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from: candleさん

2011年03月23日 10時37分34秒

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もとなる心へ

私が幸福の科学がおかしくなったと確信したのは、今は残念ながらもう廃刊になった「もとなる心へ」という本を読んでからです。この本は当時の幸福の科学の会員に

私が幸福の科学がおかしくなったと確信したのは、今は残念ながらもう廃刊になった「もとなる心へ」という本を読んでからです。この本は当時の幸福の科学の会員に伝えられた、ある高級霊からの霊界通信を綴ったものです。これから何回かに分けて、この本からのメッセージを紹介したいと思います。

一月五日(1994年)  

今の会の現状は、心の教えはどこへやら霞んでしまい、浄財を集めることだけを中心に据えております。
神の名を騙り、純粋な会員の皆様を迷わしめるようなことをしてはなりませぬ。
神々は、金銭を要求なさったりは致しませぬ。
行事やセミナーは、会の運営や、金銭欲にほかなりませぬ。
・・・ものごとの本質を見抜く力こそ、培われなくてはなりませぬ。
素直に会の方針に従うことが信仰ではない、ということを・・・。


以上は方便の時代が終わったとなった1994年のメッセージです。今の幸福の科学は、お金という手段が目的になっているようです。目的さえ正しければ、手段は選ばないというのは間違いなのです。

会員の方は、人類救済のために使われるもの信じ、まさに大変な思いをして布施しているのでしょうが、それなら、幸福の科学は会員から集めたお金をどう使っているのか、公表するべきでしょう。

そして会の方針に従うのが信仰ではないとあります。信仰とは、本来、全世界を創っているもの、あるいは人間の心のあり方を探究するときに、そこにやはり人間心を超えたものがある、ということを認める立場のことを言うのです。

肉体を持つ大川先生に盲目的に従うのが信仰でしょうか?

大川先生に魔が入ったとしても従うのでしょうか?

魔の親分は、智にたけています。暁の智の天使といわれた方ですし、それはもう狡猾なのでしょうね。

信仰とは何か、よく考えてみなければなりません。

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from: candleさん

2011年03月30日 18時20分35秒

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「Re:Re:Re:Re:もとなる心へ」
最近の支部は全然行ってないのでわからないですが、1994年ころは、「虚業教団」は悪魔の本だから絶対読むな、とか、高橋信次の本はすべて捨てなさいなど言っていましたよ。

私が言いたいのは、初期の幸福の科学は素晴らしかったが、徐々におかしくなり、カルト化したのではないか、ということです。

だから最初、幸福の科学の教えを素晴らしいと思ったアンチの方々は、裏切られたという思いが心にトラウマとなり、強烈なアンチにしているように思えます。

「もとなる心」は当時、幸福の科学の会員のもとへのある高級霊からの自動書記を関谷氏が出版したものです。ここに、幸福の科学が曲がってしまった時の状況が描かれていると思います。今の状況は、それに輪をかけているのではないでしょうか。

以下、生き神信仰となり、会員を縛りつけ、謙虚さを失い高慢になっていく「長」の姿が描かれています。思考停止に陥らないようにとも言われています。

三宝帰依体制がいつ頃から始まったのでしょうか。本来、来るべき宇宙時代の神理を説くはずだった幸福の科学が、過去の仏教に過去世帰りして、会員を縛りつけるようになりました。ここにきて、奇妙キテレツな宇宙人の霊言をとり、宇宙の法とかいってるようですが・・・・・。

一月二十五日(1994年)

いずれの方も・・・考え方・思い・行動となりますと、各自違って参ります。
それゆえに、各人の心を思いのままにし、その考えを縛ることなど、・・・(たとえ神様であっても)できない理由がそこにあるのでございます。
各人の心の王国には、一切介入できない理由をふまえた上で・・・お話をなさることが大切となって参ります。
最終的にはご本人が選びとるわけですから無理がなく、この鉄則を無視し、自らの考えのみ前面に押し出しますと、相手を自らの意のままに動かそうとする念で縛ることとなって参ります。
残念ながら「長」は今、そのようなお心の状況で、会員をがんじがらめにしようとなさっております。
これを見破らなければなりませぬ。

人間であるからこそ傲慢とならないように、植物の生きる姿や太陽が無償で愛の光を投げかける姿を学ばれ、自らを高しとするのでなく謙虚に生きることを、総ての霊道を開いている方に願いたいのでございます。
総ての人に申せますことは、自分より上位にある、神近き方でありましょうとも、その考えを絶対だと思ってはなりませぬ。
自ら咀嚼(そしゃく)し、吟味し、自ら自身、納得し、心から共感し、そのように深い考えに到って、はじめて答えが出せるのです。
言われるままに従うことが、信仰ではございませぬ。
総て、上位の意見を鵜呑みにすることをベストだと思う方よ、ならば各自「念いの自由は放棄してもよい」ということと同じではありませぬか。



二月八日(1994年)

ペンダントやご本尊で、人は、救われるわけではございませぬ。

会の内部のあり方は、早々には、変わらないものと思えます。
なぜならば、会の運営の資金は総て、ペンダント・ご本尊・植福貸付で賄っており、印税は、総て「長」のところへ入っております。

いくら《知》でわかっていても、書籍で説いても、観念の遊戯・机上の空論で(確かな心の手応えはなく)空回りするのみでございましょう。
差別知で人を見るからこそ、そこに自らの過去世にこだわり、自らを高しとし、慢心の心やプライドが出、《生き神様》として多くの人に崇拝されたい部分も出てくるということでございます。

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