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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: yeshangさん

    2010年11月30日 19時49分33秒

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    「Re::地球 ひとりある紀」
    > 最近医療についてつくづく考えるのです。
    > 特に、近代医療について、、、
    >
    > 手の波動で、身体の波長を整えるひと、アトピーや心身症や、中には近代医療で治らないとおもってた患者さんを治す人達・・・
    > この人達はなんて呼べばいいんでしょうね?
    >
     20年ほど前、北京郵電大学のコンドミニアムに仕事で宿泊していた時の話です。
     超能力を持つ学生が実演を見せてくれるというので日本人、中国人20人程度が集まって見せてもらいました。
     手近にあった鉢植えの木の葉っぱを一枚取って、それを真ん中から二つにちぎり掌で握っているうちに元通りにくっついてしまうのです。
     くっつくまでは20分近くかかりました。
     「くっつきました」と言って掌を広げると確かにくっついています。その葉っぱはみんなに回して見せてくれました。
     大学の先生の話ではこれに似た人が何人かいて医療の方面での活用を研究しているそうです。治療の困難な骨折、複雑骨折、血管治療など手術しないで治せないかとなどの応用を考えているようでした。
     大学ですから電子顕微鏡まで揃えているので、くっついたところを見るとわずかながら切断の痕跡が認められるとのことでした。
     また、太極拳、気功は日本のラジオ体操以上に盛んに行われていますが、その女性に気功をかけてもらいました。ちょうど静電気をかけられたようなチリチリとした感じがしました。
     そこでの人の話では気功の達人は気功の修行中、体か浮いている人もいるそうです。
     高野山でも真言宗の一般人入場禁止の専門修行所が奥の院より奥の山中にありますが、ここでも修行中(座禅?)は体が何センチか浮いているいると聞いています。浅原彰晃のようなカエル飛びのような浮き方でなく静かに中空に浮いているそうです。
     また、NHKラジオ深夜便で雑穀米か植物を少量、ほとんど食べずに何年もいる人の話、しかもその人の指導で何人かがやっていて何ともなく生活をしている話をやっていました。
     E=mc**2から見てc:光、波動が関与していいてE:エネルギー、何らかの力が発生しているのではないかとも考えています。
     不思議な話は現実を見ると否定はできませんので何らかの法則、原理、仕掛け、仕組みがあると思っています。手品でも種明かしがあるわけですが、時々これらの種明かしとなる理論について考えることがあります。

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月30日 07時57分54秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    MSG 839の続き

    フランセスからメイルが届いた。
    3年前のことであるけど、、全て覚えている。全ての事が昨日の事のように、覚えている。
    20日の日に、アメリカ大使館から連絡された葬儀屋さんに行き、神父さんを呼ぶ式をするなら8日以上待たされるといわれた。

    そんなに、火葬のお葬式はパリでは待たされるのか?というか、火葬する場所が絶対数足りないのか?、時期がたまたま悪かったのか?よくわからないけど、パリ一番大きい、ペーラシぇーズ墓地のCREMATOIREには、アジア人でごった返していた。
    アジア人だけ見れば、ここがパリの墓地などと誰も思わない。
    前にも書きましたけど、FRANCESと私は、当初の予定では、病院の霊安室で、神父さんを呼んで二人だけのお葬式という事で葬儀屋さんに、棺をペーラシぇーズ墓地のCREMATOIREに運ぶ手続きだけをお願いしたのだ。8日以上待たされるといわれ、お葬式はどちらにしても二人だけなので、大きなホールを用意したり、司会をされる人など、ほんとは手続きを踏むようなのだが、火葬だけなら22日に出来る・・・という答えをもらった。
    そうなのだ、ここは、パリ・・・火葬の習慣がないフランスなのだ。

    病院の霊安室でお別れし、二人でそのまま、ノートルダム寺院に行こうという予定であったのが、彼女がはずすのを忘れた、結婚指輪事件で、私達は、ご遺体と一緒にペーラーシェーズ墓地行きを余儀なくされた。

    あの時、、、受付の女性もこんな事を述べてくるお客さんはいないと知っていたのではないか?
    しかし、泣きだす、フランセスに、墓地に一緒に行ったら?という提案をだしたのは、葬儀屋さんだ。彼らだって、法的に立会人の元で閉められた棺おけの蓋を二度と開けてはならない事など、s職種がら知っているはずなのだ。

    では何故?
    「駄目と分かっている事を、述べたのだ?」
    葬儀屋さんまでが、グルみたいに縁起が一斉にかかるのであろうと思う・・・

    わたしが、フランセスのお母様の意図としか、思えなかった・・・と感じたのは、紛れもなく、受付の女性が、わざわざ、私達を、扉入る前に置かれている棺を指差して、「係りの人も入れない立ち入り禁止の区域なんです」・・・・と説明されて、鳥肌がたったのだ。」

    それだけではない。私達はマリアカラスの涅槃堂の前も行った。カラスは、ジャックリーンとオナシス氏が一緒になる時に時の人だった。
    ドラクロアのお墓の前に止って、何故?
    ここにドラクロアのお墓があるのか、分からなかった。後で、メルローポンティのお墓はすぐ隣だったのを、知ったのだ。

    一年前くらいに、どこにあるのか?サルトルはすぐわかったのですが、メルローポンティーのお墓は見つけられなかった。それが、この時ドラクロアのお墓を見て、なんかちらついて仕方なかった。

    スイッチが入ると、どんどん回る、フランセスがいても、全て回る。観えないものがどんどん、向こうから絵巻物のように眼前で繰り広げられる。これは多分、普通の思考だと気つかないか、分からないのですが、意味や原因を探すことによって、その原因や理由がわかるように、向こうから、見せてくると言う感じになっているようなんですね。もちろん行為が生じないとなりませんから、他者によって縁起がかかるのですから、一人の妄想または執着心で行為にでても、何も生じないんですね。全ては、他者と自分の関係、他者と自分の関係で生じているのですから、他者と心のコミュニケートが大切だ!と述べるのはそこなんですね。他者との会話や他者との対話で、気つかされるんです。そこには、他者との会話のコミュニケートが出来ていないで、自分で一人で一方通行の会話だけをしてても、何も感じられないと思うのです。何故なら、全てが心模様につきますし、相手が何を感じているか?というこちらの予測や予感を、天空の何がしかの思いや心が反応しているのですから、生きてる目の前の人の心を感じなければ、死者の心や気持ちや想いとコミュニケートをとる事はまず無理に思えるんですね。
    要は、霊界や過去世、輪廻転生、云々の前に、生きている自分の周りの人達と心の会話が出来る・・・とこれに尽きると思うのです。
    一人で一方通行自分で述べたい事だけ述べる・・・というコミュニケートでは、人生の意味や何のために自分がこの世に生まれたのか?という意味も他者によってまたは、自然のはからいによって、知らされる、または不思議な体験をする、、という体験は無理ではないか?と思うのです。

    私達は、ノートルダム寺院の後、サン、ミッシェル広場に向かい、気になる教会を見つけた。サン、セブラン教会。ここで、入り口にあったしおりを見て、、11月27日に、不思議のメダイュ教会で、巡礼ミサがあると書かれていた。
    意味が分からなかった。何故?
    サン、セブラン教会のしおりに、不思議のメダイュ教会なのかが、見えないのだった。

    そうだった・・これも後から、思い出した。

    聖母マリアがパリに出現したのは、3回あるのですが、メダイュを実際造りなさい・・・・と述べる為にカトリーヌ修道女にコンタクトを
    取ったのが、11月27日だった。しかもカトリックカレンダーは、11月27日は、ST SEVERIN 聖セヴランでは、ないですか?
    、無目的に歩く私達を11月22日に引っ張った、教会は、
     ST SEVRIN 教会なのだ。わたしが、10月末に、何も知らないで、暖炉の上のメダイュを、2個握ってパリに行った行為は、一ヵ月後の11月22日の私達の無意識行為に全て意味が含まれている。こういう時こそ、私達は、人知を超える何かに見守られている・・・・・と言ってもいいのではないか?と思う。

    写真は観音の浄土とされる那智の滝・・・


    Bonjour

    I cannot tell you how much I appreciate that you remember so many details from our days together in Paris three years ago. I remember all of the things you mentioned (and so many more). This week, on November 22nd, I thought throughout the day, "Today is Nov. 22nd. Three years ago, at around 10:30 a.m., we had Mom's funeral in Paris. At the end of the ceremony, my watch stopped working. After that, we traveled to the crematorium to try to get Mom's wedding ring" or "Now it is 5:00 p.m. At this time three years ago, We were putting flowers in the Seine as Mom's spirit left Paris." Yes, I remember so many details. It is comforting that you also remember some of these things. They are memories that we will probably always share...

    It is such a coincidence that Takamine Hideko departed Paris on Nov. 22nd and that this is also the same day that John F. Kennedy died (Jackie Bouvier's husband).

    Earlier this week, I had two different dreams where my mother appeared. The first dream I had the night of Nov. 19th. She talked to me and said she was happy and that she had returned from visiting a friend. I woke up from my dream because the conversation seemed so real--it was as though I could actually hear her voice. The second dream was just silly and did not make sense, so it was not meaningful. It had been quite a while since I had a dream with my mother, so it was nice to experience.

     

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月30日 05時23分07秒

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    「:地球 ひとりある紀」
    最近医療についてつくづく考えるのです。
    特に、近代医療について、、、

    手の波動で、身体の波長を整えるひと、アトピーや心身症や、中には近代医療で治らないとおもってた患者さんを治す人達・・・
    この人達はなんて呼べばいいんでしょうね?

     霊能者というと、なんだか、占いや予言する人みたい・・ですけど、フランス語で、GUERISSEURSゲリスーと放つと、GUERIRという病気を治すという動詞に人EURSがついているので、
    GUERISSEURという音素を放つと、病気を治す人という意味なので、拡大すれば、お医者さんも入るのですが、医者は、医者するという動詞はないので、名詞ですね。

    ところが仏和辞典で、GUERISSEURSを調べると、
    民間療法師、接骨師、祈祷師 と出ていた。

    うぅぅぅ〜〜ん・・・・ずいぶん範囲が広がる・・・・

    ま!これだから、波動で身体の波長を治すMAGNETISEUR磁気治療師・・・として、フランス語は普遍化しているのかしら?

    代替医療と民間療法の違いもよくわたしは見えない。

    しかも、近代医学がさじを投げて、完治は無理・・とされた患者さんが、民間療法や、代替医療で、治ることもある・・・という事を聞かされると、いやはや・・・どうしたもんかな?

    最近わたしは悩む。

    皮膚病、たとえばアトピーというような病気だったら、それほど重大な事として考えなくてもよいのだけど、これが、癌という病気になると訳が違ってくると思う。

    これだけ、癌にかかる人が多いのに、いったい、どれくらいの人が、近代医学だけで、治療しようと思っているのかしら?
    あまりにも、あちこちの病院へかかり、あまりにも情報過多で、手軽に色々な治療法の認識を集められる。

    これって、、はたして、医学の実践の専門知識がない我々にとって、はたして良い環境なのかしら?と思ったりする。

    しかも驚く事に、癌患者が、一つだけ最初にかかった病院での治療中で、何か医者に質問しても、医者の方が
    「どうせ、色々他の治療も調べたでしょうから・・・・」と言ってくる医者もいる。

    こちらは、最初から其の病院や最初に出会う医者を信用してかかっているのに、医者の方がこのような意識らしい・・・・

    これでは、治るのも、治らないし、ますます、患者を不安にさせ・・

    いったい、自分は、自分にとって、治るという治療を受けているのだろうか????という疑問はわいてくる。

    前から、民間療法の話はあったけど、正直雑誌やメディアでみる、民間療法で癌が治ったとされる患者のコメントと、服用した自然成分の薬の説明を読んでも、まず信用できなかった。何故なら広告行為にどうして薬の効用の価値観を見出す事ができるのでしょうか?
     
    ところが、身近な人の経験になると、話は違ってくる。

    私が会ったMAGNETISEURのムニエ氏は、手の波動だけで、身体の自然治癒力高めるらしい。
    このような超能力者の治療がどの病気に効くのか?よくわからないのが、タマにキズですね。

    体験してみて、彼は、身体には絶対触れないです。
    触れませんが、しばらくすると、、メトロノームのように動くか時計の針の回る方向に、上半身回るという現象がおきます。

    ただ、何人か他に受けた人に聞いたら、回らないという人達もいたので、動く人と動かない人がいるようです。ムニエ氏は、「48時間同じ洋服を着ててね?波動が洋服に利いているし、お風呂に入らないように、なるたけなら、手や顔も今日は洗わない方がいい」・・と言うのです。波動と呼ばれる磁気は、水に流れてしまうそうなのです。

    さて、民間療法・・・・

     実は、高校のお友達のAさんのお兄様が今年2月に他界された事を知らずで、わたしは今回日本に着いて連絡をして知った。

    お兄様の奥さんは、10年前大腸がんだったと言う。わたしは、自分に近い友人の一人Mさんが大腸がんで、化学療法をしている最中なのと、去年亡くなられた智ちゃんのお母様も大腸がんだった事もあり、その治療の仕方に興味がわいた。

    大腸癌の手術を10年前にし、わたしの友人は取った大腸癌を見せられた・・・と言ってきた。

    かなり大きな癌だったと、彼女は感想を述べた。

    ところが、進行癌で、化学治療が必要といわれたのにも関わらず、一回の化学治療で、身体の負担が大きく、辞めて民間療法に変えたという。アメリカの薬を頼んで、それで、今日まで10年間再発していないそうなのだ。毎年の検査はかかさずかかっている。と述べてらした。
    正直驚く・・・・なんというか、自分がこのような、よくわからない自然治療にあまり、価値観を持たない考えだったので、本当に、きのこの薬を飲んで、進行癌がストップしたりするのでしょうか?それともたまたま、その人は運がよかったのか?よくわからない・・・でも、波動で確かに、アトピーがきれいになおった子供の腕も見ているし、友人がそのように話してくるのだから、やはり民間療法で治ったんでしょうね?
    近代医学の治癒力も高まっているとは聞いたけど・・・・

    なんだか本当に、世界は混沌としていて、見極めるのが難しいと思うこのごろなのです。このyほうな状態で、人々は、ますます、路頭に迷うような気がする。

    治療法がそれしかないのなら、治るも治らないもないので、その言われる治療を皆が受けるという事の方が、精神上患者の精神は安定すると思うのに、
    今受けてる、自分の治療では、治らないんじゃないか?という疑いばかり募ってしまったら、これでは気の毒としか言いようがないと思うのですね。そして、そのような思いや不安を簡単にもたらすこの世界観なのですよね?

     精神不安・・・・病気より、こっちが重大な気がするこの頃なんです。そんな時の為に、ルルドに聖母マリアが出現したのかしら?
     

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月29日 02時42分22秒

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    「Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」

     11月22日、あるチャンネルである心理学者の書いた、ケネディー家の不幸という題目の2時間映画と其の後、ジョーナリストと著者とのデイベートがあって、なかなか面白かった。
    20時以降は広告が入らないので、リアルタイムの議論も白熱する。そういえば
    あの、テレビ番組を見ていて、
    昔、「ここで、ちょっと、コマーシャル」という行為はなんとかならないのかしら?と思わされる時があったけど、 それは良いのですが、その2時間半番組を見ていて、心理学者の分析ですから、現象学的な分析なんですよね。

     オバマ大統領の就任式も、わたしはテレビを見ていて

     「何故?未成年の娘さん達までが、大衆の前に引っ張り出されないとならないのかしら?」と、むやみやたらに、公衆の前にINPOSER(課す、目につけさす、人人に、マークさせる)させる事などしないと思う。

     セキュリティー云々の問題ではなく、形而上的な人々の心に浮かぶ様相まで、手に負えないと思うのですね・・・という問題が生じるからなのですね。
     
     実際、オバマの就任式を見ていて、
     「何故?
     アメリカはこのような形になるのかしら?」と尋ねると、

     「 C'est AMERIQUE] これが、アメリカなんだ!と言って、頭を左右に振っていた。
     しょうがない・・・・という気持ちで見ているのでしょう

     人々の心に生じる心的な様相 までは、分からないのですから、其の後のなんらかの事件を生じるきっかけになると思うのですね。

     ケネディー家の不幸はどこの国でも話題にされますが、
     何故?
     あのような事が次々とケネディー一家を襲うのか?
     理由や原因を考えると思うのです。
     ジャッキーが、子供達をなるたけ、ケネディーファミリーから遠ざける・・・・どのような手段をとろうと、母親が子供の身に迫るジワジワ近づいてくる危険を察知した時、なんとか安全圏へと移動させる・・・・このような種族保存本能は、母親ならあるかもしれない。ところが、現象学的思考でなく、起こった事件のみに、意識をFIX(執着、密着、繋げる)で情動を波立たせてしまうというのは、一番楽なのですで、しかももっといけないのが、個人的な嗜好のジャッジ(JUGER)ばかり、放つのですよね。個人的な嗜好で、個人へジャッジばかり、放つというが、二人称単数の対峙世界の出来事ですから、どうしても抽象的な表現が得意でなく抽象的に考えられない、、何もかも、対象に意識を繋げないと考えられない、反応できない・・という世界は、必ず、時間を後ろから追うという時間軸を後ろからみて、判断ばかりする人たちと、大勢固まってしまうのだと思うのですね。なぜなら?
    眼に見えない、認識出来ない事は分からないのですから、、自分に未来何が生じるのか全く分からないという、不安が常に付きまとう。それが良くないという述べているのではなく、それは人間であれば普通に思えます。しかし、その次元の低い地点で、徒党を組もうとしないで欲しいんですね。これが問題だと思うのです。

    一人の個へ、意識を向けて、求めたり(愛)あるいは嫌ったり(憎)という行為ではなく、
    自分が存在しようとしている空間と他者達との人と人の間・・・そこに通うコミュニケートだと思うのです。
    縦列や従属の関係ではなく、横列、横に並び人々と手を繋ぐ・・・という人間関係の質を求めないといけないのじゃないですか?

    重力があるから、人は天から地に縦に並ぶと、どうしても上の者が下を自分勝手に搾取しやすい環境を作りやすいと思うのです。
    重力にまかすのではなく、形而上の心の世界は、重力はないのですから、人々の心は並列に並ぶのではないでしょうか?と思うのです。

    知識や認識は死ぬ時あの世には持っていけないそうです・・という事は何回も述べました。

    宗教はラテン語では、RELIGIOで動詞のRELEGERE(思い浮かべる)からきていると記載しました。
    信じるではなく、
    「思い浮かべる」 という意識が、言葉の起源ですよね。

     人間は何か、対象物に意識をFIXさせないと、前に進まないとすると、なんか、よく何処かの国で、犬の競争で、犬の目の前に機械仕掛けのウサギを、犬の視覚にFIXさせて、犬の全速力競争を人々が見て、賭けをやるあの犬達の心理現象と同じレベルに感じませんか?

    もっと、視野を広くもてば、個人の現れや言説に情動を揺らす事もなく、自然の動きを感じる事が出来ると思うのです。
     

    ま、そんな事をこの心理学者の説明は、大衆の心理現象と、犯罪者の、犯罪学者CRIMINOLOGISTE も交え、形而上と形而下の両方の分野から世界に生じる悲惨ともいえるな度重なる偶発事件を解明していた。


     そういえば、FRANCESは、一年後母親が必ずアメリカ大陸から出るときには持ち歩いていた、1959年日本から初めてアメリカに渡航する時に買った本、高峰秀子の本を日本に帰国する度に、たずさえてた・・という。タイトルも、何故か?
    「巴里のひとりある記」というタイトルの本なのだ。

    もちろん死の旅となった、2007年のパリの旅もかばんに入れてあったと言う。

    この本の内容は、何故か?
    パリと其の周辺(シャートル)、シャモニの旅だけが書かれている。日づけ順に、どこそこで、何を見た、。今日は何処そこで人にあった。と記述式でパリ滞在の話が書かれてある。
    6ヶ月の滞在が過ぎ、高峰さんは、パリを経つ。

    11月22日のページにかいてあり、この本は、旅の終焉をほのめかす。
    FRANCESには、この本が送られてきた時、「貴女のお母様を、パリで荼毘したのも11月22日だった」事に気ついて、メイルで知らせた。

    この前のテレビのケネディー家の不幸の番組を見ていて、、そうだった・・・・ジャックリーンが、あのダラスで、一瞬のうちに
    未亡人となって、あの今まで華やいでいたケネディーファミリーを襲ったショックにどの人達も、一瞬受け入れられない事が降りかかり、そうだ、、ニューヨークの電工掲示板にそのニュースが走った時の、ニューヨーケーの様子を話していた当時のNEWYORKの様子を説明していた。一瞬、皆が歩行を停めたんです。ニューヨークの人達は一斉に呼吸をするのも忘れたみたいに・・・・

    ダラスの事件は、公共の「言葉で拾うのはあまりにも大きすぎた。無邪気に語る事ができない、トラウマとして人々が忘れたい事件として、潜在意識に追いやりたい、、でも出来ない・・・あまりにも衝撃が大きすぎてしまった事件として忘れられない、尾を引く事件だった。殺人者が2日後に又襲撃されて殺される・・という考えられないアメリカという大国で生じた事件だった。
    そうだった・・・ダラスの熱い日は、11月22日の出来事だった事を忘れていた。


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  • from: 沙羅さん

    2010年11月28日 19時17分25秒

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    「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」

     又又、しつこく3年前の、パリで母親を亡くされた、francesの話を持ち出して申し訳ないのですが、

     名前 というのは、どうも、つけられる名前(音素)の意味がそのつけられたその人の人生の指針を示す、何か意味があるのではないか?・・・・・・だから、生命判断という術学が生まれたりするのではないか?・・・・名前は不思議ですよね???

     francesが、自分の名前を命名した日本人の母親に、何故?
     自分の名前がfrancesという名前なのか?小さい頃、この名前が友達から、カラカワレル・・・嫌いだった・・・・だから、名前の由来を母親に聞いた・・・・・と、わたしに、パリのホテルで話してきた理由は、

    他でもない・・・・・彼女達の身の上に生じている、場所が、franceである・・・・・というリアルタイムでの彼女の記憶の呼び起こし状態なんだと思って、わたしは聞いていた。

    母親が、フランスに憧れている、、、特にパリに・・・パリに行きたい・・・。そこで、フランスには、純粋な血脈が流れている・・・・純粋さに憧れる・・・・とフランセスは、mamaが話したと言ってきた。

    そこで、だからアメリカの当時の、ケネディーファミリーのメディアの扱いは、どこかの国の王室扱いそのものだった。だから、あめりか国民の、ケネディー大統領の、奥さんのジャックリーン、ケネディーのメディア化は大変だった。
    ・・・・・・と、話してきた。

    そこで、無い物をねだる 国民気質?なのかしら?

    ロワイヤルファミリーが、存在しない・・・・

    自分達に欠けてるものを、求めるー>欠けている、、、寂しい、、

    執着ー>対象化ー>意識fix・・・・・

    目的ー>生かされるー>

    わたしは、一人で当時のアメリカ大衆意識を、分析していた。

    「ジャックリーン、ケネディーは、先祖はbouvier でフランス人よ。
    ヨーロッパは、だいたい苗字で、どこそこの県出身か想像できるの。

    音素でね?」 私

     「フランスに、実際に存在しない、ロワイヤルファミリーを感じるねえ〜〜〜うぅぅ〜〜ん」と、わたしは、frances
    と、まだ生存していた母親の、当時の娘francesの名前をつけたくなる、心境を、母親の放った言説から分析していた。

    モナコのグレースの名前か?francesか迷ったと言う。
    グレース妃も、最期は、悲惨で悲しくなる。

    世界の王室の人々が、ダイアナ妃のような、世界の人々の心をシッヨックで揺さぶるような
    人生を終える・・・、そんなに多くいるのだろうか?

    ジャッキー、ケネディーに対する当時のメディアは相当すごかったらしい。アメリカにない雰囲気、あのコケティシュな雰囲気は、フランス民族に流れる人間らしさというか、ある意味どんな生真面目な表情の中に底抜けの隠し切れない可愛さが垣間見れる。
    あの表情の中に、当時ロワイヤルファミリーを持たない、アメリカ人達の一種のフランスの土地に根づく血脈とも言える直観や、美的センスを感じとっていたのでは・・・

    フランセスと、パリのアーケードを歩いていて、
    フランスの下着専門店に、足を止めて。。。

    ウインドウの中に飾られてる、女性の下着の品の良さに眼をみはらさせてた・・・
    下着という一瞬即物的な対象になりそうなものさえも、芸術的なセンスに高めてしまう、ホンのり、立ち上るレースの色や
    ブロテールの形フェミニン性はまさしく
    、肉欲的な野蛮なセンスではなく、
    あくまでも、上品で、シルクの素材を十分に生かした流動的な表れ、こんな下着を身に着けたい・・・・と思わせる、女性に生まれれば、女性に生まれて幸せだと思わせ感じさせるまでの、感性の高さが確かに存在する。

    それは決して、異性の為に身つけるのではなく、自分自身の為に身に着けなさい・・・というような表れ方なのだ。
    それをある意味、ナルシストととらえようが、全く関係ない。
    彼らは、自分が幸せを感じたい・・・その意味ではどの人も同じではないか?と思う。何かが自分に欠け、何かが自分に足りないと思ったら、人間はその足りないもの欠けてるものを、いつも、いつも、追いかける。自分が、不完全な状態だから・・・どんなに色々手中しても、それが、物であったり、又物として人を扱ったり、接したりしているのを、手中しても、決して心の欠乏感は消えないのだと思う。



    もともと、美というのは、そのような、自分の手に入れがたい存在なのだと思う。

    フランセスは、そのフランスの下着専門店のウインドウの前に、立ち止まって、首を左右に振り・・・「アメリカとは全然、違う」

    というしぐさをしていたので、なんとなくおかしかった。

     彼女のお母様が生前1950年代アメリカに渡り、アメリカのメディアで、ロワイヤルファミリーじゃない、ケネディーファミリーの扱い方に馬鹿げた民衆だと皮肉はなった言葉からも分かるように、フランセスは、母親の持った感情を次々に、WHY ? という
    疑問符をつけて述べてきた。

    わたしは、フランス語で、pour quoi (何の為に?)=why

    として、使われる、2カ国言語の使われ方、しくみを分析して黙って聞いていた。
    英語を使って思考しても、生死の場に立たされると、考える事は同じなんでしょう・・と感じながら彼女と、対話をしていたのだ。

    日曜日でもあり、私自身も、横浜の実家に電話をして母親の声を聞いた。

    「ママ?思い出せる、おじいちゃまの名前と叔父さんの名前・・・・」

    どうも、昔の人というのは、祖父母には会わないで生まれる人はおおいのでしょうね。だから、記憶が曖昧なのでしょう??、、、自分が生まれる前に他界している人というのは、今一記憶に残らないらしい。声を聞いてないからなのか?よく分からない・・・

    「ママ?千里!、男の人の名前なの?」私
    母親に渋谷の先祖には、千里 という名前の人を述べてきて、最初わたしは女性だと思っていたら、男性だという。そのような事を、確認しないで聞いていると、母との会話は辻褄が、合わなく分からなくなる。

     しかし、、、息子に「千里」 という名前を命名いしたくなる、、理由というのは、いったいどこから生じるのかしら・・・

    ・・・ともう一人の私は客観的に見て、もう一人のわたしは、電話口で、「ママ?ちょっともう少し思い出してくれるとありがたい・・・とうるさくわたしは、話を起動させようと話している」

    母親も、「何を、今さらこの娘はうるさく聞くのか?」と思っているに違いないが、渋谷の叔母も次回には、神棚にある40くらいの霊じに書かれている名前と年月日を書き写してくる・・・と言って来ているので、私だけの問題ではなくなってきている。

    先祖探しも、結構疲れる・・・・

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月28日 07時13分01秒

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    「Re:Re:地球 ひとりある紀」

     沙羅の一人言であります。

     そう言えば、前に私の生まれは、山口県の下松という海側で生まれました・・・と、どなたかに述べたら、いきなり
     「あ〜〜〜薩長ですか〜?」と言われて、、、
     なんで、いきなり、薩摩藩、長州藩を関連づけてくるのかしら?
     この方達????
     と、不思議にこの会話の応答の出所がわからなかった。
     対話の相手方が、薩摩藩出身とかなら分かるのですが、、、普通の関東にお住まいで、年代も、40〜50歳代だと思うのですが・・・・

     日本人は、山口生まれ、又は鹿児島生まれの人は、すぐ薩長へと閃いてしまうのかしら?
     なんだか、いつも不思議に思っていた。

     日本の歴史は、江戸時代くらいまで、、、そのあと、近代史はほとんど勉強していないので、どうもここら辺の時代になると、直感が鈍くなる。
     
     山口で生まれた理由は父の仕事の赴任先が、下松だったので、下松は、日立製作所の大きな造船工があり、日立製作所の社員だった。というより、その後東京の本社勤務に変わり定年に至っている。しかし、父は、わたしが生まれた時、出生届けを、自分が住んだ事も生まれた場所でもない、当時父の父(祖父)は生存していましたが、祖父が住んでいる場所でもなく、結局祖父が生まれた島根県の先祖の住む場所に出世届けを提出している。

    そこまで父に、何がそうさせたのか、全くわからないまま今まできた。何回かの戸籍謄本をとるのに、行った事も見た事も、通過した事もない島根の田舎の本籍を市役所に求め、その度に不便で文句を言った。
    しかし、今思えば、父はいずれわたしは、この国から出て行くと予感していたのではないか?
    それは自分自身が満州生まれである事と無関係ではなさそうなのだ。
    わたしの子供はフランス生まれなので、父と孫を結ぶのは日本という接点しかない。

    前から、日本人の民族的な繋がりは、血縁つまり、DNAで繋がりを求めるのか?それとも、その生まれた土地になんらかの、何らかの繋がりがあるのか(神道的?)・・・・昔から土地、、地に根ずく・・・という力が人間には血縁以上に引かれる何かがあるのではないか?
    いつも思っていた。そこには、何故か川がある。父や私の戸籍謄本
    がある場所は、父も、私も、住んだ事はないし、祖父も、18歳くらいまででその後満州へ移動して長い間満州に住んでいる。日本は広かったのね?と当時満鉄の仕事をしていた祖父がウラジオストックや、北朝鮮の町を仕事であちこち移動していた事を聞いていたから、父にとっては、日本は満州が生まれ故郷なのだと思う。決して、墓石に1600年頃から〜〜右衛門や元十朗などなど・・名前が彫られているご先祖様達の場所には、馴染みがないのかも知れない。それでも戸籍謄本だけは、頑固として動かさず、仕方ないからわたしも動かさない。

    実は、今回初めて山口から島根の海岸へ抜けるとんでもない田舎線路を走ってみたくて乗ってみた。一応JRなのだと思うのだけど(怒られる)、改札で切符を買う事もなく、バスと同じ、ワンマン一両編成電車。電車の中に、チケットの番号を自分で取り、降りる時にその番号が運賃を知る手がかりになる。

    そのご先祖が眠るお墓参りに山口から、行った。途中津和野がある。
    実は津和野に行きたかった。何故?
    津和野なのか?というと、なんの事はない、ただ、森鴎外の匂いを求めたかった。鴎外の空気を感じたいと思った。

    森鴎外が島根の津和野出身というのは、知っていましたが、鴎外の著書から感じるものは、津和野のイメージを重ねるのが難しかった。いつか、津和野に行きたいと思っていたのだ。
    西洋的な雰囲気によって日本文学界の台頭で活躍した、漱石と鴎外

    海外に出ると、最近は村上を良く聞くけど、漱石、鴎外 少しあたらしくて、川端・・日本文学が外国に紹介され普遍化され認められる・・・外国で、彼らの口から、このような日本の作家の名前を出され、「とても良い、優れている・・好きだ」と言われる度に、同じ日本人として、喚起による心地よい喜びが感じられる。

    そんな時、作家の出身地は大変重要だと思う。文学的な才能は芸術家も同じで、感受性の細やかさ、心のひだの細やかさ、それでもって、逞しい表現力がつく。この二つは必ず相成って、表現能力は心の感性の鋭さと比例しているはずなんですね。

    津和野・・・そう、それと、津和野は、あの徳川秀忠の娘千姫事件の坂崎直盛を思い出す。

    そんな事をツラツラ思いながら、窓から見える、津和野の村や農家を眺めていた。あぜ道にならぶ田舎の2階建ての家の庭を見て気ついた事があった。、自分の土地にお墓が建っている家がある。沢山ある。
    ここら辺の人達は、家を売る事はないのだろうか?と心配したりする。お墓をどければ、いいという問題ではないと思うので、余計なお世話と思うけど、跡継ぎがいなくなった将来など心配したりする。

     しかし〜〜・・・のんびりでいいなあ〜・・・

    薩摩は、母方の渋谷氏の先祖が住んでいる・・・・父方は、長州なのかしら〜〜・・・・・

     なんとなく、関東住まいが長い自分は完全に関東の人間と思っているのですが、自分をいままで存在させてきた、DNAの、複雑な
    繋がりは、やはり、土地に根づいている何がしか・・・
    引き合う力があるんじゃないかしら?

    そうでなかったら、眼に写る風景を、こんなに感慨深く、感じる心は不在していないのではないか?

    何かが、何かが、やはりあるのだと思う。わたしをこうやって、ここまで引っ張ってくる、、知らない人達の沢山の人達の 想い、心の存在が・・・・

    そういえば、宮崎アニメのトトロは、有名だけど、あの主題歌の最後は、やはり、子供のような目で、子供のような心で、世界を見る。不思議な体験に沢山あう・・・と言う歌詞だった。

    不思議な体験をする人は、やはり、子供の心のように澄んだ眼で見ようとしなければ、不思議な体験を経験しているのにも関わらず、何も感じないのだと思うのですね。全ては心の状態なんだと思うのです。
     

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月26日 19時14分51秒

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    「Re:Re:地球 ひとりある紀」

     実は、自分のご先祖さんは誰ざます?
     という個に執着する探し方ではなく、
     いったい自分という人間をこの世に生ます・・・・という流れが何百年、何千年、何万年・・・・もっと、もっと長く・・・
     そういった流れを汲み取り、自分という人間を形成するのに、どれくらいの人たちが、関わりあっているか?
    という広い視野で観る・・・・というのが、哲学的でしょ?

     誰か、個人(対象)に集中しない。
     ですから、実を言うと、万が一、ご先祖さんが誰であるか?
     分かっても、
     「それがどうかしたの?」という次元に居て、探すという意識なので、
     それは決して、ご先祖の誰々を、馬鹿にしているとか、そのような事ではないんですよね。

     この点を理解するのは、

     何故?

     輪廻転生を、認めたくなる意識が自分の中に強いのか?

     あるいは、
     
     何故?
     輪廻転生を認めたくないという意識が自分の中に生まれるのか?

     自分自身で、自分の心に聞いてくださいね?

     自分の心です。

     経典に書いてあるから、、とか、どこかのご住職に言われたからとか、、
     いつも、いつも、外部からの情報ばかりに頼るのではなく、

     自分自身の心に自分で問いてくださいね。

     普遍化出来る超能力者というのは、尽きるは、未来へ目指しを向けていると思うのです。
     
     霊感がない人はいないようですよ。、(霊長類ですから)
     でも、霊魂の次元は違うようです。繰り返す途上で、進化するように努力を強いられるのかもしれませんね?心の進化かもしれません。何かが自分に足りないから、その何かを生めるためにこの世に生まれてきたのかも知れませんね?
     
     しかしそのような途上において、ある程度の霊感が強く、ある程度のデジャブであるとか観得て来ると、他者の問題の生じる原因が、その人の世界の人間関係の念に生じたり・・・・確かにあるようなんですね。そのような事を感じる事が出来る人も、出来てると思う人もマ〜色々現れてくるようです。

     そのような霊障問題が絶対ないに起きない・・とは言えないとおもうのです。・・
     問題はあるとか、ないとかの問題ではなく、

     そのような人に恨まれるような事を影で言ったり、意地悪をしない・・
     自分が言われたり、されたりして、嫌だと思う事は、他人にも知ってる人にも、家族にも一切しない。

     自分も我慢してしているのだから、他人や家族も、我慢して当たり前・・・・というような忍耐心を美化するような言説を他者に放つことで、自己弁護や自説を正当化するような他者や世間の普遍性を利用しない。自分自身で我慢したり忍耐心を鍛えるのは、周りの人がやってるからとか、周りの人と同じにしないと駄目だからと、親に言われたからとか、教義に書かれているとか、、、そのような世間の一般的な道徳律に、無理やり自分を型はめする事で、自分のアイデンテティーを、人工的に作るのではなく、自分自身の能動的で自由意志によるものだと思うのですね?自分自身の自由意志での、自制心であるか、忍耐心は自分に帰するのですから、他者に自分が良いと思う事が全て他者にも良いと思って、お仕着せ的になんらかの精神的なプレッシャーをかけるのは良くないでしょう?と思いませんか?

    そのような、一人の存在している他者の心や魂と精神的に従属関係を結ぶ事で何か?うまくいく事がありますか?
    自分にはあっても、他者にとっては、本当に感謝されてると思えますか?

    精神力は、他者からの抑圧を外からかけてもらう事のみで、頼るのは普通なのでしょうか?
    自分自身でしか、分からない、自分自身のみの魂や心を有している肉体だけが何故?他者に依存しないと生きていけないのでしょうか?
    西洋、東洋を往復する身にとって、どうも昔から良く分からない言葉に慈悲・・・とか  自愛とかいう言葉が存在する。

    慈愛
    ?、愛するとの違いはなんなんでしょうか?
    慈悲心をもつ? 慈悲ってどういう意識?慈愛ってどういう意識?
    愛するってどのような、感情?好きってどのような感情?
    愛すると、好きという感情の違いは、どのような違い?などなど・・・・人間の感情には、他者と感情を介す、心のコミュニケートをする事によって、心と心が通じ合うという、記号だけではなく、心のコミュニケートが確かに存在する。
    声を介し、心(魂)と心(魂)のコミュニケートが好きとか愛するという行為ではなく、確かに存在する。そのような心のコミュニケートを沢山の自分と違う人たちとまじ合う・・・・という経験なくして、どのようなコミュニケートを伝達しあおうとするのでしょうか?

    般若心経は、フリダヤ、、心の事が書かれているのではないですか?

     心が他者と通じ合うという言葉を介す 実践がなくて、どうやって、心 の事を、難しい教義や経典に書かれてある事だけをあっちこっち、あ〜言えば、こう言う状態の現れ方で、どのように理解してもらおうと出来るのですか?

       認識や知識だけでは、人々に納得させる事は無理だ!という
     事なのではないですか?

     人々の心は飢えているのではないですか?
     それを、自分が信じる信仰だけが、人を救えるという現れ方には、人々はうんざりしているのも、感じられませんか?

     そのような自分の姿を、他者を介して、どのように感じ、見られているかも、感じる事が出来ないほど、コミュニケートは断絶していますか?

    普遍の語源(ラテン語)は、UNI(一つ) + VERSEL自転、回転
         です。
     

    言語を同じする母国語の言葉だけを話す人同士だけが集まる一種の同民族が固まりたい意思・・・・介す事で、同じ感情や同じ意識の事を述べているのでしょうか?と常に思う。

    万が一、自分とまったく違う、自分の知らない言葉を話す人が、ニコニコ近づいてくる老若男女まったく関係ない世界がある。
    そこには、紛れもない、自分と違う他者が厳然と存在する。

    そのような、場にあなたが居合わせた時・・・・

     貴方はどうするのでしょうか?

     ジャクセプテゥ。  J'accepte 分かりました。受け入れます。

     友達の一人(日本人)は、
     
     この音素がとても、きれいで、死ぬまで 何回空に放てるか?

     と言っていた。

     ジャクセプテゥ。の動詞は、ACCEPTER アクセプテが原型。
     受け入れる、申し出などを、受け入れる。認める。迎える。耐える。引き受ける・・・などなど・・・

     同じ語源でアクセデacceder 行き着く、達する、受け入れる、聞き入れる
     もある。

     どちらも、acces(アクセ 仏語音素)場所へ到達する、通路、入り口
     接近、接触、面会・・・・・・を意味する音素

     空に放つ、美しく聞こえる音素には、必ず人間にしか育たない
     美しい、高い心の状態が必ずある。

     だから、

     その言葉が生まれ、放たれる・・・・

     人間が美しい心を持つから、言葉が生まれてくる・・・・

     その言葉を放つ事で、人間らしく生きたいと、美しい心を
     持ちたいと、、、美しい事に人々の心は、美しいものを、求めている・・・・

     その結果、それがなんらかの、信仰を求めているという言い換えは出来ても、
     逆の言い換えは、途上に生きてる限り、可能ではないでしょう?

     もし、それを放つっても、美しさを求める万人の心には、
     響かない、共感(響感)しないのではないですか?

     真、善、美・・・・の存在する世界に生きているという事ではないですか?
     
     
     
     

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月26日 04時17分24秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」

     自分の先祖を知りたくなる・・・という人達と、
     自分の先祖を知りたいと思わない・・というか、興味はぜんぜんわかないという人達の違いはどうして生まれるのかしら?

     と思いませんか?

     この違いにわたしは、いつもどうして、違いがでるのか、意味が知りたいと探求欲が、ムクムク生じる。

     生まれて、自分の近い他者と自覚しだすのは、父と母である、

     父と母は当然違う家系で育っているから、その違いが当然です。

      まず、第一に気になる違いが呼び方。

     わたしは小さい時から、両親の事を呼ぶ時に、
     「パパ」「ママ」と呼んで育ったのですね。
     両親自身が、相手の事を、パパと呼ぶし、母は、父の事を呼ぶ時、パパと呼んでいる。80歳の高齢の今でも、お互いそう呼んでいる。だから、わたしも実家に帰ればそう呼ぶという事が自然に身についてしまっている。

     だから、小さい頃、友達の家に行って、友達が、母親の事を「お母さん」と呼んでいるのを頻繁に聞くと、10歳くらいになると、
    友達達と話すときは、「うちのママが〜した」という表現をせず、
    「うちのお母さんが〜した」と、変えていた。

    何故?そういう事をするのか?
    というと、当時、学校に通う家族の平均の呼び方は、お母さんとお父さんという呼び方が平均的だったから・・・・と言う単純な理由。

    子供というのは、他者を認識するのは、差によって認識する。

    とくにあちこち友達の家に呼ばれていくと、どの家も、違う雰囲気の家庭があった。当たり前なのですが・・・子供はやはり育つ家庭の雰囲気に染まる。

    小さい頃、両親の実家に、週末になると家族で遊びに行った。

    前にも話しましたが、両親の実家が、子供の足で、歩いて10分の距離の間にあった。

    母方、つまり母の母(わたしの祖母)が住んでいるいる家に行くと、
    母は、自分の母の事を、「おかあさま」と呼んでいた。祖父は、母が結婚する前、若いときに他界しているのですが、たまに話題になるので、「お父様」と呼んでいる。

    祖母の家には、叔父夫婦とその子供が住んでいる。
    叔父は、わたしの母の弟に当たる。
    その叔父が、わたしの母を」呼ぶときに、「お姉さま」と呼んでいるのをわたしは知っている。つまり母方の家は、なぜだか、どこかのお公家さんの家かな?と思わされるくらい、不思議な存在のする家庭であったようだ。つまりこの母方の名前が渋谷なのですが、

    近くには、父方の実家がある。

    父に連れられて遊びに行くと、父方の祖父母が住んでいる家には長兄家族が五人住んでいる。7人家族の大家族だ。

    しかも、長兄の家族は、3人男の子だけだったので、次男の父には、初めての女の子にあたる、私は、長兄家族にとっては、まるで、お姫様扱いだったのをおぼえているのですが、わたしは、これが嫌いだった。

    しかも、父は、自分の母を、お母様でもなく、お袋でもなく、
    「ばあさん!」と@@呼んでいた。

     父親の事も「じいさん」と呼んでいた。しかし、うちの父だけが特別なのではなく、一緒にすむ長兄が自分の両親を呼んでいるのをきいても、ばあさんとじいさん だった。

    これには、正直、わたしも子供ながらにコケタ。

    なんで?自分の父親がいきなり「おじいさんは、山に芝刈りにの」爺さんになるのか?
     おじいさんならまだしも「爺さん」と呼ぶ目の前の父にびっくりした。

    仕方ないので、わたしは、父の両親を呼ぶ時は、中間をとって
     「おじいちゃま」か「おばあちゃま」と呼んでいる。
     今でも、父に話す時は、「おじいちゃま」であります。

     これを、なんだか品の良すぎる家族とか言われても、生まれて育った環境なのだからどうする事も出来ない。

     自分で呼び方を決めるわけではなく、子供は、育つ環境、人間関係の持つ雰囲気や接し方、立ち回り、話方などなどが大変作用しながら情緒を育てていくらしいのです。

     父の実家に行くと必ず言われるのが、
     祖母の言う

     「女の子は、ええ」であった。

     いったいどこの方便なのか分からないけど
    「良い」とか「いい」を、「ええ」と発音する人でありました。

    父方の祖母の話す、イントネーションは、父の話す日本語とは程遠いものがあった。しかし、父が、何故?自分の父親を呼ぶのに、爺さんであるのか、婆さんになるのか?のか?みかけはおじいさんやおばあさんに見えても、自分との関係を、外見で呼ぶとは何事なのか?と非常に思っていた。
    ところが、この現象は、小学校に行きだし、友達の家に遊びに行くと珍しくなかった。
    なぜか、大家族は、すべて呼び方が、一番若い世代、つまり孫からみた、人間関係の呼び方に全員が一致する傾向にあった。
    個と個の関係は精神世界では必ず独立してるはず・・・なんて言っても、訳は誰もわからないのでした。

    マ!それは哲学的な問題なのでしてここでは置いときまして、先祖の問題でした。

     渋谷にある金王八幡神社の神主さんに、渋谷の系図のコピーをいただいた。

     なんでも、渋谷氏の多くは、鹿児島に移動したそうで、鹿児島にはかなりの渋谷氏の家系を継ぐ家族が残っているそうだ。どうりで、何故?あの原宿渋谷に、鹿児島祭りがあるのか?理解できた。
    母にも、渋谷の出が九州の鹿児島であるという事もきいているので、かなり一致する。神主さんは、「渋谷氏の家系には、乃木希典や東郷平八郎もいますよ。」と家系図を見せて説明されてた。

    、東郷平八郎は薩摩藩だ。

    祖母は十年前に他界したけど、祖母は、決して愚痴を言う人ではなかった。わたしはそこが、小さい頃から祖母の好きな理由であった。祖父は、母が結婚するだいぶ前に他界しているので、写真でしか知らないが、祖父より、むしろ祖母の短歌を作る姿勢や、けっしてメソメソしない。それでいて人を、べたべた安易には近づけさせない、雰囲気があった。それでいて、いつもニコニコ、何がおかしいのかわからないが、いつも笑っている祖母だった。
    決して自分からは動かず、子供が何しようと、ほっとく祖母で、けっして孫の後ろを心配してうろうろついて歩くという祖母ではまったくなかった。いつも自分の場所から、ガンとして動かない祖母なのだ。
    その点、父方の祖母は、いつもわたしの後ろを歩いて、「あれはどうか?」、「これせんと〜」いちいち、孫のする事に口をはさむという人のようだった。
    まったく違う二人の祖母だったのだ。

    中学生の時に父方の祖母は、父の養母である事がわかった。つまり父とも私とも、血が繋がっていないのだ。それで、祖母の異様な孫への執着した態度に納得が出来たのだった。

    何故?
    こんな事を書いてるか?というと、
    当たり前と思われるかもしれないけど、わたしが生まれるのには、父と母が会わないとならない。父と母は、まったく何のゆかりも関係もなく、ただ、今世紀に初めて会った人達なのかしらん?
    よく分からないけど、このあまりにも違い過ぎる家系の差をちじめるのに、私がうまれたのではないか?とも自分勝手に自分の生まれた存在理由など、口実をつけるわたしであった。

    こんな事を色々愚考している。最近のハワイに散骨する人たちとの交信が頻繁なのも、渋谷氏の家系の東郷平八郎の関係なのかしら?
    そういえば、
    フランスには、フランス海軍の誇る大変大きな母艦がある。この前も、この母艦に乗る事を誇りとする海軍兵の家族達のエピソードを見たばかりだった。フランス海軍の母艦の名前は、ジャンヌダルクと呼ぶ。
    ジャンヌダルクは、フランス海軍兵に誇りをもたせ家族から遠い世界の果て、任務に就くこと、優雅に世界の海を何ヶ月も渡って走る。
    「パパは、ジャンヌダルクと共に働いている」と子供が話す。

    東郷平八郎はハワイとどのような関係があるのだろうか?
    色々直感を張り巡らせていた。
    いやいや、そうではなくて、

    東郷平八郎自身ですね・・・あ〜〜やはり・・・・
    ジャンヌダルクと同じ命日だった。

    そんな事だった・・・

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E



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  • from: 沙羅さん

    2010年11月25日 23時52分01秒

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    「Re:Re:Re::地球 ひとりある紀」

      「それでね?うちの娘、今失業中なの。
       彼女、すごく落ち込んでて、、、なんとかならないか?
       と主人に話してたのよ」 Mさん

    「 大変だね?香港と言えども、世界中不景気でしょう?
      フランスと香港と両方、働きかけたら?
      フランスには帰ってくる気はないんだっけ?」私


    「云!それで、ムニエ氏の処に、今頻繁に行くじゃない?
       娘が、失業中で落ち込んでいるのだけど、MAGNETISME でなんとかなりますか?・・・・て、うちの娘の写真持ってたったの」Mさん

       「ふ〜〜ん・・・・・・」私

     「そしたら、ムニエ氏は、娘の写真を見て、
      Elle a une arthrose sur le cou? て言うのよ。」Mさん

     「彼女は、首に打撃性の間接疾患もってますか?」と、Mさんに聞いたという。

     「 娘は昔、車の事故で、ムチ打ち症を患って、3,4ヶ月ずーと、首にコルセットつけてたのよ」Mさん

     「 香港にいる人とか、関係ないのね?DISTANCEは」私

     「それで、どのように、ムニエ氏は、フランスの山奥から、MAGNETISMEを、香港にいるMちゃんに送るのかしら?」わたし


     「彼女の住んでるところから、山が観えるのよ。
     山って言っても、香港だから、たいした山じゃないけど、
    そこは、車でもバスでも行けるの。

     うちの娘、めんどくさがりやだから・・・運動好きじゃないでしょ?行くんなら、すぐ、ドライブ、、、って感じじゃない?・・・

     そしたら、同じ、アパートメントに住む、人が、{あの山は、ここから歩いて行けますよ。}。って言ってきたから、
    ママン、、、その人とほとんど毎日、その山の頂上に歩いて往復してるって、言ってきたのよ。」Mさん

     「ねえ〜?貴女が、ムニエ氏の処に行って、彼女の写真を見せた事は、娘さんには話したの?」わたし

     「ううん、話してないわよ!」Mさん

     


     実は、医療と信仰は別にしてもらいたい・・・と述べたのは
     代替医療は、やはり医療なので、科学でしょう・・・・・

     この線をあいまいにすると、

     神経症は、〜信仰で治ります・・・と述べる人がでてくるのは、
     やはり、社会的問題だと思うのですね。

    問題は、どのような超能力者も、体験があり実力があり、実際になんらしかの実践に至れるのならいいのですが、
    それは、患者と医者というような治す人、治される人の関係までの線をしっかり引く。

     信じる人、信じられる人の関係が、病気を治すという目的に帰属する事を放つ時、医学の立場を信じて働いている人の事も考えないとならないのが、今の世の中なんですよね。

    両方が、お互いの分野でお互いの事を一生懸命してくれればいいと思うのです。あとは、真ん中にいる私達は、INDEPEDANT,,,
    真実や本物を見る目を養うでしょうかね?
    テレビで有名な超能力者のところに行って、たった、3分の話し合いだけだった・・と感情吐露自分のブログに書いてる人も結構いますけど・・・・

    いつまで、頼っているのでしょうか?と思うのですね。
    自分で頼って、遠くまでいかされ、期待はずれだったからって、不満を述べる・・・
    結局、不満を述べる事が生きる糧になっているのでしょうか?と思ったりしました。


    どちらにしても、地球全体は、混沌かして見えますから、今は正念場みたいですね。今ちゃんと見る目を養わないと・・・と思います。

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月25日 07時28分31秒

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    「Re:Re::地球 ひとりある紀」

    記憶というのは、ホントに不思議ですよ〜・・・・

     アメリカのミシガン州に住む FRANCESと、わたしは約一ヶ月、パリのゼネストの期間中一緒に 居た事になった。

     ホントに色んな、信じられない事が次々目の前を繰り広げられた。あのマトリックスの映画の主人公みたいなのだ。

     
     私達は11月1日、パリの地下鉄に二人で乗っていた。
    11月1日は、TOUSSAINT トゥッサン と呼ばれる万聖節で、
     死者達への弔いの日。いわゆる西洋的なお盆です。
     呼び方も、TOUS(全部)+SAINT(聖)なので、表記を見るとフランス語が分からなくても、だいたいの意味は見えてくると思うのです。
     地下鉄は、休日にも関わらず、結構混んでいた。
     11月1日の地点では、FRANCESのお母様は、なんとかアメリカに
     点滴をつけた状態でも構わないから帰国出来ると信じていた。

     それが何ヶ月後になるか分からなくても、とにかく異国の地でこのような事に会う事、FRANCESの仕事もある、いったい何ヶ月かかるのか?いったいアメリカに帰れるのか?
    最初、病人の状態が、危篤を脱し、安定状態に入り、あとは機械付けで生かされると、毎日機械によって生命は維持される。そんな状態で、私達は、病院とホテルの往復だけを毎日くりかえしていた。
    病院にいっても、病人は、昏睡状態に近い、口には、大きな酸素吸入の管を突っ込み、身体からは、20本くらいの管が出ていた。ベットの横には、重そうな大きなタービンが回っていて、血液がぐるぐる回っている。頭の後ろには、心電図の画像や、心拍、呼吸数、血圧、全ての数字が一度にわかる画像があり、左には、10本くらいの獣医さんが馬にするような太い注射器が縦列に並び、ピストンが自然と押されて、注射器のアドレナリンが自然と心臓機能の低下をしだすと、自動的に注入されるシステムになっているようだった。隣は、ナースセンターなので、病室の機械の異常音は、全てナースセンターに直結されている。
    心電図のブザーが鳴りだしても、誰も来ないのだ。いやナースステーションに看護婦さんはいて、もちろん聞こえているというのがガラス張りで出来ているから、室内からでも見える。どうも、本当に、異常な音は、ただのブザーの音ではないらしい。



    知らないと、ただのブザーでも何か起きたかと思うじゃない?と
    このブザーという音は、ホントに心を波立たせるよくない音だと思う。もう少し、せせらぎの音とか、鳥の声とか、もう少しなんとかならないか?と思うのだが、、、ここがパリで一番大きな病院で、しかも心臓循環器病棟のしかも生死を彷徨う人間だけが入院している重症な病棟だという事はすっかり忘れていたりする。

    いや、そのような、考えを張り巡らせないと、まわりの重苦しい雰囲気に精神状態が、どんどん緊張感に耐えられなくなる。
    特に、FRANCESは無口で、あまり表情を出さない。
    感情的な人ではないので、返って、こちらが彼女の気持ちを分かろうとするのに、余計頭を働かせる。

    しかも菜食主義で、アルコールも何も口にしない。
    お腹空かないと 言うだけで、外の空気を吸った方がよいと思うのに、ズーと母親のそばを離れない。気持ちは分かるが、食事もせず、ズーと病室にいる。反応はしないけど、わたしが家で録音したアイポットに入っている好きなアベマリアを、イヤホンを母親の耳に入れて聞かせてあげる。片方をFRANCESは自分の耳にいれて、親子二人でアベマリアを毎日聞いている。

     彼女は、母親の家に帰ると、母親が好きで聞いていたアベマリアの歌が流れる母親と一緒にいる空間を体感しようとしていたのだと思う。
     その姿を見て、
     初め、地下鉄の大道芸人が、アベマリアを歌いだしたとき、ホームで待っていた、フランセスがポロポロ、涙を流しだして、私は、平常心を失った。
     「いったい、何が?起きたのだ????」
     その時に、わたしが、この親子の秘密を知ったきっかけだった。

     教会に一度もいった事も、ミサも行く事はない信仰がある訳じゃないし・・・というフランセスの説明を聞き、それでも、母親は、何故か?聖母マリアが好きで、寝室には聖母マリアの像もあると話す。
     信仰があるという意味は
    、なにも教会に行って、胸に十字を切る人だけが、信仰がある・・・という表現はできるのであろうか?

     「パリのノートルダムに是非とも行きたい」・・・・長年の夢がやっとかない、やっと2007年の秋に、叶えられた、、、初めてのパリの旅行は死の旅だった。

    いや、今思えば、聖母マリアに会いにパリに来たのは、霊の旅の途上ではなかったのか?

     最後に手中にした、同じ聖母マリアの1ユーロのお守りのカード、、、この親子が、同じカードを手にしたいと思わされるのは、紛れも無い、聖母マリアのお守りのカードだった。

    この親子が、無意識にする行為に何も意味がないはずがないであろう?しかも無信仰の親子なのだ。

     少し、再度、説明しますと、
     二人で念願のノートルダム寺院を訪問した時、
     母親は、自動販売機で1ユーロで売っている、聖母マリアのカードを買いたいから、1ユーロはないか?と娘に聞いた。
     娘は一枚の1ユーロを、母親に渡した。
     翌日、母親は疲れたから、ホテルで寝てると言った。
     FRANCESは、それじゃ、ルクセンブルグ公園に一人で行ってくる、、、といい、ルクセンブルグ公園に行った。
    帰り、地下鉄に乗り、ホテルまでの、エコールミリテール駅へは
    サン、ミッシェル駅で乗り換えなければならない。
    サン、ミッシェル駅で、乗り換えをしようとおもったら、何故か?地上へ出た。

    目の前に、前日行った、ノートルダム寺院が、視界を塞いだ。
    「あっそうそう、、昨日1ユーロ、一枚しかなかったけど、今日はあるから、自分用に同じ聖母マリアのカードを買いに行こうと思い、又、ノートルダム寺院に無意識に彼女は聖母マリアのカードを買いに行った。

    つまり、彼女は、ルクセンブルグ公園から、エコールミリテール駅へ、まっすぐ帰るつもりでいたのだ。ところが、何故か?地上へ出た・・とFRANCESは、173センチはある長身で細身の手足を、大きく広げて、ノートルダム寺院が目前にあったと、わたしに大きなしぐさをして伝えてきた・・・・

     わたしが、アメリカから知らせを受け、翌日朝でかける直前に、ハタっと目に入った、暖炉の上にいくつかあった、Iさんから頂いた、不思議のメダイユを二つ握って、パリに向かった事は述べましたけど・・・・・・

     普段会話もしない、殆ど見ず知らずで今まで生きてきた、遠いアメリカとフランスに住む、、人間が知らない場所で無意識にさせられてる行為があるのです。

    パリに行って、会っても、すぐには、メダイユは渡さなかった・

    いやむしろ、信仰があるかもわからないのに、いくら生死を彷徨っているからといって、聖母マリアがパリに出現したメダイユ名の・・と言って、わたしが自分勝手にあげていいものか?悔やまれた。だから、ずーとハンドバックにしまってあげるのは辞めた。

    自分が良いと思ったからって、人は迷惑である時もあるであろう・・・しかもこういう物は、デリケートだ。食べ物をあげるのとは訳が違う。しかも状況が状況だった弱い立場を利用して、何か人に上げる自分も反対に同じ事されたら、嫌であろう・・と思うのである。

    しかし、最近は少し考え方を和らいだ・・・・
    お守りはどうしても心や思い、または念が入るのではないか。本当に誰でも・・・もらう、、なんでもあげる・・・という態度は慎んだ方がいいと思うけど、、、本当に難しい。わたしがくれるものを、断れない性格だから、人には迷惑な行為はしたくないというブレーキが余計にかかる。それではしてあげたいという事はあるのか?
    これは個と個の関係の質によると思うのです。
    あまり神経質になっても・・と思うけど、、

    日本では、お寺や神社に、商売繁盛のお札まで売っている・・・・

    なんでも、あればいい、何でも売れればいい・・・みたいな、扱われ方や接し方、存在の仕方をつづければ、当然他者からも同じように扱われるだけだと思うからなのですね。

    そんな事を考えたら、いきなり、大道人間が歌う、アベマリアの歌に、FRANCESが泣き出したのだ・・・・

     いったい、なんだというのだ?

     ハタ!と思って、ハンドバックにあった、聖母マリアのメダイユをあげたのは言うまでもない。

     こういう展開は普通に、生じるのであろうか?

     しかも、、翌年には、大宰府に行ったR子さんから、初めて会いにいった霊能者に、「貴女、何か、お守りを身につけてるでしょ?」と言われた・・・・と私に、不思議のメダイユの事を言ってきた。

    こうなると、わたしはすごく、このメダイユの宣伝をしているみたいで、恐縮するのですが、本当にあった事だから仕方ない。
    それだけではない・・・
    他にも、気になる事が智ちゃんからも言われてきた。

    それで、話は病院での生活・・・


    集中治療室は、全て個室で、個室と言っても、殆ど自覚症状が無い状態、生死を彷徨っている病人、葉借り、、、、もちろん食事やトイレに行くというレベルではなく、機械づけの患者さんの部屋が
    40以上もあった。簡単な手術も、その部屋でする。患者を動かす事もままならないのだ。
    お見舞いの人も、良くみると、ただ眠って何も話さない患者の横に、ぼ〜〜と座って、一日中いる・・という感じらしかった。
    病室に行くには、ガラス張りの廊下を、グルット外回りに回っていく。病室は、どの部屋も手術が出来るくらいかなり広い、一応各室テレビもついているし、電話もあるのだが、もちろんそこは集中治療室なのですね。

    時たま、ベッドに座って、テレビを見ている患者がいると、ドキッとする。

    それほど、回りの重苦しい病室の雰囲気から、かけ離れてしまっているのだ。

     11月1日の万聖節の日、地下鉄を乗ってると、
     FRANCESが、視線を遠くに向けて、 「WHAT HAPPEN?]
      という音を放つ。
     9月4日、、という駅が、オペラの隣にあるのだ。

     しかし、共時態の表現は、
    「ホラみて?9月4日という駅があるでしょ?わたしの誕生日よ!・・おかしいね?」という表現は分かるけど

    「WHAT HAPPEN?]という通時態で彼女は表現してきた。

    これでは、私達が置かれている状況は全て夢物語の途上・・・それで、今度は、何が起きたの?」状態・・・・・

    まるで、現実感がない音を、空に放つ。

    わたしは、もちろん、意味が分からないから聞く、

    「何が?WHAT HAPPEN?なのか?」

    語る主体へ、呼びかける・・というような質疑応答を地下鉄の中で

    何が?を

    を聞きたくなる。

    だから、わたしはずーと彼女の誕生日が9月4日なのを覚える事になる。その後、何週間かして、智ちゃんと同じ日なのを思い出すが、もちろん、智ちゃんのお母様は健在である途上に起きている。

    ところが、翌年わたしが、FRANCESに、9月4日に、「お誕生日おめでとう」のメイルを出すと、

    何故?わたしが覚えているのか?不思議だと言う。

    つまり此処なんですよね。

    無意識に放たれる、通時態の音というのは、本人の真の意思から生じてる音なのだろうか?
    私に、気づかせる何かの縁起がかかっている音ではないか?といつも思う。何故なら?

    わたしは音に敏感だ・・音の発信元をすぐ探す・・・・

    FRANCESがわたしの思考の癖を知るはずもなく、しかも当の本人は、パリに9月4日という誕生日の駅があることなど忘れている。

    ま!忘れるから、人間何も考えずいきられるのかも知れませんが、因果とか縁起とかいうのは、放たれた、言葉、や音、、忘れてたら、何も分からないんじゃないですか?
    分からないと、全部受動態という意識で、何もかも受信する慢性化して、受信しても何も感じない、、豊満状態で、誰が、何をいったかどうかすべて意味より、言われた事だけをやればいいんでしょ?状態と化す。・・・・マリオネット化ではないですか?

     共時態での、お仕着せは、権威的なものだと思うので、何が意図があるのでは?
    それは自然な関係ではないから、欲が、からまった人間関係だと思うから、近づかない方がいいですよね。

    もっと、純粋な目で純粋な心を観れるように、自分自身で自然に接してくださいね?

    という事で、何を書きたかったか?こういう事を書きたかったのか?良く分からないけど、眠いから寝ます。

    おやすみ〜〜」





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