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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月29日 12時37分51秒

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    エマ-ソンの日記から ④

     祈りとは何だろう?それは、人間の願望を神に向かって表現したものである。では神とは何だろう?それは、人間精神の中に形成し得るもっとも高い人格概念である。完全の域に達した、個人自身の魂である。なぜなら、個人は、これ以外の神を考え得ないからだ。私が有限であるように、神は無限なのだ。私が罪深い存在であるように、神は罪なき存在なのだ。私が無知であるように、神は全知なのだ。・・・・・  (1830.2.28)

     太陽は私たちを照らし暖め、光をあたえてくれるが、私たちはなぜそうなのか知りたいという好奇心はもたない。ところが私たちは、あらゆる悪や苦痛や飢や蚊や馬鹿な連中に接すると、なぜだろうと考えるのである。(1830.8.18)

     人間が堕落して道を誤るのは、自分自身でなくて他人に耳を傾けるときだ。世界の偉人たち、人類の教師、徳高きもの---ソクラテス、ベ-コン、ニュ-トン、バトラ-、その他の人は、他人の意見を鵜呑みにせず自分で探求した人びとである。そして、それこそ倫理学や宗教を発見する道だったのだ。(1830.9.27)

     神はすべての魂の基底を形づくっている。共感というものの謎をときあかしてくれるのは、この事実ではあるまいか。虫や肉体にたいして恐怖や共感をおぼえるのは、私たちの内部の虫や肉体であり、宇宙の神を礼拝するのは、私たちの内部の神にほかならない。(1930.12.10)

     神を礼拝する者は徹頭徹尾きまじめでなければならないとする人は、自然というものの大きな部分を看過しているのだ。きまじめ一方の人間は、ふざけてばかりいる人間と同じく、完全な性格ではない。こっけいなものによって表される真理も多いのだ。(1931.3.4)

     私は神の子供であり、キリストの弟子である。あるいは神の目から見れば、私とキリストは相弟子なのだ。(1831.6.20)

     「服従」こそ宇宙の法則を読む目である。君が君の願いを便宜の前に屈しめず、君の願いのレベルより低い利益のなかに安んずることがなかったら、君はよろこぶがいい。・・・・・天上的な感情の欲するままに、いや高く浮揚せよ。感覚や因襲と取引することなく、王者のみを相手とせよ---元首は元首を相手とする。(1831.6.30)

     


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