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  • from: ueyonabaruさん

    2008年06月26日 23時54分22秒

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    石原慎太郎の法華経論 ⑥

     前回に続き、石原慎太郎の仏教の基本的なことがらについての考えを見てまいります。

    (無常とは何か)

     現代の碩学松原泰道氏はその著「わたしの般若心経」の中で、 「空はすべてのものの帰着する処であり、また一切が生まれる処でもあります。すべてこの世にあるものは、さまざまな要素がかかわり合ってできるのです。この道理を仏教の思想では「空」と呼びます。このようにして存在する一切のものは、そのものをつくりあげている無数のかかわり合いが離れると、死んだり滅んだりします。この道理もまた「空」といいます。ゆえに、「空」はすべてのものの存亡(存在と滅亡)の原理です。」と記しています。

     どうも、仏教というと世の通念では虚無的な無常観の源泉ということになっているらしい。例えば頓知で知られた一休和尚の「正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」などという狂歌も、人間はどうせ死ぬのだ、そのくせ、たった一つ年を越しただけで何をめでたいめでたいといっているのだ、という楽しみに水をかけるような虚無感のおしつけにとられがちだが、まったく違います。

     H2Oの水が、T、P、O(time、place、occasion 時、処、場合)に応じて霧となり雲となり、雨ともなるという水の変化に関する公理が「空」なのです。そしてT、P、Oが常に固定して変わらないなどということは決してありはしない。だから「空」の大事な意味の一つは、止むことのない変化「無常」ということです。だから中村師の注釈にあるように、決して単なる無(非存在)ではないのです。
    無常とか空などという文字を連ねるとなんとはなしに虚無的なものを感じ、懐疑的にさえなりがちだが、無常であるがゆえにこの世のものごとは生き生きとしているので、変化しないものは、在っても化石と同じでしかありはしまい。

     釈迦の言葉を綴った「スッタニパ-タ」に「あるがままの現実をみなさい。そして智慧を持って、勇気を持ってものごとを解決していきなさい」とありますが、その智慧とは「空」について知るということだと思うし、勇気とは、ものごとの本質は変化だという真実を心得、「無常」に耐えるということだといえます。  だから西欧の哲学では、「現実の背景に真実がある」としますが、東洋、特に仏教の哲学では、「変化の止まぬところにこそ真実がある」ということになる。

     と「空」だの「変化」だの、あるいは「無我」だのいろいろ、「実相」なる山の頂に向かう登り口について記してきましたが、その行き着く先の「実相」という宝石はいったいどんな形をし、どんな輝きをしたものか誰しも興味津々たるものだろうが、実は、それがどんなものなのかはわかりません。

     いえることは、刻一刻移り変わっていく世の中のすべてのものごとに絶対的に共通して在るものがある。すべてのものごとは目には見えないが、人間の五感では確かめることは出来ぬが、ある共通した原理によって調和しながら動かされているに違いない。それそのことが「実相」なのだ。

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