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from: hiraokaさん

2008年10月30日 01時19分01秒

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ダーウィンが地獄に?

ダーウィンは、自分から知ろうとしないじつに多くの人たちから誤解されていると思います。その筆頭は「人間の祖先はサルだった」と云うものです。ダーウィンは、

ダーウィンは、自分から知ろうとしないじつに多くの人たちから誤解されていると思います。

その筆頭は「人間の祖先はサルだった」と云うものです。
ダーウィンは、そういうことは言っていません。

ダーウィニズムのみでは、生命の形態の変化をすべて説明できるわけではないことは明らかですが、なんといっても彼ら(彼らです)の最大の功績は、「生命のかたちは変化する」と云ったことです。

その頃の時代は、キリスト教会の正式な教義こそがまっとうな人間の考えの基本だと思われていた時代です。
その当時は、天地創造や生命は唯一神によって最初からそのように創造されたという常識、思い込みがありましたから、人間は最初から人間として作られた、サルは最初からサルとして作られた、と大方の人たちは思っていました。

ですから、化石は最初から化石そのもののかたちとして創造されたと思っていたんです。

現代の人たちが、「化石は最初から神の創造した奇妙な石だ」とは誰も思わないだろうと、みなさんそう思われるでしょう。

ところが・・・、
天地創造は紀元前78年前に起こり、そのとき化石も一緒に創造されたと考える人たちもたくさんいるんです。
78という数字は、うろ覚えですが桁は間違っておりません。
あの、悪名高い原理統一教の信者も本気でそう思っています。

ぼくは、あるとき聖書研究会というものに誘われ、そこで「天地創造は紀元前78年前に起こった」と、韓国なまりの男性がしゃべるビデオによって聞かされました。
ビデオを見た後、責任者らしき女性の前に案内され「どうでしたか?」と尋ねられました。

「あなたたちは、地球が、たかだか2000年ちょっと前くらいにできたと本当に思っているんですか?」

「そうです。神によって天地創造は紀元前78年前に起こりました。」

「じゃあ、化石はどうなるんですか? 億の単位の昔のものですよ。」

「化石は化石として、神によって最初からそのように作られたのです。」

「そんなことは、信じられない!」
と云って席を立とうとする僕を、その女性はすごい目つきで睨んでいました。


当時のダーウィンたちは、こういう人たちを相手にせねばならなかったのです。

ダーウィンは、こういう付き合いが大嫌いでした。
代わって、ウォーレスが「わたしが、喜んであなたの番犬になりましょう。」と、一手に引き受けたそうです。

ぼくのダーウィンに対するイメージは、昭和天皇とそっくりです。

海洋生物学の研究者として自然観察に最大の楽しみを見いだしながら政治システムとしての公務を果たさなければならなかった昭和天皇。(文献に残る人で、最初にナマコを食べてみたのは彼だそうです)

かたや、ウェッジ・ウッド家の奥さんを貰い何不自由なく、一生涯を自然観察ばかりに費やしたダーウィンは、まわりじゅうの人たちから支えれれていました。
昭和天皇が理想としたいような一生だったように思えます。

ダーウィンは、自分の考えだけではすべてを説明できないことを知っています。

たとえば、「人間が体毛が薄くなるように進化したのは不思議だ」と認めています。

現在では、ダーウィニズムだけでは進化(変化?)を説明できないことは明白と思われますが、その功績はものすごく大きいと思います。
いまだに、批難するのは一部の宗教家たちのみです。

アメリカではいまだに法律によって進化論を授業に取り入れない衆があることはよく云われますが、それはその地方の文化伝統による制約がいまだに強く残っているからであって、いちがいに批難することはないと思います。

ですがさすがに、彼らも聖書による天地創造説だけではみんなを納得させられないことを悟ってきたようで、新たな考えを提唱してきました。

お聞きになったことがあるかと思いますが、「インテリジェンス・デザイナーが居たはずだ」と云われる考えです。

つまり、神と一言で言っていたものを置き換えて、
「なにごとのおわすか知らねども、おわしますかたの願いのとおりに作られ給いし我とすべてかな」、と云うわけです。

これは、一歩進んだとぼくは思います。

そもそも、科学は「なぜ」と云うことにはまったく答えることができず、つねに「どのようにして」と云うことにしか答えられません。

ですから、そこにさまざまな可能性のある変化のうち、なぜ今このようであるのか? と云う問いについては、さらに大きな意思と云うものがあると仮定せざるを得ないのです。

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from: ueyonabaruさん

2008年10月31日 11時35分57秒

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「Re:Re:Re:Re:ダーウィンが地獄に?」
 天国、地獄行きを決めるのは、閻魔大王が決めるというのが昔からの言い伝えですが、今では、人は霊界に移行後にビデオのようなもので自分の一生を見せられ、自分自身が行かざるを得ないのはどの世界かを自ら判断するという説明です、ご存知のことと思います。誰も悪をなさずには生きられないというのはホントにそうですね。イエスや仏陀と凡人とは同列には扱えませんが、因果の理法は適用されるとは思います。
 私たち自身が地獄に堕ちるかも知れないということは、そうでしょう。50点以上とれば大丈夫のようですから、あまり心配せず善事を行う、愛を実践するをモット-に生きて参りましょう。

> 天国地獄論について、ぼくがもっとも強調したいのはこのところだと思うんです。
> 人は何によって裁かれ、その行く先を決められるのでしょうか?
> 彼に足らざるところがあるとするならば、ぼくたちにはどうなのでしょう。
> 受肉した経験を持つもので、人間の考える悪を為さずに帰天できる霊は自我に気づく前にもどった人たち以外には考えられません。
> それだって、母親をお産で苦しめたと云われかねません。
> ぼくは、イエスも釈尊もかれらの地獄を内在していたと思います。 足らないものなら全員がそうでしょう。
> だから、ぼくたちは神の一部だと考えます。


 おっしゃるようにそのような偉大な方がいたとしても、私自身がその方の考え方を理解することができないこともあり、悩むということがでてくると思います。今と同じでしょう。そのような方がいないということを言いたかったのです。
> >大川隆法を真っ向から否定できる方がおればいいのですが・・・
> もしそういう人が居たとしてその人に自分を全託すると、きっとその人の中の矛盾に気づくだろうと思うんです。



 尊敬や信仰の問題ではないでしょうか。信仰することで自由意志を制御されるとは思いませんし、自ら考えるという能力がなくなることもないでしょう。信仰とは一種の賭です。大川隆法に私は賭けているのです。それでも、途中迷うことがあるということです。

> それに、そもそも個人に全託すること自体が、神の一部である僕たちの自由意志を制限することに意思決定したことになると思われるんです。


 佐倉さんの考え方は、佐倉哲をネットで探せばでてくるはずです。
> >ナ-ガ-ルジュナ(龍樹菩薩)
> ぼくも一時期、ナ-ガ-ルジュナが一番なのではと思っていたことがあったんです。佐倉さんのことは名前しか知らないんです。



 新しい考え方が出てきているのですね。色々あっていいのでしょう。釈尊は原因をひとつに特定したのでしょうか。良くは分かりませんが、仏教はいろいろの考えかたが生まれる大河のようなところもありますから、新しい理論に共通する考えもあったかもしれないと想像するのですが。

> 釈尊は「物事の結果には原因がある」と説きましたよね。
> たしかにそのとおりだと思うのですが、ぼくたちは釈尊のようには原因をひとつに特定できません。
> 最近の数学界でネットワーク理論と呼ぶようなものが出てきて、これが原因をネットワークのように複数に結びつけるときの考え方のようです。
> ぼくは、この考えにすごく期待してるんです。
> この考えが広まれば、ものごとの原因をひとつには決定できないということを皆のコンセンサスになると思うんです。



 敵か味方かで分かれるのですか。面白いです。ずいぶんサッパリした性格のようです。説明書きで、出版社時代に上司と喧嘩した話もありました。信念を持っておられるところは気に入りました。hiraokaさんのこの説明があったので、これも参考に再度読んでみます。プラトンの対話編を彷彿させる記述もたしかにあります。本のト-ンは対話編を真似たのでしょうね。このような哲学書を読むのは、頭の体操に良いのではないかと思った次第です。いずれ、池田さんのこの本をテ-マに話し合いたいですね。

> よく云われることなんですが、この人の本は敵か味方かしかいないんです。
> ものすごく納得する人と、何を云っているのかさっぱり解らないと言って腹を立てる人のふたつに別れるんです。
> もしぼくがこの本を二十歳前に読んだら、放り投げていたと思います。
> たまたまプラトンを面白く読んだおかげで、この本を正しく評価できるようになったのだと思います。
> ソクラテスが性懲りもなく人に議論をふっかけては、嫌われたり、なるほど!!と思われたりしていたのは、池田さんの場合も同じだと思います。
> ちょうど、ueyonabaruさんが霊を信じる人と信じない人とのギャップを感じるのと同じだと思うんです。
> 彼女は霊と云う言葉を使わずに、ぼくらが霊と一言で言っていることを、あの手この手を使って、「そのようなものが、あるはずだろ。これこそ自分が自分を自分と認識できる不思議さだろ? だったら、自分とは何なんだろう?」と云っているんだと思いますよ。
> 彼女はとても過激な人ですので、多くの物議をかもしています。
> ですが、この方面からの提示をしても、自分の肉体が自分のすべてでは無いと云うことが、わからない人たちがものすごく多いんですよね。


 ウォーレスのことを詳しく書いておりましたよ。月刊誌かなにかにです。最近の、単稿本か月刊誌だったか覚えておりませんが。
> もしも、大川さんが霊界の真実を知っているのならば、なぜウォーレスのことを言わなかったのでしょうか?


 霊界といっても実相界もあり、その他の世界もあるのですから、おっしゃるとおりではあると思いますが、この件についてもさらに議論して参りましょう。

> 霊界には真実のみがあると思うのは、重大な勘違いだとぼくは思っています。
> 神の世界は矛盾するものまで含むのだろうと思えるのです。
>

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