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  • from: にしき鯉さん

    2010年12月29日 09時08分59秒

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    殺生について思う事

    hikaru0827さん、ご無沙汰しています

    <殺生についてなんて子供の頃は、気にもしていませんで、普通の子供と同様に残酷な好奇心に従って虫に接していたものです。>

    そうですね、ほとんどの人はそうでしょう

    <車に曳かれた猫など、死体死骸を見れば手を合わせる、なんて事をやっていると、段々恐怖を覚え、合掌は止めました。>

    なぜ、合掌をやめるのですか?幸福の科学では人間の魂は動物には転生しないという教えでしょう
    なのに、何故、恐怖が持ち上がってくるのですか?

    お聞かせ下さい

    ・・・・・・・・・・・・
    「殺生戒」というのは殺生のバランスを容認する事ではないんですよ、
    確かにこの娑婆世界は人間が優位です、家畜もペットも人間が支配しています(しかし、それを肯定していると人間界に拘束されてしまいます)

    心の中に地獄や悪魔の世界を想定します、片方で聖者や天の世界を想定します

    相反する世界観のどちらに自分のベクトルが向かうかと言う事なんです

    ペットは人間の愛玩具、家畜は人間の食料
    厳然たる事実ですが、それに納得して思考を止めてはなりません

    知能と力(物質)が優位のこの世界では、「ルール」として存在しているだけなんです

    釈迦は、何故、殺生の戒を説いたんでしょう
    殺生をするときの心の動きを考えて見ましょう

    憎しみ、嫌悪、自分のために他を排除するエゴイズムが根底にあります
    しかし、エゴイズムの思うとおりに人生を生きられないのは他の生物と共存する世界では避けられない事です

    殺生のバランスが容認されるのは、この人間世界と動物の世界だけだと考えてください
    宗教を信仰するものは、それを肯定しつつ超えていかなければならないんです

    hikaru0827 さんの次回の反論をお待ちしています



















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コメント: 全4件

from: にしき鯉さん

2010年12月30日 10時16分18秒

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「Re:Re:殺生について思う事 」
hikaru0827 さん、ありがとうございます

ご理解いただけたかと思うと嬉しくてたまりません

大晦日から、4日の夜までは書き込みができません

新年は、又、新たな気持ちで参加したいと思います

よろしくお願いします

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from: hikaru0827さん

2010年12月30日 08時20分39秒

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「Re:殺生について思う事 」
にしき鯉さんへ

<車に曳かれた猫など、死体死骸を見れば手を合わせる、なんて事をやっていると、段々恐怖を覚え、合掌は止めました。>

〉なぜ、合掌をやめるのですか?幸福の科学では人間の魂は動物には転生しないという教えでしょう
〉なのに、何故、恐怖が持ち上がってくるのですか?〉お聞かせ下さい


当時、死体死骸を見たら、手を合わせて悼む、手が使えない時は、念じる…という事をしていましたが、
私自身は、薄っぺらい人生観や頼りない世界観しか持ち合わせていない生悟りの状態でした。

彼らの魂を背負って立つような覚悟も器も胆力もない未熟者です。

以前、ライフセーバーの話をしましたね。

私は、自分がろくすっぽ泳げもしないのに、溺れている人を助けるんだと鼻息を荒くしている子供だったんです。

その結果、自分が海に引きずり込まれる恐れを感じたのかもしれません。

ueyonabaruさんが言われた事も当たっている気がします。

死体死骸を見て、「ドキッ」とするようになり、そのような状態は良くない、と当時は考えました。

チャンネルが合ってしまったのかもしれません。
この世ならざるものが無制限に見えてしまうと、この世の生活は支障が出てきます。それを制御する実力も当時は無かったというのが、私の言い訳です。


〉殺生のバランスが容認されるのは、この人間世界と動物の世界だけだと考えてください
〉宗教を信仰するものは、それを肯定しつつ超えていかなければならないんです

決して理想を忘れたり諦めたり妥協したりしているつもりはありません。

自然界の有り様をありのままに受け入れる観も真であり、生きとし生けるもの全てが尊いと観るのも真です。

おっしゃる通り、地上に生きる私達にとって、命の尊重や、残酷性に対する警鐘や、感謝の心は、忘れてはいけないものだと思います。

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from: ueyonabaruさん

2010年12月29日 11時06分55秒

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「Re:Re:殺生について思う事 」
 にしき鯉さんへ


殺生戒は日本ではいましめのように捉えられていますが本当はそうではありません > 心から嫌悪を取り除き、怨む事や、憎む事の愚かさを少なくしてくれるんです > 心を制限する教えととらず、より高い意識を勝ち取るための教えが「戒」の本質だと考えてください > >

 分かるような気がしますね。戒をその方向で考えてみます。


 hikaruさんが、合掌を止めたという気持ちですが、私なりに推察してみますと、合掌することにより、忌むべき死の世界や魔の世界とのかかわりができてしまうような、子供なりにも無意識でそのように考えたのではないでしょうか。それも、私の体験からはそのような気がします。hikaruさんは、ホントはなぜ合掌を止めたのでしょうかね。

 小学生の頃、近くには戦争後に残された日本軍の防空壕があり、それらを探検し遊んでおりました。お骨もあり、遺品もまだ多くが現場には残されておりました。怖いものを探検するのが子供ですね。そのような遊びを続けていると、やはり悪い影響を受けてしまいますね。

 野良猫の件ですが、処分するのがいやで、山野に捨ててしまいホントの野良猫にしてしまおうかと考えてもみました。そうすると、他の人たちに迷惑をかけてしまいますね。これも良くないことです。

 hikaruさんがおっしゃるように、潔く「お命頂戴」と念じ、処分するのも正解かもしれません。すまないという気持ちはあるでしょうね。
  

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from: にしき鯉さん

2010年12月29日 09時52分18秒

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「Re:殺生について思う事 」
ueyonabaruさんへ

戒を厳格に守る事に囚われすぎてはいけません
戒というのは功徳に比例するんです

たとえば、「道」に入りたての初心者に、釈迦の時代の何千という戒律などが守れるはずもありません

真理にめぐり合う功徳、修行を進める功徳、これらは戒と密接に関わりあっています

殺生を一切しないぞ、という誓いは素晴らしいものですが、現実には不可能です
(膨大なお金があってすぐれた導師をもち、山で修行だけをすれば可能かも知れません)

その時に、「ああ、私はお釈迦様が決めた戒も守れないのか」と考えるか
今は、「まだ、功徳が足りなくて実現できないがいつかは完全に殺生を止めるぞ」「そのために少しずつでも経典を読み心を変えていこう」とする
行動は結果を変えてくれると思います

「殺生戒」は日本ではいましめのように捉えられていますが本当はそうではありません
心から嫌悪を取り除き、怨む事や、憎む事の愚かさを少なくしてくれるんです
心を制限する教えととらず、より高い意識を勝ち取るための教えが「戒」の本質だと考えてください

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