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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

公開 メンバー数:11人

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  • from: エリスさん

    2012年11月30日 14時08分53秒

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    つないだその手を離さない・11

    アーテーに罵声されて、それでもゼウスは、何も喋らなかった。
    「何故です......何故なにもおっしゃらないのです、陛下」と、アーテーは言った。「悪いと思っているから――イオーに酷いことをしたという自覚があるから、あえて私からの罰を受けようとしているのでしょう? だったら、素直にイオーに謝ってください!」
    すると、ゼウスは頭にかかった粉塵を頭を振って払いのけると、言った。
    「わたしが頭を下げることはできぬ......それが王というものだ」
    「馬鹿な!」
    ちょうどそこへ、咳き込みながら誰かが入ってきた。
    「また派手にやらかしたな、アーテー」
    それは鍛冶の神ヘーパイストスだった。「ここまでくると、おまえの器用な侍女でも修復することは不可能だろう」
    「ヘース叔父様、どうして......」
    いつもはレームノス島の工房で忙しく働いていて、滅多にオリュンポス社殿には登城しないというのはヘーパイストスの有名な話だ。だから彼がここに居るというのは珍しいのだが......。
    「簡単なことだよ。父上の書斎の机が老朽化で傾きかけてきたというから、新しい机を届けに来たところだったのさ......たった今、おまえの破壊の力で壊されたがね」
    ヘーパイストスが手を向けたそこには、壁が崩されて剥き出しになった隣室と、見事な細工が施された机が無残にも真ん中から割れてしまっているのが見えた。
    「すみません、叔父様......」
    「いや、まあ、壊してしまったものは仕方ない。また新しく作るとするよ。この社殿も修復しないと......」
    ヘーパイストスは足もとに転がっている瓦礫を拾い、壁の穴の開いたところに差し込んで、神力を放った――すると、壁は綺麗に修復されたが......。
    「うーん、これ全部をわたしの神力で直すとなると、貧血を起こしそうだな。アーテー、おまえにも手伝ってもらうよ」
    「あっ、はい......」
    アーテーが返事をしている間に、ヘーパイストスは一歩外に出て、物陰から様子を窺っていた侍従二人に声を掛けた、
    「どちらでもいいから、わたしの工房へ行ってキュクロープス兄弟を呼んできてくれ。道具を一式持ってくるようにって」
    すると二人そろって「はい、分かりました!」と駆けだして行った。
    「さてと、それじゃ......」
    ヘーパイストスは手を叩いて、手に着いた砂埃を払った。「父上、母上。アーテーとはわたしが話をしますよ。事情は分かっていますから」
    「そうしてくれるか......」
    と、ゼウスが言うと、「ええ」と、ヘーパイストスはニッコリと笑った。
    「でもそれは父上の為ではないですよ、今まで耐え忍んでこられた母上の為です」
    「分かっておる。おまえが母親思いなのは、わたしが一番理解しているからな」
    「それじゃ、上の階にでも居てください」
    と、ヘーパイストスは両腕を広げて、神力を放出した。すると、先ほどアーテーの力で粉塵と化した天井部分が、ヘーパイストスの神力でかき集められた。そして、「うおりゃあ!!」というヘーパイストスの掛け声とともに、天井をすっぽりと塞いだのである。
    「ありがとう、ヘース......大丈夫なのですか?」
    と、ヘーラーがヘーパイストスの頬を撫でる。
    「大丈夫ですよ、これぐらいなら......さあ、お二人とも上に行っていてください」
    「頼むぞ、ヘーパイストス」と、ゼウスも言って、ヘーラーと部屋を出て行った。
    二人が遠くへ行ったことを察すると、ヘーパイストスは力が抜けたようにその場に倒れた。
    「叔父様!?」
    アーテーが助け起こそうとすると、
    「心配ない、ただの貧血だ......見ての通り、わたしには他の神のように神力が大量にはなくてね......だから、すぐに貧血を起こしてしまう」
    「そんな......おばあ様の――王后神ヘーラーの御子なのに......」
    「それが、父上が凶行に走った理由でもあるんだよ」
    「どうゆうことです?」
    「うん......話す前に、済まない、そこの通信用の水晶球を持ってきてくれ」
    部屋の一番隅に水晶球が置いてあって、奇跡的に無傷だった。アーテーが言われるとおりにすると、ヘーパイストスはアーテーに持たせたまま水晶球に話しかけた。
    「へーベー姉上! へーべー姉上、聞こえる?」
    すると水晶球の中に、青春の女神へーべーの姿が浮かんだ。
    「あら、ヘース。見るからに燃料切れみたいね」
    「分かる? だったら、今すぐ新鮮なネクタル(神酒)を送ってくれ」
    「いいわよ。ハイ、お口アーン......」
    アーン、と、ヘーパイストスが口を開けて待っていると、突然ヘーパイストスの口の上に、桃色の液体の球が浮かんだ。そして、ゆっくりとヘーパイストスの口の中へと入って行った......。
    「うん、姉上が作るネクタルが一番美味い!」と、ヘーパイストスは起き上がった。「それに、力も復活する」
    「それはそうよ。私の得意技ですもの。他に何かしてもらいたいことは?」
    「そうだな、悪いけど旦那さんを貸してもらえない?」
    「ヘーラクレースを?」
    「うん。旦那さん、力仕事は天下一品だから、手伝ってもらいたいんだ」
    「確かに、誰がやったのか分からないけど、かなり悲惨な状況のようね。いいわ、貸してあげる。オリュンポス社殿ね、そこは」
    「ああ、恩に着るよ」
    「どういたしまして。それじゃね」
    通信が切れると、ヘーパイストスは立ち上がって、アーテーから水晶球を取り上げた。
    「みんなが来るまで、少し時間がある。その前に話しておこうか......なぜ、父上が多くの女性を手込めにしなければならなかったのかを......」
    アーテーは、息を呑んで頷いたのだった。

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  • from: エリスさん

    2012年11月23日 11時34分45秒

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    つないだその手を離さない・10

    レシーナーに連れられてイオーが帰って来たとき、王城の入り口には皆が集まっていた。
    「イオー!」
    ペルヘウスがすぐにも駆け寄ってきて、娘を抱きしめようとしたが、それは、その娘が表情を強張らせたことにより制止させられた。
    「イオー......」
    「ごめんなさい、お父様......今は......」
    「......そうか」
    ペルヘウスはそう言うと、息子・ヒューレウスの妃・メーテイアの方を向いて、言った。
    「すまぬが、イオーを部屋に連れて行って、休ませてくれないか」
    「承知いたしました、お任せを」
    メーテイアは答えると、イオーの傍へ行き、彼女の手を取った。
    「いらっしゃい。実家から良い香りのする香木が届いたから、あなたのお部屋で焚いてあげるわ。きっと落ち着くわ」
    「ありがとう、お義姉様」
    イオーとメーテイアが行ってしまうと、ペルヘウスは怒りで体を震わせた。そして、腰の剣に手を伸ばし、鞘からそれを引き出した。
    「あなた......どうするおつもりです?」
    レシーナーが言うと、
    「決まっておろう!! 娘の敵を取るのだ!!」
    「馬鹿なことを申すな!」と、言ったのは前王のルシヘウスだった。「相手は神々の王、万物の父だぞ! そんな不遜なことが許されると思うのか!」
    「では父上は、このまま黙っていろとおっしゃるのですか! 自分の娘を苦しめられて、黙って見ている父親がどこにいるのです!!」
    「少しは冷静にならんか! 重ねて言うが、相手はゼウス様だ! 人間の娘なら、ゼウス様に思われてお手付きになるなど、光栄に思いこそすれ、恥じる必要も恐れる必要もないのだ! それを、心得違いはイオーの方なのだぞ!」
    「父上!!」
    「あんまりです! おじい様」と、ヒューレウスも言った。「いくら相手が神でも、好いてもいない男に手込めにされるなど――しかも聞けばまだ十二歳の少女だったとのこと。恐怖のあまり心が崩壊してもおかしくはありません。それなのに、光栄に思えなどと......」
    「わたしとて、そうも思わなければ!」と、ルシヘウスは叫んだ。
    ルシヘウスも辛いのだ。自分だって本当は、大事な孫娘を苦しめる男に報復したい。だが、相手は神々の王である。歯向かえば、それはこの国の終わりを意味するのだ。
    「いいか、ペルヘウス。かつてわたしの友であったサーテウス――レシーナーの父は、娘が手込めにされたことを怒り、その男に決闘を申し込んだ。そして、相打ちになって果てた......レシーナー、その時の記憶はあるか?」
    ルシヘウスに聞かれて、レシーナーはうなずいた。
    「あの頃に消された記憶は、すべてもう思い出しております」
    「そうか。あの時、まだ記憶を消される前のそなたは、父親が死んだことを聞かされて、ますます酷い状態になったと聞いているが......」
    「はい......自分のせいで、父が死んでしまったと思い、もうとても生きていけないと絶望しました」
    「そうであろう。その時と同じ思いを、イオーにも味あわせたいと思うか?」
    「いいえ、決して。ですから、私もペルヘウス様には敵討ちに行ってもらいたくないと思っております」
    レシーナーはそう言いながら、夫の傍へ行き、剣を鞘に戻させた。
    「イオーの為にも耐えてください――ヒューレウスも。神王ゼウスに人間が敵うはずがありません。それに、幸いと言いましょうか、イオーの身に降りかかった不幸は、すべて前世の事なのです。今のイオーが辱めを受けたわけでも、子供を産まされたわけでもありません。今のイオーは生まれ変わって、まだ誰の手も触れていない純潔の身なのですから」
    「......そうだな......そうだが、実際にイオーはその記憶により苦しんでいる。その恐怖の記憶の責任を負っている男を、わたしは神だの王だのと、敬うことはできない!」
    「あなた......」
    すると、それまで何も言わなかったラファエーラーが、口を開いた。
    「それならば、敬わなくても宜しい......」
    その声はラファエーラーのものではなかった――エイレイテュイアだった。
    「アルゴス王家の者たちは、ゼウスではなく、王后神ヘーラーに仕えているのです。ならば、ヘーラーと、ヘーラーの眷属たる私たち姫御子(ひめみこ)のみを敬えばよろしい。無理に尊敬できぬ神を崇める必要はありません」
    「温情ある御配慮、ありがとうございます、エイレイテュイア様」
    と、ルシヘウスは平伏しながら言った。「そなたも、それで良いな? ペルヘウス」
    「はい......ありがとうございます、エイレイテュイア様」
    「分かってもらえて良かったわ......それと、ゼウスへの敵討ちなら、最適な者が向かっているから、安心なさい」
    「敵討ちをですか?」と、レシーナーが聞いた。「そんな、ゼウス様に歯向かえる方など......」
    「いるのよ。その資格がある者がね」

    ゼウスは何も言わずに佇んでいた。
    きっと頭ではいろいろと考えているのだろう――自分の置かれている立場や、過去の過ちのことなど。それでも、それを表に見せないようにするのも、王の役割である。
    それが分かるから、ヘーラーはただ夫を後ろから抱きしめた。
    「悔いるお気持ちがあるのなら、どうぞイオーに謝ってあげてください」
    すると苦笑いを浮かべたゼウスは、言った。「そんなことが出来るか」
    「悔いるお気持ちがある、ということは否定なさらないのね」
    「......」
    ゼウスはヘーラーを背中から離すと、振り向いて、正面からヘーラーを抱きしめた。そして、熱い口づけを交わすと、そのままヘーラーの衣服を脱がそうとする。
    「あなた......今はこのような時では......」
    「忘れたいのだ......そなた以外に、わたしを癒せる者などおらぬッ」
    「ゼウス......」
    ヘーラーの左肩が露わになった時――奥から騒ぎ声が聞こえてきた。
    「お待ちください! 今お取次ぎを!」
    オリュンポスに仕える男たちの声である。そして、
    「必要ないって言ってるでしょ!!」
    と、若い女の声と共に、壁が破壊される騒音と、男たちの悲鳴が聞こえてくる。
    ヘーラーが急いで衣服を直すと、その声の主――アーテーが、扉を蹴破って現れた。
    「ゼウス! よくもォー!!」
    アーテーの真っ赤な髪が、怒りで逆立っていた。「よくも、イオーを苦しめたな!」
    「アーテー! やめなさい!」
    ヘーラーは叫びながら、ゼウスとアーテーの間に立ちはだかった。
    「どいて! おばあ様! 私はその下衆に用があるの!」
    「お願いだからやめておくれ! この人だって、今は自分がしたことを」
    悔いているのよ、とヘーラーが言う前に、ゼウスがヘーラーを押しのけた。
    「文句なら、わたしだけに言えばよかろう」
    「もちろんよ! イオーの苦しみを味わうがいい!!」
    アーテーの力で、壁や柱が崩れ、その瓦礫がゼウスに向かって弾丸のように飛んでくる。
    ゼウスは、それを一つも避けずに、その身に食らった。
    「イヤァ! あなた、逃げてェ!」
    ヘーラーの悲鳴にも構わず、「まだまだァ!」とアーテーが力を放出する。
    「こんなもんじゃないわ、イオーが受けた痛みと苦しみは!!」
    アーテーは天井を割り、ゼウスの頭上に落とした。
    そのままでは、いくら不死の神でも分厚い天井で下敷きになってしまう。
    「やめてェ!! お願い、逃げて! ゼェウス!!」
    ヘーラーが必死で叫んでも、ゼウスは逃げようとしなかった......。
    アーテーは、舌打ちをして、落ちてくる天井に右手の指先を向けた。その瞬間、天井が粉々に砕けて、砂粒となって落ちてきた。
    ゼウスは、大量の砂粒を被るだけで済んだのだった。
    「......どうして......何故ですか? 陛下」と、アーテーは言った。「甘んじて罰を受ける気持ちがあるのなら、どうして、イオーにあんな酷いことをしたんですか!!」

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  • from: エリスさん

    2012年11月16日 11時31分33秒

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    つないだその手を離さない・9

     「何を言っているの? イオー」
     と、レシーナーは言った。「そんな辛い記憶、消した方がいいでしょ? ましてや、前世の事なんだから」
     するとイオーは首を振り、母親の目を見て言った。
     「記憶は消さない方がいい……その方がみんなの為なの、お母様」
     「何故!?」
     「だってお母様、前世の私が記憶を失っていたから、苦しんだでしょ? 何も言えなくて」
     前世のイオーはヘーラーに記憶を消してもらうことで、自分が妊娠していることなど知らずに過ごしていた。そのため、妊婦としてそれなりの量の食事を摂らなくてはいけないのに、そもそもが小食だったことも手伝って、お腹以外は痩せ細っていった。しかもイオーには、自分の体が普通に見えるように――お腹に子供がいるなど本人が気付かないように暗示がかけられていたため、ますます事態が悪い方に進んでしまったのだ。結果、前世のイオーは出産で体力を消耗し、衰弱死をしてしまったのである。
     「あの時、私は記憶を失わず、妊婦であることを自覚していたら、周りの人たちに心配を掛けることもなかったのです。だから、私はこのままでいます」
     「それで、大丈夫なのですか?」
     そう言ったのはエイレイテュイアだった。「暴行された時の記憶を持ったまま、普通に生活していけるの? 男を恐れずに、生きていけますか?」
     「それは……」
     「では、試しに……ティートロース、こちらへ」
     エイレイテュイアに言われて、ティートロースが進み出た。
     「あなた、試しにイオーを抱きしめてみなさい」
     「そんな、巫女殿に恐れ多い!」
     「そもそも、あなたも半分は神なのですから、イオーに対してそんなに引け目を感じる必要はありません。さあ、やってご覧なさい。母を抱くように」
     「母を……」
     実際にティートロースはイオーの前世の息子である。今までも、そういう思いでイオーを見なかったことはない。それを敢えて抑えてきたのだったが……ティートロースはイオーの前に跪(ひざまず)くと、言った。
     「失礼しても宜しいでしょうか?」
     「はい、どうぞ……」
     イオーがそう言うので、ティートロースはごわごわとイオーを抱き包んだ。すると……しばらくして、イオーの体が震えだした。
     「もういいわ」と、エイレイテュイアはティートロースを引き離した。
     引き離された後も、イオーの体はぶるぶると震えていた。男性に対する恐怖心が完全に残っている証拠である。
     「ほら……親しい間柄のティートであっても、そのように怖がってしまうのだから、やはり恐怖の記憶は消した方がいいのです」
     「ですが……記憶を消したからと言って、男性に対する恐怖がすべて消えるかどうか……」
     「それは、多少は残ってしまうかもしれません。それでも……」
     「いいえ、残ってしまうのなら――訳の分からない恐怖に怯えているぐらいなら、すべて事情を分かっていたうえで、私が乗り越えればいいのです。乗り越えなければいけないんです」
     「そうは言っても……」
     「それに、エイレイテュイア様。私はたまたま神に仕える巫女だったから、このように皆様に御救い頂けますが……そうではない、普通の女性が男性に謂れのない暴力を受けたら、誰が記憶を消してくれるのですか? 人間にそんな能力はありません。普通は、記憶を持ったまま自分で乗り越えていくしかないのです。だったら私も、そうしなければなりません。自分の立場に甘えたりせずに」
     「イオー……」
     潔い考え方である。確かにその通りだ。その通りだが……自分たち神に近しい間柄として身を置いているのだから、少しは自分を頼ってほしいとエイレイテュイアは思った。
     「大丈夫です、エイレイテュイア様。私の不幸は、今この身に受けたものではございません。前世の私が受けたもの。今の私は、神に仕える巫女として恥ずかしくない純潔の体を保っている――そう、しっかりと意識することができます。ですから、もう大丈夫です。エイレイテュイア様、皆様……アーテー様。ご迷惑をおかけ致しました」
     イオーがそう言って頭を下げるので、これ以上強く説得することはできなかった。
     イオーがレシーナーと共に人間界へ帰って行くと、アーテーはエイレイテュイアに言った。
     「ゼウスは……陛下はどこですか?」
     「オリュンポス神殿に帰られたわ、お母様と一緒に」
     「ヘーラー様も……そうですか」
     アーテーはそう言い残すと、そのまま外へ出て行った。
     
     

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  • from: エリスさん

    2012年11月09日 14時27分15秒

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    つないだその手を離さない・8

     客間で目を覚ましたイオーだったが、記憶はまだ前世のままだった。
     「助けて! 助けて、エリス様!」
     イオーはアーテーに縋り付きながら泣き叫んでいた。
     「私の中に誰かいる! 誰かが、この中で蠢いてる!」
     アーテーはそんなイオーをしっかりと抱きしめながら、
     「大丈夫だよ、もう何もいない。イオーのお腹には、もう誰もいないから……」
     と、なだめるのだった。
     レシーナーが到着したのは、そんな時だった。
     イオーはレシーナーの顔を見た途端、こう呼んだ。
     「レシーナーさん! 助けて、レシーナーさん!」
     「……イオー……」
     親友だったころの呼び方……前世のころに完全に記憶が戻ってしまっているということを、レシーナーも認めざるを得ない。
     レシーナーはイオーのもとに歩み寄ると、イオーをアーテーから引き離して、自分の方を向かせた。
     「落ち着きなさい、イオー。あなたが私を名前で呼んでいたのは、前世の――過去の事なのです。今のあなたは生まれ変わって、私の娘になっているのです。アルゴス王の第一王女にして、一族の巫女。それが今のあなたなのです」
     「レシーナーさん!」
     「レシーナーではない、母です!! 私はあなたの母、あなたは私の娘。今の私たちは親子なのです。それを思い出しなさい!」
     「私の母……私は娘……」
     「そうです。さあ、良く思い出すのです。先程から、あなたの左手をこうしてしっかりと握って離さず、あなたをなだめてくださっていたのも、エリス様ではありません。良くご覧なさい、髪の色が違うでしょう? この方は、あなたが5歳の時からお仕えし、今も友人としてあなたを傍に置いて下さる、アーテー女神さまですよ」
     「あっ……」
     イオーは改めてアーテーの顔を見て、その違いに気が付いた。
     「そう、だからこの体の中には、誰もいるはずがないのです。ゼウス様の子供を宿し、産んだのは、前世のあなたであって、今のあなたではない。今のあなたは生まれて来たままの純潔の体――巫女に相応しい穢れの無い体なのです」
     「この中には、誰もいない……」
     イオーは右手で自身の腹をさすった――確かに、誰もいるはずはない。
     「そう、私は……もう生まれ変わったんだ。別の私に……」
     イオーはそういうと、レシーナーの顔を見上げた。
     「……お母様」
     「イオー……」
     ようやく元に戻ってくれたことが嬉しくて、レシーナーは泣きながらイオーを抱きしめた。
     母に抱きしめられながら、イオーはアーテーの方にも目を向けた。
     「アーテー様……」
     「うん……」と、アーテーはうなずいて、握ったままの手を軽く振った。「良かった、思い出してくれて」
     「ごめんなさい、私……」
     「いいんだよ。お母様に間違えられたってことは、それだけ私がお母様に似ているってことだもん。嫌な気はしないよ」
     「いえ……」
     それだけじゃない――と、イオーは思っていた。アーテーがエリスに見えていたのは、似ているからだけではなく……。
     そこで、エイレイテュイアが口を開いた。
     「記憶を消しましょう」
     その言葉で皆がエイレイテュイアに注目した。
     「前世の記憶を消してしまいましょう。そもそも覚えていなくてもいいことです。そうすれば、イオーもこれまで通り生きていけます」
     「では、私が」と、レーテーが一歩前に出た。「私の忘却の力で前世の記憶を消してしまいましょう」
     レーテーが近付いてきたので、先ずレシーナーがイオーから離れた。そして、アーテーも離れるために手を離すと、イオーは小さく「あっ……」と寂しげな声を発した。
     レーテーはイオーの横に座った。
     「いい? あなたの額に私の額を合わせるから、あなたは何も考えず……」
     「いえ、待ってください」と、イオーは言った。「記憶は……消さないでください」
     「何を言っているの!? イオー!」と、レシーナーが――皆も驚いていた。
     「記憶はこのままで……忘れてはいけないと思うんです」
     「どうして? イオー」と、アーテーが言った。「忘れたい記憶なんじゃないの?」
     「忘れたいです。でも……忘れてはいけないんです」
     「何故です!」
     と、レシーナーが聞くと、イオーはこう答えた。
     「私一人が記憶を失ったことで、周りのみんなが苦しんだからです」
     
     
     

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  • from: エリスさん

    2012年11月02日 12時15分42秒

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    つないだその手を離さない・7

     イオーはただ一心不乱に走っていた。
     『もう生きていられない! ヘーラー様を裏切ってしまった!』
     前世での、あの時の記憶がまざまざと蘇ってきて、今世でのイオーの記憶を凌駕する。
     イオーは屋上まで駆け上って来た。
     タケルも必死で追いかけてきて、今まさに飛び降りようとするイオーの手を掴もうとしたが……もうちょっと、というところですり抜けた。
     イオーが頭から落ちて行く――すると、タケルの横を通り抜けて、誰かが飛び降り、瞬時で翼を広げた。
     アーテーだった。
     「イオー!!」
     アーテーは必死に追いつくと、イオーを抱き留めて、そのまま中庭へと着地した。
     イオーは、気を失っていた。
     『イオー……あなたの前世に、そんな過去があったなんて……』
     そう思いながらイオーを抱きしめているアーテーの姿は、完全に大人の女神だった。その場に駆け付けたエイレイテュイアが、
     『まあ、本当に……髪の色以外はエリスにそっくりになって……』
     と、つい思ってしまったほどだった。
     「客間に運びなさい、アーテー。イオーの治療をするわ」
     エイレイテュイアが言うと、
     「治療?」と、我に返って――姿も元に戻りながらアーテーが言った。
     「前世の記憶に囚われてしまうのも、立派な心の病気よ。だから、私たちが治療をするのよ。あなたも手伝って……あと、レシーナーにも来てもらわないと」
     アーテーが子供の姿に戻ってしまったので、エイレイテュイアもイオーを運ぶのを手伝うのだった。
     
     
     ティートロースがレシーナーを迎えに来たと聞いて、ペルヘウスは先ず自分がティートロースに面会した。
     「昨夜、出産を終えたばかりの我が妻を、もうアルゴス社殿に出仕させようとは、いくら女神様方でもご無体と言うもの。いましばらく猶予をいただきたい」
     ペルヘウスが言うと、申し訳なさそうにティートロースは言った。
     「実は、巫女殿が社殿で具合の悪いことになりまして、どうしても乳母殿に来ていただかなければならなくなったのです」
     「イオーが? イオーに何かあったのですか?」
     「神界にまつわることでございますれば、わたしの口からは申し上げづらく……」
     「イオーはわたしの娘です。父親が娘の詳細を聞くのに、なにを憚ることがあります?」
     そこへ、ティートロースが来ていることを耳にしたレシーナーが、ラファエーラーに助けられながら入ってきた。
     「ティートロース殿、お待たせしました。いったい、このような時に火急の用事とは、なにがあったのでございます?」
     「乳母殿、お体を休めなければならない時に、大変申し訳ございません。しかし、あなたには是非お越しいただかなければならないのです」
     と、ティートロースは言うと、レシーナーの目を見て、こう言った。
     「巫女殿が、前世を思い出されて……」
     それだけで、レシーナーはすべてを悟った。「ゼウス様に、お会いしてしまったのね?」
     「はい……」
     するとレシーナーは強く頷いた。「すぐに参りましょう、ティートロース殿」
     「待つんだ、レシーナー!」と、ペルヘウスは言った。「いったいどうゆう訳なんだ。イオーに何があった!」
     レシーナーはしばし悩んだが、意を決して、こう言った。
     「すべては前世の事――すでに終わっていることです。それを踏まえたうえで聞いてください」
     「うん、聞こう……」
     「イオーの前世は、ヘーラー様に仕える精霊(ニンフ)で、私の親友でした。ですが、十二歳の時にゼウス様に辱められて……」
     「辱め!?」
     ペルヘウスだけでなく、ラファエーラーも驚きの表情を見せた。
    「そして、出産に耐えられず、子供を産んですぐにこの世を去りました。イオーは、その辛い記憶を思い出してしまったのです。恐怖の対象であるゼウス神王を見てしまったがために。今までは、ゼウス様がアルゴス社殿に来ることはなかったから、避けられたのに……」
     「なんてことだ……」
     ペルヘウスは嘆かずにはいられなかった。確かに前世でのこと、今のイオーが辱められたのではないが、だとしても、自分の娘を苦しませているのが、崇め奉らなければならない神々の王であるとは。信仰心を捨ててしまいたい気持ちになる。
     「ご理解いただけましたでしょうか」と、ティートロースは言った。「では、天上に参られますよう……」
     「いや、待ってくれ!」と、ペルヘウスは言った。「わたしも行こう! 行かせてくれ!」
     「いいえ、あなた」と、レシーナーが言った。「天上へは許されたものしか参れません。それに……今は、あなたは……男性であるあなたはいらっしゃらない方がいいわ」
     「なぜだ!」
     「今のイオーは、男性をとても怖いと感じてしまっているはずよ。きっと、気が狂うほど……私もそうだったから分かるわ」
     「……そうか……そうだったな」
     ペルヘウスはそう言って、ため息をついた。
     「まあ、あなた。ご存知だったの?」
     レシーナーは、自分も叔父に凌辱された過去を持っていることをペルヘウスには話していなかったのだが……すると、ラファエーラーも口を開いた。
     「ペルヘウスがあなたを妻にしたいと申し入れた時、あなたの母・クレイアーから聞かされたわ。そういう過去を持つ娘を、王の後宮に入れるわけにはいかないと。でも、すでにヘーラー様のお力で処女に戻っていて、その時の記憶も消されていると聞いたから、私もルシヘウス(先王)も問題はないと判断したのよ」
     「そうでしたか……」
     「だから確かに、今のイオーを救えるのは、同じ思いを経験したあなたしかいないようね」と、ラファエーラーは言って、ティートロースの方を見た。
     「お願いします、レシーナーの体に負担がかからないように、くれぐれも」
     「分かりました……行きましょう、乳母殿」
     ティートロースはレシーナーの手を取って、気遣うように一緒に歩きだした。
     

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