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  • from: ueyonabaruさん

    2008年06月24日 22時17分47秒

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    石原慎太郎の法華経論 ④

     さらに、石原氏の際だった点(特徴)をあげてまいります。引用です。

    (夢知らせ)
     
     こんなことを書くとまた誤解されるかもしれないが、私は仕事柄たいそう神経質な人間でこと睡眠についてはいろいろ気を使います。特に一度目が覚めた後の次の寝つきについては努めながらも自分ではらはらしているのが常だが、時折夢の中で何か思いがけぬ、往々卓抜な思いつきを得ることがあります。・・・・・夢の中で思いつき夢うつつにノ-トしたようなものなどろくな発想ではあるまいとおもわれようが、私の場合は翌日読みなおしてみてもどれもかなり卓抜非凡な着想やヒントになっている。そして不思議なのは、そんな風に無理して目を覚ましての作業の後なのに、他の場合と違ってその後のほうがはるかに安らいですぐに眠りにつくことが出来る。

    ueyonabaru: ソクラテスにもあった夢知らせ現象ですね。夢で智慧が与えられるなんてホントにラッキ-な方だと思います。夢知らせのことをきいたことはありますが、こんな具合にできるのは何ともうらやましい。

    (新興宗教について)

     前章で、例に引いた霊友会にしろそこから派生したという立正佼正会にせよ、あるいは今日日本の政治にまで大きな影響力を持つ創価学会にせよ、あくまで仏教のいわば復権団体であって、その源流は釈迦が説いた教え、つまり仏教であることに違いはありません。・・・・・仏教のいわば専門家である坊さんたちが庶民にとっては仏の説いた三つの宝ものの実感には乏しく、私たちの日常生活に一向に強く触れてくることがないために、それなら他力本願ではなしにいっそ自分自身で仏教を学び行じてみようということで、出家したプロとしてではなしに、あくまで家にいたままの在家でしようというのがこうした新興宗教ともいわれる在家の信仰集団です。・・・・・プロの坊さんたちがそうしたいわゆる新興宗教をどう思いどう評価しているかはしらないが、信仰という人間にとって大切な財産の増殖―――むしろ在家で仏に帰依しようという志を立てた人たち―――を彼らがしょせんアマチュアとして蔑視するとしたらとんでもない奢りだし、そんな資格が誰にあるものでもない。・・・・・

    (苦しい時の神頼み)

     だから釈迦の哲学をあくまで哲学として学びだんだんに上りつめていくと、やはり神、仏を対象にした信仰の問題に行き当たらぬ訳にはいかない。哲学の話として聞いてきたが、なんだやはり信心の話かということになりそうだが、要するに人間としての自分を救うための哲学をしていけば釈迦の説いた哲学では最後に神仏が現れてこぬ訳にいかない。・・・・・苦しい時の神頼みでもいいのです。そんなことでもなければ普通の人間が、手で触ったり目で見たりすることの出来ぬ神や、仏を想ったり信じたりなかなか出来る訳もない。  多くの人間が、今までさまざまな形でその不可知なる巨きな力の働きについて体験してきましたが、それは人間たちの考え出した理屈、つまり理性では説明しきれぬ形で現れてくるために、人々はそれをすぐに神とか仏に結んで納得しています。しかし実はそんなものは安易な説明でしかない。それならそこらじゅうにありふれたお説教です。  しかし釈迦が説いた教えは「存在」と「時間」という、ありふれ過ぎていて実は捉えようのない、それゆえ哲学の最大の主題について解明して教えているために、並の説教を一歩二歩、いやはるかに越えているのです。

    (自己の存在を中心に)

     キリスト教やイスラム教の原理主義などでは、すべてはもともと神が今こうしてあるがままに創ったものだ、だから、進化などというものなどありはしなくて、化石にしろあれは化石として神が創り与えたものだ、ということらしい。  仏教にはそうした天地創造に関する創造者としての神を絶対化するような原理主義はみかけません。だから、一部の坊さんたちは反発するかも知れないが、私は仏教の教え、釈迦の哲学をまず自己の存在を中心に、実存主義的に理解してかかるということは決して間違ってはいないと思っています。 

    ueyonabaru: 石原氏の際だった点はこれらの引用で大体は分かるはずです。私も石原氏同様、人間自身の理解がたいせつだと思うので、今後とも自由に真理を学んでまいりたいと思います。石原氏はここで引用した以外にも数々の宗教的実体験を述べております。目に見えない、力が、仏教的縁起が、氏を導いているかのようです。このように、生活と宗教が密着している方はやはり尊敬に値します。  

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