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from: ueyonabaruさん

2008年11月28日 14時35分50秒

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エマ-ソンの日記から ③

20歳あとからの分をご紹介していきます。著作においても行動においても、最初にあまりに高いものをもとめることを避けよ、というのは、すぐれた助言である。・

 20歳あとからの分をご紹介していきます。

 著作においても行動においても、最初にあまりに高いものをもとめることを避けよ、というのは、すぐれた助言である。・・・・・天候とか時刻とかに興味を示すことを侮蔑してはならぬ。談話が次第に思う壺へはまったあとではじめて、所を得た知識や時宜を得た熱情が正しく報いられるであろう。 (1824.1.25)

 ぼくは自分自身を二度も三度も検察した結果、自分が罪人であり、聖者であることを知った。・・・・・善とか悪とかいわれる心の状態が、いかに外的な環境とは無縁であるかをこの目でたしかめたのだ。(1825.1.4)

 神が存在することは不確かだが、神が存在しないということは有り得ざる、驚くべき妄想ではないかと思う。                           (1826,1.8)

 人間が自分の思想を綿密に調べてみるなら、自分がどんなに未来というもののなかに生きているかを知って驚くだろう。彼の幸福は常に前方にある。こんな生物だからおそらく不死なのだ。
                    (1827.2.6)

 あまりに多くのものを信ずるのは危険だ。それは何ものも信じないことに近いからだ。汎神論は無神論に通ずる。                  (1827.3.11.) 

 ぼくは自分をひとりの男に友情の絆で結びつけた。その男は、ぼくの真理への愛情に劣らぬくらい熱烈に真理を愛し、その多様な探求の点でぼくを凌駕する知力をもち、・・・・・。しかもその男は、ぼくの気のせいかと思ったほどなのだが、首尾一貫した無神論者であって、魂の存在や、それから、もちろんのことだが、霊魂の不滅などまるで信じていない。こんな問題に対するぼくの信仰は強固であって、ぼくが生きているかぎり崩れ去ることはないとぼくは信じている。それでいながらぼくは、この不敵な懐疑家を愛し尊敬する。彼の魂は気高く、彼の徳は、サドカイの徒の徳がいつもそうであるように、崇高なのである。   (1827.4.6)

 この世の栄えは好きな所へ行くがいい。心には独自の栄光があるのだ。心がなすところのものはいつまでも朽ちることがない。どんな人間でも多くの主人に兼ねしたがえることはできない。・・・・・。ぼくの行く手に、不思議な思想が突然姿をあらわして、ぼくを前方へさしまねく。ぼくは、自分が「神」に通ずる大道を歩いていることを疑わない。   (1827.4.7)

 だれでも自惚れをもてば、必ず自惚れのために苦しむ。自惚れを捨てて柔和になれば、必ず自分という人間が変化した幸福のよろこびを感ぜずにはおられないのである。 (1827.5.5)

 ひとりの男の話---その男は臨終の床に自分の放蕩息子を呼びよせて、大きな遺産をあたえ、ただひとつ、毎日一時間だけ孤独な時間をすごすという約束をさせた。息子は父との約束を守り、賢い立派な人間になったという。     (1827.8.24) 

 

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from: hiraokaさん

2008年11月29日 01時51分58秒

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「Re:エマ-ソンの日記から ③」

リアリストさま

僕は何人かの若い人たちと付き合っているのですが、いつも思うのは「彼らは、ぼくらの世代より優れている」と云うことです。
僕が彼らと同じ年のときに自分はどうであったかと思い起こすと、やはり次の世代の人たちのほうが一歩進んでいると思えるんです。
リアリストさんを、僕は尊敬しています、ものすごくたのもしい人だと思っています。

ぼくは、ueyonabaruさんにおじゃまでしたら別の場所でリアリストさんとお話を続けようと思っていましたが,
それは僕の勘違いであった事がわかりましたので、リアリストさんの仕事に差し支えない程度にこの場をお借りしてお話を続けようではありませんか。
「楽しき一大事」を楽しみませんか? 第二ステージに進みましょうよ。
 ueyonabaruさん、いいですよね? (^.^)

>hiraokaさんとの、やりとりで未来の事象は、当然「信じている事」過去の事実は、記憶等の問題があり既に変容している。現在只今の自身の体験が、巨視的には最も「事実である事」と言えそうですが、微視的には正確には決められない。

いえ、これとちょっと違うことなんです。

>私は、自身の体験が最も信憑性が高いと思うのですよ。・・・ですから、信じる根拠を「自身の体験」に置く姿勢は私にとっては合理的だと思っております。

ええ、その通りだと思います。
ぼくは昔、神智学の本を読んでいるとき、「精神さえ、ほんとうの自分ではない」と云うくだりを読んでびっくりしたことがあるんです。
ずっとこの事が心に引っかかっていたのですが、たしかに神智学の主張は本当のことのようなんです。
精神と云うのは、「心の姿勢」とでも云えるかと思うのですが、これは体験を通して(たとえば、親からこう教わったと云う様なもの)得たもののようなんです。
すると、これは「記憶」に基づいて作られたもののように思えるんです。
さらに、「精神」の奥にあるものが、ほんとうの自分の姿のようなんです。

と云いますのも、ぼくは認知症の母を介護しているわけですが、母の精神と呼べるようなものはもうムチャクチャになってるんです。
母に取っての「かくあるべし」と云う精神のように見えるものは、精神ではなくて母の個性そのものに思えるんです。記憶とは違うものに見えるんです。
だとすると、母にとっての「事実であること」と「信じていること」はどのようなことになるのだろうか?と考えるんです。
母にとっては、この二つは分けられないようなんです。

ぼくは、この二つを明確に分けるものが理性だと思うんです。
たしかに、この能力は脳によるものが主だと思えます。
だから、多くの人たちは脳が考えると思っているのですが・・・、
脳がやっていることは、「これかね? それともあれかね? じゃあ、これかな?」と自分の本体に信号を送る装置のようなものに思えるんです。
そういうわけで、「記憶」も「認識」も「断定」も、事実とも言えるし、信じていることとも言えるのじゃないかと思うのです。

>私はこの大宇宙、森羅万象を「天」(=神)として信仰しております。
ほんとうに、ぼくもそう思います。
このことについて物理学者たちの考えや、「りょうさい志異」の例を引いて、ぼくの考えをいつかお伝えしたいです。
また、リアリストさんの考える「森羅万象を「天」(=神)として信仰しております。」と云うことを詳しく教えて欲しいと思ってます。

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ueyonabaruさま

こんばんは〜。
> そうですね。早速注文します。
読んだら、また腹立てるかもしれませんよ〜。(*^_^*)

>私のもっている本は、霊界日記(高橋和夫訳、たま出版)です。
これ、読んだことあります。
明確には思い出せませんが・・・、 霊界ではこの世ではありえない事が普通に現出するようなんです。
たとえば、粘土細工で人形をこさえて、それに息を吹き込んだら人形が勝手に動き出すとか・・・、
さらにその人形に教育をほどこせば、人形がしだいに知性を持ち出すとか・・・。
まあ、この世で芸術家達が同じ事をやっているわけなんですが。

>人間の記憶が、類似しているものに触発されて霊たちに表象されるとき、彼らは自分たちがその人間そのものだと考えるからである。
文の前後は分かりませんが、物まねする霊のことではないでしょうか? 
たとえばオウムのような霊がいるとします。
彼らは物まねをしはじめるのですが、そのとき見ている人(スウェーデンボルグ)には、彼らがスウェーデンボルグ自身になりきって物まねしているかのように見える体験ではないでしょうか?
キリスト教教義とは、たしかに関係なさそうですね。

>西洋文化における定義主義、規則主義、契約主義、聖書主義など、日本人とは異なる文化ですね。
ほんとにそうですね。このため、西洋の中世時代は暗黒時代と歴史家は称していたんですが、最近は「そうでもなさそうだ」と云う風潮になってきたようですね。

>エマ-ソンは、キリスト教の形式主義に疑問を感じ牧師の職を辞するのですが、・・・
へえ〜、そうなんですか。牧師を辞めた人と役人を辞めた人は、すごい人かだめな人かどっちかなんですよね。(^.^)

>しかし、この伝統の形式主義というのは永遠に無くはならないのではないでしょうか。
無くならないだろうなあ〜、って思います。でも、すこしづつ変化していくんですよね。
ほんとにじれったいほどなんですが・・・。
それを動かしていくのが若者達なんですよねえ。ぼくらも少しは動かしたはずなんですが・・。(*^_^*)

>大川先生がアウグスティヌスはハイデガ-として生まれ変わったとおっしゃったので、それを吟味しながら学ぼうというものです。私の指針は全て大川先生にありますね。
ああ、そうだったんですか! なんで、ハイデッガーなのかなあ?って思ってました。(^.^)

> 岩波は昔から、別の面から抵抗感がありますが、・・・
あっははは・・・、そうなんですかぁ〜。(^.^) 
ぼくは、そこらへんの事情をぜんぜん知らないんですが、ある人がそのことを書いてて、さらに池田さんがそれを批評していたのを思い出します。

> 対比の原理というのは何ですか。・・・
いえ、対比の原理とは云えないかもしれませんが・・・
ライプニッツは二進数を開発したんですが、・・・。
これは中国の古代からの思想の根源である陰陽の思想と同じだと確信して、中国の皇帝をキリスト教に改宗させるための理論的裏づけを当時の法王に提言しているんです。
天才の直感と云うものはすごいものです。
ライプニッツは自然界(神)のことを、最初ひとつだったものがそのままでは自分を認識できないから自分自身を二つに分けて互いに見ることによって自分自身を認識していった結果だとも考えられると思ったようなんです。

>度外れた大川信仰ですね。この知性こそ私の希望です。でも、疑問が生じたりするのです。
ぼくは前から思うんですが、ueyonabaruさんはもう知識などそれほど要らない心境に達している人に見えるんです。ueyonabaruさんにとっては、知識はそのつど必要になったときに自動的に入ってくるように思えるんですよ。

>エマ-ソンが愛した弟のチャ-ルズを偲んで日記に書いてある箇所がありますので見てみます。
エマーソンは、弟さんを早くに亡くしたのですね?

>指摘されたあとでは、私はいつまでも見飽きないのだった。・・・
これは、聖書のことですか、絵のことでしょうか?

>聖書の読み方ですが、個別の人物の評価が見受けられますね。
↑すみません、このことがよく分かりませんでした。

↓以下は332番の感想です。
>永い期間をおいてときどき現れる小数の人間が、同じ人間仲間に奉仕するために全力を傾けることによって、この世界で(そしておそらくあの世でも)永く記憶に残る者となるのだ。
これは、イエスの教えそのものだと思いますね。

↓以下は332番の感想です。
> 著作においても行動においても、最初にあまりに高いものをもとめることを避けよ、というのは、すぐれた助言である。

あ、ここここ。リアリストさん見てる?
KKを、全否定しないほうが能率的だと思うよ.(*^_^*)

>しかもその男は、ぼくの気のせいかと思ったほどなのだが、首尾一貫した無神論者であって、魂の存在や、それから、もちろんのことだが、霊魂の不滅などまるで信じていない。

幸福の科学も、無心論者をも包含するような考えを示してくれれば世界的宗教になれるでしょうにねぇ。
無心論者が信じるのは自分と自分に縁ある人たちだけなんですが、じつは、自分と縁ある人たち自身に共通しているものを信じているんですよ。
それが、神なんですけどね。(*^_^*)

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