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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

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  • from: エリスさん

    2012年06月29日 12時18分38秒

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    「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・58」
            6      


     光影寺から使いの小坊主が来たとき、枝実子はちょうど舞台の衣装――紫のキトンを試着していたところだった。
     瑞樹がこんな早朝から電話をしてきたらしい。
     とにかく急いで、と言われたので、枝実子は着替えることなく山を駆け下り、景虎も付いていってしまったので、章一は(どの道そのつもりでいたので)東京へ帰る準備を始めた。
     光影寺へ枝実子が到着した途端に、瑞樹からの再度の電話が鳴った。
     「大変だよ、エミリー!」
     本当に慌てているらしく、聞いている方は耳が痛くなりそうだった。
     「何が大変なのよ、瑞樹ッ」
     「何がって……あれ? エミリー、声戻ったの?」
     「もう完全復活よォ」
     枝実子はちょっと高飛車に笑ってから、スッと真顔に戻った。「それで、何が大変なのよ」
     「あ、そうそう。真田さんが行方不明なのよ!」
     「……え? それ、いつから!?」
     「一昨日の夜からなの。みんな、初めのうちはいつもの夜遊びで、そのまま引っ掛けた女のところに泊まってるんじゃないかって思ってたんだけど」
     『相変わらず凄い言われよう……』
     大変な時だというのに、枝実子はそう思ってしまった。
     「でも、二日も家を空けるなんて、変でしょ? あのガールフレンドなんか、もう半狂乱であの人のこと探してるよ」
     「それって、やっぱり如月に係わることなの?」
     「十中八九。調べてみたらね、真田さんが最後に姿を見られたのって、如月と一緒に歩いてた時だそうだもの」
     「当然、如月はそのことについてオトボケしてるんでしょうね」
     「あたりまえじゃない。話してて、殴ってやろうかと思ったぐらい、シラッとしてるのよ」
     明らかに真田を利用したらしいことは、枝実子にも想像がつく。
     だが、どこへ?
     「とりあえず、今朝までに戻ってこなかったら、こっちも行動を起こさないといけないって佳奈子先生が言ってたから、今朝そっちに佳奈子先生が向かったはずなんだ。元に戻ったんなら、こっちに帰っておいでよ」
     「分かった。佳奈子先生が着くまで、ここにいさせてもらうから、また何かあったら連絡して」
     「オッケー!」
     枝実子は受話器を置いてから、後ろで話を聞いていた住職の方を振り向いた。
     住職はただ頷いた。
     縁側で待っていた景虎は、ひげをピクピクッとさせて、起き上がった。
     普通の猫でさえ霊感のあるものを、神獣の生まれ変わりである景虎には、こんなにもはっきりとした霊気は簡単に見つけることができる。
     景虎は霊気のする方へ歩いて行った。
     寺の中の墓地に入る前に、錦鯉を放った大きな池がある。そこに、誰かがいた。
     池の傍の庭石に腰掛けた彼女は、まだ枝実子よりずっと若く、青地に紫陽花を描いた浴衣を着て、右腕の袖から包帯が見え隠れし、左足の脛にも包帯を巻いていた。身体中が怪我だらけと言っていい。
     景虎は池を眺めるその娘に声を掛けてみた。
     彼女は景虎に気付いて、にっこりと微笑んだ。
     美人とは言えないし、ちょっと太ってはいるが、純和風の顔だちをした優しそうな娘である。
     「おいで」
     彼女の手招きに、景虎は素直に応じた。
     間違いなく、景虎が感じた霊気は彼女のものだった。今はまだなんの修行もしていないために不安定なところがあるが、きっと枝実子にも劣らぬ霊能者になれるだろうと、景虎は感じ取った。
     「おまえ、どこの猫? 大伯父様(おおおじさま)の飼い猫?」
     オオオジって誰? と景虎が思っていると、誰かが近付いてくる足音がした。
     「あ、やっぱり景虎だ。なにしてるんだ?」
     後から来た章一である。手に自分と枝実子の荷物を持っている。
     彼女は一瞬身構えたが、落ち着いて章一を見てから、元の穏やかな表情に戻った。
     「あれ……君は?」
     章一は、もうちょっと痩せればエミリーに似てる、と思いながら歩み寄った。
     「君、この寺の子?」
     その問いに、彼女が答えようとしていると、いきなり、
     「その子に近寄らないで!」
     と、悲鳴にも似た声が飛び込んできた。
     和服姿の老婆が、母屋の方から駆けて来る。
     「おばあ様……」
     と、その老婆を見て彼女が呟く。
     老婆は、駆け寄るなり、彼女のことを抱きしめた。
     「この子になんの御用ですか!」
     「え!? あの……」
     なんと言うべきか困っている章一の代わりに、景虎が鳴く。
     「あ……ああ、すみません。あなたの子猫ですか?」
     「いえ、親友の猫なんですが……」
     そこへ騒ぎが聞こえたのか、枝実子と住職がやって来た。
     「世津子(せつこ)さん?」
     枝実子はそう言いながら、こっちへ歩いてきた。
     「まあ、枝実子お嬢さん!」
     と、老婆が答える。
     知り合い? と章一が枝実子に聞くと、
     「御住職の一番下の妹さん。今は千葉の松戸の方に住んでるんですよね」
     「ご無沙汰をしております、お嬢さん。あ、じゃあ、お嬢さんのお友達なんですか?」
     「親友なんです」
     「まあ、これは。失礼を致しました。私ったら、つい……」
     老婆――北上(きたがみ)世津子に頭を下げられて、章一もつられてお辞儀をしてしまう。それを面白いと思ったのか、また景虎が鳴いた。
     「あら、景虎。遊んでもらってたの?」
     すると、彼女は答えた。
     「この子、お姉さんの猫なんですか?」
     「ええ、そうよ……世津子さんのお孫さんね」
     「はい」
     彼女は景虎を枝実子に返そうとして差し出した。だが、
     「まだ抱いてていいわ。すぐには帰らないから……景虎が離れたくないって顔してるもの」
     「ありがとうございます」
     その子は景虎を膝の上に乗せた。
     枝実子は景虎の様子から気付いていたのだ、この娘が並の娘ではないことを。そうでなくても、危うい波長で流れている霊気……。
     『この子……もしかして……』
     枝実子は、身を屈めてから、彼女の手を取って見た。
     すると……。
     『どうしたんだ?』
     章一が一瞬不安になったほど、瞬時に枝実子の表情が蒼白になった。
     枝実子は彼女を、自分の額に近づけた。
     「……あれ?」
     彼女は自分の足を軽く動かしてみた。
     膝の上にいた景虎が退くと、身を屈めて自分の脛をさすってみる。
     「どうしたの? アヤ」
     世津子の問いに、治ったみたい、と彼女は答えた。
     「足の痛いの、取れたわ。おばあ様」
     「まあ……」
     「お姉さん、ヒーリングが出来るんですか?」
     少しも驚いている風がないところなど、やはり片桐の血筋のせいだろう。
     枝実子は微笑んでから、また彼女の手を取った。
     「私は片桐枝実子……あなたの名前は?」
     「アヤコ……北上郁子(きたがみ あやこ)と言います」
     「北上郁子さん……忘れないわ、その名前。だから、あなたも私を忘れないで。きっと、また会いましょうね」
     枝実子はそう言い残して、母屋の方へと歩いて行った。
     「ニャーオ」
     と、景虎も郁子を見上げてから、枝実子の後を追って行った。
     章一も二人に会釈をしてから、彼女の後を追った。
     母屋に入ってから、何があった? と枝実子に聞いてみた。
     まだ、少し蒼白な顔色。
     「これから、霊力を使わなきゃいけないだろうから、フルパワー使えなくて、足しか治してあげられなかったけど……実際に、あんな子がいるなんて……」
     「いったい、何が……」
     「ご覧になられましたか、嬢」
     住職も母屋に戻ってきて、障子を閉めながら言った。「あの子の怪我を」
     「透視したわけではなく、彼女の記憶が流れてきて……ほぼ全身に、傷が」
     「え……」
     章一は言葉を失ってしまった。


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  • from: エリスさん

    2012年06月22日 10時23分29秒

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    「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・57」
     俺が記憶を取り戻したのも、こんな高熱が続いた時だった――と、章一は枝実子の額に雪を包んだ布を押し当てながら、思った。
     時々、枝実子がうわ言を言う。その声は、元の枝実子の声だった。
     「キオー……ネー……」
     『そうだ、思い出せッ、俺たちのことを』
     そうすれば分かる。自分の想いも、何故この気持ちを押し殺さなければならないのかも。
     この世に転生した、もっとも過酷な試練。絶対に営みあってはならないという宿命。
     「なんで……だったらなんで、俺は男として生まれてきたんだ」と、章一はつぶやいた。「エミリーと愛し合えないのなら、女のままでも良かったじゃないか! 男なんか大嫌いだ!」
     宇宙の意志は言っていた。なぜ人間は二種類――男と女に分けられているのか、おまえは理解していない。エリスはこの世界の総てを学ぶために人間界に降りることになっている。一足先に生まれ変わるおまえは、エリスの手助けをしなくてはならない。だから、おまえは、おまえが最も忌み嫌う種別に生まれ変わらねばならない、と。
     枝実子が唸り声をあげてから、目を覚ました。
     「エミリー!」
     「……ショウ……あなたなの?」
     枝実子は震えながら、ゆっくりと、手を章一の頬に近づけた。
     「私の、あの子なの?」
     何も言えずに、俯く。
     「そうなの? ねえ……ショウ?」
     「……エ……」
     章一の口から、女の声が漏れる。「……エリス……様」
     「キオーネー……」
     枝実子が章一の首に両腕を伸ばした時だった。
     「ニャー!!」
     すぐ傍で、景虎が叫ぶように鳴いた――いや、泣いていた。
     滅多に見ることのできない猫の涙……それも大量の涙が景虎の目から、溢れ、零れてゆく。
     「どうして……景虎?」
     「グッ……」
     枝実子を見下ろしていた章一は、自身の左腕を右手で爪を立てたまま握り締めた。そうして、痛みで自分を取り戻そうとする。
     それらの光景を見て、枝実子も分かった。
     「そう……そうね。私の試練は、誰にも愛されないこと。たとえそれが、あなたであっても……そうなのね? ショウ」
     章一は顔を背けて、枝実子から離れ、壁に身を預けた。
     「ショウ……」
     枝実子は起き上がって、章一の方を向いた。
     「あなた、耐えてくれていたのね、あの時……」
     枝実子の告白を、今は駄目だ、と拒絶したのは、お互いがまだ若すぎたから。若さゆえにまた過ちを犯さないように、どちらかが去るしかない。
     「ごめんなさい……私が愚か過ぎたわ。あなたの苦しみも知らないで……他の人に逃げようとしたりして……私……」
     涙が、止まらない。
     前世では同性同士で愛し合って罰せられ、今生では男女であっても罰せられる。どんなに深い想いであっても、だからこそ。
     『愛してる、と言ってはならないなんて……』
     今ほど、この言葉を口にしたいと思ったことはない。
     それでも、二人はただ泣いていることしかできなかった。


     彼女を起こさないように、慎重に体を起こす。
     如月は、裸体のままの自分の体を、確かめるように撫でた。
     純潔ではなくなった自分の体では、もう月影を融合していられないかもしれないと思ったのだが、その心配はなさそうだ。
     『彼女となら穢れにならないのかもしれぬ。彼女は聖女だから……』
     彼の隣には、白い肌をした眞紀子が、シーツだけを掛けて眠っている。
     とうとうこの女性の温もりを、直に感じ取ってしまった。これはもしかしたら最大の罪かもしれない――それとも、幸運だろうか。
     『けれど、どうすることもできなかった。彼女を拒むことなど……救いを求めている眞紀子さんを見捨てることなど……』
     じっと眺めていた彼の視線に気付いたのか、眞紀子が目を覚ました。
     「あ、起こしちゃった……」
     如月は言ってから、驚愕した。
     眞紀子も驚いて、すぐに起き上がった。
     「如月さん?」
     あ、あ、と声を出してみる――男の声しか出ない。
     「エミリーさんね?」
     眞紀子の言葉に、如月は頷いた。
     「まあ、そうこなくっちゃ面白くないさ」
     「でも、学校ではその声じゃ……」
     「大丈夫だよ」
     如月は二、三度咳払いをして、言った。「作り声が出せますから。エミリーの声に似ていませんか?」
     「あ、似てる……でも、似ているだけじゃ、きっと、瑞樹さんあたりには……」
     「そうだな……けど、それも長いことじゃない」
     明日には決着がつく――如月はそう予感していた。



     「……剣は?」
     涙をぬぐった枝実子が言うと、トコトコッと歩いて行った景虎が、剣の立てかけてあるところでニャーっと鳴いた。
     枝実子は左手をかざした。
     景虎は剣から少し離れた。
     「……ディスコルディア……」
     枝実子の声に反応して、動く――が、倒れて、そのまま動かなくなった。
     枝実子は苦笑いをした。
     「やっぱり、この体じゃ無理なのね。声だけ昔のままでも」
     「いや、そうじゃないよ」
     章一も涙を手の甲で払うと、剣を取って枝実子の方に差し出した。
     柄の上部――鍔(つば)の真下にあたる所に、六角形の穴があいていた。
     あっ、と枝実子は小さく叫んだ。
     「黒水晶が……」
     「そう。前世の君の霊力を帯びて、神格化した君の剣のパワーのほとんどを蓄えていた、いわばディスコルディアの魂が抜けているんだよ」
     ディスコルディアの魂――章一が説明した通り、不和女神エリスの霊力を浴びていたために疑似生命体となったディスコルディアが、パワーのほとんどを蓄えていた黒水晶のことである。時折、刃が欠けたりして修理に出さなければならない時は、エリスはこの水晶だけ外して鍛冶の神に預け、水晶の方はその間、自身の胸の谷間に埋め込んでいたほど、大事なものだった。ちなみに、ディスコルディアとは、ローマ人がエリスを呼ぶときに付けた名で、その響きの良さを気に入ったエリスが、剣の名としたのである。
     「でも、その方が良かったかしら」と、枝実子は言った。「完全に記憶の戻った私には、これ以上材料が揃わない方がいいかもしれない。私が完全復活してしまったら、その時、日本は……」
     今更ながらに思う。
     如月が自分を殺そうとしていることこそ、正義なのかもしれない、と。

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  • from: エリスさん

    2012年06月15日 12時34分01秒

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    「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・56」
     体温が異様なまでに下がっていた。
     今日まで、肉も魚も、熱量になるものは一切口にしていなかった枝実子である。それが滝に連日打たれていたのだ。体温がある方がおかしい。
     とにかく、濡れた白衣を脱がせないといけない。
     「ニャーオ……」
     景虎が念を押すように鳴く。
     「……分かってるよ。だけど、濡れた服のままじゃ温めてもやれないだろ。それよりタオルと着替え、引っ張って来てくれ」
     実際、必死になっていると、枝実子の裸体に見とれることなんかできない。章一は自分の方に寄りかからせながら、枝実子の下着を外し、景虎が引っ張ってきたタオルで体を拭いてやった。
     流石に景虎では下着は選んでこれないので、素肌の上に浴衣を着せる。
     枝実子は、何をされても全く反応がなく、ただ、眠り続けていた。
     長い、長い夢を見るために……。


     まだほんの少女だったころ、彼女は良く森で、仲が良さそうな人たちを見ると、無意識に不和の種を撒き散らして、喧嘩をさせてしまうことがあった。
     何故そんなことをしてしまうのか分からず、母であり夜の司・ニュクスに泣きついたものだった。
     しかし、母は彼女の望んでいる言葉を口にすることなく、自分を責めるばかりだった。
     「ごめんなさいね。母様がいけないの。母様に似てしまったばっかりに、おまえは……」
     そして、とうとう母は一つの決心をして、彼女を自身の社殿から追い出した。
     「私の大事な水晶を割るなんて、おまえなど私の娘ではありません!!」
     そうやって、彼女が母親を憎み、蔑み、母親のような女神にはならないと心に誓ってくれれば、彼女は全く違う生き方ができる……そう信じて、心を鬼にした母親の気持ちを気付かぬほど、彼女は愚かではなかった。
     母親の社殿を出た彼女は、その日のうちに、後に親友となる軍神アレースと出会う。
     彼と親しくするうちに、その母であり王后のヘーラーに目を掛けてもらえるようになり、ヘーラーの社殿・アルゴスにも出入り自由となった頃、彼女は運命の少女と出会う――それが、月桂樹から生まれた精霊・キオーネーだった。
     初めは友人として、やがて家族のように、そして逃れられない恋へと落ちていく。
     「どうしよう、母さん。私、エリス様を追い落としてしまう。あんなに気高い女神様を……」
     キオーネーが母親である樹にしがみついて泣いている頃、彼女も苦しんでいた。
     「母君、あなたは見ているはずだ。ずっと、私を追い出したあの日から! それなのに、どうして姿を見せては下さらぬ。今こそ、あなたの支えを欲している娘の前に、せめて優しい声を掛けては下さらぬ! 母君ィ!!」
     苦しみながらも二人は愛し合い、深く濃く、想いを紡いでいく……。
     キオーネーは彼女の剣・ディスコルディアを抱きしめながら、言ったものだった。
     「ディスコルディア様が羨ましいですわ。あなた様の別称を頂き、絶えずあなた様のお傍にいられるのですもの。私は……夜しか一緒にはいられない」
     だから、彼女も言ったものだった。
     「せめて、私かそなたが男であったならな……」
     そうして、二人の関係が表沙汰になってしまう。
     神々の裁判に連れ出された彼女は、堂々と神王・ゼウスに申し開いた。
     「大地の女神・ガイア様はご子息の天空の神・ウーラノス様と交わってクロノス様を儲け、そのクロノス様は姉のレイアー様を后とし、陛下を初めとする神々をこの世に誕生させた。陛下ご自身も姉君であるヘーラー様を正妃とし、同じく姉君であるデーメーテール様を側室となさっているではありませんか。それならば、近親婚の許されているこの神界に、新たな法――同性婚の法をお造り下さるならば、私とキオーネーは喜んでその始まりとなろうではありませんか。陛下、神界と人間界との間に、はっきりとした境界線を引くか、それとも双方ともに共通する法を定めるか、本来論じられるべきことは、この二つに一つなのではございませんか。願わくは、この神界に新たな法を!」
     「黙れ!!」
     激怒したゼウスは、息子たちを使って彼女たちを罰しようとする。
     先ず、太陽神・アポローンが刺客として向かう。
     だが、容易に倒される彼女ではない。
     アポローンは卑怯な真似をして、彼女を地に横たわらせた。
     彼女はそんなアポローンに言った。
     「キオーネーに手を出してみろ、おまえの女たちを一人残らず八つ裂きにしてやる。おまえがキオーネーを殺せば当然の報いだ……キオーネーは、私の妻だ」
     胸に深い切り傷を負った彼女は、それでもキオーネーを連れて国外へ逃亡しようとした。
     そんな時に現れたアレースは、本当に心強い味方だった……。
     キオーネーを寝かしつけた後、アレースは彼女にも神酒(ネクタル)を勧めた。
     「どうしてあんな子供を好きになったんだ?」
     アレースに聞かれて、彼女は、
     「子供じゃないよ。もう彼女は十五だ……確かに、自分でも以外だったよ。いくら男を愛せないからって、女とはね……でも、逃れられなかった。私は欲していたんだ。この体の総てを使い果たしても守りたい、誰か、何かを」
     「……わかるよ。だから俺も、弟の妃だったアプロディーテーを……」
     ……彼女が薬で眠らされている間、アレースは彼女だけを連れて隠れ家を後にした。
     馬車の揺れに胸の傷が響いて、目を覚ました彼女は、親友の策略に気付いて、彼を責めた。
     「キオーネーをどうした、答えろ!!」
     彼は顔をそむけたまま、答えた。
     「父上の……命令なんだ……」
     父親の呪縛から逃れられないアレースを嘲笑し、半身のまだ効かない彼女は、腕だけで地を這いながらキオーネーを助けに行こうとする。そんな彼女を助け起こしたアレースは、初めて彼女から罵倒された。
     「触るな、裏切者!! ……本当の……心からの親友だと、信じていたのに……」
     アレースを父親の呪縛から解放してくれたのは、そんな彼女の涙だった。
     アレースの馬車に再び乗せられた彼女は、一路キオーネーのもとへと向かう。
     だが、ゼウスはあまりにも無情な行いをした。
     彼女たちの目の前にキオーネーが眠っている隠れ家が見えた時、雷電を落として隠れ家ごとキオーネーを焼いてしまったのである。
     夜の空には彼女の悲鳴がこだまし、それを司る女神も人知れず涙にくれたのである。
     その日から、彼女は不思議な夢を見る。
     夢の中で、男とも女ともつかない声が、彼女に話しかけるのだ。
     「これは試練。そなたがより高処(たかみ)へ登り詰めるための……。そして、いつかわたしのもとへ辿り着きなさい」
     彼女の傷が癒えた頃、王后神・ヘーラーから、養女にならないか、という申し入れがあった。
     日頃、母親として憧れていた女神からのこの言葉は、彼女にとって救いだった。
     彼女はアルゴス社殿の姫御子の一人となった。
     しかし、ゼウスへの怒りは消えず、そんな彼女を哀れに思ったのか、ゼウスとヘーラーの長女・エイレイテュイアは彼女と親しくするようになった。
     やがて、エイレイテュイアの想いが愛へと変じ、彼女を苦しめ始めた。
     そのまま時が過ぎ……。
     キオーネーは浜辺に住む漁師夫婦の一人娘として転生していた。彼女はたびたびその浜辺を訪れ、キオーネーを垣間見る。そんな姿をヘーラーも遠くから見守っていた。
     エイレイテュイアを愛人にはしていても、完全に心を閉ざす養女を、心配するヘーラー。
     「エイリーは私の娘……そなたが敬愛してくれているこの私の娘だと、そうは思えぬのか? あの子は、そなたへの想いゆえに、エロースを生んだのだぞ!」
     「そのために、苦しんでいるのはエロースではありませんか」
     母親・ニュクスの能力を受け継いで、単身で懐妊・出産する能力を得ていた彼女。だがエイレイテュイアは産褥分娩の女神でありながら、その能力はない。エイレイテュイアは彼女への想いが高じて、彼女の子供が産みたいと願うようになっていた。そして、許されぬべき行為に出たのである。彼女の胎内に宿った胎児を、自分の胎内に移し、育てて、産んだのである。――それが、恋の神・エロースだった。彼は、この生まれゆえに十五歳になったら体の成長が止まるという悲劇に追い込まれる。
     「僕の本当の母親は誰なんですか、お母様。何故、僕はお母様に似ていないのですか……何故、叔母様の子供たちは僕にそっくりなんですか! 僕の名と叔母様の名が一字違いなのは何故なんです!!」
     息子に責められ、泣きくれるエイレイテュイアを、流石の彼女も可哀想に思えてくる。慰めようとするのは自然の理であるが、エイレイテュイアが彼女をなじるのも、また自然の理である。
     「何故、あなたは男ではないの……並の男神よりも男らしく、威厳に満ちたあなたが、何故、女なのよ! あなたがそんな人でなかったら……そして寂しがりな人でなかったらッ、私は身を任せようとは思いませんでした。それなのに、どうしてよ!! どうしてあなたは、女神として生まれてきたの!!」
     一番気にしていることを言われては、その場にはいられない。彼女が踵(きびす)を返して立ち去ろうとすると、背後からまたエイレイテュイアは叫んだ。
     「待って……待って!! 嘘よ。今、私が言ったことは皆、嘘です。だから見捨てないでッ。お願い。愛してるわ、――!!」
     どんなに自分の名を呼ばれても、振り向けない――敵の娘、というわだかまりと、キオーネーを愛していながら、エイレイテュイアにも傾きつつある自分の愚かさに。
     出来ることなら生まれ変わりたい。
     女神でなくていい、人生をやり直してみたい。
     この時からそんな思いが彼女を突き動かしていた。
     そして、あの夜……罪人でありながらヘーラーの庇護のもと平穏に暮らす彼女に、制裁を加えようと、ゼウスが彼女の寝室に忍び込んだ、その日、身を持って父親を制したエイレイテュイアに、彼女はようやく心を開いた。
     「私は、罰を受けようと思う」
     「自分の罪を認めるの? 私たちの愛を邪道だと言うの?」
     「そうじゃない、形だけ借りるのだ。私への罰は、人間界で人間として生き、多くの試練を受けることだと聞いている。ようやく私は目覚めたのだ。だから、人間界へ降りられるのなら、罰を受けるという形式だけ借りてもいいだろう? エイリー……戻ってきたら、私の正妻になってくれるか?」
     「……私で、いいの?」
     「私を目覚めさせてくれたのは、おまえだから」
     翌日、彼女は神王を初めとするオリュンポスの神々の前に進み出た。
     そこでゼウスと和解した彼女は、人間界での刑罰が終わった暁には、エイレイテュイアを正妻として与えるという約束をもらう。
     そうして、人間界に降りることになった彼女は、その前に浜辺を訪れた。――キオーネーの生まれ変わりに会うために。
     子犬と遊んでいたその子は、彼女に気付いて、じっと見上げていた。
     「その子(犬)が好き?」
     「うん」
     「お父さんとお母さんは?」
     「大好き……お姉さん? 私、お姉さんとどこかで会ったことあるみたい」
     「そう……ね」
     そこへ、娘の母親が現れる、娘の名を呼びながら………今のキオーネーの名は、彼女と同じ名前だった。
     「あなた様は、この子の本当のお母様ではありませんか?」
     「実の娘ではないのですか?」
     「はい……五年前です。男とも女ともつかない声の持ち主が私ども夫婦の夢枕に立たれて、この子を授けてくだされたのです」
     この声の主、それは……。
     そして、二人の母親との別離。
     敬愛する養母・ヘーラーのもとを訪ねた彼女は、紫水晶の指輪を賜った。
     「もう黒いキトンを身に着けるのはおやめ。これからは、これがそなたの色。吾子よ、ただ運命に流れるのではなく、時には運命に抗い、多くの物を勝ち取って生きよ。そなたには、それが出来るはずだ」
     実母・ニュクスの方は自分から訪ねてきてくれた。
     「感謝しております、母君。あの時、あなたが私を突き放してくれなかったら、今の私はありませんでした」
     「恨んで……いなかっ……」
     涙で声が詰まるニュクスを、彼女もまた涙ぐみながら抱きしめる。――そのまま、動けない。
     どんなに欲しても得られなかった、実母の温もりが、ようやく戻ってきたのだ。
     思えば、母親に恵まれていないと思っていた彼女の人生は、まったくの思い違いであった。こんなにも偉大な母が二人も、彼女を表から、裏から、支えてくれたのである。
     そうして、精進潔斎の日、辿り着いた宇宙……。
     「ようやく辿り着いたな」
     男とも女ともつかぬ声――宇宙の意志が、そこにいた。
     「あなただったのか? ずっと私に話しかけていたのも、キオーネーをあの漁師夫婦に授けたのも」
     「そう……そしてこれからも、わたしは御身を見守り続ける」
     彼女は、宇宙空間において身体の時間を戻され――大人から少女へ、幼女、赤子、そして細胞のひとかけらにまで戻り、魂だけの姿となった。
     彼女は地球へとゆっくりと流され落ちて行きながら、ずっと満天の星空を眺めていた。――そして、日本の東京において、片桐枝実子として産声を上げたのである。
     彼女の名は、不和女神・エリスと言った……。


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  • from: エリスさん

    2012年06月08日 11時33分09秒

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    「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・55」
     不思議なことと言おうか、当然と言うべきか、如月は眞紀子の傍にいる時が一番落ち着く。――体の中の一切の邪気が消えていくような気さえするのだ。
     『月影を融合させているのに、そんな筈はないのだが……』
     しかし、それだけ自分にとって眞紀子が大きな存在になっていることだけは事実である。
     そのせいか、近頃は眞紀子の家に泊まることが多くなった。
     「お家の方、心配しないの?」
     眞紀子が言うと、如月は苦笑いをしてから言った。
     「心配は心配でも、別の心配でしょうね……本当にあなたの家――女友達の家に泊まっているのか。もしかしたら男の所で、果ては“ふしだら”なことはしていないか、とか……」
     「ええ、まさか!? お家の人達の記憶って、エミリーさんが家にいた時の記憶をベースにしているのでしょう? だったら、そんな心配するはずがないじゃない。彼女、真田さんと交際していても本当に貞節で、身が固いのよ。それは……私にはあんなことしたけど、所詮ふしだらなこととは無縁の人だわ」
     「そう。あやつほど潔癖にしていた女はいないでしょう。言葉で人を蕩(とろ)かすことはしていましたが(主に章一に対して)。しかし、あやつの母親はそう見ないのです」
     如月は枝実子が今まで母親から受けていた侮蔑の数々を眞紀子に話した。
     そのせいで――いや、おかけで、枝実子は口にできない思いを文章で表現する術を身に着けたことも。
     「あやつの文章力は、母親への怒りから成長したのです」
     「……わかるわ」
     「え?」
     「私も同じよ」
     眞紀子の文章力も父親への侮蔑で始まった。
     正妻を泣かし、多くの愛人を持って、その中の一人に自分を生ませた、だらしのない父親への憎悪。
     自分は絶対にあんな人間になってはいけない。なるものか。
     だから……!!
     「私……もし生まれた時に本当の奥さんが死んでいなかったら、この家に時取られずに済んだかもしれないわ」
     「でも、もし引き取られていなかったら、今のような教養は身に付か……」
     「教養なんかいらない!! 安らぎが欲しいの!!」
     そう言い放った眞紀子の息が、荒く、熱く、如月を征服する。
     眞紀子の腕が如月の首筋に絡む。
     「……欲しているのは、安らぎだけよ……」
     「……眞紀子さん……」
     それは、如月の方こそだったかもしれない。


     日が暮れても枝実子が戻ってこない。
     様子を見に行こうと思って囲炉裏から離れた途端、大きな水飛沫がした。
     窓から見ると、枝実子が滝の下で倒れていた。急いで駆け付けようとしたが、戸がビクとも動かない。
     「どうなっているんだ!?」
     章一が頑張って開けようとすると、窓にしがみついていた景虎が鳴いて、呼んだ。
     光が差し込んできている。
     見ると、枝実子の上空に、光に包まれた女性――長い金髪、白い肌に紫のキトン、金色の腰帯、指には何種類もの指環をつけた、まさに女神――が、いた。
     『あの御方は!?』
     章一は、懐かしいその姿に、驚いた。
     その手に、諸刃の剣が握られている。
     「我が娘、エリスよ」
     その声に答えるように、枝実子が……いや、枝実子の体から浮き上がったその魂は、枝実子の姿をしていなかった。如月に良く似た、しかしそれ以上に高雅で威厳に満ちた表情、膝まで長い黒髪――前世の彼女が、紫のキトンに身を包んで、女神の傍まで飛び上がった。
     「お懐かしゅうございます、母君」
     「エリス、良くぞ、その身にまとわりついた邪気を払いのけました。これで、この剣を手渡すことができます」
     女神は両手で剣を手渡した。
     「これは試練です、エリス」と、女神は枝実子を抱きしめた。「必ず乗り越えて、帰ってきておくれ。エイレイテュイアも、そなたの子供たちも、そしてもう一人の母も、そなたの帰りを待っているのだから」
     「はい、必ず。母君――ヘーラー様」
     女神は、小屋の中の章一にも目を向けた。
     「私の侍女であった者よ、この者を守りなさい。いずれ、そなた達が結ばれることを許される、その日まで」
     女神の姿が光と共に消える。枝実子の魂も身体の中へ戻っていった。
     ギギッ、と戸が開いていく。
     章一と景虎は、咄嗟に駆けだしていた。
     浅い滝壺の中から、枝実子を抱き上げる。
     「エミリーッ!!」


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  • from: エリスさん

    2012年06月01日 12時17分25秒

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    「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・54」
     如月は、枝実子の部屋の箪笥の一番下から、白陽を取り出して、眺めていた。
     体内に融合した月影の力で、多少なりと反発するかと思えば、全くの無反応である。
     『そう言えば、エミリーにとっても全くのナマクラだったな』
     本来、白陽と月影は対を成しているはずである。それなのに、片桐家の歴史を振り返ってみると、何故か白陽の方が扱いにくいことが分かっている。
     月影は言わば邪剣。手にしたものを取り込み、闇へ引きずり込む可能性がある。だから、鏡姫は封印をしようと決意したのだ。
     だが白陽の方は、例え霊力が強くても、本当の力は発揮しない。歴代斎姫の中でも白陽を本当に扱えたのは僅か五人。その中でも霊よせの鈴を融合させていたのは二人だけである。また、斎姫どころか、分家の男児で扱えた者もいたらしい。
     月影よりも、白陽に選ばれる方が難しいのである。
     『霊力を鍛えても使えないのではな。……それでは、景虎は何故この刀を守っていたのだ? 私の魔力で穢れることを恐れたか……もしくは壊されては困るとでも思ったか』
     実際、如月はこの刀を目障りに思って、打ち砕いてしまおうとしたのだが、その途端に反発して発光し、却って自分が火傷を負いかねなかったこともあった。
     その時の発光からしても、この刀が相当な霊力を秘めていることは分かる。
     『どちらにしろ、近いうちにこの白陽が扱える人間が出て来るのかもしれぬ』
     如月は、白陽を元通りに仕舞って、考えた。
     『まあ、よかろう。エミリーにはもう、切り札はないのだから。……今頃、あの男が向かっているであろうな』


     その男は、夜の山道を歩いていた。
     東京からここまで、ただ歩いて来られるはずもないが、彼は「このまま行ってはいけない」という心の声に従って、電車を降りてしまった。
     それなのに、別の声が彼を尚も歩かせるのだ。
     「エミリーを……片桐枝実子を殺しなさい」
     そんなこと……と思うのに、声に逆らい切れない。
     「片桐枝実子を殺すのです、御身の手で。あやつは、このままでは諸悪にまみれて汚されていくであろう。そうなる前に……」
     『そんなこと……そんなこと出来ない!』
     初めて彼女と言葉を交わした時のことを覚えている。
     正直、嬉しくて上気していのは自分の方だったかもしれない。
     「みんなにエミリーって呼ばれてるんだね。俺もそう呼ぼうかな。それとも、枝実子って呼んでいい?」
     その男――真田の言葉に、どうぞお好きなように、と彼女は殊更(ことさら)丁寧に、それでも笑顔で答えてくれた。
     「そうかァ。嵐賀エミリーって君のことだったのか。良くゼミナールで読まれてるよね。凄くいいよ、君の作品。あ、俺の小説も聞いたことある? 俺さァ、オカルト物とか好きなんだよ。君は歴史とか神話とかが好きなんだね」
     夢中になってしゃべっている自分を、彼女はずっと見つめながら微笑んでいる。
     決して美人ではないのに、安心させてくれる笑顔。――真田はこれを求めていたのだ。
     なのに、彼女は言ってはならない一言を言った。
     「真田さん見てると、うちのお兄ちゃんを思い出すわ」
     だからこそ、あの日、父・誠司に告げられたことを、衝撃に押しつぶされながらも、受け止められたのかもしれない。
     「なんでだよ! なんで、彼女と付き合っちゃいけないのさ、父さん!」
     誠司は、一枚の写真を息子に差し出した。
     その写真に写っていたもの。それは……。
     「だからこそ、片桐枝実子を殺すのです」
     ――誰かが尚も追い打ちをかけるように、彼に囁く。
     「あやつが大罪を犯し、己の宿業に苛(さいな)まれる前に、あなたが楽にしてあげなければ……」
     そう……その方がいいのかもしれない。
     報われない想いに窒息しそうになりながら悶えているよりは、いっそのこと――それが彼女のためにもなるのなら……。
     『駄目だ! 絶対にそんなの!』
     足がよろけて、咄嗟に木に身を委ねる。
     だんだんと自分の意識が薄らいでいく。そして完全に失った時、この声に征服されてしまうだろうことを、真田こうしこは気付いていた。
     なんとしても、意識を失ってはいけない。
     殺してはならない、彼女を。何故なら……。
     「……枝実子……どうして、俺たち……」
     真田の意識は、そこで力尽きてしまった。


     ゴールデンウィークも中間に差し掛かり、明日からは三連休という、普通のとだったら楽しみで仕方ないその日も、枝実子は滝に打たれていた。
     こうして荒行を続けて行くうちに、心は洗われ、今まで見えなかったものが見えるようになってきた。
     片桐家宝刀の謎――如月も気にしていたそれを、枝実子も分かりかけてきた。
     「ニャーオ! ニャーオ!」
     岸辺で景虎が鳴いている。
    お昼にしようよ、と言っているのだ。この頃、章一も自身の修行に明け暮れているため、時を告げるのは景虎の役目になっていた。
     景虎の声で山から下りてきた章一が食事の支度をしている間、枝実子は薪に火をつけていた(ちなみに野外で食事をするつもりだった)。
     二人で互いの仕事をしている間、枝実子は荒行の間に得た答えを章一に話した。
     「それじゃ、白陽は使い物にならないじゃないか」
     章一は包丁を持ったまま言った。
     「そういうことになるな」
     「それじゃ、なんで如月から守っていたんだ、景虎」
     いきなり包丁を向けられて、景虎はピュッと枝実子の後ろに逃げ込んだ。
     「ニャ〜ン」
     「あ、ごめんごめん」
     それを見て、枝実子はクスクスっ笑ってから、代わりに答えた。
     「恐らく、如月の魔力で白陽が穢れてしまうか、壊されることを恐れてたんじゃないかな、今思うと。さもなければ、いずれ現れる白陽の継承者のために守っていたか」
     「白陽の継承者?」
     「ああ……片桐の血筋なら、分家の人間でも構わないんだ。そもそも俺だって本家の人間とも言えない。親父は跡を継がなかったんだから」
     「それじゃ何かい? エミリーの飼い猫でありながら、他人のために働いてたのか、景虎は」
     「その言い方には語弊があるな。恐らく、白陽の継承者は俺と関係する人間なんだよ。だから、白陽の継承者のために働くってことは、私のためにもなるんだ」
     「ふうん」と言ってから、あれ? と章一は思った。
     「私には分かる……その人とは近いうちに会える。だんだん、その人の霊気がこっちに近づいてきていることが分かるのよ……どうかしたのか? ショウ」
     章一はやや目を点にしていた。
     「今さ……自分のこと“私”って言ったよね?」
     「え?」
     言われて見ると、声はそのままだが、言葉遣いが大分女らしくなってきた。以前は意識して使おうとしても、どうしても男言葉になっていたのに。
     如月の魔術が解け始めている。
     「もう少しだな……気合い入れないと」
     しかし、枝実子はまだ少しだけ不安だった。
     如月の魔術に打ち勝てたからといって、結局白陽は使えないし、月影が手に入るとは限らない(まだ二人は月影が如月の体内にあることを知らない)。
     しかし、正念場の時は近づきつつあった。

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