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from: アナンさん
2012/10/12 22:06:13
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『真理のことば(ダンマパダ)』
第十五章楽しみ197、怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無
第十五章 楽しみ
197、 怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。
怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。
198、 悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。
199、 貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。
200、 われわれは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。
201、 勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。
202、 愛欲にひとしい火は存在しない。ばくちに負けるとしても、増悪にひとしい不運は存在しない。
このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすにぎにまさる楽しみは存在しない。
203、 飢えは最大の病いであり、形成せられる存在(わが身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。
204、 健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナは最上の楽しみである。
205、 孤独(ひとりい)の味、心の安らぎの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過も無くなる、___真理の味をあじわいながら。
206、もろもろの聖者に会うのは善いことである。かれらと共に住むのはつねに楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心はつねに楽しいであろう。
207、 愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、つねにつらいことである。___仇敵とともに住むように。
心ある人と共に住むのは楽しい。___親族に出会うように。
208、 よく気をつけていて、明らかに知慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、戒めをまもる、そのような立派な聖者・善き人、英知ある人に親しめよ。___月がもろもろの星の進む道にしたがうように。
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from: アナンさん
2012/10/12 22:16:56
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「Re:『真理のことば(ダンマパダ)』」
第十九章 道を実践する人
256 、 あらあらしく事がらを処理するからとて、公正な人ではない。賢明であって、義と不義との両者を見きわめる人。
257 、粗暴になることなく、きまりにしたがって、公正なしかたで他人を導く人は、正義を守る人であり、道を実践する人であり、聡明な人であるといわれる。
258 、 多く説くからとて、それゆえにかれが賢明なのではない。こころおだやかに、怨むことなく、恐れることのない人、___かれこそ<賢者>と呼ばれる。
259 、 多く説くからとて、それゆえにかれが道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道からはずれることの無い人___かれこそ道を実践している人である。
260 、 頭髪が白くなったからとて<長老>なのではない。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。
261 、誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷わず、つつしみあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。
262 、 嫉みぶかく、吝嗇(りんしょく=けち)で、偽る人は、ただ口先だけでも、美しい容貌によっても、「端正な人」とはならない。
263 、これを断ち、根絶やしにし、憎しみをのぞき、聡明である人、___かれこそ「端正な人」とよばれる。
264 、頭を剃ったからとて、いましめをまもらず、偽りを語る人は、<道の人>ではない。欲望と貪りにみちている人が、どうして<道の人>であろうか?
265 、大きかろうとも小さかろうとも悪をすべてとどめた人は、もろもろの悪を静め滅ぼしたのであるから、<道の人>と呼ばれる。
266 、 他人に食を乞うからとて、それだけでは<托鉢僧>なのではない。汚らわしい行ないをしているならば、それでは<托鉢僧>ではない。
267 、この世の福楽も罪悪も捨て去って、清らかな行ないを修め、よく思慮して世に処しているならば、かれこそ<托鉢僧>と呼ばれる。
268 、269 、 ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が<聖者>なのではない。秤を手にもっているように、いみじきものを取りもろもろの悪を除く賢者こそ<聖者>なのである。かれはそのゆえに聖者なのである。この世にあって善悪の両者を(秤りにかれてはかるように)よく考える人こそ<聖者>とよばれる。
270 、生きものを害うからとて<聖者>なのではない。生きとし生けるものどもを害わないので<聖者>と呼ばれる。
271 、272 、 わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。
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