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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月31日 20時20分53秒

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    「Re:たまには、哲学でも・・・・@@」

      時々、WEBの書き込み行為を読んでいて思うのですが、

     何故?

     こんなに、対峙関係を築かないとならない衝動にかられるか?

     という疑問を感じる書き込み主体の意識に疑問を投げかける。

     WEBの書き込み行為は、

     交換日記とは違うと思うのです。

     と、、、、いう事は、

     コミュニケートを記号を介し取る、、、という意識があるとすると、

     あて先名を明記し、その方<過去に記される文>が記載した文のコレコレ、この箇所に関してこう思う

     という会話が成り立つ・・・

     という時間を後ろから追うコミュニケートの仕方ですよね。

     その場合は、その方個人の表記の仕方、品格、関係の築き方
     が、まず問われていると思うのです。

     他者となんらかの関係を結ぼうと思ったときに、

     どうせ、自分の実際の姿は見えないから何しても、何書いても構わない、、、
     という意識にはならないと思うのですね。

     観える人は心の姿を観ているのであって、
     書かれた内容がどうのこうのではないと思うのです。

     WEBの書き込み行為は基本的には、世界中の人たちとの接点が可能なのですから、なるたけ多くの自分と違う他者への語りかけであるかどうか?
    という意識が根底にあるかないか?ではやはり、その人個人の、友達関係も影響してくると思うのですね。

    類は類を呼ぶですので、何故か?
    似たような次元で似たような地点で似たような感動を持つ事に、呼応しながら、連帯感のようなものを匂わす書き込みもよみますが、

    閉塞感が付きまとう、、、という感じはぬぐえないですし、

    どう考えても、このような意識でいれば日常の友達関係も、新しい人が新しい人を呼んで、新しい関係が築かれていくという、横に広がる波が回りに円状に広がっていく、、、、という空気の流れを感じないんですね。

    霊的な感覚の事だけ述べさせてもらえば、字を読めば
    後ろになんとなく、嫌な感じのする雰囲気も感じる時もあるし、
    ほんとに、何かにとりつかれているのじゃないか?
    と感じさせる書き込みを読む事も結構ある。

    しかし、これを言ってしまうと科学的理性的に語りましょう、、、という世界から逸脱してしまうので、個人的にその人の後ろにある何らかの感じるものは黙っている。書き込みは、こちらが、複数他者に向けて放っていても、コメントが返されたりする。
    その時、どのような意識で返答するかも、心理学的分析してる場合が多い。
    ところが、霊能者と言う方は、ここで背後霊と話されているらしい。
    つまり、背後霊の導きによって、行動が決まっているようなんですね。

    ここで、結構普通は悩む。
    科学的に分析しながら人間関係をつくるというのは、何もその人を、物<者>として観ているのではなく、

    どのようにしたら、この人がこの個性の形で三次元の世界で居やすく感じる事が出来るか?
    という事が先に先に考えて、言葉を選んでいる。

    つまり、例えば、いつもいつも、対峙世界、貴方とわたし の世界を作らないと、会話が出来ない、、、という現象を見ると、

    何故?

    個人<他人>に執着してしまうのか?

    執着という言葉は、好きという感情と嫌いという感情

    両方の感情が、個人<他人>にいつも放たれてしまっているのだと思うのです。
    貴方が好き、、、とは表記に現れなくても、なんとなく
    個人を異様に褒めたりする場合であったり、反対に異様に突然忌み嫌ったような情動書き込みを、個人に放ったり、、、という

    対峙関係です。

    それだけ、個<他人>を求めているのだと思うのですね。

    他者と言う表記は他人とは、ニュアンスが違うと思うのです。

    他者という扱いはアイダンテティーを必ずしも必要としない。

    他人と表記するには、自分と違うというアイダンテティーが必要になってくる。

    ですから、哲学 は他者という表記になるのだと思うのですね。

    自分が話す相手が、何処の国の人で、どの信仰をもってて、男か女かとか、年齢は?何処に住んでて、、

    というような、情報は、どうでもよい情報なんですよね。

    WEBの書き込みは、仲間探し、同じ自分が居る事を探す安心行為の目的の為ではないと思うのです。

    最初から、自分が信じている何がしかの信仰や、教義や、心が宿そうとする場所を求める、、という行為上の書き込みだと、
    どうしても、楽な方、楽な方へと
    意識が向かうようなんです。

    この楽って感じる事ってなんでしょう???とか思うのですね。

    楽と感じるのは、自分と同じ同類の魂に呼応する事なんだと思うのです。
    何故なら?

    既に、孤立してしまっている自分を真正面から観る事ができないを、、、

    という自分自身に問う事をせず、信仰やこのような書き込み行為で、なんとなく自分を褒めてくれたり、認めてくれる知らない人の書き込みを読んで、ホットする。

    そのような人間模様に、もみくちゃになりながら、対峙関係、対峙世界をいつまでも造ってしまって、どんどん、狭い中げ中へと
    入り込む・・・

    よく自殺をする仲間達が、何処からともなく集まりWEBでの情報交換をされているサイトが見つかり、問題になりますが、、、

    結局そういう事なんだと思うのですね。

    何に、呼応するのか?

    というと、開かれてる未来に呼応し、自分と違う人<他者>が確かにこの世界には存在する、、、という観方を広く、地平線を眺めるという感じだと思うのです。
    自分と同じ人、自分の我侭や寂しがりやな気分を、決して叱ったりしない優しいお母さんみたいな人を求める<笑>お母さんを求める対峙世界ばかりをつくるのではなく、自分の魂は宇宙では唯一無二な、滅しない魂や心の肉体が書き込みしているのですから、

    もっと宇宙の知らない魂や心に届くような、開かれた示唆を感じさせる、書き込みでも言説でも放てると思うのですね。


    神経症と言うのは、精神病とちがって、ひとつの病気ではなくて人間の一般的状態を現すのですよね。

    心が宿す世界が、病的な世界観をつくる場所に宿せば、その人間は心を病みます。その人間が病気なのではなく、その人間が心を宿す社会や世間が異様な自然でない世界なんだと思うのですね。

    人間は自然と社会との境目にあってしばしばその自然を犠牲にして、自己を社会化するのでしょう。その社会の過程において、自然が圧迫され歪められた場合をもって、神経症と呼ぶのですよね。

    この対峙世界 なのですが、

    その対峙する、そのものが悪いと言っているのではないんです。

    例えばです。

     愛する  と言う行為とは?

     好きな人と愛する人との違いは?

     人を愛す、という事がどういう作用を自分の心に生じるのか?
     というと、

     やはり、愛する対象の人と付き合う、、という経験がまず必要ですよね。
     愛すると、性欲を解消するだけの相手を愛するとは
     全く違うという事は、わかると思うのです。

     愛するというのは、自分も相手からも、その人だから、その人でないとならない、その人の心<魂>の存在性に結ばれる価値があり、二人の関係、個と個の関係が、宇宙で唯一無二の関係として、存在しようとするからなんだと思うのです。
    そのような、愛の本来の形を経験する。

     まず、愛とは何?
    という愛に対しても、自己の経験が必要だと思うのですね。

    何故?

     対峙関係なのでしょう????

     と考えると、人間が生かされる理由を考えると思うのです。

     そして、人間と人間の間に生じる感情に愛は必要に思えます。

     愛する事とは?
     人の存在や、その人の魂の存在とは?

     そのような存在の心の持ち主が異性であれば、身体的な結合を結びたいと思わされるのも、もちろん当然に思えます。

     そのような行為に、いつまでも個人的、宗教的、処世術による個人に帰す道徳観ばかりを放つ行為というのは、
    その場だけなので、

    3時間もすると、誰も覚えていないという感じららしいです。

     心のコミュニケートは、違うと思うのです。

     何事も、体験しないとそこから何がしかの真に近い、普遍的な言葉を放つ事は難しいと思うのです・・・・・という事で・・




     

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月31日 06時44分56秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > > > MSG586の続き
    >
    >
    >   最近本当に、色々考え込むのです。
    >
    >  I さんと話していて、
    >
    >  癌患者の治療の選択について話していたら、、、
    >
    >  治療の仕方を選んでいるのに、
    >
    >  話を続けていると、どのような死に至る方法がよいのか?
    >
    >  という内容になって、それは、結局言い換えれば、どうやって生きるか?という言い換えも出来る・・・・という話になっている。
    >
    >  考えの捉え方は、実に人によって色々なのですね。
    >
    >  わたしは、癌患者である、Mさんと接する人間である。
    >
    >  という事は、Mさんが主体で話す事は、わたしは感受する。
    >  ある意味、彼女の痛みや苦しみを分かってあげるというのは、
    >  彼女の立場に立つという事、むしろ同化という表現ができるかも知れません。
    >
    >  だから、彼女が万が一自分は実験台のように感じる治療を薦められたと言われたら、憤慨する彼女の気持ちを理解し、状況を把握するより、彼女の気持ちが安らぐように不安を取り除くという会話をする事が今の彼女にしてあげられる一番の行為に思える。
    >
    > I さんは、Mさんと接触はないので、
    >
    > Mさんが、自分は実験台のように感じる<受動態>リスクある治療を、
    >
    > それは、「治験」 でしょう?
    >
    > と放ってくる。
    >
    > まず時間軸は、違う位置に立って、話を進めていこうとしているわ!と感じさせられた。
    >
    > Mさんとご主人は、
    > なんとか、生き延びられる、身体に負担のない治療の方法が探せばあるのではないか?
    > という心情地点に居る事。
    >
    > つまり、探せば?
    > まだ、、、何かあるかも?
    > という希望や願いでしょう。
    >
    > 治験の治療を承諾するというのは、
    >
    > ほとんど、治療に関しては、この病院のこの医者にかかる、、、とい決定してから、医者が 「治験治療に了解ですか?」
    >
    > と質問する時間軸は違うと思うのですね。
    >
    > 生き方というのは、死に方でもあるというのは、本当だと思う。
    > 余命時間を延ばす治療、、、であったり、
    > 癌をなんとか、治癒に向けたい、、であったり、、
    >
    > その時の、症状にもよると思うけど、、、
    >
    > 治療の仕方に選択が可能となると、
    >
    > 病気の認識のない一般人はどのような考えで、医者を変えたり、治療を途中から変えたり、するのかしら?
    >
    > 抗がん剤の治療が原因で亡くなった、、という事を聞く事もあるし、
    > 抗がん剤のおかげで、生きのびられる、、、という患者さんの方が多いはずと思うのですが、
    >
    > そうでなければ、抗がん剤治療は普遍化しないと思うのです。
    >
    > でも、6ヶ月、抗がん剤治療しますと言われて、一ヶ月半で他界してしまった人や似たような症状で、あっけなくあの世に逝かれてしまって、、、
    > なんというか、もう少し一杯話せばよかったとか、、、
    >
    > 後悔の念をこちらに残す時もある、抗がん剤のリスクとは?
    > 色々考える。
    >
    > 患者側からの治験意識は、
    >
    > ある新しい治療に挑む、データー集めの一環の治療を施すという
    >
    > 、うまくいけば、良いのですけどね?、、、
    > いかんせん、、、
    >
    > 思ったより、良い結果は得られず、最悪は、思ったより早く死に至ってしまう、、、という事ももちろんあるのでしょう。
    >
    > しかし、そうであっても、データーは無駄ではなく、今後の癌患者さんの為の治療に役立つ、、、前向きですね。
    >
    > 他者と自分が同化する世界観を持つことに生きる意義を感じる人たちでしょう・
    >
    > I さんの維持する意見なのです。
    >
    > そういえば、3,4年前の話だった、
    >
    > 彼女がフランスの何処かの、教会を、尋ねたくて、行ったら、扉が閉まって、入れなかった。
    >
    > 近くに歩いていたフランス人に、教会が開く時間を聞きたくて、「あの〜教会の扉が閉まってて入れないんです。」と聞いたら、
    >  あるフランス人の答えは
    >
    >  「貴女だけが、入れないのではありません。わたし達、皆が
    >  入れないのです。」
    >
    > という返事が返ってきて、驚愕したらしい、、
    >
    >  Iさんはどう見ても日本人に見えるのに。フランスでフランス人に聞くと、わたし達WE扱いなので、WEの文体をつくり、表現する。
    > 決して、二人称単数扱い、貴女とわたし、地元人と観光客、
    > 日本人と外国人、等々の考え方はしないのですね。、
    > 問題は、後ろ向きの意識で、仲間造りをするのではなく、未来に向けてだと思うのです。そういった意味で、治験に同意するという意識なんでしょうね。  
    >
    >   
    >   現象学思考を築く思考の仕方なのでしょう・・・
    >
    >
    >
    >
    >
    >
    >
    >
    >

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月30日 23時12分58秒

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    「Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > MSG585の続き

    パリに仕事を兼ねて3週間ほど滞在するIさんは、何か?
    特別な信仰をもっているのではないのです。家には、神棚があるそうなんですが、それは家がご商売をなさっていた関係だといっていた、

    それでも、パリに着くと、必ずいく 教会がある。
    ノートルダム不思議のメダイュ教会。

    彼女はパリに着いた、翌日行っている。

    別にミサに参加するというのはなく、行って、椅子に座って、数分間瞑想をして帰ってくるらしい。


    翌々日、マドレーヌ寺院に行ったという。

    その時、話してくれた。

    「あのさ、今年の一月、ピナコテックの美術館で、フェールメール
    来てたから、それが見たくて、行ったでしょ?
    美術館出タラ、すぐ横ジャン?、マドレーヌ寺院?

    ま!マドレーヌ寺院は来た事あるけど、どうせここまで来たから、、と思って足を運んだ。

    そして、しばらくいたら、だんだん涙が出て来て、止まらなかった。
    あれは?なんだろう?

    なんで悲しくもないのに、涙がひとりでに出て来るという感情にさらされるんだろう?」と言ってきた。

     それで、何故?

     マドレーヌ寺院に又行ったのか?
     その説明で、察しがついた。

     自由に、気がむくところに向う。そして、目の前に、フト
     
    「あ!そうだった、」、と計画表<目的>には、企ててられない建物とかが目に入る。

     どうせ、此処まで来たから、又入るかな?
     と思って、入ったりする。

     これなのだ!、、目的ではないはずなのに、

     思わされて実行に移す。

     しかし、思わされる時間は、現時点の通時態であるというのが条件みたいなのだ。

     わたしも、I さんと同じ体験をしたことがある。

     7年前ミラノの、「最後の晩餐」の絵の前に立った時だった。

     ダヴィンチの絵は、パリでも色々見るし、ルーブルに入るのも一度や二度ではなく、時間つぶしというか、芸術品に囲まれる空間に身を置くこと、、、

    芸術品に集中し、意識を対象物に、放つのではなく、
    自分の身の回りには、優れた美術品に四方八方から囲まれる、、という空間に身を置く、、、といった経験なんです。

    どうも、即物的、物質偏重主義に偏るという意識は、一点に集中し、究極求める、、、という意識に発展しているようで、
    対象物と対象物の間の繋がりを感じる事が出来ない人がすごく最近多いと思うのです。文を読んでも、単語やテキストだけに自己過敏投影されているようですし、、


    最終的には、抽象表現に尽きると思うのです。

     話は逸れましたけど、、

    ダヴィンチ自身に何か特別な期待をしている訳ではなかったはず。

     この時は、母とミラノに旅行した。
     最後の晩餐を見る目的もあったけど、3泊4日の旅行なので、ミラノ界隈を旅行した。

    それで、ミラノのサンタ、マリア、デッレ、グラッツェ教会へ、最後の晩餐を見にいった、7年前。

    ダヴィンチコード映画製作される前に、母と行っている。

    その時、一時間くらい待たされて、少少疲れていた。中に通されるのは、毎回25人づつ、、と決められていた。
    大きな食堂風のがらーンとした空間の一面に、ダヴィンチの最後の晩餐は描かれていた、そしたら意味も分からず、涙が止まらなかった。

     何故かしら?
     最後の晩餐を見たくて、見たくて、しょうがない、、という気持ちがあるなら、分かるけど、

    母が、イタリア旅行したいと言うので、

    それじゃ!ミラノでも行ってみる?

    という調子の旅行だった。

    つまり、涙が自然に流れるほど、何か心を動かされる
    そのような体験をするであろう事すらも、分からないのだ。

    いったい、何故?

    どういう感情が沸いたのかしら?

    この7年前の時は、まだIさんとも会っていないし、知り合いではない。


    フト、気になった。彼女は今年の一月
    うちに来た時、マドレーヌ寺院でかったという、ミカエル天使のお守りカードを『ハイ!これ、あげる」とくれたのを思い出した。

    昨日電話した時、

    『貴女、一月にわたしにくれた、ミカエル天使のカードは、
    貴女が、意味の分からない涙を流した後?買ったの?それとも前?』私

    「後よ、OOちゃん」I嬢

     「その時、他になんか買った?特に貴女自身に買った?」わたし

     「うん、絵葉書買った。でもそれは日本の友人宛、あのマドレーヌ寺院の絵葉書、何故か?皆喜ぶの。

     わたしには、えーと、カード買った」Iさん

     「何のカード?」私

     「パスポートに入っているけど、なんだろう???」Iさん

     「何にも書いてない。」Iさん

     「ちょっと、見て言って見て?十字架もってるとか、ひざまづいているとか、聖人のカードならだいたいわかるでしょ。眉間から光りがでてたら、リタ聖人とか、、」、わたし

     「アー十字架持ってるわ、、」Iさん

     「花がない?」Iさん

     「薔薇?」わたし

     『ウン」Iさん

     「赤い?」わたし

     「そう、、」Iさん

     「じゃ!マグダラのマリアよ。マ!聖マドレーヌ寺院だから、
     当然にも思えるけど、、」わたし

     彼女は、あまり薔薇は好きではないはずなのだ。
     だから、マドレーヌ寺院での出来事がよく観得なかった。
     彼女は、おととい、一月のマドレーヌ寺院での不可解な心情作用を話してきた。
     
     彼女は知っているのか、知ってないのか?白いユリの花の意味を
     知らないけど、白いユリが好きだといい、私達がいる時も、よく白いユリを花やさんで買ってきて、コンドミニアムに飾っている。

     
     彼女の誕生日がルルドの聖母マリア出現と関係しているのか?
     知らない間に、不思議のメダイュ教会に足を運ぶ、、
     もちろんこの時I自身の自分の誕生日が聖母マリア出現と同日だという事も気ついていないでいた。

     話はダヴィンチに飛びますが、
     ダヴィンチが、聖ヨハネを愛していた事残された美術品と作成年月日を調べると間違いないと思う。
     
     昔の殉教者は、十字架を持ちながら火の中だったのだろうか?

     ジャンヌダルクにしろ、天草四郎にしろ、十字架をもち火の中へ??、、、、自分自身の回帰ではなかろうか?と思ったりした。
     ミカエル大天使のエレメントは、火 なのだ。

     地球を為す4大元素に、ダヴィンチが気つかされたのも、
     不思議ではないでしょう。

     Mさんがわたしに読んで欲しいともってらした本に、
     霊なんてコワクナイヨーというタイトルの三輪明宏さんの本があったのですが、

     その本を読んで、ハ!と思わされた。
     

     1830ねん7月18日、聖母マリアがパリに現れたのか?
     聖母マリアが、キャトリーヌ修道女に、細かく、メダイュのレイアウトまでして、造らせたという不思議のメダイュの、
    レイアウトの記号の意味が、観得なかった。
     その意味を説く、アルファベットの記号の説明が書かれてあった。

     三輪さんが、色々な霊能者に、天草四郎の前世があると言われたのは、YOUTUBEを見て分かったのですが
    天草四郎を交霊して分かったのが、マリア観音、観世音菩薩が天草四郎を守っていたという事だったと書いてあるんですね。

     色々調べていくと、マリア観音のルーツは、火の神トロイなんだそうです。

     いえねえ、、興味深いですよね。


     写真はマドレーヌ寺院。 マグダラのマリアです。

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月29日 23時43分30秒

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    「Re:Re:地球 ひとりある紀」
    >
    >  随分前から、わたしが思う事のひとつ
    >
    >  医療と占いを一緒にしないで欲しい。
    >
    >
    >  という点だったのです。
    >
    >
    >  どういう事なのか?
    >
    >  というと、
    >
    >  例えば、
    >
    >  肩こり
    >  腰痛
    >  神経痛
    >  不眠症
    >  精神的、心療的病
    >  癌などに至る重い病
    >  小さい時からなんらかの障害をもった人達
    >
    >    などなど
    >
    >  このような悩みや病気を治す事を、普通は「 治療を受ける」
    >  であったり、病気を治したい、、、という表現を使うのが一般的だと思うのです。
    >
    > ところが、例えば、腰痛を治したいと思った場合、形成外科の医者には行かないで、占い師、ヒーラー、スピリチュエル等の世界の、
    > 保険が効かない人の処に行って治療する人が沢山いる。
    >
    >  占いや前世を見る事と、腰痛を治す事と、
    >  一緒にされると、
    >  困る、、、
    >
    >  というのが、正直な昔からの質問なのです。
    >
    >  いったい、どうして?
    >  医療と占いや前世を見る事が一緒になってしまうのかしら?
    >
    >  と色々考える。
    >
    >  大変な事ではない?と思うのに、
    >
    >  普通の人は普段どおりである。
    >
    >  いったい、死後の世界が観える、能力が、
    >
    >  もちろん全部と言えないけど
    >  何故?
    >  身体の不調を訴えた時、
    >  その病気、又は痛みを取り除く事が出来る、治療できる能力が同じなのかしら???
    >  という疑問がわきあがる。
    >
    >
    >  その点、フランスの音素は、ヒーラー、スピリチュエルだとか、
    >  
    >  一般の人には分かりにくい、未体験者には分かりにくい、音素で、コミュニケートしないので、助かるのです。
    >
    >  普通の本屋さんで売られている、グレゴリアン氏が書いた本、
    >
    >  RENCONTRES AVEC GUERISSEURS
    >  REMARQUABLE
    >
    >  注目すべき、民間医療師達との出会い
    >
    >  という本に載っている、フランス全国にいる9人のうちの一人、
    >  ムニエ氏のところに、知り合いの話を聞く縁があって行ってみた。
    >
    >  ですので、理由は、病気や持病があっての事ではなく、
    >
    >  何故?
    >
    >  SAVOIE県サヴォア県の、ARC河が流れる、サン,ミッシェル<ST MICHEL>の近くに住んでいるのかしら?
    >
    >  という事が分かったからなのです。
    >
    >  行って知りたいけど、行きたいという理由がないとならないらしい。
    >
    >  ただ、行って知りたい。、、という探求欲の為なのです。
    >  でも
    >
    >  「何故?
    >
    >  この場所に住んでいるのですか?」
    >
    >  とは聞き辛い。
    >
    >  仕方なく、
    >
    >  肩こりでも、本でも長時間読めばなるかな?、、、、<コラ?>
    >
    >  と、いう会う理由をつくらないと、
    >  行けない様な場所や現われになっているのが、
    >
    >  フランスのこういった、MAGNETISEUR(磁気治療)
    >  する、GUERISSEURS<民間医療>と呼ばれる人ビトなのです。
    >
    >  それで、こういう人は、手から放つ、磁力によって、身体に触らず、首のこりを、治したり、腰の痛みを和らげるのです。
    >
    > でも、
    >
    > 占い師ではないので、
    >
    > 江原氏のように、突然
    >
    > 「 いえね?今ここに、貴方のおじいさんという言う人がいるんですよ。それでね?そのおじいさんが、貴方に伝えたい、メッセージがあってね!、、、、』云々、、という事は言わない。
    >
    > でも、本を読むと、
    >
    > 他の9人の、MAGNETISEURS磁力治療師と、会って話した箇所を読むと、
    >
    > やはり、何らかの、霊体との接触をしていている経験が書かれている。
    >
    >  いったい、どうしたものか???
    >
    >  占いや前世や霊視したメッセージとかを、患者さんまたは相談者に伝えるのが目的なのか?
    >
    >  肩のこりや、腰痛を治すのが目的なのか?
    >
    >  患者さん自身も、なんだか分からなくなってきて、
    >
    >  わたしも、なんだか分からなくなってくるので、
    >
    >  治療は治療
    >
    >  占いや前世を見て、先祖のメーセージを受けたい
    >
    >  という希望とは、分けた方がいいかも?と思う、
    >
    >  だから、フランスのこのような代替医療の人達は、
    >
    >  医療、つまり病を治すという目的だけの、行為に至る。
    >
    >  患者さんの回りになんらかの霊が現れたのが見えたとしても、それの事を、話す事はない。
    >
    >  だから、占いと治療は一線の線が引かれている。
    >
    >  なので、メディアで活躍されてる
    >
    >  例えば、江原氏や三輪氏のようなスピリチュエル世界での予言や霊視する力の高い有能な方達は、もっぱら、人ビトの精神的な悩みの助っ人、前世のカルマを説明したり、して現代の人達の心の不安を取り除くというのが主な役割で、
    > ムニエ氏のように、手から放射する磁気で、なんらかの治療をすることはないのか?と思ったら、テレビの画面に出ないだけで、
    > やはり、似たような、磁気波動で、身体の不調をもつ人を治しているようなのです。

     
    >
    >
    >  これまた困ったわん。、、やはりどう考えても、
    >  唯物論的思考で、実践をするのは無理なのです。
    >
    >  身につく、実践にうつすのは、
    >
    >  ただただ、字や記号を読んで把握したり、解釈したりするだけでは、実践として、他者とのコミュニケートは無理で、他者を納得させられるという地点にもいかず、結局、自分一人の世界での一人芝居という事に思えるのですね。
    >
    > 知らない他者に普遍的に波動が届かないという事なのかも知れません。
    >
    > 届かないから、字を書いたり、発表したり、世間のメディアに触れさせたり、積極的に宣伝をする、、という行為にいたるのかも知れません。
    > 宣伝しないと知られない存在ではなく、
    >
    > 自然と知られていくから、あとから噂を聞いて、市場主義、物質主義偏重の、情報社会での扱いとされ、人間の心を、物化して、
    > 扱い、売れるとか売れないとか、、、、どうでも良い、知名度の影響にオドオドしたりしないとならなくなるのでしょうと思うのです。
    > 自分の存在を普遍化できないのは、自分の責任なので、決して、
    > 宣伝会社や、情報世界での、会社のせいではないのだと思うのです。
    >
    それで、毎回、同じ人の番組で申し訳ないけど、それしかないので、日本の霊能者<江原氏>もカメラが回らないところでは、
     スタッフの腰痛など、磁気で治すのね?
    > 、、、と分かった、YOUTUBEを貼り付けます。
    >  
    >
    > 、
    > http://www.youtube.com/watch?v=kE6hdmTRBjY&p=988E899959E946DB&playnext=1&index=33
    >  
    >
    >
    >
    >

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年08月29日 20時32分18秒

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    ファーブルと昆虫とみこさん

    みこさんようこそ。

    ファーブルさんは言わずと知れた
    『昆虫記』を書いた人です。

    この方は、自分の眼で見たものしか信じないで
    忠実に昆虫を凝視した人です。

    その昆虫を通して、自然の時間、自然の様子、
    自然の存在の繋がりを雑念なしに記録した人です。

    ”こんな当たり前なこと”という部分もあるでしょう。
    そうじゃないのです。
    当たり前なことの中に、純白な心で見れば、驚きがあるはずです。
    人間興味が無いから、そこに面白みが感じられないのです。

    ごく自然なことに、興味を持って見る。触る。聴く。嗅ぐ。
    時には味わう。
    すると、何かそこに感じる自分がいるはずです。
    それが自分です。

    それがすべてではないですが、赤い色に興味を持つ。
    おいしいスィーツに興味を持つ。
    スポーツに興味を持つ。
    音楽に興味を持つ。
    それをある程度連続すると、
    <ああ、自分ってこんなことに興味がある存在だったのか>
    と気付かされるはずです。

    自分の興味あることがはっきりしないのに、
    「自分とは何か」と問うてみても、
    なかなか答えは見つからないはずです。

    そこで、自分が今見ている世界の方から、
    自分を見るとどうなっているのか
    探ってみるといいのです。

    そこに自分が興味があるものと、他の人が興味があるものと
    違うことに気付くはずです。
    それが自分なのです。

    別に、政治的に右の考えだとか左の考えだとか言うものでなくても
    自分を見い出せます。

    他の人が評価しなくても自分は見い出せるはずです。
    いや、他の人が評価する人は、ごく一部ですし、
    評価されていない人が殆どです。

    いいじゃないですか、評価は人がするものですし、
    そんなものどうにかなるはずはありません。

    <自分を見い出して、自分に微笑んで生きる。>

    そういうことが大事です。

    <自分が正しいと思うから、相手も正しいと思う>
    と言うような人が多い中、自分を正しく見ようとする姿は、
    普通のことですね。
    いや、大事な事といえるでしょう。

    理論武装した自分より、生の自分の方が生き生きして
    いいと思います。

    感想など聞かせていただければ幸いです。

    管理人めるろ〜001より

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月28日 23時56分58秒

    icon

    「Re:Re:地球 ひとりある紀」
    2007年、フランス第五共和制の9回目の大統領選挙は、
    二回目の投票は、上位2位の間で行われる。

    UMP国民連合運動の二コラ、サルコジー(右派陣営)と、
    社会党の セゴレンヌ、ロワイヤル<左派陣営> の二人でのデイベーとだった。

    女性初の大統領か?と国民の動きには、今までに無い左派の女性選出に期待をかけるものだった。


    アイロニー意識で社会の動きを面白、おかしく、風刺する

    芸能の世界を見ていて、

    アレ?と思わせる、ユーモリストの談義があった。

    名前は忘れたが、私はいつもその人の、社会を見つめる視線の鋭さに、深遠と言ったら言いのだろうか?
    ただの霊感が強いというものではなく、ノストラダムス的な

    尋常とは思えない、人間の営みと密着した感性の鋭さを感じてしかたない。


    大統領選に関しても、一人談義、サルコジーと、ロワイヤルを、彼流に皮肉の目でもって、一般の笑いを誘う、または、なるほど、、と頷かせる鋭い、彼の分析力を披露していた。


    この時、社会党のセゴレンヌ、ロワイヤルの強みを、外見センスからはじまり、大衆のセゴレンヌ、ロワイヤルの受けとめ方。

    にアレ?

    と思わされた。

    彼女の名前<苗字>は、もちろん彼女本来の苗字であり、結婚はしても、ご主人の苗字を名のる事はなかった。

    だから、ROYALはという音素は、彼女本来家系を現す。

    この時、わたしは、単純のROYAL という意味を理解し、彼のアイロニーによる、揶揄表現に笑っていた。

    しかし、考えてみたら、、、
    そうではない、、、という事が後になってきつかされた・

    フランスの歴史を紐解けば、ROYALの意味に何故?
    白いユリが、教会やあちこちのシャトーの保存される、調度品、紋章、例えば、モン、サン、ミッシェル、の調度品に彫刻される
    ユリ、、、パリのノートルダムのステンドグラスm聖母マリアが持つ白いユリの意味、

    ロアール、フランソワ一世のアンボワーズ城や、ダヴィンチが息を引き取った、ベッドや部屋や暖炉にある紋章の意味、十字軍がもつ旗のロゴや印にしても意味が皆ある、

    白いユリは、王家を意味する花である事、、

    キリスト教も歴史の重要人物に関係し、そのアイテムや印はあちこちに、
    どのような意味を示すのか?という意味が含まれている。

     娘が、セーヌ河には、ROYAL橋がかかっているじゃない?

    と言って来た時、、、

     そうだった、、ROYALと呼ばれる意味があり、

     歴史はその通り、回っているじゃないか?

     いったい、必然なのか?偶然なのか?

     何故?

     そのような音素で生まれるのか?

     音素が先だったのか?

     いやそうではないはず。

     たまたま、そのような名前の人が、

     時の大統領の苗字だったんじゃないか?

     いつまで、偶然の一致現象の原因を紐解けず、、

     不思議、不思議、、と言い続けないとならないのでしょう???

     セゴレンヌ、ロワイヤルさんは、未来の大統領の座につくようになるのではないか?

     写真は、パリではなく、

     ロアール河にかかる、

     オルレアンの聖十字架大聖堂が見える、ロワイヤル橋

     ジャンヌダルクの魂が宿す聖十字架大聖堂がある。






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  • from: 沙羅さん

    2010年08月28日 18時55分33秒

    icon

    「Re:地球 ひとりある紀」

     皆様、お暑うございますねえぇ、、、


     渋谷の忠犬ハチ公の事を
     書いていたら、犬の魂ってご主人さんを、世代を代々探してきて見つける事あるのかしら?

     と思っていたら、めちゃくちゃおかしい、
     YOUTUBEでの番組オーラの泉があった。

     こういう家族の役割、世間的から、みるととても、道徳的には
     考えられない価値観の違いを感じる方も多いのではないか?、

     わたしの知り合いにも良くいらっしゃる、
     
     おかしいのは、江原さんの無意識行為。
     この方が、霊達と質疑応答しているのは明らかで、
     江原氏は、時間のあるテレビ番組の中で、ナントカして、
     何らかのメッセージを伝えなければならないので、
     ズーと横で霊が「コレコレ、こうで、コレコレだから、こういう風になるようになっているから、、」と話しているのを、遮るという行為をしながら、「チョッとごめんなさい」と、
    横にいる、何か、相手<霊>が話しているのを、中断する行為に対して、謝っている言葉が、放たれている。

    随分前から、心理分析をしながら、霊能者の言葉をYOUTUBEで、見ているのですが、
    江原氏といつも話されている霊<背後霊?>自身が、心理分析能力が高いのではないか?と思っていた。

    心理分析能力が高ければ、江原氏に伝える時も、あのような言葉数が多くなるはずなのだ。

    何故なら、人は、ただ、信じられる人(上の人?>に言われる事を、ただ無心に信じる訳にはいかないのだと思う。

    その自分に放たれる言葉の意味、つまり、自分で納得できる体感が伴なわなければならないのに、
    何故か?
    コミュニケートが他者との内容の一致を見ず、ちぐはぐし、いつも言っている意味が伝わらない人達が非常に多く感じるこの頃です。

    他者不在、自分が思った事だけ放てばいい、、という感じの人はいつまでも
    、難しい言葉を放てば、人は自分の言ってる事に真実味を感じるだろうと、、、と勘違いするらしいのですね。

    その言葉の本とに他者間の間に伝わる意味を考えず、
    内容のない、説得力のない、誰かが言った言葉、どこかに書いてあった言葉、大昔の教義の言葉を、繰り返すだけ。


    部分分解し、その時だけの、応対処置をする事に追われる。

    あーでもない、、こーでもない、、、

    という後追い反応。

    体感、実感、体験があるという人は、
    記号に拘る事はないと思うのです。

    コミュニケートを求めれば、ますますやさしい言葉、日常会話の話し言葉、へと記号の現れ方を、やさしい一般用語へと変える能力を駆使すると思うのです。

    そこには、他者が居る、、という自分と違う他者の存在を意識しざるおえない自分がいる。

    、 YOUTUBEを見て、今までこれほど、よく話す、話す、話す、、、、超能力者は、存在していなかったと思う。

    どうもよく話す人は信じられない人格の持ち主と、思われるという風潮があるようなのですが、とくに男性になるとよく話す人の風当たりは強いのではないか?

    しかし、他者を批判したり、バッシングする事だけ、意識を向け、自分自身は
    何故?
    人によっては、超越経験が出来るのか?

    という理由や原因は分からないままの自分に対する愚痴を、対象者<個人>を批判する事で、自己の精神のバランスを保つ事ばかりでは情けないと思うのですね。

     世界というのは、求められる時代に、もとめられる存在の形として、何がしかの存在が、その時代、その時代に出現するのでしょう、、、とコレも、摩訶不思議の宇宙の法と思わされて仕方がない。
       しかしぃ、、コレは、ホンマニ、可笑しい、。
    http://www.youtube.com/watch?v=e5qIdH0CikY&feature=related
     
     写真は、3年前にR君が写した、フランスでは一番大きな自然湖、ブルジェ湖にさくを蓮の水面下から撮った写真。 

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月28日 03時42分33秒

    icon

    「Re:Re:Re:Re:沙羅ちゃんのブログ」
    > ハンドルネームについて、
    >
    >  何故?
    >
    >  沙羅さんという名前なんですか?
    >
    >  と聞かれると、遠く、遠く、、昔にそのような名前で呼ばれていたから、、と応えると、
    >
    >  呼ばれる記憶は音なので、
    >
    >  見た<読んだ>記憶ではないはず
    >
    >  とすると、、、さら=サラ というハンドルネームでいいのだけど、
    >
    >  ひらがな音素だケ表記スルト、
    「ら」を高く発音し、「さ」を低く発音する人ガ多い。
    >
    >  何故?
    >
    >  五線譜の♪で、さら と表記されてる訳ではないのに、
      イントネーションが自然について発音される
    >
    >  さら と表記すると、皿 と想像するらしい。
    >
    >  実に日本語を、ひらがなやカタカナで表記するのには、限界があるらしい。
    >
    >
    >  仕方ないから、「皿』美しくないので、沙羅にする。
    >
    >  ラテン語の表記の羅が入っているし、
    >  サン水に、少ないと書き、沙
    >  なので、涙が少ないという意味という、意味も気に入っているのです。
    >
    > 平家物語の冒頭の文句を想像した?
    >
    > うぅぅん、そうかも知れないです。
    >
    >  鐘の音ではなく、鐘の声として、
    >
    > むか〜し、 さらさら、、呼ばれているのではないか?
    > と小さい頃から、川遊びが好きだった。
    >
    > 小さい頃は、毎週末、父親に秋川渓谷に連れて行ってもらった。
    >
    > そういえば、その頃から
    > 友だちに、
    > 「OOちゃん?お父さんの実家何処にあるの?」
    >  と聞かれるから、
    >
    >  柏 <千葉>と答え
    >
    >  「おかあさんの実家は?」
    >
    >  と聞かれるから
    >
    >  柏 と応えていた。
    >
    >  皆、変な顔をして聞いていた、けどそうなのだから仕方ない。
    >
    >  田舎(柏)に行くと、子供の足で、10分の距離に、
    >
    >  父と母の両方の祖父母が住んでいるので、便利なのです。
    >
    >  しかし、父と母は、幼なじみでもなんでもない。父が勤めていた会社の同僚の紹介だったと言う。
    >
    > 会社も、東京なのだ。
    >
    >  これもよく、考えると不思議な両親なのです。
    >
    >  よくよく考えれば、うちの両親自身が、
    >   アダムス一家、の日本版と言えるほど、気味の悪い偶然の一致を、無意識にリアルタイムで、行っていたのではないか?
    >
    >  と思うようになってきた。
    >
    >  ダヴィンチコードを見てつくづく思ったのですが、
    >
    >  母方の苗字というのは、やはり大事ですね。
    >
    >  万が一ダヴィンチコードのように、母方の血が、後世代に引き続いていく、DNAの重要なインフォメーションの鍵となる、、
    >
    > 繋がりは、実は父方ではなく、母方の方なのだ、、
    >
    > なんだか、ルーブルの逆さピラミッドの下の、マグダラのマリアのお墓のダヴィンチコードをみて、感慨深い。
    >
    > ところで、R子さんが、7年前に亡くなったご主人の実家に一ヶ月滞在されていて日本に帰られて、智ちゃん達も一ヶ月の日本の滞在をすまし、フランスに帰ってきたと思ったら、今度はIさんが、フランスのパリに着いた。
    > 彼女は年に2回、仕事でパリに3週間の予定で来る。
    >
    > じーとフランスを動かないで、彼女達からくるメイルの返事だけしているのは、私だけだ!
    >
    >
    > ところで、昨日、IさんにMさんの状況を話して、考えを聞いてみた。
    >
    > Iさんは、やはり、「自然治癒力を高める、ナントカ療法などに、委ねているのは間違いだ!」と言ってきた。
    >
    > 「リヨンのフランスには温熱医療をする数少ない癌専門医の一人に、リスクは大変あるけどその手術を受けなかったら、貴女2ヶ月後に死にますよ、、みたいに驚かされた、そうなのよ。」と話した。
    >
    > 彼女は、
    >
    > 「わたしも、そう思う」と、いう返事を返してきた。
    >
    > Mさんのご主人が、医者である事、本人のMさんよりご主人の方が、その代替医療に積極的なのよ、、、
    >
    > という話ももちろんした。
    >
    > 色々考える、リスクの多い手術をして、動く器官を採られても、実際温熱治療をするかしないかは、手術後の身体の病理検査の結果で最終結果を決める。
    つまり、外科手術は癌治療をする為という直接目的ではなく、温熱治療をした場合によい結果を得る為の、身体に癌が転移がないように整える準備をする手術だそうなのだ。
    >
    > しかも病理結果によっては、温熱治療をしないかも知れないという、
    50パーセントで
    助かるという見込みのある温熱治療をするかしないかを振り分けられるという。

    にゃに〜?それ?と聞いてて思わされる

    、大変な思い、臓器をとられた外科手術をした目的は???
    > という疑問が生じるではないか?

    > その為か分からないけど、、20枚以上、手術の前に、サインさせられる。
    > このような調子で、癌患者は、近代医学といえる最新医療技術の医者に扱われる。本人じゃなくても、私だって怒る。
    >
    > お医者さまのご主人B氏自身が、「手術はしない、」、と思わされるのは自然かも知れない。
    >
    > そんな事を色々話した。
    >
    >
    > 話は違うのですが、うちの母方は、旧姓が渋谷という苗字で、渋谷の駅から、歩いて、7,8分の金王神社に、祖父母達は永眠している。
    > 祖父は、母が結婚する大分以前に他界しているので、写真でしかしらない。しかし、祖父の実家は茨城で、祖父は次男なのですが、渋谷性は、そうすると渋谷の駅とは全く関係ない事になる。
    >
    > しかし、何故か?分からないけど、渋谷の駅にわたしの大好きだった祖母のお墓があるので、他界した10年前からなんだか渋谷という町を近く感じてきた。ところが、それは祖母のお墓があるという事だけではない事が、ウスウス分かってきた。
    >
    > 渋谷には、昔、渋谷城があったらしいのです。そのお城の残りは、
    > 金王神社の裏にあるらしい。
    >
    > 母が小さい頃の話だから、祖母達は当時世田谷に住んでいたそうなのだ。
    > 生前から、祖父つまり渋谷の姓を持つ祖父は、金王神社の神主さんと知り合いで、よく神主さんと会う約束をしていたと母が言っていた。しかし、何故?茨城生まれの祖父が、世田谷に住み、渋谷区の名前の由来なる渋谷城の金王神社の神主さんと知り合いなのかよく分からない。
    私が小さい頃からヴァイオリンを習っていたのは、東京に住んでいた頃なのだが、渋谷にあるヴァイオリン教室に通っていた。横浜に引っ越しても、通っていたので、毎週月曜日になると、東横線で渋谷横浜通いをしていた。
    >
    >1915年頃かしら 祖父が亡くなった時、祖母は祖父の友人であられた、この神主さんのご厚意で、金王神社に遺骨お納めたという話だった。
    長男でない祖父にとっては、どこかにお墓を造らないとならなかったらしい。

    > だから、最初は小さい頃、祖父の家族や親戚が渋谷区に住でいたのか?と思ったら、違った。
    渋谷という姓は祖父の出身からすると茨城からきているはずになるのが分かった。母方祖母の旧姓は渋谷ではないので、非常に不思議な感じをもった。。
    > 何しろ、わたしが生まれる大分昔の事なので、あまり気にもしなかった。では母の母、つまり祖母の両親は?
    > というと、隣の青山墓地に眠っているらしいというのが分かった。
    >
    > 祖母は、昔、青山霊園と金王神社と、長い間、お彼岸になるとお参りをしていたらしい、、という事も最近わかった。
    >
    > これも変な話だが、智ちゃんに話してみた、
    > 何故なら、智ちゃんは、青山大学卒なのだ。
    > しかも当時世田谷区に住んでいる。
    > 世田谷からバスで通っていたと言っていた。時々バス停にいくのに、青山墓地を横切って行くと、近いけど怖かった、、
    > とこの前述べてきた。
    >
    > 彼女の苗字は谷がつくのですが、東京23区で、谷がつくのは、世田谷区と、渋谷区しかないのでは?なかろうか、、t思うのですが、、違うかも、?、
    >
    >
    >
    > 今年の夏、智ちゃんは、日本に帰国した時に、ご主人のRさんと一緒に、世田谷区にある、大学の時アルバイトしていた、日本料理店に行って、マスターから、大吟醸をごちそうになったと話してきた。何故?
    ご主人のR君とバイトしていたレストランに行ったのかは、訳がある・
    >
    > 話が重複しますが、
    > 智ちゃんは、大学卒業し、いつか、海外へ留学しようと思い決まった就職口は探さずアルバイトを続けていた。、
    > 、
    >
    > ある日、知らないお客さんの一人に腕を掴まれて
    >
    > 『貴女、将来何したいの|と声をかけられた。
    >
    > それが2004年の3月だった。
    > この時、智ちゃんは、なんとなく、という夢を語っていた「いつか、フランスでも留学したいと思って」という返事をしたそうだ。
    >
    >
    > その女性は、此処に電話したら、相談にのってくれるか、、、、
    >
    > と、電話番号を書いた、紙を渡したそうなのだ。
    >
    > その電話番号は、わたしがシャモニに住んでいた頃、つまり、6月15日に他界されたJさんもいらっしゃった頃、15-20年くらい前、わたしが日本食を作ると、近くの日本人を呼んで招待していた一人Sさんの家の住所だった。S氏も、日本に帰国してから、15年くらい、音信不通状態だったから、結婚されてお子さんがいらっしゃることも、智ちゃんに聞いて分かった。
    > 智ちゃんは、渡された電話番号に電話し、「事務所に会いにいらっしゃいとS氏に言われ、行ったのは、渋谷の青山一丁目なのだ。
    >
    > 何故なら、S氏は、フランス4,5年の留学終え、帰国し、結婚し奥さんとビューティサロンを渋谷の青山で開いたのだと言う。
    >
    > そこで、わたしの旧友であるS氏に逢い、わたしの連絡先をもらったという。同時にひさし振りにS氏からフランスに電話がうちにかかってきて、実は驚いた。
    >  
    > 考えたら、S君のご両親にもわたしは逢っている。
    > しかもこの年に、わたしは子供達と、たまたまARC河沿いのバカンス村にバカンスをしていた時だった。
    > S君が、今両親が、フランスに来てらっした。、イタリアに案内したいので、ちょっと、挨拶したいので、両親とこれから伺っていいですか?、、と言われて、慌てたのだ。
    >
    > わたしは、学生や若い人の世話をしたという意識は全くないので、この、「両親がご挨拶したい、と言ってる」と言われるのが、一番困るので、「勘弁して欲しい」、、といつも断る。
    >
    > 両親というのが実に苦手なのだ。あのかしこまってお辞儀をするというのが、実に困る。
    > そのようなかしこまって、お辞儀をしている時に限って、レモンさんのような、ご老人がワハハと笑いながら「、来客かねえぇ」と言いながらわたしを抱きしめ頬にキスして、BONJOUR! と言いながら、礼儀正しい緊張感が漲る雰囲気ををいきなり壊す。
    >
    > そのような場面を何回も経験する。
    >
    > 世話などしてないから、気になさらないで欲しいと伝えて欲しい、、と言ったのに、何故か?
    > この時、S氏は強弁だった。しかも、わたしはシャモニではなく、バカンス中で、300キロ離れたARC河の畔に滞在している時
    > だった。
    >
    > 智ちゃんは、世田谷区に住む小学生だったころだと思う。
    >
    >
    > この時に、わたしはS氏のご両親にお逢いしている。
    > 若い学生達と色々楽しい時を過ごしたけど、ご両親と会った経験があるのは、
    > S君と智ちゃんだけなのだ。
    >
    > S氏は、15年振りに電話をかけてきて、「知ってる真面目な日本女性がいるんです。OOOさん?受け入れられますか?」
    >
    > 聞いてきたのだった。
    >
    > 「2004年4月に渋谷の青山のS氏の事務所に会いに行き、
    > アレヨアレヨ、保険の事も、滞在許可証の事もスムースにすすんで、5月には、OOOさんをリヨンのサンテクジュペリの飛行場に迎えにくるの待ってました。」
    >
    > と智ちゃん
    >
    > 「そう、ご主人R君に会うきっかけをつくるのに、いろんな人が突然動いたのね?」わたし
    >
    >
    > 彼女は、そのフランス行く、きっかけをつくってくれた、
    > アルバイト先のレストランのマスターにR君と会いに行ったと話してくれた。
    >
    > ところで、毎回帰国すると、わたしは叔母を引っ張り出して、渋谷の金王神社に祖父母のお墓参りをする。
    >
    > 柏からでてくる叔母と、待ち合わせするのは、いつも渋谷のハチ公前。
    > 定番だけど、分かりやすい。
    >
    > 剥製になってまでハチ公のご主人への忠誠心を人ビトに訴えている、
    >
    > ハチ公が死んだのが見つかった場所は、渋谷川だという。
    >
    > 渋谷川は、文部省唱歌の
    >
    > 「春の小川は、♪サラサラ ♪いくよ」の歌になった、春の小川
    >
    > のは渋谷や代田橋付近に流れる、渋谷河と呼ばれる河の事を歌った歌らしい。
    >
    > わたしは、バイオリンを抱えて、東急東横線の渋谷駅ホームから見える、河の汚さに、あぁぁ、何故?あのようなどぶ川にしとくのかしら?
    > と、東京に綺麗な河の一つもない事を当時嘆いていたのだった。
    >
    > あれが、渋谷河と呼ばれ、春の小川の歌にまでまった河だったのかしら?と愕然とした。
    >
    > ハチ公が死んだ頃の渋谷河は綺麗でいて欲しい、、、
    >
    > そしてご主人に忠実だった忠犬ハチ公のお墓は、いまでも
    > 青山墓地にあるそうなのだ。
    >
    > 渋谷駅でご主人が亡くなった後も、帰ってくるのを、改札で待つ為に渋谷駅と家を往復する忠犬ハチ公の姿は、
    >
    > ミルキーの姿と重なった感じがした。
    >
     写真は、渋谷駅の待ち合わせ場所、忠犬ハチ公の前
    >
    >
    >
    >
    > 、
    >
    >  

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  • from: 沙羅さん

    2010年08月26日 05時49分15秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

     スフィンクスって、とっても奇麗な音素。

     一ヶ月、夏のバカンスに日本にご主人と帰ってらした、
     智ちゃんが、R君とうちにお土産話を聞かせてくれると言って
     会いにきてくれた。

     2005年だったか?
     智ちゃんがR君と知り合った頃、、まだ彼は20歳の学生だった。
     
     「 このさなぎ、蝶にかえるよ!」といって、
     小さな容器に、小枝が縦にかけてあって、さなぎがついている。
     それをもらった、、、と言って、うちに、まだ智ちゃんがいる時
     わたしに見せてきた。

     「いやぁぁ、、智ちゃん、

     わたしは、小学校の時に、毎月校庭に、学研、科学という、小学生向けの月刊誌を、売りに来るので、、科学を毎月買っていた。
    科学の付録には理科の実験に使える、色んな教材がついてくる。

    それには、「蝶の幼虫を捕まえて、さなぎにして、蝶にかえす、観察しましょう、」、、と言う研究のための教材付録がついていた。

    そして、はまったのだった。

    近所の垣根に一杯、モンシロチョウやアゲハの幼虫はついていた。
    なんだか、異様に
    可愛く、可愛く、思えて、100匹は蝶にかえしたのではないか?、、
    幼虫の頭は、新幹線、こだまや光りの頭にそっくりだった。
    幼虫の頭は、ほんとは、その新幹線の頭みたいな丸い部分なのに、
    幼虫の頭部に、その後、大きな目のような黒い円状のものが、左右対称にあって、眼に見間違える。それが又可愛い、、@@

    腕に、20匹くらい、黄あげはの幼虫を、這わせて、母に見せては、嫌な顔をする母であったが全然おかまいなし。
     
    ただ、セミだけは、決して取らなかった。昆虫辞典で、セミは数年幼虫の状態で土の中で成長するのに、ある年、土から出て、成虫になりぬけ殻を木の幹に残し、一週間しか太陽の光りをあびない生き物だった。、、というのが書かれてあった。たった一週間しか、鳴けないなら、思いっきり鳴けばいい。人生?謳歌しなさい!、、
    みたいな、セミに、セミ人生の悲哀を感じてしまっていた子供だった。
     小さい頃これくらい昆虫大好きな子供であっても、ちゃんと大きくなると、
     恋をして結婚して、サラダ菜についてる、青虫をみつけて、
     はギョっとする神経の持ち主になるのは不思議だわん?。

     あの恋をするという経験が、昆虫大好きの興味の眼を覆うのではないか?と思ったり自己分析をする。

     だから、R君は20歳になっても、昆虫への探求心は衰えていない。男と女と違うのね?

     という話を昔したのを思い出した。

     太宰府の観世音寺の小道というかあぜ道というか、、
     ぶらぶら歩くと、スフィンクスと呼ばれる、蛾の幼虫がいたという。
     ちなみに、フランス語には、蝶と蛾の区別がなく、パピヨンと呼ぶ。蛾もパピヨン<蝶>なのです。
    何故?
    分けて呼ばないとならないんでしょうね?
    蛾のイメージを悪くして、蝶の価値をあげようとするような、
    相対的に差別してはいけませんよね?

    しかも、何故 虫に我 と書いて 蛾なんでしょうか?

    だから、自我というと、一般の人は、すぐ我ままの我を想像するのでいつまでたっても、哲学の 自我はSUR MOIは
    自己中心と訳してしまう人が、ほとんどなのでしょうね?、

    GA という音素は、何故か、悪のイメージが「ばぁー」と心に拡がるのが、抑えられないのでしょうね?

     蛾が、羽を広げて、留まるのは、羽をたたむ筋肉が弱いんでしょうかね?

     蛾だって、いい迷惑ですよね?

    そんな風に人間から好き勝手に判断されて、、、@@

     フランス語のスフィンクスという単語の意味には、ある種の蛾の幼虫を
     スフインクスと呼ぶのだそうです。

     それを見つけて、喜んでいたら、 目の前に

     玄〓のお墓があったそうです。

     前回書きましたけど、大変な高僧なのに、お墓は、畑の中にポツンとひとつある、、という感じなんです。

     スフィンクスは、日本語音素で、フランス語音素は
    スファンクス 

     智ちゃんの、昨日来たメイルを張ってみます

    ++++++++++++++++++++++++++++

    玄〓さんの無視出来ない功績を考えると、彼のお墓は本当に簡素なものでした。

    Rがスファンクスが好きなのは、理由があるんです。
    エジプトの神殿、王のお墓の守り神スファンクス。頭はファラオン、体はライオンと不思議な
    石像はエジプトのシンボルですよね。
    スファンクス蝶の名の由来は、さなぎの時に的に対して威嚇する姿がこのエジプトの守り神に
    似ているからだそうです。
     
    王族のお墓の守り神スファンクスとは比べ物にならないほど小さいけれど、私たちが出会った
    蝶のさなぎ、スファンクスは僧玄〓のお墓の守り神なのかもしれませんね。

    ちなみに私たちがOOOOで待ちわびていたCHRYSALIDE は残念ながら蝶になることは
    できませんでした。毎日水分を与えたり、この上なく気をつけて観察してたのですが・・・。

    メールありがとうございました。
    おやすみなさ〜い♪

    =====================
    CHRYSALIDEは、さなぎです。




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  • from: 沙羅さん

    2010年08月25日 20時44分54秒

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    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

    みこ さん

     こんにちは、はじめまして

     みこさん、素敵な音素のハンドルネームですね。

     

     松坂慶子さんみたいな方ですか?

      松坂慶子さんの守護霊は巫女さんらしいです。

     道頓堀の一箇所で、コミュニケートをとられていらっしゃる
     今はあまり見えなくても必ず、いつか実を結ぶ行為をしてらっしゃるように感じます。
     

     http://www.youtube.com/watch?v=5Zy4-ZBJ6xc&NR=1

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