語)の意味を探求していきましょう。

    三人称の認識の本質的な述語は「補間と合成」であると言いましたが、ARPANETの基本的な「仕様」には「補間と合成」があるのでしょうか?

    ARPANETの基本仕様の核心は「共有する」という述語ではないでしょうか?

    「共有」が集合知を生み出すのではないでしょうか?

    共有とは、一人で占有するのではなく、皆で分け合うことですが、しかし、分担ではありません。御神輿担ぎ的分担なのです。「御神輿担ぎ」というのは、共有の意味、つまり、分け合いながら集合させるという述語の意味をうまく表現できます。分け合っただけで集合させなければ集合知とはなりませんからね。

    そして、集合とは皆の知を集めることですから合成することに繋がります。集合知とは合成知と言っても良いでしょう。更に、合成すると言っても単に、足し合せるだけでないパッチワーク、つまり、編集的な統合があるでしょう。従って、集合知は統合知でもあるということです。ただ、統合とはパラノ的なインテグレーションを連想してしまいますので、伽藍知になってしまいますから、統合知ではなく編集知ということにしておきましょう。

    集合知<合成知<編集知となりましたが、それは三人称の認識の認識レベル、つまり、質的差異があるということでしょう。

    権力汚染されていない質の高い三人称の認識モデル
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100110416611

    そうすると、次ぎなる関心は三人称の認識を集合・合成・編集する手段は何かというところへ移ります。タコが分散化をしたのですが、それ以上進化できなかったのは、身体的に分散化したからであり、仮想的な身体化を図らなかったからでしょね。その点で、千手観音は仮想的ですから、インターネット・モデルに相同しています。インターネット・モデルとは何でしょうか?

    そう。それは心のコミュニケーションです。千手観音の手とは身体的目のメタファではなく、心眼のメタファなのですね。

    タコの脳は千手観音(千の目がある)のモデルか?
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100109909638
    時代は今、インターネットのように集中から分散方向に進化していますが、ある意味でタコは先端を言っているのかもしれません。又、千手観音(千の目がある)のモデルではないかとも思えます。

    タコは無脊椎動物ですから、人間の系統とは違います。タコはいきなり分散化してしまったために大型化という方法へ進めなかったのでしょうね。分散した脳では情報を集めるのは時間がかかりすぎますから、諦めてしまったのでしょう。

    人間は集中する方向に進化して、密なる空間をつくり、意味空間まで生成して十分に進化した後で、インターネットのような脳の延長物を媒介にしてタコ・モデル(分散脳)へ向かっているのではないでしょうか?

    いずれにしても脳とは何かを考えさせる例としてタコは素晴らしいモデルです。
    ―――

    それに比べるとインターネット・モデルは、まだ、ネットワークという物理線を使っていますから、千手観音よりは下位のモデルということになりますが、しかし、そのネットワークを使って、インターネットという仮想の世界=心のコミュニケーションの世界を生成したのですから、千手観音モデル≒<インターネット・モデルということにしましょう。

    そのインターネットという心のコミュニケーションを構成している具体的な述語は何でしょうか?

    それが、五つの基本仕様なのですが、共有は既に「合成」のために使われましたので、これを除くと、メッセージサービスと遠隔ログインだということになります。

    合成とは集合させることであり、まさに寄せ集めること+アルファ(編集)です。月の映像を地球で見るためには、他者(探査ロボット)の目が必要であり、それを合成する必要がありました。

    全体を完全に合成する技http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100110263229

    同じように、情報や資源を分散させたのですから、それを集約する必要があるということですね。それがネットワークという身体的ハードに依存したコミュケーションシステムです。

    つまり、合成とは共時的(時間を超越して)述語によって、全体像を把握するということになります。言ってみれば、編集的にパッチワークするということですね。

    しかし、それだけでは、全体像を把握したことになりません。月の映像の全体像とは、スナップ写真ではないからです。動く映像でなければならないのです。そのためにはスナップ写真を沢山用意してパラパラ漫画のように動画に仕立て上げなければならないのです。それが時間によって、現在から未来(過去)の姿をイメージして、その間を補う述語なのです。時間的に間を補うひつようがあるのです。それが補間であり、空間的にパッチワークして生めるのが合成ということになるでしょう。

    では、ARPANETに於ける「補間」とは何でしょうか?

    続く

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  • from: 生成門さん

    2012年07月27日 19時35分58秒

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    インターネットの本質

    インターネットの本質
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    Linux というOSが開発された背景がどのようなものだったのかを確認しておきましょう。

    先ず、Linux というOSが開発された背景にはあったのはインターネットという環境です。

    インターネットという一体何なのでしょうか?

    インターネット
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

    これによると、インターネットの語源は「インターネットワーク」で、「ネットワーク間のネットワーク」や「複数のネットワークを相互接続したネットワーク」であるARPANETを前身とする特定の世界的規模のネットワークを指すというのですが、何故、インターのネットなのかが分かりません。世界的規模のインターナショナルからきているのでしょうか?

    答えは、ARPANETにあります。

    ARPANET
    http://ja.wikipedia.org/wiki/ARPANET

    専門的なことは省いて、その本質的なことだけを抽出すると、「インターネットは核攻撃下でのコミュニケーションの生き残りを想定して開発された」ということです。

    軍事システムというのは中央集権的方式が基本ですが、核攻撃下ではそれは最大の弱点でもあるのです。昔から、戦争では、その中枢、つまり、王や殿様がターゲットのされることを一番恐れていました。ですから、影武者を置いたりしてリスクを回避していましたが、核戦争になると軍事システムが攻撃ターゲットになります。中央集権的とは命令を下す中心が一つ、つまり、ワンボス・システム、ツリー、ピラミッドなのです。

    そこで、そのアンチ中央集権的軍事システムとしてARPANETが登場したのですが、アンチシステムとは何でしょうか?

    昔に戻って言えば、影武者を置いたりしてリスクを回避したということです。言い換えると、アンチシステム=アンチ・ワンボス・システム、アンチ・ツリー、アンチピラミッドです。

    アンチ中央集権的とは分散であり、アンチボスとは、ボスの分散化であり、アンチ・ツリーとはネットワークであり、アンチピラミッドとはフラット化です。

    簡単に言えば、集中から分散です。ですから、インターネットとは分散ネットワークなのです。中枢が世界的に分散するということですね。つまり、インターナショナルなネットワーク、インターネットなのですね。

    ですから、ARPANETの本質を探究することは、インターネットの本質に迫ることになるのです。

    ARPANETの本質が分散化だということは分かったのですが、単に影武者を置いただけでは目くらましであって、実質的には何も変わっていません。分散化しても中央集中的機能を果たさなければ意味がありません。

    ARPANETはそれを果たすために、どのような構造や機能を持っていたのでしょうか?

    続く

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  • from: 生成門さん

    2012年07月27日 19時26分01秒

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    バザール方式は偶然に依存する進化説を援護するのか?

    バザール方式は偶然に依存する進化説を援護するのか?
    <四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:クールとホット>

    もし、「伽藍する」ことが人類を滅亡させることなら大変なことです。「バザールする」ことが中和剤となるなら無視できません。伽藍とバザールについて探求してみましょう。

    伽藍とバザール
    http://cruel.org/freeware/cathedral.html

    以下は、「伽藍とバザール」を参考にしています。

    Linux というOSが開発された背景を考えると、私達が持っている成功するための手法(神話)は根底から覆されてしまいます。

    確かに、現代には成功神話というものがあります。

    それはピラミッド組織=ワンボスによってしか複雑な組織を動かせないという近代の思考です。そのような思考が成功神話であり、予定調和です。その神話からすると、Linux というOSの存在は破壊的・奇跡的な存在でしょう。

    皆さんがその神話を無意識に受け入れていることを確かめることは簡単です。

    あなたの企業の経営者に「バザールで行きましょう」と提案すればよいからです。どんな「答え」が返ってくるでしょうか?それは火を見るよりあきらかでしょう。「ノン」です。

    「バザールで行きましょう」というのは「自由で行きましょう」と言っているようなものです。もっと、言えば、「出鱈目に経営しましょう」と言っているようなものです。そんな方法は通用するはずがありません。

    しかし、Linux というOSの存在が「出鱈目に経営しましょう」ということを「ノン」と言えないことを証明しているのです。

    本当に、バザールが出鱈目な方法であり、それが予定調和を生むのでしょうか?

    そして、それが三人称の認識の本質なのでしょうか?

    「出鱈目が成功する」というのは「偶然が進化させる」といっていようなものです。四次元能では、「偶然に依存する進化説」を否定してきました。バザール方式は偶然に依存する進化説を援護するのでしょうか?

    結論を急ぐことはありません。

    続く

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