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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月28日 08時07分19秒

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    「Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」

    最近、YOUTUBEで、色々な霊能者のテレビ番組を見たりしている。
    放送はかなり前なのでしょうが、
    わたしは初めてなので、「あぁぁなるほど〜」と思ったりしたり、それでも大概江原啓之氏や、三輪明宏氏が言われる事のほとんどが納得させられる内容なのです。
    江原氏が再三述べられてる事に
    「この世に偶然はない

    何か?うまく行かないのなら、必ず原因がある。」

    というのは本当だと思うのですね。

    ところで、三輪明宏氏のYOUTUBEの内容で、慰問の話が出てて、私も去年似たような経験をした。

    去年の6月日本に帰国した時、八王子の手前に豊田という駅があり、その近くに光障害センターという施設があり、視覚障害の人達が生活しているセンターに私は、ある知り合いの女性と訪問したのです。

    この知り合いの女性は、多分60歳くらいで、ご主人は精神障害を患っていて、病院にも行かないで、バッファリンで精神的な病は治ると言って、バッファリンしか飲まないので、肝心のうつ病にはなんの効き目はないのだけど、この年令で嫌がる主人を力づくで、病院に連れて行くわけいかないし、そのまま10年以上、そのままの状態の生活を続けているという。ご主人の書斎に入ると怒られるけど、足の踏み場もないほど、散らかっている、、と嘆いていた。
    この方が十年前に、知り合いのお供でその光視覚障害センター行った事を話してきた。
    生まれた時から視覚障害つまり、全盲で重症身体障害者、母親は生まれた時に親権を放棄している。、両親家族、姉妹全て亡くなって、たった一人でズーと生まれた時から障害施設で育てられているという、。わたしは、この知り合いに、私も一度遇って見たいとお願いして、二人で豊田まで行ってみた。

    来客室で待っていたら70歳ほどのご老人で車椅子に乗せられて、
    職員の方と一緒に降りてこられた。
    ほとんどコミュニケートは出来ないので、職員の方との話し合いになった。途中、このご老人の手の甲をさすってあげて、わたしの存在を感じさせてあげたら、パっと手を引いた。

    職員の方は、「5年前に癌になって手術したんです。でもねえ、、
    何と言うのでしょうか、、
    MAさんは、生まれた時から神様に守られているような気がしてしょうがないんですよね。」

    と職員の方は、他の障害者の方の世話も沢山されているはずなのに、私達が会いに来たMAさんの事をそのように私達に述べるのだった。
    生まれた時から光を感じた事がないのだ、、

    そしたら、いきなり『喧嘩したら、遊んでなんかやらないぞ!」
    と歌いだした。
    70歳といっても、人間のしがらみに接しないと、いつまでも心は子供のままで純粋無垢状態でいる事は別に珍しくない。
    こんな事を言ったら怒られるのは周知なのだが、心が純粋で居られるというのは、ある意味幸せである証拠なのかも知れない。

    そしたら、一緒にいた知り合いの女性が、
    「そうだよね?喧嘩しちゃいけないよね?一緒に居られないよね」
    と、障害者のMAさんに話し出した。
    彼女が、此処へ来る前に、ご主人とのコミュニケートが難しい事、それでも、なるたけご主人の気に障らないように、なんとかうまく一緒にやっていこうと、喧嘩をしたくなる事も我慢しているのだろう、、、と思いながら、、わたしは、側で聞いていた。

    結局、重度障害者の方のお見舞いに行ったのに、高齢で障害者で癌になられても、あまりの無心な姿や、好きな時に歌を歌ったりし、ある意味、見知らぬ他者の反応など関係なく自由奔放に表現してしまう姿に、健常人が持ってる悩みなど、実に馬鹿馬鹿しい詰まらない悩み思ったりしてしまうものなのだ。

    つまり、なんだか、逆に、こちらが、はげまさられて来る、、という現れ方になって実に爽やかな気分になっていたりするのです。

    三輪明宏さんの話を聞いてなんとなく同じだわ〜と思ったのでした。

    http://www.youtube.com/watch?v=OvSN5CjMtSk&feature=related

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月28日 03時49分08秒

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    「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > 写真は、Iさん〜頂いたお土産。パリのマドレーヌ寺院で購入したミカエル大天使のカードなのです。
    >
    > セント、マドレーヌに何故?ミカエル大天使が売られていたのか?よく分かりませんが、、
    >
    > それはいいのですが、
    >  愛の話をしたついでに、
    >
    >
    >  愛してる=I LOVE YOU
    >
    >  をフランス語だと、ジュテーム Je t'aime
    >
    > になるのですが、
    >  実は、この言葉の他に、似たような意味あいの言葉があり、
    >  tu me manques テュ ム マンク
    >
    >  直訳すると、貴女(貴男)は、わたしに足りない
    >
    >  つまり、貴方がいないのは、わたしの存在しようとするのに、欠けてしまっている。
    >
    >  つまり、「貴方がいなくて寂しい」と、普通訳されるのですが、
    >
    >  微妙に違うと思うのです。
    >
    > どちらかというと、わたしは、ジュテームという音素の意味より、
    > もっと深い意味あいが含まれているのでしょうと想像するのです。
    > 何故なら、この言葉テゥムマンクTu me manques(貴女は私に欠けている)を言われる度に、どうしようもなく私の心にその人の存在感がます。
    >
    > 逆に
    > je t'aimeジュテームを異性に言われるとすると、、
    >
    > これは、ある意味、「それで?」と聞きたくなってしまう自分がいるのはどういう事なのかしら?なんというか、男女が存在すれば、引き合うのは自然の成りごとなので、その自然の引き合いを、生前から君の事をず〜と思っていた風な現われの言い方をされても、あまり真実味が伝わらないのだと思う。 
    >
     なんでしょう?
     よくわからないけど、、

     好きとか愛してる、、という言葉は、放った地点で止まってしまっているのかもしれない。

     だからと言って、どうするの?、、、という稼動の力が沸かないのだと思う。私達が探求しているのは、アクセルを踏み込もう、明日の自分達には尋ねる事が出来ない世界への足がかりを探しているのに、「君を愛してる」、、、は、なんだかそこで停止するみたいな感じがしてしまうのだけど、考え違いかな?
    という雰囲気なのだと思う。だから、きっと、サンテクジュペリは、「愛する事は、お互いを見つめ合う事じゃない、、愛す事は、二人で同じ方向を観る事だ」、、と言ったのだと思うのです。、
    話又飛ぶのですが
    それにしても、智ちゃんとR君達の結婚するという案内状のカードには、この私が好きだったサンテクジュペリの言葉を、R君が選択し挿入してたのには、驚いたのです。
     

    人間は何かを追うこと自体が美しいのであって、なにもかも手中したからといって、その後死ぬまで何をするのでしょうね?
    と思ったりするのです。


     >
    > よく分からないけど、
    > AIMER エメ。愛すという音素は何か大事な意味が含んで放たれているような気がする。
    > どちらにしても、一回限りの自分の人生に責任を持たされる言葉に思えるのです。
    > どのような人と関係を人生上持つ事で、あの世での引き合いやもしかしたら生まれ変わった後の人間関係にも当然関係してくると思うのです
    >
    >
    >
    > 受動的にジュテームを言われた立場と考えると
    > 私でなければならない理由が観得ない愛し仕方や愛され方には愛そのものの、不安定さが増すと思うのです。
    >
    >  ジュテームは、死の床で発せられる音素なのではないか?という思ったりした事があった。ジュテームという音素は、あの世へ愛を持っていこうとする時の音素なのかしら?
    >
    > 自分の人生を振り返る、
    > 自分の生きてきた人生を振り返る時、
    > 自分を存在させてきた人達の事を考える。
    >
    > 好きな人、苦手なひと、愛する人、心配ばかりかける人、嫌いな人、しょうがないと思う人、世話をかけている人、あまり思わない人、疲れる人、まあ、色々な人が存在している。それでも、なんとか、サーカスの皿回しみたいに一枚も落とす事なく立ち回りをしようと思わされて生きる。生きる。生きる
    >
    > Tu me manques 貴女(貴男)はわたしに欠けている
    >
    > という言葉は、同性同士でもよく言われる。むしろジュテームが男女の関係色が強いのに関し、貴方が私に欠けている(寂しい)という表現は両方の関係に使えると思うのです
    > 一ヶ月前にもある女性に言われた時
    > もう10年以上逢っていないフランス人女性だった。
    > それなのに、言われた時はドキっとした。
    普段は、毎年連絡も年末のクリスマスカードだけなのだ。

    > 今まで会えなくてもその間、私と昔のように、お茶を飲んだりして時を過ごす事が懐かしく思い、自分には足りない,欠けているという表現で訴えてくる。
    マンケーMANQUERという動詞は、不足しているという音素なのですね。英語のMISS YOU という使い方に似ているかもしれない。
    >
    > 一度もわたしに今までそのような言葉を発してこなかった。
    >
    > シャモニに住んでいた友人なのですが、時々私との事思い出す。当時大した事はしていないのです。
    ただフランスに住んだ最初の場所だった
    すごくお世話になった。フランス語を喋れない私や、子供が入院した時に長女を預かってくれて色々両親が近くいない頼る人が居ない私達家族が困った時にいつも助っ人に来てくれた、、、
    > そして TU ME MANQUES 貴女の存在はわたしに欠けている、、
    > それなのに、貴女がそんな遠くに住んでて本とに残念だ。
    >
    > と文体は続いている。
    >
    > 存在する意味、
    > 存在しようとする意味、、
    >
    > 人の心にどのような作用をもたらすのだろうか?

    ,なんというか、皆黙っているのだけど、心の中では色々思っているのかもしれない。やはり、フランス語の「思う」と「信じる」という二つの意味
    が一つの単語CROIREクロワールで、現すというのは、それなりの意味があるのでしょう。結局愛は途上であって、結果や目的ではないのでしょう。
    そういった意味で、愛と信 が哲学講義で議題になりやすいのでしょうね。「愛する」も「思う<信じる>」も途上の上の姿勢なのかも知れません。何かの見返りを最初から期待するのは、オカシイですし、相手の方にも、神様にも失礼ですものね。
    >       

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月27日 21時40分18秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    おはようございます


    最近、書き込み行為についてよく考えるのです。
    又、他者のブログやコミュ二ティ形式のサイトの書き込みも、日本だけに限らず、覗いて色々考えるのです。

    気つかされる事は、
    ブログにしても、コミュニティー形式の話し合いの場において、出没されるコメントの人達の書き込みが非常に閉鎖世界で思考されている人が大変多いと感じるのです。

    閉鎖世界という意味は、個と個の関係に自己投影しすぎなんですね。


    他者のブログでもコミュでも、
    書かれた字と字の発信した元、、つまり対峙関係に執着する。

    これがどうも、わからない。

    発信した言説者は、多分ですが伴侶がいたり、または両親がいたり、会社や仕事し、子供を送ったり、または親が入院したりして、お見舞いに行ったり、または、何かのコンサートにでかけたり、演劇をみたり、又は友人達と仕事が終わった後、食べたり呑んだり、何かのカルチャーセンターに行った後だったり、、等々日常生活が書き込み行為の他にあるはずなんですね。

    そのような社会生活を営む人の一部の行為が書き込みになっているという全体的な把握をするという行為が、まるっきり抜けてて

    いきなり、パソコンの画面に書かれている字に自己投入してしまうという、意識が記号<字>執着してしまう、、という事を、そのコメントする人達に感じるんですね。

    つまり、WEBの世界は、世界の人達の目指しが存在しているという、自分を外からみるという意識が欠けてて、いきなり、ブログでも、コミュでも、書かれた記号に意識を捕られて、記号のみの、記号の狭小分野での理解をしたくて、発信者と関係をもつ、、
    という現象が非常に多いのです。


    これは、いかに個との個人的な関係を求めたい、、という感じている孤立感が、他者を求めるのでしょうね?

    書き込みの現れ方<表現>を見ると、横柄な書き込みであったり、
    不愉快な書き込みであったり、どうしても他者を組み伏せたい書き込みであったり、言葉の繊細さに欠けた書き込みが多いと思うのです。引き込みが多いという現象と、サイトやコミュやブログに書き込まれる他者のコメントを読むと観得てくるんです。

    引き込みは他者に傷つけられる事を怖れれば、という事なので、結局それだけ他者の接触を求めてしまっているんですね。

    しかし、恐れや不安や恐怖、、つまり
    見知らぬ他者には
    ガード(自分の内なる自分が見得ないように)を張って権勢したり、威嚇したりしますものね。

    面白いですよ、コミュやブログの書き込み行為は、コミュニケートに限界がありますから、話が煮詰まり、コミュニケートがうまくいかないと、メイルでも逢ってお話でもすればいいと思うのですね。

    ところが、WEBサイトでは、あちこち書き込みをされてて、しかも自分勝手に一方的なコミュニケートをとってらした方に限って、
    一対一のメイル関係や逢って話すというコミュニケートに怖気づくらしいんですね。

    個人メイルを色々な方とやってて、気つく事があるのです。
    メイルでの会話からかもし出される感じと、
    コミュやブログでの応対での感じに差があるんですね。

    これは非常に興味深いです。自我が現す
    内と外の立ち回りが、微妙に違うんですね。

    よくありますね?
    お笑いタレントさんの現れ方が、そのまま家庭での現われと勘違いしてしまう、受信者がわの人間の観方です。

    結局他者の心の接し方という心の持ちよう、心の態度であるとか、心の姿勢というのは、例えば、好きとか嫌いという個に向ける情動運動にしても、好きな人、愛している人の心の接し方や、心の扱われ方というのは、むしろ肉体的な結びつきの行為の後に、現れるんですよね。つまり、結果(目的)の後に、どれだけ、その人の存在性を愛おしく思うか?又は思われているか?、、
    という何気ない他者<相手>へ行為に真実が隠されている事の方が多いんですよね。

    ところが、人間もまあ、動物といってはなんですが〜、そのような即物的な欲望を持たされていますし、、又そうでなければ、繁栄しないですし、自分が今までそのような種族保存本能のおかげで、この世に生まれてきているという事を考えれば、そのような欲望に目をつむっている訳にはいかないでしょう、、と思うのですね。
    そして、結果(目的)を欲する為、一緒になる為、取得する為、捕獲?するため、、どうしても、追い求めてしまう、、という途上ではそのような行為にいたるのも、これも自然が成すことだと思うのです。

    話違うけど、、
    結局、上野動物園のサル山の団体行動を観察していると、人(猿)事?(他人事?)とは思えない類似の団体行動が見つかる。
    オスというのは、誰(猿)でもボスになりたがる、、というのは、結局生きる為の競争心とか言う本能なのかもしれませんね。


    話が又飛びますが、
    近所に住むレモンさんは70歳は超えているのですが、
    ある女性60歳代?)とお知り合い二なり、恋愛関係だったのが、クリスマス時期に壊れたんですね。

    レモンさんは、随分前に前立腺癌の摘出手術をしてあり、お兄さんが、去年亡くなったばかりだったので、気になっていたのです。
    検査の数字が、普通と違うと言われたと言ってきた時期とも重なり、ちょうど I さんが家にいた時期でもあり、
    「皆でお茶でも飲みにこない?」と誘ってみた

    ところが、その電話で、「君にだけ話しておきたい事がある』と言って、、、レモンさんは彼女との恋愛がうまくいかないと、わたしに漏らしてきた。

    最近、家に引きこもりになっている理由を述べてきた。お茶の誘いも、「そんな気分にはなれない、気が乗らない」、、と言って来た。
    「そのまま、家にいても、気が晴れないでしょ?お茶だけだし、うちの家族と、レモンが「彼女独身か?」と聞いたIさんしか居ないのよ、、」と笑いながら誘ってみた。

    ちょっと、話は違うのですが、
    人を引き寄せる、
    知らない人を惹き寄せる、、という人は、少なからずともオーラを発信しているそうなんですね。
    このオーラなんですが、他者に空層を通して伝播するそうなんです。
    よいオーラをだす人の側にはなるたけ、一緒に居た方がよいと、ヒーラーさんや霊能者は言うのですね。

    悪い気を溜め込んで、陰湿で閉塞的な世界で引き合うという共感を求めるのではなく、
    なるたけ、外へ、宇宙へ、、未知への可能性が見える開けたオーラを発散している人達の回りになるたけいる事だと思うのです。
    健康的で、愉快で、人に優しい人達との関係を持つところには、健康的で、他者を判断する事のない、人にべたべたする事の無い
    他者を引寄せる、知らない人達に、『何故?この人の回りには人が集まるのかな?」と思わせる存在の仕方をしている方が必ずいると思われます。

    私が、観たI さんはその一人なんですね。

    それもあって、レモンさんを誘って、なんとか気持ちを上向きにしたかった、、そういう他力本願の気持ちがなかったか?というと嘘になるのですが、どちらにしても、こういう事は、わたしが態々言わなくても、勘のよいIさんは、いつも前向きなので、そのつもりで来るので、レモンさんにチョコレートのお土産をすでにパリで買ってきたりする。
    空層でのテレパシーの心の伝達が前もって行われていると思うのです。人の心の繋がり
    というのはそういう事だと思うのです。
    他者からの誘いが実際あるのを待って行動するという事ではなく、心のコミュニケート、思いのコミュニケートが、言葉を介すことなどなく、見得ない世界<空>で行われていると思うのです。
    思いや心は、優しさとか人間愛だとか、愛とかでしょう。
    決して、人を試すとか人を妬むとか、人を押しのけるとか、詰まんない競争心事で他者の注意を惹きたい、他者を求めたい、、というような事においては、何も普遍性をおびる事無いと思うのです。

    実践、実行は自発的な意志という事ではなく、他者達との間に、見得ないコミュニケートがあるので、他者達の方が、その人の存在を願う、思う、、という心模様が空層に伝わっているんですね。

    決して、目に見えた何がしかの数字が高く、人気を得て、視聴率も高くなって、だから有名人なのねぇ、、という唯物論的感覚で判断する世界の出来事ではないと思うのです。

    普遍性、、という哲学での意味はその形而上世界での普遍性があるという事を、述べようとしているのだと思うのです。
    何が?普遍性があるのか見得ないのですね。
    でも、未来への普遍性を持つ存在の仕方をしていると思われる
    存在は、他者達の心の願いや思いに繋がっているのであって、
    その思いは、結局、過去ではなく、未来に繋げたい、存在させたいという複数多数の他者達の思いでしかないと思うのです。それを感じるという事だと思うのです。

    ところで、話を戻します。

    Iさんが、パリに経ってから、わたしは時を見計らってレモンさんに電話してみた。


    「ぼくが、小さい頃、近所に居るだろう?おじいさんとかおばあさん、、60歳以上の人達、そういう人達を見て、この人達は、恋愛とかしないんだろう、、と思っていたんだ、。そういう恋愛なんか、全く興味などないんだろう、、と小さい頃、思っていたんだよなぁぁ〜、、だから驚きなんだ、、自分で、、」

    と話してきた。

    恋愛がうまく行かない理由は、レモンさんの焼きもちが原因だった。
    たまたま、レモンさんが彼女の家で、髭をそってる時、電話が鳴った。彼女はその電話をとらなかった。

    『何故?電話をとらないんだ?」ともちろん聞いた。
    何故なら、電話の相手が、10年間一緒に住んでいて、5,6年前に別れた昔の恋人だったからだと彼女は応えたそうなのだ。

    このシチューションが、レモンさんを不安にさせたそうだ。
    何故?電話をとって、「今は、電話をかけてきては困る。あたらしい人と一緒にいる」と、言って、電話を切れないんだ?
    と彼女に聞いたそうなのだ。

     レモンの考えも当然に思える。
     彼女は、すでにレモンさんの他者への嫉妬心を感じてて、
     電話を取って話すという行為自体に、レモンさんに不愉快な思いを与えたくなかった、、と鳴ってる電話に出なかった<出れなかった>理由をいったそうだ

    しかし、結局、彼には、自分に対する愛情は実は偽りだったのではないか?と思わせたそうなのだ。
    何故なら、前に、過去の異性の関係を聞いた時に、過去への異性への気持ちは全くない、、と話したと言う。
    細かい事は述べないのですが、分析をしながら聞いてて、

    過去の異性の悪口や、批判をする事で、現在進行中の異性の気持ちを引くというのは、私は個人的には好きではない。
    例え、過去の異性に気が全くないという証拠を見せて、現在のレモンさんに安心させて、「好きなのは、君だけだ」、「好きなのは貴男だけ!」と言う愛情の表現の仕方で、相手への愛情(忠誠心?)が確かなものと、かもし出し、相手の気持ちを自分に近づけようとする手段は、ある意味綺麗でない、、美しくない、、むしろ卑怯な表現に思えるのです。

    過去の異性の存在は別れに至っても、一時愛したには変わりない。
    何故?愛したか?
    それは、愛せる存在であったに違いないと思うのです。

    そのような他者の心の存在を、自分のこれからの恋愛の始まりを有利に導くように利用してはいけない。

    他者は他者、自分は自分でしょう。

    いくら別れに至っても、逢わされ愛した人個と個の関係は、決して消えてしまう事はないと思うのですね。

    何故なら?心が感じた思いは消える事無く、そのままあの世に心ごと存在するからだと思うのです。
    その場所に居ないから、見得ないからといって、当人がどんなに変な人でも、人の悪口や非難を影で言うような行為に、何も感じないで聞いているという事が出来ないんですね。

    過去の関係の人であればなおさらの事、その人に素敵なものが備わっているからこそ、愛したのであって、またその人にも愛されるという関係が持て、お互いが幸せだった、そのような立派で素敵な人と一時期でも恋愛関係がもてたという自分に誇りを持っていけると思うのですね。
    そのように、過去の異性との思い出を大事にもっていけば、安易に過去の人の悪口など言えないと思うのです。なにしろ、悪口を言ってしまった地点で自分はそのようなどうしようもない人を愛してたという事になって、自分で自分を見下げてしまっている事になると思うのですね。
    人<心>の関係の築き方は、決して現状の不満解消やの目的ではないと思うのですね。その人の心と関係を築きたいというのは、あくまでも未来へむかっての純粋な個と個の独立した関係を築きたいという、思いだけだと思うのです。

    しかし、人間は皆、寂しがりやなんですよね。他者に近づきたい、、気に入られるとか気に入られないとかではなく、他者なしには、生きていけないのだと思うのですね。

    人から気に入られない、他者から批判の声ばかり浴びせられる、他者達から認めてもらえない、他者達の判断の目が怖い、、等々

    全て、それだけ他者を意識しているのだと思うのですね。


    少し、話が流れました。

    レモンさんと2時間くらい電話で話していて、
    あぁぁ〜、、本当に、魂は年令はないんだろう、、と思わされたんですね。

    まるで、16歳くらいの少年が、近所のお姉さんにはげしい恋を抱いて、お姉さんの恋人に嫉妬する、、そのものみたいに感じる。

    電話の線の先には、73歳の男性がわたしに、恋の相談をしているという感じには思えない。恋に悩む少年の魂みたいなものを感じてしまうのだ。

    ツルゲーネフの初恋の少年は、美しい年上の女性に、恋心を伝えたくて、花を摘んで、女性にあげる。
    女性に花を摘んであげる、、という行為は一つの愛の表現なんですね。ヨーロッパの飛行場には、生花を売っている花屋さんが多い。
    花を持って、心待ちに待った人を待つ、、、という現われ方なんでしょう。飛行場というところは、そのような出会いが確かに似つかわしい場所かもしれません。ツルゲーネフの初恋の話の少年が、花束を年上の女性にあげた時

    「どうもありがとう、、お父さんによろしく伝えてね!」という返答が返って来て、自分の父親との関係を知ってしまったのではなかったかしらん?

    他者の介入というのは、いつも自分にいいように回るとは限らない。自分の知らされていなかった、関係の存在が一言の言葉によって、解明されてしまったりする。

    レモンさんの場合、
    「鳴ってる電話(昔の彼氏からの呼びかけ>を取らなかった」、、という理由はなんなのか?という行為に、何か彼女とレモンさんとの関係に、不誠実心が侵入してしまったのでしょう。

    彼は、そのまま、昼食はそこで、彼女の妹さんを交えて食べるはずだったらしいのだが昼食は食べず、彼女の家を出てきて自分の家に帰ってきてしまったらしいのです。

    心というのは、本当に、繊細で純粋に思える。
    、、



     

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月27日 03時07分21秒

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    「Re:Re:地球 ひとりある紀」

    外国(フランス)に住んでまず日本と違うのは、言葉なのです。@@コラ!
     
     それから、
    食事<昼食>の時間に二時間も取るのです(昼寝付き?コラ!)

    テレビは、3チャンネルしかなく、しかも放映時間がお昼は2時間、夕方18時?から24時くらいまで、、

    今は衛星放送がはいり、日本との差は感じないけど、15年〜20年くらい前までは、テレビを観て時間をつぶすという人は居なかったように思えるのです。

    一番印象深かったのは、車を買い換えたいと思った時に、お客と呼ばれる私達なのですが、
    あるディーラーにまず電話をし、お話を伺える時間を販売員の時間が空いているのを確かめ日にちと時刻を予約するのでした。

    お話を販売員に伺えるかどうか?前もって確かめるのです。
    突然、お店に行くのは失礼なのかもしれません。

    まるで、歯医者さんに空いてる時間を聞いて予約を入れるみたいな行為に見えた。

    同時期、日本に帰国すると、買い換えたい意志は全くないのに、父親ガ乗ってた古い乗用車を、目ざとく見つけ、車の販売員の方から、家の玄関口に自動的<?>に押し寄せてくるのでした。

    面白い現われなのです。

    まるで空を理解している
    堅信仏教徒の販売員なのかも知れない コラ!

    色々違う点が観得て面白かったのですね。

    それから、カレンダーの祝日が違ったのです。コラ!

    例のパリ祭、祝日7月14日はご存知、フランス革命ですが、
    呼び方は QUATORZE14 JUILLET 七月クァトルズジュイエという呼び名で呼ばれていた。

    その他、第一、第二次世界大戦の休戦記念日も祝日に中てられていた。カトリックに関した休日もあるのです。当然ですが〜
    でも、20パーセントもキリスト教信者はいないのではないか?と思わされたので、あまり当時は祝日といっても、よく意味が見得なかったのです。ヨーロッパの離婚数は、40パーセントくらいですし、再婚を認めないヴァチカンの意志に反して、信仰放れが助長されるかな?と懸念していましたが、ヴァチカンの存在を願う国民は増えているんですね。
    信者が増えるという考え方ではなく、また信仰を持つ云々という事より、存在の必要性、存在を求める人達が増えているという事なんだと思うのですね。存在を求めるのと、自分が信仰を持つとは別な事なのでしょう、、と思います。まあ、あまり自分を前面に出すのではなく、他者との調和だと思うのです。
    隣人<他者>への愛を説きだしたのは,いつからだったのかしら?


    それはいいのですが、カレンダーには、国民の祝日の他に、聖人の日や天使の祭典の日、聖母マリアの出現の日などなどで、殆ど毎日聖人の名前でうまっているように思えるのです。
    例えば、セントセシールの日は、セシールという名前の女性に花を贈るという習慣があるようなのですね。
    花屋さんには、毎日聖人の日の名前を、ウインドウに掲げてあり、通りがかりの人の注意を引くという現われ方なのです。


    智ちゃんから電話があった。

    彼女は又面白い事を話してきた。

    ご主人のR君と、
    『ぼく達、一番最初に遇った日はいつだっけ?」

    という話題をした時だった。

    2005年体育館で、二人は逢ったのだ。バドミントンの試合があり、クラブ員だったR君と初めて遊びかてら行った智ちゃんの写真が何故か?、オードレーという同じクラブ員の友人のカメラに収まっていた。

    AUDREY オードレーという女の子の名前が度々智ちゃんの口から放たれるのをわたしは、随分前から気ついていた。わたしも、一回くらい会った事があるのだ。

    しかし、何故?
    智ちゃんとR君の逢った日にカメラを持っていたのかしら?
    彼女は、この二人のツーショット写真を焼き増しして智ちゃんの手元に渡っている。
    非常に不思議な行動なのです。

    2005年の2月11日という日付が入っているという。

    2月11日は、不思議のメダイュを初めてグリコのおまけ風にわたしに渡してくれた、Iさんの彼女の誕生日でしかも、ルルドのマリア出現の日なのです。

    しかも、4年後の2009年7月18日、これも不思議のメダイュ教会に聖母マリアが出現した日に二人は、結婚している。

    これは、偶然ではないのかしら?
    いったいどういう意味なのかしら?
    と智ちゃんは気ついた事を電話で話してきた。

    うぅぅぅ〜、、、、悩む、、、

    わたしが、Iさんと知り合って、二人で旅行に初めてたったのは、
    2006年の7月18日、例のフランスで一番高いとされてるミヨーの橋を走りたくて、ミヨーに行き、翌日I嬢の念願のタンパン(ティンパン>、コンクのタンパンを見に出かけたのです。
    その前日に、突然R君はうちに智ちゃんに会いに来て、二人で、PACS<同棲者一定の民法上の権利を与える>の申請をしている。
    その会話を、一目智ちゃんを見たI さんが覚えているので、驚きだった。
    わたしは、その後智ちゃんと、R君を結婚をする意志に導いたのは?いったいなんだったのだろう???といつも思うのだった。
    智ちゃんは、大変男女の愛については堅実なのだ。決して惚れっぽくない、、というか、異性に簡単に熱をあげるという女性ではないのです。
    2005年の二月に二人はあって、少しずつ心の距離を近づけていった。R君は智ちゃんより二つ年下で、学生だった。

    両思いといっても、将来を決めるような強固な意志がある訳ではなく、ただ普通の気が会う男女の関係が一年くらい続いたのだという。途中喧嘩もしたという。よくある話なのです。

    同時にお母さんの様態も心配だし、何しろ、おばあさま、も失くされて、智ちゃんはフランスに留学した途端に、お母さんやおばあさんを癌でなくされ、頻繁に日本に帰国するという状況だった。

    留学も2年間の時が経ち、智ちゃんは、AUDREYに、「将来どうするの?」という質問に、「多分日本に帰ると思う」、と言ったらしい。もちろん、智ちゃんとR君は付き合っていたのだが、多分それほど、熱熱という仲ではなかったようなのは、わたしが見た感じでもよくわかった。
    智ちゃんは同時期、通ってた学校の中国人達の異性からもよく誘われていた。ニコニコいつも気軽にあまり誰とも固まって行動をするという女性ではなかった。そんな訳で男性からも、かなりもてたのです。

    そんな時、2006年、R君は、インドに友人達と旅行したのだと言う。
    AUDREYは、R君に、「TOMOKOは、将来日本に帰るって言ってたよ
    !」という言葉を、インドの旅行前に聞かされていたそうだ。

    R君の、インドの旅行は、ガンジス沿いを動いていたそうなのだ。旅行中、智ちゃんとの仲を、どうするべきか?考えたという。

    AUDREY の言葉を、R君は重く感じたのだった。

    インドから帰ってきて、R君は、PACSをしようと、決心したという。
    つまり、事実上の二人して共同生活しようという意志表示なのだ。

    わたしと、Iさんの旅行が2006年の7月18日の前日に、当時うちにいた智ちゃんにR君が会いに来てPACSの話を聞いているという事は、R君のインドの旅行は、2006年の初夏だったのでしょう。


    このAUDREYさんの存在というか、非常に淡々とした性格の女性なのだ。年令も、25歳くらいじゃなかったか?
    彼氏と住んで教師の仕事をしているはずなのですが、よくよく、智ちゃんの話しに登場する名前の女性だったのです。

    ところで、PACSをした二人でありましたが、お母様の状態は少しづつ不安を増す様態へ変わっていった。2009年の7月18日に二人は結婚するので、私に証人になって欲しいと聞いてきた。

    結婚式に出席できるのを、楽しみにしていたお母様が他界されたのは、7月18日の3週間前、6月23日、、わたしは、京都の京阪ホテルに居た時、
    成田に着いたばかりの智ちゃんの声によって他界されたのを知らされた。
     フランスのカレンダーの、6月23日は、
     SAINT AUDREY の日なのだ。





     

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月26日 22時46分14秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    外国に住むと、色々自分の育った国と考え方が違う事に、気つかされると思うのです。面白い発見だけではなく、
    自分にとっては納得出来ない点とか、日本では考えられない、ありえないような事もよく目にする。
    しかし、いちいち個人的な判断をしていては、自分自身が居場所を失くすという感じなのが観えて来るのです。

    そういえば、先週ジュネーブの空港に行った時だった。
    ちょっとみると、空港内のコンビ二のようなお店があった
    ミネラルウォータを買う為に、レジに並んだのです。
    軽食やちょっとした、お土産類が並んでいる空港のお店だった

    レジのお兄さんは、21歳くらいの肌の黒い人だった。
    4,5人並んでて、現金払い、皆おつり<小銭>をもらっているようだった、誰もおつりを確認している人はいないし、どうでもいいのでしょう。わたしの番に来た。5ユーロのお札を出したのですが、
    おつりは、間違っていた<つまり少なかった>案の定という感じがしてたので、別にそのまま何も言わないででた。
    どちらにしても、レジの横に紙子コップが置いてある。

    わたしの二人前の人も、おつりを渡そうとしたら、『そこの紙コップにね」と指をさして、言わんばかりに足早に去っていった。チップとして何がしかの手段なんでしょう
    レジの人の応対の仕方が不自然な雰囲気なので、不自然な笑顔を振りまくので、アレ?と思わされて、行列に並んで観ていたのだった。
    誰も渡されたおつりを確認する人はなく、すべてそのままで流れていた
    ジュネーブに住んでる職がない人達、
    低所得の人達、家が借りられない人達、別にジュネーブにかぎらないけど、金銭苦による抑圧によって社会にあふれ出す老若男女の数はしれない。

     社会の波に飲み込まれ、失業や死別が原因だったり家族と心情折り合いがつかず、道路に出て行ってしまった人達、エトセトラ、、

    どのような形でこのような弱者達を救っていけるのだろうか?フランスも深刻だ。世界中の人間達が、将来への不安を抱えている、何処で死ぬんだろう?

    一人ぼっちで、生かされる、
    他者との心的な関係を築けず、又は職を失くして、居場所が無くなり一人で生きていかされる人達、回りをみれば、いくらでも見つかる、、そのような他者も当然自分と関係を無言で結んでくる。フイに入ったお店で、無意識に沢山の弱者と関係を持つ機会を持たされる。
    信じるという意識は、裏切られるという行為に異常反応するというのは、何処の国の人達も類似な行動に至るようですが、

    世界の全体把握というのは、全ての事が、なんらかの関係性を持って居るという事なので、派生的な出来事に、いちいち過激にならず、行く末を観るという感じかもしれません。
    他者というのは、そういう存在なのだと思うのですね。

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月26日 20時42分05秒

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    「Re:一人言コーナー」
    あまりこのブログを読まれている方はいらっしゃらないと思うのですが、全くの自分自身へ向けた独り言

    最近日本のYOUTUBEで、霊能者とかスピリテゥエル、ヒーリングという世界で活躍されていた人達のテレビ録画を初めて色々観て見た。

    数年前から断片的に入ってくるニュース
    例えば、宜保愛子サン、三輪明宏さんや、木村藤子さんや江原啓之さん等、、、のテレビでの発信を初めて観て見たのです。
    今更と皆さんは思われるかもしれないのですが、
    今まで、全く興味がないので、意識に留められないので、日本に帰国しても、態々テレビをつけてまで、見たいと思っていなかったので、殆ど未知の人なのね、、という感じで断片的な噂は日本の友人達の話からでしか伝えられてこなく、又あまり気にとめる事がなかった。
    そして
    最近、YOUTUBEで、オーラの泉や、金スマとかいう番組や、江原啓之さんの番組を色々みてみたのです。
    その言説の中には、やはり普遍化できる、存在させようとする、言葉の中の意味、が含まれていると思うのですね。
    三輪さんも語られている。
    言葉の音素の醜さは、不幸ガ似合う社会つくりをしている、不幸を探しに行っている、流行語を安易に使う
    これは江原さんも同じ事を述べていたのです。

    日本に住んでいないわたしも、全く同感するのです。
    醜い音素、人を押しのける音素、人に優しくない音素、、というのが、確かにあるのです。

    メディアのせいにはしたくないけど、美しい音素である日本語を、安易に』変形し、流行に乗り遅れないような感じをかもしだし、たのしい雰囲気づくりを心がけているのかも知れないのでしょうけど、結局他者に何がしか、乞いてるのだと思うのですね。

    大衆や一般に通じやすい、分かりやすいというレベルは好感度で求めるのではなく、崇高度を自ら上げ努力するという自分に対する意識の姿勢に他者はなんらかの共感や同感を感じ、反応するのだと思うのです。
    決して対峙の世界で、他者の言説を、部分、部分、取り扱ってコミュニケートしていても、何も存在の現れ方に、心を感じる、、という事は無理に思えます。


    結局対峙世界というのは、人と結びつこうという行為ですので、その人が嫌いであっても好きであっても同じだと思うのです。
    万が一引きこもっていても、それは他者に傷つけられることを恐れるからであって、本当は、それだけ他者を呼び求めていると』思うのですね

    そういえば、一時期噂になっていた

    2007年の3月収録の木村藤子さんと飯島愛さんの金スマの番組の対話があったので見てみた。
    飯島愛さんも、木村さんの日本語の意味が何を指しているのか?曖昧で抽象的な表現なので、分かり辛いから何度も、確認をしないとならなくなっている。

    結局抽象表現で、時間を越えると、このような曖昧さ、コミュニケート伝達力が一般性、大衆性理解できる次元を超えてしまうのだと思うのですね。

    このような時間の途上に生きてる問題が孕んでいるのに、
    数字の整合性を見せてくれないと、理解できません、、という位置に固執する、、というのは、結局人間とロボットの違いがどのような事なのか?
    心を持つ
    という心を持っているから、心を有す人と、人間を尊重する、接し方を求められている、、、というのを実感として観えているのだと思うのですね。

    そのような方達は、決してむやみに、他者を押しのけたりしないと思うのです。掲示板での書き込みによって他者との対話つくり、
    、又家族や仕事場での人ビトとの接し方と言うのも、一部の書き込みによって、他の部分が観えてくる。

    何故なら?
    その人に似合う現れ方の表記に徹しているからだと思うのですね。

    江原さんの発言に、すごく納得する言葉がありました。
    憑依、憑依、、とやたらにそのような語句を使い、人を恐れさして、またその人は他人に助けてもらおうと、神社や仏閣、ヒーラーや菩薩と呼ばれる人達にむやみに助けを請う、、、

    「憑依する霊に失礼です」{コレ聞いた時に笑った:

    確かに失礼なんですね〜。

    心と接するという事が、観えてないのだと思うのです。
    心と心の接し方、
    心の扱われ方、という言葉を介して、何を言っても良い、、
    という次元に落ちるのでもなく、他者の哀れみ、『この人はどうしおうもない」と他者に思われた地点でお終いだと思うのですね。

    人間の弱い部分に、無意識に容赦なく侵入し、類は類を呼ぶ、弱い部分や人を力で押しのけて人の上に立ちたいとおもわされる支配感に簡単に共感を感じたり利得ばかり求める事が、人間の一番の幸福だと思わされて、心を有す他者との接し方が無味乾燥あるいは、他者を傷つけても何も罪悪感を感じる事なく、言葉の上だから、罪になると思っていないというような浅はかな考えに支配される。
    このような状態に落ちる、個人の日常生活の不満解消に利用して、ネット上の見ず知らずの人に、無碍な言葉を放つ事にも何も感じない、、のか意識的なのか?このような現れ方しか出来ない、、という存在の仕方は

    やはり、何か心の問題を抱えていると思うのですね。
    正直心理学や精神学と宗教や信仰、哲学の境界線が引けない分野ですから
    個人的に接するしか手段はないと思います。

    もし、人間を自然の一部の存在とするとです、社会の中で、生きる存在としての人間が実現する自然の行為は、食べること、寝ること、排泄するというような行為を除けば、性的活動しかなくなると思うのですね。

    ところが、性的活動だけには、他の自然行為<食、寝、排泄>と異なった特別な規制が伴なうのだと思うのです。
    何故?性的活動に限って『社会の特別な規制が伴なうか?というと、
    性的活動だけ、他者が必要であったり他者に向っているんですね。食べたり、寝たり、排泄行為は一人で、できますから、、、

    という事はです。
    沢山の異性との恋愛経験や、異性との豊富な会話や対話が当然他者と話すという事、他者とのコミュニケーションでは必要なエレメントであろうという予想がついてきます。

    女性は、子供<他者>を生みますから、子供が何を思って発信するのか?という予感能力もつくような経験もさせられると思うのですね。他者とのコミュニケート実践、実行として有利な条件かもしれないですが、もちろんそれだけではなく、霊視というのは、相手と重なるという能力に思えますから、相手が感じる事を自分に介しているので、出産経験のない江原氏にとっては、霊感だけで、他者と自分を二重写し出来るという事なのだと思うのです。そういう事を考えると、三輪明宏氏のROLE 立場は興味深いです。

    普遍性は、テレビに出演するから顔が知れるというのではなく、誰も知らないうちから、他者が振り向く引寄せるというか惹かれる、、という存在の仕方をしているのだと思うのです。

    その惹きよせる、振り向くというのは、真善美以外には無いでしょうと思うのですね。
    美しいとか、真実でしょう、、と感じたり思わされる、何かの共感できる部分に反応する。から引き寄せられるのであって、
    他者との醜い部分を見つけて同調しあい、協調性を提示しなければならない理由は、公共性においてはないと思うのですね。
    誰かが、「これは絶対真実です」、、という断定形を放っても

    ハイ!そうですか?さようなら、、

    が他者との関わり合いの質ではないと思うのですね。

    他者<大概知識がありそうで、認識深く、しかも名声があったりする>が言った事は全て、鵜呑みにする、、という事は有り得ないと思うのです。
    そのような雰囲気が横行するのを自分自身納得してしまっているので、自分自身も実践や実行へと写せない記号だけのやりとりをいつまでも永遠に他者と続ける事になっていると思うのですね。

    死ぬ時は、認識もお金も何も持っていけないんです。、、という事は江原氏も言っていましたね。

    「心だけす。」ときっぱり仰ってた。
    来世を信じる信じないという事ではなく、死ぬのは事実なのですから、せいぜい心が幸せになるよう、人様との関係も気持ちの良い楽しい心安らぐ関係を築きたいですね。自分が幸せになる、、
    幸せになるために、信仰や宗教や哲学や芸術やその他もろもろの存在があると思うのですね。決して他者に乱暴の言葉を放つ為にあるのではなく、自分自身が幸せになる為だと思います。

    自分も幸せになる、そして他者も幸せになる、、
    その為には、宗教や哲学、何々信仰や何々宗派云々、
    目くじら立てて他者の事を述べるという現われではなく、
    他者達への尊重を持って接する、心と接する、、という品格<TONEトーン>
    を社会から問われていると思うのです。

    TONE<品格トーン>は大変大事に思えます。
    しかも仏語ではTONトンという音素ですが、
    口調、語調、言場使い、品位、態度、と同じく、
    音調、音程を現す音素がTONトンなんですね
    TONを語源にする言語は、TONALITEトナリテ、音質、音調、音楽の調性などなど、色々あるようですね。

    面白いとおもいません? 





     

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月26日 06時53分29秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:chiasme 考」
    めるろ〜さん

    めるろ〜さんが、メルローポンティの本を購入ですねえぇ、、

    うぅぅん、PONTYも、語源はPONTでしょうねぇ、、橋ですよねぇぇ、、

    何だか不思議な感じがしますね。





     > > 沙羅ちゃん
    >
    > "Le visible et l'invisible" gallimard版が到着致しました。
    >
    > これこれ、読み易そうで、意味が深いMerleau-pontyの
    > 文章です。
    > 結構ね。悩むんですよ。
    > しかし、翻訳書が二つに、英訳があり、
    > 沙羅ちゃんがついている・・・・。
    >
    > 中古本なので書き込みがあるかなあと思いましたが、
    > 無いです。。。
    >
    > フランス人はアれをすらすらと読めたのか?
    > それともすやすや読んだのか?
    >
    > 時間を作り取り組みたいと思います。
    >

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年02月25日 23時27分38秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:chiasme 考」
    > 沙羅ちゃん

    "Le visible et l'invisible" gallimard版が到着致しました。

    これこれ、読み易そうで、意味が深いMerleau-pontyの
    文章です。
    結構ね。悩むんですよ。
    しかし、翻訳書が二つに、英訳があり、
    沙羅ちゃんがついている・・・・。

    中古本なので書き込みがあるかなあと思いましたが、
    無いです。。。

    フランス人はこれをすらすらと読めたのか?
    それともすやすや読んだのか?

    時間を作り取り組みたいと思います。

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年02月24日 13時17分49秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:一人言コーナー」
    >沙羅ちゃん

    「メルローポンティーも、精神小児科病棟に通いつめて論文を書いたと聞きましたし、哲学は結局人間を知るという事なのかも知れません。確かに実践に繋がるには机上で一人で習得する他に他者の存在が必要不可欠なのかもしれません。実践に繋がらないと確かに、自己の孤立性は防げないかもしれません。晩年ニーチェのような老後を避けたいと誰でも思うでしょうから、現象学はそういった意味で、形而下の層のコミュニケートに置いて、コンタクト維持しながら、時間を越える、という事かもしれません。」

    哲学における実践は、メルローポンティがしたように、
    または、リセなどで教えるように、より原野が見える場所に立つことでしょう。

    仏教の場合は、坐禅、瞑想、経を唱えるなどのように、
    一度自己を、原野の外に置き換えて、原野を見るという手法を
    取ります。
    これが出来るようになるまで時間も掛かりますが・・・・。

    仏教の段階を経た宗教体験というのは、
    一般の人が仏教を理解するのに、一つ理解出来ない部分をかもし
    出しているでしょうね。

    哲学の場合、生の身体を使うということから始まりますので
    同じものの意味付けが、微妙に違いますね。

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  • from: 沙羅さん

    2010年02月24日 07時27分31秒

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    「Re:空の世界」
    昨日はカミユだから、
     今晩は
    堀口大學の詩にしようっと!ルンルン



    冬日抄


    独りで僕は坐つてた
    時の流れがおそかつた。

    日暮れ方
    風が外套をとりに来た。

    街で凍える人達に
    着せてやるとの事だつた。

    酒は冷えたが坐つてた
    その後は誰も来なかつた。

    寝る前に
    僕は窓から外を見た。

    流星が北へ向つてはすかひに
    夜天の硝子を截つてゐた。


    ----------------------
    語釈
    【はすかひ】 斜め。
    【截つてゐた】 切っていた

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