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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月31日 22時33分22秒

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    「Re:Re:一人言コーナー」
    2009年もあと数時間で終わりですね。

    年の終わりの話題は何がいいかしら?

    世界で一番大きな釣鐘を鳴らす、パリのモンマルトル
    サクレ、クール にある18トン 以上重い、釣鐘です。

    この鐘の 名前は 、SAVOYARDEサヴォイヤーデゥ

      「 サヴォア 人」という名前なのですが、
      オート、サヴォア県に、昔から鐘を造る老舗があるのです。
     
     18トン、、、重い<思い>ですねぇ

     ヨーロッパアルプスの玄関口にある、フランスの
    オート、サヴォア県人達が平和を祈って止まない

     

     「SAVOIEの精霊達よ! 世界へ飛びたて!」
    http://www.youtube.com/watch?v=Ive2fb57u2o&feature=related

     

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月31日 07時33分47秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    ダヴィンチの
    岩窟の聖母は、フランスのルーブル美術館と
    ロンドンのロワイヤル美術館に、二枚あると言われているのですが、
    製作年数は確か20年くらい違うので、大方の予想は、オリジナルダヴィンチのクロッキーを使った岩窟の聖母が、ロンドンにあると言われています
    ロンドンにある
    岩窟の聖母は、聖母マリアの頭上には光臨もありますし天使も羽が描かれていますし、キリストや洗礼者ヨハネの赤ちゃんも、すぐ分かるように描かれているので、
    ダヴィンチのミステリアスな暗示が隠されているといった感じは受けない、正統派岩窟の母という感じがロンドンの岩窟の母には感じます。

    ところで、、このロンドンにある岩窟の聖母の、
    両側に、楽器をひく天使
    が、描かれているのですね。

    左は、ヴァイオリンと、右はリュートを奏でる天使です。

    デ、プレディス兄弟の作品と言われているそうです。





    ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (1452-1519) が描く天使に似た、この『ヴィエール(フィドル)を弾く緑の天使』は、『リュートを弾く赤の天使』とともに、ダ・ヴィンチが描いたとされる2枚目の『岩窟の聖母』と同じ頃に描かれ、教会の祭壇背後の壁飾りとされていたものです。

    レオナルドの『岩窟の聖母』は、同じ構図で2度描かれました。どちらもミラノの平修士会『無原罪懐胎教団』から祭壇画として委嘱されたものですが、最初の1483年の委嘱で描いた方(1485完成)は採用されず、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されています。

    その後、およそ10年後に委嘱された『岩窟の聖母』(1495-1508)は教会に採用され、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ただし、この後年に描かれた方の『岩窟の聖母』は、レオナルドの弟子のデ・プレディス兄弟の作であるという説も有力なようです。

    もし、ナショナル・ギャラリーの『岩窟の聖母』が、レオナルドのエスキース(スケッチやクロッキーなどをもとに、全体の構図、配列、配色などの研究を目的とした試し描き)を参考にしてデ・プレディス兄弟が描いたとすれば、同じ時期に描かれた楽器を奏する2枚の天使の絵も、彼らの作品だと考えて良いのかも知れません。

    いずれにしても、作者不詳のこの天使の絵は、レオナルドが何らかの役割を演じた可能性はあるものの、実際に描いたのは弟子、またはレオナルドの協力者だと考えられています。それでも、静けさを漂わせるこの天使の表情やたたずまいには、どことなく惹かれるものがあります。

    (2003/04/19)

    --------------------------------------------------------------------------------
    [Back] [Violin Index] [Home] [Gallery

    http://gallerymisa.hp.infoseek.co.jp/violin/violin_05.html

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月31日 05時36分57秒

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    「Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > 私は手に触れるものも、目に見えるものも信じません。 私は目に見えないもの、ただ感じるものだけを信じるのです。
    > ―ギュスターヴ・モロー
    >
    > モローのDAVID ダヴィッドです。
    >
    > ミケランジェロのダヴィデ像は、この世のものとは思われない、
    > DAVIDですが、
    >
    > そういえば、旧約聖書にでてくるDAVIDは、竪琴をいつも持っていた。そうだった、、
    > イスラエルにとっては、ダヴィデは重要な人物だったはず。
    > たしか、琴を弾いて精神治療をする音楽治療するはずだと思い出した。
    >
    > WIKIから
    >
    >  ミケランジェロによるダビデ像ダビデ(ヘブライ語: דוד;‎ Dāwīḏ (ダーウィーズ), ギリシア語: Δαβίδ, ラテン語: David, アラビア語: داود‎ Dāʾūd, )は古代イスラエルの第2代の王(在位:前1000年 - 前961年頃)とされる。ダヴィドとも。旧約聖書の『サムエル記』『列王記』に登場し、『詩篇』の作者とされている。イスラム教においても預言者の1人に位置づけられている。英語圏の男性名デイヴィッド(David)などは彼の名に由来する。
    >
    > 生涯 [編集]
    > ベツレヘムにすむエッサイの8番目の息子かつ末っ子として生まれ、羊飼いをしていたが、サムエルに見出されて油を注がれる。彼は竪琴の名手であったため、精神を病み始めたサウルに仕えるようになる。サウル王の家来たちは悪い霊におびえるサウルに、立琴を弾く者をさがすように進言した。サウルの命により呼ばれたダビデの立琴によって、サウルから悪霊が出て行った、第一サムエル16章の聖書記事は初期の音楽療法とみなされている。ペリシテ人の戦士ゴリアテを倒したことで有名になり、その後も戦功をあげていくがその人気をサウルにねたまれ、命を狙われる。サウルはダビデ殺害の命令を出すが、ダビデの親友であったサウルの息子ヨナタンの手助けで逃亡する。
    >
    >
    >  ダヴィッドが、毎日うちで弾いてた、フレーズだけが何故か
    > 共鳴した。
    > 彼はイゼール川の麓に今いる。ダヴッィドが来たのは、去年の10月フラッと、風来坊のように現れた。 
    >
    > 2週間もしない頃、様態が突然悪くなって、明け方4時頃起こされた。
    > ベッドの上で、真っ青な顔をしてブルブル震えてた。激痛がはしると言う急患で病院に連れて行った。
    >
    > その時に、生年月日を彼が言うのが聴こえた。
    > 9月5日だった。
    > 智ちゃんとFRANCESと1日違いで、こんな事は言えないが、
    > ミルキーと同じ誕生日だった。
    > ミルキーは結局、ダヴィッドが家にいる時、あの世に行ってしまった。

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月30日 00時57分17秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    智ちゃんから、クリスマスカードが届いた。

    サンテクジュペリの小さな星の王子様のカードだった。

    しかしぃ、、

    画面では字はぼけて読みにくいかもしれませんね?

    前に、わたしは星の王子様の話の中で、好きなテキストを抜粋した事がありましたけど、
    あれは、本からの抜粋だった。
    何故か?
    智ちゃんは、
    クリスマスカードにその文が載っているカードをこうしてよこしている。
    狐と、王子様の会話。

    カードには、亡くなられたお母様6月23日から半年後の
    12月23日このカードを書いている、、、と書いてきた。


    星の王子様が言った、「かけがえのない存在、唯一の存在、、を見つける」

    という、サンテクジュペリのこのフレーズが大好きだと、書いてきた。



    智ちゃんと、わたしが、初めて会ったのは、2004年5月下旬の、リヨンのサンテクジュペリ空港の、到着ゲートだった。

    今まで、何人かの年下の日本人女性を見てきたけど、
    智ちゃんは、何故か?

    「わたしの、若い時に似ている!」、、、

    という雰囲気を持つ、、という感じが頻繁にあった。


    何と言うのだろうか、、、

    フランス語のフの字も知らなくても、そのような認識事は、人生を切り開くのに、全く役にたたない、というような、人生の流れ
    を察知する勘の強い女性という感じを、前面に押し出してくるような女性だった。
    実際、仏文卒ではなかったので、フランス語を教えてくれる学校に入り、一から仏語を勉強するのですが、
    勉強もそれほどしなかった。

    実に、彼女の興味は、そういう事ではなく、人と人、知らない人とのやり取りの中に、何かを感じる事だった。

    わたしと話す機会が持てると、
    あらゆる感じた事を話してきた。

    わたしは、ほとんど聞き役だったのですが、
    時々
    何故?
    フランス人がそのように反応したり、応えるのか?
    というフランス人の思考の方向を、
    説明して、
    「そういう理由で、仏人はそういう反応をすのよ」、、、
    という原因を教えてあげる程度であった。

    明らかに、その地点で、智ちゃんの懐疑視点は、昔の私が抱いた懐疑視点と同じ地点であった事も気つかされた。

    彼女は、彼女が「クラス別けされるクラスには、日本人は一人も他にいなかった。」と話すと

    「あぁぁ、、その方がいいんじゃない?」と、私が応えると

    「そうなんですよねぇ」と、、智ちゃんは同意してくる人だった。

    わたしという存在が居たからだろうか?

    自分と全く違う他者の中
    日本人は、わたし一人だけ、、フランス語も全くわからない
    という世界にポツっと
    ひとり存在する方が、返って気が楽という風にわたしは、昔から感じる方なので、彼女も、似たような性格だった。

    日本人同士の世間ていというか、日本人同士特有の繋がりというか、外人と共同に何かしようとする場合とで、
    確かに人と人の繋がり方に違いがあるのだ。

    これは、10年前にフランスで、日本年という行事で、日本文化を紹介する文化行事として、大使館から補助金が各地域のアソシエーションに出された時でも、
    「何故?日本人同士の集まりというのは、何か?しようとすると、こんなに、日本人同士で揉めるのかな?」
    という問題で、わたしは、辟易した事があったのだ。

    日本人だけのアソシエーションで、フランス人に日本文化を紹介するという行事が目的なのに、会長と、副会長の折り合いがつかず、
    毎日、わたしに、二人は電話をかけてくるのだった。

    挙句の果てに、全ての会計を私にやって欲しい、、と言われた。
    理由が、会長に任すと、お金の使い道が不明瞭になる恐れがある、、という理由だった。

    最初から、この雰囲気だったのですね。

    日本に居ても、同じような状況を目にする事があるけど、別に関係しなくても生きていけるので、いいのですが、
    フランスとなると違う。
    選択の余地がないのだ。
    たった3,4人の日本人が集まっても、なんだか疲れさせられる世界をつくるのだ。

    会計でもなんでも不明瞭でも明瞭でもなんでも良いけど、どうにかその雰囲気をかもし出す心模様はどうにかならないかしらん????、、

    と、しぶしぶ、他に誰もいないので、受諾しながらフランス全国で行われた日本年という行事だった。

    この年に、法隆寺から百済観音は、ルーブルに来ていたのだろうと推測するのですが、私は、日本人グループの年上の人達との、間に挟まって、パリで行われている行事に意識はいかなかった。

    会長さんも副会長さんも
    大変真面目な人で、<そこがいけないのですねぇ!>
    頑張り屋で<そこも、いけないのですねぇ!>
    家族との時間を犠牲にして<そこも、いけませんね>

    日本大使館から発信された文化交流行事に
    一生懸命<ここも、いけませんね!>であった。

    つまり、真面目な上に我執し、相手の心を読み取ろうという能力が欠如するんですね。

    ちなみに、普通の会話は日本語なのに、二人が口論すると、日本語ではなく、フランス語で口論するんですね。
    何故なら、フランス語の方が、通時態表現会話重視ですので、空層に響きやすく、聞いてる他者にも意味が通じやすいんですね。

    述べたい意味はお分かりでしょうか?

    フランス語だけでなくm外国語を理解したり、話す能力があるのと、人の心を感じる、人の感じている位置に立つ事の出来る
    能力は、同じコミュニケーションでも違うのですね。

    記号だけを表象だけ理解するのと、他者を介して自分の姿が観得る時のコミュニケートは違うんですね。

    ですから、認識、知識というのは、ある一部分だけであって、人との交流、感情交流は、プラスアルファーという心的作用、心的能力が必要だと思うのです。

    智ちゃんは、この心的能力が優れた人だった。

    もひとつ、話は違うのですが
    最近思った事がある、
    わたしの母方の祖母は、渋谷にある金王神社に永眠しているのですが、祖父は、私が生まれる前に他界しているので、あまり身近に感じない。

    智ちゃんは、渋谷、宮益坂、道玄坂、青山、、と言ったら分かる人にはわかる、大学の哲学科卒業生だった。

    そして、その智ちゃんがアルバイトしていたレストランで、突然、腕を掴んで、「貴女、将来何したいの?」と聞いてきた、お客さんが、紹介した人は、
    わたしが、フランスに住み始めた頃モンブランの麓シャモニに住んでいる時に、家の周りの雪かきをしに来てくれた、若い日本人青年だった。その人とは、彼が日本に帰国してからは、一度も便りを交換した事はないし、わたしも日本の何処に住んでいたかも定かでない記憶で、もちろん連絡先ももっていなかった。
    十何年、いや20年近く音沙汰ないのに、突然智ちゃんを引き合わす張本人なのですね。その彼は、埼玉に住んでいるのに、仕事場は、奥さんと共同事業の、エステサロンらしく、青山一丁目にある。青学の直ぐ近くだった。
    不思議な縁だわ。

    当時
    雪かきが大変で
    「カレーライスを作るから、食べにおいでぇ」、、
    と、シャモニに住んでいらした、若い数人の日本人の腕力、、笑
    との交換条件が、
    何故か、
    智ちゃんと、私とを引き合わせた。
    当時、智ちゃんは、いくつくらいなのかしら?

    智ちゃんは、2004年、このわたしの家に数度、ご飯を食べに来てくれた、S氏の青山のサロンに会いに行っているという。
    会ったのはその一回切りなのだが、、

    もっと不思議なのは、当時何故か?
    S氏のご両親が、日本からおいでになった時、
    S氏は、沙羅さんにお世話になったので、両親が会いたい、、と言うので、会いに行きますと言う。

    正直、わたしは、両親、、というのが苦手だ!

    そういうのは、勘弁して欲しいと言ったのに、

    是非とも、私に会いたいという。

    しかもわたしは、バカンス中だ。
    当分家には帰らない、、

    と言ったのに、バカンス先まで、ご両親と逢いに来る、、と言って来られた。

    ARC川の近くのバカンス村だった。

    コンドミニアムからはARC川がすぐ見得る。

    S氏とご両親がわざわざ、わたしに会いにいらしてくれたのは、
    ARC川付近に私が滞在している時だった。

    今年の6月3日、
    わたしは、智ちゃんのウエディングドレスw抱えて、リヨンの飛行場を発って、成田に向った。
    機内持ち込み荷物として、ウエディングドレスを抱え、
    搭乗時間まで、一時間あった。

    飛行場の中をうろうろしながら、コーヒーでも飲もうと、
    バーのカウンターにしようか?椅子にしようか、迷って
    ある椅子を引いて座った。ボーイさんが来て、カフェオレを注文した。フト目の前を見たら、
    まん前に大きな、サンテクジュペリが、飛行機に乗る姿で立っている大きな、パネルのまん前にわたしは、無意識に座ったのだ。
    ほんとうに、まん前に座って、対面した感じになった。

    サンテクジュペリのパネルの上に

    POINT 地点ポワン、RENCONTREランコントレ出会い

    ポワン、ランコントレ めぐり会い<場所>

    と書かれてあった。

    わたしは、2004年の5月、
    5年前、脇に抱えてるウエディングドレスの持ち主に
    初めて、リヨンのサンテクジュペリ飛行場で会った頃に思いをはせた。










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  • from: 沙羅さん

    2009年12月29日 18時48分06秒

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    「Re:一人言コーナー」

     年末になると、色々友人達から、クリスマスや年末年始の挨拶代りに、近況を報告してくるのです。

    自分の両親、又は配偶者の両親の健康の心配や、
    配偶者と別れた後一人暮らしの状況、
    子供のお弁当つくりに奮闘している友人<子供は社会人の息子?)
    子供の学校の試験合否の不安、
    仕事の先行きの心配
    自営業の収入源の心配
    離婚した子供が帰ってきてからの共同生活
    ETC ETC,,,

    色々あるのですよねぇぇ、、

    いつも思うのですが、人々は自分とは無関係な事、
    つまり宗教にしても信仰にしても、
    神がかったというか、
    実体生活
    日常の生活に関わる不安に紛れも無く、心を奪われているのであって、本や雑誌やネットに書かれているような現象には、元々それほど自分との関連性を感じていないのではないか?
    と思うのですね。

    一般性
    普遍性というのは、この大衆や一般の人達の心とのコミュニケートが可能でなければ、いつまでも架空の孤立した世界の人達だけ、一部分の人達にしか、解釈されない存在でしかないと思うのですね。

    どれほどの人達が、普遍性、、、という事の重大性を観じ、見る事が出来るのでしょうか?
    大衆、一般人の心の目線に立つ、
    何を、彼らが言いたいのか?
    何が、彼らにそれを言わせているのか?
    何に、彼らは、それを伝えたいのか?

    目で読める記号が同じ言葉でも、
    発信する、元の心の意図は、一人、一人、皆違う。

     通りいっぺん、通常の世間に通じる、道徳感や倫理感や
    幸福と思われる価値観、などは、普通の人達、大衆の人達はもう
    分かりきっているのだと思うのですね。

     そのような人達が求めているのは、生かされてる、、という事を説く事ではなく、生きたいと思わされる、存在したい、存在させようとする、魂の希求運動、、、に他ならないと思うのです。

    能動的な魂の運動が無ければ、決して時間と空間の世界からは、
    一時も抜けきれない。
    いつも、いつも、時間を後ろから追う事でしか出来ない。
    いつも、いつも、自分が受動態で感じる事を、ボーっと待っているという感じだと思うのですね。

    それでは、世間と全く手を切ってしまうのか?
    そのような人達との揉め事と自分を、離して遠くから観る事の出来る位置に立って観る事も一つの生き方なのでしょう。

    しかし、他者達の中で、存在し続ける、、という形ではなく、

    自己中心的に、世間と手を切ってしまう、コミュニケートも出来なくて構わない、、一般他者の心はわからなくても構わない、、状態で、何か自分の信じる事に一人で求心的求めていけば、結局複数他者の目から、執着とか固執している、、という風に観えて遠ざかっていくと思うのです。

    他者は何の為に存在しているのでしょうか?
    自分と全く違う異なる他者達、話す言葉も、考え方も生活様式も、食べる物も、信仰も哲学も違う他者達、、、、

    彼らは、何故?私達の回りに存在しているのでしょうか?

    それは自分自身の、真の姿が観得るのは、他者達の心に写さないと決して自分の姿が観えないからではないでしょうか?

    自分一人が何かを信じ、自分一人で何かを修行し、自分一人で、何がしかに達したと思っても、
    結局、自分自身が生きれるのは、

    他者の心に、自分の姿<心>が観えて映った時でしかないと思うのですね。

    他者の存在は、結局自分の存在に繋がると思うのですね。



     


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  • from: 沙羅さん

    2009年12月28日 02時42分31秒

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    「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」

     フランスで生活し、フランス人と生活すると、
    1日に何回も、プルクワ {何故?}という言葉を放つ事になるのです。
    私が、特別ということではなく、
    言語の仕組みや、他者と会話を繋げていくのに、
    この<何故?>、プルクワ?という音素は、人間の思考の仕組みを理解するのに、必要な音素であるような気がするのです。

    Pourquoi 何故? プルクワ

     は、pour プール、為 + quoiクワ 何
     
     何の為に?

     と言う意味なのですね。

     つまり、原因<因果>を頻繁に聞くという会話となっているのでしょう。

      高峰秀子さんが50年前に出版された「巴里ひとりある記」
      本の目次

      パリ祭と、
      セーヌ河のシャンソンという目次の間に
     、シャモニ、モンブランに滞在した時に訪問した
      アッシィの教会の題目をあげている。

      不思議な順番なのです。
                   POURQUOI?

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月27日 22時12分13秒

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    「Re:Re:一人言コーナー」
    >
    >  昨日、ダヴィッド君から久振りに電話があった。
    >
    >  9月に、家に届いた彼宛の郵便物を取りに来て、最後の別れをしてから、連絡はしていなかった。
    >
    >  その時の話では、夏は何処かのバカンス村の料理人として働いていたので、実家に帰り休むつもりだという話だった。
    >
    >  ダヴィッドに、年末の挨拶代わりと近況でも聞こうと思い、2,3回かけたが、いつも留守電に繋がった。
    > 留守電には伝言をのこしといたが、4,5日経った。
    > <フランス人の名前を書く時は、なるたけ、人間関係の自然な表れの雰囲気を伝えたいので、人称を外しますね。年令の差があっても、魂は平等である世界に存在しているはずだという事ですね。>
    >
    > 昨日の夜、9時半頃かけてきた。
    >
    > 「あぁぁ〜、、生きてた?心配したわ〜」わたし
    >
    > 去年、うちに来てすぐ、夜中や休日に病院の救急にダヴィッドを運んだ経験があるので、どうしてもその時の体験が後を引いているのだ。
    >
    > 理由は、夏働いていたバカンス村で、仕事が終わると、その場にいるお客さんや従業員とで、かなりのアルコールを飲んで時間をつぶしていたのではないか?
    > という結果が、肝臓の病理結果にでた。
    >
    > 下手すると、死に至ルくらい悪い結果だった。
    >
    > 彼は、27歳だったが、料理人季節労働者として、生活を繋いでいたのですね。 
    >
    > 「、、クリスマスバカンスで、なかなか一人でゆっくり思う時間がとれないから、、、遅くなった」ダヴィッド
    >
    >
    > 「 クリスマスはどうだった?」わたし
    >
    >  「あぁぁ〜、静かだった、、去年よりはね!」ダヴィッド
    >
    > 「 ところで、今何処に居るの?」私
    >
    > 「 ヴァル、ディゼールのバカンス村で、料理人している。」ダヴッド
    >
    >
    >  Val d'isere
    > ヴァルVALは、渓谷とか谷の意味
    > で、イゼール 川の麓<谷>
    > という意味をもつ
    >
    > 町 ヴァル、ディゼールに彼は今住んでいる。
    >
    > ARC川と平行に流れる、隣の渓谷
    > タランテーズ渓谷を成す、川
    >
    > イゼール川なのです。
    >
    > サヴォア県は、この二つの川有し両川とも150キロくらいの長さが渓谷とともにあり、川沿いに村が存在し、道路ができ、今は高速道路もあり、イタリア,トリノ、ミラノへと続く。
    > 川や渓谷がある事でヨーロッパアルプスの稜線を象っている。
    >
    >
    >  「 絶対、日本に行くと言っただろう!、、君の国さ」ダヴィッド
    >
    >  彼は、TON<君、お前、アンタ> PAYS<国>
    >
    >  と、日本にTON という所有格をつけて表現してきた。
    >
    >  主体と主体の関係として会話が存在しようと 、
    >  能動的に存在させようと、空層で波動をあわせてくる。
    >
    >  「 あぁ、忘れてないわ、、知り合いの日本人がいたら、
    >    聞いてみてるのよ」私
    >
    >  いったい、ダヴィデの星、イスラエルの国旗の星の名前を持つ、ダヴィッドは、彼を日本に行かせる為に、わたしの処に、フイと現れた形に本とになっているのだろうか?
    >
    >
    >  「友だちは一人も居ない、、」と、
    >   わたしに、言葉を残し、
    >   わたしに、日本に必ず行く、、、という言葉を残し
    >
    >  彼女や心を支えてくれる同世代の友人がいなくても、なんとか、将来へ向けて、生きたいと思う欲望や生へ希求運動を消す事なく、
    >
    > なにかしらの希望や願いや目的をもって欲しいと願わずにはいられない。
    >
    >  彼とは、20分くらい話した。
    >  
    >  彼が思う、TON<君の> PAYS国,,,
    >
    >  わたしのおもう  MONモン私の  PAYS国
    >
    >  
    >  やはり、主体、客体の使い道、表現の仕方をうまくこなすという事は、コミュニケートに必要なんでしょう。
    >
    >  フランス語で、一番使い道が難しいのは、
    >  対話者との心の距離の持ち方なんですね。
    >
    >  親しい仲というのは、我侭が通じるとか、なんでも欲望を通せる
    >  何でも言える、、、
    >
    >  という事とは違いますから、
    >
    >  人間関係を築くというのは、
    >  どの地点に立って、その人と接するか、、、、
    >  という個と個の関係を存在させようとする時に、
    >
    >  当然他者の人間性や人格というものも考えると思うのですね。
    >
    >  中にいつまでも人間関係を、他者を支配したい、組み入れたい、
    >  自分のものにしたい、等々、、
    >  又親しくなって
    >  我侭を聞いてもらいたい
    >  なぐさめてもらいたい
    >  欲望を聞いてもらいたい、、、、、等々
    >
    >  というような一時の自己の抱えている不満解消の手段として、何かに夢中になる事で、一生懸命になりながら生きる方もいらっしゃりますが、、、
    >  それはそれで、、、その人の生き方なんでしょうが、、
    >
    >  結局、全体が観得ないというのは、
    >
    >  先が観得ないということなので、
    >  その逆はないと思うのですね。
    >
    >  個と個の関係は、確かに一部分なのですが、、、
    >
    >  関係を存在させようとする、、
    >  BE動詞が、動的に前に進もうと、稼動するのは、
    >
    >  思惟の何がしかであって、
    >  
    >  関係を持った
    >  とか
    >  知り合った
    >  とか
    >  振られた
    >  とか
    >  いつも失恋の繰り返し
    >  だとか、、
    >
    >  その地点で表現して世間の同感をえる体験に留まっている
    >  という事ではないと思うのですね。
    >
    >  100年後から追いかけて表現しているように感じるのです。
    >  何故?
    >  二人の心の
    >  距離を縮めるのか?
    >
    >  であって、
    >  例えば、
    >  ダヴィッドと、わたしの個と個の関係を例えれば、
    >  つまらないゴシップ雑誌の感覚
    >  年令差を越えた、男女が接近した、、、
    >
    >  という時間を後から追って、結果だけを、大衆ミーハー視線で図る事しか出来ない、共時態に落ちているという事だと思うのです。
    >
    >  マ!それも仕方ないのかもしれない状況でして、、、そのような事に一喜一憂し、情動バタバタさせてしまい、自分の事はいつもおろそかになっているようなんですね。
    > それで確かに、、
    >  そのような他者達と、関係をもたされる人達も、お気の毒なのですが、、、
    >
    > それでもって、誰も自分の事を思ってくれない、愛してくれない
    > 状態に至っているらしい人達となんとなく関係を絶つ事が出来ない人達も沢山いらっしゃるみたいですが、、
    >
    > まあ、年末ですからエールを送りたい気分になりますね、、、笑
    >
    >
    >
    >  一面しか見られない、
    >  体験がない、、、
    >  という人達というのは、どうしても世間の常識であるとか
    >  世間に通じる倫理感というものがまず、支配する絶対的な力を持つとして信頼をおいているんですね。
    >  
    >  信じないと何も語れませんし、何も表現できませんし、何も書けないのだと思うのです。
    >
    >  他者を含む、どれほど、自分と違う他者の心とコミュニケートが出来るか、?
    > そしてどの位置に立って、他者と個と個の関係を独立させ、存在させようと、努力させられるか?
    > という全ての人間関係も観なくてはならなくなってくると思うのですね。
    >

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  • from: 沙羅さん

    2009年12月27日 05時34分46秒

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    「Re:たまには、哲学でも・・・・@@」
    しかし、ヨーロッパで、科学の価値の問題が哲学の世界で盛んに議論されたのと、現象学が注目されはじめた時期はほとんど同じなんでしょうね。?、、と思うのです。
    EPISTEMOLOGIEエピステモロジー
    科学認識論という言葉もその頃盛んに使われた言葉ではないでしょうか?

    フランスの、哲学用語辞典に
    「諸科学の論理的<心理的ではなく、、>起源、価値および客観的効力を確定するための、その原理、仮説、および帰結に関する批判的研究」とでているそうです。

    物理学においては、決定論と、統計法則から区別された因果法則の存在とについての議論も盛んに行われました。
    数学の基礎についての議論も、直観主義者と、公理論者との間での議論もそうですね。
    そのような色々な時間を費やした歴史がありますよね。

    出来上がった科学について、哲学は、私達を動物的な自動作用の水準から人間的な知性の水準に引き上げる、、そういった途上に哲学をする、哲学を身につける、、というたった一度の人生において学ぶに価する、、そのような存在の仕方として存在しているのだと思うのです。


    高校で習うフランスの哲学教科書に、
    人間の知について、、と題し、
    自分の知について熟考<REFLECHIR,レフレシールすることは、すでにある程度まで、自己自身について熟考することであるが、
    学校で習った知<学問>は主として書物の上の知であって、実在からかけ離れてあり、教育上の図式を実在の厳密な分析と取り違えさせる、おそれがあると書かれています。

    「知」 についての捉え方を、特に気をつけないといけないそうなんですね。

    現実世界への準備としては他の事が必要であると記されています。
    それは、人間を認識する、、という事だそうです。

    そして、自己の観察が不変で排他的なものであれば、有害で欺瞞的になるであろうし、自己の観察は、他人の観察や、周囲の人々との結びつきのなかで行う経験への反省<熟考>によって補われるべきであるとされています。
    この反省<熟考>によって、私達はよりよく人間を認識するようになり、よりよく人間を理解するようになり、その理解を通じて人間に対して、共感を抱き、それが人々を助け、護るようになるとされています。

    したがって、
    さまざまな種類の熟考から、実践的な教えと行為の規則を引き出す為には、どうしてもあらかじめ人生についての疑問を解決しておかなければならないでしょう。
    現地点での個人的な人間関係との問題や、自分の人生への不満解消や、ある苦から逃れるための手段として、何かに帰属して一時でも忘れる事で精神の平衡を保つというのは、結局、見たくないものを自己内に抱えながら、他に一時の快楽を求めてしまうという逃げの意識の姿勢は依然とそのままなのだと思うのです。
    そのような大人になってある程度、人生を振り返る時間がもてると、
    私達はどこから来て、何処にいくのか?どうしてこの地上にあるのか?
    と言う考えが自然とわくと思うのです。

    これらの問いは、個人の次元でだされ、これに答えるのでないと、
    生きる上で首尾一貫性を持ちえないと思うのですね。

    また個人だけでなく、こういった問題は人類全体に対しても差し向けられているはずですから、私達はその地点で歴史の意味について、人間社会の変遷と運命について問いかけを絶えず行う,、という事なのだと思うのです。

    又、
    およそ、明白な事だが、自分に問いかけを行わずにただ生きる者、
    無分別に口を利いたり、行動したりする者は、個人的な熟考の特殊能力として定義づけた知恵を欠いている。
    、、、と書かれています。
    自分に問いかけル、、という事は、

    自己を語る、、という行為は必要なんですね。

    他者の判断ばかりではなく、自分自身の経験や体験や、自分はどのように思い、どのように感じるか、という自己を語るという事はやはり重要に思えるのです。

    「述べても仕方ない」、、という述べた経験はないのに、そのような尻込み状態を伝える為に、なんとなく言い訳みたいな言葉に置き換えるのではなく、
    「個人的な事を語る意志はありません」、と最初から述べてくれる方が誠実ですから、それはそれでいいんですね。

    どの辺に、自分と他者の境界線を引くつもりなのか
    という事を複数他者が図るという事なんだと思うのですね。
    哲学するという事は、主体と主体の問答、一対一ももちろん
    必要だと思うのですね。
    他者と自分の交わる部分を探しながら共感できる事でコミュニケートするんですね。

    魂<心>の接し方という事はこのような事だと思うのです。


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  • from: 沙羅さん

    2009年12月26日 23時45分08秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    今年もなんだか色々あったわぁ〜、、、
    と思いながら、年の終わりが近づきつつあります。

    2週間前に、アメリカに住むフランセスのメイルなのです。

    前にも書きましたが、人と人は結局見えない何かで繋がれているのではないか?
    といつも思うのです。
    フランセスにとって、智ちゃんは全くの他人であるので、もちろん話しはしてませんが、
    フランセスは、メイルの内容からすると、すっかり自分の誕生日を何故?
    わたしが覚えているのか、不思議らしいんですね。
    メイル読んで可笑しかったです。

    パリにマリア出現した1830年11月27日
    から、
    11月27日は聖セブラン ST SEVERIN セント、セヴラン

    なので、なんかオカシイね?
    という事をメイルに書いた返事を彼女は書いてきた。
    わたしの誕生日を、メダイュ教会のHPで見つけたのでしょう。

    それはそうと

    2年前の出来事、彼女の放った声が、わたしの記憶にある事など、予想もつかずむしろ、パリの地下鉄の駅の名前が 3 SEPTEMBER という名前があった事もこのメイルの内容から想像するに記憶にはないのでしょう。
    FRANCES自身が放った無意識の音<声>、、
    「WHAT HAPPEN ?|

    時間を越える、
    時間を越える
    時間を越える
     
    その時間軸上の通時態の音をなぜが人間は、潜在意識に記憶させているらしいのです。
    物ごとは、ありとあらゆる、多方面から眺めて観る。
    何故?
    その時放たれるか?
    何故?
    その時に生じるのか?
    何故?
    人々はそのような行動にでるのか?

    セント、ロザリーは、もちろんレモンさんの行方不明のおばさんの関係で私の直感が働いているので、もちろん
    フランセス自身は、何故?
    自分が探そうとしていた、パリのノートルダムの近くの教会の名前を
    同時期に、わたしが前もって書いてくるのか?
    彼女は彼女自身で、不思議に思っているらしいんですね。

    時間と空間の存在というのは、ある一面から観ると、本とに記号を落とす方にとっては、めんどくさいのですね。
    パリのセヴラン教会にあった、ルオーの絵は、自然と人の足を引き寄せると思うのです。
    ルオーの絵は、SACREMENT と書いてあった部屋なので、
    それだけの心の姿勢を問われる雰囲気がする、神聖な部屋なのです。

    その時も、一人だけ、中年の紳士が、足を組んで、一人で長い間考え事をしていた。2年前の事なのですが、
    何故か?
    鮮明に記憶に残っている。


    ところで
    フランセスが一年前に送ってきた、お母様の本、高峰秀子さんが書かれた50年前のパリの7ヶ月滞在記録を書いた、「パリひとりある記」
    という本に、書かれている滞在内容が、パリとシャモニの、話だった、、
    という事は書きましたが、
    本には、このシャモニ滞在中、ある教会を訪ねているんです。
    シャモニからは、多分40キロくらい離れていると思うのです。

    この教会がある村の名前は、ほとんど誰も知らない。
    家人に聞いても、
    「何故?シャモニに滞在してて、その村を尋ねるの?」
    という疑問しか返って来ない。

    わたしも、知らなかった。
    その村の教会に、ルオーのステンドグラスがある事など、、、
    私も聞いた事もなかった。
    場所的には、
    ダヴィッド君の後に来た、シルヴィアさんの実家に大変近い、アッシーの教会の事が、
    この高峰秀子さんの本に載っていた。

    世界はそうやって、みんな繋がっていくのかもしれない。
    何処かで、誰かがこけたら、皆こけるみたいな感じなのかしらん?






    It is very strange that you sent me information on St. Severin church in your message. When I was writing my last email message to you, I tried to remember the name of the church we visited that night after going to Notre Dame cathedral. I remembered that you bought the St. Michael statue at a store near the old church, but I could not remember the actual name of the church. So I searched the Internet for "Gothic churches in Paris". I received a list of many Gothic churches in Paris, but did not know exactly which church we visited. I gave up my search. Then, very unexpectedly, you sent me detailed information on St. Severin church in your last message! What a coincidence!
    In your last message, you also mentioned that the French remember St. Rosalie on September 4th. Did you know that September 4th is my birthday? I wondered why you chose September 4th as your example to explain how the French Catholics remember different saints each day. It is very, very interesting that you share the same birthday as St. Catherine Labouer (May 2nd). My nephew, Nicholas, was born on May 2nd aussi. Nicholas is the son of my brother, This is all very funny, There are so many connections. This is very unusual, don't you think?


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  • from: 沙羅さん

    2009年12月26日 08時14分34秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:一人言コーナー」
    MSG737の続き

    近所に住むレモンさんのおばさん、行方不明になって、かれこれ
    80年近く経っている。

    彼女の20通くらいの手紙を突然思い出して、うちに持って来た。
    手紙のやりとりをしていた、お相手はレモンさんのお父様で、この方も他界してからかれこれ、40年以上経つのではないかしら。

    死者が浮かばれないのは、生き残った人達の心が弔いが出来ないでいるからなんでしょう。と思うのです

    問題は、死者の方ではなく、生者の方の心のあり方なんですね。

    他者と自分は一体であるという事はこのような事を言うのでだと思うのですね。

     今日は、クリスマスの日。クリスマスは、大事なイベントなんですね。信教徒でなくても、必ず誰かと一緒に、テーブルを囲む。
    近所に一人暮らしのご老人がいたら、皆で声をかけあって、なるたけクリスマスの日は、誰かと食卓を囲む、、
    こういう機会を設ける為らしい。
    ニュースを見たら
    刑務所にいる母親達も、クリスマスは子供達と一緒に時を過ごせるように法務省は特別認可をするらしいのです。
    ニュースキャスターは母親だけでなく、父親との接触も大事にしなくてはいけません。と、ナレーターはさらに、先へと問題定義を投げかける。

    国民的な大事な行事なんでしょう。、、、と、思わさられる。
    わたしも、2家族をご招待しての食事中だった。

    電話が鳴った。
    11月に末にお逢いした、95歳の修道女、マリーロランスさんの近況の電話だった。

    行方不明のロザリーさんはご自分の宗教上の代母<ゴッドマザー>
    という事が分かってお話を伺いにお逢いした。
    医療ケアー半分の老人ホームなのですが、
    定年された神父さんや、高齢な修道女さん達が多かった。

    このマリーロランスさんは、大腿骨を折って手術してから、4,5日たって入院中です、、という知らせだった。

    何故?クリスマスの日にこのような連絡が耳に入るのかしら?

    お逢いした日は、ほとんど、耳が聞こえなくて、コミュニケートは不可能だった。
    仕方ないから、「不思議のメダイュは、ご存知?」
    と、R子さんにあげた同じメダイュをお見せしたら、
    わたしの声は届かなくても、メダイュを見て、頭を、ウンウン大きく頷いて、「知ってる、知ってる」と笑いながらの反応があった。

    マリーロランスさんにその不思議のメダイュは、差し上げてきたのですが、今頃は首にいつもかかっている十字架と一緒に、不思議のメダイュはついているはずだ。

    なんとか、怪我が早く治ってくれるよう、願わずにはいられない。







      

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