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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月29日 19時28分17秒

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    「Re:たまには、哲学でも・・・・@@」

    On ne doute pas dans un de ces trois cas: Quand on voit. Quand on sait. Quand on croit.

    (Ch Renouvier Traité de psychologie rationnelle

    人は、見る時、知る時、信じるとき、という三つのどの場合にも疑わない。
       合理的心理学概論、 ルヌーヴィエ、Ch

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月29日 18時57分25秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    宮崎駿様、、

    サンテクジュペリの、星の王子様のご本は、もちろんお読みだったと思うけど、サンテクジュペリの彼自身の挿絵でも有名ですよね。
    最初、いきなり
    へびが、呑み込むんですよね。

    不思議ですよね?まるで、ミラノ,ロンヴァルディー地方に根つくヴィスコンティ家の紋章みたいだし、

    SAINT(聖) がつくサンテクジュペリですから、

    同じ聖サン<SAINT>と同じ音素
    ご先祖の血筋サン<SANG>、、何かあるのかしら?

    パリにあるモンマルトルの鐘の響き、
    フランス一大きい鐘だそうで、釣鐘のは全て名前がつきますから、
    SSAVOYARDEサヴォア地方の人 と言う名前の鐘なんですね。
    サヴォア公国に繋がるヴィスコンティー家なんですね。

    http://www.youtube.com/watch?v=Ive2fb57u2o&feature=related

    サンテクジュペリが飛行した人生最後に見た美しいアルプスの山中に根付いたサヴォア公国なんです。ご存知でした?

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月29日 17時04分57秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」

    「ねえ?聞いた?
     
       おかしくて、わらっちゃわない?」

     と近所に住む、マダムМはある用事で電話をかけて来て、世間話をしだした。

     話は、最近テレビのニュースだった、
    あるイスラム教徒の一夫多妻について、フランス政府が、国民に謳って止まない、自由、平等、博愛精神の乱用(誤用?)が、おもしろ、おかしく国民の間で、話題として話されるのですね。
    彼女も、その話題を取り上げてきた。
    一夫多妻制度を
      フランス語で、「ポリガミ」、という音素で表現するのです。
      最初初めてこの音素を聞いた時まるで、「おりがみ?みたいぃぃ」、、と思って聞いているのです。

     POLYGAMIE と表記されるのですが、
     ニュースの内容を要約するとこうでありました。

     世界の宗教は教義といって良いのか?、必ずしも一夫一婦制だけしか、認めない、、という事はないので、この問題は
    フランスだけに限らないと思うのですが
    信仰の自由を保障しますという事は、多国〜移住し、他宗教の人達が共同生活する、、という事になるので大変ややこしいのです。

    自由、自立、個を尊重するという事は、18歳にもなった大の大人が、親の経済的援助がなければ、生きていけない、学業が続けられない、、、というような事は、
    その国が有す国民一人、一人の自立政策に対する能力のなさを、フランス政府の恥と思ってもらうべきか?
    または、自分の子供だからと言って、自立を促す事はせず、自由好き放題に、子供の希望する事だけに追随し、金銭的援助だけを遂行する親の感覚は、他国からは、お気楽と判断されてしまうのか?

    まあ、色々その国、その国の社会的な個の自立に対する価値観や概念は、構造によってだいぶ違うので、本当に一言では述べられないと思うのです。

    それは良いのですが、
    個の独立は、母子家庭も同じですので、母親は所得申告スル義務があるので、ある一定の収入に至らなければ、当然フランス政府の援助があるんですね。
    子供を扶養しなければならない義務が、母親の親権を優遇するという状況にあっては、政府の援助金が支払われる事になるようなんです。
    話が面白おかしくコミュニケートする地点は、フランス人達のバランス感覚なんですよね。
    右派と左派の均衡を保つというのは、
    実は、この個の所得申告に対する、所得にたいする税金高に関係してくるようなんです。
    18歳以上であれば、所得があってもなくても、学業を続けていても、所得申告は個人的に義務づけられていますので、
    所得の収入額を政府は知りたくて、国民に申告を義務づけているのではないんですね。

    収入がゼロであっても、なんらかの学業をフランス国内で、続けているとなると、国が、生活、住居費の援助を、フランス国民にするという、個と政府の関係になるんですね。

    驚くのは、フランス人だけでなく、フランスの学校に留学してくる外国人全員に、フランス政府はこの勉学をフランスの教育機関で受けるという目的の補助金を出すんですね。
    こういう点は、税金の無駄使いなどと思う人はひとりもいないらしいのです。外国人がフランスの学校で、フランス語を習い、フランスの文化に親しむのですから、受け入れ側の国民一人に自国の文化に誇りをもつ、、という事に繋がるのだから、、、、という考えになっているらしいのですね。文化を大事にするというのは、なにもボルドーワインの輸出高に一喜一憂するのではなく、国民一人、一人の国民性を、もっと大事に誇りをもち、母国語を大事にするという事が民族の繁栄につながるという、その土地に根付いているのが文化だと思うのですね。

    ところで、この確定申告なのですが

    所得の確定申告に対して、税金を任されるのが、約国民の半分くらいですから、左派と右派のバランス能力は、このような実生活での抑圧がもちろん影響しているのですね。
    よくよく考えると、中道をバランスを捕ろうと、うまく出来ているんですよね。

    しかし、起動にのるか、のらないかは、世界との関係が影響しますから決して、楽観出来ないです。最近は、ギリシャとポルトガルの国レベルでの財政立て直しを、ECが請け負うので、ますます、税金納入者の労働意欲は低下を辿っていくか?有能なフランス人は高額な税金に辟易し海外へ流出してしまう問題も取り上げていました。
    ま、そんな中で、所得にかかる税金を免れている、低所得者層にはこのPOLIGAMIEおりがみ、、じゃなかった、ポリガミの影響で、母子家庭
    生活援助、未成年の子供への教育費がかなりの金額が支払われているんですね。所得貧富の差の是正云々を述べる側の政府人達が、一気に、ずずず、、と後ずさり、しだすのでしょうね?
    国民が働いて得たお金ですものね?、、
    宝くじで当たったお金ではないです〜
    一夫一婦制での家庭を崩壊せずなんとか毎日頑張って働いて、税金払っているフランス人側からしたら
    「なんとかしてくれ〜」状態なんでしょう。
    イスラム教徒であるムッシューの主張は、他の3人の奥方にも正当

    な権利があるとして、フランス政府の援助金カットを裁判で訴えるとかなんとか、、、

    この近所のマダムМの話は、
    昨日ニュース、話題になっているムッシューイスラム教徒は4人奥さんが居らっしゃるのはいいのですが、第一夫人との結婚は、扶養家族として、所得申告し、後のお三人方のご夫人達は、母子家庭として申告されているそうなんです。

    ま!普通はそのような形でしか社会的には存在出来ませんね?
    彼女の話は可笑しかった、
    『TU SAIS? テゥセ?知ってる?
     その後、密告があったのよ〜』マダムМ

    何でも、4人の奥さんの一人の父方が、PROCUREURプロッキュルー法律代理人検事に密告した情報によると、
    「あの男は、4人だけじゃなく、5人の奥さんがいるんだ!」
    と、DENONCERデノウンセ密告があったらしい、、と話して
    笑い出した。

     『あぁぁ、、よく分からないけど、4人まで許可するという教義なの?それとも、4人以上でも許可されるの?
    それとも、最低4人は扶養しないといけないという教義なの?(笑?
    、、そこが、問題だけど、、どちらにしても、
    そのDENONCER密告者が、同じ宗教の中の仲間同士の密告というのが、
    あぁぁ、、やっぱりねえ?でしょう???』私も、冗談かてら乗ってみる。

     まあ、何処に住んでいても、信仰教義もよいのですが、実際問題として、人一人扶養するというのは、大変な労働力を強いられるであろうという実際問題として、教義が慣行されなくなりつつある、、状況の中で、たまにこういう話題が生じて、アタフタさせられるフランス政府とPOLYGAMIE問題を、笑っているうちは平和ですね。最近毎日のニュースは惨酷無慈悲なニュースを聞かされる中
    皆で笑える話題があるのは、フランス人が持つであろう社会の虚構を貫くアイロニー精神によって、笑う、、というある生命力なのではないか?と思ったりする。

     ところで、一夫多妻制度の音素
     
     POLYGAMIEポリガミの音素は、
     アルファベット言語の思考が根付いていると聞くと観えるのですが
     POLYGONE ポリゴーン、数学でいう多角形、多辺形〜が語源です。POLYGポリ + AMIE アミ
     のアミ AMIは、友達 のアミなのです。
     
     お友達が多角、他辺に現れるという現れ方なんでしょう。

     一夫多妻だけでなく、一妻多夫の意味も含みますが、
    語尾にAMIEがついているところを考えると、
    最初は、一夫多妻としての意味を伝えたくて出来上がった言葉かも知れないのですが、
     一夫一婦制は、MONOGAMIE モノガミ

     という音素なのですが、
     
     POLYGAMIE と聞いて、おりがみを、閃く辺りは、

     結局、POLY という音素に、多角、多辺という意味が音素に含まれているのだと思うのですね。

     おりがみという行為は、折る ですから、

     辺を沢山つくる、、という事なんだと思うのです。

     輪廻転生は漢字で書くと分かりませんけど、
     REINCARNATIONレアンカーナションと、似ているわねえ、、と
     感じますものね。

     面白いですね。

     ダヴィデです。竪琴で、精神病に悩むサウルを助け悪霊を取り払う音楽療法の名医ですね。
    http://www.youtube.com/watch?v=KfKRSVQf-nM&feature=related

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87


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  • from: 沙羅さん

    2010年04月29日 05時54分52秒

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    「Re:Re:生きる意味Ⅱ」
    めるろ〜さん

     ご紹介された本の表紙だけみても、
     なんだか、ほんわか〜、、、こちらの、心が軽くなるような感じを受けます。

     生きる というのは、本とに精神の根本的な問題なんでしょうね。

     誰にも、生きなさいと言われなくても、生きてしまうという途上にいるみたいなんですが、ヨクヨク考えると、ただ寝て食べて動いて、、だけではないのね〜、、という
    なんと表現したらいいのかしら?、、
    底から突き上げられるような、何か無意識を動かしているような動力源があり、、色々な人と会って、その途上で経験した感情や心模様が記憶や思い出になっているのだと思うのです。
    その大昔の心が感じた体験を、探しているのでしょうかね?

    わたくしが、音素に煩いのは、わたくしの耳が敏感だとか、音楽を嗜むので、敏感なのだ、、と言われるのですが。
    違うと思うのです。

    小学校時代には、日本人の発音の R と Lの違いが曖昧なのが聴こえる度に、どうしてこんなに、英国人が発音すると違うのに〜、、
    同じに発音するのかしら?

    と感じていたのは、

    YOUTUBEで聴くとサンスクリット語に、R の仏語音素と全く同じ発音があるんですよね。
    R にしつこく煩いのは、意味があるんです。
    一番、息を吐き出すような口頭器官を使う発音だからなんです。
    息は、何回か述べましたけど、アーム、AME(魂)は、ギリシャ語のアネモスANEMOS<息を吹き込む、>
    はラテン語語幹のアニマANIMAですから、呼吸の息と魂は、に由来しているんです。
    同じく、エスプリ(精神)も怪しいそうです。、、笑
    ESPRITはエスプリは、吹くSPIRAREスピラーレの派生語だそうですから、、フランス人が疲れた時に擬声語を放つんですよね、、
    「スピー」と言って、どっと座ったしぐさをするんですよね。
    つまり、日本人的感覚だと、

    「あーー疲れた」、、といって、いる状態を、
     フランス人達は、
     「スピー」と発音すると、
     疲れて息をついているのね、、という風に、回りにその様子が思い浮かぶんです。
     
    そういう事を色々考えると、Rの音素が一番、息を吹く音素なんです。
    ですから、
    沙羅ちゃんは、しつこい程真剣になるんですねぇぇ、、笑

    自分の聴覚が繊細なのを、ただ自慢しているのではないのですよねぇ、、
    全て大事な意味があるんですね。でも記号の表象理解だけに留まると、奥深い幾層もの意味が伝わらないんですよね?

    ヴェーダは心で、音素分析し、何を感じるかという理解がまず重要だと思うのですね。、、笑、、

    それで、でして、、

    もし、わたくしが唯一会った一人の霊能者の方が、おっしゃるのが真実なら、2500年くらい前にインドに生まれていたとしたら、
    十分、サンスクリットの読み書きや音素も放っていたと思うのです。読み書きは、知識ですから、記憶されないと思います。あの世に認識や知識はもっていけない、、というのはそういう事なんでしょうか?あの世に持っていけるのは心だけだとすると、音=心の関係は、ラテン語からいくらでも紐解けますから、音は大変重要に感じます。
    ですから、遠い、遠い昔を辿っていく、、どちらかと言うと、音 なんですよね。はるか彼方を辿るとしたら、、

    生きるというのは、ある意味、自分探しかもしれません。

    しかし〜、めるろ〜さん、毎日、200〜300人もですかあ????

     いや、、それはちょっと困るのですが〜、、
     少し、誤字脱字に気をつけないと、、と言いながら、夜寝る前の一人言レベルから抜けないんですよね。

     写真はヨーロッパで一番標高が高い位置2770メートルにある、道路イズラン峠のCOLにある、NOTRE DAME DE TOUTE PRUDENCEノートルダム、チャペルです。年間2ヶ月くらいしか通行できません10ヶ月間は雪に埋もれているんですね。この山の両側の麓にARC河とISERE河の発生できるんですね。








    この掲示板は毎日200から300ぐらいのアクセスです。
    >
    > その人たちが見て、何らかの思いを持つ。
    >
    > 大変なことですね。
    >
    > でも、自由人の掲示板なので、
    > 自由にこれからも頑張ります。
    >
    > よろしく、お連れ様がいらっしゃったら、誘って下さい。
    >
    > 吉元信行著『ブッダのターミナルケア』(法蔵館)という本を
    > 読んでいると、
    > 肩の荷が下りてきて、楽になりました。
    >
    > 「もっと、生のブッダを知らないといけないなぁ。」とか、
    > 「智慧や慈悲に気を取られて、”生きる”という根源を
    > 忘れていたなあ。」とか、
    >
    > 易しい文章で書かれていて、吉元氏の心の広さや人柄を感じさせる
    > まろやかな文章です。
    >
    > その本に啓発されて、書いた文章は、やはり、
    > 易しくなったように思います。
    >
    > お勧めなので、アマゾンのページの紹介です。
    >
    > http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%82%A2-%E5%90%89%E5%85%83-%E4%BF%A1%E8%A1%8C/dp/4831824089/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1272425510&sr=1-1
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  • from: めるろ〜001さん

    2010年04月28日 12時30分54秒

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    「Re:生きる意味Ⅱ」
    この掲示板は毎日200から300ぐらいのアクセスです。

    その人たちが見て、何らかの思いを持つ。

    大変なことですね。

    でも、自由人の掲示板なので、
    自由にこれからも頑張ります。

    よろしく、お連れ様がいらっしゃったら、誘って下さい。

    吉元信行著『ブッダのターミナルケア』(法蔵館)という本を
    読んでいると、
    肩の荷が下りてきて、楽になりました。

    「もっと、生のブッダを知らないといけないなぁ。」とか、
    「智慧や慈悲に気を取られて、”生きる”という根源を
    忘れていたなあ。」とか、

    易しい文章で書かれていて、吉元氏の心の広さや人柄を感じさせる
    まろやかな文章です。

    その本に啓発されて、書いた文章は、やはり、
    易しくなったように思います。

    お勧めなので、アマゾンのページの紹介です。

    http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%82%A2-%E5%90%89%E5%85%83-%E4%BF%A1%E8%A1%8C/dp/4831824089/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1272425510&sr=1-1



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  • from: めるろ〜001さん

    2010年04月28日 11時24分56秒

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    生きる意味Ⅱ

    生きる意味を問うのはその個人である。
    しかしながら、人が生きているというのは、そもそも両親やご先祖という
    身体的連続性がある。つまり、先ず生きている存在が生まれるや否や
    それらの他者にとって意味があり、その次の広がりもある。
    ご飯を食べ、寝ているだけという人も、その意味があり価値があるのである。
    ここで問われているのは<身体的連続性の>生きる意味ではなく、
    他者と比較して、<私の人生は意味があり、価値があるのか>ということです。

    自己の価値を精神的成果として比較すること自体に基準を設けるのは
    中々難しいことであるが、世間的道徳では、大きく分けて、
    <人に迷惑をかける。><迷惑が掛かるので人と関わり合わないようにしている。>
    <人と関わり合い迷惑が掛からないように行動している。>
    <迷惑と思われようが積極的に人を助けている。>
    このように例えばですが、「迷惑」という人と人との関わり合いの言葉を
    その関係性において考えると、その人の行動が、他者にとって意味があるのか
    価値があるのかが分かる。同時に、その人の行動の段階も分かる。

    どの分類に自分が入るか、いや、自分の行動をどの意味に持って行くか。
    それは自己の選択であり、自由でしょう。
    しかし、そこに生きる意味を持たせる時に、
    「私は今まで何をしてきたか。」と問うのは、自己自身でしょう。
    犯罪でも犯せば、他者に、「あなたは何をしたのか。」と問われますが、
    逆に、何か他者より優れた結果を残せば、「すごいことをしたじゃないか。」
    と賞賛されるでしょう。その中で、金メダルやノーベル賞、文学賞など
    色々な賞までもらう人もいることでしょう。
    どの段階にしても、<自己がどのように行動するか>ということに
    価値がある。そのことに言葉としての意味まで発見できなくても、
    十分に、生きる意味がある。

    小さいことでもいいのです。
    その積み重ねで、例えば地域社会が良くなったり、悪くなったりする。
    普通の人は休み休みでもいいのではないか。
    少し何かをすれば、少し良くなる。
    それを引き継いで、地域社会が良くなる。

    技術を持った人は、建物を造ったり、車を作ったり、生活が便利になるものを
    作り上げる。十分に自己の生きる意味を残しているではないか。

    弁がたつ人は、人に知識や善いことを教える。
    または、被害にあっている人を助ける。

    このように色々な生きる意味がある。

    生きているだけで生きる意味があるのである。
    ただ、<どれを選んで行動するか?>それはあなた次第です。

    その生きる意味だけでなく、生きてきた意味を問うとなると、
    死の瞬間を待たないといけないだろう。
    途中で十分に生きてきた意味を全うする人もいるでしょうが、
    多くの人は、生きてきた意味を問うとなると、
    死の瞬間を待たないといけない。

    良い死の瞬間を迎えるためにも、生きる意味というのは大事ではないか。
    死したら何の残らないのは身体的な意味だけであり、
    精神的なもの、行動したものは、他者の記憶に残り、
    そこに生きた痕跡を残す場合だってある。
    その影響力が強いほど、後世の歴史に残ることとなる。
    いや、地域に残すだけでもいいではないか。

    そこに自己が生きてきた意味を残すのならば。

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月28日 07時00分44秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    峡谷を流れる川には、多分精霊が棲みついているのではないか?
    と思う事がある。
    ガンジス川もそうなのでしょう。

    河に呼ばれて人々は、峡谷の村に住むのでしょう。
    山は、昔
    海の底に沈んでたはずなので、海中の生物の亡骸が沢山埋まっているのかしらん?
    目の前の押し迫る、4000メートル級の切立った山肌や幾層にも重なっている地表の模様を見ながら、自分の一生の長さがなんと、儚い事か?
    わたしは、アメーバかな?

    ヨーロッパにいると、本当に歴史を勉強するに、際限ない探求欲をそそられる、、しかも、傷みや傷が少ない状態で長い間保存されて居るという事が、本当に驚かされるのです。
    石の文化と湿気の少ない大陸気候のせいなのでしょう。

    ところで、イタリアで生まれたダヴィンチを、擁護したフランスの国王が、結局イタリア王家の出自であるというのも、何か引力みたいのがあるのでしょうか?

    何故?か二つの河、、気になる

    ARC河と、ISERE河が発生するSAVOIE県の山の二つの峡谷なんですよね。発生は、一つの山が二方向に流れる河を造るんです。

    何故?
    イゼール河が、ARC河を、DOMINEドミネ(支配)し、イゼール河の名前をもって、グルノーブルに流れていくのか?不思議だった。
    しかも、イゼール河に流れ込むのが、ドラゴンの名前の語源をもつ、ドラック河なのですが、実はこの河が通る村に住む親しい日本人の住人を知っている。もう20年近い仲ではないか?しかも彼を通して知り合った、若い学生さんがいきなり、私に連絡をよこしてきたのは、かれこれ10年くらい前なのではないか?彼は智ちゃんと会っている。しかも彼も智君という名前で、気味悪いのです。
    300キロは離れていると思うのだけど、皆河が結んで居る仲ではないか?と思えて仕方ない。 気味が悪い、

    ARC河とISERE河この二つの峡谷の村人達の気質の違いを聞いた事があるのです。、よく人ビトの話題になるほどなのです。

    SAVOIE家は、十字架の県旗の前は、ドイツのワシの紋章だった。
    イゼールという音素からして、ドイツ語音素であろうという感じは想像つくのですが、、

    サヴォア家、発生は、1000年以上前のウンベルト、ビアンカマーノ、洗礼者ヨハネの三本指の町のロゴにしてしまっている、サンジャンという小さな町なのです。ちなみに、市役所の郵便物にも、この3本指のロゴが印刷されてて、驚いてしまった。不気味な町だわ!、、ほんまに、私と、Iさんは、2月呑気にこの村で、ピザなど食べて、聖堂を見学したりした。




    歴史 [編集]
    1032年のブルグント王国の崩壊により、ウンベルト・ビアンカマーノは皇帝コンラート2世(ドイツ王)に加勢し、モリエンヌとサヴォワの伯爵の称号を冠することと、イゼール渓谷のモーリエンヌの所領、ドイツ皇帝の象徴であるワシの紋章の使用の許可を得た。この地域はアルク(Arc)の渓谷沿い、モンメリアンからシャンベリを越えモンチェニージオに至る、ブルージェ湖(オートコンブ修道院に一族の霊廟が作られた)やレマン湖の湖岸、ローヌ川の流域に開けている。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E4%BC%AF

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月28日 05時07分10秒

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    「Re:ラテン語」

    でも〜、ほんとに不思議、、
    ドレミの起源を、何故?
    ヨハネ賛歌の、この一説に、矢を当てたのかしら?


    汝のしもべが、弦をかなでているのです。
    弦だから、弦楽器であって、吹奏でも打楽器でもなかった、、、
    汝の妙なる業は、聖ヨハネの業の事だったのかしら?

    聖ヨハネ、、、
    そういえば、
    フランスの教会や大聖堂には、聖遺骨が祀られているのですが、
    あの、アミアンの大聖堂、嘆きの天使がある、アミアン大聖堂には、洗礼者聖ヨハネの頭部が、エジプトだったか?コンスタンチヌスだったか?運ばれていると書かれてあるのですが、、本当なのでしょうか?
    ARC川沿いの、洗礼者聖ヨハネ、モリエンヌの教会には、聖ヨハネの3本指の聖遺骨だそうですし、、、他にも、聖ヨハネの聖遺骨はどこかに祀られているのかしら?

    ホンマに、フランスは、不思議な国です。
    聖母マリアの出現回数が一番多いというのも、不思議な感じがする。
    ダヴィンチが愛したであろう、洗礼者、聖ヨハネなのです。

     ドレミの起源


     ドレミはラテン語の聖歌(グレゴリオ聖歌)の「歌詞」から採られています。 原典はカトリック教会での「洗礼者聖ヨハネの誕生」の祝日、6月24日の第二晩課の時に歌われていた「ヨハネ讃歌」の歌詞の「一番」です。 

    Ut queant laxis resonare fibris Mira gestorum famuli tuorum, Solve polluti labii reatum, Sancte Ioannes.

    (汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、このけがれある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ。)

     この太字で表されたところから「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」という名称(音名・階名)が採用されたのです。 最初の「Ut」がどうして「Do」になったのかは知りません。 しかし、フランス式楽典では音名はそのまま、ut re mi fa sol la si です。 





    ヨハネ賛歌 (音部記号 F (へ音記号) が第3線に)

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年04月27日 13時35分03秒

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    「Re:Re:仏教とは(哲学的分析)」
    >沙羅ちゃん

    分かり易いです。

    『法華経』が指摘するように、
    仏教の修行には段階が存在します。

    世界や宇宙の認識の仕方、それに対する修行のあり方、
    など、基本的なことは、上座部仏教のあり方で行じられている
    と思います。

    今度はそういう自己のあり方というところを超えて、
    他者救済に重きをおくのですね。
    他者を救済するのですから、また別の修行をしなければなりません。
    般若波羅密多行も菩薩の修行の一つですね。

    しかしながら、他者と向き合っている限り対機説法の形式は
    免れず、繰り返し、普遍への修行との接点を行ったり来たり
    しなければなりません。

    菩薩行の中でも、普遍への修行を真ん中にして、
    対機説法←→普遍への修行←→成仏(不変)という
    幅を持っているのだと思います。

    対機説法は世界と接するという意味の<俗>という部分でしょうし
    成仏は<聖>の部分でしょう。

    この変わらない不変の状態が、密教的な金剛乗なのだと思います。
    金剛はダイヤモンド、乗は、悟りに行く時の乗り物ですので、
    <ダイヤモンドの乗り物>という訳です。
    普遍化はその金剛乗のホンの少し前、
    <仏と出会っている自己>の状態と思います。
    (他でも普遍化は可能ですが)

    仏教では、神は、修行をする者を護る神ということですので、
    人にも僧にも仏にも神が護ります。

    人を護るのに使うのが、護符ですね。
    護符つまり、「お守り」ですね。

    <おみくじ>がお寺(天台宗)で考えられたものですので、
    そこに神の文字が入っていてもなんら不思議はないんですね。

    オウム真理教(現アーレフ)の登場写真が、無表情なのは、
    なんででしょうね。
    特に関心はないですが・・・・。

    > 心<魂>の存在なんですよね?
    > 時間と空間が存在すること、
    > 人間が進化する、、という意味は???

    これは、考えますね。
    昔のというか歴史上の人が精神の根底を探り、
    科学が暮らしを変え、商業が物々交換から色んな交換パターンを生み出した。
    生活はこれらにより大きく変化してきている。
    多くは死者達からの<便り>ですね。

    ご先祖様が居なければ今はない。

    を実感する時だと思います。

    過去に敬意を表しながら、未来を見据える。
    未来を見据える時に何に留意したら良いか。

    自由、博愛、平等といった表向きの表現ではなく、
    もっと、肌と肌を接した愛憎を見るのですね。

    何が普遍化され、不変になれば良いか。

    時間と存在の在り方は、不変と相俟って、
    厳しい表現を求めて来ますね。

    そこには、論理学が何かに突き破られる状態があると思います。

    >
    > わたくしも、最近、色々原始仏教から、大乗があらわれる途上を考えるんですよね〜、、、
    >
    > その途上に存在するのは、時間と空間ですから、
    > 時間と空間が存在する意味が
    > 死者達の心<思い、願い)のメッセージをつうじさせようと、必ず介在できる波動の高い方ガタが、その時代、その時代に必ず現れるようなんです。これは西洋でも同じに思えます。レヴィナスの誕生や、レヴィナスの存在の意味性が命日という点に現されてしまったのか?とも思ったりするんです。
    > 日本は 神仏の補完構造といった歴史の変遷も考えます。
    > 法華経が提示するのは、他者=死者<使者?>とのコミュニケートであるようなんですね。それこそ、時間と空間に生かされる人間だけの、倫理概念を逸脱してしまうようなコミュニケート
    > 、突飛な人と人の間のコミュニケートもあるようなんです。
    >
    > どちらにしても、心は皆平等、、というような、日和見的、世間てい向けのレベルでの、存在の仕方が無理なのでしょう、、、という手応えを、感じてくるんです。
    >
    > この地点から高次世界への道は、かなり振り分けられてしまうと思われます。述べ方を変えると、こちらの意志(自由意志)に関係なくという感じです。
    >
    > これは、本当に驚きなんですよね。
    >
    > インドのカースト制時代に、もし?
    > フランス革命が勃発したら?、
    > 精神、、エスプリ
    > が生まれるとしたら?、その理由は?原因?
    >
    > 自由、平等、そして博愛を謳った、マリアンヌ精神の存在する意味は???
    >
    > 心<魂>の存在なんですよね?
    > 時間と空間が存在すること、
    > 人間が進化する、、という意味は???
    >
    > 色々考えるんです。
    > そういえば、昨日テレビで、ドバイの都市計画、20年前と、今の様子と、人間の無制限な欲望による崩壊などなど、
    > 興味深い番組がありましたけど、
    > 世界には、そのようなキャピタルとは、全く無関係に生かされる人達の無数な人達の心や魂が存在している、、という事を忘れル問いう事はどういう事なのか?
    > 他者達の心や魂の存在を、感じられなくなってしまった時、、、
    >
    > 世界がどのような、方向に流れて向うのか?
    >
    > 軌道修正が出来ない程、自分自身の世界の事だけに、執着してしまい、他者達との心のコミュニケートが出来ないようなんですね。
    > フトオームの執行部に居られたかたがたの顔面〜感じられる無表情、、というか、溢れるような生気を感じられない、、現れ方と類似しているのを感じるんですね。
    >
    > そういえば
    > 、話飛びますが
    > わたくしが、R子さんの亡くなられたご主人の霊がメルボルンのお友達のところに出られて、そのお友達が日本行きの計画をたてたのは、霊能者に会う随分前からだったのに、、ご主人の「R子に会いに行って欲しい」と、毎晩耳元で言われている、、と言うのが観得る、、、
    > と、日本旅行直前に会われた霊能者に言われた、、
    > という話を聞かされた時、
    > 聞かされた、私もインパクトを感じてしまうんですよね。
    > 自分の友だちですから、、、、メディアや雑誌を読んでるわけではないので、、、
    >
    > わたくしが、そのメルボルンのお友達の次の2番目に
    > 、ルンルン気分<笑>で、R子さんに会いに行く計画を、一人でたてていたりするんです。この一人で、計画を立ててると思い込んでいる途上が実は一人ではないようなんですね。
    >
    > メルボルンと、ヨーロッパ、フランスと、日本と、フランセスが住んでいるアメリカですかね?マキシムの住むキルギスタンもありますし、、、
    > 何だか、たいした出費せず、世界旅行でもしてる感じなんですけど、、笑
    >
    > 「歴史の流れの意味性を探しているのよ?」
    > という、哲学をする、未来への普遍性を探す、、、
    > という意識の姿勢を、あの世の霊界の人達自身も知っているのではないか?という地点での、個人的なコミュニケートが、向こうから放ってくる、、というのが気味が悪いんですね?
    >
    > つまり、観られている、、、という感じなんです。
    > でも、これはきっとそういう風になっていたからであって、何かの意図的な意志があるのではないのかも?
    > という事も考えたり、、、
    > まあ、中道は、何処なんでしょう?
    > と自分自身でも、又違った次元でのセンター、力点を観なければならないようなんです。
    >
    > マタマタ話違いますが、
    > 仏教は誰でも仏になれるという、、ところだけクローズアップされてしまう、、というのは、多分人間の弱さを最初から意図的に狙ったというか、言葉悪いですが、仏教が普遍化されやすいように、
    > そのような言葉が頻繁に、放たれるのかもしれません。
    >
    > 正直、ヨーロッパの神殿や、聖堂、教会に、
    > 商売繁盛であったり、受験合格祈願のお守りやお札が売られていたら、信仰や宗教の存在する意味を、やはり疑うでしょうし、
    > 信仰や宗教の、人ビトの心い存在する意味や存在の仕方に重要な意味があるのだと思うのです。
    >
    > そういった意味を考えると、仏教の考えには素晴らしいその土地に根ざした理由があるのに、空での現れ方が本当に純粋ではないんですよね。美しくない、現れ方なんです。本当に、残念です。
    >
    > その現れ方どうにかして欲しいのです。もう小乗でも大乗でも中乗でもどうでも良いと言っては又怒られますが、未来への普遍化を考えると仏教が続いて行く事を願う者として、その醜い現れ方をどうにかして欲しいと思うのです。
    >
    > 信仰離れ云々ではなく、決まった信仰を持たない人達が増えると思われるであろう、コレからの未来の人達の心に訴え、納得出来るであろう、現れ方、そのような仏教としての美しい現れ方をして欲しいと思うのです。
    >
    > 話ずれましたが、
    > 小乗のの声聞の仏弟子達が、実は大乗の菩薩であることが、仏から明らかにされ
    > 未来の長い時間の末に仏になるという予言(書かれて)いるのは法華経でも、方便品(しゃく門と本門を分けルと)の後、比喩本以下に書かれていたのでしょうか?
    > 仏教徒でない私なので、読んだ記憶はないようなんですが、
    > 多分わたくし2300歳くらいなんでしょうか?
    > 読んだかも知れません。。。笑
    >
    >
    > という事で、徒然に述べてみました。分かり辛くてめるろ〜さんどうもごめんなさいです。
    >
    >
    >
    >
    > ご存知の通り、仏教とは、<自己が仏になる道>のことです。
    > > 仏典は、その道筋を書いてあります。
    > > しかしながら、哲学と同様に、
    > > 仏典には、自己が世界を感情抜きに見る。
    > > という部分から始まります。
    > > 原始仏教においては、四諦や八正道といった自己が世界を見る見方をどのようにして見るか、その「無常」の様子を「苦」ととらえ、
    > > 因縁(因果関係)と捉えている。
    > > そういう中で、自己ですら「無我」である。
    > > (自己の成立は自己に固有のものではなく、因果関係で存立する)
    > > という認識を持つように書かれている。
    > >
    > > 普通、人は、「自己はここに居るではないか。」と思い、
    > > 自己を中心にモノを考えるというのが、別に変なことではなく、
    > > 普通のこととしてある。しかし、仏教では、そういう自己への固執も振り払うべくしないと、「解脱」は出来ないと教える。
    > >
    > > 解脱は、「苦」から解き離れることである。
    > >
    > > ここまでが、原始仏教が教えるところである。
    > > この行すら大変なことでありますが、
    > > ここからが、菩薩行の域に入ります。
    > >
    > > 慈悲(他者救済)と智慧(般若波羅密多)を駆使することが
    > > 出来る、または、他者へ指導することが出来るということですね。
    > >
    > > 「菩薩道に発心する」という語と
    > > 「仏教に発心する」という語が交錯する場合がありますが、
    > > ここでは、「菩薩道に発心する」ということですね。
    > >
    > > これを、三乗の分類で当て嵌めると、
    > > 声聞乗は、師の教えを聞いて悟ること
    > > 独覚乗は、色々な教えを自己の中で実践し悟ること
    > > ここまでが、自己が世界を観想し、行ずるという部分ですね。
    > >
    > > シャーリプトラ(舎利子)もこの段階の長老として
    > > 『般若波羅密多心経』も扱っている。
    > > 菩薩になって、釈尊と同じ行をして、
    > > その上で、舎利子に説法する。
    > >
    > > そして、最高の悟りの境地は、般若波羅密多行の上に成り立つと。
    > >
    > > 多くの宗派は、この『般若波羅密多心経』を仏教の中心経典として
    > > 取り扱っている。
    > >
    > > 浄土系は、そのような厳しい修行ではなく、現在の行いを
    > > <清らかにすること>で、菩薩や如来が極楽浄土に導く。
    > > というところに悟りへの道を開いている。
    > >
    > > 法華という最高の境地を求めるというのは、
    > > 実は一般人には危うい意味を含んでいる。
    > >
    > > 最高を求めるということは決して悪いことではない。
    > > しかし、最高だけを求めるのは、仏教全体の流れや歴史を含むまでには遠い道である。
    > >
    > > 『法華経』は成立から見ても一つの経典ではなく、
    > > 観音経の部分、陀羅尼の部分など、
    > > 発心から悟りを得るまでの道程は結構な道程である。
    > >
    > > 「行ずるすべてがお題目を唱えることからである。」
    > > ということもそういうところからきているのではないか。
    > > (大変微妙な表現ですが・・・。)
    > >
    > > 『法華経』は、『法華経』以外を排除して、
    > > 『法華経』が最高の経典であると書かれているので、
    > > そこが微妙なのですね。
    > > 釈尊は<そういう対機説法で何を導きたかったのか。>と。
    > >
    > > 中国で発展した禅の修業は、三乗をそのまま実践しようと
    > > するものでしょう。(禅は詳しくないので)
    > >
    > > 仏教が人間形成の最終点を示しているのであれば、
    > > 世界の宗教としての意味は十分にあるでしょう。
    > >
    > > しかし、信仰をいうものは、文化や習慣も伴っているので、
    > > 頭でっかちになってもいけない。
    > >
    > > お互いを認め合い、交流する中で洗練されていくのが
    > > 最もいい宗教のあり方ではないか。
    > >
    > > 武器を持って、他宗教を迫害するなどは持っての外です。
    > > どこも自己の信ずる宗教を重んじますし、
    > > 宗教によっては自己の選択の余地が無い場合もあります。
    > >
    > > 仏教においては、行ずることを得意とする者も
    > > 行ずることが難しい者も救おうという姿勢が見られます。
    > >
    > > 同じ人間であるので、階級も奴隷も存在させてはいけないし、
    > > 思考や思想の違いがあっても、
    > > 共有するものを求めることをやめてはいけない。
    > >
    > > すぐに、相手を否定するのではなく、聞くという
    > > その因縁を確かめる姿勢が仏教徒には必要です。
    > >
    > > 哲学では、真理は自己の頭の中にあるのではなく、
    > > 人と人の間に<共有する認識>を真理と呼ぶのですね。
    > >

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  • from: 沙羅さん

    2010年04月27日 08時00分34秒

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    「Re:たまには、哲学でも・・・・@@」
    前に、受動的な知覚のとらえ方は、誤信の基になるのではないかしら?
    という事を述べたと思うのですが、

     ただ、感じるのを、待っているという意識ではなく、

     知覚は、PERCEPTION ぺーセプションですから、ぺーセプション語感から、感じられるル、、想像するに容易いある意味を含んでいるんですね。

     PERCEP ぺーセ、、という語感は、PERCER,突破する、突き抜ける、
     穴を開ける、貫く、、
     
     つまり、直観や閃きといった意味あいを含むんですね。

     ですから、知覚 PERCEPTION という音素からは、
      スパーンと、速さ、敏速、という意識する行為の
      速さを感じさせるんです。

     ラテン語の、PERCEPTUM<知覚されるもの>から、
     PERCEPT<知覚対象>という新しい語が生まれる過程があるのですね。
     PERCEPTぺーセプトゥに対応するのは、ご想像通り、
     CONCEPT<概念>コンセプトゥになるんですね。

     こうやって、順序よく思考すると興味深いですね。

     言葉は、時間の経過と共に、造られていくはずなので、その過程を理解する事で、言葉の放たれる意味を体験しながら、同意が出来、そこで初めて自分が放てる言葉になると思うのです。

    この体感、経験が不在だと、言い換えも出来ませんし、他の国の言葉に訳せないですし、コミュニケートが成立しにくくなるんですね。

     どちらにしても、この知覚、PERCEPTION という意味は、
     PERCEPTEURぺーセプタゥー
     税金を集める収税吏徴収官の意味ですから、
     自発<能動的>に何かを集める、、

     何かを感じる(知覚スル)は、受動の意識ではないんです。

     何かが、目の前に書かれるのを、パソコンの画面に現れているのを、指をくわえて待っている、、という時間を後ろから追う、、

    つまり、後追い書き込みという形には、なりにくいですし、
    また、現れた記号を、待って、それを切ったり張ったりという行為
    例えば、類似する現れ方は、
    幼稚園の先生が画材を渡してくれるのを待って、渡された画材を利用して、自分自身が何かを作る、、という現れではないんですね。

     知覚という音素が放たれるとしたら、微妙な違いがあるんですね。
     似た言葉には、APERCEVOIR アペースヴォアーがありますが、
     意味は見て取るです
     A+PERCE+VOIR
     VOIRはヴォアーは、見る、見えるですから、
     
     自分自身が、何かに気つく、存在に気つく
     他の人には気つかなくても、自分は見る、気つく、、という意味です。この後、哲学者達がこの知覚に対する反省的な自覚を指す言葉を現すのに、統覚 という意味あいで、APERCEPTION
    という単語を作り出すんですね。

    結局、個の主体が認識する世界、知覚の総体的な所与から、形体を有する背景やそして知覚が新しい世界を創る、、世界を知覚する為には、世界が現存しなくてはならないはずなので、知覚は世界を創造はしないはずです。知覚は、私達に世界を認識させ、世界を表象する手段を与えるのだと思うのです。
    表象の世界は、それが形成されるもとになっている事物の世界の単なる、心的コピーではなく、知覚PERCEPTIONする、精神は、諸所の選択を行い、生の事物よりもむしろそうした事物の意味に留意するそうなんです。

    このように再構築された、分節化された世界が、わたしにとっての世界を構成する。ここに留まり観察し、関心を持つ分野が現象学なんですね。

    この文節化されたのを、再構築スル祭に、現象の関連、、つまり因果関係を考えるのは、信仰や宗教の分野との接点だと思うのです。


      「わたしは、初めから或る唯一の存在、或る無限に大きな固体 と交わっており、わたしの諸経験はその固体のうちから取り出さ れる。
     そしてその固体は、あたかも大都会のざわめきがそこで我々の造 りだす一切のものの背景の役を果たすように、私の生の地平に存 続している。」
            メルローポンティー 知覚の現象学

    ダヴィンチの知覚能力の恐ろしさは、その敏速さと奥行きの深さなんですよね。黄金率の発覚も彼なら、、、、と、納得できてくるんです。

     http://www.youtube.com/watch?v=cndjLJW5h84&feature=related

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