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from: hikaru0827さん
2010/02/13 05:20:41
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「Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> しかし誤解なきように言いますが、幸福の科学の中にも、愛があり、素晴らしい人はそれなりにいますよ。他の組織と一緒です。いろんな人がいます。
> でも、上からの方針に従って動き回り、苦しくなると裁いたりする姿も、ずいぶん見ています。だから、どうしてもそこには、無理があるように思えます。
> 植福菩薩、経典菩薩、布教菩薩、幸福維新菩薩、映画のときは、回転菩薩、などなど、菩薩という言葉で、操られているように思うのは、僕だけでしょうか。修行菩薩というのもありますね。30年間に渡って、精舎研修を受け続けるというものですが、こうした菩薩制度で、がんじがらめになっているような気がするときがあります。
> 本当の修行は、そうしたシステムによって操られるものではなく、足下にあるのだと思います。今与えられているリアル社会での環境こそが修行の場であり、それ以外にはあり得ません。
三宝帰依という事を考えると、僧団という組織にも逆らってはいけないだろう…と思っていた時もありましたが、仏・法はともかく、僧については、少し意味が違うのだと思います。
僧は、至らない部分もあるでしょうし、間違いもあるでしょう。
会員の方自身が、その僧団の一員であり、僧団を高めていく当事者です。
おかしい、と思う事は、建設的な意見として、どんどんアピールしていいと思います。
僧団への帰依というのは、深いところでの信頼関係と考えています。
どんなシステムも、それは手段であって目的ではありません。
「なんとか菩薩」を励みにする事はあっても、すぐに忘れたい称号ですね。
どんな活動も無理を感じて行うなら菩薩果とはいえません。
己の欲せざるままに行えてこそ、菩薩です。
習慣化という修行にはなっているかもしれませんが、そこに無理があれば長続きしないでしょう。
> 皆さんにとっての修行とは何なのかを聞かせてもらえれば幸いです。
私の修行は、すべて日常生活にあります。そして、「上求菩提・下化衆生」が基本ですね。
私の知っている真理を如何に体現していくかですね。
家では、家事手伝い・子供の世話・妻の世話…。
会社では、仕事…。
心のコントロールは今なおヘタクソです。毎日自己嫌悪です。
支部活動でなくても、機を見て真理を伝える事は出来ます。
その言葉は、本当に腑に落としたものでなければ、うわっすべりするのみで、伝わりませんし、不自然な会話になります。
社会を良くするために貢献したい、という欲求は常に持っていますが、残念ながら今はその実力も立場もなく、ビジョンも描けておりません。icon
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from: ueyonabaruさん
2010/02/12 15:26:51
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「Re:Re:Re:Re:Re:幸福の科学について」
hikaru0827さんへ
ご回答大変に参考になりました。ありがとうございます。
私は、このようなものに興味はありますが、これまで、参考にはするが、大真面目に注目するようなことはありませんでした。というのは、私達には霊感がないので、確かめようがないことがありましたね。このようなものを否定することは当然ありませんでしたが若干の疑念はありましたね。ゼウスのものの言い方など、非常に違和感を感じたのを覚えています。この本は、いまでもありますが、しかし、気分的には、開こうという気持ちにはなれません。
注目したのは、谷口先生の霊言です。先生はあのように語るのかという不信の気持ちがありましたが、当時には、谷口先生の秘書もされた経験のある、橋本健という方の、口調は谷口先生に似ているということを証言している記事もあり、ホントにそうなのかなと思ったものです。
半信半疑でしたね。当時は、このように多くの人を取り上げ、霊言という形で表現していく、この大川隆法という人物は、しかし、タダモノではないとは、思いました。仮に、想像で霊言を作り上げたんだと邪推をするとしても、このような想像の作業は普通の人にはできないものです。ボロが出てくるでしょうね。 深刻な内容を取り上げております。
今でも、霊言集の世界に飛翔する気持ちはありません。そこには、地上を離れて高く飛ぶ鳥が、あてどもなくさまよう不安のようなものが感じられます。私は、ヤンバルクイナのような、飛べない鳥なのかもしれません。しかし、いずれは何の不安もなしに空を飛べるような鳥になれるかもしれません。
> > 霊言集について質問がございます。hikaruさんは霊言集において霊が語ることはすべてホンモノだとお考えですか。
> えーと、質問の趣旨が分かりにくいのですが…。
>
> まず霊が本物なのかどうか、について言うと、「ほぼ間違いない」と思っています。
> なぜ、「ほぼ」としたかは、方便の場合があるという部分です。
> 特に、ゼウス神のレベルになると、代理人が来ていいてもおかしくないな、とか…。
> または、霊人側が、受け取るこちらの都合や時期を慮って、あえて他の人の名を使っている場合とか…そのような事があるかもしれないとは思います。
>
> 霊が語る事が、本物かどうか?という意味で、さらにその霊言の内容が正しいかどうか?という意味ですと、「その霊人にとっての真実である」、と思います。
> 小桜姫の語る霊界と、紫式部の語る霊界は違いますが、それぞれにとっては真実です。
>
> それとも、霊言の内容に仲介者(先生ですね)の意図が混ざっていると思うか?というご質問でしょうか?
>
> ………混ざるかもしれませんね。
> 例えば、霊言中に先生自身が「それを今言うのはまずいだろう」と判断して言わない、とか。
> 逆に、霊人側が先生に気を使って「ぼやかす」とかも、ありそうです。
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from: ueyonabaruさん
2010/02/12 13:02:36
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「Re:Re:Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> > 先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
> 人間として尊敬するのはとてもすばらしいことです。僕も吉田松陰や坂本龍馬は尊敬しています。
> しかし、人間を崇拝するのは、今はとても抵抗があります。
> 崇拝してしまうと、ありのままにその人を見ることができなくなるからです。
お気持ちはよく分かります。崇拝は強い感じがしますね。あえて、崇拝としたのは、先生ご自身がエル・カンタ-レとおっしゃるので、その位置づけで考えてのことです。
先生は大川隆法であり、同時にエル・カンタ-レという二面がありますね。実相においては、エル・カンタ-レであり、9次元霊のリ-ダ-であるわけです。現世では、幸福の科学総裁という人間になります。その二面性のところが、混乱するように思います。
人間大川隆法は人間的に欠点がないとは言えないのではないでしょうか。間違いもあります。しかし、エル・カンタ-レであると信じるのは信仰だと思います。
我々も、この世における人間としての自分と、実相における自分というものがあります。人間は、実相においては、霊であり、仏子であり、不滅の知性であり、不滅の力であると教えられております。このことを信じることもまた信仰になりますネ。我々にも、大川先生にも同様の二面性があるわけですね。これらの事情については、「信仰のすすめ」において、次のように書かれております。
「結局、信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は〇〇家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが、仏が私の親です」と言えることが信仰です。」
> 精舎と言えば、沖縄正心館にも行きましたが、とても綺麗な精舎ですね。海が目の前にあって、眺めもいいし。
たくさんの信徒さんたちが来られるといいなと願っております。支部長から、「あなたも精舎に行けば、心境が変わるから」と勧められますが、もうしばらくしたらいくからと応えております。ユックリでいいと思っているんです。
何しろ今でも、考え方の大半は、大川さんから得たものを基礎にしていますからね。僕は大学に行っていないので、大川さんの書籍で、教養を身に付けたようなものです。
> 活動をやりながら心の修行もしている人がいるなら、それはとても立派だと思っています。現実にはとても難しいとは思いますが。
大学に行かれなくて、これだけの発言がおできになるのは、本来、力があるからだと思います。もっとも、大学で私達のここでのテ-マを教えてくれるわけでもありませんので、結局は、自分の興味と努力が大切なのでしょう。
心配ですね。長続きできるでしょうか。icon
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from: hikaru0827さん
2010/02/12 04:07:33
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「Re:Re:Re:Re:幸福の科学について」
ueyonabaruさんへ
> 霊言集について質問がございます。hikaruさんは霊言集において霊が語ることはすべてホンモノだとお考えですか。
>
えーと、質問の趣旨が分かりにくいのですが…。
まず霊が本物なのかどうか、について言うと、「ほぼ間違いない」と思っています。
なぜ、「ほぼ」としたかは、方便の場合があるという部分です。
特に、ゼウス神のレベルになると、代理人が来ていいてもおかしくないな、とか…。
または、霊人側が、受け取るこちらの都合や時期を慮って、あえて他の人の名を使っている場合とか…そのような事があるかもしれないとは思います。
霊が語る事が、本物かどうか?という意味で、さらにその霊言の内容が正しいかどうか?という意味ですと、「その霊人にとっての真実である」、と思います。
小桜姫の語る霊界と、紫式部の語る霊界は違いますが、それぞれにとっては真実です。
それとも、霊言の内容に仲介者(先生ですね)の意図が混ざっていると思うか?というご質問でしょうか?
………混ざるかもしれませんね。
例えば、霊言中に先生自身が「それを今言うのはまずいだろう」と判断して言わない、とか。
逆に、霊人側が先生に気を使って「ぼやかす」とかも、ありそうです。
>ところで、前回は、皆さんはお金を一人当たりいくらぐらい供出されましたか?
みんな、がんばれ!と陰ながら応援しておりました。
お金は出しておりません。icon
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from: hikaru0827さん
2010/02/12 03:22:14
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「Re:Re:Re:Re:幸福の科学について」
minamikazeさんへ
> 今は国難の時期だから、主の白い手にしたがって、何も考えず、言われたとおりに動くのが、もしかしたら本物の信仰者なのかもしれませんが、僕にはどうしてもできません。高邁な理想と現実の活動が、僕には理解できないのです。だから距離を置きたいのです。
「何も考えずに、言われたとおりに動く」事は、決して正しくありません。
素直である事と、何も考えない事は、何が違うのでしょう…。
同じでは無い筈です…。
信仰者であってもそれぞれの役割というものもあるでしょうから、無理をする必要はないかもしれません。
ただ、私自身にも言える事ですが、「無理」と感じる理由が何なのかを正しく見つめる作業は大切なんでしょうね。
距離を置く事で見えてくるものもあるでしょうから、距離を置く事自体はよろしいのではないでしょうか。icon
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from: minamikazeさん
2010/02/12 00:24:26
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「Re:Re:本当の修行とは」
ueyonabaru さんへ
> この四正道は正しいと思います。これを、現実生活に行じることが向上の道だと思います。特に私にとっては、愛のところですね。これは大事です。調子の悪いとき、気分が優れない時には、他の人の望むところは何かを考えて実行するようにしております。これは、意志的な作業であっても効果的です。見返りを求めない、あるいは見返りとは関係のないところで行うのです。働くことですね。
おっしゃるとおりです。 四正道は理想です。その理想をいかに、生活の場に下ろしていくかですよね。
>
>
> 先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
人間として尊敬するのはとてもすばらしいことです。僕も吉田松陰や坂本龍馬は尊敬しています。
しかし、人間を崇拝するのは、今はとても抵抗があります。
崇拝してしまうと、ありのままにその人を見ることができなくなるからです。
> 私は、いつも、皆が幸福の科学の信者になってもらいたいという気持ちがありますが、現実はナカナカできないでおります。これが、自然に伝道ができるようになればいいのですが、これは、ホントの信仰ができていない故なのかもしれません。信仰を実生活の中に生かしている人は、巧まずしてこれが可能でしょう。その人の思いが他者によく通じるはずですから。まず、自分がホントに幸福になることが大事でしょうね。
いわゆる、背中で語るというやつですね。おそらく生長の家にも、そのような徳のある方がいたのではないでしょうか。
徳による感化力こそが、本当の伝道のように思います。
大川さんを見ていて気になるのは、自分を大きく見せることに懸命になっているように思えるところです。組織も、大きく見せようとしていますね。これは、教団の会員数を始め、公式発表と実際の違いを見ればわかります。大川さんの昨年の発言を、時系列を追って見ていけば、いろいろなことが見えてくると思います。
>私の修行は、四正道と正心法語の読誦しかありません。瞑想は、精舎に素直に行けるようになってからやりたいと思います。だんだんに素直になっているようですが、まだ精舎に自発的に行こうという気持ちには至りません。
精舎と言えば、沖縄正心館にも行きましたが、とても綺麗な精舎ですね。海が目の前にあって、眺めもいいし。
僕は全部を否定していません。精舎で気づいたこともあります。
ゼロか百課というような極端な考えは持っておりません。
家庭の事情もあり、会員は今後も続けていくつもりです。ただ、やめる可能性もあるということです。
人間、大川隆法としてなら、今でも充分に尊敬していますから。何しろ今でも、考え方の大半は、大川さんから得たものを基礎にしていますからね。僕は大学に行っていないので、大川さんの書籍で、教養を身に付けたようなものです。
活動をやりながら心の修行もしている人がいるなら、それはとても立派だと思っています。現実にはとても難しいとは思いますが。
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from: にしき鯉さん
2010/02/11 21:04:26
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「Re:本当の修行とは」
minamikaze さんへ
本当に素晴らしい正直な見方ですね
<僕が勤める会社の、下請けの清掃会社の主任は、元ツッパリなのですが、さまざまな要請をこなしたり、下の者をまとめたり、もがき苦しみながら仕事をしています。僕はそれを見ていて、ああいい修行をしているなあと、思います。>
同感です、自分もそう思います
自分にとって修行とは生きる事、自分のこころと戦うことです
自分の心にはエゴという「魔」が住み着いています
普段は平静です、しかし、一旦自分に不利益な事がおきるととたんに「エゴ」が動き始めます
性欲もそうですし特にプライドはやっかいです
他人に何かして感謝されれば嬉しい、
でも、逆に努力して助けたとしても感謝されなければ、、、
「ああ、あいつはこういうヤツなんだ」と今度は批判する事で自分を正当化する「エゴ」が起きてきます
本来、仏教には「頓着(とんちゃく)するな」の言葉があります
それは「善の行為」にも適用されます
それが中々難しいんです、今でも、、、
だからこそ教義の復習がかかせないんです
自分の中の「魔」というエゴが動き出した時に止めるのはキチンとした教義データなんです
それが今生、生きているうちに確立できるかが最大の課題ですicon
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from: ueyonabaruさん
2010/02/11 20:23:08
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「Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> 僕は、去年、幸福の科学のあり方に疑問を持ってから、本当の修行とは何なのだろうということを、ずっと考えてきました。
> 僕はそれまで、「正しき心の探求」と、「愛・知・反省・発展」の四正道の実践が、修行だと思っていました。今も、確かにそれは、修行だろうとは思っています。
この四正道は正しいと思います。これを、現実生活に行じることが向上の道だと思います。特に私にとっては、愛のところですね。これは大事です。調子の悪いとき、気分が優れない時には、他の人の望むところは何かを考えて実行するようにしております。これは、意志的な作業であっても効果的です。見返りを求めない、あるいは見返りとは関係のないところで行うのです。働くことですね。
> しかし、幸福の科学は、煎じ詰めれば、大川さんへの個人崇拝に行き着きます。太陽の法、黄金の法、永遠の法、この壮大な法があれば、この教えが広がったときに、世界が平和になると思っていました。しかし今はそうは思いません。
先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
> 以前でしたら、上から目線で、仏法真理を知らないこの人をわからせるにはどうしよう、などと考えていたものです。
私は、いつも、皆が幸福の科学の信者になってもらいたいという気持ちがありますが、現実はナカナカできないでおります。これが、自然に伝道ができるようになればいいのですが、これは、ホントの信仰ができていない故なのかもしれません。信仰を実生活の中に生かしている人は、巧まずしてこれが可能でしょう。その人の思いが他者によく通じるはずですから。まず、自分がホントに幸福になることが大事でしょうね。
> 植福菩薩、経典菩薩、布教菩薩、幸福維新菩薩、映画のときは、回転菩薩、などなど、菩薩という言葉で、操られているように思うのは、僕だけでしょうか。修行菩薩というのもありますね。30年間に渡って、精舎研修を受け続けるというものですが、こうした菩薩制度で、がんじがらめになっているような気がするときがあります。
こういうのは、好きでありません。私は、このように説明されると反発する性格ですね。教団がお金を必要としているのは分からないでもないですが、・・・・・・。どうも困ります。
> 本当の修行は、そうしたシステムによって操られるものではなく、足下にあるのだと思います。今与えられているリアル社会での環境こそが修行の場であり、それ以外にはあり得ません。
幸福の科学のシステムも大事ですし、これを現実に生かさねば本物ではないでしょう。両方大事です。
私の修行は、四正道と正心法語の読誦しかありません。瞑想は、精舎に素直に行けるようになってからやりたいと思います。だんだんに素直になっているようですが、まだ精舎に自発的に行こうという気持ちには至りません。icon
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from: にしき鯉さん
2010/02/11 20:15:27
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「Re:Re:仏教考察(中道)」
minamikaze さんへ
> < 最近、幸福の科学でも、性愛についての研修が始まったようです。「新カーマ・スートラ」祈願&講義だそうですが、女性限定の日もあるようです。男女が一緒に受けると、まずいのかもしれません。まさにこれは、大川さんへの絶対帰依がないと、受ける気にはなれない研修だと思います。>
危ないですね、日本でも可能なんでしょうか?
何年かまえにはバグワン・シュリ・ラジニーシの団体が実践していました
私の友人にも会員(サニヤシン)の人がいました
サニヤスというのは明け渡すという意味です
教団の中では欲したら相手の了解を得てセックスするというのは常識だそうです
カーマ・スートラですか、また、古典的な経典を持ち出して、、、
あれは一般の人の「性の教科書」であって悟りに結びつくものではないですよ(歴史的には価値があります)
バグワンがフリーセックス教みたいな形をとったのはアメリカ人が性に飢えていたからです
キリスト教文化の長い歴史が抑圧という形で観念を作っていたからです
それを破壊したうえでその上にあるものを目指したようです
今は、故人になっていますので、、、、止めときます
(晩年は悲惨でしたから)
モラルのうるさい日本では不可能な教えです
大川さんはなにが目的でカーマ・スートラを選んだのでしょう
間違った性愛を正そうとしたんでしょうか
だって趣旨はセックスの技法、誘惑の方法、魅力的に見せる方法など煩悩の限りをつくす内容となっているんですよ
現代のハウ・ツーセックスみたいな感じです
祈願・講義の言葉も気になります
性エネルギーを使って悟りを目指すなら「仙道」あるいは「ヨーガ」の方が確実で失敗はないはずですが、、、
大川さんが間違った指導をしないことを願ってますicon
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from: ueyonabaruさん
2010/02/11 18:52:47
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「Re:Re:Re:幸福の科学について」
minamikazeさんへ
私は、組織の細部は分かりませんので、色々経験されたことなど教えてくださいネ。
> 降魔経はどうでしょうか。なかなか降魔経まで毎日独誦する人は少ないとは思いますが。
降魔経までみなさんは読むように指導されていたのでしょうか。私は、勝手に考えておりましたが、このお経は何か特別のときに読誦するものでもないのですか?
> 関谷さんの「虚業教団」も、当時はサタンが指導して書かせたものだから絶対読んではいけないといわれ、遠ざけていましたが、ネットで呼んでみて、きわめてまともな人であると思いました。むしろそれに対し、正当な反論ができず、サタンだと一方的に決め付けている大川さんのほうに、何かやましいことがあるのかなという印象は持っています。
関谷さんの「虚業教団」を読みましたが、関谷さんは特に悪い人のように思えないのは同感ですが、関谷さんがみた大川さんであり、教団の姿であるという面はあるはずです。大川さんの言い分もお聞きしないと判断はできないと思いますが、いかがですか。
悪魔が指導したという風に表現されておるのですか?大川さんがそのようにおっしゃっているのですか?
ところで、悪魔というのはどのようなものでしょうか。関谷さんにどのような影響を与えたのでしょうか。私が見るに、悪魔の仕業だとすれば、悪魔さんは関谷さんに不信仰の念を起こさせたことぐらいです。たいした悪者でもないようにも思えます。原さんを動かしたのも悪魔の仕業でしょうか?hiraokaさんによると、大川さんの態度が悪い風にも思えました。これも、しかし、大川信仰が失われたということぐらいが悪魔のなせる業であると言えるかもしれません。
この伝で言うと、minamikazeさんの現在の大川不信仰も、悪魔の仕業だと言ってもよろしいようです。悪魔は、不信仰を起こさせるものと言えそうですね。それが悪魔の仕事でしょうね。
この不信仰が大きいことかもしれませんので、私も気をつけてまいりたいと思います。
これまで教団では、ずいぶんと立派だと思われた方々が離れていっております。どうしてでしょうか。もしかするとこれらも悪魔の仕業といってもよろしいのでしょうか。悪魔を導き入れるのはしかし、本人の心の状況でもあります。彼らの心になにがあったのでしょうか。正直、このあたりも知りたいところですが、彼らの声は聞こえてまいりません。
彼らの方が正しいのかもしれないのです。もし、そうであれば、堂々と大川批判をおやりになればいいと思うんです。内部にいて、かつ心境も高いと評価された方々なのですから、その批判は相当に重要になります。反大川サイトの論客の批判は現在のところ、見るべきものがありませんが、彼らには、それ以上の言論が展開できるはずです。
それとも、大川隆法批判が実りの多いものとは考えられなかったので、沈黙を保つのでしょうか。ともかく、色々と想像してしまいますネ。
教団を離れなかった幹部達のことも考えてみましょう。これらの方々は、大川隆法への信仰を失っていないのですね。先生についていこうと思っておられるのでしょう。館長クラスの方、お二人にお会いしたことがあります。お二人ともに、温厚であり、従順な方々のようにお見受けしました。このような性格でなければ勤まらないのかとも思われます。お二人には、好感ももちました。
会社や公務員組織では、生活がかかっておりますので、簡単に人はやめるわけにいかないでしょうが、宗教団体で、脱会者がでるのはいくらでもありますね。信仰がなくなれば、あるいはよその宗教が良いとなれば変わるのは簡単です。私も改宗したわけで、これは仕様がありませんでした。それぞれの人間の心のドラマでしょうね。
私は信仰を継続しますが、選挙で相当な負担が自分にも仲間にもかかるようであれは、非常に困ってしまいそうです。創価学会のように選挙に駆り出されるのも億劫な話です。しかし、幸福実現党は大好きです。この党の代表者が、堂々と意見を述べる姿を想像して、期待しているんです。
色々と書いたようですが、どうぞ、内部の情報など参考にしたいので教えてください。icon