新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 沙羅さん

    2011年08月31日 23時34分35秒

    icon

    「Re:一人言コーナー」
    このサイトの今後の事について

    今、

     サイトを立ち上げた 発起人さんが、何かの理由で続行できなくなったり、他界された場合、代行人の人のパソコンに そっくりそのまま、情報を移す事が出来るのか?調べたけど、やはり、出来ないようなんですね。

     めるろ〜さん仕様のサイトの情報なので、管理人が変わる時は、新しく建てる、、という手段しかないようなんですね。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月30日 23時40分38秒

    icon

    「Re:一人言コーナー」

     鹿島神宮の前に実家がある、学生時代の友人 Kちゃんが、

     わたしにすごく 似ている人のブログがあるから、読んで欲しい

     と云って、貼り付けてきた サイトは、松原照子 さんという方のブログで、開けても、エラーで見れなかった。

     そのまま、ほっておいた。きっとわたしのパソコンが、ヴァージョンUPさせていない原因なのか?めんどくさいパソコン機能に無関心であるので、開けられないのは、うちのパソコンだと思っていたのだ。

    数日たって又 K ちゃんから、「読んだ?」

     と催促されたので「、読んでない、、というか、開けられない」

     と返事した。

    そこで、初めて、開けられないのは、
     アクセス集中の為で、

     この松原さんが、2月16日の書き込みで、東北地震、陸前の場所の名前まであげて地震がくるのを 予知し、ブログに書いていた事による事らしい。
     
     この方は、地震を予知してしまった事で、メディアから求められてご本を出版し、最近みたら、

     ブログは、有料らしく、

     彼女の書いた ブログを読むのは、有料、、、らしい。


     しかし〜、、、、、


     なんというのでしょうか、、、

     地震を予知をするって、いったい どういう 意味があるのか

     考えさせられる 今日この頃です。


     いったい、予知する事で、助かる 人が 沢山いるのでしょうか?

     とか考えたりする。

     予知出来るのは、起きるからであり、、
     起きないのは、 観えないはずなんですけど、、

     その自然災害に運悪く、、命を呑み込まれてしまう方を助ける事って、いったい、、、超能力者の力量範囲の事なのかしら?

     人生の行動を決める決定時って、、、、、、

     先の事が 観えてしまう人達にとって、

     どのような倫理感を求められているのかしら?と思ったりする。

     分かるのは、超能力者には超能力者の悩みがあるでしょうし、
     そのような能力を持たない大多数の人達には、理解できない、次元で悩む、、という事らしいのが、わたしなりに見得てくる。

     そして、分かる事は、彼らが死後の世界の魂の存在の仕方まで、長いスタンスを持って 自分のしなければ いけないミッションを見据えてしまっているのだと思う。

     友人の I さんは、地元で、知り合った 超能力者の MIさんと知り合い、MIさんから コンタクトを取って来た事があったという。

     I さんも、波動が強い方なので、広範囲から色々な人達が自然に集まってくる。
     超能力者が、自分に親近感を感じ、お互いの 家族構成や、伴侶の存在が、分かってしまうまで、距離を近づけ、合って話す、、という関係を造る、、というのは、

    ある意味 考えもんである、、と話してきた事があり、、同感を得た感じだった。、

     
     しかし、輪廻転生 説を 真正面から説く、何処かの 宗教家の人の お説法を聞くより、

     このような、前世や過去世が 観得ているであろう人達自身の 独り言を、フト、聞かされる時ほど、ドキっとする事はない、、

     という事を述べてきた。

     何故なら、
     私達は、誰か、超能力者に遇い、全て当てられ、
     過去世は、この人です、、だから、、このような 現在の現われ方に貴方はなっているんですよ、、と言われても、

     「なんだかなあぁぁぁ、、」

     と、心の 奥では、 納得出来ない、、懐疑心を消せないのである。

     例えば、わたしが、R子の話を聞いて、興味をもって、生まれて初めて
     遇った、W 氏は、

     わたしの、名前も聞かず、何処に すんでいるか、何をしている人か?

     何も、聞かず、一番最初、遇って 一言が、

     「貴女、書く事 ばかり してるでしょ?」の一言であった。


     これには、やはりびっくりする。

     知らないであろう、知らない情報が、超能力者には全て観得てしまう、、という事らしい。

     つまり、このサイトで書き込みも、5年前のMSNの書き込みも、めるろ〜さんのサイトに書き込む行為も、
     私自身の 自発意志ではなく、
     わたしの、後ろに観える、<何でも、机につっぷして何か一生懸命 書いている様子を、W氏は、してみせた>
     外人さんらしい。

     書く、、、と言う事は、全然苦にならないのは、

     どうも、わたしの、後ろの人にいる 第三者の魂の存在と一体だかららしい、、

     又、こんな事も言われた、、

     2500年くらい昔の、すごく大きな家に生まれた子供らしい。

     自分の生まれた環境と、回りのインド人の人達の環境の違いがあまりにも 違うので、父親に相談したら、ゴータマ、シッタルダなら応えてくれるから、遇いに行ったという。

    しかし〜、、、、、ここら辺になると、 
    しかし〜、、、マジかな〜???という気持ちが生じるのは

    普通の人の現実派感覚があるのでしょう?


    つまり、いちおう戸籍は、日本人で、赤いパスポートを持っているけど、

    本とは、インド国のパスポートを持って 形而上の国では 行き来をしているらしいのかな?

    という考えてもいいことになる。

    しかし〜これでは、、、、

     現実に生きていくとなると、こういう事を 信じてしまうと、、、
     回りに生きてる人達と、コミュニケートが出来なくなるのですよね?

     この、境界線は、ちゃんと自我を司る、思惟がしっかり、自立させないと、

     なんだか、訳のわからない 世界の事を、回りの人達に 放つ事になる、、、、

     それだけならいいけど、明らかに、他者とのコミュニケートが断絶していると思える人や、明らかに、心の病にかかっていると思われる人達は、自分自身の世界に浸り、感情交流ができない パイプが切れている事さえも、自覚がなく、まるで一方通行的に、話をしてくる人がいる。

    こういう人達は、 波動が低く、普遍性の力がないので、他者との関連性が観えないし、波動の法則つまり、不思議な出会いの法則は働かない。

    人々は、回りに集まる事がないのである、意識的に集まる事でしか、存在出来なくなってくる、つまり 稼動しない、勢いを持たない、その場限りの人間関係造りに、しがみつく、、という感じらしい。

    人間関係は、ドンドン 変わるし、新しい人へのバトンタッチがすごい、その流れの 向きは、未来であるし、外に向っている、、

    自分の外へ向う流れですね、、だから、不思議なんですね。

    知らない人々、近しい人々で、先に情報が知られているのではなく、偶然に会わされるように観えるからなんですよね。

    ま、それは良いのですけど、

     ブログの有料化は、読者が多いという事なんでしょうね?

     この読者は、何を 求めているのかしら?

     読者の立場ではなく、読者が書く、ブログを、有料化出来るような、
     その人、その人の 次元をあげる、、、という事が一番

     重要な事に思うのですよ。

     いつまでも、受動態で、放たれた言説を読んでいても、変わらないと思うのです。

     ま!、これも、独り言ですけど、、

    この絵馬は、去年渋谷の金王神社にお話うかがった時に、お土産にいただいた、絵馬なんです。

    ご主人源義朝の死の報告を、常盤御前にしている絵馬らしいのです。常盤御前の連れてる子供は、あの 義経、、、牛若丸です。

    牛ねぇぇ、、、うぅぅぅ〜ん、、、


    幼名って関係あるのかしら?

    仙台藩の伊達政宗の幼名の、梵天丸ですし〜、、


    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月30日 18時42分08秒

    icon

    「Re:Re:Re:Re:実感・体感できるものを」
    MSG660


    の続き

    時々、自分の無意識に書く日本語という文字が、すごく自己感覚に近づいて、日本語になっていないのを気がつく。

    後で分かっても、訂正する事はないので、分かってての日本語を間違って書いている。めるろ〜さんは、そこら辺の、わたしの脳内の仕組みは分かって 読んでいると、話してらした。

    500年以上昔とか、1000年以上昔、、という書き方はするでしょうけど、、

    数字表現で困るのは、


    1000年を短いと感じる魂と

    例えば、300年を長いと感じる 魂が存在するでしょう?

    それを記号表記にしてみる
    、一律には出来ないのですよね?、、、という事を、昔から述べているのですけど、、、、

    いつも、いつも同じ事、、

    世間では、、〜です、、

    普通は  〜 です、、、

    という表現で、世間の人達の普通の感覚が 正しいと誘引したがる

    その自己誘引に誘う、話の展開には、何も 真理に近づくと思えない
    思考の仕方を感じるのですよね?


    ただ多数党の考えに準じる、、追随する、、という考え方です、

    それは、それで良いのですけど、、

    これはいつまでも、対峙世界をつくる基本というか、ベーシックな世界、想念の世界でしょう?

    停止する世界つくりですよね?

    未来が見えない、時間を後ろから追いかけているのでしょうと思います。

    それはそれで、今まで世界は機能してきたのでしょう、

    ある程度の、労働による富が分散されて、納得のいく、豊かさが 国民にわたり、高度経済成長の上り坂だったのでしょうね?

    そうそう、それで、何を述べたかったか?

    というと、 1000年近い昔、、という表現をしているわたしが居るのですが、、

    近いのでしょうかね?

    1000年というスパンは?と

    自分で考えるのです。

    一年という感覚も長い、短い 個々人違いますが、、

    面白いですね?

    写真は

    祖母の着ていた帯の柄を額装にしたおばから頂いた、祖母の思い出 

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月30日 18時18分40秒

    icon

    「Re:Re:Re:実感・体感できるものを」

     祖父母の永眠するお墓のある
     渋谷金王八幡神社

     から、わたしの生まれる前に他界している祖父の話しを辿り、

     「薩摩から、お殿様について関東に出てきたらしい」

     本当に、母の口から、

     「おとのさま」という音素が 放たれるのを、聞いた時は、

    「 だいじょうぶなのかなあぁ? 」と、思わされるのだけど、

     多分、母が、小さい頃、祖父が そのような言葉で、話していた記憶があるんでしょうね?

     と思って聞いていた。


     薩摩に親戚は一人もいないけど、いないのは途切れているだけで、実際、祖父が、あれほど、生前、渋谷に住んでいるのでもないのに、拘って、渋谷の金王神社の神主さんを家に数回お呼びした、事を聞かされると、、、

    何かあるでしょう?

    と思わされるのですよね。

    白黒写真の 祖父のお葬式の写真は、渋谷の 金王八幡神社の3代前の神主さんである事まで確認がとれた。

     しかし、渋谷 という苗字は、薩摩の歴史を辿ると残っていない。

     軍人の出が多い、、と渋谷の金王神社の神主さんに、言われた時に、
     確かに、随分母方の出身は軍人が多い。

     陸軍大学の卒業名簿をサイトでひくと、名前だけ聞いた事のある、曾おじいさんの名前が確かにあるのです。
    、渋谷が薩摩出身であり、この頃の薩長出身者の家系が、軍人になるのは、歴史上調べてみても、自然の成り行きだったに違いないと思う。

    それに比べると、父は、町人の家系らしく、娘の私からみても、

    まったく、二人は、油と水で、全然ちがう。

    全然違う出の他者同士だから、一緒に なって、お互いを理解しなさい、、、という神様の 采配なのでしょうか?

    と思ったりするくらい、違った。

    その母が、自分で、 「御殿様についてでて来たのよ」と、

    母は、自分では、時代に生きる言葉を 使っていない、、という感覚はないらしい、、、、

    どの御殿様なのか?

    分からないのだけど、、、

    昔は、みな、御殿様について、あちこち、日本に住み着いたのかもしれない。

    なにしろ、渋谷に祭られてる金王丸は、鎌倉時代の人間なので、1000年近い昔の事、、、


    薩摩の島津藩と、ザヴィエルがキリスト教を布教した時期は、1500年なので、500年くらい経っている。

    500年のスパンで、考えても、結構歴史の変動の流れの方向を探るのは大変。

    とりあえず、島津藩と渋谷氏はどこかで、関係しているらしい、
    という手応えを感じるのですが、大雑把な把握をしているのもいいけど、これでは、日本中の人間が皆、何処かで繋がっているらしい、、という事が言えるらしいので、、、

    それでは、あまりにも、大雑把過ぎるので、、

    とりあえず、薩摩から島津藩あたりを探してみようと 思っているのです。

    この家紋なんですけどね?

    島津の家紋が十字という形なのは、述べましたけど、、

    ザヴィエルの首にかかっている 十字架を見て、初めて会見した、島津貴久は何を 思ったんでしょうね?

    ザヴィエル自身は、イエズス会発足を、パリのモンマルトルで、聖母被昇天、8月15日にあげてますから、、

    日本上陸が8月15日だったり、島津貴久の亡き妻の命日が8月15日
    だったのも、不思議でもなんでもなかったのかしら?

    このような本人の心情が語られる手記というのが残っていればよいのですが、
    残されている記録は、全て結果を記録する行為なのでしょうね。

    途上の心情を語るというのは、文学的な表現能力が問われますから、

    文学を書く<表現する>、、という能力を 当時の人達に求めるのは無理なのかも知れませんね。

    ま!それはよいのですが、、、

    島津藩の氏神は、お稲荷さんらしいのですよ。

    このお稲荷さん、、不思議ですよね?

    久留米の大学稲荷神社の 御神紋は、

    島津藩と全く同じの、丸に十字らしいんですね。

    フランス人のご主人と結婚されたR子の 出身は、久留米なんですね。



    写真は、大学稲荷神社の 御神紋だそうです。

    ==============================

    稲荷神様のお社は全国で4万社とも言われています。
     弘法大師との関わりも深い神様で、神仏習合の象徴的な神様です。五大稲荷と称される「最上稲荷」「豊川稲荷」は神社ではなくお寺です。

     福岡県久留米市に鎮座する「大学稲
    荷神社」なぜか御神紋は轡紋(丸に十
    の字)=島津家家紋と同じ。  稲荷大神様は島津家とのかかわり深く、島津家の氏神と言われている。
     稲荷信者であった源頼朝公は始祖「忠久」の父であるからだという説や島津家(惟宗家)は「秦氏」の子孫であるという説もあり秦氏もまた稲荷信者であったようです。
    よって、薩摩、大隅、日向南部は稲荷神社が多い。
    http://hayachi0inari.okitsune.com/index.html


    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月30日 17時07分08秒

    icon

    「Re:一人言コーナー」

     朝起きて、メイル箱を 確認し、2.3お気に入りのサイト開けて
     ,眼を通していると、時々、門きり型の 広告宣伝文句が 目に付く

     今朝は、どこかのサイト検閲してたら、いきなり

     [あなたは、何 もらう? ]  という文字が画面に現れるのですよね?。

     反射的に、何も イラン!、

     と応えている自分がいるのだけど、、、

     何故?

     「何か、人からもらわないと、ならないのでしょうね?」

     と、思うのですよね?

     潜在意識に、

     何か、いつも、いつも、他人から もらう事が普通の事だと

     思わせるように、インプットするのでしょうかね?

     購買欲は、他者や他方から無意識分野に 働きかけるのではなく、

     自分自身の、内なるモノ、力というか、自我の存在しようとする力なんですけど、、、 

     なんだか、いつも、いつも、安いと思わせ、購買欲を煽っている世界に
     受動的な身で生かされると、、
     自分の欲の大きさの方が、実現出来る 限界を超えるでしょ?

    よって、無駄使いをしてはいけないとか、
     冷蔵庫に残る、残り物でなんとか、食事をつくる事に主婦は、やっきになり、男性は、パソコンのプリントに使うカートリッジが安い場所を探しに行くという 「同じモノを購入するなら安い方買うの、当たり前でしょう?」みたいな、物質市場主義に無意識にどっぷりつかって日常生活をするのでしょうね?

    フロイトは、人間の70パーセントは、無意識分野の影響からくる行動に至ると述べています。

    つまり、何か行動に至るにしても、言説に至るにしても、

    何故?

    その行動や、

    何故?

    その言説を放っているのか?

    何故?

    他者の言説の 後追い 反応 ばかり してしまうのか?

    何故?

    他者を対象視しなければ、何も 反応ができないのか?

    と、、色々考えませんか?


    何故?

    という日本語を、フランス語に 変えると

    何の為に  POUR QUOI プルクワ です。

    為に POUR <TO> が入っているので、

    通時態での意識なんですよね?

    運ぶです。

    止ってないんです。

    時間は、止ってないです。停止していないんです。

    未来の足掛けが必要なんですね。

    つまり、未来に起きる何かがあるから そのように、現状生じているのですよね?

    ですから、因果があるから、生じる、、という風に、仏教では教えるのでしょうね?

    同時に、スピリチュエルの 超能力者達は、

    「偶然はなく、全て必然です。」と、断定的な表現をするのでしょう?

    再度 書きますが、

    表現力 というのは、人間生活においてある程度必要な能力でしょう、、と思います。

    なんでも、真実を 言えば、なんでも、分かりやすくカンタンに 断定形を使って、述べればいい、、というコミュニケートの仕方の人が多いですが、、

    これは 人間的にEVOLUER 進化していないと他国から判断されやすいのではないですか?

    表現力は、やはり抽象表現という高次の世界での表現でコミュニケートする方が、普遍性をもつと思います。これは、海外のデイベートを観ていて本当にそう思います。

    しかも歴史はその方向に 変化<進化>していると思います。

    デイベートは 言葉ですが、芸術も、抽象表現の能力があるかないかで 存在性が出て来ますし、、、

    実学に赴きを置くというのは、もちろんわかりますが、

    あるていど、年齢を加えたら、やはり時間をくぐってきた、、という人間味が加わるのではないでしょうか?

    人間味はやはり 普遍的な コミュニケートでしょうから、、

    偉大な知識人だ、、、と世間で表現される 本当の意味は、

    平坦な知識、、という言葉 のみ の解釈ではなく、

    知そのものの、姿は消して、そのかわりに 本との人間の知を獲得するための 長い労苦が形づくった 知的、道徳的な 人格が現われる、、、、

    という次元に上げる、、という事が 高次の世界ではないでしょうか?

    哲学をするというのは、その 人間の生の途上の行為、一旦なんでしょうと思います。

    ですから、色々、言表行為が成されるサイトも見ますけど、
    人<個>に帰属してしまう言説なのですが、、

    哲学 という言葉は、

    個 から  人間 へと、

    視線を向けないと、、

    いつまでも、自己主張といった、言説を超えないですし、

    自己主張して、世間の反応を観て、仲間や同価値観の人<個>を集める、、、という現われ方では、なんとか同好会の世界、趣味の世界でしかないでしょう?

    違います?

    世間という世界、、つまり宇宙、、という世界は もっと広い

    普遍的なものではないでしょうか?

    自分の 存在が 普遍的な存在でなければ、孤立していきます。

    共存の世界から、自然と離れていってしまうんですね。

    長い目で見れば、その方向に向っている、方向SENSが感じられるのですよね。

    先ず、一つの対象に、視線を 固執したり、執着したり、FIXさせないで、

    全体把握してみてください、、、

    総体的に、自分の置かれている世界を観る、、、

    パソコンの後ろには 壁があり、壁の後ろはなんですか?外ですか?

    外には、何があるのですか?ご近所?
    道路?

    そのような、外から聞こえてくる音がありますよね?

    何故?

    今、電話の音がなるのだろうか?

    考えませんか?

    電話の主は誰だろう?

    ではなく、

    何故?

    電話が 今 鳴るのか?

    といった、 時間の 前後の 繋がり<途上>において、、です。

    霊感が強い人は、そのような分析はしませんが、

    もうそろそろ、何々さんから、働きかけてくるな!みたいな予知を感じるのですよね。

    でも、そのような 感性ではなくて、

    科学的に分析をすると、心理学や精神分析 といった分野の、手段しか、この世にはないでしょう?

    ま!全部総体的に 身につけるのが、一番いいのかも知れませんけど、、

    とりあえず、健康な社会をつくりましょう、、

    心身ともに健康な世界、、社会をつくりましょうよ、、

    元気のでる世界、造りましょう。

    未来の子供達の為に、、

    結局 自分の未来の為ですよ、、


    死後も魂<心>は続くのですから、他人事として考えてはいけませんよ。、

    自分自身の 魂、心が癒される場所を、生きてるうちに、努力するという意識の姿勢を永遠にわたり問われているのではないですか?

    魂の 存在しようとする 次元の高さは、この 永遠の途上における
    経験<形而下>によるのではないですか?

















     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月30日 00時50分10秒

    icon

    「Re:Re:世界ーuniversel」

     去年行った フランス、南西部にあるラスコーの洞窟は15000年前に描かれた
     壁画ですが、

     この場所は、クロマニヨン人達の、サンクテゥエー

     SANCTUAIRE 聖域、神殿聖地だったのですね。

     この地方には、クロマニヨン人達の洞窟であったと思われる
     洞窟は、20くらい発見されています。

     壁画の中に、明らかに、交霊がされているであろう、人間が床に仰向けになっていて、顔は、口はしが長い、鳥のお面みたいのをつけているのですよね。
     なんでしょうね?

     この時代に 招霊すると、過去世といったら、恐竜時代に辿りつくんでしょうかね?

     なんだか、ジュラシックパークの話ですね。

     ま、とにかく、岩窟 の中というのは、本当に、感じるのですよね。

     地球 の中ですから、、ルルドの聖母も、硬い岩盤の 中に ひょっこり現れるし、、、精霊は、、岩の中、、お好きなんですね。
     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月29日 23時53分15秒

    icon

    「Re:世界ーuniversel」


    ハイ、日本の神様が一番最初に降りた、場所

    高千穂、天の岩戸です。

    洞窟みたいですね。

     レオナルド ダヴィンチの作品に、

     岩窟の 聖母 というのがありますね。

     ダヴィンチは、イエスより、ヨハネの存在に意識が引かれるのですよね。

     なんとなく、類似性を感じますよね?

     聖ヨハネ十字軍も、十字架の聖旗ですし、、、

     、

     


    天の岩戸



    天照大御神が岩戸にお隠れになり、世界は、真っ暗。ゆきずまった時、光を見いだす方法とは。

    ________________________________________

     須佐之男命は、勝った勢いでいい気になり、天照大御神の作った田の畦を壊し溝を埋め、御殿の中に大便をまき散らしました。みんながあきれてみている中で、一人天照大御神だけは少しもとがめようとせず、決して悪い気持ちでやったのではないと考えました。須佐之男命の乱暴はだんだんひどくなり、機織りの御殿に向かって、まだらの天馬の皮を剥いで投げ込みました。機織機は壊れ、織り姫の中には驚いて機織り機にぶつかって死ぬものまででました。さすがの天照大御神も、これ以上ほっておけない、自分の責任だと感じて、心を清め高天原を清めようと、天の岩戸の中に、岩戸を立てて閉じこもってしまいました。
     大変なことになりました。太陽の神である天照大御神が隠れたのですから、あたりは真っ暗になってしまい、夜ばかりの世界になってしまいました。悪い神も騒ぎだし、災いが吹き出すように出てきました。困った神様達は、早く天照大御神に出てきてもらおうと相談を始めました。一番知恵のあるおもいがねの神に、いい方法を考えてもらうことにしました。
    まず、長鳴き鳥を連れてきて「コケコッコー」と鳴かせ朝を告げました。
    次に、大きな鏡を岩戸の前に置きました。
    そして、神に捧げるよい言葉を唱えました。
    力の強いたぢからおの神が岩戸の陰に隠れました。
    最後に、あめのうすめの命が大きな樽の上で裸踊りをされました。このダンスを見て神々はあまりにもおかしくて大笑いをしました。
    あまりにもにぎやかになったので、天照大御神は、気になってそっと隙間から外をごらんになり、私が隠れて外は真っ暗なのにどうしてみんな楽しそうなのかを尋ねました。あめのうずめの命は、
    「あなたよりもっと尊い神がおいでになったので皆喜んでいます」
    と答えました。
     そのとき、ふとだまの命はそっと鏡を差し出しました。鏡には、光り輝く女神が映りました。天照大御神は、それが鏡に映った自分の姿とは気づかず、さらに身を乗り出して隙間を空け、ごらんになろうとされたところを、たぢからおの命が岩戸をつかんでぐいっと引き開け、天照大御神を外へお出ししました。
     こうして高天原に再び光が戻ってきました。
     長野県に、戸隠山という山があります。岩戸を引き上げたとき、力が余って岩が下界に飛んでいき、それが戸隠山になったと言い伝えられています。
                  

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月29日 18時02分46秒

    icon

    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

     おはようございます。

     突然ですが、少し 密教 について書いてみますね。

     密教を調べると、三密 という言葉がよくでてきます。

     また、三密加持 という言葉もよくでてきますね。

      三密の実現に関わる概念
      を、「加持」 と 放たれていると思うのです。

      「身体」、「言語」、そして 「心」

      この3つの働きの場において、
      神変の状態を存在させる

     顕現している状態を、加持 という言葉で 現すのでしょう。

     秘密の密という記号がつく 密教 ですが、、

     現代人が感じる、秘密の捕らえ方ではなく、

     むしろ、不思議な事が、見えない状況を、不可思議、秘密

     と称しているのでしょうね。

     何故なら、
          如来の側からしてみれば、

       こんなに、ありありと顕れているにも関わらず、、、

      という気持ち<心>の状態なのでしょう。

     ところが、3次元の人達にとっては、何も感じない、何も観えない、、、、

     だから、如来も神も創造主もアラーもその他の宗教の語るところの神に値する存在も、いる訳がない、、、、

     何故なら、科学的に証明出来ないものは、 いる訳がない。

     信憑性のない、科学的でない、理性をともなわない、、

     このような事は、全て 価値を持たない。世間の人々を迷わす
     ただの、占い分野の範囲から出ない 戯言なのだ!

     と思ってしまう、、、いや、むしろ、思いたい。

     よって、万が一科学的には実証できない
     この世の現象は、その三次世界の決まり事にしか、価値をおけない、、、人達がつくる対峙世界での 応答は、
     いつも、決まり文句の一つ

     「貴方の言う事は、妄想に過ぎない でしょう」、

     で、片付けられると思ってしまうらしい。

     しかし、実際は、
     科学信望、、、そう思いたい、、、という自己保存の希求運動からくる言葉なんでしょうね。

     その科学への価値観を絶対と思い込みたい
     その意識がどうのこうの、、、という事を述べたいのではなく、


     そろそろ、アアいえば、こう言う こう言えば、ああ言う、状態で、

     ちっとも、世界は 日本は 変わらない、、

     この時間を後ろから追う事ばかりの感情吐露を 分かってくれる身近な人達だけに放つ、、、親密感を増したり、、
    アイロニーに堕ちる事、大衆の共感を得ようとする事で、自己の存在の認識をする、、

     この世界から 抜けましょうよ、、

     美しいものに触れると、心が歓喜する、、という

     そのような、心の動きの繊細さは、まだ残っていますか?

     美 です。

     美に触れても、まったく、無感動な心を持ってしまっては、

     万が一、如来の働きが、顕現されているのに、何も感じない、、、、では、、、、、、、困ります、、

     密教の 密は、 秘密の 密という意味ではなく、

     不思議な事、、、
     「広大無辺に降り注ぐ甘露の法雨を持することの出来ないもの」にとって、その甘露の法は

     「秘密’不可思議」にすぎないのでありそれを受ける器に関わり無く如来の慈雨は降り注いでいる、、、

    なんら 差別があるわけじゃない、、、、

     と、密教、自心の探求 生井智紹氏の本からの抜粋ですが、、、、

     、

     身体、、言語  そして、心、、です。


     認識や知識に頼る事無く、 心 の動き です。

     自分が、どの人と、どのような 心域で、 接しようと、呼応しようと

     しているか、自分の 心  というものを、探求 してみようではありません?


     そうすれば、大概の回りの 人達の 近づいてくる 

     あまり大した問題とも思われない、そのようなイザコザに 翻弄しなければならなくなる事もないと思うのです。

     思うのですが、

     日本にいれば、日本の歴史を造ってきたと思われる人達の思いや日本の神様の存在が、

     フランスに居れば、その土地のフランスの歴史を動かしてきた 天空のモノ達の 存在が手応えとして、感じるでしょうから、、、

     何処にいても同じに思えます。

     問題は、何か 自分の肉体が 帰属している何ものかの概念が、絶対正しい、、とか自分の信仰は、他宗教に比べ、優れていると、述べた地点で、

    比べられないものを、比べているという品格の欠如でしょう?
    人々は 人を判断する時、放たれた教説云々の判断はすぐ忘れるでしょう。

    むしろ人そのものに、世界の目があるでしょ?

    そのような、人々の無言の 心作用を 感じる、、というコミュニケートは これから先、特に、重要に思えます。

    写真は、広島原爆資料館の前の公園、平和の鐘です。昨日、久しぶりに、二人でこの鐘を尋ねた、ダヴィッドと電話で話した。元気そうだった。

     

     

      

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月29日 00時38分02秒

    icon

    「Re:Re:実感・体感できるものを」

     本の読み方って、本当に 色々あるのですね。

     この前、頂いたメイルに、書かれあった内容は、なるほど、、と思わされるのです。

     わたしは、彼女K子さんと会って話した事はなく、実際は、福岡住まいのR子の
     昔、学生時代留学先のアメリカで知り合った日本人のお話。

     何か、読みたいな、!と思わされる本の事を噂や広告や知人から聞く。
     まず
     、図書館に行って借りてくる。

     そして、読み終わり、返却日になっても、なんとなく 返したくない気持ちにさせられる、

     そして、又図書館の返却日に行き、同じ本を借りて 読む、、、

     返却日が、近づくと、又、手元に置いときたい 気持ちに駆られる、


     そういう 気持ちが、持てて、やっと、その本を購入するという。

     ぁぁぁ、何となく、分かりますね。


     本というのは、実際は そういう存在でしょうね。

     決して、読んだから、ハイ お終い、、、という存在ではないのでしょうね。

     本を書く方も、

     読ませる、又は 買わせる  みたいな 行為だけに執着せず、、

     読む、読まない、、は関係ないでしょう。

     その本を、手元に置いときたい、、、という読者の 心 に訴える事が出来る、、、読者の 心と著者の心の関係でしょうね。そのような関係が独立し自立するのですよね。


    買わせてしまえば、お終いみたいな、、、

    そのような 心の接し方をしては、自分の価値も お金で扱われますから、お金させ出せば、買える、、、つまり、他の人が書いても同じ、、、というような存在の仕方では、普遍性をもちませんよね。

    図書館で読み終わって、手元に置いときたいから、本を買いました、、と述べる K子さん

    、、、著者冥利でしょうね。アメリカ人の書いた本らしいですが、、

    これは、娘とジュリアと私と3人で 見た映画、 HEARAFTER

    2月上旬に見た。内容は、津波で臨死体験をさせられる、フランス人のジョーナリストのマリーが、その臨死体験をした後で、いろいろな不思議な事が観得てきたりする
    形而上と形而下世界でも立ち振る舞いの違い、人生の意味を見出す事を、すこしづつ、形而上世界への視点へと 変えていく、、

    この津波の場面が 唖然でした。

    監督は、クリントイーストウッドですが、日本公開は、2月末で、

    東北地震中も 公開されていたらしい。急遽公開は中止されたそうだ。

    このような映画が、東北地震が起きる前に 公開させる、、、

    スピリチュエルリストは、 偶然はなく、全て 必然です、、というのでしょう。


    そうすると、亡くなった人達の事を考えない、無情な人達という世間の 感情による批判をまともに受ける。しかし、本当に観るべき 点は、
    感情を時間上起きる現象に釘付けにし、判断したり感情的になり、

    そのまま、世間に放っている、、、という事ではなく、

    その時間前に
    起きていた、警告でしょう?

    でも、誰も 聞く耳を持たなかった。

    何故なら、、、
    人間は、体験しないと、感情がわかない。

    想像だけでは、怒りも喜びも生じない。

    おまけに、妄想でしょう、、と放たれる。

    この対峙世界から脱出しましょう、、、

    自分自身の魂や心の次元をあげて、低次次元での 呼応をするのは ひかえましょうよ。

    人に、おかしく思ってもらおうとか、人の笑いを誘うおうとか、思うのも辞めましょう。自分を作って、作り笑いなどしないと、世間に出れないようなら、自然の中でも歩きましょうよ。

    ツマラナイ次元で、呼応したり、メディア化する情報世界での、情報過多に振り回されるのはよしましょう。

    自分自身、自分らしさをみつけ、他者に自分らしさの アピールするくらいの気持ちで、波動を放ちましょうよ。

    他者の批判や 他者への指摘などせず、

    他者は他者、自分は自分、、、

    自分自身、もっと 自由になって、幸せになりましょうよ。

    必ず、ひとりでに、次々、、未来のお友達が、近づいてきますよ、、




     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 沙羅さん

    2011年08月28日 23時00分57秒

    icon

    「Re:Re:Re:世界ーuniversel」
    MSG653の続き

     

     先ほどMSG653の写真は、 ARC川に かかる 橋の上から撮った写真
     この橋の 名前は、音素  
    ポン デュ ディアブル.(pont du diable)

     意味は、ポン PONT は、橋  diableは  悪魔

     日本語的な訳は、橋そのものが、悪魔という捉えかたですが、

     フランス語の訳は、全て 抽象的で、全体把握、
     そのモノが、その意味を表すという、対象に 意識を、固定させるのではなく、

    場所の命名は、全体把握、、
    そこに 存在すると、どのように 感じるか!
    という感覚を、音素に介している。
    ようするに、
     悪魔に、見つめられるように、縮みあがるほどに、この橋を渡ると 恐いのよ!という 感じ方によって 命名される事が多いのですね。

     日本語の思考には、抽象的に捉えるという観方が、弱く、すべて

     細かく、名前や名詞がつけられる。

     よって、パソコンの日本語ソフトは、中国語よりも、メモリーを使うようなのですね。
    、又同音素の単語の反復が多い言語の特徴は、個人の表現力次第、、、、想像力による意味伝達というコミュニケートが重心になってくる。

    数字や 記号の 間違い探しに過敏に反応するという 気質も、そのような 記号に頼る、、、という事なんでしょうね?

    パソコンが現れた時代には、外国語ソフトのダウンロードをしないと 日本語は打てない時代をいきてますから、どの外国語をいれると、メモリーを沢山使われる、、、という話題が昔随分された。

    中でも、ヘブライ語とフランス語のメモリー数は、一番少なかったのだ。メモリーが少ない分だけ、今度は、生きてる人間の 能力を使わないと コミュニケートが出来なくなる。 


    臨機応変に自由自在に そのつど、その場の感情や思いを、つたえるのは、自由な表現能力、、、という直観に拠る文体を構成する、、

    フランス語やヘブライ語の言語のメモリー数値は、日本語をダウンロードした時の3分の1くらいだった。

    その時、言語能力というのは、

    ただ 覚えた記憶を 表出するというコミュニケートではなく、
    個人の発想、想像力 という能力は 限界がないんですね。
    その限界がない能力をもつ というのが、やはり 人間なんですね。

    ひとつの 過去の記憶を 記憶させられても、過去のデーターの処理能力以上は出来ない、、、という処に、 心 の存在はあるのでしょう、、、と思います。

    それで、話が飛びましたけど、、

     この PONT DE DIABLE 悪魔の橋を、

     今度は、もっと上空 外側から観ると このように、ARCが流れる 峡谷にこのようにかかっているんですね。

     右がわには、18世紀頃に建てられた
    、中央ヨーロッパから侵入してくる外敵が、イタリアへ向うのを、見張る 城塞があります。

     左には街道、つまり イタリアに抜ける、パリのノートルダム寺院の前からイタリア、ローマ、バチカンに向う、国道6号線街道を、右の 城塞から、大砲を設置し見張るという感じですね。

    それで、城塞を守る、サヴォア公国の傭兵と戦いをするとなると、

    この悪魔の橋を、渡らないとならなくなる。橋は、もちろん当時は

    pont levé 橋を架ける時だけ、下げる、、ポン、ルヴェ

    でしょうから、敵軍が渡ってる時に、橋そのものを90度上げ
    敵から守るのでしょう。

     こわいなぁぁ、、、

     ARC 川、まっさかさま、、、ですね。

     大天使の名前にも なる、ARCHANGE アーカンジュだから、
     橋の名前は、 悪魔なんでしょうね、、、

     このような 峡谷を、喉 GORGE ゴルジュ という音素で呼ばれるのですよね。

     この 喉 というのは、人体の 喉の部分も細いですけど、大事な水分、食べ物 補給される 大事な、街道みたいですものね。

    地球上の 地平の形も、人間の肉体と似通っているんじゃないでしょうかね? 川が 流れる 血液とみたり、、

    ダヴィンチが、死ぬ2年半前に、 イタリアから ロバに乗り、モナリザやヨハネの絵を抱え、フランスに入るとしたら、この左側の街道を通ってきたんでしょうね。当時とあまり変わらない 地形かも知れません。

     

     

     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon