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from: ueyonabaruさん

2010年03月17日 22時46分34秒

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大川先生のご講話「カルマとの対決」について

去る3月14日に、先生は、表題のタイトルでのご講話を沖縄正心館においてなさいました。その内容は皆さんにも参考になるだろうと思い、私が把握した範囲でお伝

 去る3月14日に、先生は、表題のタイトルでのご講話を沖縄正心館においてなさいました。その内容は皆さんにも参考になるだろうと思い、私が把握した範囲でお伝えしたいと思います。


カルマについて

〇 カルマとは、行為という意味がある。行為の記録のようなもの。カルマとは、心の傾向性のことでもある。

〇 来世でカルマの刈り取りが行われるが、それでも足りなければ、再来世までもちきたすことがある。

〇 家族のカルマ、地域のカルマ、国のカルマもある。

〇 仏教としてのカルマもある。

〇 カルマを超えるには、憎しみを棄てること。カルマは、仏法真理を行ずることにより越えられる。


伝道、宇宙の法など

〇 沖縄は、ム-大陸の沈んだときに、日本で一番最初に、ム-の人びとがたどり着いた場所である。

〇 伝道するに当たって、当会がム-大陸、アトランティス大陸、はては宇宙人論まで展開することに対し、社会からの反作用はあるかもしれないが、10年先、20年先に世の中はどう変わっていくのか分からないのであり、今の時点で、言うべきは言って置かねばならない。

〇 宇宙からは21種類(?)の宇宙人が来ているが、現在リサ-チを行っている最中である。

〇 幸福の科学を批判、罵倒するものに対しては包容の心が大切である。罪を憎んで、人を憎まずの精神 



 以上が私のまとめです。ご講話終了後、例により質疑応答の時間が設けられました。

 3人の方が質問されましたが、特に注目すべきは、ある女性の方の質問に対する先生のご説明です。

 質問は、「私はこれまで主婦でありましたが、数ヶ月前に店を開店しました。商売の成功する方法を教えていただきたい」というものです。

 先生は次のようにお答えになりました。

 成功するには二つの重要なことがある。一つは、自分自身がこの仕事をすることに対する信念である。二つ目は、お客さんのことを考える、お客さんの喜ぶことをするということ。この二点目については、どの経営書にも書かれた平凡なことであるが、これがホントに実践されることはほとんどないのが実情である。ホントの意味で相手のことを考えるということを大事にしていただきたい。幸福の科学の伝道をとっても同じである。相手の幸せを祈って伝道すると思っているはずだが、実際には、教団の利益を考えていやしないかということである。ホントに相手を理解しているかどうかを、よく考えてみる必要がある。

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from: ueyonabaruさん

2010年03月27日 18時17分15秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:大川先生のご講話「カルマとの対決」について」
にしき鯉さんへ



> ueyonabaru さんのいう「永遠の時間」がどのくらいの事を言っているのかがわかりません
> 「悠久」という言葉がありますがこれとて人間の概念で計り知れない時の長さを表現したもので明確な時間単位があるわけではありません
>
> 「無限」や「悠久」はわからないものに対する一つの表現ですが
> 宗教ではこれを使いすぎる傾向があります
> だから難解といわれるものは神秘性が増すのかも知れませんが、、

 宗教は、「無限」や「悠久」という言葉をよく使いますね。

 ここで私が、無限の時を経て動物も仏になると言うときは、相当に相当に長い時間という意味で使っております。動物が悟るというのは感覚的に身近に分かるものではありませんが、生き物はすべて進化するというのが宇宙の法則であるのであれば、動物とて成仏は可能ではないかと、論理的に考えた次第です。



> <霊界の実相界といわれるところでも、そのような弱肉強食の世界が展開しているのかということを考えてみるのです。生長の家の唯神実相論では、このような弱肉強食の世界は、ホントに存在するものではない、ホントの世界、すなわち実相の世界においては、ライオンはシマウマを食わないのであると説きます。>
>
> そうなんですか、それは初めて聞く話です
>
> では仮の世界である現実界では弱肉強食はあたりまえにあって
> 実相界である霊界はライオンもシマウマも仲良く暮らしているのでしょうか?

 生長の家を仏教的側面から見れば、大乗仏教の最たるものの代表でしょう。実相の世界について、谷口雅春師は、ライオンもシマウマも仲良く暮らす世界だとおっしゃいました。これは、法華経の説く世界と同じものとしております。ライオンがシマウマを食うのはこの世だけの現象ということです。
 


> ueyonabaruさんは想念の世界だから食べなくても平気なんだというかも知れません
> しかし、心というものは常に変化しています
> 実相の世界は「物欲」も「支配欲」も「性欲」も起きてこないと考えるんでしょうか

 実相の世界とはすなわち霊界のことではありません。霊界の下次元(4次元、5次元)では物質的な、この世的な感覚は幾分か残っており、本質的に物質はないということは皆知っているが、それでも、この世の農業、製造業、操縦士のようなことをやっているという世界のようです。性欲については、肉体がないのですから、肉体を直接求める快感はありえませんが、これに似たような快感をもとめるようなことはあるかもしれません(詳細は知らず)。同じく四次元にあって、執着霊や地獄霊が三次元の人間に取り付き、この世的な性欲、飲酒欲、食欲を満足させる行為をするのとは違うようです。

 支配欲については、自分自身が霊であることは承知しておりますので、この世的な支配欲ではないでしょうが、霊であっても他のものに影響を与えられるものでありたいという願望はやはりあると思われます。競争心は消えないのではないかと思います。




> それでしたら現実界に生まれる必要は全くないのでは、、、
> それはすでに「仏」の世界であって転生する意味もなくなると思います

 実相界という言葉は、霊界的にどのあたりを指すかについては、大川先生はどこかでおっしゃっておられますが、いまは思い出せません。多分7次元の上の方からではないでしょうか。そこは悟りを得た菩薩達の住む世界であり、荘厳な世界であることは言うまでもありません。霊界でも、5次元、6次元でも、この世の世界と比べ物ならないほどの美しさがあるということです。

 他律的に輪廻転生の循環をさせられるのは、たしか6次元の住人以下の者達ではなかったでしょうか。菩薩界、七次元の者達は、意識的に修行のため、この世に下りてくるようです。それ以上の者達は、人類の救済など大きな目的を持って転生してくるはずです。





> <人間が再度の転生で、動物に生まれてくるのは例外的なものであり、カルマの法則に基づき、頻繁に、動物にも生まれ人間にも生まれるということはないと思います。>
>
> 自分の考えに一番近い見解を他のブログから引用です
>
> ↓      ↓       ↓
>
> 何が輪廻するのか、それはこころだ、とスマナサーラ師は言われる。
> エネルギー不滅の法則が示すように、物質は消えない。
> 「物質は形が変わったとしても消すことはできません。だから、私が死んでも、この身体は遺体として残る。灰になるなりして、この地球に残るのです。」
>
> 同じように、こころにもエネルギー不滅の法則が当てはまると、スマナサーラ師は言う。
> 「こころは瞬間的に変化していく巨大エネルギーです。」
>
> 「もしこころのエネルギーが地球に留まったら、そのへんにある物質を掴まえて形をとります。私たちのこころのエネルギーが天国に行ったならば天国にあるそれなりの物質を掴まえるのです。犬の身体に入ったならば、その物質をもらって犬になる。死という瞬間にこころが消えたら、どこかで新しいこころが生まれる。必要な物質はその生まれる場所からもらうのです。」
>
> ちょっとニュアンスが違いますが大筋で自分は同意します


 心をエネルギ-に例えることもできるでしょう。心は己のあるところの世界にある物質や幽体、その他をとらえて自己の活動する際のボディ-にするというのは、そうに違いありません。幽界にあっては、幽体をまとい活動するという具合にです。

 しかし、「犬の身体に入って」という表現ですと、あたかも犬に憑依するという感じがありますね。心が、物質界にある場合には、必ずしも犬ではなく、大方は人間でしかないでしょうというのが私の考えです。私は、忠犬ハチ公などは、人間が犬に憑依したかのようにも思えますし、あるいは、稀有な霊として、犬に生まれ変わった人間なのかと思ったりもします。シ-トンの動物記にあるような、犬の人間に近しい習性の表れかもしれません。

 人間に生まれたことのありがたみを知らないものが、犬などに生まれ変わり、反省させられるというのは、私には受け入れられる考え方です。それでも、短い間のことではないかという感じがありますが・・・・・。 

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