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  • from: ueyonabaruさん

    2008年06月27日 16時10分44秒

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    石原慎太郎の法華経論 ⑦

     さらに、石原慎太郎の仏教の基本的なことがらについての考えを見てまいりますが、今回で石原慎太郎の法華経論は終わりになります。 以下引用です。

     度々私なりにパラフレイズして引用してきた庭野日敬師著の「新釈法華三部経」には、随所になるほどと思いいたるところがあります。  中でも仏教哲学の奥の奥たる「実相」についての記述は実に多くの示唆に富み、特に、第一巻の「実相」に関しての記述は豊富な引用を駆使して読むものに多くの啓示を与えてくれます。・・・・・本旨を損なわぬように要約して引きますが


     著者はまず、この世の中、つまりこの現象世界は千差万別であり、変化してとどまるところがないように見えるが、その奥の奥では常に大きな調和を保っている永遠の存在だという。  そして、目の前の机の上にある本とインクとグラスとその中の水は、見た限りまったく別のものとして実在しているが、実はもともと同じものなのだ。  もっとも現代的な科学の一つである原子物理学は、すべての物質は、陽子、中性子、電子といった素粒子の組み合わせ出来上がっている。液体、固体、気体といったすべての物質の違いはただ、それらの素粒子の組み合わせの違いによるものでしかない、ということを証明している。  しかし、ならばその素粒子が何でどうやって出来ているかは、まだわかってない。  ある学者は、それはエネルギ-であるといっている。この宇宙を動かす根本のエネルギ-が、それが醸し出される条件の違いのままに、電子になったり、陽子、中性子になってくるのだと。  またある学者たちは、あらゆる物の物質的要因は、真空である、ともいっている。 真空といえば空気も他のいかなる気体も存在しない虚空と思いがちだが、いわれればなるほど、宇宙の大部分は真空ですから真空なるものは人間には知れぬ深い意味があるのかも知れない。・・・・・


     つまりこの世に存在するものすべて、目の前の机の上に在る本もインクもグラスも水も、その向こうの壁も、その外に見える木も道路も何もかも、それを眺めている自分自身の体も、すべては一種類の、大本のある存在によって出来上がっているのだということなのです。   ならば、その絶対的に共通した大本のある存在を何がどうやって動かしあやつり、さまざまな素粒子を作り出し、それを合成して水とか木とか空気とか、さらに本とか机、インクといった物たちをつくりだしているのということです。・・・・・金やウラニュ-ムを作り出している条件、方程式をいったい誰が作ったのだろうか。  それはまだ誰にもわかっていない。多分わかる訳もないのだろう。  しかし釈迦はそのことについて多分この世界で初めて、それらこの世のすべての存在のミクロの条件、ミクロの方程式を与えたものについて感じとり、見出し、それを実相として私たちに伝えようとしたのです。

     しかし実はまた、目に見えるような、手で触って感じられるような相(姿)で(ものはueyonabaru補)実在はしていないのだ。なぜなら我々は人間としての五感でものごとを形成している素粒子を触ったり見たりは出来はしないのだから。  といって、世の中のすべての物は素粒子で出来上がっているのだから、この世なるものは、要は素粒子で出来上がっているのだと自覚することが「実相」をつかむということかといえば、決してそうではない、と編者たち(庭野さんたちueyonabaru補)はいっています。  そうした認識はあくまで究極の真理の一歩手前のものであって、その一つ向こうに在るものについてはまだ誰も明かすことは出来はしない。それを明かすということは、神仏の存在を証明するということに他なるまい。  そして、科学がやがてそれをなし遂げると、私は思わない。素粒子を発見したように、人間が神を発見して明かし出すことは絶対に出来まいし、第一、神はそんなところにいる訳がない。・・・・・素粒子の組み合わせをあやつり、素粒子よりももっと見えにくい、捉えにくい、前に「十如是」について記したようなさまざまな位相での複雑な関わりあい、つまり因縁、縁起を形づくり動かしているものが、やがてどこかの惑星で発見されるかも知れない人間よりはるかに優れた他の生物のように、ひょっとしたらハッブル宇宙望遠鏡で写してもたらされるということなどあるはずがない。

     ならば神や仏はいったいどこにいるのか、といえば、人間の心の内にでしかない、と私は思います。


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