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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

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  • from: エリスさん

    2006年12月02日 15時36分02秒

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    追憶 すべての始まり・1

     オリーブの匂いが香る夕暮れ。
     片桐枝実子(かたぎり えみこ)は、ソファーに横になってまどろんでいたが、その香りに誘われて目を覚ました。
     キッチンと庭に挟まれたリビングルーム。そこに、彼女はいた。
     キッチンを見ると、弟子でありマネージャーの三枝レイが料理を作っている最中だった。
     「いい匂いね、レイちゃん」
     枝実子が声をかけると、
     「先生、起きてらしたんですか?」
     と、レイが振り向いた。誰の目から見ても、子供がいると分かる大きなお腹である。
     「なに作ってるの?」
     枝実子は起き上がって、彼女の方に歩いて行った。見ると、ペペロンチーノのスパゲッティーだった。
     「先生はオリープオイルがお好みですから、この方がいいかなっと思って」
     「ありがとう、レイちゃん……ところで、そろそろ坊やを保育園へ迎えに行かなくちゃいけないんじゃない?」
     「大丈夫です。今日は主人の仕事が早く終わるとかで、主人が迎えに行ってくれますから」
     「でも夕飯の支度があるでしょう」
     「大して時間かかりませんもの、帰ってきてからでも平気です」
     「だけど……」
     枝実子はポンポンと軽くレイのお腹を叩いた。「あまり立っているのは、お腹の子供に良くないんじゃない?」
     「嫌だわ、先生。もう二人目なんですよ。そんなに気を使ってもらっては……」
     「レイちゃん」枝実子は教え諭すように言った。「私のことを考えてくれるのは有難いわ。でも、あなたは私の弟子である前に、一家の主婦なのよ。それに、もうあなた自身、作家として独り立ちしてるんだから、あんまり師匠のところに居ついちゃダメ。いい? ここは私たちのアトリエ、言わば会社なんだから、定時をすぎたら社員は帰りなさい」
     「でも……」
     「命令よ」

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from: エリスさん

2007年01月24日 14時53分39秒

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「追憶 すべての始まり・59」
 枝実子――エリスが宇宙の大いなる意志のもとへ導かれたように、彼も、生まれ変わるたびにそこへ連れて行かれていた。
 《いずれ再会する、永遠の伴侶のために、そなたも知らなければならない。生きることの総てを。生命の尊さを。そのためには……》
 「嫌ですッ。この姿はイヤ! 私は女として生まれたい、女としてあの方と巡り合いたいのにッ」
 あんなにも嫌悪した、男の姿で転生したおぞましさ。男でありながら、彼女を愛してはならない苦しみ。
 そして、転生してしまったが為に知った、隠された神話の真実――初めての嫉妬。
 ――彼女が、自分以外の者、エイレイテュイアを愛人としていた――
 「エミリーはさ……」
 章一が口を開くと、枝実子は彼のことを見上げた。
 「早く帰りたいの? 故郷に……この頃、昔の夢を見る回数が増えてきてるみたいだけど」
 「たぶん……意識下では望んでると思うの。よく分からないわ……私、この国も好きだから。レイちゃんや、他のみんなもいるし。産みこそしなかったけど、育ててきたものは多いわ。やっぱり未練が残っちゃう」
 『それに、恐れているんだわ……私が故郷に戻るということが、どういうことか、分かっているから』
 不和の女神としての器から離れて、人間・片桐枝実子として転生しているからこそ、本来の力は眠ったままで、ある程度の平穏を保ってこれたのだ。だが、枝実子が、今も宇宙の意志のもとで守られている女神の器の中に戻ってしまったら、自我の回復より先に力の放出がなされ、全世界に不和のオーラが広がっていくだろう。
 その時、どうなるのか。
 そのことを意識下で恐れていたのだろう。ずっと以前のことになるが、自分の中に住むもう一人の自分が、その霊力の強さゆえに実体化して現われ、自分を殺しに来たことがあった。
 天寿を全うしてはならない。天寿を全うした暁には……。
 この世での修業を「自殺」という形で一時放棄し、その罰としてまたこの世に戻ってくる。それを繰り返せば、未来永劫、自分は故郷に帰ることができなくなる。
 それが、この世界のためになる。
 ……だが、自分が故郷に戻らなければ、帰りを待ちわびる、あの愛しい人たちはどうなるのだろう。母君はまた、自分のせいで、と自分を責めるのだろうか。エイリーは? ヘーラー様は?
 まさか、世界の終末を予言したあの人物が、アンゴラモア大王と表現したのが、自分のオーラだったなんて!!
 ――枝実子は、ずっと永い間、そんな自問自答を繰り返していた。
 大丈夫さ、と章一は枝実子の気持ちを察して言った。
 「その時のために、育ててきたんじゃないか、君が、彼女を」
 「……そうよ。大いなる意志が導くままに、彼女と出会い、育てたわ……何事にも屈しない、強い魂を」
 不和のオーラに打ち勝てる魂の持ち主を。
 「だから、何も迷っちゃ駄目だよ」
 「うん……」
 「俺たちは、やれることはやったんだ、悔いはない」
 「もちろんよ」
 「華々しく帰郷しような」
 「ええ、二人一緒にね」
 互いに掌を合わせるように近づけ、握り合った時、二人は同じことを思い出していた。
 オリーブの香る森林。
 丘の上に建つ美しい社殿を、引き立たせるように澄んだ青い空。
 また、その色を映して一層輝く海。
 何もかもが輝いて見えた、あの国を……。
 それを、醜く汚すのが自分たちだということを、今ひと時だけは忘れて……。
 一九九九年。
 もうすぐ、夏が盛る――


                             終

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from: エリスさん

2007年01月24日 14時23分42秒

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「追憶 すべての始まり・58」
 「食事の前に顔洗ってきなよ。寝ぼけた頭じゃ、ちっとも美味しくないから」
 章一の笑顔を見ながら、夢の内容を思い出した枝実子は、彼を見つめたままポロポロと涙を零した。
 「おいおい、エミリー」
 章一が慌てて何か拭うものをと探していると、枝実子は起き上がって、自分の指で拭った。
 それを見て、章一は軽く笑ってから、言った。
 「昔の夢を見てた?」
 「……うん……ずっと昔の」
 「だったら泣くことはないだろう」
 「そうね……でも……」
 目の前であなたが死んだのを見て、悲しくならないはずがない――と、言いたかったが、言えなかった。
 枝実子は、自分たちが遠い昔、同じ時代に同じ土地で生きていたことを、朧気な記憶で知っていた。ただ、誰だったのか、どういう育ち方をしたのかは、互いに教え合おうとはしなかった。
 聞きたい、「誰」であったのか。
 自分が思っている通りの人だったのか。
 しかし、聞いてしまったその時、己の理性がどこまで持つか分からない――怖い。
 絶対に睦みあってはならないと、それがこの世での業だと、罰だと、悟っているだけに、確かめることができない。
 『でも、その苦しみも、もうすぐ終わる』
 枝実子は不意に思った。
 この頃の体の不調、つい遠のきがちになる意識がそれを教えてくれる。もうすぐ寿命が尽きるのだと。
 悟られないようにしていたが、章一にもその兆候はあった――むしろ、枝実子よりも鮮明に過去を覚えている彼の方が、数倍も辛いかもしれない。
 

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from: エリスさん

2007年01月24日 14時11分31秒

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「追憶 すべての始まり・57」


 二人が罪に問われたのは、その一ヵ月後だった。
 オリュンポスの王・ゼウスに真っ向から立ち向かい、「近親結婚が許されるこの神界に、同性結婚を認める掟を」とエリスは主張したが、どうしても勝つことはできなかった。二人はゼウスの罠に嵌められた。エリスは薬物によって暫く身体の自由を奪われ、その目の前でキオーネーを雷で殺されてしまった。
 夜な夜な見る、キオーネーが下り道を遠ざかっていく夢。
 「闇に下るのがエリス様への愛ゆえなら、私は本望にございます」
 「行くな、キオーネーッ。何故おまえだけが死ななければならないのだ。何故、私は死ねないのだ!!」
 すると、キオーネーではない誰かが囁いた――これは試練なのだと。エリスがもっと高処(たかみ)へ上り詰めるための修行なのだと。
 《御身も生まれ変わるからには、多くのことを学び、糧として、目覚めなさい。御身が本当に果たさなければならない使命とは、何なのかと》
 そしてたどり着いた、宇宙。
 宇宙の大いなる意志に抱かれて、神の器から離れた魂だけの姿となって、人間界へ降りていった。
 罪を償うのではない、何かを得る為に。

 片桐枝実子は、少しだけ体を動かした。
 「……キオーネー……」
 電子レンジを使って料理を温めていた乃木章一は、その声に気づいて歩み寄り、彼女の顔を覗き込んだ。
 「お呼びになりましたか、我が君」
 その声で、目が覚めた。
 「……あ、ショウ……」

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from: エリスさん

2007年01月16日 14時53分21秒

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「追憶 すべての始まり・56」
 食事はあまり用意されていなかった。神酒と小さな果物がいくつかだけである。
 エリスの杯に酒を注ぐキオーネーの手は、今は穏やかだった。
 「この間は……」
 と、エリスは口を開いた。「弁解のしようもないな……わかったであろう、そなたも」
 「はい」
 「そうか……このまま、会わずにいようかと思っていたのだが、それでは卑怯ではないかと考えが至ってね。……キオーネー、そなたの気持ちが聞きたい」
 重い沈黙が続く。
 キオーネーは、強く握り合わせた手をテーブルの下に隠して、絞り出すように言った。
 「もう、来ないでください」
 それを聞いて、エリスは一息ついた。
 「……わかった……」
 ゆっくりと立ち上がる。
 足音すらしないほど静かに歩いていき、エリスは戸の前で、振り向きもしないで言った。
 「今まで、ありがとう」
 戸を開くと、風がサッと入り込んでくる――髪が、小屋の中へ伸びるように煽られた。
 その髪が、波うちながら消えていく。
 キオーネーはずっと堪えてきた衝動に耐えられず、立ち上がった。
 「待って……」
 と言い掛けた時、風で戸が閉められた。まるで、行く手を阻むように。
 『なにをしようとしていたの? これでいいのに……自分が望んだ結末なのに』
 止めどなく、涙が出てくる。
 キオーネーは、拭うこともできなかった。

 これで良かったのだ……と、エリスも思っていた。
 『あの汚れなき魂を罪に落とすぐらいなら、この方が良いではないか』
 足は自然と、泉に向かっていた。馬も主人の後を付いてゆく。
 泉に月の光が映って、風で波打つごとに輝いて見える。
 これが見納めになるかもしれない。
 エリスは岸に跪くと、泉の水に手を浸した――心地よい冷たさが、寂しさを癒してくれる。
 そんな時だった。
 『……我が君……』
 エリスはすぐさま振り返った。
 キオーネーの声がしたような気がした。
 我が君……キオーネーがエリスをそんな風に呼んだことはない。それなのに、なぜ、この言葉が彼女の声で聞こえたのだろう。
 まさか、まさか、と繰り返し思いながら、エリスはキオーネーの小屋へと戻った。
 戸を開けたとき、今にもナイフを首筋に刺そうとしているキオーネーの姿が目に入った。
 「熔けろ!」
 エリスが咄嗟に叫ぶと、その言霊をぶつけられたナイフが、先からヘナッと曲がり、水みたいに熔けて消えてしまった。
 震えた手を握り締めて、涙で潤んだ瞳をキオーネーが向ける。
 「死なせて下さい、お願いです。私は……罪を犯してしまったのです」
 次第にうなだれていく彼女にエリスは歩み寄って、肩を支えてあげた。
 「女でありながら、恐れ多くも女神様を愛してしまいました。せめて、死んでお詫びを……」
 「私も同じだ、キオーネー」
 エリスはそう言って、キオーネーを抱きしめた。
 「誰よりも、敬愛する母君よりも、そなたが愛しい、失いたくない。私の総てを投げ出しても、そなたを守ってやりたい……キオーネー、死ぬ勇気があるのなら、もう、なにも怖いものはないわね」
 腕の力を緩めて、エリスはキオーネーを見つめた。
 「……エリス様……」
 「生きよう、共に」
 キオーネーは頬に流れる涙をそのままに、エリスにしがみついた。
 「我が君、我が君ッ」
 「……我妹(わぎも。「我が妻」という意味)……」
 その宵、月が隠れた。誰の意志によるものか、満月の筈の夜が闇夜となり、総てが覆い隠されたのである。
 総ては、夜空が知っていた。

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from: エリスさん

2007年01月16日 14時20分24秒

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「追憶 すべての始まり・55」
 「なにもそんな悲観することはないんだ。俺を見ろよ、あんな目にあわされても、ちゃんとアプロ(アプロディーテー)を手に入れたぜ」
 アレースはそう言うと、エリスの手を引いて立ち上がらせた。
 「遠乗りに行こうぜ」
 寝てばっかりじゃ解決しない、と言いたげに、アレースが微笑む。
 「行こう」
 エリスも笑顔で答えた。
 『そうだな、このままじゃいけない……』
 いけないことなのはわかっているけど、もしも……、そうだったら……、と思いながら、エリスは久しぶりに輝く日差しを浴びた。
 エリスが屋敷から出てきたのを気配で知ったのか、一人で馬屋に戻っていたカリステーは、駆け足で出てきた。
 「カリステー……心配をかけたな」
 エリスは彼女の鼻先を撫でながら、頬を近づけた。
 『このあと、遣いに行っておくれ』
 その夕方、エリスの愛馬が主人を乗せずにアルゴスに向かったのを、森の動物たちが見ていた。馬は「今宵参る」と書かれた手紙をくわえていた。


 こんなにも鼓動が高鳴ったことはない。
 キオーネーは泉で行水をしながら、その熱さで動けなくなっていた。
 怖い――自分が。
 『どうしよう、もう会ってはいけない人なのに、こんなにも会いたいなんて』
 馬の遣いで届いた手紙を読んだとき、すぐに思ったことが「身支度をしなければ」ということだった。醜い感情ごと、総ての汚れを洗い落としてからお会いしなければ、失礼にあたる、と考えて。
 綺麗だと思われたい――こんな感情を、女性に対して持とうとは。
 『決心しなくちゃ……怖がっちゃダメ』
 意を決して、キオーネーは泉の中で立ち上がると、岸へ上がった。
 そして、母の木を見つめた。
 「母さん、親不孝を許してくれる? 許してくれるよね。父さんと、どんなに危険な恋になろうとも、貫いたあなただもの」
 ――思うままに生きなさい――と、答えが返ってきたような気がする。
 キオーネーは自分の小屋へ戻って行った。すると、戸の前でエリスが立って待っていた。
 しばらく言葉がない。――ひたすら、見つめる。
 「……ご機嫌よう、キオーネー」
 「いらっしゃいませ……エリス様」

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from: エリスさん

2007年01月16日 14時01分51秒

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「追憶 すべての始まり・54」
 エリスも思い出してクスクス笑った。
 ある日、ヘーパイストスがどうも、どうも妻が浮気しているようなので、寝室に罠(目に見えない網)を張って出掛けた。その間にアレースがやって来て、二人で仲良く寝室のベッドに乗った途端、網が上へ引き上げられ、二人とも天井にぶら下げられてしまったのである。お昼ごろ、ヘーパイストスが「まさかなァ」と思いつつ帰ってくると、妻と実の兄が情けない姿になっていたので、ため息をついてから、伝令神にオリュンポス中の神々を呼び寄せてもらった。そして二人を笑い者にしたのであった。
 しかし、ヘーパイストスの性格のおかげで、アプロディーテーはめでたく(?)離縁してもらえて、アレースと再婚できたのである。
 「あいつがあんなにさばさばした奴だったとはね、あの時、初めて気づいたよ」
 「あの時は本当に、親友やめようかって思うぐらい、おまえが情けなくて、泣きたくなったよ」
 「そりゃないだろう!」
 しばらく、気持ちのいい笑いが続く。
 「そうか、好きになった奴がいるのか」
 アレースが言うと、エリスは途端に表情を曇らせた。
 「大体の予想はつく。おまえの好みから想像して……華奢で小柄で、可愛い奴なんだろうな、その少年は」
 まさか相手が女とは思えないらしく彼が言うと、エリスはちょっと安心して、頷いた。
 「子供過ぎて、なにもできなくて、苦しんでいた……そんなとこか?」
 「うん……そんなとこ」
 「馬鹿だな、つくづく。相手の気持ちも確かめないうちから、うじうじして、諦めようとしてたんだろう。いくら相手が子供だからってな、自我すらないわけじゃないだろう? 気持ち打ち明けて、確かめてみろよ。第一、おまえはもう年取らないんだから、人間みたいにババアになるわけじゃなし、相手が成長するまで待てるだろう」
 「うん……でも、相手は……不老じゃないんだ。人間の少年で、いつかは年老いて私を置いていってしまう」
 エリスはなんとか話を作って言うと、馬鹿だなァ、とアレースは更に言った。
 「相手の意志にもよるだろうけど、ことによっちゃあ、父上に頼んで子供の姿のままで不死の力を与えることだって出来るじゃないか。オリュンポスに仕える、あの永遠に老いることのない美少年・ガニュメーデースは、父上が鷲に姿を変えてさらってきた、人間界のトロイア王家の子だったことは有名な話だろう?」
 「ああ、そうだったな」

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from: エリスさん

2007年01月14日 21時31分23秒

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「追憶 すべての始まり・53」
 「眠ることすらできなかったってわけか? だからって俺を利用すんなよ。俺が本気になってたら、おまえ、精神が崩れるぞ」
 「……うん……」
 エリスはアレースのことを見上げた。
 「ごめんね」
 アレースはエリスの言葉に笑って答えた。
 「いいさ。……で? なにがあったんだ?」
 エリスはそれには答えずに、逆に問い掛けた。
 「アレース、アプロディーテー殿を好きになった時、苦しくなかった?」
 「苦しかったよ、そりゃ。同じ母から生まれた弟の、しかも父上と母上が是非にとめとらせた正妻だったから。その彼女を好きになるってことは、弟の誇りも、両親の面目も潰すことになる。だけど、好きになっちまったもんは仕方ないよな。片思いだったら諦めもついただろうけど、両思いだろ? こうなりゃ堕ちるとこまで堕ちてやるッ、て息がって、ヘーパイストスが留守の隙に、良く彼女のところへ通ったものさ。……そんで、ホラ、おまえも呼ばれた、アレ」

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from: エリスさん

2007年01月14日 11時42分38秒

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「追憶 すべての始まり・52」
 「ふざけんなよ」
 「ふざけてない」
 腕に力が籠もっていく。
 アレースはカッとなって、彼女を引き離すと、強く相手の頬を打った。
 だが、エリスが驚愕したのはその後――いきなり両腕を取られて、床に押しつけられたのである。
 そしてアレースは、エリスの首筋に口付けてきた。……初めての感触に、ゾッとする。
 「……や……イヤァー!!」
 その途端、ペチンッ、とアレースの手がエリスの鼻を叩いた。
 「本音が出やがった、天の邪鬼め」
 アレースが起き上がると、エリスは真っ赤になりながら、顔を背けていた。
 「おまえが男言葉を使うときは、いつでも精神が緊張している時なんだ。ときどきポロッと女言葉がでる、その時が素に戻ったおまえだってことぐらい、長い付き合いなんだから気付いてるよ。なのに、さっきの台詞は男言葉だった……女が男を誘うのに、そんなに自分を押し殺すかよ。多少の緊張はあっても、女は自分の全てを曝け出してくるもんなんだ。ちゃんと研究しとけよ」
 「……忘れたかった」
 「ん?」
 「なにも考えられなくなりたかったんだ。なにもしたくない、自分が自分でいることすら忘れてしまいたかった。ただ、ひたすら眠るだけの存在でありたかったのに」

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from: エリスさん

2007年01月14日 09時29分17秒

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「追憶 すべての始まり・51」
 しばらくして、エリスの唇が動いた。
 「……痛いよ……」
 アレースが一辺に力を抜いたことは言うまでもない。
 「脅かすなよなァ、まったくもう……」
 そう言って、アレースがエリスを元の通りに横たわらせてやろうとすると、スッとエリスの白い腕が伸びて、彼の首に絡み付いてきた。
 「エリス?」
 「……」
 エリスは、アレースの耳元で微かに何か呟いた。

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from: エリスさん

2007年01月11日 15時13分37秒

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「追憶 すべての始まり・50」
 ところが、足に結んだ手紙は、解かれた様子もなくそのままになっていた。
 社殿にいないのか? と思ったが、鳩から微かに神霊特有の香り――それも、ニュクスの一族に継がれるラベンダーに似た匂いがしていた。彼女の傍に鳩が寄ってきた証拠だ。
 「そうか、手紙を受け取ってもらいたくて、ずっと彼女の傍にいたんだな。それでも彼女は受け取らなかった……いったい、何があったんだ」
 鳩は一生懸命、アレースに自分の言葉で話をした。アレースは心を読み取ることによって、鳩の言いたいことを理解する。
 「なんだって!? 生きてはいるけど、ちっとも動かない!? しかも床の上にか。そりゃ大変だ」
 アレースはすぐに出掛ける支度をして、供も連れずに馬で駆けていった。
 入り口から入ろうとしたが、閂が下りているらしく開かないので、二階にある寝室の窓まで飛び上がった。そこから入ると、一瞬ギョッとなるような光景を目の当たりにした。
 寝具が引き裂かれ、散らばり、その床の上にエリスが仰向けに倒れていた。
 「エリス! 何があったッ」
 抱き起こしても、まるで人形のように反応がない。――目は開いている、呼吸もしているのだが、感情がないのだ。
 『心を閉ざした? 何故!?』
 この状況から判断すると、誰かに辱めを受けたか……? なにしろ、ギリシアの心霊的な建物は、窓と言ってもガラス戸がついているわけでなし、エリスは格子すらつけない開けっ広げな窓にしていたので、アレースのように脚力にものを言わせて飛び上がるか、それこそ空を飛ぶ能力がある者は簡単に入ってこれる。
 だが、しかし。
 『エリスを襲う男なんかいるかな? このオリュンポスに。大概の者が、名前からして男だと(エリスというのは、男の名として使われることが多い)思っているっていうのに……』
 それに、衣服に大した乱れがない。
 『ええい! んな詮索なんかやってられっかッ』
 アレースは自分自身を叱り付けてから、エリスの頬を叩くなどして、なんとか意識を元に戻そうと努めた。
 「オイ! 俺だよ、アレースだッ。なんとか言えよ、おまえは! 親友に心配かけてんじゃねェ!! エリィス!! なんとか言えェ!!」

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from: エリスさん

2007年01月11日 14時57分10秒

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「追憶 すべての始まり・49」
……キオーネーもまた、母の木に縋りながら泣いていた。
 「母さん、私、どうしたらいいの?」
 拒めなかった。いや、もしかしたら自分が惑わせたのかもしれない。
 そして、より深い望みを夢見ようとしていた。
 知らなかった。自分が、こんなにふしだらな女だったなんて。
 「でも、気づいてしまったら、もうだめなの。忘れられないの。私、誰よりもエリス様のことが……好き……」
 泣き崩れながら、呟く。
 「どうしよう、このままじゃエリス様を追い落としてしまう。誰よりも気高い女神様を、この私の醜い欲望のためにッ」
 抱きしめてあげたい――と、木は思っていた。せめて、慰めてあげたいと。だが、幹はおろか、枝も葉も、何ひとつ自分の意思では動かすことのできない我が身を、嘆くことしかできなかった……それが、罰だから。
 そんなうちに、雨が降り出した。
 静かに、優しく、大地を湿らせていく雨を、エリスは、床に横たわりながら窓を見上げて眺めていた。
 「……夜の雨、か……あたたかい……」
 夜空が泣いている――司る者の心に応じて。
 やがて雨の匂いに誘われて、まどろみが誰のもとへも訪れていた。

 トラーキアにあるアレースの社殿に、一羽の白い鳩が入っていく――エリスとの間を行き来する伝書鳩だ。
 椅子で寛ぎながら本を読んでいた彼は、羽ばたきの音に気づいて窓の方へ向いた。
 「お、やっと帰ってきたな」
 ここ二、三日、エリスがオリュンポスに出仕しないので、鳩を使って様子を見ようとしていたのである。

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from: エリスさん

2007年01月11日 14時26分30秒

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「追憶 すべての始まり・48」
          第三章

 友人だと思っていた。
 それ以上の感情などあることも知らなかった、のに……。
 気が付いたら、キオーネーを包んだエリスは、木に押し付けるようにして、彼女の唇に自分の唇を触れさせていた。
 まるで、白昼夢に侵されていたように。
 しばらく動けない……。
 枝から震えるように落ちた葉が、エリスの頬をかすめるまで、我に返れなかった。
 ハッとして、エリスが弾かれるように後ずさる。
 キオーネーは、まだ少し夢を見ていた。
 「……エリス様……」
 体が震えそうになるのを、懸命に堪えながら、エリスは言った。
 「すまなかった」
 そのまま、走り去っていた。
 どこをどう走ったのかも分からない。馬に乗ってきていたのも忘れて、自分の足だけで走って、帰ってきてしまっていた。
 自分のしていることが分からない。
 『いったい、どうしてしまったのだろう。何故こうなるのだ?』
 まさか、キオーネーに対して友人以上の感情が芽生えようとは、誰が予想できたのだろう。
 いくら自分が男っぽい性格だからと言って、同性を慕うようになるとは。
 その時、一瞬頭をかすめた言葉があった。
 ――血筋――
 エリスの姉妹たちはみな独身で、使用人にする男を置かない者もいた。
 第一、ニュクスが単身出産し続けているのは何故だ? 他の単身出産神であるガイア(大地の女神)やヘーラーは、ちゃんと夫を持ち、夫との子を儲けているのに。
 それは、単に男嫌いなだけなのではないのではないか?
 つまり……
 「違う!!」
 エリスは答えを振り払うように叫んだ。
 『血筋なんかじゃない。母君の血を引いたからなど、思いたくない』
 ベッドに顔を埋め、叩いたり、掛け物を握り締めたりしながら、「違う、違う」と叫びを繰り返す。
 全てを壊してしまいたい。
 事実をなにもかも否定したい。
 しかし、否定できないただ一つの想い――キオーネーへの想い――。
 「母君……母君」
 目頭が熱くなるのを堪えようと、右手で額を押さえながら、呼ぶ。
 「母君……何故、こんな時ですら来てくださらぬのです。あなたは見ているはずだ! 私を独立させたあの日から、物見の水晶を使って、私の全てを見守ってきたはず。なのにどうして、今一番あなたの助けを必要としているこの時に、声の一つも掛けては下さらぬ。こんなにまであなたを必要としているのに……あの時、あなたさえ私を追い出さなければ!!」
 エリスは天井に向かって叫んだ。
 「母君ィ!!」

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from: エリスさん

2007年01月07日 14時30分11秒

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「追憶 すべての始まり・47」
 だが、森に入ってから次々に声を掛けていくと、みな喜んで付いてきて、いつのまにか大人数になってしまっていた。
 「変ね、キオーネーが小屋にいませんわ。どこへ行ったのかしら」
 「洗濯? ……にしても、彼女の場合、川がすぐ目の前にあるのですものね。見回して見えないところにはいないはずよ」
 「きっと友人のところへ出掛けているのであろう。詮索はやめておおき」
 ヘーラーがそういうと、侍女たちも明るく返事をした。皆、キオーネーの新しい友人のことを知っているのである。
 だから、泉に着いた一行が、木の下で、エリスに膝を貸したまま、いつの間にか眠ってしまっていたキオーネーを見ても、微笑ましい風にしか見えなかったのである。
 「邪魔をしてはいけないな。他の泉へ参るとしよう」
 ヘーラーはしばらく二人のことを眺めてから、おかしそうに笑って、静かに歩き始めた。
 ――何故、この時に気づかなかったのだろう、と後にヘーラーは思うことになる。
 この時、何もかも気づいていれば、誰も苦しまずに済ませることができたかもしれない。
 だが、このことがあったおかげに、自分はエリスのような女神を養女として迎えることができ、愛らしい孫たちに囲まれるようになった。よもすれば生涯独身だったかもしれないエイレイテュイアも、エリスのおかげで一子を儲けることができた。
 そして、エリス自身も本来の自分とは全く違う生き方ができるようになった。
 全ての苦しみが、それぞれの成長のためならば、致し方ないことなのだろうか?
 ――その答えは……。

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from: エリスさん

2007年01月07日 13時58分56秒

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「追憶 すべての始まり・46」
 ゼウスは、目を伏せがちに答えた。
 「……そうだな」

 次の日の朝、疲れきった顔をしてエリスはキオーネーのもとを訪れた。
 「夜通し馬を走らせていたのだ」
 ちょうど朝の支度を終えて食事にしようとしていたキオーネーは、早速彼女を食卓に招いた。
 「お疲れ様でした。どうぞ、疲れた時には甘いものが宜しいのですよ」
 キオーネーが注いでくれた甘い果実の汁を飲み干して、エリスは一息ついた。
 「どうしても、そなたの料理が食べたくなって。こんな朝早くにすまなかったね」
 「何をおっしゃいます。とても嬉しいことですのに」
 早朝、オーケアノスから帰ってきて、オリュンポスに黄金の木の実を届けると、その足でここへ来た、とエリスは告げる。まったく眠っていないことを知ったキオーネーは、食事を終えたらいつもの泉で疲れを癒して、少し休むように勧めた。
 「そうだな、今日は天気もいいし、木陰で昼寝でもしよう。そなたの母の木の陰で」
 エリスの言葉に、キオーネーが嬉しそうに頷く。
 泉へ行き、昨夜の疲れを禊ぎする。
 つい、泉の中で眠りそうになってしまうのを、キオーネーが笑いながら見守る。
 「膝、貸して」
 泉から上がったエリスは、母の木の下に座っていたキオーネーの方に寄って、彼女の膝に頭を乗せて横になってしまった。
 「気持ちのいい空だなァ」
 「本当に、雲一つない鮮やかな空ですこと」
 「……そなたみたいだ」
 「え?」
 聞き返したときには、エリスはもう、うつらうつらとしかけていた。
 『ずっと、探していたのかもしれない。キオーネーのように、一点の曇りもない穢れなきものを……小さくて、か弱い、この身を楯にして守りたい何かを……』
 そんなことを思いながら、眠りに入る。
 キオーネーは相手の寝顔を愛しげに見つめながら、考えていた。――この方は疲れているのだ、身も心も。疲れて、救いを求めている……せめて少しでも私がお救いすることができたら。
 「……わが君……」
 呟いてみてから、ちょっと赤くなる。
 『やだ、これって自惚れなのかしら?』
 それでもいい。
 こんな時間が、いつまでも続けばいいのに……。
 ――一方、ヘーラーが急な思いつきで、数人の従者を連れて泉へ行こうとしていた。
 「今日は暇を取っている者たちも、森にいるならば誘ってみましょう、王后陛下」
 侍女の一人が言うと、そうだな、とヘーラーは頷いた。
 「無理に誘わなくとも良いぞ。私もなんの前触れもなく来たのだからな」

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from: エリスさん

2007年01月07日 13時22分54秒

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「追憶 すべての始まり・45」
 さて、ヘーラーがわざわざ夫の私室に出向いてきたのは、こんな馬鹿らしいことが知りたかったわけではないことは、読者も想像していたことだろう。
 もちろん、エリスのことを聞きにきたのである。
 「オーケアノスへの遣いならば、伝令を司る虹の女神・イーリスを行かせれば良かったではありませんか」
 「いいではないか、あれもしばらくぶり姉たちに会えるのだから」
 「それだけではございません。近頃のエリスに対するあなたの仕打ち。なにか訳でもあるのですか? あれにはここ最近、私の侍女の中で仲の良い友人ができたのです。今が一番楽しい盛りでしょう……なのに、その時間を奪うなど、万物の父とも思われぬご所業。どうか、訳がおありならばお教え願いたいものです」
 するとゼウスは、「そなた……」と、不思議そうな表情を見せた。
 「気づいておらぬのか?」
 「何をでございます?」
 「……いや、なに」
 ゼウスは少し言葉を濁して、言った。
 「あれは、成人前から母親のもとを離れたと聞く。なんでも、ニュクスがもっと他のことに目を向けさせようとしたらしい」
 「そうらしゅうございますね。私もあまり苦しくは知りません」
 「なのに、あれは社殿らしい社殿も持たず、誰も傍に置かずに一人で生活しているとか。つまり、内に籠もりやすい性格なのだ。それではニュクスのせっかくの心遣いが無駄になるであろう。せめて外に出ることを覚えて、他の世界に目を向けさせてやれば、もしかしたら、アテーナーやアポローンのように、多芸の素質が現れてくるかもしれぬ。不和や争いだけの司ではなくな」
 ああ、とヘーラーも頷く。
 「それででしたの」
 「いまさら、という気もしないではないがな。だが、あれはなかなか出来た女神だ。放っておくには惜しい。そう思わぬか、ヘーラー。もし、闇から離れた力を目覚めさせることができるのなら、我が子の嫁にと考えていたところだ」
 「エリスを、あなたの息子の嫁に? いったい、相手は誰を考えておられますか」
 「それはおいおい考える。アレースがその気になってくれたら一番良いのだがな。正妻が弟から奪った女、など、格に欠けるわ」
 それにヘーラーは可笑しそうに笑った。
 「あなたがそのような御心でいらっしゃるのでしたら、私も否やを唱えるのはやめましょう。……ですが、ゼウス、これから言うことにお笑いにならないで下さいませ」
 「ん? なんだ?」
 「私は、エリスが男であったならば、と思っていました。男であったならば、我が長女・エイレイテュイアの殿御にと……」

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from: エリスさん

2007年01月07日 13時02分46秒

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「追憶 すべての始まり・44」
 エリスもそのことは感じていたのだが、あえて反発することはやめていたのだった。
 「考えようによっては感謝したいぐらいだ。オーケアノスで黄金の木の実を守っているのは私の姉達・ヘスペリデス(黄昏の女神達)。母のもとを飛び出してからこの方、一度もお会いできなかったから、久しぶりにゆっくり世間話でもして来る」
 ヘスペリデス――閃光のアイグレー、紅のエリュテイア、黄昏のヘスペリアー(何故かこの女神だけ「黄昏」そのものの名を持っている)、みな元気だろうか? 何十年ぶりになるのだろう……期待で胸が躍る。
 だけど……。
 『どうしたのだろう、この頃……あの子に会えないことの方が悲しい、なんて』


 「いったいどういう理由なんですの、あなた」
 ヘーラーの凄味に、いつもの条件反射でゼウスは後ずさりしていた。
 「な、ななな、なんだ、い、いきなり! 何をき、聞きに来た、来たのだッ」
 「少しは落ち着きあそばしませ、あなた。なんの用件で来たのかは、ご自身が一番ご存知のことでしょう?」
 「わ、わたしは、べ、べべ別に、う、ウーウウウうわ、浮気なんぞ、し、しとらん、しとらんぞ!」
 「なんですって?」
 ヘーラーの右目の端が釣り上がる。「また、どこぞの娘に手を出したのですか!!」
 「し、しとらん! しとらんと言ってるじゃ、な、ないかッ」
 「嘘おっしゃいッ、あなたがそのように動揺なさっているときは、必ずどこぞの娘が孕んでいるじゃありませんか!!」
 「待てッ、まだ懐妊まではしとらんぞッ」
 「まだ、と言うことは、やっぱり手を出しましたね!!」
 墓穴掘り。
 結局、ゼウスは頬に往復三十回の平手をくらった。

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from: エリスさん

2006年12月31日 13時59分33秒

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「追憶 すべての始まり・43」
 「許されるものならば、母君にお会いしたい。会って縋りたい、笑顔が見たい。でも、母君の心を思うと、それは出来ない。もう二度と、声を聞くこともできないなんて!!」
 「いいえッ、お会いできます。いつか必ず、お母様に会える日がきますわ。それほどまでに互いのことを思いあって別れたのならば、いつの日か分かり合えるはずです。どうすることが本当の幸せなのか。お二人が存分に愛しえる日が、必ず来ます。来るんです!」
 エリスは、必死に力づけようとしてくれるキオーネーを、両腕でしっかりと抱きしめた。
 「キオーネー……キオーネー……」
 「エリス様……」
 いつまでも、そうしていたい。
 このまま、なにもかもが静止してしまえば良いのに……と、思わずにはいられなかった。


 変だ、とアレースが言った。
 そう? とエリスが答えると、変すぎる! と力んで主張する。……何が変なのかというと……。
 「この頃の父上は何を考えているのか、さっぱり分からない。なにも、オーケアノス(極洋)へ行って黄金の木の実を取ってくる、なんて簡単な遣いに、おまえを行かせることもないだろう?」
 近頃、ゼウスが些細な用事ばかりエリスに言いつけるので、アレースでなくても不審に思い始めていたのである。

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from: エリスさん

2006年12月31日 13時50分07秒

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「追憶 すべての始まり・42」
 エリスの着替えを持って戻ってきたキオーネーは、エリスが泣いているのに気づいて、自分も衣を脱ぎ捨てて、泉の中を飛沫を上げながら駆けていった。
 「エリス様ッ、どうなさったのですか」
 キオーネーに声をかけられて、エリスは気持ちを落ち着けようと息を大きめに吸って、呼吸を整えた。
 「エリス様?」
 「……子供のころ……」
 エリスは、キオーネーにならと思って、話し出した。
 まだ自分の力もコントロール仕切れない頃、良く、森などで仲の良さそうな者たちを見かけると、無意識に、その者たちが争うように術をかけてしまうことがあった。その悲しさ、悔しさを母に訴え、慰めてもらっていたが、ニュクスは自分を責めるばかりで、余計にエリスを悲しくさせていたのである。そして、エリスがこれほどまでに苦しむのは、闇の力を持つ自分の血を、どの兄弟姉妹よりも色濃く引いてしまったためと考え、少しでもエリスが本来の自分と違う生き方ができるように、自分の影響下から離すことにしたのである。
 ……あの日、エリスは野駆けに出かけることにしていた。お転婆なところは昔からで、馬に乗るのも、男兄弟たちよりも上手なのが自慢だった。
 出掛ける前に母の部屋に寄り、誰がいなくても、テーブルの上に置かれている水晶球に「行ってきます」というのが、その頃のエリスの習慣だった。エリスは母・ニュクスの大事にしていた、この大人の握り拳ぐらいの大きさの水晶球が大好きだったのだ。
 そうして、エリスが野駆けから帰って来るなり、ニュクスはエリスの頬を叩いた。
 「これをご覧。おまえがやったのでしょう!!」
 ニュクスの手に握られたそれは、真っ二つに割れた水晶球だった。
 その日、母の部屋に入ったのは、ニュクスのほかはエリスだけだったのである。ニュクスは水晶球を割った犯人はエリスだと決めてかかり、エリスを責めた。
 「この水晶球は母の命も同じなのよ。この水晶球に願いをこめるからこそ、母は単身で子を産んできた。言うなれば、おまえ達の父親ではないの。それを割るなんて。おまえなどもう顔も見たくないッ。出てお行き!!」
 エリスは言い訳する暇さえ与えてもらえず、泣きながらニュクスの社殿を飛び出した。
 ――そのときのことを、エリスはキオーネーに話してから、こう続けた。
 「どんなに母君は心を痛めたことだろう。私を蔑んだあの言葉も、頬を打ち据えたあの手も、総て望んでのものではなかったことは、あの瞳が教えてくれた。涙で潤んだ、あの瞳が……この私のために、心を鬼にしてくれた。それなのに、私はどうしても不和と争いの司という宿命から逃れることができない。第一、いくら違う自分になりたいと願っていても、母君の傍を離れようなどと……母君と他人となって生きたいなどとは思わなかったものを!」
 「……エリス様……」
 この人にこれほどまでの苦しみがあろうとは、思いもしなかった。
 雄雄しい威厳に包まれたこの女神が、その内面、こんなにも脆い部分を隠していたとは……ひたすら、愛されたいと叫ぶ心を。

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from: エリスさん

2006年12月31日 13時17分44秒

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「追憶 すべての始まり・41」
 「待ってッ、待ってください!」
 「来てはいけない、来るな!」
 キオーネーは何もかまわず、エリスの背にしがみつき、言った。
 「このまま貴方様をお返しすることなどできません! どうか、泉で血をお落としになって、新しいキトンにお召し替えください!」
 「できない、ヘーラー様の泉を穢すなど」
 「いいえッ。傷ついた者を癒す力を持つこの泉が、多少の血ぐらいで穢れるはずがございません。それよりも、こんなに御心を痛めた貴方様を放っておくなど、私には我慢できません。どうかッ、この願いをお聞き届けになって。エリス様を名も知らぬ者たちの血で染めたままにしておくなど、耐えられません!」
 次第に、背中が濡れてくる。
 エリスはキオーネーの手を離させて、振り向くと、彼女の瞳から零れるものを指で拭い落とした。
 「……わかった」
 両手で、左肩のフィビュラ(肩留め)を外す。
 丁寧に腰帯を解いてからキトンを脱ぐと、エリスは泉の中へと入って行った。
 「すぐに着替えを持ってまいります」
 キオーネーが行ってしまってからも、エリスはゆっくりとした足取りで泉の中央へ足を進めていた。
 静かに水をすくい、かける。
 ところどころで、沁みる。……ちょっとした擦り傷があるらしい。
 『女の癖に、体に傷をつけるとは……』
 常識では考えられないことだろうが、気が付くと、女の体をしているのに女として認められない自分がいた。どんな些細な喧嘩でも、相手の男は彼女を傷つけるのを躊躇しない。エリスが女であることを忘れているのか、それとも男だと信じて疑わないのか。
 こんな自分が嫌だ、と良く母親に泣いて訴えたことがある。
 その度に、母ニュクスは悲しそうな顔をして言ったものだ。
 「ごめんね、母様に似てしまったばっかりに。母様がいけないのね」
 『違う、母君。私が言って欲しかったのは、そんなことじゃない。私が望んでいたのは、こんなことでしなかった』
 泉の中で膝を付く。胸まで水に浸かりながら、エリスは両手で顔を覆っていた。
 「……母君……母君ッ」

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from: エリスさん

2006年12月31日 13時00分36秒

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「追憶 すべての始まり・40」
 『急用でもできたのかしら?』
 それでも、料理を何度も温め返しながらキオーネーは待っていた。
 やがて、月が支配する夜になってしまう。
 もしかしたら今日はもう来ないかもしれない、と諦めた彼女は、先に水浴びをしようとあの泉へ行くことにした。
 がっかりしながら歩いていると、泉の入り口となっている木々の切れ間に、馬が立っていた。
 『この馬は……』
 キオーネーはそうっと近づいて、馬の右耳の後ろを見てみた。ボディーは綺麗な黒毛なのに、ここだけ白い三日月のような模様がある。
 「この模様は、間違いなくカリステーだわ。この子がここにいる、ということは……」
 泉のほとりで、誰かがうずくまっているのが目に入った。
 長い黒髪が地に付いてしまっている。
 誰だか分からぬはずもなく、キオーネーは駆け寄っていた。
 「エリス様ッ」
 声を掛けられて、うずくまっていた人物――エリスがこちらを向いた。
 彼女は力なく言った。「……止まって」
 思わず、足を止める。
 「それ以上、来ないで。今の私に触ってもらいたくない」
 「エリス様? どこか、お加減でも……」
 「いや、そうじゃない」
 エリスはゆっくりと立ち上がり、まっすぐ彼女の方を向いた。
 「黒いキトンだから分からないだろうが、今の私は血で汚れている」
 「エリス様!?」
 「私の血じゃない……戦場にいたのだ」
 それ以上説明できない……したくない。
 自分がそんなに冷たい女神だと思われたくない。――今までは平気だったのに、この娘にだけは、嫌。
 「約束を違えて済まなかった……それでも、そなたの顔だけでも見たくて来てみたのだ」
 「なぜ、小屋に来て下さらなかったのです?」
 「行けない。そなたの小屋が穢れてしまう」
 「そんなこと……」
 「本当に済まなかった……今日は帰る」
 エリスが背を向けて行こうとすると、すぐさまキオーネーが追いかけてきた。

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