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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月28日 08時09分43秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」


    msg57の続き

     前に述べましたけど、ヴォーカルというカタカナ音素ありますが、

     仏語の 声 音声=ヴォア voix

     コーラスの発生練習はvocation ヴォカションすると言いますし

     見るという動詞 はvoirヴォアーですし

     見ると、声の音素を同じにするところに意味があるのだと思うのです。

    昔は、ほとんど、文盲でしょうから、 字を読むことではなく、人の声を聞く という行為が大切だったのだと思うのです。

    今も、字を読むより、声、音を聞くという行為が大事ですよね?

    観自在菩薩の意味ですよね?

    ちなみに、vocation ヴォカションは、個人の適正の他、使命、(神の)召命という意味です。

    R子が送ってきた本は、佐藤愛子の冥土のお客というタイトルの本だった。

    霊能のある人の多くは、霊視か、守護霊から教えられた未知の事を知る、霊聴というコミュニケートによるのだと書かれてあった。

    これも、一種のvocationによってという事なんだと思うのですね。そしてそれが普遍化すると言う現れ方だったら、自分を導くなんらかの存在の魂の次元が高いという事だと思うのです。

    他者とのコミュニケートの真髄はこのような事だと思うのです。

    自分自身に絶えず

    何故?

    何故?

    と問う事。相手も、あまりにもしつこく、何故何故?聴くので
    根負けしているんですね。 @@

    自分自身の感情吐露を相手に放つという事ばかりではなく、自分自身に問う、自分自身とコミュニケートをとる、自分自身と一体になる事だと思うのです。 

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月28日 07時38分29秒

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    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

      弦楽器奏者の頭に記憶されてるわよね?

     LA の音、絶対音

     440ヘルツの LA ラの音。


     ドレミの起源


     ドレミはラテン語の聖歌(グレゴリオ聖歌)の「歌詞」から採られています。 原典はカトリック教会での「洗礼者聖ヨハネの誕生」の祝日、6月24日の第二晩課の時に歌われていた「ヨハネ讃歌」の歌詞の「一番」です。 

    Ut queant laxis resonare fibris Mira gestorum famuli tuorum, Solve polluti labii reatum, Sancte Ioannes.

    (汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、このけがれある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ。)



     この太字で表されたところから「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」という名称(音名・階名)が採用されたのです。 最初の「Ut」がどうして「Do」になったのかは知りません。 しかし、フランス式楽典では音名はそのまま、ut re mi fa sol la si です。 

    http://homepage3.nifty.com/st_peter/pps/index6.html

    しかし絶対音、唇 LABII から来ているとは、、、驚きだった。

    平坦な記号LAと、重層感のある絶対音、、唇かぁぁ〜、、

    神秘のなす業というのはこういう事なんでしょうね・

    あとから、何故か?
    そのようになるように理由や原因が見つかるのであって

    最初から、通販モラルのような事だけに、口角泡飛ばして 追随している事って、執着行為の一旦ですよね?

    ちがいますよね?自然の中で、これだけが気高い、コレだけが美しい、、というモノが感じられますよね?直観で

    http://www.youtube.com/watch?v=dj5Bh7icQPs&feature=PlayList&p=E5D9D0E92F3781B8&playnext=1&playnext_from=PL&index=7

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月28日 06時34分20秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    MSG55
    の続き、

    それで、この地図は正しいんでしょうかね?よく分かりませんが、、何て勝手な事言っておりますが、

    わたしが、不思議に思うのは、宮崎県の高千穂は長野の戸隠とは大変関係が深いのですよね。
    今でこそ、スピリチュエル世界では 高千穂と戸隠のパワースポットの力のすごさをテレビで述べるので、ここ数年スピリチュエル好きの団体さんバス観光で流行っているようなんですね。



    わたくしが主人と戸隠で逢った時はもちろん高千穂は知っていましたけど、日本の神話と言っても、作り話でしょ?の程度で、ほとんど興味を示さない若い時代に逢ってますから、、、

    しかし、不思議ですね・


    youtubeの高千穂の番組でもはりましょうか?

    神社のもつ神的空間というのは、ほんとに不思議です。
    なんというか、見てもとり肌たちますね。

    +++++++++++++++++++++++++++=


    神話においても戸隠と高千穂は結びつきが強い場所です。

    伊勢神宮に祀られる『天照大神』様が天の岩戸に御隠れになった時、

    どのような方法をとれば、『天照大神』様にお出ましいただけるかを考えたのが

    戸隠神社の中社(ちゅうしゃ)に祀られる『天八意思兼命』様で、その岩戸開きの際に

    岩戸を神力無双の力で開けたのが戸隠神社の奥社(おくしゃ)に祀られる『天手力雄命』様です。

    また、その岩戸の前で艶やかな舞いを舞ったのが戸隠神社の火之御子社に祀られる

    天鈿女命(あめのうずめのみこと)様です。

    高千穂に古来より伝わる重要な歴史書には、天岩戸を開けた際にその扉の一枚は

    信州戸隠の『戸隠山』であるという事が記されております。

    その点からも、高千穂と戸隠神社は日本でも有数の聖地として、セットで紹介して頂く事が

    多いです。
    http://www.togakushi-jinja.jp/news/post-177.html


    http://www.youtube.com/watch?v=A05jzpridRk

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月28日 06時08分35秒

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    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

     日本にいるとよく分からないけど、キリスト教の2大聖人のひとり、イエスキリストと洗礼者聖ヨハネの存在、

    このヨハネの存在は、大変な存在力だと思うのです。
    ルネッサンスの宗教絵画に出てくる、丸々赤ちゃん二人は、

    イエスキリストと、洗礼者ヨハネの赤ちゃん時代の ツーショットコンビを描いた画家の数は数限りないのではないでしょうか?
     洗礼者ヨハネは イエス・キリストの先駆者としてイエスの半年前に生まれ,イエスに洗礼を施したバプテスマ<仏語はジョンバティスト>のヨハネ(洗礼者ヨハネ)は,
    イエス・キリスト(12月25日)及び聖母マリア(9月8日)以外でカトリックが生誕を祝う唯一の人物なんですね。
    興味深いのはここ
     
      聖ヨハネ祭の起源は古く,太陽神の冬至祭だった12月25日がクリスマスに定められると,自ずと夏至の祝祭が執り行われていた Midsummer Day 即ち6月24日にバプテスマのヨハネの誕生日が祝われることとなり,聖ヨハネ祭は夏のクリスマスとも呼ばれてきた。

    「冬至」という古代からの特異日を「イエスの誕生日」とし、その対極にある「夏至」を「聖ヨハネの誕生日」に設定したということになるという事

    「イエス」と「聖ヨハネ」は、甲乙つけがたい、2大聖人なのですが、二人で一年を分けるというのは、意味があるんでしょうね。

    そういえば、日本m神道も大変興味深いんですよね。

    K子は、鹿島神社のほとんどまん前に実家がある。
    そのK子は、鹿島神社と繋がる レイライン<まるでダヴィンチコードのローズラインみたいだ>に関係する、夏至軸について日本列島に存在する神社の存在する場所を述べてきた。

    彼女の視点は、この鹿島神宮からみた日本の夜明けラインに、亡くなられたご主人のご先祖のお墓がある大分佐伯市が、鹿島まで繋がっている線上に存在しているという事なんですが、、、

    なんというか、、、なんと言うか、 なんとも言えないわたくしがいるのですよね。

    関連サイトから部分転記

     それは鹿島神宮の創建時期とその建立されている位置についてである。鹿島神宮の創建は神武元年(紀元前660年)とされているが、当然これは神話に基づくもので本当とは思われない。しかし、日本書紀や古事記に書かれた神話の中でも重要な地位を占めている。昔は太陽は絶対的な崇高なものとされていたことは今でも想像するに難くない。太陽が最も力強い生命力を与えてくれる夏至(6月20日頃)の頃の太陽の動きを考えて見よう。鹿島神宮より西南23.4度の線(地軸の傾き)を引くと、この下に「皇居」「明治神宮」「富士山」「伊勢神宮」「吉野山」「高野山」「剣山(四国)」「高千穂(宮崎)」とが並ぶのである。高千穂に降り立った神々(人々)は、太陽が昇る日の出の方向に何かを感じたに違いないので、日出る地を求めて夏至の日の出の方向に日本列島を進むのです。まず四国剣山の上から日が昇る。山の上に昇ると、四国は徳島の阿南から一番先に日が昇るのです。さらに阿南に行くとその先の陸地から日が昇ります。そこが吉野山です。吉野山から眺めて日が昇る場所は伊勢です。伊勢にある二見浦の岩の間に富士山から日が昇るのが丁度この夏至の時期です。そして富士山から眺めると日本で最初に日が昇る場所が鹿島なのです。これは偶然の一致でしょうか? 


    http://www.rekishinosato.com/essayW_15.htm

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月27日 19時10分57秒

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    「Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」

    福岡県に住むR子は、突然「佐藤愛子の本を送りました。」
     というメイルを送って来た。
     自分で買って読んだのに、本棚みたら同じ本があったの、、、
     ろ話してきた。

     どのタイトル?か肝心な事は書かれていない。

     なにしろ、ここ数ヶ月、佐藤愛子の本を、回りの皆が
     黙ってても、という感じなのだが
     持って来て、「これ 読んで?』と言うので、、
     なんだか、色々お借りした本があるのです。

     本というのは、正直いうと、好みがあるので、わたしは、よほど本人の性格や好みを知らないと、プレゼントはしたくないのですが、

    最近は、色々考える。

     信 という意識にやっかいなのは、

     自分がこんなに、感動したのだから、他人も感動するだろう、、、

     という意識がすごく強くなるらしい。それは良いのだけど、どうしても、人間というのは、感情を他者と分かち合いたいという欲望を持たされているらしいのですね。

     自分にいいと思った事は、他人も良いに決まっている、、と
     思い込むところに、他者との繋がりがお仕着せ気味になるのではないか?

     この地点において、共同体、貴方とわたしの関係を求めるのでしょうね。


     心 の接し方というのは、自然<無意識>にそのようになるようになっていた、、、と言う事が後から分かるという事だと思うのです。、その人の心の存在が時間を越え存在しようとしている、、
    という事だと思うのです。

     同じ、日本人だから
    、同じ信仰を持つから、
     同じ言語をはなすから、同じ思考同士
      血が繋がっているから、
      守るのは当たり前???

     この同じという理由でしょうか、現実たる事実というのは、肉体が滅びても、永遠にVALABLE<効力をもつ、価値のある>なんでしょうかね?



     他者は、家族、親子、夫婦 という血縁関係ももちろん含みますから、、、、

    関係ないですが VALABLE は、VAL という音素が前頭にくるんですよね。

    VAL は渓谷ですし、万人が有すであろう、真実と思わせる何かへの共通価値、、、これって物質ではないでしょう?

    物質やお金も大事ですが、大事な事はちがいますよね。

    死なないと分からないのではなく、
    死後の世界でも 心や魂の世界では、価値ある何かに向って精進させられている、、死後も生前もなく、そのような 永遠の時の繋がりの途上の上で一環した、精神の姿勢というものを、表現しないといけないのではないですか?


    話しは違いますが


    去年、秋ごろ
     癌を患っているMさんも突然、わたしに読んで欲しいという本を、6,7冊持って来た。

     佐藤愛子の本が多かった。
    読むと、佐藤愛子の半生に渡る不思議な出来事<とは言いがたい、壮絶な心霊にかんする体験談>をきっかけとし、
    死の世界に対して、宗教者、霊能者、霊的な問題の解決法実際にライフワークとしている人達との経験により、霊界に対するある程度の応えをだしている。



     作家は、文章を書く、 
     大衆とのコミュニケートであり、
     大衆、、つまり普通の人達のコミュニケートレベルに、
     照準が当てられているのでしょうね。内容を好む、好まないに関わらず、とりあえず、意思伝達や感情伝達をするという、最低のコミュニケートが出来ないと、作家にはなれませんよね?

     この方は、作家としての高い表現能力を駆使しながら、一般の人には自覚できない体験を何とか、民衆の心が感じる事の出来る経験レベルの言語に変換し、話す。

     つまり、超越者というのは、聞いてると、話す内容処は、訳の分からない、観えない世界を語られて、
    聞いてる方は経験のない 見えない事を一方的に話しかけられてくる、、、という事ではないので、佐藤愛子の存在は、現実世界での理屈の上で、照合しようとするので、助かるのですよね。


     そういった意味で、コミュニケートを重要視したい私も、
     なるほど、、という視点に気つかされる事が多いのです。

     やはり、心情や感情のコミュニケートは、表現力を問われると思うのです。それには、小さい時かあらゆる人間との対話や経験が租借でき、自分自身の普遍的な存在の仕方というのは、大事に思うのです。文学や芸術を、民族が蔑ろに扱いだすと、その民族間での豊かな感情交流が滞るのだと思うのですね。
    豊かな感情、発達した情緒、、、心 の接し方、魂の接し方は大変重要に思うのです。

    家族や回りの環境により心の接し方はスポイルされ、何でもお金を与えれば子供は満足すると思わされた事によって、
    情緒障害と思われる人達がドンドン生まれる、
    そのような人間世界で、生き辛い世の中だ、、
    と愚痴がでない方が、不思議です。

     

      それで、R子から佐藤愛子の本が届いたのだった。

     手元に届いた佐藤愛子の本には、よく遠藤周作さんとの交流が書かれている。

     読んでいると、笑える。遠藤周作さん自身と会話をしなくても、なんとなく、あのこ狐狸あん先生と呼ばれる 人柄が想像でき、容姿や言説と一致するというところで、ほほえましい。

    そういえば、わたしが中学生の頃、父の買う本は遠藤周作の本が多かった。
    書棚は廊下にあるので、わたしも手にとって読んだ本は、遠藤周作ものが多かった。その中の一冊は、タイトルは忘れたけど、珍しく、霊界の話しが書かれていた。

    今ほど、スピリチュエルの話しが幅を利かしていない時代なので。
    理性的でない、霊界や霊障問題を取り上げたこの手の内容は、胡散臭い目で見られがちだった頃、父は何故か?購入し、読後本棚に置いてあった、

    わたしが、ラップ現象を知識として初めて知ったのは、その遠藤周作の本だった。

    霊が存在する時は、必ず 生木が裂ける音がする、、という遠藤氏の表現を記憶していたのだ。

    ところで、何故?遠藤周作の本を頻繁に購入したのか?
    当時、狐狸あん先生と呼ばれる存在は普遍性があったのでしょうね?
    上智、慶応、仏文、フランスのリヨンに留学し、キリスト教信者であるという事くらいは、記憶していたのですが、

    佐藤愛子さんの本に登場する遠藤周作さんの姿は、なんというか、存在性を感じられるのだ。

    江原浩之とある日電話で話していた時に、
    突然江原氏の霊視の中に現れた、遠藤周作氏
    佐藤愛子の生前の約束事によって、現れた。

    もちろん、江原浩之氏は、佐藤愛子と、遠藤周作の二人の会話の内容などは知らない。

    この前娘達と見たヒアーアフターと言う映画では、13,4歳くらいの少年双子の一人が自動車事故で死んでしまう。母親は薬物中毒者で入院する。
    残った、少年は、双子の兄弟の遺灰を抱え、霊能者に逢うのだ。
    彼は、たった一人しかこの世にいないと思っているけど、それは違う。いつも他者<死者>はわたし達と一緒にいる


    と、その少年に言う。

    これは、霊能者じゃない、私自身、体感出来る事なので、むしろ、わたし達の心は天界には筒抜けに観えているのでしょう、、というコミュニケートが出来ている、、というところで、納得出来る言説なんですよね。

     自分自身を知る。他者を介し自分自身も観る、、というのは現象学は他者の存在を介す という事はすごく重要に話されるのですが、

     現象学というは、生きてる人間の心や魂とのコミュニケートを通し、その生かされている人達を 守る存在させてるなんらかの存在達がコミュニケートを取る
    と言う事だと思うのですね。

    それを心霊科学世界では、守護霊だとか、指導霊といった単語で表現するのだと思うのです。これはイスラム教の一人に30人だったか?沢山の天使達がその人の存在を守る、、という考えに似ていますね。

    コミュニケートは、そのような万物のものとのコミュニケートによって、大昔から その国の民族性によって口伝され筆記され教義とし存在し続けているのだと思うのです。

    ですから、高次レベルの霊体とコミュニケートする人達は、宗教や信仰を越える次元で
    コミュニケートをとるはずですし、テレパシーで伝えてきますから、わざわざ記号に現す事もないのだと思うのですね。

    ですから、今度は霊感が強い人達を導いているというか指導している人達を守る、なんらかの背後に存在する霊体の霊格や次元、または人格?といった霊魂の崇高性を見抜かないとならなくなると思うのです。

    なんでも、当たるからといっても、その人を成す魂の霊格が低いと、霊視能力を使い普遍性を利用し、人間を支配しようとしたり、自分の信じる宗教こそが正しいというような言説しか放たないという現れ方になっているので、この現れ方は他者不在ですよね。?

    判断は自分ではなく複数他者達に任されているのですよね?

    どちらにしても、魂の性格は、自由であり平等である、、そして愛す、、でしょうか、、

     愛される存在の仕方
     愛される、魂の存在は

     自分も他者を愛する、、という意識がないと稼動しないと思うのです。

     愛するというのは、自分の物にしたいという意識と全然ちがいますよね?

     現れそのものが、美しく、永遠であるから、愛さずにはいられない、、、という意識だと思うのです。

     愛するものを自分の物にしたいという思いは、ただの物欲と同じレベルというか煩悩ですよね?

    何故?自分のものにしたいのか?と考える方が、賢いと思いませんか?

    自分が、その次元に到達できてないから、、という事になりませんか?

    すると、何でも、外に意識を向け欲するのではなく、自分自身の魂の次元を上げようとする、、という考えに至りませんか?

    なんでも他力本願せず、まず、自分自身の心の内面を見詰める、
    信仰や宗教はなんでも<というと不謹慎だけど>自分が心地よい感じを受ける方法を選べばいいと思うのです。自由にすればいいと思うのです。

    それで、遠藤周作氏の話しは次回です。


    http://www.youtube.com/watch?v=UgTK-U96k5Q&feature=related
     
     

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月27日 07時33分03秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」

    もう、3,4年くらい前だったか、わたしの誕生日の日、たまたまその日は、次女とうちで二人だった。

     「ママ?今日誕生日だから、映画つれてってあげる。何がみたい?」という

    「えぇぇ?いきなりそんな事言われたって、映画ファンじゃないし、、わかんない」わたし

     「 電話で映画センターに聞いたら?』娘

     と言いながら、結局、適当に選んで二人で行った。

     その映画の内容は、ある車の事故で記憶を失った女性が、治療担当した精神科のお医者さんに恋をしはじめる話しだった、

    それは、よいのですが、 

     映画がはじまり、どこか霧のかかった、山の風景がでてきた。
    あれ?何処かの見覚えのある、風景が出たのだ?

     「あれぇ?わたし、ここ知ってるわ!」と娘に小さい声で言った。

     それは、多分、独身の頃、スイス、フランスのアルプスに滞在している時に、たまたま居候していた、家のお孫さんが洗礼をするとかで、
    よそ者なのだけど、招待されて山のてっぺんにある20人も入れば一杯になるチャペルで、神父さんを呼んで洗礼式に参加した。何故か?そのチャペルが、映画の画面に出ているのだ。

    いったい、この映画は何処の会社が配給したのかしら?
    と後で、パンフをみたら、ローヌ、アルプス地方のカルチャー資金援助つくった映画だった。

    通りで、、と思ったけど、幕が上がって、いきなり出てきた映画の画面に、昔来た事のある、風景やあの時の赤ちゃんは、アレキサンドラという名前の赤ちゃんだった。

    他にも映画は沢山あったのだけど、何故か?次女はこれにしよう、、と決め、二人で観にいった映画だった。

    不思議だ!

    話しは違うのですが、5年前に伴侶を亡くされたK子とほとんど毎日簡単なメイルを交換しているのです。


    同時にJ子や 昔の彼氏だったH氏からも、昔の思い出話に花を咲かせている。

    めんどくさいので<なんて言うと怒られる>
    あなた達、J子の家に集まって、手持ちの写真を持って、見せ合うなりしててひさし振りに会えば?

    と話しかけてみた。J子は、「OOOが来れればなあぁぁ」と私がいれば、もっと花が咲くというような事を言う。
    イヤイヤ、わたしはフランスにいるんですよ。

    H氏など、「嬉しいお誘い、なんだか恥ずかしいなぁ〜」とか言う始末。

    あぁぁーた達、大人なのだから自分でうまくしてね?


    なんだか、幼稚園の先生みたいな役割をしている。

    お膳立ては全部してあげたのだから、、
      
    なにしろ、成人式を向える子供達がいるパパやママ達が、10代の旅行の写真を持って、集まるのだから、確かに懐かしいといっても、多少の緊張感はあるのでしょうねえ?

    ろ対岸で、のんびり皆の心境を眺めている。


    k子が、H氏が韓国に出張行くって言ってたから、o月oo日で、J子の家に集まる事にしたの。、、、
    とおとといメイルで送って来た。

    なんだか変ねえ、、と思っていたのだ。
    カレンダーを見てみた

    あぁぁ、、やはりと思った、

     その日は、シャートルに住むおとといいらしたp氏の

     聖人の日だった。名前が同じなのだ。日本とフランスでリンクしているのかしら?

     やはり、ジョンバティスト<洗礼者、聖ヨハネ>はすごいね?ダヴィンチさん?

     写真は、珍しい、レオナルド、ダヴィンチの彫刻。
     もちろん、洗礼者聖ヨハネです。




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  • from: めるろ〜001さん

    2011年02月25日 09時24分00秒

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    「Re:Re:感性の時空ではないですが」
    "どちらにしても宗教に関しても、東洋は、インド、原始、上座部、大乗、、という流れの変化は 時間を必要としてますから、
    歴史は、多数の人間の心の存在があると思うのです。

     変化する、というのは変化しなければ存在し続ける事が出来なかったのだと思うのです。
    むしろ、必要に迫られたという観かたはすごく哲学的です。
     哲学は大衆の根底に根ざしますから、人間の進化の方向に
     羅針盤の矢印は向いていると思います。
     普遍性を観る という事はそのような事なので、
     どうしても、先、先、と、時間を越える姿勢を求められてしまうのだと思うのです。しかし、肉体は時間の流れに乗っていますから、、しかし、この肉体は社会、土地、言語、民族、土壌にどっぷり使っていますので、
    どうしても、自己保存の意識が働くのだと思うのです。"

    ゾロアスターの部分は文化的な移入であると思います。
    既にあったものと自己の習慣が類似している。
    故に、移入してきたということかと。

    仏教が、バラモンとの葛藤を経て、
    原始仏教、上座部、大乗、密教と歴史的に発生してきた経過は、
    必要に迫られていたというのは、理解できます。

    普遍性とは完成に向かうことですから。

    確かに、生きている時間と観る時間は、ずれがありますね。
    そのずれが、生きて探求する原動力かと思います。

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  • from: めるろ〜001さん

    2011年02月25日 09時08分35秒

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    ティク・ナット・ハン氏の指摘

    <現代の物理学者が、宇宙を観察する時に観察者という表現が適当でないと感じています。むしろ関与者であると。>
    <私が講演する時にもそうです。聴衆者として聞くのではなく、
    聴衆者が私と一体になって実践し呼吸を行うことを望みます。>

    <正しい認識が行われるためには話し手と聴衆が一体にならなくてはいけません。>

    <非対立ということは二つで無いということです。
    しかし、二つで無いということは一つで無いということでもあります。そこで私たちは、「一つ」という代わりに「二つで無い」と言うのです。>

    何か、空海の即身成仏への道の一番最初の段階を表現しているか
    のようです。

    この段階に行くには、少なくとも自然や宇宙を観察者としての位置と関与者としての位置を見分けていなくてないけません。

    ブッダは、「梵我一如」を否定しましたが、
    自然を観察し、その因果縁起を知りなさい。
    それをまず知らないといけない。それを知ることは自己を知ることだと。

    それはいかななる状況か?

    ティク・ナット・ハン氏がそれを語っていただいていると
    思います。


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  • from: 沙羅さん

    2011年02月25日 07時27分09秒

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    「Re:Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

     パリから60キロほど、南下したところ、シャ-トルの住む ヴァイオリン教師Pさんが、バカンス来られてた。
    わたし達家族がバカンスに滞在するアパートメントの前の家主をよく知っている方で
    自然と親しくなってからかれこれ10年以上になる。

    食前酒にご招待したのだ。

     この夏娘とコンサートをしないか?という話しらしい。
    バカンスが長いフランスでは、バカンス先でも、すこし楽器を触らないとドンドン感触を忘れていく。「息子はフルート奏者だから、息子も呼ぶかな?
    ジョンバティストは、たしか同じ年齢だろ?」と娘と同じ年に生まれている

    そういえば、ダンサーのレベルは1日踊らないと、自分自身が分かり、
    2日踊らないと、教授の目にわかり、3日踊らないと、観客に分かると言っていた、、怖ろしいですね。練習を怠る事できませんね。


     P氏はうちのサロンで、2時間ほど、お喋りをし、パリやブルターニュの音楽院の教授達と文部教育省達の話しを面白おかしく語ってくれた。


    「そういえば、2ヶ月前、このマンションの3階にあたらしく引っ越してきた
    ご近所さんがいるの。シャートルから来た、、と言っていた。」私


     「なんて言う名前」P氏

     「OOOOOOさん』私

     「僕の昔の生徒に同じ苗字の生徒がいたなぁぁ」P氏

     後で、聞いたら、P氏の生徒さんだった。

     シャートルまで500キロはあるのに、不思議ね?

    P氏は、ハイ!お土産と言って、
     彼の弾く四重奏のCDを娘に渡してくれた

     
    ダヴィンチのジョンバティストですね。
     <洗礼者聖ヨハネ>
     

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  • from: 沙羅さん

    2011年02月24日 19時17分31秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

    色々な人と話していると
     あぁぁ、、なるほど、、と
     気つかされる。

     特に、外国で暮らすと、日本語だけで暮らす生活の価値観や物の価値観、宗教のとらえ方と違いが見えてくるという感じなのだ、

     例えば、

     バカンスに行くと決めると、色々な人に今度バカンスに出かけるから、、という日常通話が飛び交う。
    わたしの場合、このフランスにすむのだから、フランス人達と話、日本人には日本語で話す。

     例えば、

     「何処行くの?」

     と、日本人にもフランス人にも聞かれる。

     ここまではいいのですが

    「 ルルドに行ってこようと思う」

     と応えるのです。

     フランス人達の反応は、

     「ああぁぁ、いいね、ピレネに近いなあ、」であったり
     「なんだっけ?ミディで食べれる美味しいもの?」であったり
     「自転車で走るのは大変そうだ!』であったり、、(主人が自転車で走るのが好きなのを知っている)

     という呼応というか、反応が返ってくる。

     ところが、日本人の友人達と話すと、

    ほとんどの人が、

     「アレ?キリスト教だっけ?」と聞いてくる
     もちろん、フランスに何年も何十年も住む日本人達なのだ

     この質問がでる土壌の質というのを、分析する。

     これでは、ルルドに行く人達は、キリスト教信徒に決まっている、
     キリスト教信徒でなければならない、キリスト教信徒に違いない、、という判断がまずあるのでしょうね。

     ルルドには、大聖堂しかないのではなく、
     色々あるのですよね!
     何故?聖母マリアが洞窟の穴に出現したのか?

     というと、この地方には沢山の洞窟があり古代人の生活環境をそのまま保存されてて、知識欲をくすぐる場所がかなりあるのです。

     全体を把握するという事は、部分に呼応したり、過敏に反応するという事ではなく、
     何故?
     人ビトの足が自然と向うのか?
     何故?
     普遍化という現象が生じるのか?
     であり、
     個人の持つ、信仰や宗教や また哲学にしても、又右派であるか左派であるかにしても、

     どうでもいい事なので、まず全体を観る全体像から、すこしずつ 中心に向けていくという方向の思考は、大事ですし、これからどのような方向に哲学が向うか?という未来への何らかの動きを把握するのには必要に思えます。

    そのような思考に力をもたないと、時間を後ろから追う事に情動をバタバタさせるだけ、、、という事になりませんか?

    関係ないですけど、

    選挙の前になると、昔MSNの国会さんのサイトに
    バタバタと今まで全く書き込まない新入りの人達が書き込む、

    国会さんも、いきなり訳の分からない内容の過激な質問に、
    同調する事はなくてもちゃんとそれなりの、接し方をされていたのですが、、しかしぃぃ、
    選挙の前になると、突然書き込み行為
    が好きな方ガタの文体を分析すると、

    何故か?
    単語、テキスト、切断
    紋切り単語の 主張や呼応が多かった。

    選挙が終わると、すーと、居なくなり消える人達の現れ方

    ほんとに、息が短いのですよ。

    大丈夫かな???
    今も生きてるのかな?<笑>そういう現れ方の人達。。
    かえってこちらに心配をさせる、存在の人達なんですよね。、、
     
      ま、話し、又はずれました、、

    http://www.youtube.com/watch?v=Op3Bt-giptw&feature=related

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