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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: yeshangさん

    2011年09月29日 20時46分01秒

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    「Re:「実感」、「体感」、「共感」について(追記)」
     実は、夢の中でも実感、体感、共感しているではないか?。

     それは、夢の中では真実だったのであり、この世も命を終えてみると夢の中のように実体のないものだったということがありうるかもしれない。

     しかし、そうではあってもこの世の中でのものごとはそのまま認めて、例えばこの世の真善美は真善美と認識してそこで、その時空の中で生き抜けばよいのではないか? 

     親鸞が「法然に騙されていても・・」と言ったようなあの世にまで持っていけるものができれば更に素晴らしいこととも思えます。

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  • from: yeshangさん

    2011年09月29日 19時13分59秒

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    「実感」、「体感」、「共感」について

     「実感」、「体感」、「共感」がその物を知る・理解する必要条件になる考えています。

     若いころは哲学・宗教の論理・教えについて無理やり・力づくで覚えこみ・理解したつもりになって話を展開しようとしていたところもありました。

     A=Bとは思えないが、B=Cもしっくりこない、しかしこの論理ではA=Cになる。しかしA=Cとは思えないが、そうなることにはなる。論理的には間違いではないが、どうもしっくりしない、実感、体感がない、共感が起こらないがその道の大家、権威がそう言っている。

     極端な例としては、昔、全学連や学生運動家ががなり立てていた言葉や立て看板の言葉に、そうかもしれないが、どこかおかしいが、といって論理的には間違いがない、しかし実感、共感が起こらないと言ったものが多くありました。

     「色即是色、空即是色、受想行識亦復如是」もそうかもしれない、そうであろう、そうと考えられるまでは行くが、実感、体感まではできない。

     六波羅蜜、八正道を手掛かりに、本当に体感、実感、共感が起こるまで待つしかないのであろう。

     体感・実感・共感を得るには実際に行動し、やってみて、見てみて、真剣に考えるほかないのであろう。

     具体的にどうすればよいのか?残された時間はそんなにない。

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  • from: yeshangさん

    2011年09月28日 21時27分35秒

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    「ひらめきとは執念」について

     横浜に日清食品の「カップヌードル記念館」ができたとのニュースがありました。施設はインスタントラーメン関連の博物館であり、チキンラーメン製造の実習もできるとのことでなかなかおもしろそうです。

     それに関連してチキンラーメン、カップヌードルの開発者、安藤百福氏の話がテレビでされていました。百福氏は苦労と貧困に負けずチキンラーメンの開発に成功したのですが、その成功については「ひらめきとは執念」と言っています。

     ニュートンの万有引力(リンゴの落下からひらめいた)、湯川秀樹の中間子(確かベッドか夢の中でひらめいた)、アルキメデスは風呂の中で浮力を発見したなど、松下幸之助の二股ソケットや自転車のライトなども簡単に、偶然にひらめいた、発見したようにも思われますが、実はものすごい執念がそれを可能にしたのでしょう。

     書店に「引き寄せの法則」とか「願望は現実化する」、「想像することが実現につながる」といったようなタイトルの書籍が多くあります。
    あながち眉唾ものとは言えません。

     ランダムにばらまかれたアルファベットを見て、自分が興味を持っている文字列(犬や猫の好きな人はdogやcatが、私のようにパケット通信に関心のあるものにはpacketなどの文字の並び)をすぐに見つけ出してしまいますし、待合室で他人の名前の呼出しには無頓着だが自分の名前が呼び出されると新聞や本に夢中になっていてもハッと気づくことや、新聞を開いたとたん関心のある項目の記事がさっと目につくなど日ごろ関心のあることはすぐ見つかる、見つけられる、現れるように思います。 まして執念を持って取り組んでいれば、ちょっとしたヒントに出くわすとすごい発見や発明につながるものと思います。

     日ごろしたい、行きたいと思っていたものや場所についてもちょっとしたニュースや記事、広告などにも敏感に反応して、実現につながりやすいのだと思います。

     コインや切手、おもちゃから骨董まで日ごろ関心を持っていると結構それらのものが集まってくるものです。何気なく気になって買ってしまう、そういったものの集まっているところに足が向く、珍品や希少品がすぐ目にとまるなどもあるでしょう。

     関心を持ち続けていれば、更に執念を持って取り組んでいれば、”ひらめき”というものに向こうからもこちらからもぶち当たってくるのでしょう。
     

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  • from: 沙羅さん

    2011年09月27日 17時47分31秒

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    「Re:世界ーuniversel」

      前から、何度か同じ現象を 見る度に、思う事がある。

     その一つに、 フランス語の FRATERNITE フラテーニテ

     と言う単語<音素>

     が、 日本語に訳されると、何故か?

     博愛、、、という漢字の語に 訳されているのを、時々見かける事がある。


     私達が 学生の頃思い出す。中学生だったか、、、あの歴史の教科書の中の押し絵、、多分バスチューユへ向う民衆の大群かな?

     民衆は とうとう怒ったのだ、、人々の上に覆い被さるヱスプリ圧制政治に、、、、

     何を、求めたのか?

     当時の権力者[王政]という決められた対象へ  人々の意識は打倒へ向かった、、、という対峙世界の出来事に見えるけど、それは3次元世界の表現力の限界がそのようにしか<しかを強調>表記出来ないのでしょう?

    何故?

    そのように、無力であったはずの 大衆が、何かに向け  「これではいかん!」、、、、民衆の心にくすぶっていた 種火が、一気に燃え上がる、、、怒りの種火を抑えながら生かされていたそのような大衆や民衆の心の存在を 忘れた場所で、権力者が圧制?いや一応 政事をしているつもりでいるらしい、、

    話しは変わりますが

    他者理解に結びつかない、心不在のコミュニケート、なんというのでしょうか?テレビ画面を見て政治家の 全体像の回りから立ち上がる雰囲気、立ち振る舞い、声のトーン、表現力、全て感覚的に捉えると

    自分では一生懸命政治をしているらしいけど、何処まで 国民の感情や心作用を察知できる事が出来る能力があるか?というと、、、

    たより無さ 感じますよね?、これでは、毎年、総理大臣が変わる、、、、、国、、、、、と言われて久しいのだけど、、、

    いったい、どうしてこんなに頻繁に とっかえ、ひっかえ、、みたいな モノの扱いと 総理大臣の接し方が同じような現われ方になっているのでしょうか?

    かみ合わせが出来ない、歯車 がバラナラに 回っているようなイメージが浮かぶのですが、、



    国民には、いつも、上からのお仕着せにしか感じられない?、いや、表現を変えると、国が何かしてくれると思う、、という依存関係なんでしょうか?
    どちらも同じ同質の想念をもつ人達が造る、同じ世界観ですから、、

    何故かな?

    他者に頼れば、他者も自分を頼る、、<因果応報>

    この依存関係の中で、
    結果が得られなければ、、

    怒りは、他者に向うか、
    自分に向けるか、 どちらかしかないでしょう?

    二つの方向しかないのですよね?

    風水のロゴを、見れば 一目瞭然ですよね。

    ここに 中道思考や、どっちつかず、、右や左、どっちもつかず、、
    という態度は取れないでしょう?と思うのですね。

    全体を観て、総体把握してみて、 重心が どちらかに 傾いている場合は、反対側 の受け皿に、重りを乗せないと、秤の 重心は中心を指さないのですから、、

    つまり、全体、総体 自分を含む 世界観、外から 観る事が 
    まず 一番重要に思うのです。

    万が一、存在出来ない方向へと ジワジワ 進んでいくのを、指をくわえて観てる事は出来ないでしょう?

    そして、その総体、全体の重さの 重心が何処にあるか、

    直観で見抜く、、、

    この直観 ですけど、、、なんと言うのでしょうね、、

    時間と空間を 断ち切る 閃光の ような 意識なんですよね。

    数学には、証明という 時間を追いながら、ひとつづつ、解き明かす、考え方がありますけど、、、

    あの、説明や解き明かす為の時間、理路整然と説明しようとしているらしいんですが、、、

     その行為自体が、他者に納得してもらいたい、、、という他者に何かしら、合意を得たい、、という意識があるのでしょうね、、

    それがないと、自分の存在の 意味が見つからないのですから、それは人間の自然な行為なので、仕方ないですよね。

    しかし、本当は、そのような次元での、書いたり、説明したり、言説はなったり、

     そのような 行為は必要ない 次元で 体感してしまっているのでしょう?

    直観というのは、観たくて観えるというものではないでしょう、、

    それは やはり 人知を超える何ものか?の いたずらなのか?意図なのか?、、、直観は、それこそ、りんごが、木から落ちる 方向に 気つかされる、、、といった、

    思考の方向<SENS>
    に、 気 がつく、、という何でも ない 日常の 会話や、日常の普段の生活に ありとあらゆる メッセージが含まれている、、という感じなんですよね。

    何も、高校や大学に行く必要はなく、 子供や赤ちゃんの時の、あの 無垢な 心の目指し にあると思います。

    大人になると、心が汚されてしまうのでしょうね?

    大人気ない、、とか言って ご高齢の恋慕や 異性を思う気持ちに、自己判断する風潮や、婚姻関係、以外の異性に 気持ちが惹かれる事を、すぐ 不倫 という 音素で いかにも悪の意識と判断するでしょう?

    そうではないでしょう?

    どの人も、異性の意識を 惹けない存在になっては いけないでしょう?

    しかし、それはなにも、誰でも性的関係を結べばいいと云っているのではなく<結果>

    そのような性に生まれるのは、異性に惹かれる為に生まれてきたとしか考えられませんか?自分がこの世に存在したのは、そのような過去の人達の 欲望を 貶したり、険悪視する、、そのような意識では決して問題解決できないと思うのですね。

    あるものを、無いように 見せる事って、不自然でしょ?

    不自然だから、親密関係を求めるのでしょ?

    何故なら、親密関係が、お互いを許すという依存関係で、結ばれてしまっていたら、いつまでも、密室化、隠蔽化 された 人間関係だけが、自分の我欲を許してくれると思い込む、、、
    自分も相手の 我欲を 許さないとならなく立場におかれてしまう、、

    そのような、人間関係を繰り返し、繰り返し、させられる、、という
    終わりのない 人間関係の想念世界ばかりに執着するのではなく、、、

    同じ人間関係を造るのでも、依存関係という質ではなく、未来へ繋げる事の出来る 未来性の観える、人間関係<愛情関係>を造りませんか?

    話しがだいぶ、外れたけど、、

    昨今の 不倫という言葉<音素>ですが、、

    現行されてる 夫婦関係の精神的な問題が、不満を覚え、その はけ口が、他者に向ってませんか?つまり代変者を求めてしまっているという関係でしょうか?

    身体的だけの欲望の解消といった、心の付き合い方だと、自分自身も、家族から モノとして扱われませんか?

    お金は大事ですけど、お金を稼ぐ人は誰でも同じ、子供育てるのも、家の事をするのも、誰でも同じ、、という考え方をしだすと、自分も他者から同じように判断されて、自分の 個としての、唯一無二の存在、魂のアンダンテティーを失っていく、、という方向に現れませんか?、、、



    他者を求めるという意識にも二つあるでしょう?と、思うのですね

    自分にないモノを、自分に絶対的に欠けているものを求める意識と、


    自分の感情が、満たされないもの、満たしてくれる、、、肉体的にも精神的にも癒してくれる存在を求める関係を求めるのと、、、

    思うのだけど、、、

    肉体の欲望と魂を存在させてる希求運動
    とは、、、別に考えた方がいいと思うのですね。

    この微妙な違いの差を、表現できる 表現能力が必要に思えるのですが、、


    色々書いたら、変な方向に行った
     
    それで、もとい

     
    フランスの国旗の3色の意味は 何でしょう?????

    と中学生の頃 先生が聞くと、

    自由、平等 までは、いいのですが、 白 は 博愛 と教わったし、そのように書いてある書物が昔かなりあったのですよね?

    でも、国の標語 マリアンヌが 立ち上げた トリコロールの色の意味は、
    FRATERNITE で 友愛 が昔からフランス語の意味として、通じてきた 正しい意味だったのだけど、

    これが、日本語に変わると、 友 という大事な意味あいより、博愛という 何故か?愛が強調された 単語に訳される。

    これは 昔から、興味深かった、、、そういえば、好きなジャック、アタリの本の題名?日本語では、友愛が博愛になっていた、、と聞いた事がある

    友 という 意識が 根つかない国土だから、博愛にしてしまったのか?
    よく分からない、、

    博愛の方が、友愛より、 高貴そうに 判断するのか?よく分からないけど、、、

    そういう事ではないでしょう?と思うのです。

    友として、他者を認めよう、友として 愛そう、、、

    博愛が、ただ美しい、、という単語の意味の重さが標語に変えるのではなく、

    マリアンヌは、友として全ての皆を愛す、、友という存在は 決して、軽く扱っての意味あいにしてはいけないのですよね、、通時態<シニフィアン>として、言葉を放つ、生きた人間なのですから、どうしても、未来に向け、、どのような意識をもたされているのか?それは、やはり FRATERNITE 友愛 の 音素の 意味の重さを感じ取る事が出来るか、出来ないか?それは民族が生かされている土壌に根ざす、エスプリに関与してくると思うのです。

    人生途上の出会いは、、最初、友として会わされる、、

    何故?

    それは、やはり、人生途上で会わされる なんらかの 因果や縁起が生じているのでしょう、、

    でも、このマリアンヌ<白>が向いている方向は、赤なのね?

    何か、意味があるのかしら?

    しかし〜、、フランス革命から、300年以上経っているけど、、、魂の次元を上げる、、というレヴォルーション<自転>

    時間を 無駄に過ごしてきていないでしょうね?

    各人、各人、自分自身の問題ですから、誰も 助けてくれませんよね、、、

    だから自由なんでしょうね。

    何でも許してくれる、なんでも自由に出来るのが 自由<〜の逃げ>という理解での意識ではないでしょう。

    自由を得るのには、大変な時間と代償や犠牲、命までも、引き換えに歴史をくぐってきているという事だと思うのですね。その時間と空間の重さを感じる、、という事だと思うのです。 





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  • from: 沙羅さん

    2011年09月26日 23時27分27秒

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    「Re:Re:Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

     知り合いのピエールが、わたしに ある本をくれるという。

     「何の本?」私

     「 イヤサ! 日本では、自然治癒力や代替治療や、予見や予言する
      霊能者流行で、テレビにも、レギュラーで出演する人達が、、いるけど、フランスは、そこまで市民権はないし、あくまでも、科学唯物重視の価値観を持つ人が多い、、、て話してたからさ!

     ヴァチカンで公認されてる、霊能者達の存在知ってる?」ピエール

    「知らないわ!」私

     「 彼が 出した本があるんだ、、霊体や霊魂や先祖の霊と交流する、

      ヴァチカン公認、、、と書かれてあるよ』ピエール

     「ふ〜ン!、、ヴァチカンも、そういう動きを認めない訳にはいかなくなったのかな?』私

     イギリスはフランス以上に、精神世界に興味を持つ人が多いようなのです。

     フランスの動きはどうかしら?

     テレビで見る限り、、知識人や文化人たちは、私的な関係になれば、誰もが芸術の理解や存在の必要性を一番説いてくる。
    表現悪いけど、ないモノねだりみたいな探求されるものが、芸術や文化の存在になっているようなのです?。

     誰にでも、芸術的な才能は備わってきているのではないですから、、

     むしろ、芸術や 文化的なことに興味がない人間、知識や認識だけで、人間的な感情や人間的な繊細な心の動きというものにすごく価値観をおいている、、、というのが、むしろ知識人や文化人達なんでしょう、、

     政教分離で、フランスはいきます、、

     と、自由、平等、友愛、、フランスの掲げるテーマですよ〜、、

     トリコロールの旗が靡く 、 自由、平等、友愛 に同価値感をもつ 共存社会を作り上げる、、

     300年前、革命を世界にさきがけ起こし、存在し続きてきた フランスの将来に不安を感じないフランス人はいない。、、

      フランス語というのは、使い方、表現の仕方で正反対の意味を繋げていく、使い方で、含む意味には、柔軟性がある。

     どのように捉えても 自由だから、自分で考えなさい、、

     という 接し方らしい。

     そのかわり、他者の集まる世界で、普遍できるかは、自分の責任である。

     誰も 助けない。

     アシスタナ ASSISTANAT という言葉があるのだけど、、

     アシスタント という意味と同様、、

     しかし、これは、誰かを助ける、誰かの補助をする という意味で使われるのではなく、軽蔑的な意味で使われている、

     誰かの助けをいつまでも待っている、、
     誰かが、手を伸ばしてくれるのを、いつまでも 待っている、
     
     という受身の意識を、現す時に放たれる、、

    むしろ、自主的になんらかのアクションを起こす時にしか、人々は手を貸さない、、という意識らしい。

     何しても、自由だから、そのかわり 自分自身で 人生に大切なものは、自分で見つけなさい!、、、という精神世界での、自立の上での自由なのだと思うのです。

     だから、他者が明らかに、変だと思う事をしてても、ほとんど、何も云わないし無反応であるのです。

     自由に何をしても、何を言っても、問われないけど、誰も興味は しめさないし、誰も、振り向かない

     むしろ、心に訴える、心にコミット出来ない、言葉を放ってはいけないでしょう、、という地点にあるらしい。

    世間に放てば、誰かが、呼応したり、反応すると思っているのが、アシスタナ、、という言葉の使い方なので、

    本当に この世の理を感じる事の出来る人は、その地点で 行動を起こしているのではないのですよね。

    やはり形而上世界での、動きや普遍性をちゃんと分かって行動を起こす事が出来る人達がいるのですよね。

    ピエールは、悲観主義PESSIMISTEでわたしは、どちらかと言うと、楽観主義OPTIMISTEだ。

    よく、この違いの話しになると
    「性差の違いだろう?」と、男性諸君は、分析するが、これは否めない。

     男性は、その場限りの人生、、と思うような身体の構造なのでしょうね?

     子供を産む、、という事は、自分の分身が確かに、土地に根を生やして広がって、根を地中に伸ばしていく、、、というイメージが確かにある。

     だから、死が最後? という考えに 結びにくい、、、

     へその緒で繋がっていた物体が、確かに、死後も存在し続けている、、、というイメージが、離れない、、

    なんというのだろうか?よく分からないけど、、

     誤解されるのを、承知でいうと、子供を産んだ経験があるのとないのとでも、人生のある方向、、導き方も違うかもしれない。

    そうでなければ、阪神大震災の時、両親を失くされ、18歳の女性だった被害者  6,7年後、ある異性と知り合い、子供を産んだ瞬間に、一気に今まで我慢させられてきた、ピンと張り詰めてきた、何かが、切れてしまい、心の奥底から 怒涛のごとく、泣き声が産室から聞こえてくる産婦、、、

    「お母さんに会いたい〜、、おとうさんに会いたい〜」いつまでも、泣き声は、泣き止まなかった。

    今、母親になった瞬間に 彼女の心にのしかかる想い、、

    若い、ご主人が、「自分のほんとの気持ち 今まで封印してきたんでしょうね!」と 、、奥さんの 泣き声を聞いた途端、目から涙をこぼしていた。

    両親の存在が アット いう間に居なくなる。

    辛くても、一言も、誰にも その辛さを述べなかったのであろう、、


    自分が、今度は 母親になった瞬間、、、

    今度は、自分が、阪神大震災で 死んでしまった、母親と同化してしまうのだ。

     出産の体験というのは、そのような 自分の過去と未来の橋渡しのような体験に近いと思う。

    そのような形而上世界の 心の動きを 理解できないと、

    出産で、気が動転したんでしょう?くらいの発言しか出来ないのではないか?と思う、そのような発言をされても、皆、コケルだけです。

    形而上世界は、心理学や精神分析という手段が一番科学的でしょう、、

    そして自己の体験による、感情や心情を述べる、、という実際のコミュニケートも必要な体験に思えます。

    他者がいなければ、自分自身の本当の姿は、分からないのですから、他者の存在を介し、自分が観える<分かる>


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  • from: 沙羅さん

    2011年09月26日 18時04分23秒

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    「Re:Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

    フランスに着いた頃、
    知り合いに連れられアルプスの山田舎のおばあさんのうちに招待された事があるのです。

    夏も終わりかけ、日差しの強さもかなり弱くなり
    そのかわり、日差しの向き眺めると、、だんだん
    影法師が長くなってきた。
     、木々の影の長さで、秋が近づくのが分かってきた時期。

     8月15日は、聖母マリア被昇天の日、、その日を境に 一気に人々は、バカンス地から居なくなる。波が引いた様に、、居なくなる。


    日本と違い、残暑がないのだ。

     9月の入学式には、皆、コールテンのズボンをはき、ところどころ、お店には、アノラックも売り出され、冬支度だった。

     ヨーロッパの季節感は、太陽の日照時間に忠実な生活をしているらしかった、、

     おばあさんは、ジャム造りの為に、15キロ、プルーンの種抜きに一生懸命で、わたしもお手伝いした。

    床には、5キロ入りの砂糖が、3袋置いてある。3人家族で、こんなにジャムが必要なのかな?と ひとりで驚きながら


    「すごいなぁぁ、、、この 質量感」ひとり言、、、、である。 

    15キロのプルーンの種を抜いて、今度は、倉庫から、バランスと言われる

    上の絵のような 秤を 重そうに、持って来た。

    コレには、たまげてしまって、

     いったい、フランスには、わたしの 知っている 秤 というか、メーターが出る、普通の 秤 は ないの?

     おばあさんは、 右にプルーンを乗せ、左には
    黒い四角い箱の中にある、文鎮みたいな 鉄の塊を大きい順に 置いて、 左右のお皿の錘が バランス取れるように、少しずつ 左の錘を、とっかえ、ひっかえ、乗せたり、取ったりしている。

    おばあさんは、この秤がとても 気に入っているようだった。

    種抜きのプルーンの正しい重さと、同量のお砂糖を 計るのだ。


    つまり、彼女の造る、ジャムは、果物と、お砂糖は、同量であるべき、、、という彼女流の ジャムのレシピにより、

    重さが計られているのであった。

    わたしは、この光景が、不思議で 今でも 目に焼きついている。

    空間に現れる、 重さの 存在の バランスを計る、、、という行為は、

    決して、単純ぬ数字で 現してはいけない、、、そのような単純な行為に委ねてはいけない、、という雰囲気の中で、おばあさんは、

    鉄の塊を、左の受け皿に 置いたり、乗せたり している 風景が
    何千年も 同じ行為をしている人に観えてしまったのだ。

    あまりにも時代錯誤、、という表現には 似つかわしくない、、むしろ、時代錯誤と放つ時、
    近代と昔と比べ、ただ近代の価値観が正しいという思い込みや おごりや、自信過剰を感じられる。時代錯誤は、昔と今の時代の価値観が、正しいとか間違っているとか の 判断は、ただの 個人的な、よがりでしょう?
    、判断の正しさは、大多数だから、、という条件が必要であったり、納得させる価値観を持たすものではないでしょう。



    その秤の真正面に向って、中心の矢印を、直視しているおばあさんには、
    言葉には 表現できない、
    何か、時間と空間を越えた、世界 人知を超えた世界からの 暗示を受けている姿に観えてしまった。

    なんだろう???

       あの 標高2200メートルの山の一軒屋で、ジャムをつくるおばあさん。

       ミカエル大天使は、このバランス<秤>を手に持ち、現れる。

     人の魂を 乗せ、、片方のお皿には、何の錘を置くのだろうか?

     罪人であるか?どうかの判断をするのは、 人間に任されているのではなく、
     ミカエル大天使の役目であるという。

     善悪の判断、
     有罪か無罪かの、法曹界の ロゴは、この 秤 

     魂の 重さ、、
     心の 重さ、、って、なんだろう???


     人を、安易に判断JUGEしたり、人を判断したり、、

     多数になれば、その多数党?の価値観が、絶対正しいと、
     まかりとおらす事が、正義と 思いこむ????

     ちょっと、ちがうのじゃないかなああ? 違和感感じますけど、、

     そういう 意味で 正義をつかうのではなく、これでは、なんだか、
     幼児向けのアニメのガンダム戦争の 価値観と変わらない、

     悪と戦う正義の イメージと変わらないような 気がするのですが、、
     ちがいます?

     世界中の人達の心は、同じような 位置にいないと思うのですよね。

     善は、 BIEN ビアン 悪は MAL マル という音素ですが、、

     je suis mal わたしは、MALマル です

    というフランス語で、放たれると、

     「わたしは、悪人です、、」

     という単純解釈ではなく、

     わたしが、居る場所は、居心地が悪い、、という意味。

    わたしの 魂や 心が、感じる場所は、私の 居場所<存在できる>ではない

    という 意味なんですね。

     何が?

     心や魂といった自分に、居心地を悪くしたり、居心地を良くしたり するのでしょうか?

     場の雰囲気とか、その場を支配している空気とか、その場にいる人達が もつ、真、善、 美 といった 価値感 に共感したり、納得できなかったり、、、というそう意味でしょう。

    何を知ってる<知識>か?
    ではなく、万人の 心の 中に向う 納得できる、同等の感情を探すという自由意志が、コミュニケートや 共存の世界観に繋がるのではないでしょうか?  バランス、の意味は、存在させる、、という動的な途上での意識だと思うのですね。


     





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  • from: 沙羅さん

    2011年09月25日 20時44分06秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    神の腕は自由、眼は聖霊、額は永遠、耳は智恵、心臓は正義、聖性は全身          「 大いなる人間 」    ラキュリア神父      MSG736の続き

    心臓は、 正義   というのが フンフン、なるほどね、納得いくのですよね〜この納得するというのは、同感するとか、その方が 自分の心にストンとくるとか、共感出来る、、というモノも、あるのですけど、それよりまず、他教 外教を知るのは、やはりその言葉をMAITRISER メトリゼ<制御する、習得する、使いこなす>し、その土地に住む人達の心にコミットし、心情や感情のコミュニケートをするという体験がなければ、他者を理解する事にはならないと思うのですよね。

    他者理解に、他者の立場にならなければ、いつまでも、他者が分からず、ただ他者との距離を取る、違う人と 自分との違いを認識する、そのような自己のつくる世界観を自分だけの頭の中で想念しているように思うのですね。いつまでも、他者との共存できる分野に踏み込めない、、理解できない次元に留まるのではないか?と思うのです。



    同じ 音素でも

    心像は、慈悲  又は  大悲


    という風には 訳さないらしい、、、

     この違いは、いったい、何処に 根ざすのでしょうか? と、思うのですね。

    正義は、別に悪をやっつける、、、とか、そのような次元ではなく、

    悪と判断する 物差しの目盛りは誰が?決めているのですか?

    という自分の心への 問いかけがまず必要ですよね?

     正義は、JUSTICE ジュスティス 正しい JUST ジュステゥ

     何が、正しいのでしょうか?という問いかけが 正義と言う意味におもうのですが、、、なんというのでしょうね?

    正義SEIGI という音は、

     悪をやっつける、、排他意識には、直接結びつかないと思うのですね。

     他に向うのではなく、自分に向う<問う>方向に思うのですよね。
     ちがいます?

     心像ではなく、心臓 が ハートの形をしているのは、ホンマに偶然なのかな?


     JUSTICE 裁判所の ロゴ 秤のエレメントをもつ ミカエル大天使です。死後 人々の魂を量り、天国か?地獄か?の判断を任されている天使だそうです。 

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  • from: 沙羅さん

    2011年09月25日 00時09分14秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    MSG736


    ま、そういう訳でして、何を述べたいのか?というと、人間の思い込みというか、信頼心というか、依存心というか、なんとなく、他より 良い見たいとか、こっちの方が優れているとか、、、、

    思ってしまう原因には、自分の住む場所とか自分の勤める会社だとか、自分の出た学校とか、自分の信じてる信仰だとか、自分と同じ民族だとか、自分と同じ趣味だとか、自分と同じ哲学者が好きだとか、、

    自分がまず、第一に来て、自分と関係ある分野に意識が向うようなのですね。

    安心を得たい心には、もちろん 何か自分と同じ、同類、同傾向、、というような条件が必ず 結びつく、引っ張るのでしょうね。

    ニュートラルの精神状態っというのでしょうか?肉体があれば、何処かに帰属していきているのですから難しいですものね、

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  • from: 沙羅さん

    2011年09月24日 18時14分56秒

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    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」


    神の腕は自由、眼は聖霊、額は永遠、耳は智恵、心臓は正義、聖性は全身
            

    「 大いなる人間 」    ラキュリア神父

        世洋人達のこのような言葉を 読む度に思う<感じる>事は、
        日本で育った日本人の私の中にある、、
        同質の感情というか、なるほどね〜と 共感できる 納得させる    むしろ、、

       心にストンと落ちる、、、何かがある。なんだろう???

      たまたま、アルファベットで書かれているだけだけど、
      なんでしょう?

     特に、 「耳は智恵」 

     何故?

     目が 智恵 ではなく、 「耳」 なのかな?

     音を聞く、般若心経のフレ〜ズが響く 

     世洋の語 フランス語の 聞く<ENTENDRE>アンタンデゥル  という 動詞は、

     悟性 と日本語に訳される ENTENDEMENT アンタンデゥマンと語源が同じでしょう。

     つまり悟る、悟性には、 音を聞く という行為<動作>は無関係であるはずはない。般若心経のサンスクリット語から音写された漢字とサンスクリット語で、歌われる YOUTUBEで聞ける音素を重ねて体感すると、やはり、漢字だけから、記号は点と線にしか観得ない、、、、、、
    体感や共感を 記号だけから感じ取るのは、難しい。

     音、、、

     わたしが、生まれたのは日本の山口県の海沿いにある 下松 という町で、父が当時勤めていた、日立の赴任地が 下松だったのだ。
     父は、何故か?日立という会社に 愛着があるらしく、家にある電化製品はほとんど日立製だった。
    わたしは、ナショナルでも、ビクターでも、なんでも云いと思って 両親に何故?そんなに日立の製品に拘るのか?小さい頃から、その拘りと自分が勤める会社への何らかの愛情なのか?

    わからないで、いたので、壊れると、「だから日立製品が他のより良いと思っているのは、思い込みに過ぎないでしょ?」と、放っていた。

    そうすると、その家電製品を購入したお店が、日立家電店だ、、と返って来た、、

    つまり、サービスが 他の店より 良い、、と言う。

    「そういう問題ではないでしょう?」と思いながら、黙っては、いるが、わたしも小さい頃から、両親を相手に哲学思考を、訓練なんでしょうね

    考えれば、日立を縦に反対に記すと、音になる。

    いったい、音という存在は、何故?

    日と立つ という意味が篭められて漢字になったのか?

    考え深いのです。

    ドラクロアが最後に描いた、サンスルピース教会の壁画、

    天使とヤコブの闘い、、、


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  • from: 沙羅さん

    2011年09月24日 05時45分40秒

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    「Re:世界ーuniversel」
    フト、4年前の、MSNコミュの書き込みを思い出した。

     智ちゃんと知り合ったのは、2004年の5月の末。LYONの
     サンテクジュぺりの 飛行場で初めてあったのだ。

     2年間うちに滞在してらした、当時の書き込みにも、時々彼女と話した内容をヒントに色々書き込みした事があった、その後、うちにいらしたのは、彼女の紹介でいらした、弓という漢字がつく名前の 弓恵さんという 幼稚園の先生をしてらして、8年後退職されてフランス留学の為にいらした方だった。

    当時、弓、弦、ACCORDアコーデゥ、、色々な繋がりが観えてきたのだ。

    わたしはヴァイオリンを弾くのですが、、

    ヴァイオリンは弦楽器で4本弦が張ってあり、右手に 弓を持つ。

    右から2番目の弦は、絶対音 と呼ばれる、 LA という音階の音。

    ラは、普通440ヘルツで調弦されており、オーケストラの楽器は調弦する時には、ヴァイオリン奏者の 弾く LA に調弦される。

    この調弦という行為を、フランス語は、 ACCORD アコーデゥと呼ぶのです。

    弦は CORD コードですから、 アコーデゥ ACCORD という単語の意味が想像できますよね。

    アコーデゥという車がHONDAがだしてましたよね。

    意味は、同意、合意 一致、和解、、そして音楽では、和音,調律 調和、調弦 という意味ですから、、

    弦には、人々の合意、調和 を導く、、何かあるのでしょう、、

    弓と弦は 重要なんでしょうね。

    ミケランジェロの ダヴィデは、リュート持っていましたよね?

    創世記のダヴィデは、霊能者でしょう?

    弓恵さんは、そんな事を 時々 コミュに書いている時に現れた。

    彼女は 繊細で大変しっかりさんだった。

    父親が幼稚園に子供を迎えにきた様子を 子供が見て 異様に恐がったという 弓恵さんの後ろに隠れた瞬間、父親の子供への暴力を感じたという。

    子供は 自分の家の中で、生じる家族の暴力を見て知っていても、無言でいる、何も言わないのだ。

    自宅の中というのは、一種の隔離された密室ですね。

    親が迎えに来た時、家の中では、どのような事が生じているか?
    子供の様子を見れば、すぐわかる、と彼女は言っていた。


    親が迎えにきても、親の態度や立ち振る舞いによっては、子供を親に引き渡さない時があると云っていた。

    いったい、、、わたしが、小さい頃、自分の通っていた幼稚園の子供の、家で、D,V が行われて、幼稚園の先生は、迎えに来た親に子供を引き渡さない、、なんて事が、しょっちゅう行われていたのかしらん?

    正直、8年間の京都の幼稚園の先生の経験から得た、最近の母親達の意識を説明してくれた。
    正直、ここまで 深刻なのか?驚いてしまった。

    時々弓恵さんの話を書き込みしていたら、

    京都在住のめるろ〜さんが、わたしが帰国した時に、、日本の 子供の置かれている世界を 実際の現場で働く彼女から聞きたい、、興味を示され、、「3人で食事でも、ご一緒しませんか?」という希望だった。

    彼女は、わたしの日本で会う知人達の中で、ただ一人の京都住まいだ。

    3人で京都で会い食事をした事があった。めるろ〜さんも、可愛い弓恵さんと一緒で、お酒もだいぶ召し上がってらしたから、楽しかったのでしょう。

    フト、彼女のメイルアドレスの数字が目に入ってきたのだ。

    「まさか?」

     気になり 手帳を探しに部屋に戻った。
     手帳には、家族の誕生日や親や祖父母の命日を記してある。
     知人の誕生日が書かれている、、

     弓恵ちゃんのアドレスと誕生日が書かれている項目を探した。

     彼女の誕生日は、めるろ〜さんの命日と同日なのに 気つかされた。

    写真は、アミアンのノートルダム大聖堂、嘆きの天使

     




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