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シムダンス「四次元能」

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公開 メンバー数:58人

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  • from: 生成門さん

    2011年02月19日 18時16分58秒

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    遠隔作用をもたらす力

    遠隔作用をもたらす力<赤の女王の命令を遂行せよ>遠隔作用は科学では説明できないのですから、当然、共時性は科学的な概念ではないと言いました。しかし、脳の

    遠隔作用をもたらす力
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    遠隔作用は科学では説明できないのですから、当然、共時性は科学的な概念ではないと言いました。

    しかし、脳の内部世界(深層心理)は、物質科学では説明できない遠隔作用があるのです。

    遠隔作用とは、遠く離れた時空間に超越する作用であり、例えば、他人(あなた)からの心が、無媒介で私の心に伝わる、或いは、遠く離れた現象と現象の間に意味のある偶然の一致があるという現象のことです。


    これをユングは共時性という概念で捉えたのです。

    すでに述べように、ユングの共時性の概念は易の陰陽の自然観に依拠しており、易はイデア科学のモデルであると言いましたので、複素平面を駆使して遠隔作用をもたらすメカニズム、ないし、遠隔作用をもたらす力とは何かを探求したといと思っています。

    易の陰陽論を解明することが全てに通じると思っているので、くどくなりましたが易占を取り上げてきました。

    そろそろ纏めなければならなくなったようようです。

    四次元能のこれまでの文脈で言えば、共時性は、以下のように簡単に説明できるでしょう。

    非在の心aと非在の心bはあなたと私の心だとしますと、互いに離れていますから、心が通じていたとしても、そう簡単にツーカとは行きません。

    遠隔作用は時空を超えた共時性であり、意味のある同時性です。これを自己と他者の共感や他者の心と一体になるといった感情移入や暗黙の了解といった自己の内部の認識、つまり、内観や内省と同一視することは間違いなのです。

    共時性:非在の心a由来の現象a=非在の心b由来の現象b

    共感した結果:内部の自己と他者の共振・共役=凸i*凹⇒+1

    遠隔作用による共時性は、自己の非在の心aと外部の他者の非在の心bからの現象が同時に生起することであり、繋がるということです。

    このようなことが起きるためには、外部から物質的ではない目に見えない何かの力の作用がなければならないのです。

    これを説明するためには、仏教でいう因縁という概念、つまり、空を持ち出さなればならないのですが、安易にそのような概念を持ち出してしまうと密教のような超能力を持ち出すこととになり、神秘の世界に入ってしまうことになってしまうでしょう。

    折角、ユングが易のランダム性から科学に匂いのする共時性という概念を創り出してしてくれたのですから、何とかここは、踏ん張って、超能力に戻ってしまうのではなく四次元能の文脈で説明するようにしましょう。





    先ず、二つの複素平面を用意しました。複素平面上に描かれた単位円が心の内部です。

    二つの単位円は二つの心の内部です。そして、心の内部には自と他があります。

    心の内部だけを問題にする場合は、イデア次元に虚エネルギーがあって、それが虚空(MP1)⇒実空(MP2)⇒非在の心となって、-1に非在の心(イメージ)が生まれます。虚空(MP1)は無意識の作用(⇒)であり、実空(MP2)は意識の作用(⇒)です。

    これはまだ、言語化(+1)されていない意識の作用であり、非在の心⇒実在に反転しなければ、その心を認識したことになりません。

    非在の心⇒実在の反転の仕組み(下の図では④の流れ)はまだ、明瞭に説明できませんが、重要なことは、非在の心の由来はMP1(虚空)だということであり、更にその由来は陰陽イデア(凸i・凹i)です。


    このように自己の内部だけを問題にする場合は、簡単に説明できます。

    しかし、心が二つあるときはそうは行きません。

    一方に私、もう片方にあなたがいます。私の非在の心aとあなたの非在の心bが通いあう、以心伝心と言う精神作用があります。この作用はあなたの非在の心a⇒私の非在の心bとなるわけではありません。

    あなたの非在の心bが+1の非在の言動となって、それが電子の振動により、私の耳に入り、目に入って+1非在の言動がMP2を介して-iの原他者の心となり、そこから更に、MP2⇒-1の非在の心aになります。

    かなりの作用が連続するプロセスを経て以心伝心するのです。

    これを第三者が見たとすると、非在の心b⇒非在の心aとなって、まるで遠隔作用しているように見えるのです。

    しかし、これは共時性と言われる現象ではなく、至極当たり前の心理現象です。

    以心伝心は、あくまで自己の内部の自他の共振作用であって、今、問題にしているのは、私という内部の自己と外部の他者の自己との電子的な作用のない無媒介的な作用のことなのです。

    この違いを理解するために、二つの複素平面上に、あなたの複素平面をZ(a)、私の複素平面Z(b)を並列に並べたみたのです。

    あなたの心=Z(b)上の-1:非在の心b
    私の心=Z(a)上の-1:非在の心a

    この二つが繋がると言うことが遠隔作用の共時性なのです。

    二つの複素平面は物理的に離れていますから、Z(a)上の-1とZ(b)上の-1はもちろん、私+1とあなた+1が重なることは有り得ないのですが、ここで、注目して頂きたいことはMP1の性質です。

    空は遍在し、遍在すると言いましたが、ここで、MP1の意味を明確に示せることができるでしょう。

    空とは、MP=MP1+MP2であり、MP1は虚軸と繋がり、+1又は-1とを媒介する潜在意識であり遍在します。「四次元の誕生秘話」http://www.c-player.com/ad00178/message/20100503?format=timeを参照してください。

    虚空は、三次元の全てを畳み込むのです。そして、虚空は偏在し遍在するのです。

    虚空は偏在(偏って存在する)するのでは。虚空はMP1であり、時空を越えるのです。

    MP1は脳のような物理的な入れ物に限定されないものであり、伸縮自在な精神作用なのです。

    一方、MP2は実軸と繋がり、+1又は-1とを媒介する意識であり、偏在します。偏在というのは、偏在って存在するという意味であり、脳という物理的な入れ物に限定されて存在する精神作用なのです。

    MP2は意識作用ですから、脳という物理的な規制されます。つまり、私やあなたの意識が個性を持ち、他者と異なる自己同一性を維持する生物的な機能であり、脳内にしか発生しないのです。

    これがMP2による精神作用の本質なのです。

    +1に発生する自我もMP2の精神作用であり、脳という物質に依存しているのです。

    ですから、共時性というような遠隔作用に関係するのはMP1しか有り得ないのです。

    MP1は虚空であり、虚次元=イデア次元と繋がっているのです。言って見れば、
    虚とは三次元空間(四次元時空)ではなく四次元空間ですから、遠い近い早い遅いといった三次元空間を超越しているのです。

    図ではMP1はMP2に含まれているように描いていますが、同時に、それが拡大している図も描かれています。

    MP1の図としてはぎこちないのですが、四次元空間を三次元空間に平面的に表現するのですから、このような表現が限界でしょう。

    後は、想像力で補うしかありません。

    MP1は三次元空間に存在するのではなく、四次元空間に存在するのです。三次元空間は四次元空間の中に存在するのですから、伸縮自在といっても風船を膨らませたイメージとは異なるのです。

    アリスが兎を追いかけて飛び込んだ穴は点でしたが、その点が無限の広が一深さを持っているのです。

    点は無限なのです。これは三次元空間では有り得ない話なのです。四次元では点は空であるのですから、点は無限であるということからも、空はフラクタルであるということが言えるのです。

    ということで、Z(a)のMP1とZ(b)のMP1は重なる事ができるのです。

    これが、時空を超越することの意味であり、◎⇔◎ではなく、宇宙の果てをも超えた〇となるのです。

    このようなことは科学的には有り得ないのですが、ユングのいう共時性(シンクロニシティ)は、易から想像してこういうことが「ある」と考えたのです。

    共時性の例としてよく取り上げられるのは、枕元に親が現れたという話です。

    具体例でいきましょう。

    遠くはなれた親が息子の夢(枕元)に現れたので、連絡をしたら既に亡くなっていたということが良くあると言われています。ことの信憑性は別として、「ある」として考えてみます。

    このことは
    現象b:生きている親⇒死んだ
    現象a:息子の枕元に親が現れた⇒連絡する⇒死んだことを知る
    と表現できます。(aとbをどちらにするかは関係ありません)

    これを親の死⇒親が枕元に現れたと解釈するのが共時性です。

    この現象は息子の側の脳の中の出来事です。しかし、息子の脳には無意識があり、この無意識は虚と繋がっているのです。ですから、親の虚と繋がっている無意識と息子の無意識が繋がっているのです。魂が乗り移るとはこのようなことを言うのでしょう。

    親の死が遠く離れた息子に伝わるには、三次元の世界なら、誰かが電話するとかしなければなりませんが、虚の次元では無時間であり、空の世界(MP1)ですから、親の死⇒知らせる心⇒息子の無意識の脳⇒夢⇒死の事実を知るという連鎖の過程があるのです。

    そこには時空を超えた空(MP1)を介した伝達という出来事(作用)があるのであり、これは時空を超えるという意味でまさに遠隔作用であり、時間がかかっていないという点で無時間(共時性)だと言えるのです。

    これで、共時性の概念をMP1の作用として説明できたことになりますが、本当にこのようなことが起こり得るのでしょうか。疑い深いシムハンターの皆さんの声が聞こえます。

    もし、MP1で誰とも繋がっているなら、いつでも連絡が来るはずであり、易占いもいつでも念を入れれば当たるのではないかということになります。

    しかし、そんなことはいまだかつてあった例がありません。それが起きるとするなら、何か特別な事情とか条件があるのでしょうか。この疑問にも答えなければならないでしょう。

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    from: 生成門さん

    2011年02月23日 09時36分54秒

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    「Re:Re:遠隔作用をもたらす力」Renshiさんしばらくです。MP1は超越性を説明するのに大変ありがたい概念だと思っています。更に、「第三象限で捉

    from: Renshiさん

    2011年02月22日 19時18分52秒

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    「Re:遠隔作用をもたらす力」生成門様しばらくぶりです。今回の記事、納得することができました。ユングの共時性について、昔、興味をもっていて、頻繁に起る

  • from: 生成門さん

    2011年02月19日 18時10分46秒

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    易は時空を超越する

    易は時空を超越する<赤の女王の命令を遂行せよ>物質的な何かを媒介しないで、どんなに近くても、遠くても、あたかも、因果があるかのような遠隔作用があると考

    易は時空を超越する
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    物質的な何かを媒介しないで、どんなに近くても、遠くても、あたかも、因果があるかのような遠隔作用があると考えるのが共時性(同時性)だと言いました。

    これを言い換えれば、現象aと現象bは物質的には非因果ですが、仏教的な因縁があると言えるでしょう。

    因果があるかのような遠隔作用=仏教的な因縁¬=共時性(同時性)は-1の非在の心が実在化したということですから、非在の心a⇒現象a2、非在の心b⇒現象b2となります。

    三次元空間の世界(+1)の現象は客観的にしか観察できない私達は、他者の非在の心は見えないのですから、あたかも現象a⇒現象bとして見えるのです。

    現象a:念じた心a⇒筮竹《卦》
    現象b:念じた心b⇒予言
    筮竹《卦》=予言

    この見える・見えないについて補足しておきます。

    現象bの主体が私であるなら、主観的な体験ですから、非在の心bは体験として感じる(-1)ことができます。つまり、自己の内部を見ているのですから見えるということになるのです。見ているという事を認識という言葉に置き換えれば、自己を認識していることを認識していると言うことになりますが、内省とか内観というという概念を意味しているでしょう。

    すでに述べたように、+1の現象化にはMP1経由とMP2のルートがあり、MP1経由では、閃きなどをテレパシーだとか、予感がした、虫の知らせがあったなどと報告(+1)ので、他人からは眉唾に聞こえるのでしょう。

    MP2のルートが易の場合ですが、念ずることが易の筮竹=予言に変わるのですから、この場合も、自己を客観的に見る人には、易の予言など眉唾に聞こえるのでしょう。

    そのもっとも大きな理由は、非在の心aと非在の心bを結びつけるのは、二つの脳を線で繋ぐようなものであり、非科学的な超常現象と言われるような現実に不可能なことだからです。

    しかし、非在の心aと非在の心bの関係を、主観と主観を結びつけることを考えれば、他人の心を感じるという構図になりますので、日常経験する共感のような現象と同じように見えます。

    共時性とは共感と同じなのでしょうか。

    結論として共時性とは共感は違います。

    これは複素平面という思考の道具を使えば明確にすることができるのです。

    共感とは、自己と他者の心の通い合うことですが、他者とは外部の他者のことではありません。内部の他者のことなのです。内部には虚軸の陰陽があり、それが自己と他者であり、根源にあるのです。

    この他者が内部の他者としてあるのですが、感情移入するとか、同情すると言った心理はこの根源から来ているのであり、決して、外部から何かの非物質的な因果作用があって、何か伝達されてきたのでないのです。当然、外部と内部は再入力という回路ができていますので、共感という現象は起きるのです。

    これに対して共時性は、内部の自己と他者の共振などではなく、まさに、外部の自己との交信なのです。
    これは、外部の自己(占い師)の念が筮竹を介して、予言となり、それを受けた内部の自己(占ってもらう人)の解釈となるのですから、

    外部の自己(念)⇒筮竹⇒予言⇒内部の自己(解釈)

    と表現されるのです。

    しかも、念⇒筮竹は無時間で起きるのですから、脳の精神作用について、遠隔作用をもたらす何かを想定しなければならないことになるのです。

    この遠隔作用=非科学的な超常現象をユングは共時性(シンクロニシティ)という概念で深層心理のジャンルで位置づけたのです。深層心理学といっているのですから、科学の仲間入りをさせたのです。

    しかし、共時性を認めることはテレパシーも認めることと同じであり、遠隔作用(遠くの実体同士が物質的な媒介なしで関係する)を認めることになるので、そこまでは科学の代表である物理では受け入れるわけには行かないです。

    物理は質点の科学であり、質点と質点が近づかないと作用しないというのが基本だからです。

    ボクシングで物凄いストレートパンチを繰り出したとしても、空振りしたのでは相手にダメージを与えることはできません。相手に当たらなければならないのです。これが近接作用であり、科学の前提なのです。

    ところが、共時性は遠隔作用であり、三次元空間(或いは四次元時空)を超越した二つの現象が物質ではない何かの力によって同時に起こることであり、質点と質点という枠を超えているのです。

    ここで四次元時空といいましたが、この次元と四次元能がいうところの四次元とは違うことに注意してください。

    時間を次元としてカウントすれば四次元ですが、四次元時空では空間的には三次元なのです。ですから、時間を次元としてカウントすれば、四次元能は5次元と言っても良いでしょうが、時間を次元と考えずに、虚と関係する四次元能では虚空間を重要視していることに留意してください。もっとも、時間を4次元目として、虚空間を5次元と格上げすれば四次元能は五次元能ということになるのですが、それは時間のことをもう少し、理解してからにしましょう。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月19日 17時54分39秒

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    易占いの遠隔作用は共時性=シンクロニシティ

    易占いの遠隔作用は共時性=シンクロニシティ<赤の女王の命令を遂行せよ>偶然に引いた一本の「筮竹」(ぜいちく)、インターネット易占いではクリックによって

    易占いの遠隔作用は共時性=シンクロニシティ
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    偶然に引いた一本の「筮竹」(ぜいちく)、インターネット易占いではクリックによって偶然に選択された卦が未来を予言すると言いました。

    「偶然」

    これが易占いの鍵なのです。

    これは科学が認めない非因果的遠隔作用(遠くにいても因果を持つ)であり、ユングの共時性=シンクロニシティであり、空の無意識のカオス的ランダムな作用による力なのです。

    しかし、本当に偶然(カオス由来のランダム)が必然(予言が実現すること)になると言えるのでしょうか。

    疑い深いシムハンターの皆さんは遠隔作用など信じることはできないのではないでしょうか。

    そこで、遠隔作用というものがどういうものかを占いからはなれて共時性=シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)という概念から説明してみましょう。

    意味のある偶然の一致に注目したのは心理学者の「ユング」ですが、そのユングは「心の中で思っていること」と、「現実に起こること」が、単なる偶然ではないことに気づき、易占いからヒントを得て共時性(シンクロニシティ)という概念を考えたのですから、易占から離れると言っても、易が先なので易占から離れることはできないようです。

    しかし、占いは当たるも八卦、当たらないも八卦などと言われるように信じることができない面もありますが、一応、ユングは心理学者であるのですから、何故、そのような占いに着目したのかを知っておくことは必要だと思うのです。

    共時性とは心の中で思っていることが時空を超えて、他者の脳に現実として起こることですから、複素平面で表現するとどういうことになるのでしょう。

    これまで、複素平面は自己の心の内部であり、内部には陰陽のイデア対称性として自己(原自己)と他者(原他者)があると言ってきましたが、この場合、他者は、時空を離れた他人のことではありません。ここを勘違いすると、全てが台無しになってしまいます。

    時空を超えた自他の関係は私という一人称でのみ内省(自己認識)が可能なのであり、他者は内部に投影するだけなのです。

    外部の他者が、私の内部に投影するといっても、外部の他者から無形の信号が飛んでくるわけではありません。

    言葉や態度と言った具体的な信号が飛んでくるのです。それが電子という物質的な近接作用として伝わってきて、内部の脳の近接作用によって+1や-1に現象化するのです。

    しかし、共時性とは、他者が心の中で思っていること-1(非在)が、私の脳の中に作用して、現実=+1(実在)となると言っているのです。

    この場合、現実に起きたことが+1(実在)でもありますが、現実に起こると予言したたことも、言葉で表現されたのですから+1(実在)なのです。

    従って、共時性の非在⇒実在の式を当てはめると、他者の非在の心⇒私の実在(起きたこと)となるということであり、私の非在の心⇒あなたの実在(意識された言動)なのです。

    この外部の他者を省略して他者の非在の心⇒私の実在と言ってしまうと、私の内部の心⇒私の実在、つまり、「私の心の中で思っていること」⇒「私の脳に現実に起こること」と混同してしまうことになります。

    これが複素平面で共時性を考えるときの注意すべき点です。

    この点を注意して、現象化することのメカニズムを更に掘り下げておきましょう。

    全ての現象はイデア由来であり、MPを介して現象化するというPS理論の基本から忠実に表現すると1>虚空⇒実在と2>非在⇒実在の二つのルートがあります。

    1>虚空⇒実在は、

    潜在意識からダイレクトに現象化する意識作用のルートであり、正確に表現すると、虚(イデア)⇒MP1⇒実在です。

    2>の非在⇒実在は、

    潜在意識から一端、非在(=1)を経由して+1に反転して現象化する意識作用(MP)のルートであり、正確に表現すると、虚(イデア)⇒MP1⇒-1(非在)⇒MP2⇒+1(実在=予言)となります。

    お告げや啓示などのようなケースは、1>虚空⇒実在のケース、易占いは、2>非在⇒実在を積極的に利用していると解釈できます。

    何故、易占いが2>非在⇒実在のルートですが、「心の中」で念じたことと関係があります。

    易占いの重要性は、占う前に何を占うかをはっきりさせることが大切なのです。ただ漫然と卦を選択しても、潜在意識はイデアのエネルギーを活性化してくれないのです。

    どうすればよいかなどと言うことではダメなのであり、はっきりと、肯定的にどちらを選択すべきかというように念じる事が重要なのです。

    他者の占ってもらうことを想定すると占い師は他者であり、占いを依頼するのは私ですから、占いを依頼するときは、占い師に悩みをはっきりと伝えなければならないのです。

    「心の中」で念じたことが実現するという深層心理的な話は明晰夢(24時間無休で働く潜在意識)とも共通しています。

    新しい発見がある時は必ずそれまでに多くの失敗があり、沈思黙考を重ねた結果石に躓いたときや風呂に入ってリラックスしたときに突然、アッハが訪れるなどと言います。

    こういう心理プロセスは、1>虚空⇒実在と2>非在⇒実在の二つのルートを明確に分にすることはできませんし、混在していて複雑なのです。

    つまり、1>と2>の逆のルートがあり、ループ(⇔)をしているのですから、フラクタルな再入力構造(自己回帰)になっているのです。

    そういってしまうと易占いと明晰夢との区別ができなくなりますので、一応、1>が明晰夢、2>の非在⇒実在が易占いとして限定して話を進めます。

    その根拠は、易占いではMP2⇒-1の強い作用があるということです。

    易占いは明確な目標を念ずることで潜在意識の活性化(MP1)を促しますから当然MP1⇔MP2プロセスがあります。

    心に願いを強く思い、後は潜在意識に任せるのが明晰夢ですが、占いはその場で結論を求めたいので、結果をイメージ(-1)することを求めます。

    つまり、「どうなるか」ではなく、「こうありたい」と願うのです。

    それがMP2⇒-1の作用なのです。

    明晰夢は夢の中でイメージ(質問)がそのまま実在化(答え)してくるのですが、易占いはイメージ(質問)が卦(答え)としてでてくるのです。

    この卦が、現実に起こるかどうかを予言として結びつけるのは、この後の陰陽理論の問題であり、解釈の問題であり、別のステージと考えるべきでしょう。

    易占いのプロセスは、

    念じた心⇒クリック⇒念の心⇒ランダムによって選択された卦⇒卦を受けとった心⇒示された繋辞⇒繋辞を受け入れる心⇒決心したことの表明(占いの終了)⇒意思決定⇒行動

    と示しましたが、この後を続けるなら⇒行動・・・⇒夢の実現ということになるでしょう。

    これが実現すれば、「心の中」で念じたことが現実したと言えるわけです。占いですから、「した」のではなく「するだろう」となるだけです。

    「だろう」では心⇒行動・・・⇒?ですから、夢が実現(しないかもしれません)するまでには相当に時間がかかります。

    ですから、その結果がどうなるかについてはもう占いの範囲を超えているのです。それでも易はかなりのいい線で、つまり、時空を超えて予言できているとも言えるのかもしれません。

    そのことを検証するためには、更に易のフラクラルな時間構造について探求しなければならなないのですが、今は、そのために準備としてユングの共時性(シンクロニシティ)について理解を進めているという段階なのです。

    ユングの共時性の概念を複素平面で置き換えて明確に表現しておきましょう。

    念の心⇒ランダムによって選択された卦が予言として言えるためには、念の心⇒現象a(卦)が念の心⇒現象b(人生)が成り立つかどうかがポイントです。

    もし、成り立つということなら、念の心は予言(卦)通りの人生を歩むことになるのですから、念の心⇒現象a(卦)⇒現象b(人生)ということになります。

    ただ、現象a(卦)と現象b(人生)との間には時間差がありますから、人生が終わってみないと占いが当たったかどうかは分かりません。つまり、結果論ということになります。明日のことを占うなら直ぐに結果が出るでしょうが。

    「当たる・当たらない」は別問題とします。つまり、《⇒現象b(人生)》は括弧に入れます。何故なら、今、検証しなければならないのは、あたかも、遠くに離れた現象が無時間で作用して、現象a(卦)⇒現象b(予言)《⇒現象b(人生)》ということが言えるかどうかなのです。

    現象a1⇒現象a2と現象b1⇒現象b2は遠距離にある互いに無関係なそれぞれの因果を持った現象系列とします。

    ここで、遠距離とは単に離れているとしてください。何故なら、物質的作用とは二つの間に作用する場合、近接しているということだからです。近接とは距離がゼロと言うことです。三次元の世界の現象は全て電子を介在しています。

    例えば見るということは光子が網膜の電子に当たりますし、音を聞くということは空気の振動が鼓膜の電子に伝わるからです。

    物理的にどんなに遠くても、装置を使っても、最終的には電子が媒介しているのです。つまり、電子(光子)と電子が距離ゼロで接しなければ、作用しないのです。握手することを考えてください。手と手が触れなければ握手したことにはなりません。東京と大阪にいて握手はできません。これが、常識的な近接と言う意味ですが、厳密に言えば、近くにいても、電子(光子)と電子が距離ゼロにならなければ、近接作用は起きないのです。

    逆にいえば、どんなに遠くに離れていても、その作用の力が伝達されれば、近接作用するということが言えるのです。

    一億光年も先にある星を見るということは、その星から出た光が電磁波として伝わってくるからであり、最終的には網膜との電子との作用になるのですから遠くても近いのです。

    どんなに近くても遠いのが先ほどの握手の例なのです。野球でバットをブンブン振り回しても、ボールに当たらなければ、ボールは飛んでいきません。これが近接作用なのです。近接作用とは物質的因果なのです。


    それでは、物質的な伝達がない場合はどうでしょうか。それは言うまでもなく非物質的因果(非因果)であり、精神⇒物質と表現される関係です。

    共時性は、念の心⇒現象a(卦)が念の心⇒現象b(人生)の関係が、遠くに離れた現象が無時間で同時に作用して、現象a(卦)と現象b(予言=繋辞)を物質的に同時に現象化するということです。これは電子を媒介せずに現象a(卦)と現象bがダイレクトに結つくということであり、近接作用の原則に反しています。

    現象a(卦)から何かの信号が発せられてそれが現象bの主体に伝わり、現象b(予言=繋辞)を生成したということなのです。何かの信号の招待は不明であり、光でもなく電子でもないことだけは確かです。

    このように物質的な何かを媒介しないで、どんなに近くても、遠くても、あたかも、因果があるかのような遠隔作用があると考えるのが共時性(意味のある同時性)なのです。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月18日 18時46分03秒

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    易占いは遠隔作用を利用する

    易占いは遠隔作用を利用する<赤に女王の命令を遂行せよ>易占いはランダムに卦を選択するといいましたが、その卦が未来を指し示していると解釈しているからです

    易占いは遠隔作用を利用する
    <赤に女王の命令を遂行せよ>

    易占いはランダムに卦を選択するといいましたが、その卦が未来を指し示していると解釈しているからです。

    どうして卦が未来を指し示していると言えるのでしょうか。

    易の本質は陰陽論であり、森羅万象は陰陽の鬩ぎ合いによって生成流転する世界です。

    森羅万象を64のパターンに分類したとして、「今ここ」でクリックしただけで、無作為に選んだ卦が未来を言い当てられるなどとどうして言えるのでしょうか。

    科学万能の時代に、そのような非科学的なことは信じられないというのが本音のところではないでしょうか。

    実際に、どこそこの占い師は良くあたるなどという評判が出るということ自体、占いは主観的解釈だといっているようなものです。

    ですから、大概は占ってみても当たったことはないのでしょう。これがたるも八卦、当たらないのも八卦といわれる由縁なのではないでしょうか。

    それでも、繁華街には占い師が沢山いて、沢山の占い希望者がいます。何故、占いは廃れないのでしょうか。

    この謎を解くことが、未来を言い当てること、遠隔作用の神秘の力の解明に繋がるのではないでしょうか。

    易占いが偶然を利用していると言いましたが、別の「占いのページ」http://homepage2.nifty.com/e-EKI/cindex.htmlでは、易を一人で占うに際しては、「ゆっくりと心を込めて易ボタンを押して下さい」という注意書きがありました。

    ここに、そのヒントがありそうです。

    つまり、心を込めて念じることが大事だと言っているのです。

    念じると岩をも動かすと言います。

    果して遠隔作用とはそのような超能力なのでしょうか。易は偶然性を持ち込むことでそのような超能力を呼び寄せることを狙って生まれたのでしょうか。

    超能力などというと、もはや科学ではなく、神秘主義の世界に入ってしまいそうですが、それでイデア科学とは言えません。SF(科学的フィクション)でもなくSF(科学的ファンタジー)であるためには、もう少し、トンデモと言われない程度に科学の匂いを装ってみましょう。

    先ず、人生とは何かを数式で表わしてみます。人生は意思決定の連続であり、決心⇒行動⇒決心⇒行動・・・の連鎖です。

    これを短縮して表現すると人生:決心⇔行動となるでしょう。

    この場合の決心とは、計算・打算の合理的な判断して心を決めるということであり、結局は自我ことになるでしょう。

    しかし、合理的とは言えない決心もあるでしょう。例えば、追い詰められて選択するときやスポーツや芸術などでも、その行動を見れば、無意識的で直感的な選択をしていると見てとれることがあります。

    易は中国で生まれたのですが、春秋の時戦国時代は前門の狼・後門の虎、退くも地獄進むも地獄という状況だったでしょう。このような時代を生き抜くには、神とか超越的な力や遠隔的な作用を求めるのは当然でしょう。

    中国の任侠ドラマを見ていると、その人間業とは思えない動きが出てくるシーンが多いのですが、超能力の強い願望があるように思えるのですが、私の偏見でしょうか。

    生きるべきか死ぬべきかというハムレットのような二律背反的な状況でこそ決心が迫られるのであり、その決心ができないからこそ、易のような占いの存在価値があったことは容易に推測できるのでしょう。

    ぎりぎりの選択では、偶然性を持ち込む必要があったのです。それが易の発生の由来なのではないでしょうか。

    蝶はランダムな飛び方をしますが、そこに易との相関が見られるのではないでしょうか。蝶に何故、ランダムな飛び方をするのかと聞くわけにもいきませんが、多分、「逃げるためさ」と答えるのではないでしょうか。

    蝶は力が弱いですから、まともに飛んだのではすぐに外敵に捉えられてしまいます。ですから、敵の目を晦ますために、ランダムに飛ぶのではないでしょうか。

    ランダムの効用があるということです。

    そこで、ランダムの効用という観点で、もう一度、心を決める意思決定のプロセスを見直してみましょう。

    意思決定のプロセスにランダム性が入ることで、効用があるのかどうかを検証してみることにしましょう。

    占いの連鎖式は、

    念じた心⇒クリック⇒念の心⇒ランダムによって選択された卦⇒卦を受けとった心⇒示された繋辞⇒繋辞を受け入れる心⇒決心したことの表明(占いの終了)⇒意思決定⇒行動

    となるでしょう。

    この式を見ても分かるように、非在の心と実在の現象が交互に現れています。簡単に表現すると、易占い:心⇔現象ということになります。

    ここで重要なところは、念じることとランダムによって選択された卦とが結びつく、念の心⇒ランダムによって選択された卦と表現された式です。

    コンピュータの中で行われていることは、クリック⇒ランダムによって選択された卦ですから、このような式が成り立つとことは、物質的な因果だけでは説明が出来ないのです。

    では、何故、クリックとランダムの間に心が入ってくるのでしょうか。

    易とはこういうものであり、だから迷信なんだといって済ませてしまうのも一つですが、それでは時間が短縮されるメカニズムについての謎を解くことはあきらめるしかありません。

    四次元能は未知の探求なのですから、イデア科学を駆使してこの領域を探検しているのです。

    念の心⇒ランダムによって選択された卦を認めることは非在⇒実在を認めることと同じ意味をもっているのです。この式はランダム入り現象の系列aと人生という現象系列bが占いという心で結びつくことを式で表現しているのです。

    念を入れるということは、念、つまり、気という虚のエネルギーがランダムによって選択された卦に意味を与えるのです。

    実在の世界から見ると、ランダムに選択されたように見えるだけなのです。その選択された卦は偶然かもしれませんが、内部では(虚の世界)では必然なのです。

    これが非物質的な非在の心が⇒という空(MP)を媒介にして物質的な実在となるカラクリなのです。

    MP(メディア・ポイント):PS理論の用語http://ameblo.jp/renshi/theme-10002674224.html

    空:仏教の用語、意識と無意識の世界のこと

    気という虚のエネルギーがランダムによって選択された卦に意味を与えるといいましたが、実はこれが遠隔作用なのです。

    念じた心⇒選択された卦

    非在⇒実在
    であるとも言いましが、この式を平たく言えば、易占いとは無意識の世界と現実の世界を繋ぐことをしているであり、「空」がそれを媒介しているということです。ただし、空は見えないカラクリ「⇒」なのです。

    脳の内部にはMPにはMP1とMP2があり、現実化する二つのルートがあります。

    1> は虚空(MP1)⇒実在(+1)
    であり、無意識的直観ルートです。

    2>は一旦、実空(MP2)⇒非在(-1)
    となり、そこから非在(-1)⇒実在(+1)に反転する意識的客観ルートがあるのです。

    無意識の世界と現実の世界を繋ぐという作用は、念じた心⇒選択された卦であり、1>虚空(MP1)⇒実在(+1)はダイレクトに無意識から卦という現実にダイレクトに結びつく場合をいっています。

    また、2>虚空(MP1)⇒実空(MP2)⇒非在(-1)⇒実在(+1)は、念が無意識から意識化され、念というイメージ(-1)が湧いて、卦という現実(+1)に結びつく場合です。この場合は、略して、無意識から間接的ですが、非在を通して実在化(現象化)しますので、非在⇒実在と表現します。

    卦が選択されるプロセスは脳の内部では二つルートがあるということですが、易の場合は、64パターンをイメージして念を入れるのですから、2>のケースだとするのが妥当なのではないでしょうか。

    では、空とは何かですが、ここはカオスの世界です。三次元ではないので、遠い近い、早い遅いとかいう空間と時間を超越しています。つまり、遠隔作用が働くのです。

    空がカオスだということはランダムな世界だということですから、現象化するとはカオス由来、つまり、根源はランダムから始まるという事です。

    気という虚のエネルギーが空を介してランダムによって選択された卦にシフトするということであり、それが「偶然の一致に意味を与える」ということの意味なのです。

    異なる二つの現象系列が意味のある一致を偶然であるように仕向けるのは、カオスの空からランダム性を取り出すからなのです。

    易占いは、脳の空というランダム性を持った無意識の作用を遠隔作用として利用しているのです。

    このような遠隔作用のことを意味のある偶然の一致と言い、共時性=シンクロニシティ)とも言います。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月18日 18時43分50秒

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    易占いは偶然を必然にするマジック

    易占いは偶然を必然にするマジック<赤に女王の命令を遂行せよ>易占いで重要な点は、占いのベース:現象aとは、筮竹を使って卦を選択することですが、その場合

    易占いは偶然を必然にするマジック
    <赤に女王の命令を遂行せよ>

    易占いで重要な点は、占いのベース:現象aとは、筮竹を使って卦を選択することですが、その場合に、偶然性を持ち込んでいることです。実際の「易の立て方」の詳しい説明はこちら http://www.interq.or.jp/sapphire/mongar/eki/abouteki/howeki.htmlを参照してください。

    さすがに今はインターネット時代です。易占いが、クリック一つでできる時代となりました。これこそが易の本質を表現していると思うのです。

    クリック一つ占いなんて有り難味がないと思うでしょうが、これだって立派な占いです。さすがに日本人ではこのような発想は出てこないのかもしれません。あってもやらないかもしれません。

    それを実際にやってしまった人がいます。易経のウィルヘルム=バインズ版の和訳として紹介されています。こちらを参照してください。http://www.geocities.jp/joe_tdr250/iching/iching/iching.html#hyoshi

    ここではクリックを押すごとに卦(8卦のパーツ)が表示され、6回すると64卦の一つ卦が表示され、更に、その解釈(繋辞)に行くことができるようになっています。

    これはまさに一人占いです。

    ここでは筮竹の代わりにクリックを使っているのですが、クリックすると内部では、乱数を生成して卦を選ぶようになっているのだと思います。

    要するに、易を占う道具として、亀の甲、草の茎から筮竹に変遷してきたのですが、コインやトランプでも、クリックでもなんら問題はないということです。

    本質的なことは、偶然によって卦を選択するということなのです。

    つまり、易占いは、偶然を必然にすることだと言えるでしょう。偶然に選んだ卦が必然(未来を指し示している)になるかどうかは重要なことですが、昔の人は政治的な局面で、易を信じて意思決定をしたということです。

    偶然が必然になるということが何を意味しているのかです。現代人は余り占いを信じてはいないでしょうが、そう言いながらも、ある物事に対して、よい前兆であるとか悪い前兆であるとかを気にしてはいませんか。

    結婚式に大凶を選んだりはしないでしょう。大安の日に引っ越する、 今日は勝負服を着る、ヒゲをそらない、縁のある日には爪を切るなどはしないなど縁を担ぐこと結構していると思います。

    縁を担ぎはやらなくても、出かける前に、靴の紐が切れたりすると、関係がないとは思っても、悪い予感がしたりすることを打ち消すことはできないでしょう。

    要するに、理屈では割り切れない心の作用が無意識にあるということであり、そのような作用が易占いを生んだのではないでしょうか。

    これが単なる心理的な作用だと思うか、真理だと思うかでイデア科学に進むか科学的な世界に踏みとどまるかの大かいな分かれ目となります。

    進化論も偶然の突然変異が必然(生命の誕生・系統発生)になることを主張しています。進化論は易と同じなのでしょうか。

    予言と予測が大きな違いがあったように、同じ利用で偶然から必然の意味は進化論と易の場合では大きな違いがいます。

    全く関係のない現象aと現象bがあるとします。

    現象aの過去の系列a1,a2,,,,,anから未来のan+1を予測するのが科学です。進化論は、ある系列a1,a2,,,,,anに、別の系列(紫外線)が入ってきて、突然の変異が生まれるということですが、紫外線は現象bではないのです。元の系列a1,a2,,,,,anに紫外線が入ってきたのですから、こちらも現象aなのです。

    二台の車(P・Q)の交通事故のようなものです。Pの車の現象系列aとQの車の現象系列a`があって、それが交差点で出ああって衝突した場合(現象a``)を想定してください。これらは三つの現象系列ですが、いずれも三次元空間の出来事として説明できますから現象系列aなのです。つまり、交通事故というように近接して作用しなければ現象は起きないからです。二台の車(P・Q)が東京と大阪にいて衝突するということは絶対に起こりえないのです。

    つまり、現象の系列とは物質的因果、つまり、近接作用を前提としているのです。

    このことから、進化論の突然変異というのは、現象aの系列にランダムな要素(紫外線)が入ってきたというだけであり、現象bの系列から遠隔作用で現象aの変化をもたらしたというわけではないのです。

    これに対して易は、全く近接してないし相互に作用もしていない現象aと現象bがあって、現象aから物質ではない何かの力が出て現象bに作用することを言っているのです。当然、現象bからすると偶然に見えます。

    進化論の偶然性は物質的因果の範囲で説明ができますが、その物質から生命が発生したというところは説明ができていませんから、易で言うところの非物質的因果の遠隔作用があることは否定できません。

    従って、易と進化論を非物質的因果の遠隔作用によって現象aと現象bが作用していると看做すことで同じ土俵に上げることは可能なのです。

    この非物質的因果の遠隔作用をイデアの作用と言い換えて、解釈を進めていくのが四次元能だと言えるでしょう。

    進化論には系統発生という時間を短縮している超難題があります。これを非物質的因果の遠隔作用で説明できるのでしょうか。

    もし、易の時間の構造を解き明かせば、系統発生という時間短縮の謎も解き明かすことができるのでしょうか。

    今すぐに、この結論を導き出すことはできませんが、遠隔作用が時間の謎を解き明かすヒントになってくることは間違いなさそうですので、易が遠隔作用に関係があることを銘記しておいてください。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月18日 18時41分26秒

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    易占いの本質

    易占いの本質<赤の女王の命令を遂行せよ>図の出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org

    易占いの本質
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    図の出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD

    易と言えば占いですが、何故、易と占いが結びついたのでしょうか。

    易というのは安易・簡易・交易・貿易などという使われ方をしますが、いずれも変わり易いという点が共通しています。

    貿というのは本来、財の交換という意味があり、そこに物の移り行く様を強調するために易がついてトレードを貿易と訳したのだろうと思われます。

    語源が分からなくても英語から訳すると意外と分かりやすくなるときもあるようです。

    易経は英語訳にするとbook of changesです。これを逆に直訳すると「変化について説かれた書物」となるわけですから、「なーんだ」ということになりますね。

    要するに、易とは変わるということなのです。

    「占いの玉手箱」
    http://www.e-tamatebako.com/eki/eki3.htmlから編集して引用しました。

    十二時虫と呼ばれる蜥蜴が、光の変化によって日に十二回、体の色を変えることから「易わる」ことから変化を意味する
    『易経』が生まれたと言われています。
    ―――
    蜥蜴の変化が十二時虫と呼ばれるということからもわかるように、易には初めから変化することは時間が経過することを意味していたのです。

    このことを理解していたなら易経はbook of time、つまり、「時の書」と訳されても良かったのではないでしょうか。

    変化=時間という観点で考えると、易が占いに結び付けられたのは、至極自然な流れだったことでしょう。

    占いとは今風に言えば、未来予測のことです。どちらも未来の時間について語っているのですが、未来予測は科学的で客観的でなんとなく信頼性がありそうに感じます。

    しかし、現実には未来予測は余り当てにならないことが多いようです。インターネットがこれほど社会現象になると誰が予想したでしょうか。一方、占いも当たるも八卦・当たらないのも八卦と言います。

    未来は確定していないのですから、それを当てるなど不可能なのですが、それでも占ってみたい、予測してみたいのが人間の性なのでしょう。

    ところで、占いと未来予測には決定的な違いがあります。未来予測は過去のデータを分析して、物質因果的に類推します。占いはいろいろありますが、どの占いも、何か別の現象aをもってきて、それにこちらの現象b当てはめるというやり方をします。現象aの系列は星座だったり生まれた日だったり、亀の甲の罅割れだったりします。現象aの系列は現象bの系列には何の関係もないのですから、物質因果的も起きません。

    しかし、そこに非因果的非在のもの(心)を満ちこんできて、現象aの系列と現象bを結び付けてしまうのです。これでは当然、科学的とは言えません。

    易占いは、中国の占いの歴史は4000年もあるということですが、もともとは、亀の甲を焼いてその罅割れの形から吉と凶を占っていましたのです。

    亀の甲の現象系列a:甲を焼く⇒皹が入る⇒皹が入った様々な甲の形

    戦乱の現象系列a:混乱した状況⇒・・・⇒吉凶の事態

    この二つの系列を結びつけたのが易の占いだったのです。

    二つの無関係な系列はどのようにして結びつけられるのでしょうか。

    甲を焼いたときに皹が入って現れる甲の形(紋様)はそのときによって異なるでしょう。このとき現れたたまたまの形を単なる偶然として見ないで、意味のある偶然、つまり、何かを指し示していると考えるのです。その何かが現象の背後にある法則を意味しているなら、当然、未来を予言ができるという理屈になるわけです。

    つまり、占いは、偶然の現象aが今当面する事態bに相関していると考えることで成り立つ予言の方法なのです。

    言い換えれば、現象aを起こしている背後にある何かが事態bも動かしていると考えるのですから、このような考え方は、まさに、非在⇒実在という図式そのものです。易はイデア科学のモデルだったのです。

    現象aを起こしている背後にある何かが事態bも動かしているとするなら、他の現象aでも良いということになります。

    実際のところ、易で使う占いの方法は変遷してきたのです。

    最初は亀の甲でしたが、その亀の甲が入手しにくいという事情があって、紆余曲折を経て現在では筮竹になってきています。現象a(亀の甲)から、別の現象a(筮竹)に変わってきたのです。

    易にとって、現象の背後にある何かとは宇宙の法則であり、それは陰陽の鬩ぎ合いによって全ての現象が生成され流転するという自然観です。その陰陽を八卦の組み合わせをつくり、更に64のパターンを作り、それを森羅万象に当てはめたのです。

    占いはそのパターン(卦)から一つ卦を選んで、それを現象bの行く末を解釈する(予言)のですから、占いの元になる現象aは何でも良いのです。

    占いのベース:現象a
    占いの対象:現象b
    占い:現象aから現象bを予言する

    これが易占いの本質なのです。


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  • from: 生成門さん

    2011年02月11日 21時30分58秒

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    脳のループ仮説

    脳のループ仮説<赤の女王の命令を遂行せよ>易とフラクタルを融合するイデア科学のモデルが登場しましたが、最後に真打の大物の登場です。脳内を探検するのです

    脳のループ仮説
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    易とフラクタルを融合するイデア科学のモデルが登場しましたが、最後に真打の大物の登場です。

    脳内を探検するのですから、脳の地図が必要です。

    それが脳のループ仮説です。この仮説は、フラクタルと易の関係、エーデルマンの再入力とも親和性がありそうです。

    この仮説を提唱しているのは「ひろかたなん」氏で、意識は脳がループしているから発生するという説を提唱しています。詳しくは、ひろかたなん氏の「脳のループ仮説」http://www004.upp.so-net.ne.jp/kaysaka/を参照してください。

    今回、引用についての問題が起きたので、ひろかたなん氏に、この実態を説明して、四次元能の編集的引用には、独自の類推・曲解・憶測・妄想など混在するが、それで良いかということで、引用を許可をお願いしましたが、快く引用を認めて戴きました。

    その上に「妄想を楽しんで下さい」というコメントも頂きましたので、自由な編集でSF(科学の匂いのするファンタジー)を展開できると思います。

    従って、シムハンターの皆さんにも楽しみ頂けると思います。

    それで、早速ですが、以下、編集して引用しました。

    私達は、鮪(まぐろ)という文字(+1)を読みながらマグロ(-1)を想像しているのです。考えることと身体的物理的な行動(聞く)は同時に起こるのです。

    これを脳の言葉で表現すると、言葉でものを考えるとは、聴覚連合野⇔前頭前野というコースを信号が往復することによって行われるのです。

    信号を送るニューロンは一方通行ですから、往復するには、行きと帰りのコースが別々に必要となります。ですから、聴覚連合野と前頭前野にはループがあって信号を循環させているのです。

    そのループは一本のループではありません。束だと思ってください。たくさんの輪ゴムの束のようなものと思うとよいでしょう。ただし、枝分かれなどがあるところが少し違います。

    このループに、視聴覚などの新たな信号を追加して、循環させながら信号を変化させることが「考える」ということなのです。
    ―――

    この引用では余り編集していません。

    というのは、ひろかたなん氏のテキストは分かりやすく、素人の私にも理解できるからです。

    これを四次元能の文脈持って来ると、次のような解釈になるでしょう。

    人間の思考は言葉によって、-1の非在の位置から+1の実在の位置に反転されます。しかし、非在と実在は分離されて存在するのでありません。

    心身は分けて考えることができないように、思考と言葉も分けては考えてことはできないのです。複素平面で表現するときは、-1・・・・・+1などと二元的に表現しますが、決してこれは、分離対立しているイメージを伝えようとしているのではないのです。

    四次元能は脳を複素平面上の単位円という丸い円で表現します。

    複素平面上の単位円は、実軸と虚軸を交叉させて二元的対立を超越することを示しています。

    回転する円によって-1と+1が反転するのであり、さらに、円によって内部と外部に分離されますが、円は伸縮自在であり、内外反転もしますので、決して、二元的対立の構造ではなく、この世界が陰陽一体となっていることを表現しているのです。

    人間は、頭の中でみずからの声(+1)を聞きながら考える(-1)のですから、複素平面上の円を「私」だとすれば、私には-1の非在(心)と+1の実在(身)が同時に存在するというのは、至極当然だと言えるでしょう。

    ここで言うところのループとは、複素平面の単位円の回転であり、この回転が虚軸を介して+1(鮪の文字を見る・聞く)から-1(鮪のイメージの想起)へ反転させ、-1(想像)から+1(鮪と言葉を発する)へと心身を反転させているのです。

    これが聴覚連合野⇔前頭前野の心身一体ループで行われていることなのです。

    このループを聴覚連合野⇔前頭前野のニューロンでできている物質的なループと考えてしまうと、従来の脳科学と同じ解釈となり、何故、非在の意識がループから生成されるのかという問題が隠れてしまいます。

    実在と実在のループではなく、実在⇔非在のループがあるということを理解してください。

    ひろかたなん氏のテキストは膨大なので、これからエーデルマン氏、大東氏、佐藤氏、岸氏などのテキストを材料として、創作料理を作るつもりで調理していきます。

    この料理をお楽しみください。

    大物ばかりのナビゲータが揃いましたが、果して内部探検は巧くいくのででしょうか。

    アリスはこのような場ではどうするのでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月11日 21時11分22秒

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    易+科学=イデア科学モデル

    易+科学=イデア科学モデル<赤の女王の命令を遂行せよ>ループすることが脳の発生に関係するのではないかという観点でフィードバック・ループを見てきましたが

    易+科学=イデア科学モデル
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    ループすることが脳の発生に関係するのではないかという観点でフィードバック・ループを見てきましたが、フィードバック・ループからは意識が発生しないということが分かりましたので、フラクタルなループとどこが違うのかという点が探求の的となってきました。

    脳はループしているということを前提として、隔離性障害の観点から脳を科学しているのが大東氏です。詳しくは、「隔離性障害の脳科学」http://island.geocities.jp/i53272jk/DissociationNeural.pdfを参照して下さい。

    大東氏の観点は、何故、脳から意識が発生するのかと直接問うのではなく、発生するはずの意識が何らかの原因で消滅するという観点から考えているのですが、後で、詳しく探求して行きますが、隔離性障害が起きるのは脳内のループに異常が起きるからと見ているようです。

    サーモスタットが故障すれば、温度がコントロールされなくなるので、室内の温度は外界と同じになってしまうでしょう。これもループがなくなったからです。

    温度と意識を同じに扱うことはできませんが、似たところはあるので、フラクタル・ループを考える点でフィードバック・ループを理解しておくことも必要だと思っているのです。

    地球をガイア(生命体)と看做せば、ここにでも同じ事が言えます。地球は一つの生命体であり、循環しています。つまりループしているのです。そのループの一部が途切れると、生態系全体が破壊されてしまいます。これが気候変動によって今まさに行われつつあるのです。

    これらの例からも分かるようにループの障害という観点から内部構造を見ていくアプローチは有効であるように思われます。

    ところで、大東氏の隔離性障害に関してのアプローチはエーデルマンの神経細胞群選択説=TNGS(Theory of Neuronal Group Selection)に依拠しており、その核となるのがダイナミック・コア仮説です。その中で「再入力」という原理が重要です。ですから、これについても、後で、詳しく探求して行きますが、詳しくは「DESIGN IT! w/LOVE」http://gitanez.seesaa.net/article/30694070.html
    を参照してください。

    さて、役者(ナビゲータ)が揃ったようですが、まだまだ大物が出てきます。

    内部の探検ということになると、ミクロの決死隊のようにスケールを小さくしたり、抜け出すときには大きくしたりしなければなりません。前人未到の世界を探検するですから、未知とも遭遇するでしょう。

    アリスのように巧く抜け出せるでしょうか。

    四次元能は、編集的引用という特殊な引用方法を使っていますのでリスクがあります。ハートの女王に遭遇すればたちまち首をはねられてしまうかもしれません。

    リスクのある引用などしなければよいのですが、時間短縮のためには「適切な引用」は今後も必要でしょう。

    問題はその引用するテキストが難しい場合です。そのまま引用したのではとても理解できない場合です。

    きちんと引用と解釈を区別することはもちろんですが、難しいテキストをそのまま持ち込んでも意味があるとは思えません。できるだけ、難しいテキストの引用は避けたいのです。

    アイデアはアイデアとして尊重して、オリジナルを侵害しないように注意して、創造的な解釈をしていきます。

    カットアップ(テキストをランダムにして組み合わせる)やフォールドイン(折り畳む)という編集の手法を使えば問題はないのでしょうが、独自のテキストとして生成するのは結構大変な作業となるのです。

    もし、それができるなら超編集術の完成と言えるでしょう。

    四次元能は、SF(科学的フィクション)ではなくSF(科学の匂いのするファンタジー)なので、早くそのレベルを目指したいと思っています。

    今はまだその開発途上だということですね。

    ということで、次にお出ましを願うのは、易とフラクタルを図(形)という観点から機能に視点を転換して意識の生成を説明しようとする北里大学の佐藤亮平氏です。詳しくは「陰陽理論と現代科学」http://www.jsyys.com/transactions-RS.pdfを参照してください。

    佐藤氏は科学ではない陰陽理論を科学に取り込もうとしているのですから、イデア科学のモデルと言ってもよいでしょう。四次元能にとっては、大変に心強い助っ人になるでしょう。

    以前に取り上げた岸氏の「現代物理四仏教を考えページ」http://www6.ocn.ne.jp/~kishi123/もそうでしたが、現象が現れる仕組みとして、ファインマンの経路積分をもった華厳構造が背後にあることを教えてもらいました。

    これも科学ではない仏教を科学に取り込もうとしている例ですし、このような試みはイデア科学を構築する上で大変強力な援軍となるでしょう。

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  • from: 生成門さん

    2011年02月07日 18時27分55秒

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    根源にまで遡らなければ現象の本質は見えない

    根源にまで遡らなければ現象の本質は見えない<赤の女王の命令を遂行せよ>物質的な因果(物質⇒物質)関係を追及すると無限の遡及に陥ってしまいます。そして最

    根源にまで遡らなければ現象の本質は見えない
    <赤の女王の命令を遂行せよ>

    物質的な因果(物質⇒物質)関係を追及すると無限の遡及に陥ってしまいます。そして最後は(?)⇒物質(真空場)となります。(?)は物質ではない「何か」です。

    (?)は、これ以上は不明として追求をやめるということです。迷宮入りとなった事件のようなものです。これが科学の限界であり、科学はこれ以上の追求をしないのです。

    しかし、四次元能は違います。これからがあるのです。(?)を非物質とすれば、非物質⇒物質ということになります。これを認めれば精神と物質の融合した広大な地平に赴くことができるのです。

    この広大な地平に行くのに何も持たないで行くわけには行きません。精神と物質の融合とは主観と客観、芸術と科学、宗教と科学、唯物と唯識など全く異なる領域を融合するようなものです。これをイデア科学と言いました。

    これにはガウス平面(複素平面)で考えるPS理論という思考の道具がなければ、とても歯が立たないでしょう。

    既に、四次元能では様々な森羅万象にPS理論を応用してきましたが、脳それ自体に応用するには時期尚早ということで抑えてきました。


    本来、ガウス平面は虚軸の陰陽(凸i・凹i)、実軸の陰陽(+1・-1)が作る回転する単位円ですから、4つの象限(領域)があり、実軸上の+1から-1だけでなく、凸i・凹iの組合せとなる複素数(実数と虚数の混成)の状態を表現しているのです。

    複素数(実数と虚数の混成)の状態とは、まさに、見える世界と見えない世界の中間過程・状態を指しているのですから、森羅万象の多様性ないし、そこに隠れている虚(空)を表現することが可能なはずです。

    しかし、ガウス平面が多様であるといったところで森羅万象の多様性を表現する方法がなければ、万能の神を想定するようなもので、万能の神が具体的にどのようにして生命を作り出したのかを説明できないと同じです。

    もっと、分かりやすい例を挙げましょう。

    例えば、料理と料理人の関係を考えて見ましょう。中国料理(チャーハン)と京都料理(懐石)を比較してみると分るように、料理には料理人のある傾向が現れます。

    料理人ある傾向とは、混ぜることが好きと区画するのが好きという気質です。

    気質とは後生的な性格とは違い、三つ子の魂などと言われるように現象の背後に隠れているイデア由来のものなのです。

    もちろん、イデア⇒気質として気質を現象として捉えることはできます。そうなると気質遺伝子⇒気質、気質イデア⇒気質遺伝子となり、問題の本質を先送りするだけです。

    非物質気質⇒物質的行動ということを認めるなら非物質⇒物質の構図も認めるでしょう。ということは、問題の根源を探求するには気質⇒行動の表現で十分でしょう。

    これを厳密に言いますと、イデア⇒-1(非在の気質現象)なのです。この-1の非在の気質現象が+1の物質的現象としての行動となるのです。これを簡単に気質⇒行動と表現しているのです。

    ですから、当面は、話を分かりやすくするために気質⇒行動で話を進めていきます。ただしその奥にはイデアがあるということを銘記して置いてください。

    このようにするとこの後の推理は簡単です。

    気質を陰・陽に区分することからはじめましょう。当然、イデアの対称性から陰の気質⇒陰の行動、陽の気質⇒陽の行動となるでしょう。

    しかし、疑い深いシムハンターの皆さんは、本当に、料理人の気質傾向を混ぜることが好きと区画するのが好きといった単純な二元化で気質⇒行動の本質が探れるのかと訝っているのではないでしょうか。

    この疑いを晴らすためには、混在と区画という特徴が料理だけでなく文化全般について見出されることを指摘しなければならないでしょう。これは単なる個人的な気質の問題ではなく民族的な傾向なのです。

    このことから全ての民族は混在と区画のどちらかに偏った傾向を持っていると断定することができるのです。

    しかし、かなりそれは難しさも含んでいます。というのは、環境によって性格や文化現象はかなり影響を受けますから、気質のようなイデア由来のものが隠れてしまうのです。

    イデア由来を遺伝子由来と言ってもいいのですが、環境だけでなく混血現象もあるのですから、観察しただけではイデア由来が見えなくなっているのです。

    ですから、全てを気質に還元することはなかなか難しいのです。

    そう言ってしまったのでは話が進みません。

    現象の背後に隠れているイデア由来の気質を注意深く抽出しなければならないのです。

    そこで、中国料理(チャーハン)と京都料理(懐石)には混在と区画という現象の背後にイデア由来の気質が隠れており、それが端的に現れていることを検証してみましょう。

    検証する前提は、人間の気質傾向にはスキゾとパラノがあるという仮説です。

    人間の気質を単純に二元化してしまうのはあまりにも乱暴なのですが、これは酸性とアルカリをPhでスペクトル上に表現するようなものと理解しましょう。

    つまり、Phスペクトルは酸性・・・中性・・・アルカリと言う具合です。これを気質で表現する気質スペクトルはスキゾ・・・中性・・・パラノとなります。

    もちろん、気質は混在と区画以外にも沢山あるのですからマルチスペクトルとなるでしょう。

    今は、混在と区画だけに限定して話を進めていきます。

    従って、限定した気質スペクトルは混在・・・どちらでもない・・・区画
    となります。

    ということで、

    気質スペクトル
    スキゾ・・・中性・・・パラノ
    限定された気質スペクトル
    混在・・・どちらでもない・・・区画

    これを合わせて、
    気質スペクトル
    スキゾ・・・中性・・・パラノ
    混在・・・どちらでもない・・・区画
    として、更に、簡略化して
    スキゾ(混在)・・・パラノ(区画)
    となります。

    このスペクトルを民族の分析に応用するとスキゾ(遊牧)・・・パラノ(農耕)となります。

    遊牧民族は境界を跨る、つまり、流動的な気質を持っていますから遊牧=混在なのです。

    一方、農耕民族は農耕そのものが区画することから始まるわけですし、何でも小さく分けて分類することが好きな傾向を持っています。これが文明=科学=自我の発達をももたらしたと言えるのですが、この説明は長くなるので詳しくは「未来は虚である」http://beach.avec.ne.jp/ad00178/thread/1100077769254を参照してください。

    要するに、スキゾ・パラノは遊牧・パラノと平行関係にあるのですが、これをPS理論のガウス平面に位置づけると、
    +1凸:パラノな人(農耕民族)・・・自我優位の人
    +1凹:スキゾな人(遊牧民族)・・・無我優位の人
    となりますが、更に
    -1凸:パラノ気質(農耕気質)・・・自我意識
    -1凹:スキゾ気質(遊牧気質)・・・無我意識
    という具合に平行関係があります。

    -1と+1との関係は厳密に言えば、イデア⇒現象なのですが、イデア⇒-1現象(非物質)とイデア⇒+1現象(物質)があり、非物質⇒現象という表現の場合はイデア⇒-1現象⇒+1現象となります。

    この場合はイデアから-1現象を経由して+1現象に反転することを意味しており、イデア⇒+1現象とは区別されます。

    イデアからダイレクトに現象化する場合は、直観のような作用であり、イデア⇒+1現象と表現されるでしょう。

    このようにPS理論は脳の構造と作用を多様に表現できるのですが、それでも人間の心理は複雑です。

    料理には作る人のパラノとスキゾの気質が反映していると言いましたが、それだけでは社会現象全般を読み解くことはできません。

    作る人がいれば料理を食べる人がいるわけですから、その関係を視野に入れなければならないでしょう。

    そうすると関係は更に複雑になります。

    人間の気質をスキゾ(混在が好き)とパラノ(区画が好き)とに分けとしても食べる人と作る人と料理の関係は、

    1.スキゾが作ったチャーハンをスキゾが食べる
    2.スキゾが作ったチャーハンをパラノが食べる
    3.パラノが作ったチャーハンをパラノが食べる
    4.パラノが作ったチャーハンをスキゾが食べる
    5.スキゾが作った懐石をスキゾが食べる
    6.スキゾが作った懐石をパラノが食べる
    7.パラノが作った懐石をスキゾが食べる

    という具合に7通りにもなります。

    このようなことが起きるのが現実の生活です。ですから、単純にスキゾ(混在が好き)とパラノ(区画が好き)と二元的に分けただけでも現象としては複雑になるのです。

    例えば、7の「パラノが作った懐石をスキゾが食べる」を考えて見てください。パラノと懐石料理は相性が良いでしょうから、素晴らしい懐石料理ができるでしょう。

    しかし、それをスキゾが食べるのですから、最初は物珍しさで美味しいと評価するかもしれませんが、最終的に規格化・標準化された形態に過ぎないことを見逃さないのではないでしょうか。

    つまり、自分たちがいつも食べている混在した料理より物足りないとか口に合わないなどと評価するのではないでしょうか。

    当然、美味い不味いは個人の好みですが、それを単なる生活習慣上の好みの問題として理解するのは表層的であり、本質を見逃しているのです。

    現象(好き嫌い)の背後には生来の気質が大きく影響しているのです。

    料理番組で食べた後の評価をコメントするシーンが必ずありますが、番組では悪いことは言えませんから当てになりません。本音で言えるなら生来の気質が表出すると思うのです。

    生来の気質が現象(好き嫌い)を左右しているならマーケティング的には事は重大です。大概の調査はアンケートをとってやりますが、単に美味しかったですか?(はい・いいえ)としか質問することができません。

    これでは作った人と食べる人の相関が見えてきませんから、正しい答えを得ることはできないのではないでしょうか。

    皆さんはどう思いますか。

    美味い・不味いを決めているのは、作った人と食べる人の気質の相性なのです。その上での後で付加された個人の好みでバイアスされるのです。バイアスされた美味い・不味いを見ていたのでは、裏に隠された根源を探ることなど決して見えてこないでしょう。

    エックス線装置やMRIのような内部にまで透過するような探査方法を持たなければならないのです。

    人間の気質類型をスキゾとパラノという気質で見る方法は内部の探査方法です。

    しかし、スキゾとパラノというような二元的な分け方は単純すぎるという反論があると思います。それはその通りです。

    それでも、料理に対する評価を単なる生活習慣上の好みから判断するのは見せかけであり、それに比べて、生来のものから来きているとする方法は内部を透過するただ一つの方法であり、無視できないでしょう。

    ですから、生来のものから来きているということを無視して単に味付けが悪い・良いとは言えないのです。

    スキゾとパラノといった二元的な分け方でも、現象面では7通りものパターンがあり複雑なのですから、まして、気質に中間があることを考えるとスキゾの混じったパラノ、パラノの混じったスキゾの組み合わせとなり、味の良し悪し決める要因は無限となります。

    こうなると、料理の評価は、個人の習慣的な好み、気質、環境に影響されるのですから一概には言えないということになってしまい、マーケティングなど成り立ちようがなくなってしまいます。

    しかし、それではマンデルブロの集合の内部は見えないとサジを投げるとのと同じであり、科学が?⇒物質で行き詰って、根源の追求を止めるというのと同じことになるのではないでしょうか。

    脳の内部は見えない真っ暗闇だとしてサジを投げるしかないでしょうか。

    でも、岩田氏がサジを投げずにマンデルブロの内部を解明したように芸術という観点から科学するような根源のアプローチがあるのではないでしょうか。

    脳の内部を見るためには根源に遡らなければならないということを更に示しておきましょう。

    インドを旅行すると、もう二度と行かない人と、もう一度行きたいという人とに評価が二分すると言います。何故なのでしょうか。

    最近ではインドも経済が発展してきたので衛生状態も良くなってきたようですが、それでも手を洗うという習慣がなかったようです。それである人が手を洗わせるために石鹸を小さくして低価格にして販売したら売れたということですが、そのような国に清潔好きなパラノが行ったらどうなるでしょうか。結果は見えすぎています。

    インドと言うのはヒンズー教の国ですが、仏教の生まれた国でもあります。混在させること、物事を分析しない、二分しないという空=無のスキゾ気質の本家なのです。

    ですから、パラノがインドに行けば二度度行きたくないのであり、スキゾが行けば、パラノ社会の中で抑圧されていたスキゾは解放された気分になってホットするのです。

    これと逆になるのが、台湾や中国から来た人の場合です。台湾ではスキゾ気質の人が多いようですから、料理のテーブルには日本のようにキチンと箸が並んでは出てきません。

    躾ができていないなと馬鹿にするのは決まって日本人です。

    しかし、台湾人の中にもパラノな人がいます。パラノな人は多勢に無勢ですから普段はパラノな人はおとなしく見えます。

    そんな人が日本に来るとどうなるのでしょうか。

    中国人は、よくストレスが溜まってよく喧嘩をしたり、激情して事件を起こしたりしますが、それはスキゾな人しょう。

    それに対して、パラノな人はホットしているのではないでしょうか。

    日本に於ける虐めとか、隣近所での喧嘩、
    企業での人間関係にはスキゾとパラノの鬩ぎ合いがあるのです。

    このように現象の本質を探究するには、その根源にまで遡って行かないと見えてこないものなのです。根源とは非物質的因果、つまり、イデア⇒非物質であり、非物質を経由した物質現象なのです。言い換えると-1(気質)⇒+1(行動)なのです。気質を思考や心と置き換えると、-1(思考・心)⇒+1(行動)となり応用が広くなるのです。

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    from: 生成門さん

    2011年02月11日 20時19分13秒

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    「Re:生成門さんの中にある邪悪と向上心」海舌さんさすがに鋭いですね。そういう解釈もできるのかという思いです。指摘された問題の部分を削除しました。これ

    from: kaisetsuさん

    2011年02月11日 14時45分11秒

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    「生成門さんの中にある邪悪と向上心」海舌は、生成門さんの日々の研究活動に対して敬意を持っていますし、社会的にも意義のあることだと思っています。この段階

  • from: 生成門さん

    2011年02月11日 12時58分06秒

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    フィ-ドバックのループとフラクタルなループ

    フィ-ドバックのループとフラクタルなループ<赤に女王の命令を遂行せよ>アリスが兎の穴で見たのは時間の短縮でした。時間がどのように短縮されるのはまだ分か

    フィ-ドバックのループとフラクタルなループ
    <赤に女王の命令を遂行せよ>


    アリスが兎の穴で見たのは時間の短縮でした。時間がどのように短縮されるのはまだ分かっていませんが、フラクタルな構造が関係していることだけは分かりました。

    手掛かりはフラクタルな自己の相似が繰り返し、自己回帰する空間構造にあるのです。空間が自己回帰するときに時間も回帰するので、そこに時間が短縮される秘密が隠されているのではないかと思うのです。

    ですから、自己回帰がどのようにして起こるのかを探求すれば、時間短縮の謎も解けるかもしれません。

    自己回帰とは、自分に還るということですが、これがどのような意味かを知って置かなければあらないでしょう。

    自己回帰と似た概念としてサイバネテイックス(通信工学と制御工学を融合し、生理学、機械工学、システム工学を統一的に扱う)にはフィ-ドバック(自己調節)があります。

    フィ-ドバックとはフィ-ドバックループとも言い、簡単に言えば、出力したものを入力に返して、その差異を一定値と比較して、出力値をコントロールするというものです。

    具体的な例としては、生体にはホメオスターシス(生体が状態を一定に保とうとする性質)であり、身近なところでは、部屋の中の温度を一定にするためにサーモスット(温度制御)によって温度を安定にする仕組みがあります。

    家電に使われている電気回路にフィ-ドバックが入っていない回路はないといってもよいでしょう。

    経済現象でも、インフレになると物価が高くなり、デフレになると物価が低くなるというのも、私達が反省・瞑想・夢を見るなど体験したことをもう一度反芻することで、新しい行動や言動に影響を与えるのもフィ-ドバックと言ってよいでしょう。

    ここで上げた例は、負のフィ-ドバック(負帰還)と言い、出力を入力に戻し、入力と反対の方向に出力を抑えるといえることに特徴があります。

    その反対の正のフィ-ドバック(正帰還)という増幅回路などと言われてこれも結構使われていますが、マイクに自分の音が回って共鳴するハウリング現象はどちらかといえばこちらに近いでしょう。

    「赤の女王の命令:ランナウェー(5)」
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100100084000で、気候変動にはランナウェー(暴走)という危険な現象があると言いましたが、ランナウェーも正のフィ-ドバックの例です。

    正のフィ-ドバックは、発散するので必ずしも言い意味で使われないことが多いのですが、生体ではびっくりするとかるクシャミをするといった危機を知らせるメカニズムで命を守るために正のフィ-ドバックが使われている例もあります。

    フィ-ドバックの特徴は、ループしていることであり、自己回帰、自己言及といった概念とも親和性があり、エーデルマンのダイナミック・コア仮説で示されているフラクタルなハウリング(再入力)とも似ているところがあります。

    ただし、温度を自己調整している冷蔵庫の中に意識があるとは誰も考えないように、単純にループがあるからといって意識が発生するわけではないということは自明なことです。

    フィ-ドバックのループとフラクタルなループ、つまり、ハウリング(再入力)とは、根本的に違う何かがあると考えなければならないでしょう。またその違いこそが、意識の発生の謎を解く鍵かもしれませんし、時間が短縮される仕組みが隠されているのかもしれません。

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